十一面観音菩薩像立像 唐伝来

2021-01-31 00:00:18 | 美術館・博物館・工芸品
月刊誌「経団連」2020年12月号表紙は『十一面観音菩薩像立像』。国立博物館像で2月21日まで展示中。

十一面観音像自体は珍しくなく観音像の頭の上に10~11の観音菩薩が組み込まれた仏像である。国宝もある。本作品は重要文化財。研究の結果、7世紀に唐で製作されたものとされる。



「経団連」誌の記載を読むと、顔つきが中国様式ではなく、インド系の顔であり、そもそも唐代に中国で仏像ブームがあったそうで、玄奘三蔵がインドから持ち帰った高さ40センチほどの仏像がモデルになっているということ。



確かにアーリア系の顔立ちであるのだが、さらに詳しく観察すると、頭上の10体ほどの顔つきだが、中国系とアーリア系の顔立ちが混在しているようにも見える。つまり、玄奘三蔵がインドから担いできたのは般若心経他の書籍と仏像であって、その行程の困難さから40センチ程度の像と考えられている。つまり、この仏像と同程度の大きさだ。時代的には、すぐさま作られたコピーということになる(本物でなければ)。素材は白檀ということ。

さらに、この菩薩像だが垂直に立っているわけではない。僅かに右側に体をひねり、右足体重になっている。試しに同じポーズをとってみると、ゴルフやスキーで体重を移動するようなスタイルだ。この体勢のまま動かないのは相当難しい。モデルはいたのだろうか。おそらく何らかの元の仏像があったに違いない。

そして誌面では、「7世紀に日本に伝来し、明治時代までは奈良・多武峰(とうのみね)に伝来した。」と書かれている。何か、はっきりしていないような口ぶりだ。注として、多武峰=奈良県桜井市南部にある山、または地名、となっている。山に伝来とは意味がさらにわからないので調べていくと、意外な事実が。

どうもそこにあるのは「談山神社」のようだ。大化の改新の時に中大兄皇子と藤原鎌足が事前にここにある「妙楽寺」という寺に集まって作戦会議をしたそうだ。鎌足の墓もあるそうだ。実のところ、明治政府が国家神道を広めるために行った『廃仏毀釈』で、妙楽寺はおとりつぶしとなった。

かわりに談山神社が残った。いまでも神社なのに、多くの秘仏を保有しているようだ。なぜ、本仏像が流出し、国立博物館の所蔵になったのかは調べてもわからなかった。高額だから流出したのか、その逆と思われたからなのか。

ノーベル賞候補者も「将棋を打つ」

2021-01-30 00:00:05 | しょうぎ
安部公房氏の『密会』を読んだ。1977年に単行本が発刊され、6年後の1983年に新潮文庫に収められた。文庫本で読んだのだが、カフカ的不条理さが底流に流れる長編なので、誰でもが楽しく読める本ではないのだが、没後、ノーベル賞受賞に限りなく近い作家だったことが、財団関係者から明らかになっている。不条理小説は日本より欧州で人気があったともいえる。



その世界的作家の『密会』の32ページ(文庫)で、謎の病院の前にある便利屋の女性経営者が、妻を救急車で誘拐された男に対して、便利屋の仕事の内容を説明する会話の中でこう言わせている。

「・・・寝たまま打てるマグネット将棋盤の卸屋さんを購買部に紹介して・・」

「将棋を打つ」という表現を安部氏は普通と考えたのだろうか。一ひねりして、「将棋は指す」のが本当だが、「わざと間違えた表現を使って、女性経営者の無知を表現した」ということもできる。しかし、250ページ以上の大小説の始まったばかりの部分に、その程度のわかりにくい小技を使うとは考えにくい。やはり作者が「打つ」と思っていたのだろう。

複雑なのは、将棋は「指す」というのが正式だが、持駒を盤上に置くときには「打つ」を使う。たとえば「飛車を打つ」という。これも不思議な表現で、駒を打っているのではなく、「駒で盤を打っている」のが物理的に正しいのだが「飛車で打つ」とは言わない。英語では「drop」というらしいが、何か持駒を敵玉の上に投下するような感じだ。空爆のイメージ。そもそもチェスには駒を打つルールはない。駒に白黒の色がついているので、取っても使えない。

