日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「留学生試験」の総合問題

2019-04-26 12:52:27 | 日本語学校

小雨。

シトシトと小糠雨が降っています。ついさっきまで止んでいたのですが。

「タンポポ」の綿毛が今にも飛び立とうとしている…と、見ていたのに、この雨です。しかも、昨日に比べかなり気温も下がっています。「寒の戻り」と天気予報のお兄さんは言っていましたが、もう「鯉のぼり」の姿がマンションのベランダからも見えている今日この頃、今時「寒の戻り」でもあるまいに。それなのに、明日、明後日はもっと寒くなるとか。こうなりゃ、「寒の戻り」以外の言葉が(4月末から5月初めにかけての時期のために)必要になってくるかもしれません。

さて、学校です。

よく勉強し、しかも知識欲に溢れた、ベトナムからの留学生がいます。これまで、この学校に来ていたベトナムからの留学生達とは、ちょっとタイプが違うような気がします。ベトナムからの学生も、大半は、気分もいいし、きちんと学校に来るような人達だったのですが、どちらかというと、勉強に集中するというよりも、どうも「楽しむ」方に心が傾いていたような気がします。ベトナムでの習慣がなくならなかったのでしょうね。思わず、勉強するために留学したんだろうがと言ってしまいそうでした。

ところが、彼は、こう言うと何ですが、ある意味、「見慣れた、真面目な日本の学生」みたいな人なのです。

6月の「日本留学生試験」の総合科目も数学も受験したいということなので、そのための補講を、この4月第三週から始めました。当初は、「総合・数学」、「英語」共に週一の予定でした。が、「総合」を、いざ始めて見ると、これが進まない。いくら「N2」の漢字が書けるし、読めると言っても、やはり敷居が高いのです。簡単な単語の読みや意味を説明するだけでも、かなり時間がかかってしまう。(本を)読んで(問題を)やるだけでは、意味がないなと思われました。

「数学」のことを聞くと(基礎的な問題集は渡してあります)「日本語が読めないから、あまりやる気になれない」…。確かにそれもそうだ。しかし、週一では、「総合」も全く時間が足りないのに、「数学」までは読んでいけない。ということで、急遽、「数学」だけは、午前の授業終了後、20分くらいをかけて、毎日読み進めていくことにしました。

もちろん、問題は自分でやることに。ついでに、「私は文型だし、数十年前に高校の勉強は終わっている。自分で復習をしても、わかることは限られている。自分で頑張れ、聞かれても答えが出せないことがたくさんあると思うよ」とも付け加えておきました。これも、月曜日と金曜日は、午後、5,6時間目に「総合」「英語」を予定しているので、できません。それで、火・水・木にするだけです。

ところが、一昨日の、水曜日のこと。「もう、次の授業の人達がくるから」と終わろうとすると、「木曜日もアルバイトがありません。勉強出来ます」と言い出したので、ん…。で、木曜日も「留学生試験」のための勉強をすることにしました。午後の5,6時間目は私の方で授業があるので、それが終わってから、3時からと言うことに。

英語は他の先生に任せてあるので、安心なのですが、この「総合」が大変。

今週の月曜日(「総合」の第1回目です)には、問題を説明して、その都度教科書を開かせて、その部分を読んでいくつもりだったのですが、最初の「地理」で、転けた。

主要国でも、それらの国のある程度のイメージなりがないのです。それで、軽く流していくつもりが、高校の資料「タペストリ」や教科書の力を借り、「絵」や「写真」で印象づけながらやり始めると、90分という時間はあっという間に過ぎてしまいました。午後の後半には(私の)授業が入っているので、時間は伸ばせません。…だから、木曜日も来ると言ったのでしょうかしらん。

それで、2回目となる昨日、少しは心の準備が出来ていたので、「よし、このやり方でやろう」と臨んだのですが、どうも、また、最初から躓いてしまった…。

少し話しているうちに、こりゃあ、まず「物語」が必要だなと思いだしたのです。

「何も知りませんね。本は読みますか」「(ベトナムにいた時)読みません」「学校に図書館があったでしょ。借りて読むとかしなかったのですか」「学校に図書館はありません。あっても、みんな借りる手続きが面倒だから嫌です。借りません。」「……」。

けれども、彼はいわゆる、何でも知りたい、勉強したいタイプ。また、その言葉通り、餌(知識)を与えれば、すぐに食らいついてきます。

「高校生の時、本当に歴史が嫌いでした。『何年に何があった』で終わり。つまらないです。覚えたくないです」

昨日は、例の「タペストリ」を使って、まずはスリランカでの自爆テロの話題から「IS」の話をし、シリア、イラク、イラン、トルコなどの地図を見ながら、近現代の話をし、そこから、アメリカに飛んで、「小さな政府」「大きな政府」の話をし、そうこうしているうちに、「フランス革命」のことを聞くと、「知りません」。でも、ナポレオンは知っていたので、フランス革命のページを開き、まずは写真です。「部屋に戻ってから、空いた時間があったら、とにかく本を開いて、写真を見ておくように」

そうこうしているうちに四時半に…(この日は、午後5.6限目に授業があったので、3時からしました)。二人とももう四時半か!で、びっくり。

慌てて、とにかく教科書の「経済」のページを少し読んでおきました。専攻したいのは経済なので。

(彼は)聞きながら、メモをとったり、線を引いたりしているのですが、イメージが湧かないことには流れが見えなくて、どこか、頼りなく感じられることでしょうね。けれども、いろいろなことが知りたいと思っていることはよくわかりました。こういう学生には、「お話」をして、点でもいい、なんでもいい、どこか歴史の中にストンと腹に落ちる部分が見つかれば、スッと流れが自分なりに見えてくるものです。だから、むやみやたらに覚えるよりもこの方がいいのだろうとは思うのですが、なにせ、時間が足りない。

「フランス革命」や「アメリカ独立戦争」、「スペインやイギリス、フランスなどの植民地」に関する知識、知識どころか、アメリカがイギリスから独立したことさえ、知らなかった…。

知識欲に溢れていることはよくわかります。私の「お話」を一生懸命に聞いていましたもの。90分も集中していられただけでも、それはわかります。「いろいろなことを知りたいけれども、勉強する気になれなかった」

じゃあ、この学校にいる間に、少しでも穴埋めしていこう。ただ、私も年ですからね。それほど彼だけのために時間を割いていくわけにはいかないのです…体力が続かない。それが難しいところです。彼のように知識欲に溢れ、勉強したいと思い、アルバイトの時間も調節できる学生が、10人ほども来てくれたら、正規の時間割の中に入れ、もっと濃い授業をしていけるのに。

ちょっと、残念ですね。なにせ、小さい学校ですから。

だいたいは、真面目だけれども、少々不器用、あるいは頭はいいけれども、テキトーにやる習慣がついていて真面目にやらない…の人が目立っていたのです。もちろん、これはベトナム人だけではありませんが。

日々是好日
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クラスメートに「補講」に誘われた。でも、行きたくない…。

2019-04-25 09:11:19 | 日本語学校

曇り。

薄日が射してきたかと思うと、また暗くなり、今は、一雨来そうな空模様になっています。とはいえ、雨が降っていないだけでもありがたい。昨日の予報によると、今頃はここは雨になっているはずだったのですから。

雨に洗われると、樹々の緑が一層美しくなり、花を失っていても、一向に寂しくありません。そういえば、一時の花であった「サクラ」も、今はゆさゆさと緑濃い葉を揺らしているばかり。これもいいですね。

今年は、「開花宣言」が出されてからが長く、なかなか満開とならず、満開となっても、なかなか散る気配を見せず、「サクラが長く楽しめた」と思っていたのですが、いざ、散ってしまった今頃になると、「今年も短いサクラの期であった」などと思ってしまう。「サクラ」の花には、人々をそう思わしめる力があるのでしょうねえ。

さて、学校です。

中国人の新入生、G君。昨日の午前の授業が終わってから、相談があるとやって来ました。どうも、午後の補講のことらしい。

実は、今年の新入生は、大半がベトナムからで、しかも、それほどきちんと国で日本語の勉強をしていない…。これは、私たちの感想で、確かに、こちらからの要求通り、『みんなの日本語Ⅰ』は終えています。しかし、単語も確と覚えておらぬし、簡単な対話すらできない。

ということで、ベトナムからの留学生と、在日で、初めて日本語を勉強するインド人二人と、タイ人の二人は、毎日午前の授業後、2時間ほど残って補講を受けるように言ったのですが…。

むろん、一律に「ベトナム人は皆残れ」と言うのには無理があります。中に一人だけ、よく勉強してきたN君がいて、彼は残りたくなかったらしい。で、教室にいる時、後ろの席にいたG君に、「あなたも残って、一緒に勉強しましょう」と言ったのです。

G君は、中国人ですから、日本語の文法も単語も、もちろん問題はありません。とはいえ、来たばかりでヒアリングが全くだめと来ている。で、N君の言う言葉がわからない。話しかけられても、わからないので途方に暮れてしまう。で、通訳すると、「私は帰ります」。

