音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ケンプのCD「平均律1巻(抜粋)」の偉大さ、曲順がBachの作曲意図を完璧に示す■

2017-06-12 23:29:23 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ケンプのCD「平均律1巻(抜粋)」の偉大さ、曲順がBachの作曲意図を完璧に示す■
~14日(水)、KAWAI名古屋「平均律1巻6番d-Moll」アナリーゼ講座~
   
                                 2017.6.12   中村洋子

 

 

★梅雨の季節になりました。

ドクダミが白い花を咲かせています。

清楚です。

ドクダミという名前は、気の毒な命名です。

花の付いた茎を摘み取り、浴槽に数本浮かべますと、

清潔感ある香りが漂います。

葉の緑が鮮やか、皮膚がツルツルになります。


★庭の薔薇の花びらを、浮かべても、素敵です。

もちろん、農薬はかかっていません。

巷に溢れる人工香料には辟易します。

気分が悪くなることもあります。

自然の香りは、馥郁として、

この季節ならではの楽しみです。


★先日、当ブログの内容をそのまま、自分のブログに貼り付け、

そのうえ、All Rights Reservedと、著作権まで主張しているサイトを、

複数も発見しました。


★あるサイトは、金銭まで要求するようです。

私が、心血を注ぎ、すべて自分で考え、孫引きせず、

発見し、当ブログを通じて皆さまにお伝えしていますことが、

このように、悪用されていることに、驚き呆れ、不快です。

 

 


★音楽の真髄の探求からは、宇宙の端から端までの距離ほど、

離れている行為でしょう。

私の講座や、当ブログの内容は、

言われてみれば、「なるほどその通り!!!」と、

ごく普通に、納得されることでしょう。

しかし、その結論に至るための「着想(idea)」を得るには、

勉強、勉強、勉強という、長く苦しい道程が横たわっています


この「着想(idea)」、あるいは「発見」を生み出すことの重み、

価値について、理解されていない方も多いようです。

 

 


日本で出版されています楽譜の校訂について、

海外の優れた楽譜、特に、絶版になっていたり、

品切れになっている楽譜など、

人目に触れることが少ない楽譜の、校訂アイデア(着想)を、

あたかも、ご自身の着想のように装って、

しかも、その一部だけを、木に竹を接ぐかのごとく、

散りばめているものが多いのを、

以前、指摘いたしました。

そうした楽譜が、出版されよく売れていることとも、

共通しているかもしれません


そうした楽譜は、ツギハギの分析をパッチワークのように

貼り合わせ、趣旨一貫していないため、

それによって演奏しようとしますと、

「ピアノは好きだけれど、この楽譜では、どう弾いたらいいか、

分からなくなってしまいます」と、

真面目に勉強しようとしている多くの方々を惑わせ、

音楽を演奏し、聴き、学ぶ楽しみから、

次第に、引き離していくのです。

 

 


6月14日(水)のKAWAI名古屋での

「平均律1巻6番d-Moll  Prelude & Fuga」アナリーゼ講座では、

そのような“まがい物”ではない、真正な校訂楽譜を皆さまにご紹介し、

勉強方法をお伝えいたします。


Bachの「平均律クラヴィーア曲集1巻」を勉強するには、

何はさておき、「Bachの自筆譜を勉強する」に、尽きるでしょう。

それをいたしませんのは、怠慢。

前記の真正ではない校訂楽譜に、足をすくわれることは、

せっかくの「音楽人生」にとって、時間の大いなる損失。

とても残念なことです。


★私はいま、近く出版されます

「Bärenreiter平均律クラヴィーア曲集第1巻」の、

≪校訂者(Dürr)前書きの翻訳≫、

≪その前書きに対する、訳者(中村洋子)の注釈≫

さらに、

≪Bach「序文」の翻訳と、「序文」の中村洋子解釈≫の、

ゲラをチェックしています。


★出版はもうすぐです。

そこでは、「Bachの序文」が、本当は何を意味したかったか・・・

ということを、徹底的に分析し、解説いたしました。


Bachが、平均律1巻の冒頭に、自分で書きましたこの「序文」、

その分かり難さについては、文章で説明する能力が、

彼の音楽能力に比べ、それほど優れていないせいかと、

これまでは思っていました。


★しかし、平均律1巻の「自筆譜」をすべて、

手で書き写して勉強しますと、そうでないことが

はっきり分かりました。


Bachは、この謎めいた「序文」を書くことにより、

“私が言わんとすることを、あなたは自分で考えてごらんなさい。

そうすれば、私の音楽を正しく理解できます」と、

言っている、と思います。


★「序文」を読んだ人に、考えることを要求しています。

その意味がやっと、私にも分かりました。

これが着想(idea)であり、剽窃ではない価値のある営為であると、

私は、思います。

 