もっとも本件は単行本と文庫化の間に6年もあったのだから、誰かが指摘すれば直ったはずだ。将棋関係者は誰も安部公房を読んでいなかったということだろうか。将棋界こそ不条理の世界なのに。


さて、1月16日出題作の解答。







玉と角で逃走と闘争。逃げ切れず。


今週の問題。まったく奇抜な図かもしれないが、5手や7手では詰まない(はず)。

ヒントは、二枚の角が活躍。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

『オヤジギャグの華(バリー・ユアグロー著)』完結

2021-01-29 00:00:23 | 書評
バリー・ユアグロー氏は南アフリカ出身の作家でニューヨークに自宅があるのだが、一年半ほど前に来日し、一か月の滞在予定が、いろいろとあって、結局は昨年末まで滞在し、その間に日本、特に東京と過去の江戸の文化に浸りきりになり、一冊分の原稿を書いて、嫌々ながらニューヨークに帰った。

原稿の題名は『オヤジギャグの華』。原題は、FLOWERS OF OYAJI GYAGU。和訳は柴田元幸氏である。つまり、日本人のために英語で書かれた原稿である。新潮社の書評誌である『波』に延々と21回にわたり掲載が続いていた。

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実は、『波』にはいくつもの連載が同時並行で進んでいるのだが、『オヤジギャグの華』がもっとも好みだった。著者は日本人じゃないので、オヤジギャグについてよく知らなかったのではないかとも思え、日本人が知っている意味でのオヤジギャグはほとんど書かれていない。日本好きの外国人がはまってしまう日本独特の感性について書かれているのだろうということが、読み進むにつれてわかってくる。彼の東京散策には、よく過去の有名人が登場する。最終回には、鈴木清順、徳川将軍、永井荷風、三島由紀夫夫妻。

『波 2021年1月号』は昨年末に届いていて、最終回であるのは目次で確認できた。ここ数回はサヨナラに近づいていることがウスウス感じられる書き方だったので、「ついに終わりか」という感じだった。雑誌の他の連載や新刊書の書評などすべてを読んだ後で、最終回を読み始める。

なんとなく思うのは、まとめれば250ページほどの単行本になるのだろうが、一気に読むようなものではなく、1章ずつ21回に分けて読むような本ではないかなと思う。

もともと米国生まれじゃないのだから、コロナ騒動が落ち着いたら日本に住めばいいのではないかと勧めたい。(一緒に来日していたガールフレンドは、日本熱が冷めていたように書かれていたが)

「馬の耳に念仏男か」と言っていられないかも(2)

2021-01-28 00:00:07 | 市民A
石田JUN一氏の緊急事態宣言下の焼肉会食のこと。(1)から続く。

本人は「一度かかったので抗体があるので、自分はうつらない。他人のことはどうでもいい。」ということなのだろうが、わずか3ヶ月後の日本を想像してほしい。そろそろワクチンの接種が進んでくる。累積既感染者も増えているだろう。ワクチンの順番は、1.医療関係者、2.基礎疾患のある人、3.65歳以上の人。4.そのあとは未定

おそらく3の65歳以上の方々(3560万人・国民の28%)が接種を終えた段階で、医療関係者や基礎疾患も人、既感染者を含めると30%程度の人が「かかりにくい人」になっている。その時期は、3月下旬から計算すると、3週間の期間をあけて2度目の接種を受けてから2週間後ということになる(つまり5週間から8週間)。つまりゴールデンウィークの始まる時期のわけだ。

といっても、残りの7割の人の感染リスクは続いたまま。また65歳以上でも、接種しない人もいる。

何らかの証明書を持っている人だけは、自由放免になるのだろうか。それはマイナンバーカードなのだろうか。もちろん抗体には期限があるわけで、いつまでも罹らないわけではない。残りのおおむね7割の人が接種を終わらない間に有効期限切れになる人もいる。有効期間内なのかどうかを飲食店などはチェックすることになるのだろうか。国民総不信感社会になるかも。

「馬の耳に念仏男か」と言っていられないかも(1)

