『倭の五王』(藤間生大著)

2021-05-31 00:00:15 | 歴史
古代史の研究者による1968年の書。50年以上前の本だが、読後、いろいろと調べてみると、当時の様々な学説の大部分は、今でも有効で、古代史はそう進んでいないようだ。



本書からは離れるが、「邪馬台国論争」が解決しないため、その後の古代史のストーリーがうまく書けないわけだ。九州北部説では邪馬台国は、その後、東進して近畿地方に本拠地を移して大和朝廷になった、という話になり、「東進」という故事と結びつくのだが、物証面では、最初から近畿地方にあったような方向にあるし、あるいは邪馬台国と大和朝廷は関係ない別組織とも考えられる。

要するに、古代史の手掛かりというのは、
1. 古事記(712年)・日本書紀(720年)の記述
2. 中国の各王朝がまとめた歴史書に書かれた記録 および朝鮮半島での戦闘記録など
3. 発掘等による物証
なので、3世紀、4世紀、5世紀のことは、なかなか確定しにくい。

中国の歴史に書かれる倭国伝は、多くが倭国の国王から届く親書(中国も王朝の交代が多かった時期だ)、朝鮮半島の各国から中国に向けて日本の悪口が報告されているという記録によっているので、嘘はないだろうが、適当にまとめられて書かれていることもある。

倭の五王とは、宋の時代に書かれた歴史書の中の讃・珍・済・興・武もことだが、この五人は親書を出したから記載されたのであり、この五人の血縁関係者2名の名もあり、その2名が天皇だったのか天皇ではなかったのかは不明。このため5人の天皇ではなく7人の天皇かもしれないわけだ。

親書を持ってくる意味は、日本国王に対する肩書をもらうためであり、国内の王であるにとどまらず、中国より東側の取締をまかせるという意味のお墨付きのこと。当初は安東大将軍が安東将軍に格下げになり、それが復活し、鎮東大将軍になり征東将軍になっている。要するに札幌支店長みたいなことだろう。中国からすれば、日本が時々朝鮮半島で大暴れするのを放任したり、抑制したりしていたわけだ。また朝鮮半島各国は中国の政権に対し、いわゆる「告げ口外交」をしていた。

日本の天皇列伝でいうと、応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略と続く七人の誰が五王かということになる。この中で、途方もなく巨大な古墳を作ったとされるのが応神、仁徳の両天皇。知略がすぐれていたとされるのが雄略天皇であり、親書には言葉巧みに倭国の力をアピールしている。安部首相がトランプ大統領に金色のドライバー(50万円)をプレゼントしてご機嫌取りしたのと同じだ。そして、武は中国(梁)には見切りをつけて親書政策をやめてしまう。そして遣隋使は100年後になる。

はっきりしないことを書き綴るのはやめるが、古代史の研究家の多くは応神・神武両天皇の御陵といわれる巨大古墳を見て、古代史の謎にとりつかれるそうだ。

『愛情物語』(1956年 映画)

2021-05-30 00:00:16 | 映画・演劇・Video
『愛情物語』。原題は(The Eddy Duchin Story)。1940年代に活躍した実在のピアニストであるエディ・デューチンの成功と失意を描いた映画で、なぜか漠然とした邦題が付いている。日米同時期に公開されているので、その当時の流行りだったのだろう。主演はタイロン・パワー。そして助演女優は二人と言わなければならないだろう。一人はキム・ノヴァク。もう一人はヴィクトリア・ショウ。ちょうど半分のところで交代になる。

ところで、まったく偶然だが、このブログの日時、5月30日の二日後に、この映画はNHKのBSプレミアムで放送される。その前に読むのはまずいかもしれないが、それの方がいいのかもしれないし、よくわからない。

デューチンは薬剤師の親の反対を振り切って田舎からニューヨークに飛び出し、自慢のピアノで生活しようとするのだが、生き馬の目を抜く街では最初に苦労を重ね、すぐに一流になり自分の楽団まで持ち、新妻(キム・ノヴァク)を迎え、一人の男児を得る。失意は直後に訪れ、彼は海軍に入り、憎き日本軍の艦船を撃沈したりする。そして終戦。

