日本人の骨(鈴木尚著 考古学)

2020-07-31 00:00:04 | 歴史
1963年に出版された岩波新書で『日本人の骨』を読む。57年前。前の五輪の頃だ。

鈴木先生の興味の中心は、人骨。日本の歴史を振り返ると、実は顔の形などの骨格は時代によって変わっている。それらの研究により、日本人のルーツを調べようということになる。

本書のあと、現代までの間に大きな科学的進歩というのは、炭素測定法による年代の特定ができるようになったことと、日本人のルーツ(世界中)のDNA分析などが進んでいるわけだ。



とはいえ、本書の主たるテーマである顔の形の変化については、まだ原因はわかっていない。本書にあるように、日本人の顔の形が変わったのは縄文時代の終わりから古墳時代までの時期と、明治維新後の二つの期間である。明治維新は国内戦争であるので、他国からの遺伝子の流入ではない。つまり縄文人から弥生時代に変わった時に顔の形が変わったと言っても異民族がきて縄文人を根絶やしにしたとはいえない。事実、現代人のルーツは6割が縄文、4割が弥生と言われていて、それもなかなかイメージがつかめない。

本書に戻ると、鎌倉時代とか江戸時代の人間の骨のサイズといっても、多数の骨を集めて平均化しなければ、全体像はつかめない。といって、人間がたくさん埋まった場所を探し出すのは大変で、何らかの工事で地面を掘り返したら、骨が出てきたというところから始まる。学問的には江戸時代→室町時代→鎌倉時代→平安時代というように順番に骨が出土されればいいが、全く無秩序に骨が出てくる。

むしろ、鈴木先生の筆は、出てきた大量の骨の時代を決めるところからはじまる。

まず、東京駅周辺の鍛冶橋。東京の下町は海で家康の指図で埋め立てられたといわれるが、地層をしらべると東京駅のあたりは海ではなかったそうだ。ミニ半島。調査の結果、墓地だったそうだ。

次に、鎌倉の材木座から出てきた大量の人骨。こちらは、新田義貞による鎌倉総攻撃の時の戦死者であることがわかる。稲村ケ崎から海岸沿いを移動して、材木座海岸から一路、鎌倉市街地に攻め上ろうとした時のファイナルウォーだ。再現すると、新田義貞に従う兵は約6万人。これが陸路鎌倉を攻撃する部隊と、海岸から攻める部隊と二分されたとしても相当な戦力だ。歴史によれば、平塚の方から海岸に沿って進軍し稲村ケ崎で立ち往生。

北関東出身の新田義貞は海に干満があることを知らなかったようだ。今でも湘南海岸で、何かハズレた感じの水着で歩いているのはそちら方面からの珍客だ。神話時代なら、ここで義貞が愛妾を海に投じて神々にこれからさきの暴挙に対して許しを乞うのだが、あいにく海は遠浅だ。海に投じても腰の高さだ。代わりに刀を一本海に投じて待つことしばしだ。

そして潮が引き、大戦争が始まる。遺体はしばらくは放置され、野犬に食い散らさられている。

明治初期の人骨は、海軍墓地移転に伴う戦死者の調査資料による。

無常観があちこちに漂うが、著者は嬉々として、人骨を語り続ける。奇怪な新書だ。

本題の顔の変化については、現象としては理解できたのだが、原因については決め手に欠けるようだ。

ついでに書くと、鈴木先生が見て、その量に驚いたという東京大学の頭蓋骨コレクションだが、私もみたことがある。さらに日米和親条約締結を米国人が描いた写実的な絵を見たこともあるが、日本人はほとんどが丸顔に描かれている。

岩手のこと、演劇のこと

2020-07-30 00:00:00 | 市民A
新型コロナウイルス関連の話。

まず、岩手県。初の感染者が報告された。

実に、約半年間頑張ったわけだが、気がかりなことがあった。

私事ながら、よく様々な工場に出入りしていた時期があったのだが、よく工場の入り口に看板が立っていた。

無事故連続○○○○日継続中

もちろん毎月、救急車がやってくるようでは話にならないが、工場構内で躓いて転んで血が出たとかでは、医者に行ってはいけなくなり、さらに腕が折れても足が折れても・・ということになり、本来なら事故のつど改善されるべき安全レベルが崩壊して、大事故につながる。

