徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

一期一会

2024-03-14 21:00:47 | 
 京町の熊本地方裁判所に併設されていた京町拘置所は大江に移転し、建物は解体撤去され、更地となっている。ここの前を通る度に思い出すことがある。
 あれは10年前の秋のことだった。僕は京陵中学校での熊本市長選挙の投票を終えて帰る途中、一人の高齢の婦人に出逢った。京陵中学校のテニスコートのフェンス沿いに「すみれ程の小さき人に生まれたし」という夏目漱石の句碑が立っている。その婦人はその句碑を撮影しようとカメラを構えていた。背中のリュックが旅行者を思わせた。通り過ぎて京町本丁の四つ角で信号待ちをしていると、追いついて来たその婦人に「壷川小学校はどちらの方向になりますか?」とたずねられた。僕は婦人の年恰好から壷川小学校まで歩くのは大変かなと思い、「バスで行かれたらどうですか」と答えた。しかし、婦人は「壷川小学校は幼い頃通学していたので歩いて行きたいのです」とおっしゃる。それじゃ途中までご一緒しましょうと歩き始めた。道々、熊本にいたのは戦前の6年間だったこと。京町1丁目に住んでいて壷川小学校に通ったこと。その後、父親の転勤で熊本を離れたことなどを話された。そして「たしか道の左側に刑務所があった」とおっしゃった。京町拘置所のことだとわかったが、既に新坂をだいぶ進んでいたので、今さら観音坂へ回るのは大変だと思い、とにかく新坂を下って壷川小学校を目指すことを勧めて別れた。彼女は丁寧にお礼を述べて去って行った。家に帰り着いた後、彼女にとって懐かしい子供時代の思い出の熊本を訪れるのは、おそらくこれが最後なのだろうと思うと、なぜ、遠回りしてでも通学していた観音坂へ連れて行ってあげなかったのだろうと悔やんだ。そしてなぜか「一期一会」という言葉が頭に浮かんだ。
 「一期一会」とは、茶道の始祖である千利休の教えといわれ「人との出会いや機会は二度と繰り返されることがなく一生で一度きりの出逢いだと思い誠意を尽くすべきである」という意味だそうである。


解体撤去され更地となった京町拘置所跡

   Till We Meet Again - New Orleans Stompers


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