ベトナム人のN君にしてみれば、中国人と彼等ベトナム人との差はわかりませんから、自分よりも、聞く力も話す力も劣っている中国人のG君がなぜ残らなくてもいいのかが納得出来ない。で、ますます勧めてしまう。「一緒に勉強しましょう」と。

面倒になったのでしょうね。その日、授業が終わってから、午後、決められた時間にG君まで来てしまった…。私としては、「どうして来たの?」。思わず、そう言ってしまったのですが、彼はそのまま三階に上がって、N君らと、別教室で宿題をしていたらしい。

それで、その翌日の昨日ということになるのですが、「残らなくてもいいか」と聞きに来たのです。「宿題なら家でするし、CDを聞けというのなら聞く。実際に聞いている」

私も、「残る必要はない」と言おうとしたのですが、念のため「聞いているって?どうやって?」すると、聞いているだけで大したことはしていないらしい。流しているだけですから、当然、右の耳から入っても、左から出ていくだけ。素通りです。何も残らない…。

もちろん、聞かないよりは、聞いた方がいい…にしても、彼の場合、典型的な中国人学生で、しかも、内気と来ている。あまりにヒアリング力が弱いので、「そんな勉強の仕方では、ヒアリング力はつかないよ、とにかく聞いたらそれを口に出してみよ」と言ったのですが、正直ですね、困ってしまうのです。…聞くだけでもいいだろう。言うのは嫌…というのが、顔に出ていました。

「では、今週いっぱい(金曜日まで)、来なさい。日本人の言うことを聞いているだけでいい」と言ってやると、今週だけでいいのかと念を押し、嬉しそうに帰っていきました(お昼御飯を食べてから来るのです)。あと三日で解放されるというのが嬉しかったのでしょうね。

この「簡単なことを毎日聞く」というのは大切で、「元気ですか」を毎日聞けば、嫌でも言えるようになりますし、「朝、パンを食べて、コーヒーを飲みました」と毎日聞けば、直に「朝、ご飯を食べて、お茶を飲んでから、学校へ来ました」と言えるようになります。あまり人と積極的に交流しようとしないタイプにはこれしかないでしょうね。聞かなければならないような場に置く。嫌でも話さなければならないような場に置く。

彼は自分でも言うとおり、積極的に何かをするというタイプではなさそうで、放っておけば、そのまま…(読んで判るだけ)なのでしょう。語学の勉強には、外に出るということがとても大切で、せっかく留学しているのですから、うちに引っ込んでいないで、外に出た方がいいし、それからほかの人と積極的に話したほうがいい。わかっていても億劫なのでしょうね。だから、学校でもどこでも家から出た方がいいのです。

これが、「N3」「N2」「N1」と進んで行けば、もっと大変なことになる。「読解問題」などでは、点が取れても、「聴解」で転けてしまう。まず、会話力がないに近しい。人と話さずに済むような位置にいて、誰にも迷惑をかけずにいようとする。せっかく能力があるのに、鍛えないものだから、それだけで終わってしまう。

好きなことが見つかって、それについて話せる日本人の友だちでもあれば、グンと日本語力もつくのでしょうけれども、まず一番先の、『みんなの日本語Ⅰ』の受け答えすらできないのです。これじゃあねえ、友だちが見つかっても、自分もそれが好きだとすら言えないでしょう。

少しずつ、自分の殻を打ち破っていけるように、頑張るしかないですね。ひな鳥すら頑張って殻を破っていくのですから。

日々是好日
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そんな虫(ムシ)は、無視(ムシ)しなさい。

2019-04-24 08:32:18 | 日本語学校

曇り。

どんよりとした雲が、空一面に広がっています。今にも雨滴が零れてきそうです。夜まで保ってくれるかな。いつ降り出しても(本降りにはならないそうですが)、おかしくないなどと、天気予報のお兄さんやお姉さんに言われてしまいますと、皆、家を出る時に、「あっ。傘(持っていかなくちゃ)」となるのでしょうね。

空気はムシムシするというよりも、心地よいといった感じですが。

さて、学校です。

昨日の「Aクラス」でのこと。前列に座っていた学生が、「先生、虫」と机の上を這っていた、一ミリほどの小虫を指して言います。バタッと本で潰さないところが、なかなか奥ゆかしい。

私がよく虫の話をしているので、好きかなと思って、虫を見せてくれたらしい。けれども、這っても黒豆どころか、その十分の一にも満たない。よく見つけたものだと却って感心してしまいました。

彼等には、「セミ(蝉)」や「コオロギ(蟋蟀)」、「カマキリ(蟷螂)」、「ダンゴムシ(団子虫)」など、そういう虫のことをいかにも楽しそうに話す日本人が、不思議に映るらしい。

……そう言えば、虫を食べる人達もいた。もしかしたら、この人達(日本人)も虫を探して食べるのかな…。だから好きなのかな…。そこまでは思っていない…かもしれませんが、時々、視線の陰に、「気持ちの悪いモノが好きだな、変人…」という気持ちが見え隠れしている…。

「じゃあ、あなたたち。『チョウ(チョウ)』は?」と問うと、「チョウは別」と言う。

日本人だって、「ゴキブリ」は別ですけれど。反対の意味で。

「小学校で、『キリギリス』を育てた」だの、「『ナメクジ(蛞蝓)』に塩をかけて遊んだ(これはだめですかね)」だの言っても、また、「夏休みにキャンプに行った時、必死になって『クワガタ(鍬形)』や『カブトムシ(甲虫)』を探した。見つけた時の嬉しさと言ったら、こりゃあ、たまらん」だの言っても、チンプンカンプンで、なぜ虫を探す????なぜ嬉しい????。

この子供時分の興奮は、なかなかうまく伝わりません。「虫取り」が、夏休みとセットになっていて、夏休みというと、虫取りのことがすぐに思い出される…というのも、わからないらしい。(夏休みの宿題の)「絵日記」にも、困った時の虫頼みで、ちょくちょく登場してもらうことがありましたっけ。庭の「夏みかん」の木で、よく見つけたのは、「カミキリムシ(紙切り虫)」…これは害虫です。これにはお世話になりました。数日おきでご登場願ったりしたことだってありましたもの。

サッカーが好きな学生に、「贔屓チームが勝った時はうれしいだろうが。それと同じ」と興奮の程度を伝えても、「あれは人間です」で、歯牙にもかけてもらえない。

「もう!」といった時に、ちょうど教科書に「無視」が出てきました。それで、「もう虫(ムシ)は無視(ムシ)しなさい」で、終えてやりましたけれども。

さて、次は「Bクラス」。フランスを中心にして、北にイギリス、東にドイツ、西にスペイン、ポルトガル、そして南にイタリアというのは、どうにかわかってきたらしい。昨日、復習でやった時、スラスラとまではいかなくても、声がいくつか出ていましたから。幾度か繰り返せば、記憶の端っこにでもとどまってくれるでしょう。

どこか一つでも、国名が出てきたら(雑談でもよし、教科書でもよし、問題でもよし)、すぐに対処する。その近隣の国名も時間があれば言っておくというのも大切です。

以前、フィリピンから来た学生に、冗談半分で、「フィリピンはどこですか」…アメリカを指しました。他の国から来た人にも、「イギリスは?」聞くと、…アフリカやロシア、いろいろなところを目で追っていました。もちろん、どこの国でも世界の中心は自国でしょう。だから探すのに時間がかかるのは当然としても、大小だけは認識しておくべきでしょう。

かつて、イギリスの支配下にあった国から来た人が少なからずいるので、彼らからしてみれば、イギリスは当然大きいはずだ…。「(見つけると)えっ?こんなに小さいの?」。これも発見です。

できれば、それなりの景色や物語が付随しているといいのですが。とはいえ、名前と位置だけでも確認は必要だと思っています。

様々な事情から、能力はあっても、国で十分な教育を受けられなかった(日本人から見てです。彼等の国では、いわゆるかなり上の教育を受けてきています。彼等自身もそれを自負しているようです)人達に、いろいろな「ついで」が、あった時に、その機会を逃さず、知識を入れていくのは、ご縁があってこの学校にやってきた彼等に対する、私たちの責任でもあります。

もとより、二年、一年九ヶ月、一年半しかないので(今は、一年三ヶ月の、留学生クラスの開講はちょっと見合わせています。国で十分にやって来ていれば別ですが。来日後「第1課」から始めるのでは、非漢字圏の学生にとっては、時間が足りなくなる恐れがあるからです)、日本語だけでなく、どこまで彼等に必要な知識を入れられるかは、本人のやる気と時間に関係してくるのでしょうが。

日々是好日
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クラス分けも、なかなか難しい。

2019-04-23 08:41:05 | 日本語学校

曇り。

昨日は「真夏日」でした。もう半袖で歩き回っても、少しも変じゃないような日でした。

怖いですね。

つい、この間まで、「寒い、寒い。いつまでも、冬物のコートをクリーニングに出せないじゃないか」と、騒いでいたのがうそのようです。早朝は、まだ、上に一枚は羽織っておいた方がいいにしても、厚手のコートなどを着ていると、ちょっと「あれっ」と見てしまいます。まして、それが「春の色」でなかったならば、尚更です。