工場なら、数年間無事故なら、リセットしてまたゼロから始めるべきとアドバイスをして、そういうことになった工場もあるし、盲目的に無事故記録を続けている工場もある。

もちろん、記録を途中でリセットするからと言って、事故や感染が放任主義で増大してはいけないわけだ。

次は、演劇の話。

横浜流星さんの主演の舞台が、感染によって中止になった。責任追及の話ではまったくない。

そういえば、7月初旬にあった新宿のシアターモリエールでの大規模クラスター化だが、人狼ゲームに本格的な脚本があったとは思えないが、それでも当日に発熱があるからといって、出演中止にできるだろうか。台詞を覚えるというのは、かなり時間と努力が必要だし、映画ならカンペ方式もあるだろうが、演劇は舞台の上でナマで演じられるものだ。臨時に代役はかなり困難だ。

ということは、劇の開催そのものが、リスクが多い。全出演者にあらかじめ一人ずつ代役を頼んでいおいて、台詞を覚えてもらうことなんかできないだろう。

では、どうすればいいのだろうか。一つ名案が浮かんだ。

通し稽古の時に、画像や音声を録音しておけばいい。そして舞台では全員が口パクで演じればいいわけだ。(新様態か?)

意外にも忙しい「あの仕事」

2020-07-29 00:00:46 | 市民A
コロナ禍で、「不要不急」のことは後回しにしてという非常事態宣言があって、さらに不発に終わったGWがあり、昨今の第一波と第二派の中間の状態で、「不要」はともかく「不急」のことを始める時期なのだが、少し焦っていたことがあった。

「法事」

父母の13回忌と7回忌が今年になるので、年の初めから、その時期を探っていたのだが、念のため、数週間前に近所の霊園の式場の予約状況を聞いたところ、週末はかなり予約で埋まっているそうだ。

世の中の人の行動とか考えというのは、たいして変わらないわけだ。またウイルスが活発化するだろうと思っている人が多いわけだ。(GoToトラベルだって、「今行かないと、どこにもいけなくなる」と市民は思っているし、「たぶん砂漠に水だろうが、大量倒産防止策を打ったというアリバイ」と政府は思っているだろう)

式場が予約で埋まっているという意味は、これからコロナ葬儀が多発するという意味ではなく、式場の消毒作業というのに時間がかかるため。同時に一会場だけを使うことと、式の間隔を開けていることによるそうだ。

弊家(10名以下)には関係ないが、一組15人以下という制限もある。

先祖代々の地方の墓を移したため、東日本には珍しい宗派でご僧侶の都合もあって、色々と調整してやっと予定が組めた。

ところが、祖先の資料を調べていると、祖父母の法事もずっと失念していて、一人は37回忌、一人は30回忌にあたることがわかる。平均して33.5回忌なので、二人揃えて33回忌の弔いしめにしようかと思ったが、思いとどまる。

四人分の不均一のご遺影を探し出したものの、同一サイズに揃えるかどうかで悩んでいる。

嘘八百(2018年 映画)

2020-07-28 00:00:47 | 映画・演劇・Video
骨董屋というのは、いかにもあやしい。そもそも本物と偽物が混じり合っていて、安く仕入れて高く売るというごく普通のビジネスのはずが、大儲けしたり大損したりする。

中井貴一演じる冴えない骨董屋が娘(森田葵)と堺の街で旧家の土蔵の中から、利休の愛した茶碗を見つけ出す。ところがこれが贋物。怒った中井貴一は旧家に戻って落とし前をつけようとするが、そこにいたのは、贋作製作チームというべき一群の小悪人たち。中心にいるのは新進気鋭だったはずの陶芸家(佐々木蔵之介)。話を聞けば、骨董会の大物に騙されて贋作造りに身を持ち崩してしまったそうだ。

そこで、本来はまっとうな骨董商だった中井が策をめぐらし、歴史的な名碗を偽造することになった。とはいうものの、小心者の集まりなので、何度も嘘が発覚しそうになり、ハラハラしてしまう。

まあ、オークションで1億円まで価格が釣り上がり、万事がうまくいくかに見えたところで、思わぬことになる。

ようするに出演者のすべてが、大嘘つきなのだ。真実はどこに・・

ところで、日米の映画を交互に観ていて、その予算の差が歴然というのに気が付いてしまう。アメリカは大作ばかりで巨額製作費をつぎ込むが、日本映画の場合、本作も含め室内場面中心で、出演者も少数。百分の1といった感じだ、最後の娘が1億円を奪って海外に高飛びしようとしたのも、ロケは神戸空港だが、そこから海外には飛行機は飛んでいない。

