音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ Ugorski についての、 Afanassiev の貴重な証言■

2013-07-30 23:58:15 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

Ugorski についての、 Afanassiev の貴重な証言■
                                  2013.7.30     中村洋子

 

 


★最近は、残念ですが、クラシック音楽のコンサートからは、

すっかり、足が遠のいてしまいました。

キャッチフレーズや宣伝につられ、会場まで出かけましても、

空疎で、効果ばかりを狙った演奏、そして、演奏が終わるや否や、

獣の雄叫びのような 「 ブラボー 」 の叫び声。

歯の浮くような、美辞麗句のみの演奏会評。


★そのようなコンサートに参りますと、数日の間、

私の本分である作曲に、差し支えるほど、

心と身体に、悪いものが残ります。


★当ブログで、ご紹介しておりますピアニストの

Valery Afanassiev 

ヴァレリー・アファナシエフ ( 1947~ ) の著作

「 ピアニストのノート 」 ( 講談社選書メチエ ) を、読んでいるうち、

“ そうだったのか!”  と、思わず、

膝を叩くような指摘に、出会いました。

 

 


★ずいぶんと、昔のお話になりますが、

Anatol Ugorski  アナトール・ウゴルスキ(1942~)という、

ピアニストの来日公演に、出掛けたことがございます。


★ “ ウゴルスキの演奏を聴かずしては、死んでも死にきれない ”

というような文言のキャッチフレーズ、

扇情的な宣伝文に、釣られたのです。

さらに、経歴についても、

彼が、旧ソヴィエト連邦で、どれだけ迫害され、

酷い目にあわされたか、

それにもめげず、命と引き換えのように、

音楽に打ち込んだ、という英雄的なエピソードも記されており、

それにも、心惹かれました。


★“ その演奏を聴くまでは、死ねない ” とは、

一体、どんなにすごい演奏なのか、

期待に胸をときめかし、東京近郊の会場まで出かけました。

しかし、演奏を聴き始めるや、

“ 宣伝に乗せられた ” と、叫びたくなりました。

論評するにも値しない、途中で席をたって退席したくなるような、

空疎な、とりとめのない演奏でした。

瞬間瞬間のエクスタシーも、作れないような演奏でした。

 

 


★それ以来、私は、高い授業料を払ったこの苦い経験を、

しっかりと、頭に刻み込み、

演奏家や、コンサートの宣伝には、

厳しい眼差しで臨むことに、しております。


★ Afanassiev  ヴァレリー・アファナシエフの

「 ピアニストのノート 」 に、ちょうど、この Ugorski 

ウゴルスキのことが、書かれていました。


★ウゴルスキという名のピアニストがいる。彼の演奏は一度も聞いたことはない。彼はペテルブルグで生まれ、ドイツに亡命した。亡命者の多くと同様、銀行口座にはあまりお金がなかった。ピアノさえもっていなかった。それで彼は、
ある女性の家に働きに行ったのだが、その女性がドイツ・グラモフォンのディレクターと知り合いだった。このレコード会社は非常に鷹揚だー契約を取るためには一言、言うだけでよいのだから。(略)。

★ウゴルスキが契約を結ぶと、一つの物語が語られた。
誰がその物語を作ったのかは知らないーたぶんソヴィエト連邦のことを又聞きで知っていたプロの作家なのだろう。
私はこの物語を、ある演奏会のプログラムで読んだのだが、
そこには曲目解説に加えて、このピアニストの経歴が掲載されていたのだった。

★( 1960年代の初頭、ブーレーズ指揮の英国BBC交響楽団がロシアを訪れた。Afanassiev はそれを、モスクワで聴いた。ブーレーズの作品「エクラ」を演奏したが、聴衆は総立ちで、スタンディングオヴェーションが限りなく続いた。
 当時のソヴィエトでは、海外から招待された交響楽団などが演奏すると、ロシア人は熱狂的に歓迎、愛を表明した。それは「危険を冒すことなく、体制に抗議するため、人々がこの機会を利用していた」ためだという。聴衆が歓呼しても、全員を監獄に送ることができないからだ )
という内容の、少々回りくどい解説の後に、以下の文章が続きます。

 

 

★≪そして、彼ら(ウゴルスキ)の物語がここから始まる
ブーレーズは、レニングラードでも、自作品を演奏した。誰も拍手喝采しない。みんな、ホールを出たところで強制収容所送りにされるのが怖かったのだ。
ただウゴルスキ一人が立ち上がって「ブラヴォー、アンコール、ブラヴォー、アンコール」と叫ぶ。
 彼は、音楽家としてのキャリアのみならず、自らの命も危険に晒したのだ。KGBのエージェントたちが大股で彼に歩み寄るーだが、ウゴルスキは喝采し続ける。世界の知識人が結束して彼を支持し、おそろしい強制収容所送りにならないように援助する。・・・

 ソビエト国民はこの愛すべき逸話の作者に寛容だったーというか、大多数のソヴィエト国民は、このお話をまったく知らなかった≫

 

★つまり、モスクワでは、実際に、

スタンディングオヴェーションが限りなく続くほど、

聴衆が喝采したにもかかわらず、レニングラードでは、 

Ugorski だけが敢然と喝采し、

その結果、KGBに迫害された、という虚偽とみられる、

まことしやかな英雄譚が、捏造された、ということです。

 

★音楽家が世に出るのは、

三文作家やスポンサーやレコード会社など宣伝の力ではなく、

演奏家の 「 音楽 」 そのものであるべきだ、と

 Afanassiev  ヴァレリー・アファナシエフは、

悲しげに、力説しています。

異議を唱え続けるのにも、疲れた、

というような愚痴も、こぼしています。


★この彼の文章は、非常に婉曲で、

直接的な表現を、避けていますが、

演奏家を売り出すためには、虚偽とみられる、

ドラマチックな経歴を、平然と捏造し、

それで大宣伝していたという話を、Ugorski を例に、

彼の経験を通して、見事に語っています。


★まさに、私の “ ウゴルスキ体験 ” を裏打ちする、

Afanassiev  の貴重な証言です。


★そして、人々は、「 音楽 」 ではなく、

そのドラマチックな経歴話に釣られ、演奏会に足を運ぶのです。

彼は ≪ 音楽がおのずから語らなければならないということを、

人々は、すぐに忘れてしまう。

時とともに、こうした物語は伝説になる。

大衆の想像力をかきたてて、拍手喝采を呼ぶ。

黄金伝説の一部を、成している≫

 

 


★ウゴルスキに限らず、旧ソヴィエト体制下での弾圧に屈せず、

音楽を続けたという、ドラマチックな経歴を売り物にしている

有名な音楽家は、他にもいるようです。


★近頃、つくづく実感しますのは、 Wilhelm Kempff 

ヴィルヘルム・ケンプ ( 1895~1991) をはじめ、

真のマエストロたちが、何故、日本でかくも貶められ、

音楽愛好家から、引き離されようとしているのか、

その理由は、虚像のスターたちで、お金儲けをするためには、

人の心を打つ真の芸術家が、邪魔であるからでしょう。


★ Afanassiev  アファナシェフも、

 「 知的自給自足生活 」 という表現をつかい、

自宅で、過去の本当のマエストロの演奏を聴くことで、

勉強を、続けているそうです。


★当ブログでは、

私が、本当に価値のあると思います、

演奏や、楽譜、書籍などを、

ご紹介していくつもりです。

絶望する必要は、ないのです。

 

 


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