この、「春の色」というのも、おかしなモノで、いったい誰が決めたのでしょうね。それに、別に、守らねばならなぬものでもない…はずですのに、どうしても、それに縛られてしまいます。

春に、まだ、冬めいた色のものを着ていますと、なにか「暑苦しい」という気になってしまいますし、その人に、あるいは着てしまった自分に「もう春だよ」と言ってやりたくもなる。

軽やかな、サクラ色のものとか、「菜の花」の黄とか、「若葉」の緑などを着ているのを見かけると、なぜか心までポカポカと春の陽を感じて、ホッとしてしまうのです。我が身のことはさておき。

その上、藤の花まで咲いてしまいますと、もう春を通り越して、夏色の服になっても、少しもおかしくなくなっています。

こういうの、学生達はどう見ているのでしょうね。

以前、中国人の学生からは聞かれたことがあったのですが、それ以来、とんと聞いたことがありません。

さて、学校です。

昨年の4月に来た学生達を「A」と「B」の二つのクラスに分けているのですが、それほど素質に差があるというわけでもなく、「Bクラス」の中には、「Aクラス」の学生よりもずっと出来る学生もいます。

これは、住んでいるところが遠いので、午後のクラスの方が、学校で眠くならずに勉強出来るとか、在日の方であれば、午前はどうしても時間が取れない(9時に間に合わない)ので午後の方がいいとか、学力だけで、クラスを分けているわけではないのですが。実際こういうわけで、それだけでは分けられず、本人の希望(つまり、どうしたら、今よりも勉強に精が出せるか)でも、考えざるを得ないところがあるのdす。

本来ならば、きっちりと学力で分けたいところなのですが。

ただ、勉強の習慣がついているかどうかというのは(留学生に限って言えば)、明らかに差はあります。それから、自分のレベルがわかっているかどうかというところにも、多分、差は出ていますね。アルバイトで困ることがない、また、お客さんなどから、「どこの国の人?日本語が上手だね」などということを常に言われていると、どうも本人までそんな気になってしまうのでしょうね。極端に言えば、「わかりますか」と問えば、必ずと言っていいほど「わかります」と答える。「では」と、読ませるてみると、読めない。「読めないのにわかるのか」と追い打ちをかけると、黙ってしまう。

学校では、何も、アルバイトをするための日本語を教えているわけではありませんし、そこで停まってもらっても困るのですが。実際の日本の生活で不自由なければ、それで「よし」となってしまうのでしょう。

アルバイトでは、常に日本語が聞けますし、またそれに対する応答などを通して、反応も速くなる。とはいえ、決して「よいこと尽くし」ではありません。低空飛行で終わってしまいがちになるのです。

「読めるか」「読んで意味が判るか」が大切なのです。

アルバイトでは、毎日が、たいてい、同じ言葉の反復練習のようなもの。もちろん、これは、確かに大切で、「天気予報を毎日聞く」練習と同じようなもの。同じ言葉を何回も聞いているうちに、だんだんと「聞く力」が増していき、自然と他の単語も覚えられるようになってくる。これは、基本の基本で、それ以上というか、ここで停まると、外国の「お土産物屋のお兄ちゃん」で終わってしまう。

まだ、日本の小説などを読む力のない人達にとって、文法事項は自然に覚えられるものではなく、学校で基本から学ぶ以外に手はありません。日本で生活するくらい(工場のアルバイトや飲食店のアルバイト。つまり手伝いくらい)であれば、「N4」レベルの文法とあとは仕事に必要な単語くらいで十分です。漢字だって、100くらいでも覚えていれば、御の字でしょう。

ただ、留学までして、それでいいのかということなのです。

だって、(日本人が)普通に話していて、ただ、それだけしか文法を使っていないということなんて、あり得ませんもの。自然、日本人が話していることがわからないということになってきます。

普段、一応、ペラペラ話していますから、日本人だって、わかっていないとは思いません。けれども、何かの拍子に、「もしかしたら、全然、わかっていないのじゃないか」と思い出せば、もうその人の日本語のレベルを上に見ると言うことはないでしょう。だいたいこういう人は、下手だと見られないために、相手の話を聞こうとはせずに、しゃべりまくりますから。そして相手を煙に巻いているつもりになっているのでしょう。もちろん、一抹の不安はある。だって、相手の言っていることがよくわかっていないのですから。

嫌な言い方ですけれども、相手の日本語力を知りたかったら、「読ませるに如くはなし」です。これは「漢字圏」「非漢字圏」を問いません。読む時の文の切り方、続け方などをみていれば、意味が判っているかどうかもわかります。それに、漢字が読めなければ、(会社で)書類を出して、それについて聞いても、役に立たないでしょう。結局その人にやるのは無駄ということになる。

日本にいながら、この国の言葉を捨てさせ、全部英語でやるという会社なら、話は別ですが。そうやって(その人が)この国にいても、大多数の日本人とは話が出来ないでしょうし、旅行に出ても、その地の日本人とは上っ面だけの話しか出来ないでしょうから、知的な人の大半はそういう生活は嫌じゃないかしら。片言でも理解し合いたいというのが普通ではないでしょうかしらん。

どちらにせよ、日本語を学びたいと思い、留学までしているのですから、頑張ってもらいたいものです。

日々是好日
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教室の中に、ブラックボックスのように真っ暗で、寂しげに座っている人を見るのは、悲しい。

2019-04-19 08:52:21 | 日本語学校

晴れ。

「ソメイヨシノ」などの一重の「サクラ」が散り、今は「ヤエザクラ」系の、重たげな「サクラ」が真っ盛りです。この「ヤエザクラ」系。どうも馴染めなくて、陰で、いつも「ああ、あの『ブタザクラ』」などと悪口を言っていたのですが、最近、テレビで、いかにも軽やかで、可憐な「ヤエザクラ」を見てしまってから、嫌でも、認識を新たにせずにはいられなくなりました。…悪口ばかり言って、ごめんなさい。

そう言えば、「八重」の「ヤマブキ」しか、知らなかった頃には、「一重」を見て、びっくりしましたっけ。その時も、「これは本当の『ヤマブキ』じゃない」ような気がしたものでしたが、「ヤエザクラ」に馴染めなかったのも、「一重」に慣れすぎていたからかもしれません。

見知っていたもの、慣れ親しんできたもの、特に、それに、なにがしかの思いが重なってしまうと、似ているだけに、どうも、似て非なるものに対する拒否反応めいたものが生じてしまって、却って苛立ちを覚えてしまう。「これじゃない」とか、「そうじゃない」とかいった思いに駆られてしまうのでしょう。

しかしながら、この「花」の華やかさも、もう少しで終わり。もうすぐ、新緑の季節になるのでしょう。今のところ、霞のような、緑のモヤモヤでしかないのですが、それぞれが自分なりの「緑」を身につけ始めると、初夏になったという気分になってきます。そしてその「緑」が厚く、重くなると、真夏になり、色を変え始めると、秋が始まり、そして葉を失い始めると、秋が過ぎ、裸の木々の冬が始まる。

もちろん、一年中、濃い緑の葉に覆われた木々も、あるにはあるのですが、どこかしら、きっぱりとした姿に心が惹かれてしまうのは、冬なりの厳しさに憧れると、そういった気分が、多少なりとも、人々の心にあるからでしょうか。

さて、学校です。

午後の補講「一日目」。

ベトナムの男子学生が、先輩と「スマホ」に付き合ってもらうという約束があるので、今日だけは出られないと、午前の授業終了後に「断り」に来ました。先輩も仕事があるので、その日にしか休みを取れなかったのでしょう。この先輩というのも、この学校の卒業生です。

明日からは来るということで、許可しましたが、この2人のうちの1人はそれほど残ってやらなくてもいいかという程度なのです。が、やはり国でやるのと、日本でやるのとは違います。基本がしっかりしていないと、積み重ねができないのです。

『みんなの日本語Ⅰ』は、終えてくる(単語も文法もきっちりやってくる。また相手の学校には、やらせてくるように頼んでいました)というのが約束で、その上での来日です、留学なのです。よって、ざっと最初から復習としてやるけれども(1課から20課まで)、きっちりやり始めるのは、20課からで、その前が、空白だと、せっかく日本に来て勉強したのに、この2年間、何をしていたのかということにもなりかねません。

これは、以前、失敗したことがあるから言えることなのです。

ヒアリングがいい民族で、反応もごく自然に出来るという人たちなら、テキトーが身についているので、それほど、シャカリキにやらなくても済むのですが、そうではない人達には、こちらとしても、責任を感じてしまうのです。