トカゲもいっぱい

2020-07-27 00:00:07 | 市民A
小さな家なのに今年は、多数の動物に出くわす。

今度はトカゲだ。芝刈り機を買換え、轟音で芝の刈込を始めると、一斉に伸びた芝の中から飛び出して逃げ出し始める。もっとも、経験上、芝刈りの時は、トカゲが逃げ出してから作業を始めるので、尻尾を残して逃げ出す慌て者のトカゲはいない。



逃げるトカゲを撮影するのは至難の業なのだが、なんとか撮影してみた。

上半身が土色で、尻尾はレインボーカラーだ。

トカゲの生態はよく知らないので調べてみると、日本にも多数の種類がいるそうだが、表を見てわかったのは、住んでいる場所によって日本のトカゲは種が少しずつ違うということ。本州を見ると、西日本にいるのが、二ホントカゲ。伊豆半島と伊豆諸島にいるのがオカダトカゲ、東日本とロシア沿海部にいるのがヒガシ二ホントカゲ。奄美・沖縄諸島、石垣島、対馬といったところにも固有の種が少しずついる。

種が違うと言っても、見たところはほぼ同じ。

この尻尾がレインボーカラーなのは、「虹色とかげ」と言われているが、上記の日本の代表的トカゲの幼体時はこの虹色だそうだ。雄は成体になると虹色が消えてほとんど全身が土色に変わる。雌は幼体の頃と変わらないことが多いそうだ。寿命は5年から7年。海外の大型トカゲは犬や猫と同じように10年以上生きるそうだ。

トカゲは拙宅には前から少しいたのだが、現在は少なくても5匹以上はいる。たぶん、カラスなどが天敵なのだろうか。ふだんは目につかないように生きていて昆虫とか、食べているのだろうか。調べると、肉食、草食、雑食、昆虫食がいるそうで、二ホンのトカゲは昆虫食だそうだ。好物はゴキブリとかコオロギだそうだ。

一応、ペットにするのは大変なので、放し飼いということにしておく。見分けがつかないので個別に名前を付けるわけにはいかない。全部、「とかちゃん」。

マドロス少年像

2020-07-26 00:00:11 | 美術館・博物館・工芸品
横浜駅東口、駅正面から表に出て、右に進むと横浜モアーズというショッピングモールがある。もともとは横浜岡田屋というデパートで、東口には高島屋と三越と岡田屋という三つのデパートがあった。今、デパートとして残っているのは高島屋だけだ。

その元横浜岡田屋の入り口に、ちょっと変わった少年像が立っている。ブロンズだ。銅像は動かないので気が付かない人は前を10年歩いても気が付かないかもしれない。何度も通ったことのある場所だが、最近、気が付いた。地下街を歩いていて横浜駅に向かっていたら、正面からマスクをしないオジサンが歩いてきたので、すれ違わないように階段から外に出たら、銅像が立っていた。



奇妙なことに服が大きい。少年かもしれないが、パイプをくわえている。海外の船員の場合は、何歳からタバコを吸っても自由なのだろうか。少年がタバコを吸っているような銅像を禁煙地区においてもいいのだろうか。実在の少年が横浜駅前でパイプをくわえていたら、すぐに補導されるはず。

違和感があり、立ち止まって調べると、記念のプレートが設置されていた。かなり古いものらしく、文字がはっきりみえないので画像を撮影して後で解読してみた。昔だったら拓本を取るところだ。

この「マドロス少年」は北欧の港町で見つけた置物をモチーフにブロンズ像を作成し昭和四十三年十一月に設置したものです。「マドロス」とはオランダ語で「船員」のことだぶだぶの船員の服を着てマドロスパイプをくわえ、大人のまねをして少しわるぶっている少年の姿が港町ヨコハマによく似合うと思い、お待ち合わせのシンボルとしてご愛顧頂ければ幸いです。
                                        横浜岡田屋


話が複雑だ。後で調べたことも加えると、岡田屋三代目の社長が欧州に旅行した時に同様の置物をみつけたそうで、帰国後、その置物を元にしてこのブロンズ像を造ったそうだ。社長が自ら製作したわけではなく、作者は別にいるのだが、それについては岡田屋調査でも不明ということだそうだ。裏側に作者と思われる名前の一部が読めるらしいが「純一郎」と読めるらしい。

試しに『彫刻家 純一郎』と検索すると、「般若純一郎」という立派過ぎる名前の彫刻家が選択される。1931年(昭和6年)から1989年(平成元年)ということでマドロス少年の昭和43年には37歳ということで、矛盾はない。作品は全国に展示されていて、作風は様々にわたっていて、依頼者の要望に応えていたように感じる。

