日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「カ(蚊)」を最近見かけません。「セミ(蝉)」は、頑張っているようですけれども。

2018-07-31 09:26:42 | 日本語学校

晴れ。

暑い。

今年は「カ(蚊)」がいない…と思っていたら、本当に少なかったようですね。なんでも、梅雨季が非常に短かった…ことと、猛暑の影響…だとか。とはいえ、台風も来ましたしね、しかも遠隔操作でもされていたかのように、ずっと向こうから影響を及ぼして、こちらを雨にしたりしていましたものね。その「おかげ」で、あちこちに水たまりができて…直に「カ」の卵も孵ってくることでしょう。

この辺りは、「カ」こそ姿は見えね、「セミ(蝉)」はワンサカいるようです。近くでも、あるビルのそばを走ると、「セミ」が降ってくる。いえいえ、「セミ」の声がでした。セミ時雨。

「ミンミンゼミ」の声のようですけれども…。

九州は、「クマゼミ」でしたから、「ミンミンゼミ」の声を聞いても、初めの頃は、それほど暑さを感じませんでした。向こうでは、一番暑い時の「セミ」の声は「クマゼミ」で、それ以外の「セミ」の声というのも、秋の近づきを感じさせる類いのものでしかありませんでした。他の「セミ」は、「クマゼミ」に比べ、あまり自己主張をしないような気もしていましたし。

この、「クマゼミ」、関東ではあまり見かけないようです。声が聞こえませんもの。それに、夏休みになっていても、虫かごを左手に、虫取り網を右手にという子供の姿もあまり見受けられません。「クマゼミ」ほど大きくないから、捕まえても「やったァ」感がないのかな。それとも、「虫を捕るのは、林間学校で」とか、「デパートで買う」ような時代になってるのかしらん。夏の風物詩がまた、一欠けした…ような気になってきます。

さて、学校です。

明後日の、二日には、「富士山1日バス旅行」を予定しているのですが、バスに乗っている時間が長いだけに、だれの隣に座るか、またどの座席に座るかで、楽しさが倍増する…可能性が無きにしも非ず。

それぞれ、お国柄で、楽しみ方が違うのです。それに同じ言語で、ぺちゃくちゃやるのも楽しいだろうし。

以前、「(こういう旅行で)何が一番楽しかった?」と訊いたことがあったのですが、答えは「バスの中」。

みんな、アルバイトでは、日本語で話さねばならないし、だいたい、母国にいた時のように、友達とダラダラ~と話していたら、首になってしまうでしょう。学校でも、おしゃべりを楽しめるのは、10分の休み時間と、帰りのごくわずかな時間だけですし。

バスに乗り込んでしまえば、あとは母国にいた時のように、ぺちゃくちゃおしゃべりしていても(注意事項や予定などの説明時以外)、だれからも文句は言われない。皆、そうやって楽しんでいるのですから。

その合間に、富士山五合目を歩き、河口湖で食事をし、白糸の滝を見たりする。

学生からすればそうでも、私たちからすれば、本末転倒…と、初めてそれを知った時は思いました。

もっとも、今はそう思っていません。「そうか。楽しんでくれていたのか」と、こちらもニコニコしてしまいます。

富士山行きは明後日。楽しんでくださいね。

日々是好日
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ネパールの人は、あまり自己主張をしないようですね。

2018-07-27 09:35:07 | 日本語学校

晴れ。

台風が近づいて来て、テレビでは大騒ぎをしているというのに、この「穏やかさ」は、どういうことなのでしょう。いつも通りにセミが啼き、色を濃くした「イチョウ(公孫樹)」の葉が風に揺れています。開いた「アサガオ(朝顔)」の花はどこまでも明るく、夏を演出しています。

でも、台風が来るのですよね。しかも、いつもと逆の東から西へ。天気を知りたければ、西の空を見ればいいというのは、どうなったのでしょうね。台風がやって来る東の空を見ろということなのでしょうが、どうも、常識が次々と覆されていくような気がして、少々不安になってきます。