そして、後半は大きくなった息子とその教育係の女性との複雑な感情ゲームになる。再びビジネスとしてのピアニストの名声を取り戻した彼に、運命のサイコロは「1」を出した。

以降は省略。

テレビ鑑賞される方は、最後のシーンを見て考えることになっているらしいが、みなくても大きな差はないだろう。

ただ、なぜキム・ノヴァクが美貌も実力も発揮しないまま、途中で変わってしまったのだろう。元々は後半にも前半とそっくりな女性という設定で一人二役という計画だったのかもしれない。なんらかの事情で変更とか。

もう一つ、「あと1年の病気」と打ち明けた後、教育係は資産家になっていたデューチンと結婚するのだが、和歌山県の方がみると、違った感情を持つかもしれない。

映画の5年前にデューチンは亡くなり、残された息子は後年になり、このストーリーは事実とは大きく異なる、と発言している。本人の名前を使って、事実と大きく異なる映画を作ることは、たぶん現在では難しいだろう。そのたたりなのか主演のタイロン・パワーは2年後に亡くなっている。

ついでだが、文中で触れたNHK BSプレミアムだが、NHKのコスト削減策として二つのBS放送が統合されるようだ。4K放送と8K放送の二つのチャンネルを残す方が奇異に感じるのだが。

攻め続ける名人の、なぜ

2021-05-29 00:00:16 | しょうぎ
名人戦七番勝負は既に四戦が終わり、現在は第五戦。四戦までは挑戦者の斎藤八段が1勝、渡辺名人が3勝。しかし、斎藤八段勝利の第一戦は終盤までずっと渡辺名人が攻めていて、最終盤に逆転。第二戦から第四戦まで、ほとんど渡辺名人が攻めて斎藤八段が受けに回っている。

本来、攻めと受けとどちらが勝率がいいかは微妙だ。負けないように指していればいつか勝てるはず、というのが受け将棋の基本概念だろう。よく言われる三手の読みとか五手の読みというのは、何か自分が指して、相手が指して、次を自分が指した局面が、今より有利という攻め将棋的表現だが、受け将棋派というのは二手の読みとか四手の読み、つまり、相手が指す手までを読む、ということだろうか。

しかし、斎藤八段がいつも受け続けているわけでもないし、渡辺名人もいつも攻め続けているわけでもないはず。両者とも、何か見えない力に支配されているような感さえある。


さて、5月15日出題作の解答。







実は、長手数だった。


今週の問題。

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わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。




白いマヨネーズ

2021-05-28 00:00:42 | あじ
外食は気が進まないが、といって食べないといけないこともある。特にランチタイムとか。もっとも酒の提供がないのだから、ランチもディナーも大して変わらない。

しかも外食の時間を短くするというテーマもある。

ということで、選んだのが「ぼてちゅう」。有名なお好み焼きの店。知人と一緒に入店。その際に手指の消毒と体温測定。が行われる。



で、頼んだメニューの1が『おおさかモダン』。白いマヨネーズで有名なベーシックメニュー。

基本の味だろうか。白いマヨネーズは、黄色いマヨネーズよりもあっさりしているような気もするが、色に惑わされているような気もする。

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もう一つが変わり種の『かきおこ』。牡蠣入りお好み焼きの短縮形だろうか。

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内部を改めると大中小の牡蠣が入っている。ただし焼き過ぎて固い塊状態だ。牡蠣は焼き過ぎて固くなると美味ではない。一方、牡蠣の塊がゴロゴロしている。メニューは長続きしないかも。


なんだか、あっさり記事にしかならないので、店の起原を調べたのだが、実は「ぼてぢゅう」を名乗る2系列があるようだ。餃子の王将のような感じだ。深入りはしないことにする。


やはりお好み焼きは、広島ではないだろうか。

グリーク(ピアノ協奏曲など)

2021-05-27 00:00:39 | 映画・演劇・Video
父親の残したクラシック全集の中にグリークがあった。果たして全15作曲家の中に入るべきかという問題はあるが、一枚のCDの中に代表曲数曲を詰め込むという方式なので、マーラーとか幻想交響曲のベルリオーズとかショスタコーヴィッチのような長尺作曲家は入らないのだろうと想像。