貫禄のある苗字があるのに名前だけ記載というのも、しっくりしないが、芸術家のこだわりというのもあり、依頼主が置物を持ってきて、「これと同じものを作ってほしい」と言われて、ちょっと臍を曲げたのではないだろうか。苗字を書入れずに名前だけを刻んだのだろうか。

実際には、作者不詳ということに落ち着くのだろう。

早くも記念免状

2020-07-25 00:00:01 | しょうぎ
7月4日の本稿に、藤井聡太(当時)七段が王位を獲得したら前例(木村王位)通り、記念免状を発行するのではないか、と推測したのだが、その前に棋聖位獲得で記念免状が発行されるそうだ。



免状署名は佐藤連盟会長の他、竜王と名人の三者の揃いとなっているが、竜王と名人は同一人物なので、縦二行で終わっている。書き足す紙のスペースは十分ある。

あるいは、王位戦第一局、第二局を見て、王位戦では「藤井危うし!」と感じて早期売り上げ増を狙ったのかもしれない。

子細は将棋連盟のHPで確認すればわかるが、正規料金の他、11Kを追加すれば発行される。正規料金は初段33K,二段44K,三段55K,・・・・

ところが、最初は、何らかの方法で実力を証明する認定書が必要で、それが最も難しいのかもしれない。将棋世界誌を1年ほど購読して、誌上の免状獲得コースに申し込み、どこかで強いソフトを入手すれば、将棋を指せなくても免状を手に入れることはできそうだが(記念免状は売り切れているだろうが)、酔った勢いで、うっかり知人に「今度、二段になった」とか免状を見せたりすると、「是非、一局」ということになったり、地元の将棋愛好会の師範にされたり・・。「口名人」で駒の並べ方もおぼつかないのに団体戦の大将にされ、ついにその日の朝を迎える。(その手の話はコメディ映画ではよくある)

さて、7月11日出題作の解答。





角を質ゴマにして、取りながら追い詰めていく。最後は空中詰め。(空中詰めが得意なのだ)

動く将棋盤は、こちら(Flash版)。

Gif版。


今週の問題。




筋をつかんだら容易と思える。難しくないが指しにくい手が多い。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

将棋教室分校(など)です。Please Click! ↓


「隣の芝生は青い」理由

2020-07-24 12:10:55 | 市民A
「隣の芝生は・・・」ということわざがある。

芝生は、そもそも欧米由来のものだから、英語圏のコトワザではないかと推測してみるが、芝生といっても洋芝と和芝がある。和芝と同じようなものに高麗芝がある。和芝と高麗芝の話をすると日韓問題になりそうなので止めるが、実は、英語に同じコトワザがある。

The grass is always greener on the other side of the fence.

そのままだ。コトワザにしては、くどい感じがする。

フェンスの向こう側の芝の方が、たいてい緑が濃い。和訳の方が簡単で、隣の芝生は青い。

他人の持ち物の方が、良く見える、という意味だが、前提として「同じような生活レベルの場合」に限られる。上級国民と一般国民、高級遊民と下級遊民といった場合は、緑の色合いの差ではなく庭の広さとか、芝の手入れをするのが庭師か自力かといった差になる。ことわざではなく、現実の話になる。隣のクルマの方が大きいとか、私の服はいつも○○○○とか。

さらに、英語も日本語も「隣の芝の方が青い!」と断定表現だが、私の記憶の中では、「隣の芝生は青く見える。」というような主観の入ったコトワザだったように思ったが、調べると断定的表現だった。なにか身も蓋もない感じだ。断定したらコトワザにならないような気もする。

私の家も、元々は山土なので、そのままだと雨で泥まみれになるため和洋芝混植している。分譲地なので、だいたいの家は芝を張っているはずだが、遠目にみるとどこの家の芝も自宅の芝よりも青く見える。

これには、わけがあると思っている。つまりコトワザを覆す新事実に気が付いたのだ(いいわけ半分)。

隣の芝生というのは英語にもあるように、フェンス越しにみるわけだ。つまりななめ横から見るわけだ。自宅の芝は上から見るという差がある。

つまり、上から見ると、芝に穴があったり成長にムラがあったり、虎刈りになっていると、残念な気持ちになるのだが、ななめ横から見ると、芝がある程度伸びていると、穴とかムラというものはわからないわけだ。また色合いだって横から見れば緑の葉しか見えなくて地肌を見ることはない。