スリランカなどは、テキトーな人達が多いので、ある意味、こちらとしても楽です。アルバイトさえしていれば、すぐに日常会話くらいなら出来るようになります。もちろん、それ以上となりますと、できる人とできない人ははっきり分かれてきます。けれども、出来ない人達にはそれがわかりません。バイト先の日本人やお客さんが上手ねといってくれるから、自分は日本語が上手なんだという気分でやっていけます。漢字が書けなくても、読めなくても、不満はないようです。文句をいうのはこちらだけであれば、日本語教師の方がおかしいで、過ぎていけます。ですから、こちらとしても、なんら罪悪感は覚えずに済むのです。

外国に行った時に、「安いよ」とか、「お姉さん、きれいね」とか、商いの言葉を日本語で、しかも見事な発音で語りかけてくる現地の人達を見かけるでしょう。あのノリです。

ところが、ヒアリングもそれほどよくないし、きちんとしてやらなければだめな(途中が抜けると、途端に頭が真っ白になって、何が何だかわからなくなってしまう)人達には、これは通じません。テキトーでないので、テキトーにやる人達と同じことができないのです。

もとより、どの国にも両方のタイプはいます。けれども、それぞれかなり偏った傾向があるのも事実です。

以前、やる気はあるし、真面目だけれども、国でせいぜい5課ぐらいまでしか勉強してこなかったというベトナム人やネパール人を教えたことがありました。ネパールの学生はヒアリングがまあまあだったので、どうにかなったのですが、ベトナム人だけは、どうもいけない。当時は、ベトナム語の訳もなかったので、これも「彼等との会話の勉強だ」くらいに考え、腹を据えて時間をかけたのですが、しかしながら、「N3」までは進めたいという当初の予定がガタガタに…。前へなかなか進めないのです。これには困りました。

しかし、それから、これもご縁でしょうね、ベトナムの学校で、『みんなの日本語Ⅰ・Ⅱ』まで、ベトナム語で、文法の説明が出来るところと組むことができ、そこからの学生をどちらかといえば多く入れ始め、その問題は解決しました。と、思っていたのですが、こちらが「大学志望」というのを強く押し出すと、今度はそこまでやりたいという人が、その、田舎の学校にはあまりいなかったのです。

で、もう少し手を広げて、「(ベトナムへ私たちが行った時に)会いたいという人には会ってみよう」ということで、積極的に、向こうでも会い始めました。

とはいえ、スカイプはまずかったですね。会えばこちらの気持ちが直に伝わります。ガンガン言いますもの。それを聞き(意味が判らなくとも)、こちらの様子を見ているうちに、「まずい。いい加減にしていると、ひどい目に遭う」と、判る人にはわかるのでしょう。だんだん態度が変わってくるのがわかりますもの。だって、教えていくのはこちらなのですから、手は抜けません。

教室の中に、ブラックボックスのように、真っ暗になっている人がいるのは悲しい。皆がこちらを見て、何か言えるのがいい。そのためにも、来日時に、ベトナムからの学生だけは、出来れば、『みんなの日本語Ⅰ・Ⅱ』、最低、『Ⅰ』だけは、きちんとやってから来てほしい。ヒアリングで他の国からの学生に劣る人が多いので、アルバイトを探す時にも困ってしまうのです。そうすれば、遅くとも、2年目の12月の「日本語能力試験(N2)」には間に合うでしょう。もとより、「ちゃんと勉強すれば」です。ヒアリングの関係で、以前、ベトナムの学生の中には、なかなか「N3」合格まで行けなかった人が少なくなかったので、まずは、この「N2」です。今年は、「N1」を受けられる学生が、ベトナム人の中から出るかもしれません。もっとも、7月の試験の結果次第ですが。

日々是好日
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日本語がほとんどわからない留学生。…あり得ない!!!!

2019-04-18 08:25:40 | 日本語学校

晴れ。

膨らみかけたなと見ていた「サツキ」の蕾が、もう咲き始めています。「ハナミズキ」、「ハナカイドウ」「ハナズオウ」…。道端の小さな花々に目がいっている間に「サクラ」が咲き、「サクラ」が終わるころ、他の木々にも花がつく。…いや、実際は、「モクレン」も「ユキヤナギ」も、「ウメ」も「モモ」も、たくさんの木の花が、既に咲いていたのですが。

街路樹が華やかになる季節なのかもしれません。

とはいえ、今日のように見事な青空の下で見ると、「サツキ」の花に、少々、鮮やかさが足りないような気がします。「サツキ」は、「アジサイ」同様、雨が似合う花なのかもしれません。

さて、学校です。

一昨日、学生達が帰った後、集金(教科書代や「日本語能力試験」のお金)の整理をしていると、警察から電話がありました。しかも、一番近くの行徳駅傍の交番ではなく、次の駅、妙典駅傍の交番からです。

もう、ドキッとしてしまいました。先方は遠慮がちに、来たばかりの学生の名前を言います。思わず、「なにか、悪いことでも…」「いえ、いえ。どうも迷子になったようです。友だちがいないと言っています」

まずは、ホッとしたのですが、「ベトナム語がわかる人はいるか」と問われ、はたと困りました。授業が終わってから、既に二十分ほども経っています。それで、その、迷子になっている学生と話させてくれと言って、代わってもらったのですが、これが、もう日本語が通じない。わかるのは「私は○○です」という名乗りと、「ベトナム人です」だけ。そうそう、「日本人」もわかりました。

残っていた3人の教員が、代わる代わるに話したのですが、通じない。『みんなの日本語Ⅰ』を終え、「25課」までは、やって来ているはずなのに、「7課」の単語も「知りません」と言う。

スカイプはだめですね。実際に会わないと、こちらの真剣さが伝わらない。その上、面接の時、向こうで教員か誰かが、教えているのも何となく彼等の目の動きから感じられましたもの。

ハノイ(ハノイだけでなく、ネパールのカトマンズでもそうです)では、まず、一度面接をし、申請すると決めた人には、次に行った時に、きちんと(約束通り)やっているかどうかを(再度面接して)確認していました。しかし、彼女たちはホーチミンということで、スカイプを使ったのです。それに、間に立っている人が信用出来る人だったので、やってみるかとまずは実験という感じで、したのですが。

これは、この学生の資質の問題なのか、あるいは、現地の日本語学校の問題なのかは、わかりません(きちんと教えられていないし、勉強するという習慣があまりついているようにはみえませんでした。実際に教えてみてですが)。とはいえ、『Ⅰ』を終えたはずなのに、「7課」の単語も「知りません」ですもの。これはちょっと…と、考えさせられてしまいます。

ここ数年、きちんと『Ⅰ』までは教えてもらってから来ているベトナム人学生が続いた(その学校には、来日前に、『Ⅱ』までは教えて欲しいと頼んでいました。中には『Ⅱ』を終えていない学生もいましたが、それでも「35課」まではきちんと覚えていました)ので、初めての学校だったのに、ついつい気が緩んでしまった…。考え方が甘かったようです。

早速、昨日、授業が終わってから、ベトナムからの新入生だけを残し、通訳には先輩学生(一年もいれば、私たちの考え方はわかっています。それに進学やアルバイトにおいても、このような状態では何も出来ないということが判っているはずです)をたて、注意しました。注意というより、明日からのことです。

ベトナムからの新入生は、午前の授業後、皆残り、三階の教室で、20課までの復習をする。復習です。「25課」まで、ベトナムでやって来ているはずですから。「テ形」「ナイ形」辞書形」その他、きちんと入っている者(午前の授業でも、さっと流しますから)は、午後は解放しますが、そうでなければ、ずっと残ってやってもらいます。

そして、手の空いている教員が面倒を見る。

同時に、やる気はあるけれども、未修者の二名(タイとインドからの人、「ひらがな」「カタカナ」から読めませんし、書けません)も、来られるなら来てもらう。2人は在日で留学生ではありませんから、強要はできません。しかし、来た方がいい。

少人数だと、自分が如何に出来ないかが判るでしょう。覚えようと努力する人と、単にぼけっと教室に座っていただけの人との差を、まず感じてもらわなければなりません。

現状を認識し、これではならんと思ってもらうことが大切なのです。別に「比べろ」と言っているわけではありません。けれども、この進度でやる(皆、やって来ていることが前提ですから、留学生は)という以上、落ちこぼれていくということになります。

あれほど口を酸っぱくして、「25課」まで、やってくるように言っていたのに(ただ、スカイプだから、弱いのです。実際に会っていたら、「この学校は怖いから辞める」と言われていたかもしれませんけど)、やって来なかった自分達が悪いのです。

困るけれども(皆、教員は、それではなくても仕事が多いのに)、残して補講はします。ただ、だいたい、こういう学生は、残しても、やれと言っても、つまり、ほかの人の倍くらい手をかけてやっても、ありがたいとは思わないでしょうね。けれども、やるだけはやります。

スカイプはやっぱりいかん!

日々是好日
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「授業が始まりました」。皆、何事もなく、よかった、よかった。

2019-04-16 08:54:08 | 日本語学校

晴れ。

土曜日に、田園地帯に行くので、わかるのですが、この地(行徳)は、「カエル(蛙)」の声がしない!