グリークは25歳の時に、この悲劇的なピアノ協奏曲イ短調を書いた後、何回かピアノ協奏曲に挑戦するも書き上げることができなかった。第一作が優秀過ぎると後で苦しむという芥川賞作家の苦痛のようなものだろう。彼は交響曲も一つ書いていて二つ目がない。何か潔癖症なのかもしれない。自分の中で理想と思えるものができたとき、それを後で超えられなくなる。

調べてみると、グリークのピアノ協奏曲とCDでよく一緒にカップリングされるのが、つい最近聴いたシューマンのピアノ協奏曲だそうだ。理由は、似ている感じがあるということ。シューマンを聴き直してみると、「違う曲だが、似ている感じがする」ということ。

どちらも第一楽章は「悲劇性」がテーマになっていて、ミステリー系のテレビドラマで多用されているようだ。メロディが流れると、必ず事件が起きる。殺人事件だ。しかし、両者を比べると、悲劇の質が違うように感じる。

シューマンのピアノ協奏曲は、人間社会のドロドロとした相関図の中でだんだん大きくなって破裂するような悲劇性。グリークの方は、人間では超えがたいような根源的な悲劇といった感じだ。

グリークには、もう一つの名曲があって、ペール・ギュント組曲1と組曲2。これも収録されている。もともとイプセンの劇に付ける音楽なのだが、結構問題の劇で、反宗教、反道徳のようなところがある。破天荒な放浪生活を送って晩年を迎えた主人公が、平凡な人生で終わるのは嫌だと思い悩む。平凡な人生を送ると、没後、服のボタンにされることになっている。作曲家にとっては夢のような題材だが、グリークはそんなに喜んだわけではなかったそうだ。自分はペール・ギュント氏と違って堅実な一生を送っていたからだろう。

人生は皮肉に満ちている。


ピアノ協奏曲イ短調 ピアノ:ダブラフカ・トムシック アントン・ナヌーカ指揮リュブリャナ・ラジオ・シンフォニー管弦楽団
ペール・ギュント第1組曲・第2組曲 リボル・ベザック指揮スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団

ワクチン無償供与できるのかな

2021-05-26 00:00:12 | 市民A
遅ればせながら、モデルナとアストラゼネカ、両社のワクチンを認可したうえで、アストラゼネカ社製はとりあえず使わないということになった。
政府の発表だと、現在のところ、契約分は、
 ファイザー     1億9400万回分
 モデルナ        5000万回分
 アストラゼネカ   1億2000万回分
   となる。

ファイザーとモデルナの合計で2億4400万回で、一人2回接種とすると、1億2200万人分と国民の数とほぼ同数になる。逆に言うと、ぴったり同じだから河野大臣が「廃棄は絶対ダメ!!」といっているのかもしれない。

となると、アストラゼネカ分6000万人分をどうするか。しかも日本の工場でかなり製造するはず。要らないというと工場が稼働しない。

そこで浮上したのが、ワクチン後進国への無償供与。中露両国が自国民より早く他国に配ろうとしていた作戦のまねのように見えるが、問題は自国の国営企業でもないし私企業でもなく英国の会社だ。

普通の契約には、再販売禁止が記載されていることが多いはず。たとえば日本がタダで例えばアジアのA国に善意でプレゼントしてしまうと、アストラゼネカ社がA国に販売するチャンスを失うわけだ。日本の勝手なふるまいのためにだ。簡単に転売できるとは思えないのだが、一方、本家の英国では、とんでもないことになっているようだ。

既に契約したワクチンは3億~5億回ともいわれる。契約が上手なのかヤケ買いなのか大人買いなのか。


米国では、余ったアストラゼネカ分は備蓄することになっている(そんなに長持ちするとは思えないが)。大した金額じゃないのかもしれない。一回分が10ドルから15ドルぐらい。インフルエンザの予防接種を医師に頼むと3500円程度だから同じぐらいなのだろうか。

機関銃の設計図を中国に・・

2021-05-25 00:00:42 | 企業抗争
陸自の機関銃の設計図の一部が中国企業に流出した。普通、流出と言えばコンピューターに不正に侵入したり、ビル清掃会社のアルバイト社員として女性諜報員をオフィスに闖入させ、ごみ箱のごみを回収したりと、情報をいただく方が苦心するのだが、今回は、頼まれもしないのに自分から流出したそうだから驚くばかりだ。