つまり、差があるように見えるのは、目の錯覚といってもいい。

といっても、そもそも隣の人に見てもらうために芝の手入れをするわけではないので、きれいに越したことはない。


ところで、隣の芝生の類似表現をさがしたら、絶対に日本古来のものと思われるコトワザがあった。

隣の糂粏味噌 (じんだみそ) 」

理解できる人は少ないだろう。つまり「じんだみそ」とは何だろうということ。

じんだみそ=ぬかみそ、だそうだ。難読漢字なので、文字を書いて覚えておこう。こちらは、ぬかみその香りの話。臨家から香ばしい匂いが漂ってくるということだ。江戸町民の長屋が舞台かな。

淡路島出身の人に聞いた話だが、「いかなごのくぎ煮」を各家庭で作るそうで、季節になるとどこの家からもいかなごを煮詰める微妙に異なる匂いが漂うそうだ。

草刈り機で虎刈りに

2020-07-23 00:00:47 | 市民A
長年使っていたドイツ社製の芝刈り機(草刈り機)が、違和感のある轟音を発するようになり、産廃となった。困ったもので、芝はどんどん伸びてくる。ハンディバリカン型や手刈り用のハサミもあるが、この暑さの中、倒れるに決まっている。

もともとは手押し型の芝刈り機を使っていたが、特に2011年の大地震のあと庭が平らじゃなくなり、うまく稼働しない。さらに洋芝と和芝を混植していて癖が違うため、うまく刈れない。ということで、かなり前、ユーロ安の頃、Bosch製の草刈り機(当時は芝刈り機と言っていたはず)を購入して、バッテリーに充電して使っていた。

ということで、今回は本格的なロータリー式を検討していたが、やはり地面の凸凹が問題なような気がする。といって、大量に土を入れて平らにするほどの気もないので、やはり草刈り機型にしようと妥協。となると日本製は、かなり巨大なエンジン型のような機種が主流で、箱庭サイズの芝刈り機は、ホームセンターに在庫もない。

ということでカタログから買うのなら、また同じメーカーでもいいかなということなのだが、どうも後継機種は2倍もの価格になっている。デフレ経済に慣れた日本人の感覚なのだろう。ただ、調べると、バッテリー型のコードレスではなく、コードありのタイプだと半額程度(つまり元の機種と同じぐらい)コードは10m。

コードがあると、作業上ジャマになり、足が絡んだり、草刈り機でコードを切ってしまったりすることがある。一方、バッテリー型の大きな欠点は、仕事をしようと思ってもその前に数時間の充電時間が必要で、充電している間に、「さあ、始めよう」という気持ちがしぼんでしまうことがある。飲んでから効き目が始まるまでの時間が長いED治療薬のような感じだ。

となると、コード付きだと、ただちにフルパワーでコトを始められる(草刈り機の話だ)。



ということで10日ほど前に置き配されていたのだが、雨が多かった。やっと晴れ間があり、急いで組み立てる。やはりドイツ的な発想だ。部品を組み立てると、カチンと音がして、もう二度とはずせない。慎重に組み立てなければならない。残念ながら中国製なので、部品を確認しながらの作業だ。

そして、初仕事にしては荷が重そうな10センチにも及ぶ伸びた芝の葉を刈り始める。前の機種はプラスティックのブレードを回していたが、今回はナイロンロープを振り回す。音のレベルが半端じゃない。ご近所で最大の騒音だ。ケルヒャーのジェット噴射機も持っているが、あれもジェットエンジンのような音がする。ドイツ人は音は大きい方がいいと思っているのだろう。ベートーベンの「運命」や「合唱付き」もそうだ。



そして30分後には、少し虎刈(虎狩ではない)の芝生が完成。

ところで英語とドイツ語とどこかの言語の3言語で3年保証と書かれているので、QRコードのようなものを読みこむが反応なし。URLを打ち込むと、世界各国のページがあり、アジアの項を見ると、オーストラリアとニュージーランドしか対応していないようだ。一方、世界各国語のBoschのホームページには、日本語での記載が溢れているのだが、保証書の話は見つからない。あきらめよう。

ところで、パンフレットに、作業時間は30分以内と書いてあるのだが、よく読むと、モーターの耐久時間というのではなく、危険作業に対して緊張感を持ち続けられる時間が30分ということのようだ。