池があったり(たとえ、ため池でも)、田に水が張っていたりすると、「カエル」の声が昼間でもすることがある。彼の地では「ウシガエル」の、「モウ、モウ」という声が響き渡っていた…。最初は、「そも、何者」と恐れをなし、地の人に聞いてみると、「カエル」。…へっ。後で正体がわかって、「ナンジャ、カエルカ…」と、少々がっかりしました…。だって、そうですよね。ものすごい声だから、まさか怪物とまではいかなくとも、それなりのものだと思っていましたもの。

同じような思いは、中国旅行中にもありました。当時は、(外国人が)泊まれるホテルというのは限られており、いわゆる少数民族と言われている人たちが住んでいる地域など、ホテルと言うよりも、平屋のペンション。ペンションと言うよりも、アパート。そんなものだったのですが、そんな部屋に泊まった時、ものすごい声がするのです。動物の声です…と思いました。もう「魂消て」、早速、受付に行き、「何か、(部屋に)動物がいる!!!見てくれ」。

ホテルの人は慣れたもので、「『壁虎』で、(この動物は)何もしないから大丈夫」と言うばかり。こちらのビビりは通じませんでした。けれども、こちらの様子を見たからなのでしょう、笑いながら、ベッドの下から、「イモリ」か「ヤモリ」かを引き出してくれて、…それでやっとわかったのです、声の主が。なるほど、壁にへばりついている虎ねえ。

「ウシガエル」も、そんなもんです。

ただ「カジカガエル」はいい。本当に清流に住む何かの妖精のような声で、姿さえ見なければ、だれも正体が「カエル」だなんて思わないでしょう。

さて、学校です。

昨日は、「Aクラス」でも、「Bクラス」でも、留学生は、皆、元気に登校してくれました。それから「Aクラス」では、在日の人で、7月に「N2」を狙っている中国の人も来ていました。授業が普通に出来ましたから、以前のように、休みが続いたから、きっとレベルは下がっているだろう、復習に一週間かけるべきか否かなどということで悩む必要はありませんでした。

「Bクラス」でも、もう一度「N3」試験を狙う人に揃えての編成だったのですが、さて、ちょっとばかり、漢字で落ちますかしらん、その程度でした。

新入生のクラス、「C」は、少々わかりませんね、最終的にどれくらいになるのか。おそらくは、20人には至らないかな。留学生は、まだ、二人、来ていないのですが、(申請書類を)出すのが遅かったので、向こうの大使館での試験云々が遅れているらしく、連休の頃にずれ込むかもしれません。

当初の予定では、(Cクラスの人数が)2、3人多いかな…。でも、多分、蓋を開けてみれば、来ない人も何人か出てくるだろう…。見込み通り、数人、来られなくなったと連絡が入りました。もちろん、習慣の違いでしょう、何も連絡せず、梨の礫状態の人もいますが。

こういう(「初級」の最初からの)クラスには、在日の人が多いのです。在日の人は、仕事の都合やら、あるいはお子さんの都合やらで、来ると言っていても、来られないことがよくあるのです。で、それを加味してクラスを作っておかないと、クラスの機能が果たせなくなってしまいます。「初級」レベルでは、文法事項も、「体で覚える」「見て覚える」「話して覚える」になりますから、ある程度人数がいないと、やりにくくなってしまいます。また、同国人ばかりだと、「どちらから来ましたか」で、同じ国の人が同じ国の人に聞くと言うことになってしまいますし。それは作っても出来ることなのですが、最初の異文化体験ができないので、何のために外国に来たのかわからなくなってしまいます。

「日本に来た」は、つまり「外国に来た」で、周りは「外国人ばかり」というのがいいのです。この「外国人ばかり」も、「日本人ばかり」だと、面白くも何ともない。「あなたの国ではどうですか」。「へえ、そうですか」。「日本ではそうですか」で、終わりなのです。

いろいろな国から来た人がいる。その人達の考え方はそれぞれ違う。感じ方も違う。お祭りも、宗教も違う。食べ物も違う。風土が違う。文化もちがう。言葉も違う。この、違うことが発見出来ないと、結局、日本でもうまくいきません。

中には、時々、「(日本と)同じです」と言う人がいます。そういう人には、「違いを見つけろ」ですね。そういう目を作って欲しいし、それが出来れば、異国でもやっていけるでしょう、感性が必要なのです。つまり、異文化の社会で生きるための。

日々是好日
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「新学期」が始まります。が、二名、まだ来ていません。早く来られるといいのですが。

2019-04-15 08:27:58 | 日本語学校

曇り。

まだ、空は、今にも泣き出しそうな様子。しかし、雨は既に止み、空気は清々しい。直にお日様がお顔を覗かせてくることでしょう。

土曜日、埼玉県の郊外、住宅地に空き地を見つけました。空き地というと変ですけれども…。まだ人間に利用されていない土地、あるいは、これまで、そこに家が建っていたのだけれども、何らかの理由で壊され、次の出番を待っている土地とでも、言った方がいいのかしらん。

とはいえ、春の野草が一面に広がり、土が見えないほどになっていました。何だか、こういうのを見ると、ホッとしてしまいます。特に目立ったのが、「タンポポ」の黄。「ホトケノザ」やら、「ナズナ」やら…。他にも知っているのだけでも、「キュウリグサ」「ハルジオン」「オオイヌノフグリ」「オドリコソウ」「カタバミ」「ハハコグサ」「シロツメグサ」「スズメノテッポウ」「カラスノエンドウ」…名を知らぬものが、まだまだたくさんありました。子供のころ、近所で、慣れ親しんだ草花がこの空き地にはどっさり生えていました。

もう少し経てば、田には水が張られ、昆虫たちがその中で自由に泳ぎ始めるはずです。一度、そのころに、歩いてみたことがあったのですが、「ママゴト」などに使った「ギシギシ」なども力強く伸びていました。

陽が照ってきました。鳥たちの鳴き声が聞こえています。

…時は春です、正に。「サクラ」が終わった頃、木々が新芽を出し、アワアワとした薄緑色が裸の木々を覆い始め、そして直に陽に燦めく緑へと変貌していくことでしょう。

さて、学校です。

今日から、新学期。寮に入る新入生達の他に、親戚や家族が迎えに行った新入生もいるのですが、まだあと二人来ていません。

入学式は?と聞かれても、「もう少し、待ってね」としか言えません。本当は、今日、皆、揃ってくれているとよかったのですが、残念ですね。なかなか思い通りにはいきません。

留学生は、全部で11人と、去年4月に入って来た人達の半分ほど。しかしながら、新入生のクラスは、花盛りと言いますか、在日の人達がその同人数ほど入ってくれていますので、いつも通りに賑やかになりそうです。

その他に、「N2クラス」にも、中国からの在日の人が、二人くらいでしょうか、来る予定です。上のクラスに入るというのは、「非漢字圏」の人には少々敷居が高いようで、どうしても「漢字圏」の人になってしまいます。漢字が読めないと、単語の数が圧倒的に足りなくなるからでしょうか。それでも、学校で勉強を続けていると、勘と言いますか、それが育つものなのですが。もとより、一人でそれを育てるのは難しいようで、途中から入ってくるのは、だいたいが「漢字圏」の人。中国人と決まってきます。

今日も、見学者が一人来るようです。さて、どうなりますかしらん。

日々是好日
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昨日、ベトナム女子、三人が到着しました。勇んで迎えに行ったベトナム男子三人、かっこいいところを見せられたようです。

2019-04-12 08:23:43 | 日本語学校

曇り。

時々、薄日が射していたのですが、だんだん雲が広がってき、しかも厚くなってきたようです。

昨日、ベトナムから女子学生が三人やって来ました。「迎えに行く、行く」と勇んで出かけていったのは、ベトナム人男子学生、三人。行徳駅に、彼等を迎えに行ったスタッフの話によると、駅からタクシーで寮まで行く…はずだったのに、彼等、男、三人が、「大丈夫。荷物を持っても歩いて行ける。へっちゃらだ」と、…先に歩き出しちゃった。

サッサカ、サッサカ、歩いて行く彼等。ふと気がつくと、寮ではなく、ひたすら学校を目指している。「違うよ、違うよ。寮だよ。」で、ガクッときたらしい。とはいうものの、それでも、平気な風を装って(多分)、寮へと行ったらしい。

ベトナムの男子は、女子に優しい。何でも言いなりになります。譲ると言うことしか知らないのかと、男子に言い、また、女子には、「自分のことは、自分でやれ」と怒ることもあるのですが、こういう時には助かる。

スタッフが戻ってきた時には、すでに7時を回っていました。疲れたでしょうね。昨日も、寮の整備やら、一昨日来た学生の様子見やらで、走り回っていましたもの。戻ってきてから、「明日はゆっくり来てください」と連絡が入った…のに、「いや、大丈夫です。明日、学生に、九時に来るように言ったから」。「でも…」と言われると、では「九時ごろ来ます」。

