国営ひたち海浜公園へ

2024-04-28 00:00:42 | たび
ネモフィラとコキアで有名な国営ひたち海浜公園へ。



ちょうどネモフィラが満開を僅かに過ぎたあたりなのだが、フラワーカレンダーを見ると、4月末には水仙が終り、チューリップとネモフィラが終りかけ、5月の中旬までが空白期間で、その後、バラとポピーに主役が変わるということで、運が悪いと何も咲いてない時期にあたるかもしれない。出発前に確認した方がいいかもしれない。



そして、とにかく人間が多い。ネモフィラ(秋にはコキア)は公園の奥の方、つまり海に近い「みはらしの丘」の斜面をすべて覆っている。丘の頂上に向かって一列に歩いていくわけだ。列に並ぶしかないが、自分の意志で歩いているのか、歩かされているのかよくわからなくなるが、もちろん長く止まることは難しい。



実は、一面にネモフィラだけかと思っていたが、なかには雑草がかなり生えていたり、不均一に生えているところもある。遠くから眺めると見えないものが近づくと見えてしまう。



丘の上の方から海の方を見ると、新港が見えた。そういえば石油会社にいた頃に、「もう少ししたら、ひたちなか市に新港ができて、物流の拠点になり、どんどん船舶がやってきて重油が沢山売れるので船舶用に重油を販売しないか」という話があったことを思いだした。重油を売っても赤字になるだけの話なので、当時は聞き流しただけだっだが、今はどうなのだろう。補助金次第かな。

絵馬には改良が必要だった

2024-04-27 00:00:09 | しょうぎ
今週23日に、成田山新勝寺へ行った。まったく偶然だが、名人戦第二局が、本堂に向かって左側にある巨大な光輪閣で開催中だった。二日制の一日目。午前のおやつの頃だろうか。



光輪閣に近付くと、観戦者用のドアがあったが、たぶん予約制なのだろう。たまたま、将棋連盟の顔写真入りの普及指導員証を持っていたので堂々と入館しようかと思ったが、スーツではないし、指導員証を取り上げられると、「公認指導員」から「もぐり講師」に格下げになるので、自重した。



絵馬の中に将棋関係がないかと目を通すと、一番前、つまり当日に書かれた豊島九段あての願い事があった。



いささか気になるのは、願い事は神仏に対して行うのが普通だが、この願いはそうなのだろうか。

結果は残念なことになったのだが、二つほど改善点があったと思うわけだ。

1. 絵馬が右肩下がりに吊るされている点。→右肩上がりにすべきだった。
2. 「名人になれますように」→「名人に戻れますように」と書くべきだった。

次の第三局は羽田空港第一ターミナル内。確か、ターミナル内に神社があったはず。もっとも正月に一年分の神社の幸運を使い尽くしているかもしれない。


さて、4月13日の出題作の解答。







今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

“はぐらうり”の浅漬けを発見

2024-04-26 00:00:25 | あじ
最近、成田山新勝寺に行った。門前の参道には鰻屋をはじめ漬物屋や羊羹店などが軒を並べている。事前に漬物屋では鉄砲漬けだけではなく、「はぐらうり」の浅漬けが並んでいるという情報があったので探してみる。そもそも「はぐらうり」とは、何だろう。

ずっと昔に行った以来なので、最初に表参道ではなく「電車道」と呼ばれる通りを歩いてしまい、少ない店舗の中で、一軒だけ「はぐらうり」を見つけた。

そのあと、表参道の方に回ると店舗多いが、鉄砲漬けばかり売られている。



ということで、瓜の原型のまま漬けられているものを薄く切ろうとしたが、非常に柔らかい。

そういう食感のものだろう。例えようがない柔らかさだが、思いつくのはマスクメロンなのだが。

太陽の子(三浦英之著)

