LION 25年目のただいま(2016年 映画)

2023-11-30 00:00:23 | 映画・演劇・Video
原題は『LION』。インドで5歳の男子サルーが誤った列車に乗ってしまい仮眠している間に遠く離れた場所で迷子になってしまう。広いインドで言葉の通じない場所で、ついに施設に送られ、結局、養子としてオーストラリアの夫妻の家に養子で入ることになる。順調に優秀な青年になったサルーだが、いつしか自分を探し続けている母や兄のことを考えることになる。

そして、友人の勧めで記憶の中の僅かな情報を頼りにGoogle Earthで出身地を突き止めようとする。

実話を元にしているというからすごい。人間の記憶と言うあやふやで主観的でバイアスがかかった情報を地図の上で絞り込んでいく。

オーストラリア人の夫妻の妻を演じるのはニコール・キッドマン。オーストラリア人で本国では絶大な人気があるようだ。たいていの出演では根性のあるキツイ女性の役を演じるのだが、この映画では微妙な感情を表現している。サルーが出身地を突き止め、インドに向かう時も、実母に立派に育った自分をみせるようにサルーに話しかける。

エンドロールの冒頭には、インドでの迷子の人数が表示されるが、毎年8万人も子供が行方不明になっているそうだ。

ただ、日本人がこの映画をみると必ず心に浮かぶのは、帰りたくても帰れないところに無理やり連れていかれた人たちのことかもしれない。

『浮世床』と『幾代餅』

2023-11-29 00:00:55 | 市民A
『浮世床』(演:柳家さん喬)はテーマとしては女性蔑視なのだが、夢の中の話、つまり妄想ということで、まあ罪のない噺だ。

主人公の男が歌舞伎観劇に行くと、桝座席に妙齢の女性がいて、まだ席が空いている。空いているなら座っていいかと尋ねると、快諾。そして意気投合。幕が降りてから、お座敷に食事にいくと、控えの間には布団が用意されていて、男の脇に滑り込んだところで夢から覚めるという話。妄想だけでは罪に問えない。

『幾代餅』(演:柳家さん喬)だが、同種の噺としては『紺屋高尾』とか『搗屋無間』がある。いわゆる廓話。廓と言うのは江戸でいえば吉原をはじめとした売春場所。現代の風俗店と大きく違うのは働く女性が人身売買されていたことで、年季という期間の間は奴隷だったこと。

廓の中は階級制度で、簡単に言うと容姿端麗なものは身分が高く大名や大商人を相手にし、うまくいくと年季前に廓を抜けることができた。

米搗き屋(精米業者)の使用人清蔵が、草子屋でみかけた錦絵の美人に恋をしてしまう。その美人とは吉原の廓の幾代太夫。当然ながらお大尽しか相手にしない。そのため恋煩いで寝込んでしまう。別の落語(肝つぶし)では、藪医者が登場してイノシシ年の娘の生き胆を食わせる話になるが、本題では本人が1年間働いて給料を溜めて、その金で一回吉原に行くことになる。といっても簡単にはいかないので、身分を偽るのだが、太夫の前で嘘がばれる。

しかし、ばれた後の処置に成功し、好感度が上がり、半年後の年季明けに幾代は清蔵のところに嫁入りするわけだ。これが美談となって店は大繁盛。独立して米搗き屋を始め、餅を売り出すと売り切れ続出ということになる。

『紺屋高尾』のストーリーはほぼ同じで、職業が米搗きから紺染めに変わっただけだ。

『搗屋無間』はやはり米搗屋の使用人の噺だが、太夫は米搗屋と会いたいがため、自分を買う資金を渡すわけだが、これでは金が回らなくなるのだが、偶然にも大金を手にすることができるということなのだが、話の筋が享楽的すぎるということで、戦時下の日本(昭和16年)では禁止になった。

今回聴いたのは2002年から2003年の録音なのだが、20年後の今でも廓話は高座で話されているのだろうか。

姫君(山田詠美著 短編小説集)