さて、学校です。

「Aクラス」では、今、席を自由にさせているのですが、なんとなく「お仲間(同国人)」で好きな席を占めてしまい、他の者が「侵入」できなくなっているようです。すると、国から一人か二人で来ている者が不利になってしまいます。

彼等は、話せば判りますので、時々、二、三人が来た頃を見計らって、「早く来た人は自由に好きな席に座っていい」と、こちらが音頭を取って、好きな席を取らせることにしています。もし、それでもうまくいかないようであれば、こちらが席を決めてそこに座らせざるを得ないのですが、今のところ、そこまでする必要はないようです。

端はいいのですが、一番前の真ん中というのは、割と座りたがる人が多いのが、日本人から見れば不思議。彼等の国では、さまざまな理由で、一目置かれている者、あるいはそう(自分で)思っている者が座るような気がします。

ところが、日本では彼等の国のやり方が通用しません。彼等の国では羽振りがよくても、外国人同士、お互いに、そんなことは判りませんから、結局、人数の多寡で勢力は決まってしまいます。それでも、自分を主張するために、教室内の座席の位置を使う向きもあるようで、それらを見ていると、それなりに彼等の考え方が感じ取られて、面白いのです。

中国人の時も、スリランカ人の時も、ベトナム人の時も彼等の数が大半を占めていた時代には、覇を唱えるというとなんですが、そういう傾向にありました。で、席替えをしょっちゅうして、 鋭気を挫くというか、気勢を殺ぐというか、力関係を平たくする必要があったのです。それが、ネパール人の場合は、あまり必要ないのです。それが興味深い。

インド人の場合は二人でも、大変だったのですが、一言でインド圏と言いましても、かなり違いますね。

今は、ネパール人がかなり増え、スリランカやベトナムから来ている学生が過半数を占めるということもなくなりました(中国人はほとんどいません)。すると、教室運営がそれほど、苛立たなくても済むようになりました。もちろん、現地での面接ができなかった時(一度だけありました)来日した人以外は、ですけれども。

日々是好日
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八月二日に富士山へ「一日バス旅行」に参ります。昨日からその事前指導を始めました。

2018-07-25 11:36:41 | 日本語学校

曇り。時折、陽が射してきます。

今日はやっと一息つけそうです。朝も、少し違うような、ここ何週間も、酷暑が続いていましたもの。

とはいえ、「セミ(蝉)」が盛んに鳴いています。セミの啼かぬ夏もあったこと故、如何に暑くとも、セミが啼いてくれると、どこかホッとして、これは夏だから仕方がないという気分になってきます。

以前、「落ちて死にけり 夏のセミ」が、「仰向けにのけぞって」いたが故に、死んでしまうのだと言うことを知り、それからは、仰向けになっているセミを見るたびに「起こす」という習慣ができていたのですが、先日、こんな光景を目にしました。

自転車を走らせていた時のことです。道の真ん中で、幼稚園児くらいの男の子が、細い枝で何かを突いていたのです。寄って見ると、そこにいたのは仰向けなっているセミ。足をばたつかせています。男の子はどうも助けようとしていたらしい。猫が来たので追い払ったと言っていましたから。けれど、怖いのでしょう。枝の先で触れると、足をばたつかせ、そのたびに、キュンと竦んでいる。

で、元生物クラブの出番です。まかせとき!と、自転車をそばに止めた…丁度その時、何かの弾みで元に戻れたのでしょう、飛び立ったのです。あれあれと見ていると、目の端に、大柄の猫の姿が映りました。三毛です。メスにしては大きいなと思いましたが、私と同じように、あれれという顔をして目でセミを追っていました。

男の子に、「(セミが)助けてくれて、ありがとうと言っているよ」と言って、そのまま学校に来たのですが。そうか、虫を触れない子もいるんだと、ちょっと不思議な気持ちになりました。