2021-01-27 00:00:21 | 市民A
石田JUN一氏が都内の焼き肉店で午後八時半から零時ごろまで会食をしていることが報道された。最初は3人だったが、いつの間にか人が集まって10人になっていたということだが、知人が偶然にも7人、同じ店に現れるはずないだろう。思いつく言い訳がそれぐらいしかなかったのだろうか。

最初に思い出したのは、「この人、東京都知事選挙に立候補しようとしていたはず」ということで、都知事になっていたら、昨今、大変なことになっていたのだろうということ。

次に思ったのが、タイトルの「馬の耳に念仏」。故人はうまいことを言うわけだ。馬は焼き肉を食べないから、「ワニ(サメ)の耳に念仏」とかの方がいいかもしれない。念仏というのは「行動変容を求める意見」と読み替えればいい。

この「馬の耳に念仏」は中国の李白の詩に登場する「馬耳東風」が語源になっている。俗物は良い詩に耳を傾けない、という意味だそうで、JUN一氏よりも専門家の意見を聞き流している政権の長の方にふさわしい意味だ。これが日本にきて馬耳念仏となり、詩ではなく念仏となったことで、意味が強調され、「聞き流す」ではなく「聞いても言うことを聞かない」という積極的愚かさを意味する言葉に変わった。


ところで、JUN一氏は全国民の敵のような言われ方をしているのだが、まだ気づいていない人が多いが、今後予想される社会的事象に関する大きな問題を孕んでいるように思えてきた。(2)に続く。

ロスト・バケーション(2016年 映画)

2021-01-26 00:00:37 | 映画・演劇・Video
サメ映画だ!!

サメ映画というとジョーズがある。毎年、世界中で実際にサメに襲われる人間がいるために、サメ映画は怖い。確か007シリーズでは、ワニを使う場面があり、それも怖い。そもそも大型の肉食動物は全部怖い。アナコンダやホッキョクグマ・・羅列を始めると、今夜思い出して夜眠れなくなりそうなのでやめる。same1

本映画は若くて美しい女性サーファーがメキシコの人里離れた海で、サメに襲われ、必死の思いでたどり着いた岩礁の上で、満潮になって岩礁が海に沈む(=サメの食糧になる)前に、あれこれと策を考え出して助かろうとする。

その間にも海岸から海に入ってきた何人もが彼女の目前で次々に餌食になる。ある酔っ払い男は下半身だけ食われ、上半身だけが海岸に漂着する。食べ方が乱雑なのだ。食べ残しはお行儀が悪いから、残さず食べなさいと親が教育していないようだ。

一応映画なので、サメの隙をついて一気に海岸まで泳ぎ着いたりはしない。とりあえず近くに流れる犠牲者の漂着物を利用したり、極小ビキニの他に身に着けていた数少ないアクセサリーまでサバイバルのために活用したりする。

岩礁が海面に沈む前に近くのブイに移動しようとサメの動静を確認して泳ぎだす。

そして、結末は・・

こういうときにはヒロインは死なないはずだと、観客は思い込んでいるので、たまには意外な展開を考えた方がいいのだが、サメに食われるのでは当たり前すぎるので、そうはならない。危機に陥った時は冷静さを失わないことと、いくつかの幸運が必要ということ。脱獄映画と共通のところがある。ただ、あえていうとサメの作りが少し雑な感じだ。もっとも本物の巨大サメを使うわけにはいかないだろう。(そう思うと007の初期作品で見たワニの池は本物だったのだろうか)

たぶんコロナとの闘いもこういうことなのだろう。いずれ海に沈む岩礁に乗っていても、追い詰められて、どこかで戦わなければならない。冷静さと幸運、どちらも見当たらない。

物語 スペインの歴史(岩根圀和著)

2021-01-25 00:00:12 | 歴史
「スペインの歴史」の前に「物語」と書かれている。物語といえばフィクションのはず。しかし、歴史書がフィクションということは、考えにくい。歴史の捏造はどこの国でも忌み嫌われるはず。