2023-11-28 00:00:06 | 書評
姫君(山田詠美著)は著者の2001年の時の短編集。大雑把にいうと、25歳ごろ小説家になり40歳過ぎに本書を書き、現在は60歳過ぎということ。

もしも彼女の小説が風俗小説の類だったら、20年、30年、40年前の作を読めば、古びた感覚を感じるだろうが、そういうところはまったく感じない。人間(主に、女性と男性が登場して複雑な心理ゲームが行われることが多いが)の感情を細かく書くことが多く。読む側がそういうところが好きでないと疲れ切ることがある。ということで、長編になると、へとへとになるが短編は気が楽だ。



五編の独立した短編小説からなる。

MENU:これはやっかいな話だ。主人公の青年は、こどもの頃に両親を失い叔父夫婦に育てられる。兄と妹の間の年齢で、この三人が成長していくにつれ、奇妙な関係が始まっていく。ストーリーの展開が意外。

検温:やや薄味な小説で不倫カップルの男の父親にも略奪婚の妻がいて、その高齢の妻は癌の最終章にいて、横浜の三渓園で老若二組の男女が散歩するわけだ。当然ながら、何ら展開はなく若い方の不倫カップルは、心の小波を抱えて、家に帰る。

フィエスタ:説明できません。登場人物の心の中が見えないまま終わってしまった。

姫君:短編集の標題にもなっていて、もっとも著者っぽい作。気の弱い青年に絡みついた姫子という女性が主人公。青年を奴隷化した愛に徹しているうちに感情が絡まっていく。そして青年が奴隷状態から脱した時に、姫子は逃げ出すのだが、やはり戻りたくなっていくのだが・・

シャンプー:シャンプーは犬の名前。ビルの窓掃除という命がけの仕事をする父とその父にガラス越しで一目ぼれした母の子として生まれた女子が主人公。父母は離婚して女子は母の籍に入ったが、気持ちは父親乗り。なんとなく人生の漂流気分の彼女のところに、父親が入院した緊急電話が届く。実際には父が愛人と自転車の二人乗りをして転倒して骨を折ったということで、しばらく入院という平和的な結末で、著者らしくないのかもしれない。

余計なお世話だが、骨折が治るまでは窓拭きの仕事は無理だろう。全快したあと窓拭きゴンドラに乗った時、平衡感覚に慣れてなくて、一番危ないかもしれない。

“金澤おでん”

2023-11-27 00:00:50 | あじ
北陸旅行金沢編の最後は、夕食の金澤おでん。おでんというと本来は庶民的な食べ物だが、東京都内の専門店に行くと、寿司屋以上の出費になる。なぜか東京のおでんは超絶的に高価だが、静岡や金沢といった都市のおでんは、そう驚かない。

金沢はおでんが有名で、市内の各所に有名店が散らばるが金沢駅近くで探すことにする。



駅前には新幹線開通に合わせて作られた巨大な赤門がある。赤門と言えば東京大学の別称だが東大本郷の赤門も加賀藩邸当時、江戸11代将軍の家治が数十人も子供を作ったため女子の嫁ぎ先の一つが加賀藩で、持参金代わりに門をプレゼントしたものだ。



茶屋街から循環バスに乗って金沢駅前に着く。本来は茶屋街の座敷で加賀料理7点コースのあとお布団付きのような接待があればいいが妄想に過ぎないので、まず「黒百合」という店を覗くが、満員で長蛇の列。北口の方で、あまつぼという店があり、3組待ちでカウンターに辿り着く。おでん種は七種盛。具が大きい。

サクッと食べて、電車に乗る。

主計町茶屋街からひがし茶屋街へ

2023-11-26 00:00:50 | たび
金沢の三大観光地とは、「兼六園」、「21世紀美術館」そして「ひがし茶屋街」と言われる。

これに近江町市場を加えると、三角形と言うか四角形というか。従って周遊バスがある。といっても時間の関係で途中歩いたりするので、結構な時間が必要。美味い物も食べたいし。