2024-04-25 00:00:33 | 書評
元朝日新聞記者の著者によるドキュメンタリーに近い著作でいくつかの賞を受賞している。



本書の上梓の少し前に「太陽の子」という同名の映画が公開されている。先の戦時中に秘かに原爆開発をしていた人たちのドラマで、公開時期は本の出版の前なので、いかにも混同しやすいが、違う話だ。

アフリカのザイールにある銅鉱山を開発するため、日本の金属会社が鉱山技師を大量に現地に送り込み、10年経って不採算になり引き揚げた際に日本人と現地人の女性の間に多くのこどもができていたのに、帰国時に置き去りにして連絡も来なくなったという件を追いかけている。

で、会社自体は、現在は別のエネルギー会社の傘下になっているので、そちらに行っても資料を探すだけでよくわからないというところから、現地調査を始めているのだが、聞く人ごとに少しずつ違う内容で、真偽がどこにあるのかも不明瞭で、誰を信じていいのかも確信が持てないというような中で動き出すわけだ。

サンセット大通り(1950年 映画)

2024-04-24 00:00:07 | 映画・演劇・Video
ロサンゼルス市サンセット大通りにある邸宅のプールで男が撃たれて死んだ。

この映画は、その死んだ男が、主人公として語るわけだ。

男(ウイリアム・ホールデン)は売れない脚本家で、借金取に追われていた。逃げ込んだのが大邸宅だが、住人は往年のサイレント映画の女王だった(演:グロリア・スワンソン)。彼女はサイレント映画の時代が去った後、すっかり忘れられてしまったのだが、本人だけは、昔の栄光の中にいた。

そして、自分の書いた「サロメ」の脚本を映画会社に送って、来るはずのない出演依頼を待っていた。

そして売れない脚本家は、事実上、サロメの書き直しを女王に命じられる。

一方、若くして脚本を書いているベティと共同で脚本を書くことになる。深夜に邸宅を抜け出して仕事をするわけだ。


こうなるとよくある、金持ちの老女と若く貧乏な女性のどちらがいいか、というところに落ちていく。

そして最後はサイレント映画の女王から銃弾を浴びせられることになる。残念ながら、銃弾の音はサイレントではなかった。

アメリカ映画だが、日本のある諺を思い出す。

二兎を追う者は一兎をも得ず

つくられた縄文時代(山田康弘著)

2024-04-23 00:00:08 | 書評
『つくられた縄文時代(山田康弘著)』は2015年の発行。約10年前。縄文時代論のさきがけの様な本と言えるかもしれない。


縄文時代の名前の由来は、縄文式土器にある。世界を見渡すと、土器文明というのはレアで、普通は石器時代の中に含まれるそうだ。石器時代となると文明もなく火打石で火をおこし、いのししの肉を食べるイメージだが、縄文時代というのも、それほど生きにくい世界ではなかったのではないだろうか。

日本の縄文時代の生活や社会構造について、本書では詳しい。発掘される住宅の広さから言うと一軒に5人位が最大だったらしい。つまり家族。そして建物が数軒しかない部落や集団で生活している部落もあり千差万別といったところだ。

意外に思ったのが関東の縄文時代と関西の縄文時代の差。

東日本の縄文時代の方がコロニーが大きく、西日本の方は、場合によっては一軒単独住宅もある。

縄文時代のことについて、書いてあることは大部分理解できるが、それではどういう時代なのか。その世界を頭の中に復元することは難しい。もうよくわからないのだろうと思う。

ところで、あとがきを読むと、著者は鶴見川の周辺に居を構えていることがわかった。となると、広めにいえば私の住所とあまり離れていないことになる。著者は縄文時代がご専門ということだが、このあたりの古代の謎は弥生時代の初期の遺跡が皆無らしいこと。海の底だったのだろうか。

代り目(演:柳家さん喬 落語)