「小公子」の秘密と新潮文庫

2020-07-22 00:00:44 | 書評
新潮社の書評誌「波」の7月号の表紙だが、今月の新潮文庫で発売になった『小公子』の表紙だ。まず、何がスゴイかというと翻訳したのが川端康成。ノーベル賞の大作家である。1960年の翻訳。



なぜ、古色蒼然たる古典文学が再刊されたかというと、大ベストセラーである小野不由美の「十二国記」の新刊発表の際のインタビューで、「子どもの頃に影響を受けた本は、川端康成訳の小公子」との話があったからだそうだ。それは大変!ということで、急遽、版権を取得して再版したそうだ。小公子にはいくつかの翻訳があるそうで、川端康成訳はその一つと言われる。

では、なぜ、既に有名作家だった川端康成がこの仕事をしたのだろうという疑問が湧き、調べ始めたのだが、どうもしっくりしない。そもそも、人の気持ちなんかわかるわけないという問題もある。

とはいえ、肉薄していくと、いくつかわかったことや、諸説があることがわかった。まず、重要な点だが、川端康成著となっているが、野上彰氏との共訳だそうだ。野上彰氏だが、調べると、川端康成の弟子であるわけだ。また囲碁が強く、雑誌「囲碁クラブ」の編集長も務め、生前、五段位(没後贈六段)だったそうだ。

世の常として、弟子の仕事は師匠の手柄ということもあるわけで、分担がどうなのかは不明だ。

もう一つ、戦後、川端氏はかなりの量の少女向けのノベルを書いているようだ。考えてみれば、伊豆の踊子だって少女趣味として読むこともできる。ある評論家は、同性愛の傾向を感じ、少女好みだったとしている。ただし小公子は男の子だ。

むしろ、小公子の筋書きというのが、米国の少年セドリックが幸せな家庭から急に英国貴族の跡継ぎとして大西洋を渡るという困難な状況を、幼少期に直系親族のすべてを失った自己と重ね合わせたということと読めばいいのだろう。「セドリックの絶望感を考えれば、自分の困難など小さな問題だった」ということ。

まあ、正解のない問題はこれぐらいにしよう。

なお、読んだ人の感想などをネット上で読んでいると、「川端訳は句読点が多くて読みにくい。誰か新約を出してほしい」という畏れ多い意見があった。川端康成のことを知らないのだろう。

ところで、今月発売の新潮文庫に、ヘミングウェイ『老人と海(高見浩訳)』、がある。名作中の名作だがスター・クラシックシリーズと呼ばれている。2014年に創刊百年を迎えて以降、海外の名作を新訳で出版する時に、スター・クラシックとするそうだ。

この『老人と海』は新潮文庫の海外作品の累計部数ランキングでは一位だそうだ。日本作品を含めた順位でも第三位。では一位や二位は何かというと、
 一位:こころ(夏目漱石)
 二位:人間失格(太宰治)
 三位:老人と海(ヘミングウェー)
 四位:坊ちゃん(夏目漱石)
 五位:異邦人(カミュ)

二位と五位はまったく奇妙だ。二位は自殺願望者の私小説風だし、五位は小説なのか哲学なのか、不条理殺人小説。


実は、このカミュがなぜ日本人に読まれるのかというのは日本人論の大きな手掛かりだそうで、今月号から内田樹氏がカミュ論(日本人との関係?)を連載するそうだ。なにしろ書店に行けば、いつでも七冊のカミュの新潮文庫が並んでいるというのは、フランスでも考えられないそうだ。ただし、連載は毎月ではなく、気が向いたらということのようだ。思想家は、きままでわがままだ。

プラダを着た悪魔(2006年 映画)

2020-07-21 00:00:06 | 映画・演劇・Video
アン・ハサウェイ主演の映画。ファッション映画といってもいい側面もあるが、大学卒業した主役の冴えない女性がジャーナリズムに入れ切れずに世界的なファッション雑誌のカリスマ経営者の女性(メリル・ストリープ)の第二アシスタントになってしまうところから、始まるわけだ。雑誌社で記事を書くつもりだったのに、ようするにVIPの小間使いだ。

散々ワンマン経営者にイジメられているうちに、仕事の勘を掴んで、雑誌の世界で一人前になっていくうちに、自分を失ったことに気付く。初めてのパリコレの夜だ。


なんとなく既視感があったのは、公開順は逆だが、少し前に観た『マイ・インターン(2015年)』と、極めて似ている。『マイ・インターン』の方は、ファッション通販サイトのワンマン暴君をアン・ハサウェイが演じ、イジメられ役をロバート・デニーロがやるのだが、ブチ切れる役を演じるのが得意なのだろうか。どちらの映画でも、大株主による社長交代の画策が失敗する。