本来は、近江町市場で昼食、金沢城址から兼六園、21世紀美術館、そしてひがし茶屋街で三時のおやつというように思っていたが、金沢駅でコインロッカー待ちがあったことと、降り続く小雨のため遅れてくるし、寒くて歩きながら金箔ソフトを食べる気にならないため、ひがし茶屋街の近くの主計町(かずえまち)茶屋街を先に歩いてみる。



ガイドブック的には、ひがし茶屋街という江戸時代の歓楽街が手一杯になって、もっと高級かつ濃厚なサービスに傾いた歓楽街として川沿いの狭い空間が使われたようだ。実際、ひがし茶屋街の方は、現在は茶屋と言うよりも観光地といった風情の物販や飲食店になっているが、主計町の方は、今も細い路地が重なり、実際に営業している店が多い。一見では入れないように、そもそも営業しているのに門が閉まっている。本日貸切の紙が貼られている。お茶屋とか小料理屋ということらしいが、外からでは室内の様子は知る由もない・



そして、夕闇が広がるひがし茶屋街だが、既に街から出てくる人の方が多い。雨の中を一回りしてくる。金箔ソフトには手が伸びなかった。金箔屋を冷やかす元気もない。金澤プリンを雨に濡れながら食べるのは無理。傘を指して、時々撮影し、あと二本ほど手が必要だ。



万歩計はそろそろ二万歩に近付いてきて、夕食を求めて、最後の力を振り絞らないといけない。

順位戦A級のみどころは、残留争いに

2023-11-25 00:00:08 | しょうぎ
10人総当たりの年間9局のリーグ戦が5回戦まで終わる。本来は名人挑戦権を争うリーグだが、挑戦しても勝てそうもないので、事実上争うのは残留争いなのかもしれない。

5局終了で勝ち越しが四人、負け越しが六人。1勝4敗が二人で、2勝3敗が四人。注目は新A級の佐々木勇気八段と中村太地八段。順位が7位と8位。この順位差は、B1級リーグの最終局で入れ替わった。

この二人の順位差が結果に影響を及ばすような予感がある。


さて、10月11日出題作の解答。








今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

兼六園から21世紀美術館へ

2023-11-24 00:00:45 | たび
兼六園は江戸時代に前田藩の藩庭だった。といっても郊外の一戸建ての庭のように、藩主がハサミを持って木に登ってチョキパチするわけじゃない。日本三名園といえば、兼六園、後楽園、偕楽園といわれ、兼六園は今回が2度目。



三名園の一つの岡山の後楽園は池田藩の藩庭だった。池田家は鳥取と岡山に分かれて、合わせれば外様の大藩で、かなり幕府を意識していたはず。数年前に、池田藩の秘蔵品を展覧会で見た中にも、幕府の秘密のはずの大阪城の内部図面が入っていた。いざという時には一気に攻め込むつもりだったのだろう。新田開発に熱心で実質的な石高は多かったはずだが、立派な庭園を幕府のお庭番にチラ見させ、遊び惚けている無能大名を装っていたのではないかと推理したのだが、前田藩もそういうことなのかもしれない。

水戸の偕楽園にはまだ行ったことはないが、来年あたり行かねばならないだろう。

そして、雨の中、少しずつ冬の準備が進んでいるようだ。雪が降り積もると、さぞかし綺麗なのだろう。公園内は内外の観光客であふれている。松の手入れは植木屋でも別料金のこともあり、これが多い庭は本物だが、要所に松が配置されている。美しい苔を維持するために苔の間に溜まった落ち葉の除去作業など細かな作業もあるし維持は大変だ。



庭園内に地図が不足しているため21世紀美術館から離れた場所に出てしまったが、東京竹橋から移転になった国立工芸館が見えたが、竹橋では何度も通っていたので、今回は外観鑑賞だけにした(以前は国立近代美術館へ入場すると、おまけで行けたのに、これからはそうはいかない)。時間が押してきた最大の原因は、金沢駅でのあてのないコインロッカー待ち時間だ。



そして、21世紀美術館。実は前回に訪館した時にカフェテラスで食べた和栗のパフェがお目当てだったのだが、なにしろ寒いし、カフェは大混雑。メニューも確認できないので、次に向かう。日没時間も気になる。

金沢城公園は、なんと広いこと!