疲れて、体調を崩さなければいいのですが。とはいえ、このスタッフは、学生達と一緒にいる時が、一番楽しいらしい。生き生きとしています。喜ばれ、頼りにされるのが嬉しいのかな。もう少し距離を置かないと(却って、学生のためにならない)と言うのですが、こればかりは、変われないようですね。

このベトナム女子三人と、迎えに行った男子三人は(なぜか男子も三人とも来るらしい)今日、午前九時に来て、それから市役所へ行き、郵便局へ行き、ハンコを作りなどするらしい。本当に彼等が喜んでやってくれるので、私たちは助かります。もちろん、皆、学校の近くにありますから、何かあれば、すぐに自転車で向かえます。

日々是好日

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昨日、新入生が三人到着しました。今日も、三人到着する予定です。

2019-04-11 09:06:25 | 日本語学校

晴れ。

まだ、昨日の「冬将軍の置き土産」で、寒い。

今朝、寒さの中を自転車を走らせていますと、風に舞い散った「サクラ(桜)」の花びらが道を駆けていました。「おっ。桜が走っている」と見ていますと、今度はつむじ風に巻き込まれ、クルクルクルッと舞い上がっていきます。風が見えるというのは、こういうことなのでしょうね。

さて、学校です。

昨日、ベトナムから三人の学生がやって来ました。今日も三人来る予定です。

以前、(空港への)迎えには、教員が行っていたのですが、こちらは彼等の言葉がわからぬし、彼等とて私たちの言葉がわからないときています。で、互いに最初はニコニコでも、だんだんそのニコニコにも疲れてくる…別に顔が引きつったりはしないのですが、場が保たないのです。やっと(空港から)行徳駅に着いた時には、肩の荷が下りた…みたいな感じになってしまう。これは私たちだけでなく、初めて日本へ来たと彼等とて同じだったでしょう。最初が肝心と言いますけれども、互いに悲惨な「初見」でありました。

そのころは、「迎えに行く」ということだけを考え、彼等の気持ちにまでは考えが至っていなかったのかもしれません。(空港から行徳までの)道もわからないだろうし、荷物もあるだろうし、初めての日本で戸惑っているだろうからと、そのことだけを考えていたのです。

で、何回かやり、経験がたまってくると、こちらにも知恵がついてきます。同国人の学生を連れて行くようになりました。初めて成田に降り立った学生も、同じ国の言葉で話しかけられると、ニコッ。思わず、顔が綻ぶようで、嬉しさが違います。落ち着いて、やっと、着いのだという気分になれるのでしょう。私たちにする、ぎごちない笑みとは違っているような気がしました。本当に安心したという感じ。けれども、私たちがついていますから、どうも時々こちらをチラッと見て、気にしている様子。いいんですけれどもね、気を遣わなくても。

ある時、「一緒に迎えに行って」と頼んだ学生が、「自分だけでいい…」。どうも、こっちは迷惑かな…、邪魔なのかな…。と思って聞くと、学生は「違う」と言いましたけれども。「では、二人で」ということで、同国の学生だけで迎えに行ってもらい、寮まで連れて行ってもらい、市役所やら郵便局やら行ってもらう…ようになりました。

もちろん、彼等の都合がつかない時には、こちらのスタッフが行きましたけれども。

けれども、自分だったらと考えてみると、やはり同じ学校に行っている同国人の方がホッとしますよね。いろいろなことも聞けますし。

特に彼等の場合は、アルバイトが大きい。迎えに行った学生が、今のアルバイトのこととか…。時には自分が行っているバイト先に紹介してくれることもあるようで、到着後、2、3日して、様子を見に行くと、アルバイトの面接に行った…。えっ。もう?と驚いて、後で聞くと、迎えに行った学生が、バイト先に紹介して、そこの面接を受けることになったとか。ハンコなどの通帳を作る際に必要なもの,、必要なことは、みんな彼等が教えてくれたようで、こちらが一から十までする必要もないのです。

だいたい、彼等(留学生たち)は高校や大学を出て半年、ないし一年経ってから、来日しています。それからの一年、つまり来日後の一年は大変なことも多々あり、母国にいた時に比べれば、自分で生活費は稼いでいて親の面倒にはなっていないし、しかも異国でたいていのことは一人でできるという自信もついています。来日したばかりの学生と比べると、やはり違いますね。ずっと頼りになって、どこかしら堂々としているように見える。

だいたい、「(空港に)迎えに行ってくれる人?」と聞くと、みんな「行きたい」と言うのです。選ぶのも大変。他にも来るからねと言って宥めるくらい。朝が大変(国によっては早いのです)であろうに、バイトも休まなければならないでしょうに。

けれども、ちょっと考えてみれば、用もないのに成田や羽田には行きませんよね。交通費プラス食事代くらいはこちらが出すので、ちょっとした旅行くらいに考えてくれているのかもしれません。それに、留学生達の質も変わってきたということも原因の一つなのかもしれません。

余裕があるのです。

それが違ってきているのかもしれません。

日々是好日

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高校に入った卒業生、「バスの定期券はどこで買ったらいいの?いくらぐらいするの?…」。わからないことだらけです。

2019-04-10 08:19:54 | 日本語学校

雨。

冷たい雨が降っています。今日は正午が一番気温が下…だとか。大変ですね。こう寒いと散った「サクラ(桜)」も少なくないというのに、まだ春の「序の口」といった感じがしてきます。

しかしながら、歩いてみると、自転車で来た時には見えなかったものが、多々見えてきます。やっぱり春だなあ…。

「スギナ」の子は、今年、見ていなかったのに、立派に「スギナ」になっていました。「ハハコグサ(母子草)」も、「タンポポ(蒲公英)」も、たくさん花をつけていました。…朝は目を瞑っていましたけれども。「ツツジ(躑躅)」でしょうか、「サツキ(皐月)」でしょうか、緑の葉の間から、ぷっくりとした蕾が顔を覗かせていました。

今日のように、(寒さは)真冬並みになると言われながらも、暦に、押し出されるようにして、春は始まり、多分(たぶん)、直に夏になるでしょう。一歩進んで、二歩下がるような季節の進み方なのですが。

さて、学校です。

高校の入学式に出た卒業生が、式が終わったのでしょう。「今日、帰りに寄ってもいいか」とメールしてきました。「高校に入ったら、もう来てはだめ」と言ってあったのですが、高校の制服姿を見せに来るのかな。「しょうがない、いいですよ」と返事してやると、早速やって来ました。

「定期券」はどうやって買ったらいいの?

本来なら両親がすべきことなのですが、「読む力」は、おそらく彼女が家族の中で一番上。よって親には頼れない。受験の時も、入学するための手続きも、全てこの学校の教員が手伝いました。もっとも、「N2」までの日本語力はあります。しかも、受験のために、その他(国語と数学)の勉強も、時間の許す限り、ここでしました。

とはいえ、初めてのこと。(定期券を)どこへ買いに行ったらいいのか、わからない。いくらぐらいするのかもわからない。もちろん、高校生活に慣れ、半年もすれば、日本人の友だち(彼女のクラスには外国人は彼女一人だけだそうです)も出来るでしょうし、(高校の)先生にも相談出来るようになるでしょう。それまでのこと、こちらが手を出すのは。あとは自立。

職員室に残っていた若い人が、早速調べてくれました。新浦安の云々で買えばいい。「いくらかかるの?」。乗り換えがあるようで、本人は同じバスと言うのですが、電話で尋ねてみると、違うバス会社。二つの会社に連絡して教えてもらいました。

バスの定期券というのは、思いの外、高いものなのですね。若い人の話によると、あのあたりの高校生はよく自転車で通学しているとか。然もありなんです。

こうなりますと、最初の1か月はバスで行っても、(乗り換えもあることだし)他の日本人の高校生のように自転車で通学するということにするかもしれません。あるいはバス代くらいはアルバイトで稼ぐということになるかもしれません。どちらにせよ、大学に行きたいということで、2年近くを日本語学校で頑張ってきたのです。これからも頑張ってほしいものです。

日々是好日。

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昨日の雷には、みんな、びっくりしたでしょうね。

2019-04-09 08:51:52 | 日本語学校

晴れ。

雲一つない、春の空です。青空と言っても、透き通っているわけではなく、この水色の中には白がかなり含まれているだろうなという感じなのですが、「サクラ(桜)」の淡いピンクによく似合います。

このあたりでは、昨日の雨で、随分と散ってしまいました。とはいえ、まだまだ北の方では「開花宣言」すら出されておらず、五月の連休の頃まで、「サクラの便り」は続くことでしょう。

それはさておき、昨夜は、すごい雷様のお出ましでした。近年になく、窓ガラスが音を立てそうなほどの「大音声」で、何やら言いたいのかしらんと思われるほど。もしかしたら「令和」から、連想ゲームのように、太宰府詣でをする人が増えたのが気に入らなかったのかもしれません。

