徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

加藤神社と磐根橋

2017-09-08 18:58:50 | 熊本
 今年は加藤神社が、京町台の新堀から再び熊本城内に戻って55年。明治7年(1874)、加藤神社(錦山神社)が城内の平左衛門丸から京町台新堀に遷座され、昭和37年(1962)に、国道3号線(現県道303号線)を直線化するため、再び熊本城内の旧櫨方に戻されるまで、88年間の京町鎮座時代は、神風連の乱、西南戦争、日清・日露戦争、太平洋戦争など、まさに動乱・戦乱の時代。ラフカディオ・ハーンの「願望成就」には、日清戦争が勃発し、軍都熊本に全国から結集した若い兵士らが、軍神加藤清正を祀った加藤神社で必勝祈願に沸き立つ戦時下の様子が描かれている。
 現在ではそんな京町鎮座時代の名残りをとどめるものは何もないが、今でも京町の人々の心は「京町はせいしょこ(清正公)さんのおひざもと!」。


現在の県道303号線と磐根橋。前方信号下の横断歩道辺りから加藤神社の階段が立ち上がっていた。
現在、信号から左折は熊本地震による新堀法面崩壊の復旧工事のため通行止め。


昭和36年頃、新堀時代の最後の頃の磐根橋と加藤神社。


戦時中の昭和19年(20年?)、加藤神社の鳥居下階段にて熊本師範学校女子部附属国民学校(現在の熊大附小)の全校生徒および職員


明治7年、城内の平左衛門丸から遷座したばかりの加藤神社と完成間もない磐根橋


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