2023-11-23 00:00:58 | The 城
近江町市場から10分ほど歩くと金沢城公園に着く。といっても城壁や櫓が見えてからも遠い。門を潜ると。広大な広場がある。多くの城(江戸城も)もそうだが、本丸とか二ノ丸といった木造建屋がなくなったあとを広場にしている。一面、芝生が整備されている。



旧本丸はさらに一段高いところにあったようだが度重ねる火事によって天守と同様に再建されなくなった。しかし、城についてはずいぶん見ているが、金沢城は他藩の城よりも格段に広い。大阪城よりも広いかな。さすがに百万石大名だ。



もっとも、江戸幕府開府当初、徳川家が怖れていたのは、加賀前田、仙台伊達、薩摩島津の三藩とされているが、いずれも大藩ながら城郭に天守閣を持っていない(金沢城天守は1602年に焼失)。幕府に睨まれたくなかったのだろう。江戸城も結局、火事により天守閣は再建できなくなった。



現存する建物で有名なのは、石川門。立派な門だ。門と言うのは城郭では敵の侵入を防ぐための軍事施設。古来有名な羅生門は京都の入口の門だが、門の中に人が入れるようになっている。

これだけの大施設を入場料無料にするには、石川県は裕福なのだろうか。今後、往時にあった木造建築物の再建計画が次々と実行されるそうだ。兼六園も含め、おそらく、代々の石川県知事は、予算がなくなると、秘かに引き継いでいる前田利家公の残した埋蔵金の隠し場所に、スコップもっていくのだろうか。

金沢近江町市場へ

2023-11-22 00:00:05 | あじ
先週、北陸方面へ行った。天候は冴えなかったが、仕方がない。数年前に奥能登に行った時に覚えた「弁当忘れても傘忘れるな」という格言を思い出していた。天候の変化が大きい北陸では傘は必須。携帯用の雨合羽も持っていたのだが流石に誰も使っていなかった。



新幹線で、金沢駅で降り、まず小型のキャリーバッグ用のコインロッカーを探したが雨なのに観光客であふれていて、駅から離れたコインロッカーのたくさんある場所に行って空くのを30分は待った。大(700円)、中(600円)、小(400円)だが、小の空きは時々あるが、一回り小さすぎる。結局、大型スーツケース用の700円を消費してしまう。

その反面、観光地用には100円のバスがあり、近江町市場に直行。すでに昼飯時刻を過ぎてしまう。10年ぐらい前に来たときは時間の関係で、近江町市場→兼六園→21世紀美術館→武家屋敷と駆け足で回っただけなので、今回はその補足と初見の場所を予定。



近江町市場は、物販よりも飲食店の方が盛況で、どこも長い列ができている。比較的入りやすい市場の外なのか中なのか微妙な場所の「ひら井本店」で、普通の海鮮丼をいただく。入場整理券もデジタルで、ボタンを押して、LASTネームをひらがな入力して列に並ぶのだが、外国人には酷な方法だ。列の前に色の白い外国人男女が並んでいて、彼らがその操作をうまくやったのかどうかはわからないので、少し心配したのだが、当然ながら店員は外国人には念を入れたフルサービスで、日本人はテーブル上のタブレットを適当に操作して注文することになる。財力の差と言うことだろう。



海鮮チラシはネタが大きいのが特徴で、上から見てもコメは見えない。サーモンには金箔が装われている。金沢と言えば金箔だが、まさかここで、金箔か。一つの疑問は、丼の中央には海老の頭が飾られているが、海老の体の方が見つからない。外国人の方に回したのかもしれない。

一瞬、雨がやみ、金沢城へ歩きはじめる。

『福禄寿』と『寝床』

2023-11-21 00:00:35 | 落語
『福禄寿』(演:柳家さん喬)
深川万年町の福徳屋万右衛門。実子が八人、養子が五人、早世した兄弟のこどもを養子として引き取って育てている、店を継いだ惣領の禄太郎は派手なことが好きな道楽者で、失敗ばかりで財を失うこと何度もある。 一方、次男の福次郎は遊びもせずに地道な商売一筋で、店を繁盛させ、両親を本家から迎えて親孝行をしている。禄太郎は何度も福次郎から金を借りては散財したり、事業に失敗したりを繰り返していた。