小学校でも、中学校でも、教室で虫を飼い、夏休みには、それぞれが分担して家に引き取って育てる。日本では、ずっとそういう教育をしていると思っていたのに、もしかしたら、そうではなくなっていた…のかもしれません。あの年頃は何にでも手を出して、痛い目を見て覚える頃でありましょうに。私も幼稚園の頃、ハチ(蜂)を掴もうとして親指の腹を刺されたり、「カマキリ(蟷螂)」に噛まれたりしましたっけ。まあ、当時はびっくりして半泣きになりましたけれども。

さて、学校です。今週から、「富士山1日バス旅行」に向けて、地図やDVDを使っての授業が始まっています。

なにせ、ネパールの学生がかなりいるということで、富士山紹介に必ず出てくる「日本最高峰」という言葉は余り強調できません。とはいえ、それなりに楽しんで見てくれました。けれど、何よりも彼等がザワザワっとざわついたのは、富士の湧水の部分。湧水や清流の部分でした。

そうなのか、彼等の国では余り目にできない「自然」は、この部分であるかと、今更ながら納得させられました。そういえば、以前「日光」へ連れて行く時のDVDでも、「川」や湿地帯のところは皆静かになって見入っていましたっけ。

ザワザワのあとは、真剣に見入る。話を聞くよりも、DVD。DVDよりも、行って見ること。まさにそうです。

この、年に一回のバス旅行。実際には、予算や時間の関係で、それほど長く富士山にいられるわけではありません。けれども、高速道路から見る日本の田舎町の様子。サービスエリアの様子。それらが、皆、日本を体で理解することの一助になっているのです。ですから、「長期の休みだから帰りたい。チケットの都合で八月になったらすぐに帰りたい」というのは、現地での面接の時に、断っています。そして、それが守れる人だけを、この学校の学生として申請した…はずだったのですが、蓋を開けてみると、休みを利用しての帰国者が5人も出てきました。

スリランカの女子学生は縁者の病気ということで、一時帰国。ネパールの男子学生は、大学卒業のための試験があると言うことで、一時帰国(富士山旅行の次の日です)。この2人はしようが無いとして、あとのネパールの3人はどうも合点がいきません。

せっかく、富士山へ行くために準備もし、楽しんでもらえるものと思っていたのに、「それはないぜというところ。

今度、9月にまたネパールへ面接に行きますから、課外活動に必ず参加するということをはっきりと確約を取って来るつもりです。

以前、中国やベトナムの学生が、「『学校が連れて行くのは面白くない』はずだ」と、不参加者が多く、結局は彼等の国の、こういう活動と「一緒くた」にしているなと、怒りが爆発したことがあったのですが、実際は、参加することによって、彼等も少しずつ変わっていきました。

この学校でも、中国人が大半を占めた時期もありましたし、それはスリランカ人だったり、ベトナム人だったりしました。時間を守れないのは共通項でしたが、参加したがらないのは、中国人とベトナム人に多く見られ、共産圏では、学校教育の点から見れば、かなり問題があるということを実感したものでした。

そういう制約がないはずのスリランカ人も、時間にルーズだし、バスの中でマイクを離さないなどと困った点は多々あったものの、参加すること自体にはそれほど抵抗はないようでした。

それらの国からの学生に比べれば、ネパールの学生はずっと素直です(昨年の四月生、七月生、今年の一月生、四月生はかなり厳しく選んで来ました。もちろん来日後変わる人もいるので一概に言うことはできませんが)。聞かされたルールは守ろうとしますし、勉強でもそれなりに反応しようとしてくれます。他の国の学生のように裏でガチャガチャやるという人も余り見かけません。

もっとも、他の国からの学生達も、以前に比べれば、ずっとよくなりました。こちらを困らせるようなこともあまりしなくなりました。

やはり、入れ始めた当初、こちらもどう対していいかわからなかったので、日本人と同じように扱って(当然そんなことはしないはずだと思っていたのです。この「当然」が曲者でした)、割を食ったり、裏切られたり(彼等にしてみれば、自分の国の価値観で動いていただけなのでしょう。こちらの注意が至らなかったり、態度が甘かったりしたのでしょう)。