「大伴旅人は私よりずっと前の人であり、太宰府天満宮は私の魂の休み処。違うだろう」。あるいは、「旅人は(私と同じように左遷されたとはいえ)、観梅の宴を催し、歌を詠んだ。私は、当時、そういう気持ちにもなれなかった(「去年の今夜、清涼に侍す云々」の漢詩あり)。私の梅の木は、左遷された私を慕って飛んできたもの。同じ梅でも違うだろ」

まあ、学問の神様ということで、歌一族ともいえる大伴氏との関係はないことはないし、同じく左遷され、不自由をかこったということもあり、わからないわけではない…。それにしても、道真公には雷神の側面もあります。…怖いですねえ、祟り神というのは。

また、一時は栄華を誇った大伴一族も、後に、「長屋王の変」や「応天門の変」など、数々の事件に連座して失脚していき、中でも「藤原種継暗殺事件」に関係して、「万葉集」を編んだといわれる家持など、死後罪人となったとか、聞いたことがあります。祟り神と静かに中央から消えていった一族とは違う…。

これほどの「歌の集」でありながら、どうして読めなくなったのか(今でも、いろいろな解釈があるとも、この、万葉仮名の、読み方一つにしてもいろいろな説があるとも聞きます)。あるいは、普通、多くの、個人的な和歌集が失われていったのに、なぜこの集は、この形で残っていたのか。

万葉集というのは、編者から、形から、残り方から、まあ、なんと謎の多い和歌集なのでしょう。

それにしても、つれづれに読んでいたりすると、急に心を鷲づかみされることがあります。思いを形にすること、古人には遠く及ばないなということを実感する一瞬です。

さて、学校です。

学生達は、用事があって、学校に来るたびに、「勉強しているか」とか、「忘れていないかな、漢字と文法」とか、いろいろ言われて、嫌になることもあるでしょうねえ…と、思っているのはこちらだけ…みたいです。

一年もいると(今年、卒業した人達まで来たりしますから)、言われっぱなしにはしないぜという術が、もう既に身についているようで、一言か二言は、「お返し」をして帰ります。

ところが、いるのですよねえ。「はい」、「いいえ」、「違います」だけの学生が。だいたいこういう人はブツブツと小声で言いながら、ズリズリ、ズリズリと後ずさりしていきますから、気がついたら、ドアの向こう側、ほとんど顔が見えなくなっている…ということもあり。

聞くと、やはり工場のアルバイトなのです。「レストランやコンビニ(のアルバイト)は探した?」と聞くと、「コンビニは安い」と言います。レストランは、あるにしても、時給が高いところは、それなりに「日本語力」を必要とします。

この「日本語力」というのも、文法や漢字の知識が、(「N4」などでなく)「N2」か「N3」レベルなどというのではなく、「(文法や漢字のレベルは、どうだっていい)型に嵌まった言葉で話せ、ある程度、聞き取れればいい」という、そんな(レベルの)日本語力であるような気がします。

そりゃあ、そうでしょうねえ。「聞き取れる」というのも、「正確に」というのは、大して要求していないのでしょう。だいたい同じような状況が頻発するでしょうし、その時に同じような反応をし、同じような言葉で応対できればいいわけで、それ以上は、その会社の社員なり、日本人なりが対処すれば済むこと。

だから、真面目でコツコツ型はあまり喜ばれないようなのです。少々お調子者でも、明るくて、声が大きくて、テキトーにやれる人の方がいい。

というわけで、工場向きの人、レストランや居酒屋向きの人、コンビニ向きの人など、いつの間にか棲み分けが出来ているような感じです。同じく、レストランにバイトしていると言っても、ホールが務まる人とキッチンの人と、それぞれありますし。自分に合ったバイトというか、無理のない程度で、生活費が稼げればいいのです。目的は日本語の勉強であり、そのために来日しているのですから。

学生達に聞くと、「専門学校や大学を出てから、日本の会社で働きたい」と言います。「今のアルバイトと同じ仕事は(嫌ですか)」と聞くと、ほとんどが「別の仕事。会社の仕事」と言います。おそらく彼等が言っている、「会社の仕事」というのは、「机に座っての仕事」のことなのでしょう。イメージが湧かないのかもしれません、特にネパールの人は。

まあ、いずれにしても、留学生活が勉強を中心に回ってもらいたいものです。ただ、学費はともかく(送ってもらえるにせよ)、バイトがないと生活が不自由になりますから、その点はしっかりとして。

日々是好日
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既に「ウノハナ」が咲いていました。

2019-04-08 09:48:42 | 日本語学校

雨。

昼に一旦上がり、夕方には、また雨になるとか。雷様もいらっしゃるかもしれないとも。

「卯月」になって、「清明」が過ぎ、「穀雨」には至らないというのに、シトシト雨です。「如月」、「弥生」、そして「皐月」は、よく耳にするけれども、どうもこの「卯月」は冷や飯を食っているような…。

「子・丑・寅・卯…」で、4番目だからと、適当に名付けられたような嫌いのする「卯月」ですが、「ウノハナ(卯の花)」を見るにつけ、いやいや、そんなことはないという気がしてきます。「卯の花月」から、「卯の花腐し」の雨…ちょっと早いか。いえいえ、そんなことはありません。

昨日、投票のついでに、南行徳のスーパーまで自転車を走らせていると、もう「ウノハナ」が咲いていたのです。場所によっては、散っているものもあったかもしれません。「サクラ(桜)」の頃に、既に「ウノハナ」が…。

こうなると、5月の練習前に、「フジ(藤)」の花も散り時を迎えてしまうかもしれません。

先日、「サクラ」の話をした時、福島の人に、「どうして三春という(地名なの)か知っている?」と聞かれました。「三春の桜」は有名で、おそらく誰でも知っている「サクラ」。けれどもその「三春」という地名は…はてはて。すると、「『ウメ(梅)』と『モモ(桃)』と『サクラ(桜)』が一緒に咲くから」

北国は、この時間のずれがないのですね。こちらでは、まず「ウメ」が咲き、次に「モモ」が咲き、そして「サクラ」で、やっと春爛漫という感じなのですが。

とはいうものの、今年の「サクラ」も、今日の雨で終わりになるかもしれません。今年のこのあたりの「サクラ」は「満開」が発表されても、なかなか散らずに頑張ってくれました。まだまだ花が残っているようですが、道端に散っている花びらも少なくありません。

「散る桜、残る桜も散る桜」(良寛)

さて、学校です。

「四月生」は10名ほど許可が下りたのですが、なかなか「いつ来る」という連絡が来ません。来ているのは一名だけ。卒業生のいとこです。

一回目に会った時は、(彼女が連れてきたのですが)何をしても、「かわいいでしょ」と、舐めんばかり。一緒に暮らしているそうで、「(私は)かわいいかどうかは見ない。見るのは、勉強するかどうかだけ」「……」

二度目(今年の二月)に行って会った時、それほど勉強しているように見えなかったので、かなりきつく注意しました。すると、「(卒業生)仕事が忙しくてあまり勉強を見てやることができない。最初の学校はよくなかったので、別の学校を探して入れた。宿題もよくしているようだけれども、なかなか話せない」。

私たちが彼女のことを話しているのがわかったのでしょう。だんだん、小さくなっていきます。「どうしてこう言うのかわかりますか。」…だまって頷きます。

別に彼女が悪いと言うわけでもないのです。現地の日本語学校を選ぶにしても、自分が行っていなければ、どこがいいのかわからないというのも本当でしょう。ハノイの場合、日本語が上手な人達は、日本語教師などにはならずに、日系企業で働くか、起業しています。だから、自分の時(自分が学校で勉強した時)には、いい先生がいたけれども…というのも本当なのです。

まあ、来てから鍛えるしかありませんね。その点、卒業生がきちんと言ってくれていることでしょう。こういう点は、安心なのです。

日々是好日。
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今日の風で、誘われていくかな、「サクラ」花。

2019-04-05 08:41:34 | 日本語学校

晴れ。

やっと暖かくなったような、そんな気分です。寒い日が続きましたもの。けれども、その間に、満開になった「サクラ(桜)」は、散り時を待っているような、そんな形になってきました。

見ると、少々毛羽立っているような、多分、花が反り返るほどではないにせよ、開ききっているのでしょう。近くのマンションの、何日か前に、すでに「ハザクラ(葉桜)」になっていたのも、緑の色合いの方が勝って見えます。

私たちが「サクラ」の木にばかり心を囚われている間に、他の木も、そして背の低い草も、緑の葉を付け、花をつけ、春を進めていました。

「根ざす地の 温みを感じ いちはやく 空いろ花咲けり みちばた日なたに」
「夕づける 風冷えそめぬ みちばたの 空いろ小花 みなみな つぼむ」
(木下利玄)