ある歳の暮れ。雪の中、万右衛門の喜寿の祝いを催して親類一同が集まるが、敷居が高いのか、禄太郎は顔を見せなかった。

福次郎は母親の身体に気をつかって離れの隠居部屋に先に引き取ってもらう。そこにあらわれたのが禄太郎。福次郎から三百円借りてくれとせがむわけだ。母親は実の息子の禄太郎の借金をこれ以上養子の福次郎に頼むことはできないと押し問答の時、福次郎がやってくる。あわてた禄太郎は炬燵の中に隠れるが、福次郎は母親に困った時のためにと三百円と灘の酒を置いてでていく。

福太郎は、大喜びで灘の酒を五合も飲んだうえ、三百円を懐に入れて雪の中を去っていくのだが、酒のせいか家の前で転んでしまう。

その後、福次郎が帰ってくると、家の前で落とし物の三百円を見つけてしまうわけだ。

この後、普通なら禄太郎は川に飛び込むか強盗でもやるのだが、事態は好転し福次郎は再生の道を歩み始めるわけだ。北海道に行って開墾村を立ち上げたそうだ。


ある意味、笑うところがない落語なのだが、原作は落語中興の祖ともいうべき圓朝。北海道で聞いた実話を元に書いたそうだ。というのが一般的に言われているが、圓朝の実子の朝太郎というのが禄太郎と同種の人間だったそうで、イメージが重なっているそうだ。ちなみに朝太郎は小笠原に行ったそうだ。


『寝床』(演:柳家権太楼)
長屋の大店の主人が、義太夫にハマり、下手な素人芸を長屋の店子達に聞かそうとする。料理や酒をたっぷり用意して大広間を準備し、番頭に人集めを命じるのだが・・・
10軒ほどの住民はそれぞれ病気とか所要とか理由をつけて、行きたがらない。大店の番頭はその結果を怖れながら主人に報告すると、主人は激怒する。

そして、長屋の全員に三日後に家を出ていけ!と番頭を通じて通告。長屋側の意見は二つに分かれる。一つは、義太夫を聞くぐらいだったら河原で生活する方がましだ、というグループと、こどもたちには何の罪もないので、嫌でも死ぬ気で聞きに行こうというグループだ。

そして、住人たちは番頭に対し、もう何人もの番頭が義太夫の犠牲になって辞めていったという話をするわけだ。

柳家権太楼師匠の録音はここでまとめられるのだが、これでは題目の「寝床」の意味がわからない。

ネットで調べてみると、この『寝床』は名作として知られていて、この話の先は、大店の従業員が大広間で義太夫を聞くことになるのだが、酒と料理を食べて、一人を除いてみんな眠り込んでしまうわけだ。義太夫を読み終わった主人が広間を見渡すと、ただひとりの小僧だけが涙ぐんでいたわけだ。

そこでオチが入るわけだ。

寝床場面に到達しなかったのは、たぶん、時間の尺が短かかったからだろう。


ところで、義太夫は演じるのも聴くのも大変だが、最近、講談に少し興味が湧いてきた。20年ほど前に素人講談師と知り合ったことがあるが、付き合いを深めると出演するチケットを買わされそうなのであまり近づかなかったが、惜しいことをしたのかもしれない。

なお、「義太夫」のところを「カラオケ」に変えると、そのままでいけそうだ。

やさしい訴え(小川洋子著)

2023-11-20 00:00:50 | 書評
小川洋子氏の小説の特徴の一つとして、「失敗作がない」ということだろう。物語に隙がない。安心して読める。(あらすじは安心できないことが多い)



眼科医の夫に不倫された主人公の瑠璃子が、自身の母親の所有する山奥の別荘地に逃避し、ピアノが弾けなくなった男(新田)と、恋人を無惨に亡くした女(薫)に出会い、物語は始まる。