ネパールの学生には、そこまで厳しくしなくてもいいという感触です。

現地での募集こそ、厳しく対しても、来日後は、普通に接してもいいのかもしれません。ただ、ゴミの問題(引っ越ししても、部屋の中は要らないものを置きっぱなし)などは、他の国の学生達と同じに厳しく指導しなければならないようですが。

日々是好日
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人は、変われないし、変わる気も無い。そちらが変われば問題ないとまで言う猛者もいる…。

2018-07-20 09:06:42 | 日本語学校

晴れ。

今朝は少し楽…かしらんと思ったのですが、天気予報を見てみれば、相変わらずの「真っ赤っかマーク」。早朝は、少し風が吹いていたし、それも、昨日までの熱風ではなかったような…そんな気がしたのですが。

さて、外に出てみれば、街は茹だるような暑さ。

10年ほど前に、「今の東京の気温は、幕末の頃の鹿児島の気温」というのを聞いて、「温暖化」というものが現実感を帯びてきたものでしたが、最近の、この気温、もう、当時の鹿児島を超えているのではありますまいか。

若い頃、夏に鹿児島に行ったことがありました。その時「九州」と一言で固唾蹴れらレいるけれど、こうも暑さが違うものかと驚いたものでした。が、もう、それを通り越している…、思うだけで、汗が噴き出てきそう。いったいどこまで行くのでしょうね。箍が外れてしまうと、コントロール不可になって、だらだらと気温が上がっていきそうで、怖い…。

で、そうなった時のことを見越して、地球を捨てようという人達が他の星のことを考え始めた…。これはもっと怖い。

…人間のことを考え始めると、どうもいけません。「お化けは怖くない。生きている人間の方が、ずっと怖い」。これが冗談ではないところが怖い。

ところで、学生達。

少々夏ばて気味のようです。それもむりからぬこと。もちろん、昨年度ビザの審査がかなり厳しくなって、学生達も、アルバイト時間を勘定してからやるようになってきた(無理して働いてはいないようです)のですが、この暑さです。参らない方がおかしいのかもしれません。

毎日、きちんと学校に来られるだけでも偉いなあ。

しかも、きちんと宿題をしてきているというのも、偉いなあ。

ただ、『初級Ⅱ』のクラスの学生達、授業中、さすがに声が途切れがちになっています。疲れてくるのでしょう。頑張っている人に、さらなる追い打ちを掛けて、病気になられても困ると思いながらも、同じクラスには頑張っていない人もいるので、こういうとき、甘い顔をするわけにもいきません。

だいたい、2冊目が終わりに近づいた頃が、危ないのです。「初級」レベルの文法で、日本での生活はだいたいできてしまいますから。

アルバイトで、食うに困らないくらいの金は入る。進学するのは、ビザのためだけであって(まだ日本にいたいだけ)、別に勉強したいなんて思ってはいない。そういう人も入ってきています。いくら面接し、よく見たつもりでいても、現地で見分けるのは本当に難しいのです。またそういう人であっても、来日後、途中で、大学に行きたいからと頑張り始める人もいますから、一概に、半年くらいで決めつけてしまうのも問題なのですが。

とはいえ、「『初級向き』の人」と言ってしまえば、ちょっと語弊があるかもしれませんが、そういう人も必ずといっていいほど入ってきます。「初級」から上に行けないのです。何年日本にいても、日本語のレベルは変わらない状態で、ずっと日本にいることになるので、たいへんだなあと思うのですが、本人はそれを不満にも思っていない…ように見える。

だいたい、それで、不満を覚えさせられるような場所にいないからなのでしょう。

語彙数は、日本にいれば自然に増えてくるでしょうが、それとても、話し言葉でのものか、アルバイトなどの簡単な作業で使うような単語くらいのもので、新聞が読めるようになるわけでもない