読み始めて、少し経つとわかってくるが、スペイン全史を均一に書こうという趣旨ではないわけだ。主に海洋帝国だった史上最強の時代のスペインを中心に、その前後を書き足したようなイメージである。日本史で言えば、ヤマト朝廷を1ページですませ、奈良時代と平安時代をまとめて鎌倉幕府が元寇を耐え抜き、室町時代に全国で内戦があってまでをサクッと書いて、戦国時代のことをたくさん記述して、江戸幕府ができたというような感じだ。



本書に書かれていない部分だが、通常スペイン史は2万年前のアルタミラの洞窟壁画から始めるようだ。その後、ケルト人、フェニキア人、ギリシア人、カルタゴ人の支配を経て紀元ゼロ年頃にローマの属国になる。その後、400年ほどで西ゴート族が侵入して西ゴート王国になるも711年にイスラム軍がイベリア半島を襲い、西ゴート王国は消滅。

スペインは永らくイスラム教の国だったのだが、イスラム教は内部分裂などの影響でスペインでは弱体化し、キリスト教側の猛攻撃でアフリカ大陸に押し戻すことになる。

そこから後が、本書の出番でイスラムの盟主であるトルコとスペインを主力とする神聖同盟がギリシア西部で大海戦を戦う。戦いに行われた場所にちなんでレパント海戦(1571年10月)といわれる。

このレパント海戦の記述がかなりの分量になる。ガレー船の構造や、舟のこぎ手の供給先や戦いの当日の風向き、両軍の司令官の略歴などに無造作にページは増えていく。神聖同盟の総司令官はドン・ファン・デ・アウストゥリア、いわゆるドンファンだが紀州のドンファンとはスケールが違う。

そして、この海戦に紛れ込んだのが、作家のセルバンテス。ドン・キホーテの作者だが、従軍作家ではない。当時は単なる一兵士。このあたりから、著者はセルバンテスの人間的魅力に取りつかれていたように、セルバンテスの伝記のようになっていく。なにしろドン・キホーテより面白い波乱万丈の人生の末、1616年に亡くなっている。

レパント海戦では銃弾3発を受ける重傷を負い、捕虜になったり、逃亡に失敗したり、徴税士として人民から過酷な取り立てを行い、そんなに無様な生き方の末に、文筆業を始めるが、著作権契約に失敗してベストセラーの「ドン・キホーテ」の恩恵をあまり受けられず、派手な割に冴えない人生を閉じる。かれの命日である4月23日は、サンジョルディの日として記念日になるが、バレンタインデーとは異なり、日本では知る人は少ない。

本書は2002年に刊行されていて、著者はその後、ドン・キホーテについての著作をいくつか書かれている。どうも神奈川大学の教授だったそうで、もう少し前に気づいていたらオープンカレッジとかエクステンションスクールとか聞けたかもしれないと、少し残念。

密かに初詣

2021-01-24 00:00:55 | 市民A
平日に寒川神社に詣でた。ライブ映像で人の出がほとんどないことを自宅で確認してから1時間で到着したが、着いたらもう少し人はいた。時間差があるのはしかたない。

昨年も1月の後ろの方の平日に行ったのだが、それよりもかなり少ない。おみくじを結わえるために垂れ下がった縄にまだまだ余裕があるので、それで見ると累積来宮者は前年比6割くらいではないだろうか。お賽銭はもっと減っているのだろうか。10万円の札束とかはないだろうな。

基本的には、お祓いは従来の簡素型になっていて、それに従うことになる。



外庭から内庭に入る神門の上には例年通り、ねぶた飾りが作りこまれている。ねぶた師の北村道明氏の作で、題名は『疫病退散』。スサノオノミコトが主人公である。

スサノオノミコトは疫病を除き、災厄を祓い、福を招くとされる。疫病と戦って邪鬼を人形にすべて吸い込ませて世界を安寧にする構想だそうだ。最後に邪鬼が詰まった人形をどのように処理するかは不明だ。核廃棄物のように富士山の地下に深さ10キロの穴を掘って埋めるのだろうか。山の神の怒りの方がスサノオノミコトより強そうなのが気になる。