 


★さて、この「序文」の意味を理解しますと、

Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)が、

1975年に録音しました

「Das Wohltemperierte Klavier  1.Teil (Auswahl)」
  平均律クラヴィーア曲集 第1巻(抜粋) POCG90105
                         
の偉大さに驚きます。


★特に、演奏曲順の凄さに、唸ってしまいます。

Bartók Béla バルトーク(1881-1945)校訂版の楽譜も、

平均律1、2巻全48曲を、Bartókが考え抜いた曲順で、

配列し直しています。


★この Kempff のCDは、1巻から12曲を選び、

以下の順に演奏しています。

➀1番 C-Dur ②2番 c-Moll ③17番 As-Dur ④3番 Cis-Dur

⑤8番 es-Moll  ⑥7番 Es-Dur⑦15番 G-Dur ⑧16番 g-Moll

⑨21番 B-Dur ⑩22番 b-Moll ⑪6番 d-Moll ⑫5番 D-Dur


Kempff は、この曲順によって、

Bachが「序文」で言わんとしていたことを、

すべて完璧に説明している、と思います。

すべて、見通しています。


★14日のKAWAI講座は、「6番d-Moll」を勉強しますが、

これは、 Kempff のCDでは、第11番目に置かれ、

最後の「5番D-Dur」の前に配されます。


★これは、遥か「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」まで、

見通せる配列です。

Kempff の眼は、Bachの意図を透徹し、全てを見抜いていた、

と言わざるを得ません。


★このCDは、幸い現在でも入手可能です。

「Manuscript Autograph 自筆譜」ファクシミリを見ながら、

是非、勉強をしてください。


★ Kempff の演奏は、Bach自筆譜を譜面台に置いて弾いた、

と錯覚するほど、Bachの意図(序文も含め)を分析し貫き、

その上に、 Kempff オリジナルのファンタジーを、

羽ばたかせています。

 

 


★≪Bartók校訂の平均律1巻≫では、

第1曲目が「2巻第15番G-Dur」。

この「6番d-Moll」は、第2曲目として登場します。

プレリュードは、とても詩的に始まります。



1、2拍目は、2拍目上声の16分音符4つ目の「f¹」まで、

ペダルを踏み続けます。

静かな湖にさざ波が立つような始まりです。

Quieto(♩=70)と、表示しています。


★そして、このペダルが終わった2拍目上声、

16分音符4番目の音「f¹」で、ペダルが離され、

 

3拍目上声1番目の「b¹」が奏される直後まで、




ペダルは踏まれていません。


★すなわち、ペダルの空白域、2拍目上声16分音符5番目の「d¹」、

6番目「d²」、3拍目上声16分音符1番目「b¹」の、この三つの上声

「d¹ d² b¹」が、湖面から浮かび上がるように、

聴こえてくるのです。




★この浮かび上がる上声音は、

Bartókのアナリーゼの基本となります。






名古屋で詳しくお話します。


Bartókは、脚注(フットノート)で、さりげなく、

「Manuscript Autograph 自筆譜」ファクシミリを見ていることを、

告白しています。


★それなのに、何故か、最終小節26小節目、最後の2分音符主和音の

「fis¹」の、「♯」を脱落させ、「f¹」にしています。





Bachが「fis¹」と書いているのに、

あえて、それを変更したのは、何故か?

それは、平均律1巻での、Chopinの書き込みにも見られる、

大作曲家の共通項、とも言えるのです。



 

その理由も、講座でご説明いたします。

 

                   (麦秋)

 

※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
この記事をはてなブックマークに追加