なんとなく大塚家具の社長と重ね合わせてしまいそうだが、実話映画にはならないかな。本人が社長を演じればいいのではないかな。

そもそも怪しいGoTo

2020-07-20 00:00:07 | 市民A
はずれた車輪が下り坂を転がっていくようにGotoキャンペーンがバラバラになりそうだ。

元々、以前にも書いたが、コロナ禍の現在、国民はどういう状況になっているか。大まかにグループでわけると、
 1. 既に感染してしまった人(多くは陰性になっているだろうが)
 2. 治療に関係している医療従事者
 3. 飲食業、観光業等の大損害を喫しているひと
 4. 少しだけ給料が減った勤労者
 5. ほぼ、影響がない人(公務員、年金生活、影響のない業種の勤労者)

といったところだ。もちろん公務員でも病院や保健所に勤めていて疲れ果てている人もいるだろうが、職種のことを書くのではないのでご容赦いただきたい。

要するに、旅行に行こうと思う人は、概ね4と5の人で、1~3の人は補助金もらっての旅行どころではないわけだ。つまり国民間でもかなり不平等ということ。

不平等の話がもう一つあって、旅行代金の補助と言うことは、国のおカネと旅行客のおカネが合計されて、運輸事業者と旅館事業者に流れていくので、補助金だけより巨額になるはずという浅知恵なのだろうが、その場合、旅行客が行かない市や町には一円も届かないわけだ。かなり偏ることも考えられるが、どうするのだろう。

もっとも、大手の旅行代理店とか全国展開の大手のホテルは行き先が偏っても元は取れるのだろう。気になるのは、総理の私的親睦会にはローマ字3文字のホテルチェーンのカリスマやローマ字3文字の旅行代理店のカリスマが重要メンバーだったりすること。


それで東京都から、あるいは東京都への旅行はGoTo対象外で、突然の発表であってもキャンセル料は面倒みないということになるようだが、東京都民は金持ちが多いのでGoToがなくても予定通り目的地に行くだろう。お土産は買わないはずだ。GoTo補助金がなくなった上、キャンセル料を払うなら行ってしまえということになる。

また、東京に行こうとしていた人も問題だ。旅行をやめるか、ミニ東京と勘違いして横浜旅行に切り替えるのだろうか。横浜市民なのだが、大変不安だ。県知事の影に隠れていた横浜市長がWelcomeを表明しているのだが、横浜の観光地といえばみなとみらい地区だが、お台場より狭い場所だ。全東京観光地の代替地にはなり得ないし、ホテル数も比較にならない。

また、東京都知事が気に入らないから、東京だけを外したとも言われるが、来年は運が良ければ東京五輪である。来年の夏に世界からコロナウイルスがなくなるはずもないわけで、都知事が、「東京以外でやってほしい」と言い出したらどうするつもりなのだろう。


「旅館業の雇用が・・・」ということを大臣が代弁するのも変で、「声の大きな小さなグループ」の方が「声の小さい大きなグループ」より重視されるというのは、一般的な社会現象なのだが、TPP締結前にも大騒ぎだったが、締結後、大損害だったという話、聞きます?

食い違った話と言えば、首都圏の人が遠くに行きたいというのは、簡単にいうと、ウイルスのない田舎にいって、思い切り肺の中の空気を吐きだして、安全な空気を胸いっぱい吸ってみたいとか、テーブルの小さい都内の居酒屋ではなく、地方の広々とした宴会場で美食と美酒を楽しんで、久しぶりにマスクなしで夜の街を千鳥足で歩いてみたい、と思っているわけだ。

横浜にもお台場

2020-07-19 00:00:46 | 歴史
お台場といえば東京の人気観光地であり、密かに国内のゲーム会社がカジノ推進に動いているようだが、横浜にもお台場がある。ただしカジノとは関係ない。

東京のお台場は、1853年にペリーが初めて来寇して、東京湾内を威嚇航行して開国を迫り、「来年また来るから!」と、ヤクザの集金係のような置き台詞を残していったあと、大慌てで大きな砲台を作った。開国の有無はともかくとして、緊急大工事だったろう。1年も経たないうちに巨大砲台島が完成した。実際に、どれぐらいの戦闘能力があったかどうかは、別にして、翌年ペリーが再訪した時に、この砲台を見て警戒し、結局横浜に上陸することになった。実はお台場の砲台群からは一発も発射されなかったわけだ。