なお、スサノオノミコトの顔をよく見ると、地元出身のワクチン担当大臣の顔によく似ている。どちらも頼むところ最後の砦のようなことになっている。もっともスサノオノミコトは神の居住区である高天原で乱暴狼藉を働き、人間界(出雲)に追放されてしまったことになっている。大臣もワクチン仕事が終わった後、暴言を重ねて所属政党から追い出されることが暗示される。

当時の11大戦法

2021-01-23 00:00:20 | しょうぎ
ある将棋普及指導員の方から譲り受けた初心者向けの古い定跡書を開いてみた。大内延介氏の書で日東書院の本だが、初版発行日は記載されていないのでよくわからないが、一応は平成の最初の頃だと思う。本日のタイトルは『当時の11大戦法』としたが、当時とはいつのことなのか特定できない。



矢倉・棒銀・ガッチャン銀・ひねり飛車・横歩取り・中飛車・四間飛車・穴熊・石田流三間飛車・最新振り飛車破り戦法(鷺宮定跡)・居飛車穴熊。

現代で言うと、腰掛銀、右玉かな。もっとも袖飛車とか相振飛車、5七金戦法、・・・
その他としては、死んだふり戦法、ヒラメ戦法などあるかな


さて、1月9日出題作の解答。







最後の収束のところは、ふつうは香車の王手で合駒を打たせてから桂馬を打つのだが、先に合駒を打たせてから、その下に王を追い込む倒錯型になっている。



今週の問題。もともとは実戦由来の問題。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

プリンターと同じことかな

2021-01-22 00:00:30 | 市民A
知人から手書きの手紙が届いた。いまどき手紙とは古風だなと思って、読み始めると、冒頭に、

パソコンのプリンターが壊れたので手書きです、コロナの影響で自宅勤務が増えたせいで、プリンターの生産が追い付かず、店員の態度が少し生意気なのに腹が立つ。


と書かれていた。

悪い冗談だと思っていたのだが、どうも真実だったようだ。実は、12月の初めにインクカートリッジを買いに行って、品薄に驚いていたのだが、まさかプリンターまでないとは意外だった。自宅で仕事をするのにもプリンターがいるとは、どういうことだろう。まさか請求書とか見積書とかデジタルでなく、顧客に紙ベースで郵送したりしているのだろうか。郵便局が混んでいるのは実感していたのだが。

実は、プリンターが3台ある。E社×2、C社×1。その他にも重複しているものが色々あるのだが、なるがままにしていたら増えていたということ。

知人の情報を集めると、やはりプリンター故障で買いに行ったら「部品が中国から来ない」という理由で、年賀状の印刷を別居親族に頼んだ人がいた。国産のふりをして海外からの部品を国内で組み立てていたことがわかってしまっている。


しかし、プリンターの話をつきつめていくと、コロナ感染でも病院に入れないという目の前のリアルと同じではないかと思ってしまう。「工場はあっても部品がないので作れないので、在庫がなく売れません」というのと「病院にベッドがあっても機材やスキルや看護師がいないので入院することはできません。我慢してください」というのと違いはないように思える。

違いといえば、プリンターの場合は、プリンターを購入するまでは問題が片付かないのに対して、コロナ感染の場合は重症であって入院しなくても、そのうち患者が亡くなってしまい問題が解消するという性格を持っていることだ。

長靴をはいた猫(シャルル・ペロー著・澁澤龍彦訳)

2021-01-21 00:00:01 | 書評
シャルル・ペロー(1628-1703)はフランスの文学者で、文学論の世界では古典から近代に移りゆく時代の代表的論者だ。日本の同時代人は松尾芭蕉だろうか。一方で、数々の童話を収集していて、本書も「一応は童話」集だ。欧州に伝わる有名な童話を書き直している。



実際は、その後、グリムとかアンデルセンとか、もうすこし洗練された話に変わっていく。本物のグリム童話もよんだことがあるが、実際、怖い。そのグリム童話より、もっと前の時代なので、もっと怖い。

9編の童話の第二話は「赤ずきん」だが、現代版では、狼に食われた赤ずきんを猟師が救出する。狼の腹をハサミで切り開いて、赤ずきんの代わりに石を詰めてしまう。川か海かに放り込むのだったかな。しかし、本書の「赤ずきん」は、「むしゃむしゃ彼女をたべてしまいましたとさ。」で終わってしまう。