陸自から設計を頼まれた某社が下請け会社に仕事を投げて、下請け会社が部品の設計のため機関銃の図面の一部を中国の会社に渡したようだ。

しかし、下請け会社に対して指導が不足していたといっても、作っているのが機関銃(マシンガン)。ここは日本なので機関銃を使うのは自衛隊で、現下の情勢で中国に頼むなんてことが、どうして起こるのだろう。下請け会社だって、いや誰だってまずいと思うはず。

尖閣列島のような岩場ばかりの島は、防衛が難しい。だから、両国とも先に上陸したりしにくいわけだ。先に上陸しても反撃されれば壊滅するはずだ。その時に最初に使われるのがマシンガンだ。

当該社は、もう機関銃をつくることはやめたそうでHPにも本件の説明は見当たらない。


武器に限った話ではないが、国の発注事業にコストダウンのため海外の会社が絡むというのは、経済学的にいっても、困った話だと思う。国の支出というのは一方で税金が原資(実際には半分近くは国債なのだが)なので安い方がいいと思われがちだが、実際にはその波及効果がある。大恐慌の後のニューディール政策では政策出動の10倍の波及効果があったと言われる。そこから上がる利益(広い意味の利益で、売り上げに近い)からは法人税や社員の所得税や給料が上がった分の購買からは消費税も国に入る。

ただ、戦後の日本の場合、道路のための土地代は地主の懐に入って、地主はそれを使い切れず金融機関に預けてしまうので、波及効果はあまりなく、およそ3倍ぐらいだったはず。

商流の各段階での利潤や社員の給与(人件費)、国産の原材料の付加価値分などが国内に残りそれに対して2割ぐらいの税金収入があるはず。

一方、大部分を海外委託費にすると、最終段階での僅かな利潤だけが国内に残り、税金収入なんて期待できない。多くの利潤が海外流出してしまうわけだ。


ところで、当該社は機関銃製造を終了するはずだが、機関銃製造のことは前から知っていた。東京都の西側、西武池袋線ひばりが丘と西武新宿線田無の中間に当該社の製造所がある。隣の土地に以前勤めていた会社の研修所があって、研修しているときなどグラウンドで野球をやったりするのだが、球場ではないのでうっかり本気でバットを振ると、隣の敷地にボールが飛んで行ったりする。センター方向のフェンスには隣地の間に穴が開いていてボールを回収できるが、三塁側のファウルボールを打つと、ボールはあきらめるしかなかった。厳重な塀があったからだ。

その時は、何を作っているのだろうと、うっすらとした興味はあったのだが、真相を知ったのはもっと後のことで、たまたまエレベーター関係の仕事をしていた人から聞いた話なのだが、巨大なエレベーターが工場にあったということ。トラックごと、エレベーターに乗るそうだ。それも自衛隊のトラック。完成した機関銃は上階で工場から自衛隊に引き渡しになるそうだが、自衛隊のトラックが一階からエレベーターに乗り上階で機関銃を積み込み、そのまま一階に降りて、どこかに走り去るそうだ。

ブツは厳重管理だが図面は流出した。機関銃は戦闘中は高温になり銃身が歪んできて、命中精度が下がるという欠陥があり、そこに技術力が必要なのだが。

巨人は生物か?

2021-05-24 00:00:19 | 美術館・博物館・工芸品
横浜戸塚区のアパート天井裏から体長3.2mのアミメニシキヘビが保護された翌日(5月23日)、今度は神奈川区の公園で、体長1.3mのイグアナが保護された。ヘビと異なりイグアナは草食性なので、食われることはないそうだ。草食男子は危ないかもしれない。

どうも横浜市は爬虫類サファリパークになったのかもしれない。ヘビ、トカゲとなれば残るはカメとワニ。カメは川には沢山いるが、さすがにワニはいないはず。アメリカでは一時、下水にワニが住み着いて大問題になったり、ゴルフ場の池にいたりする。

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そして、横浜を代表する高層ビルのランドマークタワーの一階の広場に、見慣れぬ物体が二個置かれている。一つは全身で怒りを表現している巨人。もう一つは、怒りに燃える巨人の頭部だ。