一方、横浜のお台場は『神奈川台場』というのが正式名称。1860年に勝海舟設計で伊予松山藩が工事をしている。日米和親条約で、日本の5港(含む横浜)が開港することに合わせ、警備用に設置された。海に突き出すように要塞が作られ、陸との間には細い通路ができている。

ところが歴史が示すように、この台場からも大砲の実弾発射は行われなかった。その一方で、海外貴賓船が来日する時には、祝砲を打ち鳴らしていたというから、変節ぶりは驚きだ。太平洋戦争終結と同時に思想的転向して米軍に取り入るような話だ。(現代の総理大臣も大統領が変われば変節するしかない)

そして、役に立たなかった神奈川台場は大正時代に周辺の海と一緒に埋め立てされてしまった。そして遺跡はひっそりと地中に眠ったままになるはずが、マンション建設により掘り返されることになる。



そして、ほぼ発掘調査が終わった頃に横浜市は『神奈川台場遺跡跡』という遺跡にしてしまった。

さらに、余計なお世話だが、市民に「歩け!」と命令しているわけだ。散歩コースとして周囲一周するように地図を作って配っているわけだ。これを4分の1に畳むと『横浜台場』という文字が現れ、さらに四つに畳むと小さくなって、ポケットに入れて、散歩に行こう!ということだ。

地図の中央付近には、当時の海に突き出した砲台の絵が描き込まれている。さらに、石垣だとかローマ字で有名なヘボン博士の診療所跡の場所が書き込まれたりしているのだが、最大の問題は、この航空写真だが、撮影されたのが、平成9年となっている。23年前の写真だ。どうしたのだろう。地図のあちこちに、"現在はマンション"というようなことが書かれている。

王位の前に棋聖に

2020-07-18 00:00:44 | しょうぎ
7月16日、藤井棋聖が誕生した。敗れた渡辺前棋聖は、これで、名人戦を頑張るしかないが、「終盤にゆるむ癖がある」と豊島名人に見抜かれたかもしれないが、実はすべては本命の名人位を奪うための前工作かもしれない。ふたたび同型に持ち込んで・・とか

実は、私も結果はちょっと残念だったのだが、その理由は渡辺棋王が師範をしている支部の会員だからということではない。小さな予言がはずれたからだ。


その前に、先日の札幌での王位戦の第二局二日目の藤井挑戦者のおやつだが、『ミニクリームどら焼き』だった。王位戦は、北海道新聞、中日新聞、東京新聞、西日本新聞、神戸新聞、徳島新聞が共催していて、その地方を回るので全国規模になるわけだ。すべて北海道産の豪華なおやつを彼が注文したのは、地元への配慮なのだろう。

実は、その共催社の中に知人記者がいて、彼は将棋が指せないのだが、昨年に会食したときに「藤井君の最初に獲得するタイトルは『王位』になるはずなので、その時はパーティに招待してほしい」という無理な約束を押しつけていたのだ。覚えていないかもしれないが。

もっとも、この時期、祝賀パーティが大々的に行われるはずもないわけで、最近、次々と決まっている予定が消えていくことを考えれば、たいした話ではないわけだ。まだ王位戦は終わってないし。


さて、7月4日出題作の解答。





金と飛車の横ばい。

打った金が横に動くという一発芸である。

動く将棋盤は、こちら(flash版)。

gif版。



今週の問題。打歩詰と飛車と桂馬。



わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を頂ければ正誤判定します。

カレーフォー

2020-07-17 00:00:38 | あじ
夏野菜カレーだが、僅かに隙間から、フォーが見える。原料は米粉100%。でんぷん増量はなし。



フォーはベトナムでよく食べられ、原料は米。カレーはインドやタイでは多く食べられるが、フォーは食べられない。

日本では麺と言えば小麦粉や蕎麦粉で作ることがほとんどだが、米は麺にしない。ベトナムは地域的に小麦はないのだろうか。といっても麺が食べたい場合もあるだろうし、朝食は米を炊くには時間がかかるので、調理時間の短いフォーを朝食に食べるのかもしれない。

日本では干し飯というのがあって、乾燥した飯のことで、いくさの時に持って行って戦場で食べたりする。案外ベトナム戦争の時にフォーをよく食べることになったのかもしれない。全土が戦場と言っても過言ではなかった。

まったく見当違いかもしれない。