「眠りの森の美女」はもっと恐ろしい結末が書かれている。眠りから覚めた美女は、長く眠っていたため不眠症だし、そのあと戦争が始まったり、王室内の殺人事件があったり。

一体、本書全体では何人が殺されるのかよくわからないほどだ。

それと、「眠りの森の美女」の「最初のクライマックス」である、王子がキスをして美女が目を覚ますシーンは、本書では、単に、(王子が)お姫様のそばに膝まずくと、すぐに100年の眠りから目覚めてしまう。逆に現在では眠った姫にキスをすると、十分に犯罪になってしまうため、ディズニーとかどうしているのかな。心臓マッサージとか、胸を開いてAEDの電極を取り付けるとかになるのかな。

八月の狂詩曲(1991年 映画)

2021-01-20 00:00:30 | 映画・演劇・Video
黒澤明監督の30本の作品の中で、29作目になるのが『八月の狂詩曲』。主演のおばあさんには村瀬幸子。ストーリーはこの長崎在住のおばあさんを中心とし、三代の大家族を描いているのだが、1945年8月9日の長崎への原爆投下の事実が、大きな意味を持ち始める。



おばあさんの孫たちが夏休みに帰省。おばあさんの話を聞いているうちに、おじいさんが原爆の直下を受け亡くなったことを知る。一方、おばあさんの兄弟の中で唯一生存していた兄は戦争前にハワイにわたり、現在はパイナップル王になっている。

この映画は「ハワイ」「原爆」という日米の国家及び国民にとってのアンタッチャブルなテーマを取り上げている。

調べてみると、この映画が公開されるとき、黒澤監督は81歳。さらに主演の村瀬幸子は2年後に88歳で亡くなる。つまり撮影時は85歳か86歳。どしゃぶりの雨の中を走るシーンは記憶に残る映画的な「美」でもあるのだが、人生で使うべき最後の体力を残していたのだろう。

ところで、映画のタイトルで「八月の・・」というのはいくつかある。外国映画の場合、原題を翻訳する時に「八月」を使う場合もあるので、日本映画だけを軽く調べると、

八月の濡れた砂、八月の狂詩曲、八月の蝉 と重い映画が多い。日本人にとって八月は特別な月だからだろう。

他の月を調べると、
3月のライオン、四月は君の噓、四月の永い愛、六月の蛇、7月7日晴れ、7月24日通りのクリスマス などがある。

東京で江戸の時代を見つける方法(河出夢文庫)

2021-01-19 00:00:28 | 歴史
東京の中で、歴史的な地を探すのは、今ではそう難しいことではない。というのもガイドブックが色々とあるからだ。さらに現在の地図と江戸時代や明治時代の地図を重ね合わせてみることのできるアプリやソフトもある。



マイ書棚にも何冊かあるのだが、その中でもよくまとまっているのが、河出夢文庫の、『東京で江戸の時代を見つける方法』だ。一人の歴史家とか歴史小説家が書いたものではなく『歴史の謎を探る会』という怪しい組織の手になる。かなり綿密な調査の元に書かれているという感じが伝わる。

ご存知のように、江戸=東京は、何度も壊滅の危機に襲われている。江戸時代は平和とは言え、何度も大火に見舞われている。江戸城天守閣だって丸焼けになった。幕末は意気地なしの将軍と勝海舟の奔走で火の海を免れたものの、結局は中心部の大名屋敷は取り壊された。さらに関東大震災と東京大空襲、さらに数度にわたる五輪騒動。

そのため、江戸の時代遺跡と言っても、「元○○○跡」というのが多い。

他のガイドブックには、例がないのだが、江戸の祭りについて、本書は詳しい。

個人的には、東京人じゃないのだが、日枝神社の天下祭、神田祭、三社祭、深川八幡祭、あたりは知っていたが、鳥越の夜祭、住吉神社の佃祭、根津神社の例大祭も詳しく書かれている。この中で佃祭だが、家康が本能寺の変の時に、物見遊山で堺をブラブラしているという最悪状態から、根城にしていた岡崎城まで少数の部下とともに逃げ延びなければならず、その時に大阪にある佃村の漁民が逃走用のボートと、道中の食事(魚の佃煮)を提供してもらった。江戸の街を整備する中で、家康は「江戸湾で捕れた魚で旨い寿司が食いたい」と言い出し、大阪佃村から漁民を呼び寄せ、佃島を与えたとされる(念のため本書には書かれていない)。