2024-04-22 00:00:40 | 落語
この演目だが、噺家によって大きく内容が変わる。一方、二ツ目でも真打でも演じるわけだ。

内容が、酔っ払いの話で、酔っ払うと無茶苦茶なことを言い出すという筋なので、いくらでも派生形ができる。とはいえ、終盤は、おでん屋やうどん屋が登場するとか、酒の肴を女房が買いに行ったと勘違いし、女房を愛しているというような独白を入れたり、上げたり下げたり忙しい。

最後まで行くと「代り目」の意味がわかるのだが、単に「銚子の代り目=もう一本飲み始める」というようなことなのだが。うまく決まっているのかよくわからない。

現代は酔っ払いに否定的な世論が圧倒的に多いわけで、古典落語の演目も生き残れないようなものが増えているように思う。

酒は×、たばこも×、廓も×、借金取も×、不倫も×、さらに家でゴロゴロしているのも×ということだ。享保の改革のようだ。

トロッタ走る

2024-04-21 00:00:02 | おさんぽ
先日、近くの片側二車線の道路で変なバスを見かけた。

京セラの自動運転バスの実証実験中と書かれていた。



間近に行くと、運転手さんが気が付いて、手を振ってくれた。いや、運転手と書いたが、実際は運転助手。運転はしていない。道は新しく、穴も開いていないが、昨今の事情で道路の白線が消えていたりするが大丈夫だろうか。左側車線に違法駐車(いや、単に所用で停車とか)があったら、車線を変更して回避するのだろうか。機能的にはロボット掃除機と同じで危険を回避して進むのだろう。

後で調べると、1年半ほど前には栃木国体の会場との輸送でも試験運転をしていたそうだ。進化中のようだ。

ところで、このバスには名前があるそうで、トロッタ(trota)というそうで、イタリア語で魚類の「マス」という意味だそうだ。英語のtroutと似ている。ワニとかサメではなく、泳ぎが優雅な魚だ。

といっても無人でだいじょうぶなのだろうか。おそらくお釣りとか困らないようにキャッシュレス乗車なのだろう。バスの発車に1秒でも遅れてバス停に着いても、絶対にドアを開けないだろう。嫌だな・・

AI的次の一手

2024-04-20 00:00:48 | しょうぎ
カルチャーなど数カ所で将棋を教えている。長い子は3年、4年と通っていて、教材を考えるのがなかなか苦しい。使いまわしできないので、「次の一手」の収集のために、不得意なネット将棋を行っているのだが、そもそも「次の一手」という概念が消滅していることに気付いている。

今は下火になっている「24道場」だが、復活のためなのか対局終了後に、一局の中の優劣の評価をグラフ表示し、棋譜の中に、「AI一致手」「悪手」「疑問手」を表示してくれる。(クロム上かエッジ上で動いている場合)

「好手」というのは存在しないわけだ。つまり「次の一手」というのは、敗勢の局面で相手が「AI一致手」を逃したために「逆転のAI一致手」が偶然にも一瞬だけ生じているような時に限定されるのだろう。



ということで、最近、現れた「次の一手」。最初から劣勢に追い込まれ、必敗状態で、この瞬間だけ逆転のチャンス(97%)があった。こども教室には難し過ぎるのだが、オクラ入りはもったいないので、本ブログに貼り付けてみた。ちなみに30秒では見つけられず、王手を二つ続けて投了した。

解答は、この下にある詰将棋コーナーのさらに下の方に書いておきます。説明は要らないかと思うので。


4月6日出題作の解答。







初手は一つしかないので、野暮ですね。


今週の問題。今度はゴチャゴチャ。



解ったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。




IKEAのプラントボール

2024-04-19 00:00:07 | あじ
遠くもないところにIKEAがあり、いくつかの商品はIKEA品を愛用しているので消耗すると買いにいく。その一つが、枕。エルゴノミックピローを使っている。が、枕の話は省略。そういえば落語で枕というと演目の中に自然に入っていくための雑学のような性格のもの。短歌の枕詞から派生したのかな。