「空いろ花」は「小」がついているところから、多分「イヌノフグリ」の類でしょう。そうなら、名前は「雅」ではないけれども、本当にかわいらしい花です。地面すれすれのところに咲き、一面に広がっているのを見ると、ホッとします。「スミレ(菫)」の花が、野一面に群れ広がり咲いているのを見たことがあるのですが(普通は2,3株でもまとまって咲いていたら、めっけものなのですがね)、その時は、息を呑みました。「カタクリ(片栗)」の花もそう、「イチリンソウ(一輪草)」、「ニリンソウ(二輪草)」、「オオアラセイトウ」の時もそう。要するに、小さな花は「一面の菜の花」みたいなのがいいのかしらん。

まあ、場所により、一輪でも見つけたら、うわっとなるような時もありますから、一概には言えないでしょうけれども。

さて、学校です。

昨日で、十日間の「補講」は終わりました。

声をかけたのは、(12月に「N4」の試験に合格出来なかった)二人だったのですが、来たのは三名。1名は皆勤。1名は、一回の欠席。実は間違えて、前日に来たのです。その日は私が忙しくて、面倒を見られないので、翌日からにしたのですが、それがうまく伝わっていなかったらしい。その次の日、第Ⅰ日目に休んだ(真面目で休むような学生ではありません)ので、バツが悪くてこられなかったな…。それで、電話しました。ホッとしたのでしょう。少々恥ずかしそうな様子をして、翌日やってきました。残りの1名は三回の欠席。一回目、二回目は、卒業生の引っ越しの手伝いやらでメール連絡がありました。二回目は、トイレの友だちとなり、来られないと連絡がありました。

彼等とは、彼等が日本へ来る前に、ネパールで会っています。会った時には、それほど日本語が話せないし、聞き取れないという人もいたのですが、彼等と現地の先生との話す様子(通訳してもらった時の)、私たちが話している時に、(私たちの話を)聞く様子などを見ました。それに、かなりきつい言い方で、日本に来てからの勉強の事、生活のことなども話してありました。

もちろん、向こうから見れば私たちは外国人、私たちから見れば彼等が外国人。お互いに意思の疏通は難しいということはわかっているはず。それでも、伝わるところはある。短い時間でも「見るべきほどのことは見つ」です。どれほど話したとて、一緒に暮らしたとて、わからないことはわからないし、見えないところは見えない。。

ただ、この「補講期間」に、わかったことも多々ありました。まあ、間に10分ほど休憩を入れはしたものの、1時15分から4時半まで、ずっとでしたもの。時にはそれより長くなることもありました。夕方から雨が降り出すという予報があった日には4時頃に終わりにしましたし、最後の日は、ご褒美で3時過ぎに終わりにしました(嬉しそうな顔だったこと)。

二回目くらいからでしたか、人が少ない(二人か三人ですもの)ので、一度さらりと皆でして、それから同じ箇所を、もう一度、代わりばんこに言わせたりしてみました。こうすると、眠くても、休めませんもの。それでも、途中で疲れた、ボンヤリした様子が見えた時には、すぐに会話の時間にして、「話せ、話せ」をしました。

三回目くらいから、ほとんど声の出なかった男子が少しずつ言えるようになりましたし(でも、なぜか最後まで、「受け身」というと「意向形」で答えるのです。ムムムッ)、個人的な質問やら、ネパールの友だちがこんなことを聞いてきた…やら、も、聞いて答えることができました。

普段は授業中、こんな話はできませんもの。職員室に来てまでして、訊くかというと、…それはしないのです。

日本の食べ物が、(来日してから、もう1年近くになるというのに)まだ食べられなくて、一回一回作っているというのも聞きました。「時間がないでしょ」と言うと、「なかったら、食べないで学校に来る」と言う。これではリキが入らず、ぐったりしていたのもわかります。

「オーストラリアなどの大学へ留学している友だちが、日本へ来たいと言う。他の国から来ることが出来るか」とも聞かれました。「今は、ネパールはビザが下りないから、待った方がいい」と答えると、「私たちは学校で勉強して、アルバイトをして、時々学校でいろいろなところへ行ったりする。とても忙しい。でも、ほかの人はとても暇。」…だから、羨ましいらしい。

どうも、彼等(学生達)のメールや写真などを見て、日本へ行きたくなっているらしい。

「日本での生活は大変だよって言っておきなさい。ここの学校は勉強しない人には怖いからね」。いくらそう脅しても、もうこちらの手には乗りません。「へへへへ」で、澄まし込んでいる。

毎日学校へ来て勉強する、こういう基本的なことがきっちりできると、自然と、互いの、ある程度の事は見えてくる。

もしかしたら、相互理解というのは、こういうことなのかもしれません。何をやってくれた、何をやってもらったと言うことよりも。

日々是好日
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「クラス分け」。休み中に勉強に来ると言ったのに…。

2019-04-04 08:55:30 | 日本語学校

晴れ。

昨日、北関東で、雪が降ったとか。4月の雪です。「寒の戻り」なのでしょう、「四日続きの」ですけれども。今年はもう、何度も聞いて、誰も使わなくなったような言葉です。

さて、学校です。

休み前に、アルバイトの休みの日を聞き、その日には学校に来て勉強するように言っておいた学生が数人いたのですが、どうもその通りに来られたのは、1名だけ。後は、一回か二回がせいぜい。目的意識があるかないか、その強さがどれほどであるかによって、違ってくるのでしょう。

それに何より、自分たちの国(あるいは地方)では、これまで、そんな勉強の仕方でも、楽々と、いい成績が収められてきた。その成功体験が災いとなっている人が、数人、いる。そういう人がすぐに口にするのは、「日本語は簡単です。」「へえ、そう」。こちらとしては、…もう、注意し飽きた…の、感あり。

彼等が言っているのは、多分、簡単な、今のアルバイトで使うくらいの日本語でしょう。難しい言葉なんてあろうはずがありませんもの。現物が目の前にあるのですから、それを見て、「これがそうか」と覚えれば、事足ります。それくらいの日本語で済むと言うことは、それくらいの人間でいいと思われているということ。腹立たしくない?

それがわからないかなあと思いつつ、いつ、この意味が判るか(日本語のレベルがそこに至るか)わからないので、折に触れ、説明しているのですが…。もっとも、そう思っていなければ、日本語の力以外のところで、右の耳から左の耳へ、左の耳から右の耳へ、そのあとはサラリと川に流すだけとなってしまう。

だいたい、それくらいで済むのなら、『みんなの日本語Ⅰ・Ⅱ』だけで、十分です。半年もあれば、たいていはできる(まあ、同じことをしても、語学に対する能力というのは個人差があり、もう少しかかる人もいることはいますが)。何も2年やⅠ年半かけて勉強する必要はない。彼等が必要とするレベルはそれだけであったら、あとは蛇足。勉強に飽きるしかない。それなのに、毎日学校へ来て、「N3」レベルの勉強をし、その後は「N2」に移り、そして「N1」の勉強に入る。

彼等にとって、大枚をはたいて留学するというのは「基礎編」を学ぶためではないのです。それ以上を勉強するためであり、できれば、現代の日本の様子だけでなく、文化や歴史なども含めて、学ぶ必要があるから来ているのです(大学ならいざ知らず、国の日本語学校では限界があります。日本でなら、参考書も簡単に手に入るし、図書館へ行くという手もある。時間に余裕があればですが)。

もっとも、「非漢字圏」の人達にとっては、アルバイトをして生活費を稼ぎながらの勉強ですから(来日時、日本語の力が足りないと、遠くの、しかも夜のアルバイトしかないということになります)、漢字などで時間がかかります。中国人だけであったら、1年くらいで、「N1」に合格出来ても(高卒)、「非漢字圏」は、それは難しい。

その上、変なエリート意識が災いすると、コツコツという、いわゆる作業が出来ないので、よけいそこで止まってしまう。漢字ができない人に「読解」の授業は出来ませんもの。おまけに、それが、なぜわからないかが、わからない。わかるクラスに行った方がいい。そこだったら、使うのは、せいぜい「N4」レベルの漢字で、今、ちょうどいいのですから。

最近は、クラスを一つ落として勉強すると言うことに、異議をさし挟む人がいなくなっただけでも、めっけものなのです。以前は、なぜ、私が?というのがいて、大変な時もありました。

私たちだったら、わからないのに、上のクラスにいるのは「針の筵」なのでしょうけれども、気にならないらしい。国でもそうだったのでしょう。誰が出来て、誰ができないなんて意識はないのです。実際にいくら教えても、「ひらがな」が覚えられない学生がいて、下へと言ったのですが、それを聞いた(彼を紹介した)いとこが「どうして、下のクラスにやるのだ」と言いに来たのです。彼にしても、このいとこが「できない」ということがわからなかった…。「じゃあ、自分で教えるからいい」と帰ったらしいけれども、数日して、本当に覚えられなかった…。こんなだとは、知らなかった…。

みんな、普通にしていれば、わかりませんものね。まあ、それもいいことはいいけれども、(誰が出来て誰が出来ないなんて関係ありませんもの、友だちに)ただ、出来るようにするためには必要なのです。わかるためにクラス分けをしているわけですから、別に相手を貶めるためではないということさえ、わかってくれればそれでいいのです。

日々是好日
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