現代に復元してもらいたいのは江戸城天守閣と鹿鳴館かな。

トランプ大統領への最後のお願い

2021-01-18 00:00:39 | 市民A
1月20日の大統領交代行事まで、あと2日となり、大慌てで引っ越し準備が始まった。

家賃支払いの最終日に、トラックを借りて家財道具を運び出すようなものだ。日本では荷物を翌日からの賃貸契約先に運び込んだ直後に現れるのが、NHKの集金人、新聞販売店の拡張営業員。

荷物の行き先はフロリダらしいが、輸送料は国家持ちだろうか。大統領専用機で運ぶのかな。

ところで、大統領の最後の仕事に何をするかだが、「自分に対する恩赦」「核兵器の乱発」「バイデン逮捕」とか噂はある。副大統領はいつでも大統領罷免の準備はしているようなので「核兵器」だけはないだろう。

個人的には、最も期待しているのが、秘密文書の開示。もっとも、その権利を大統領が持っているかどうかはわからないが、1963年に起きたケネディ大統領暗殺関係の調査資料の中で、2039年まで封印された部分があるのは、周知のこと。



たまたま、『2039年の真実(落合信彦著)』を読んだことがあり、暗殺者は実際誰で、単独犯か複数による謀殺か、いまだに納得できるほどには解明されていない。

落合書に加え、最近ではケネディに愛人を盗られたといわれる男性歌手(マフィアに近いと言われる)の名前まで出ていたりするようだ。

そもそも事件後75年間非公開にした後任のジョンソン大統領は何を考えたのだろうか。その大統領暗殺によって修正憲法第25条ができて、それによって罷免されかねなかったトランプ氏こそ、ケネディ暗殺事件簿の保管箱の蓋を開けるにふさわしいのではないだろうか。

「えのすい」最小のスターは

2021-01-17 00:00:45 | 美術館・博物館・工芸品
新江ノ島水族館には、様々なスターがいる。イルカショーに登場するバンドウイルカやカワウソ、ウミガメ、そして一ひねりしたのが触れるサメとか。



一方で、どこの水族館でも人気があるのが、「クラゲ」だ。動きが優雅で芸術的で、ゆったりとした動きなので、撮影しやすい。そもそも不思議な生物だ。生物の進化の体系図から完全にはみ出した生物で、どこから発生したのかとか、今後の進化の方向とかよくわからない。化石がないのだろうと推測。



通称「えのすい」の新江ノ島水族館にも多くの種類のクラゲがいて、とても名前を覚えられないが、光の関係で黄色に見えるクラゲがいた。不思議なことにほぼ全部が足を上にして浮遊している。いわば、『さかさくらげ』。



ここで、いったん話は違う方向に進むのだが、『さかさくらげ』は温泉マークの俗称なのだが、元々は単に温泉のマークだったのが、昭和時代の中頃までは、いわゆる「連れ込み宿」。現代風にいうと、「ラブホ」のことを指していた。いつしか本物の温泉は、このマークを使わなくなったわけだ。

風俗関係史にたいして詳しいわけではないが、時代に対して移ろげなのは間違いなく、現代の常識で考えるのは違うのだろうけど、今も温泉マークを掲げているラブホは、あるのだろうか。どうも日本にはなく、韓国にはあるらしい。そもそもマークが日本から韓国に伝わったのか、その逆なのかもよくわからない。

実は、こういうのを後で調べながら書いていたのだが、驚いたことに本物の「サカサクラゲ」という生物がいるそうだ。

基本的には海底にいて、体(頭)を下にして足を海藻のように上向きにしてヒラヒラと擬態して獲物を待つそうだ。省エネ漁法だ。

しかも、本物のサカサクラゲは、新江ノ島水族館にいるそうだ。つまり「最小のスター」を見損じてしまったということだ。