それで、IKEAで食事をしたのだが、久しぶりだったので、新しいメニューにしてみた。

「プラントボール」。メニューを離れたところから見ていたので、「プラント」なのか「ブランド」なのかよく見えなかった。要するに、みかけは「ミートボール」と同じだ。値段が7割位だったので、単に小さいのかなと勘違いしていた。

それで、店内の表示を読んでいると、「プラント」=「植物」ということがわかってきた。

つまり植物(たぶん大豆中心かな)性のミート的ボール。



一口食べると、味付けはミートボールと同じだが、違いは直ぐ分かる。しかし、その原因が植物性にあるということではないような気がする。

普通のミートボールは挽肉を丸めているため、舌触りがザラザラしている。たまに細かな骨片があったりして、アナログ的な食べ物で食感もワイルド。

ところが、プラントボールは、いかにも工場製品の様に密で均一感がある。魚肉ソーセージとか和菓子のような食感だ。もちろん工場で作っているからだろう。練り製品という食感。

味はわずかに「おから」的な感じがあり、肉汁のようなものではない。たぶんペットフードの様に生まれた時から食べ続けていると、これがノーマルで、粗挽き肉なんかは野蛮で受け付けないというようになるのかもしれない。未来人用なのだろう。地球に酸素がなくなって人類が火星に移住したら、これでも最高級のご馳走ということかもしれない。

しかし、その前に、このプラントボールだが、工場で作るとしても、いくらでも改良点はあると思う。

今度の枕がへたったら、また食べに行くと思うので、改良を期待しておこう。

中国はなぜ軍拡を続けるのか(阿南友亮著)

2024-04-18 00:00:47 | 書評
『中国はなぜ軍拡を続けるのか』は2017年に出版された書で、当時話題になって、いくつかの賞を受賞していて、自分の「そのうち読もうと思っている本」になっていて、おそまきながらページをめくりはじめた。


前半は中国共産党史になっていて、その結果、国内外の敵が増えてきて軍拡に向かっているという筋書きなのだが、全339ページの中で軍拡の話が及ぶのが266ページと言うことで、いささかバランスが悪い。

私のような年配者は前半の部分は良く知っている話なので、かなり退屈なところが多い。林彪事件の新解釈とかあれば良かったが、軍拡の話とは別筋なのだろう。

少し気になるのは、遠い昔の話ではなく、第二次大戦の後、現代に至るまでに中国は隣接する多くの国と軍事衝突している。ソ連とかインドとかベトナムのように、本気を出すと相当強い国とも戦っている。結構、無謀な戦略のわけだ。なぜか、本書ではどういうきっかけでそれらの戦いが始まり、収まったのかの具体的な経緯は読み解けない。


そして、本書が登場したころには、うすうす予感されていた独裁家がますます独裁を強めていて、まさに皇帝シーザーを目指しているかのような現実だが、ローマ時代は皇帝の独裁と同時に、経済の繁栄と軍事強国化が並行的に進行したため帝国の寿命が長持ちしたのだが、今の状況はいびつな資本主義による貧富の差の拡大とか汚職構造とか、個人も法人もバブル経済だし、一方で全ての周辺国(日本もそうだが)は用心のために軍備増強するため、疑心暗鬼に陥り、ますます軍事費を増やさなければならない。

ロシアの味方のようにも見えるが、過去の両国の態度から、到底そんなことは思ってないだろうし、地球上にこれまでないような巨大な人口の国の行方は、あまり予想したくないわけだ。風船と同じで、しぼむか破れるかということだろうか?????