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近づいてみると、「進撃の巨人×ランドマーク」となっている(~6月20日)。ついに終結した漫画『進撃の巨人』の一億冊販売記念でもあるそうだ。巨人という言葉が好きじゃないので、今まで気にしていなかったが、突如現れた人食い巨人族に人類が追い詰められ、鉄壁の城壁の中で、細々と暮らしているそうだ。古い映画だが『猿の惑星』シリーズがそうだった。猿が世界の中心で、人間は捕まると、殺されるか奴隷にされる。

では巨人の生態はというと、よくわからない。鉄腕アトムは金属製だったので生物ではないが、巨人族は哺乳類なのか、あるいは爬虫類なのか。あるいは別物か。臍があるかどうかを調べればいいのだが、近寄ると食われる。致命傷を負うと、死体になるのではなく、ガス化して消える。見る者の心の奥深で眠っている恐怖心が集団幻覚を起こしているのかもしれない。逃げることのできない、大きな悪の前で怯える人類の幻視なのか。つまりナチスドイツとか帝国の皇軍といった抑圧存在の象徴か。ピカソのゲルニカとか。

展示された構造物について、もちろん触ったらいけないので離れた場所から観察してみると、石を掘った物ではなく、石膏でも彫像でもないし、木製(木彫)だろうか。

帰宅してから、調べると思いがけない物質だった。

バルーン。つまり風船だ。巨人の中身は空気だったわけだ。だから亡くなるとガスのように消える。人を食うのは、いつも空腹だからだ。

ニシキヘビが見つかってしまった

2021-05-23 00:00:18 | 市民A
横浜市戸塚区のアパートから行方がわからなくなったニシキヘビが、そのアパートの屋根裏から発見されてしまった。

「されてしまった」と、いかにも残念!という表現を使ったのは、「蛇の逃走」についてのブログを書き上げたところだった。発見されたことで、約1時間の労力が無駄になってしまいそうだからだ。

1本書き直す気力がないので、一応、書いたものを掲示してみる。文中で、屋根裏のことにも触れているので、詳細情報と比べてみたい。

「蛇の行方は」

横浜市戸塚区名瀬町のアパートの一室から逃げ出したアミメニシキヘビの行方は、16日間の捜索も空しく、5月21日をもって打ち切られることになった。

実際には、隠れるのがうまく体長3.5mといっても丸まれば50センチぐらいになるらしいし、そもそも原産地インドネシアと比べれば寒くてしょうがないだろう。動き出すのは6月末から7月ではないだろうか。

それよりもアパートの屋根裏に潜んでいるのではという話がずっとあるのだが、そういうのを探すのが得意なのは、スズメバチの駆除業者だ。地方にある空家の屋根裏にスズメバチが巣を作った時に、駆除を依頼したが、小さな穴からファイバースコープを使って蜂の巣の詳細を調べてから駆除に着手していた。ニュースで報じられるように天井や屋根を壊すのは確実に蛇を見つけてからにして、とりあえずは屋根裏の専門家に頼んだ方がいい。

名瀬町というのはJRの戸塚駅の北側で緑が多く、町の何割かはゴルフ場。この前も役職辞任に追い込まれた政治家がプレー中に大事故の報道があったのに、プレーを続けた結果、首相を続けられなくなった名門ゴルフ場がある。夏になると池やバンカーに潜んでいるかもしれない。

また、町内には小川が流れている。30年ほど前に青森県でニシキヘビが逃げ出した時は、河原で発見されている。もし、川を泳いだ場合、下流には戸塚駅があり、さらにずっと下っていくと江ノ島海岸で相模湾につながる。小田急の片瀬江ノ島駅と江ノ電の江ノ島駅の間を流れる川だ。話はズレるが、この江ノ電の江ノ島駅のすぐ裏側にある常立寺。北条時宗に元が降伏要求文書を持ってきたときに、龍ノ口の刑場で5人の首を刎ねてしまった。そして5人はこの常立寺に埋葬された。今もモンゴル国民の恨みが続いていて、出身力士たちが参拝している。

青森の脱走ニシキヘビが見つかった決め手は何かというと「懸賞金」。20万円だったそうだ。いかにも高そうに思えるが、捕まえるまで何日かかろうが額は変わらない。捜査員が歩きまわるのはコスト的に合わないわけで、懸賞金にしたらどうだろう。

