大学病院の近くで、ふと

2007-07-17 00:37:05 | 市民A
友人が、都内の巨大病院に緊急入院したので、お見舞いに行った。大学系の病院で、ナースさんが美しいのが有名で、別名「美形医大」というらしい。

そして、面会可能時間を間違えたため、30分ほど時間をつぶそうと、近くの芝公園に行く。が、微妙にベンチに空きがなく、しょうがなく車椅子用のスロープにとりつけられたステンレスの手すりに座ってみる。ちょうど両足が地上から離れ、ブランコのように気持ちが軽くなる。都会のどこにでも非日常的世界がある。

しかし、空中で足をブラブラさせていると、早い話が「あぶない」わけだ。小学生の時に鉄棒で遊んでいた時とは、体型も運動神経も違うのだから、一応、慎重にはなる。そして、その「手すり座り」と「大学病院」のイメージから、ふいに「ZARD」を思い出してしまった。本当の原因は明らかにされてないようだが、信濃町の慶応病院の非常階段の手すりに座っていて、後ろに落ちたのではなかっただろうか。未だに事故か自死かはっきりしないが、わざわざ、そういう方法を選んだりしないだろうから、事故だったのではないだろうか、と思う。


ほんの最近、やっとZARDのアルバムを落ち着いて聴けるようになったのだが。彼女が作詞した歌詞(ほとんどの曲は自分で作詞している)の、そのどこにも「病気や死」といったものを感じさせるイメージはない。さらに、「過去」や「思い出」というのは、必ず、現在につながってきて、さらに未来志向になっていることがわかる。相当の上昇気流に乗った、強い生命力がある。声は高音のところで弾けるように伸びる。

彼女だって、「過去の思い出」や「失敗」や「苦労」とかまったく考えないわけじゃないだろうから、作詞の時に、「あえて」未来志向に作っているのだろう。そういう意味で、強いプロテストソングなのかもしれないが、そのプロテストの相手は、「社会」や「秩序」というところではなく、「自分の中の弱い気持ち」に対して、というインナープロテストなのではなかったのだろうか。

 君に逢いたくなったら...
 その日までガンバル自分でいたい
 これが最初で最後の恋に
 なればいいなと思う

 青く暮れかけた街並み
 また思い切り騒ごうね


一方、最近、定年間近な年配者との会食が何回か続いたのだが、「過去に生きる人」というのも、大勢いるのだなあ、と唖然としているところだ。美しい日本論かあ・・


夏の午後の陽射しが一層強くなり、公園の蝉の声が多数重なり合い、颯爽と手すりから飛び降り、美形医大へ向った。

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