距ててて(2021年 映画)

2024-04-17 00:00:01 | 映画・演劇・Video
『距ててて』は振付師で俳優の加藤紗希と俳優の豊島晴香による創作ユニット「点と」が製作した長編映画。タイトルの読み方で悩んだが、「へだててて」と読むようだ。

二人の性格の違い女性の心の距離がテーマだから、このタイトルなのだろうか。

2021年に完成&公開ということはコロナ禍での制作。大人数のキャストでは撮影に困難を極めるため、実現可能な少人数での撮影、製作方法を模索し、各話、数名の俳優が出演する4編のオムニバスで構成されている。

共通の友人とともに木造の一軒家で共同生活を始めた、写真家を目指すアコとフリーターのサン。几帳面でストイックなアコと、だらしなく自由気ままなサンの生活は順風満帆とはいかず、日々の暮らしは微妙な空気に包まれていた。そんな2人の家にある男が訪ねてくることで始まる「ホーム」。

サンが立て籠もりをする女と口下手な男のけんかに巻き込まれてしまう「かわいい人」。

アコのもとに不思議な女の子が現れる「湯気」。

口論したアコとサンがちぐはぐな旅に出る「誤算か憧れ」の4章から構成。


それぞれ少しずつ四編がつながるのかと思ったが、特にそうではないようだ。

噛み合わない二人と、彼女たちを取り巻くちょっと変わった人々との日々が描かれる。

なんといっても本物の俳優二人が脚本書いたり監督だったり主演だったり。

思えば、通常のドラマや映画の世界はある完成円の中に脚本も俳優も入っているのだが、実際の世界には予定されている円はないわけで、脈略のない日常の中で他人同士がバランスを取って接しあっているのだから、ごくごく日常の生活を映画にすると、逆に違和感がでてくるということなのだろうか。

たちきり(演:柳家さん喬 落語)

2024-04-16 00:00:33 | 落語
たちきり(演:柳家さん喬 落語)

元々、上方では本格的な人情噺だったものを明治時代に東京で演じるようになる。上方では、非常に長い時間をかけていたが、東京では簡易型になって前半を大幅にカットしているようだ。

まず、枕の部分で芸者の花代の話に触れる。お客は芸者と遊ぶときは、金で時間を買うわけだ。たとえば1時間で一両とか。江戸時代には時計はないのでそれの代わりが線香で、1本燃え尽きるまで何分で何本でなんぼというところ。予備知識を刷り込むわけだ。

ただ、この枕を唐突に話すと、客は「一体、何の話?」と察しがつくので、それとなく違う話に振ってから、商家の放蕩若旦那のことを語り始める。

若旦那なのに、遊びが大好きで商いに身を入れず芸者遊びに入れ込むので、親類一同が、どうしたものか、と相談を始めるわけだ。上方では、この後、車引きにして過労死させようかとか、船遊ぶにつれて行って海に落としてしまおうとか、家を追い出して浮浪者にしようかとか、ここでたっぷり時間をかける。

一方で、若旦那は「お糸」という芸者と懇ろになり、女将も公認の切れない中になっていく。

ここのバランスが難しく、「放蕩」でもあり「純情」でもあることにしないと、後で困る。

そして親戚一同が決めた方策は、百日間の土蔵押し込め。つまり監禁である。

一方、お糸は、突然に来なくなった若旦那のことを思い、文をしたため送るのだが、それが土蔵の中に届くことはないわけで、何度も何度も返信があるわけもない文を送り続けるうちに憔悴仕切ってしまい床に臥せることになる。

そして、百日が過ぎ、自由の身になった若旦那は、行き先をごまかしてお糸に会いに行くのだが、その時には既にお糸は亡くなっていたわけだ。事情を女将に説明し、仏様に線香をあげ、仏前に座るとどこからともなく三味線の音が聞こえてくる。若旦那がかつて好きだった曲を聞きながら思い出にふけっていると、線香が燃え尽き、三味線もとまる。女将が、「線香が断ち切りになりました」となるわけだ。

つまり、演じるのが難しいわけだ。若旦那の行為を肯定するのか否定するのかによって、悲劇とも喜劇ともいえるわけだ。

なんとなく、座を沸かせようとして顰蹙を巻き起こす失言を繰り返す政治家も数多いが、本演目は特に難しいような気がする。『自分の悲劇は、他人の喜劇』ということわざもあるわけだ。(知らなかった人は、今、覚えておこう)