新田と薫は日本では稀有な職業のチェンバロ作りをしている。三人の繊細な心の震えが、チェンバロの音色とともに溢れてきて、心の奥深く刻まれるよう。俗な言葉で言うと「不倫」というか「四角不倫」と言うか。小川洋子の手にかかると、そこには罪悪感などまったく感じられない三人の浮遊した精神が交錯する。

三人の喪失感を埋めたり削ったりとゲームは続くが、残酷なことにゲームは徐々に終わりに近づいていく。

全16章からなるが、12章の段階で余韻を残して筆を置く作家もあると思う(もちろん、伏線回収は必要だが)。また14章で終わりにするのも一つの区切りだと思うが、16章まで書いて、瑠璃子さんの今後とか新田さんの愛犬である老犬ドナのことを書き、すべてを書き尽くす感じだ。

『伝統工芸 青山スクエア』は日本土産の売店?

2023-11-19 00:00:47 | 美術館・博物館・工芸品
青山通りを散歩していると、青山一丁目駅から赤坂見附方面に少し下りたところに『伝統工芸 青山スクエア』があった。そういえば、そのあたりにあるのは知っていたが、実態はよくわかっていなかった。



見かけで判断してはいけないが、おそらく肌の白い外国人夫妻(とも限らないが)が連れ立って中に入っていくので、美術館のようなものかなと思って、後をつける(いや、後に続く)。



ちょうど、堺市の刃物(特に包丁)の展示が並んでいた。戦国時代に鉄砲の大量生産と海外への輸出をしていた歴史の流れかなと思っていたが、そうではなく鉄砲と同じようにポルトガルから入ってきたタバコを刻むための特殊な包丁を作ったのが刃物産業の初めだそうだ。

しかし、美術館かと思ったが、展示品にはすべてお値段が付けられていた。つまり、購入できるわけだ。それも数万円程度のものが多く、まあ高級普及品ということだろう。

包丁を見て気付いたのだが、ほとんどが「ダマスカス包丁」といわれる包丁に文様が入っているもの。自宅にも観賞用(時に護身用)に一本ある。ダマスカスが伝統工芸かなと余計なことを考えてしまう。



気になるので会場の中を散策すると、山形県の天童市の特産として、将棋の駒が置かれていた。彫駒で20万弱のものだが、高いような安いような。来訪客の多くが外国人の場所で、駒だけ売るのは至難の業のような気がする。仮に将棋に興味があっても、駒だけ買ってもゲームは始まらない。日本将棋の場合、駒、盤、駒台、駒箱、駒袋と必要になるが、天童が有名なのは、駒なのだ。


ところで、青山一丁目の駅で、外国人に道を聞かれた。これが厄介なことが多い。そもそも道がわからないのには、何らかの理由があるのは万国共通だ。聞いてきたのは15人位の中国人の団体旅行客。ガイドブックを見せて、「外苑に行きたい」とたぶん中国語で聞かれる。中国語のガイドペーパーには、「外苑」の最寄り駅は「地鉄 青山一丁目」となっているのだが、ご存知のように「外苑」というのは、あるエリア全体を指すわけで、そこには様々な建物や施設や広場がある。どこなのか。おそらく彼らの頭の中には北京の「〇〇門広場」のようなイメージがあるのだろう。

一瞬、「聖徳記念絵画館」で「日帝侵略の証拠」を確認しようというのかな、と頭をかすめた。たとえば、日清・日露戦争などでの戦争捕獲品の絵画とか(それらの現物は、要請があれば返還しているそうだが)。

幸いなことに、その一秒後に「あんたはガイド失格」と判断したのか、団体で駅員の方に歩いて行かれた。その次の一秒で、その場から足早に消える。

関根家と墓所

2023-11-18 00:00:25 | しょうぎ
関根名人記念館を訪れた後、生家と墓所が近くにあることがわかり、地図によって探してみた。



まず、生家だが、記念館の入っている「いちいのホール」の正面玄関ではなく東側の出入り口から外に出て、四十歩ぐらい歩いたところに「関根」という表札がある。あまりにも近い。敷地の隣ということだ。