近くには小・中学校や幼稚園があるようだが、蛇の動きは人間が走るより遅いそうだ。問題は、蛇ににらまれると、足がすくむということ。そうなると頭から飲みこまれてしまう。おそらくいくら死にたい人がいても蛇に飲まれるのは嫌だろう。学校では、蛇の模型を使って、蛇を見たら、すくまずに、すぐ走って逃げる練習をした方がいい。ただ、懸賞金があると逃げない方がいいのだが。

ちびた鉛筆

2021-05-22 00:00:40 | しょうぎ
将棋教室に来る児童たちに筆記具を持ってくるように言うのだが、忘れる子が多い。そもそも将棋教室には対局に来るつもりの子が多い。他に指す相手がいないからなのだが、それでは道場と同じで、授業料に見合わない。授業料を払うのは親であるので、何も教えずに、対局だけやらせる「放し飼い方式」では、クレームの山になる。

ということで、こどもの嫌がる講義を少しするので、プリントに鉛筆で何か書いてもらえるように筆記具を持ってくるようにいうのだが、忘れる子が多く、さらに鉛筆を置き去りにする子が多い。置き去りされた鉛筆が大量にあるのだが、これのほとんどがちびている。もしかしたら、わざと捨てていくのかもしれない。

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さらに理解不能なのは、そういった束になった鉛筆を消毒したあと、忘れた子に貸してあげるのだが、ほとんどが、「短い鉛筆は使えない」と猛抗議するわけだ。日本版の小皇帝だ。

確かに、学校を卒業すると、鉛筆を使うことはほとんどなくなって、文字すら書くことは激減するし、書くとしてもボールペン。減るのはインクだけだ。


さて、5月8日出題作の解答。

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0522k


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今週の問題。



手数は一桁。軽妙に仕上げる。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいたければ正誤判定します。

リコール返しで決着を

2021-05-21 00:00:57 | 市民A
愛知県知事に対するリコールが始まったのが第一幕とすると、署名に不正があったとして、第二幕の逮捕劇が始まった。県警というのは県知事の配下にあるわけで、知事の思うまま捜査が進むのかもしれない。とりあえず4人逮捕。

しかし、提出されたリコール賛成署名の43万5000人のうち83%が無効となったということは、単純に計算すると、リコールに賛成した人が7万4000人。代筆が36万1000人。ご苦労なことだ。ちなみに公約無視でカジノに突き進む横浜市長のリコールは、有権者数は愛知県より少ないが、9万人集めたそうだ。

愛知の件では9割が同一筆跡。すでに亡くなっている人の署名が何千人もあるということで、最初から発覚確定的なのにお粗末極まりないが、おそらく1割の不正票があっても気づいたのではないだろうか。

逮捕の罪状が「地方自治法違反(署名偽造)」となっているのだが、なかなか理解できない。というのもリコールに本人ではない署名をしたということが罪であって、地方自治法にはリコールの際の代筆について禁止するとかの条文はない。むしろ刑法の署名偽造。私印等偽造罪・私印等不正使用等罪ではないだろうか。三年以下の懲役。しかし、バイトで名簿書き写した人間を有罪にするのは難しい。

ところで、アルバイトを使った作業という原始的な方法だったから発覚したのだが、現在のAI技術でいえば、人工知能とロボットを組み合わせれば、全部違う筆跡で偽造できると思う。「全部違う筆跡にしてくれ」と命じておけば、AIが文字を作成し、ロボットアームが24時間書き続けるだろう。実行犯はロボットだ。今後のことを考えれば、リコールの代筆者だけでなく、代筆依頼者も厳罰になるという改正が必要だろう。

ところで、今回の逮捕だが名古屋市長選挙が終わってから捕り物が始まった。選挙への影響を避けたのだろう。既に犬猿の仲になった県知事と市長だが、決着をつけるには県知事が旗を振って名古屋市長のリコール運動をはじめてはどうだろう。第三幕が期待される。

マネー・ボール(2011年 映画)