妖精が舞い下りる夜(小川洋子著 エッセイ)

2024-04-15 00:00:00 | 書評
小説家の小川洋子氏のエッセイ。

相性の良い文体というのがあり、その一人が小川洋子氏の小説。いかにも小説という凝ったシチュエーションの設定でも抵抗なく読める。しかも単語の選択で余計な先入観を持たせないように使用されるので、小説を読みながら、ストーリーの展開の先読みをするのが難しい。つまり、次の展開を期待してしまうわけだ。

エッセイを読むと、好きな作家として金井美恵子氏の「愛の生活」と書かれていて、少し驚く。まったくの寡作家で、生涯、10冊以上の小説を書かないようにしているかのように感じてしまう。私も金井氏の初期三部作「愛の生活」「夢の時間」「兎」は愛読書だ。なぜか本を読むと、立ち上がって遠くに行きたくなるように心がザワツク。

小川氏の愛読作家として、ブローティガンとか村上春樹とか山田詠美とか川端康成とか。それ、自分と同じわけだ。

それと本書を読んでいるときに、わかってきたのは本書の書かれた1997年当時、倉敷市の玉島乙島という地区に住まれていたということ。かなり近くの会社にいたことがあるので知っていたのだが、乙島というのは、平安時代には島だった。そのあたり一帯を水島と呼んでいたのだが、そこが源平の戦の激戦地になった。

実は、源平の戦いは、ほとんどが源氏側の勝利だったのだが、ほぼ唯一の例外が「水島の戦」。源氏側は頼朝軍ではなく、木曽義仲軍で、屋島にいた平家の勢力を討とうとしたのだが、平家軍に敗れる。一説では、当日は皆既日食の日で、あらかじめそれを知っていた平家により、日食を知らなかった源氏軍が世界が暗くなったことに驚いて逃げ出したとも言われる。

よく言われるのがノーベル文学賞候補。たぶん違う。ノーベル賞の目指す方向性とは異なっていると思う。それでいいのだが。

「食と農」の博物館

2024-04-14 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
東京農業大学に花見に行った後に、大学付属の博物館に行く。



よく東京農業大学(農大といわれる)と東京農工大学(農工大)とを混濁している方がいるが、東京農業大学の方は私立大学で、農工大は国立大学。



その違いが感じられるのが、農大(私立)の博物館。一階の展示の多くが微生物関連。麹菌とかカビ類の研究が多い。全国の発酵食品の関係者のご子息が本大学に集まっているそうだ。

それで、話題の紅麹の関連研究があるのかと思っていたが、そもそも私立大学は有用な方向の研究ばかりしているわけだ。この十年来、日本国を支配していた政権の政策で、金儲けできる研究しか助成しないということで、まして私立大の基礎研究は崩壊感覚。

発酵も腐敗も同じ現象なのに、人間に有用なものは発酵ということになっている。ただし、良い腐敗と悪い腐敗を言い分けているのは日本だけらしい(そう書いてあった)。



気になったのは、一匹のマウスの標本。

二母性マウス「かぐや」と名前がついているそうで、2003年の生まれ。母親が二人で父親がいない。母親の遺伝子が父親の染色体の印をもつように遺伝子組み換えをして、もう一匹の雌マウスの卵子に核移植して誕生したそうだ。解説に寄れば、「父親がいらない」ではなく「父親が必ず必要である」ことが証明された、となっているのだが、どうしてそういうことが言えるのか、理解出来ない。

もっとも、人間の生殖に必要なのは、「父親ではなく、精子である」という事実は、多くの男性が、うすうす知っているわけだ。それでは科学ではないが。



博物館の2階は、鶏の標本がずらりと並んでいる。そういえば、博物館の入口の前には「鳥小屋」があって。各種の鶏類が小屋の外に出たい出たいと入館者にアピールを続けている。