庭には胸像が建っている。記念館の中ではなく、雨風のあたる屋外の庭にあるのはなぜだろう。



そして、その生家からまた百歩以内に共同墓地があり、その中に将棋の駒の形の石像がある。多くの人は駒形の墓と思っているようだが、墓ではなく記念碑だ。どうも阪田三吉の墓が駒形のため混同されているのかもしれない。

この駒形の石碑の左前に名人の墓石がある。戒名は覇王道院棋道大成大居士。強そうな戒名だ。『関根記念覇王戦』とか新タイトル戦の名称にあてたらどうだろう。全八冠のチャンピオンによるトーナメント戦とか。


さて、11月4日出題作の解答。








今週の問題。



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アーモンドミルクを愛用中

2023-11-17 00:00:40 | あじ
第三のミルクと言われているのがアーモンドミルク。第一は牛乳で、第二は豆乳ということらしい。ビタミンEが多いとされている。もう3ヶ月は飲んでいる。推奨されるのは1日に200mlということで、朝と夜に100mlずつ分けて飲んでいる。

自宅近くで手に入るのは3種類で、いずれも1000mlのパック。



1. アーモンド効果(グリコ)
2. アーモンドミルク(ポッカサッポロ)
3. アーモンドミルク(有限会社 輸入促進販売)

ブランドによって、1.2.3の順に少しずつ価格が下がるが、味はそれぞれ少しずつ異なる。基本的には濃度と僅かな味付けの差があると感じている。

3については、原産地スペインとなっている。1については、なぜかアーモンドミルクではなくアーモンド効果となっているのだが意味が伝わりにくい。アーモンドではないという意味かもしれないが、パッケージにはアーモンドの絵が描かれている。3種類ともアーモンドの粒がパッケージに描かれているが、チョコレートのように中に粒が入っていることはない。

元財務政務官のことを少し考えてみよう

2023-11-16 00:00:47 | 市民A
神田元財務政務官が更迭された。とはいえ辞表が受理されたということらしい。解任ではなく辞任ということだが、何か違うのだろうか。税理士でありながら、滞納して差し押さえ四回とは剛の者だが、そんな税理士はいるのだろうか。他人の税務申告を肩代わりする仕事なのに、申告が遅れて差し押さえられたというのでは、無能を通り越している。

実は、考えるべき点は本人の下劣さではなく、彼を政務官にした意図の方だ。つまり本質的な任命責任のこと。

おそらく税理士であるから政務官にしたのだろうが、税理士と言う仕事は、申告書を書くのが面倒というのも理由の一つだが、お金が余っている人が、少しでも支払う税金が安くなるように税制の網をかいくぐるテクニックを持っていることになっている。

つまり、そもそも、財務省の仕事には向いていないわけだ。

そして、ここからが本論だが、

財務省というのは財政学と密接な関係があるのだが、財政学には概ね二つの流儀がある。

一つはマクロ経済学の中の一つという側面。公共投資の経済波及効果とか、各種の租税が個人の経済行動にどういう関係をもたらすかとか、法人税の過多、過小がもたらす経営方針の変化とか、高校無償化したらどうなるとか。長期的な政策課題が研究のテーマになる。

もう一つの財政学は、税金の徴収法の研究。直接税と間接税の比率とか取りやすく安定している税源は何かというような研究だ。つまり名目とか効果より、重税感をなくすための研究だ。

ということになるが、財務省は基本的に税金集めの省になっている。税金+新規国債=支出ということだが、結局は高学歴な官僚が足し算と引き算をやっている。

結局、財務大臣は素人がやって。事務次官は足し算引き算の達人なのだろうが、政務官まで節税指南などやっていれば、もう財務省の看板は外した方がいいだろう。


ところで、元政務官だが、資産運営会社の共同取締役から200万円借りっぱなしというのも異常だろう。金を返したら取締役から逃げ出すから返さなかったのだろう。