2021-05-20 00:00:06 | 映画・演劇・Video
野球映画であるが、表のストーリーはグラウンドの外で行われる選手のトレード。主人公はゼネラルマネージャーのビリー・ビーン(演:ブラッド・ピット)。彼は、高校の時、将来を嘱望されメジャーリーグを選ぶか名門スタンフォード大学を選ぶか選択に迷うが、結局はスカウトの甘い言葉に惹かれてメジャーを選び、結局選手としてはうまくいかずに他球団を渡り歩いた末、スカウトに転身し、その後、アスレチックスのGMにたどり着いていた。

そして2001年のシリーズでアメリカンリーグのディビジョンシリーズに出場するもヤンキースに敗れてしまう。実際、優勝しそこなうと悲劇が始まるのがMLBで中心選手の年棒が上がり、結局は放出あるいはFA移籍ということで翌年はチームの主力が大幅にいなくなってしまう。その結果穴埋めのため、他球団からトレードを模索するのだが、貧乏球団には資金がない。

そんな時に知り合ったのが野球データ分析専門家のピーター・ブランド。主観ではなく客観統計から選手の評価をし、年棒の妥当性を評価しようという理論だ。

GMはこの理論にかけて、他球団のお荷物選手を分析し、割安な戦力に加えていった。ところが監督を変えなかったため、GMの新戦略は機能せず、成績は低迷。結局、監督の愛用の選手をGMはトレードに出してしまう。(なぜ、監督をクビにして自分が監督にならなかったのかはなぞだが)

そしてついにアスレチックスは20連勝という記録もつくり、逆転首位に踊り出す。

しかし、この年もワールドシリーズ目前のディビジョンシリーズで敗退。失意の彼のところに擦り寄ったのが金持球団のレッドソックス。巨額の年棒でGMに引き抜こうとするが、空港へ向かう車の中で思い直してUターンする。

彼がワールドチャンピオンになるのは2年後になる。

現在は、アスレチックスの副社長だそうだ。

現在のアスレチックスは若手選手を育成してトレードに頼らないチーム作りにしている。若手を育てて、高く放出して利益を上げるというのは「養殖商法」ということだ。一方で、エンゼルスは今後、どうするのだろう。

金門島流離譚(船戸与一著)

2021-05-19 00:00:27 | 書評
2004年に書かれた陰謀小説。舞台は中国本土アモイ沖2キロのところにある小島である金門島。台湾海峡の西側にある。実は実効支配しているのは台湾政府(中華民国)。金門島ともう少し北側にある馬祖諸島が台湾の支配下にある。

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それならば、二国間の距離が24海里以下の場合通常は海上国境は中間点ということになり、2キロしかない金門島とアモイの中間点に線が引かれることになってしまうのだが、そういうことにはならない。なぜなら中華人民共和国は台湾は自国の領土といっているし、台湾側も中国全土は中華民国のものだというので、国境問題は論理的に発生しない。

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奇妙なことはたくさんあって、まず台湾の首都は「台北」と思われているが、それを規定した法令はない。首都を定める法令の最後は1947年までの南京。台北は臨時首都ということになっている。もっとも南京から広州、重慶、成都を経て台北に移転してきた。

元々、台湾だが日清戦争の結果、清国が日本に割譲し、第二次大戦後に中華民国に返却したのだが、そもそも金門島は日本領にはなっていない。

国共戦争の最終局面で、北京側は台湾攻略の第一歩で金門島奪取を狙ったのだが、台湾側の奇策により島に上陸した北京軍は狭隘地におびき出され、殲滅し、台湾攻略を諦めることになった。現在は、中国軍が金門島を攻めると、米国の第七艦隊がやってきて対岸の都市を焼き払うことになっているはず。

前段が長くなったが、こういう所属不明の金門島は密貿易の中継点で稼いでいることになっている。主人公の日本人も、そういう怪しい取引にかかわっている。

小説は複雑で「密貿易」「台湾の血の内戦」「本土政府の謀略」「主人公の親友と妻との不倫」「台湾島からの逃亡者」「本土の麻薬マフィア」などが絡み合いながら、進んでいく。盛沢山すぎる。

最終的にはハッピーエンドの真逆になる。死体ゴロゴロ、プカプカだし。

シューマンを聴く

2021-05-18 00:00:26 | 音楽(クラシック音楽他)
7年前に亡くなった父の遺品を時々整理しているのだが、CD版のクラシックコレクション全15枚を見つける。有名作曲家15人の代表曲を各一枚にするという離れ業のシリーズなのだが、今までにあまり聴いたことが多くない(ロベルト)シューマンを聴いてみる。

ピアノ協奏曲イ短調、交響曲第三番『ライン』。

ピアノ協奏曲は聴いたことがあったのだが、聴きながら云々を調べていると、ロベルト・シューマンはピアノ協奏曲に何度も挑戦してうまくいかず、1841年にやっと完成したそうだ。一方で、妻のクララ・シューマンの方は一足先に1835年にピアノ協奏曲を書き上げている。

ピアノ協奏曲ではあるが第三楽章では、完全に交響楽の中にピアノが埋まってしまうようにも感じる。シューマン流なのだろうか。

ピアノ:杉谷昭子 オスカンプ指揮ベルリン交響楽団。


交響曲第三番は自身の書いた4つの交響曲の最後なのだが、後に第二番を書き直して四番としたため、番号が繰り上がった。

シューマンの同世代はベルリオーズ、リスト、メンデルスゾーン、ワーグナー、ブラームス、ショパンなど多彩であるが、少し前の先人にはベートーベン、モーツアルト、シューベルトがいて、偉大過ぎて、特に「主題を主張するという」交響曲の方程式が作られてしまって、交響曲の作曲で対抗するのは無謀だったのだろう。シューマンも先人のさらに前のバッハの研究が好きだったようだ。

この『ライン』はライン川のイメージのようで、第五楽章まである。1850年に完成。第五楽章と言えばベルリオーズの幻想交響曲が聳え立つが、幻想交響曲は第四楽章まででは力が余ってしまい、第五楽章では教会の鐘をホールに持ち込んで打ち鳴らすという奇策に出ている。シューマンは常識人だからそんなことはしないが、無理やり賑やかなフィナーレを取り付けたように感じる。個人的には第二楽章と第四楽章のメロディアスな進行が心地よかった。

ゾルタン・ペスコ指揮 南西ドイツ放送交響楽団

猫あつめの家(2017年 映画)

2021-05-17 00:00:11 | 映画・演劇・Video
千葉県多古町(たこちょう)を舞台とした猫愛好家用の映画という性格と、文筆に行き詰まった若手小説家になんとか再起の道を与えようとする女性編集者の奮闘という二つのストーリーが絡まっていく。

実際には、二つのストーリーの関係は最後にわかるのだが、といってその関係性を聞いてのけ反ったりはしない。

デビュー作以降、ぱっとしない平凡な作家を伊藤淳史が演じ、女性編集者は忽那汐里。わき役陣は田口トモロヲ、木村多江、大久保佳代子とどうみても喜劇系が並ぶ。主役の二人だけが深刻なわけだ。

出版社の連載に穴を開け始めた作家は編集者の要望で無理やりゾンビを登場させてみたものの、ゾンビすら平凡になってしまう。あげく占い師に頼って、雲隠れ先を選んでもらうのだが、頼んだ占い師は店番の老女。本物の占い師が買いにいったタコヤキが待ち遠しく、思わずつぶやいた「たこ」という言葉を頼りに、千葉県の中央部にある多古町(千葉10区)の古家を借りることにするが、不動産屋の書類に職業:小説家と書いてしまい、不動産屋の女性社長がツーショットをSNSにアップしたところから、一夜にして編集者に見つかってしまう。

そのあと、なぜか彼の家に猫が集まりはじめて「猫ハウス」となっていく。

その後、家賃が払えなくなり、ペットショップの店員として猫の夜露を凌ぐことになるも、編集者だけではなくショップ経営者の木村多江からもそそのかされ、奮起して一作の新作を書き終える。

別に、悪い映画ではなく、猫を見ているだけでも心が和むのだが、怖いところとか深刻なところとかは存在しない。小説が書けなくなってガス管をくわえるとかだと、ハラハラするのだが、猫の餌代を稼ぐためにペットショップでバイトをするというような生活ってどうなのだろう。悪く言えば、「猫好きに甘えた映画」という面も、すこし感じる。


なお、映画には全く登場しないが、多古町には有名な観光地はない。鉄道の駅もない。産業の中心は農業だ。特に「やまといも」は生産量が全国二位、生産額は全国一位となっている。内陸なので「蛸」はいない。