面白いことに「N3」に合格していても、「N2」に合格していても、そうとしか思われない人がいる。そのレベルのものを示して、読むように言っても、まず「読めない」し、「理解もできない」のです。でも、日本に4,5年いれば、こういう試験には合格するようで、本人はそれを振りかざして見せるのですが、こちらとしては「へえ~」くらいのもの。

学校でがんばって、知識を得、それに関する語彙を習得してきた人とは、語彙のみならず、文法も明らかに違う。

職場でも問題は出てくるでしょうね。こういう人に限って、現実を認めませんから、他者のせいにする(簡単な言葉ならいいけれども、多少複雑な内容になってくると、こういう人の日本語は判らないのです。私たちなら聞き返したりしまうが、普通の日本人は、面倒なので、そこまではしないでしょう)。そして、日本人との間で軋轢が生じたりする。

この学校でも、それではだめだと、折りに付け、例を挙げて話したり、時には個別に話してみたりするのですが、そういう人には変な自信があって、その自信の殻で守られているような具合。こちらの話も、馬耳東風、入っていかないのです。

とはいえ、本人は素知らぬ顔で日本でやっていけているようです。こちらとしては、この学校にいる時に、本当に苦労させられた経験があるものですから、周り(新しい人達)が気の毒だと思うものの、結局は、採用した向こうの責任だと考えることにしています(私たちだって、それでやってきたのですから)。いつまでも、尾っぽを引きずってしまったら、こちらの身も持ちません。

本当に面白いですね。それぞれの国にはそれぞれの歴史や習慣、伝統があり、それらによって培われてきた「人格」というものもある。それについて批判したり、非難したりするのは簡単であっても、当人が何の問題意識も持っていなければ、意味はないのです。

中には2年間、こちらが言い続けても、平然としている猛者もいるのです。

日々是好日
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「聞く・話す」と、「読む・書く」と。

2018-07-18 08:29:30 | 日本語学校
晴れ。

今日も暑い。暑い、暑いと言えば言うほど暑くなる。でも、暑い。

若い人達は、それでも頑張って学校に来ています。最近、「Aクラス」では、口で「抵抗する人」が増えてきました。だいたい、減らず口を叩ける者は決まっていたのに、「でも、先生は…」とか言い始めています。的は、どうも、教師のようですけれども。

数ヶ月前までは、言いたいけれども言えない。で「う~ん」と唸っていた人までが、つまらないことでも、一言二言、言いたいらしく、やって来ます。また、それを聞いた者が笑ったりする。まえは、なぜこちらが笑ったりするのかが判らなくて、周りに訊いたりしていたのに、今では、だいたいが同じように笑えるようになっています。

「話す・聞く」の差が無くなるというのは、クラスの力、いわばクラスメートの力なのです(もちろん、日本にいるのですから、…アルバイトなどで、他の日本人との交流がある人もいます。しかし、これも個人差が大きいのです。クラスの皆のレベルが上がるのは、やはり、それなりの理由があるのです)。

「毎日学校に来ている。授業に参加している」ということが「主」であることは間違いないのですが、「副」の部分、つまり、中で「誰かが質問するのを聞いている。日本人の教師との問答を聞いている。自分もだんだん言いたくなってくる」…こういうことが大切なのです。

とはいえ、これは毎日学校に来て、授業に参加してさえいれば、うちで勉強しなくても「慣れ」で、できるようになることです。多少人によっては遅速はあるでしょうが。

しかしながら、こういうことで、どうにもならないのが、「読む・書く」なのです。

このクラスでは、毎日「N2文法」を繰り返し読ませています。習ったところまでは、既に暗記できている者もいるのでしょう、プリントを見ずに言っている者もいますから。これも、うちで勉強する習慣がないという人達が多いからで、漢字の練習にせよ。「N3」までは、授業中に練習の時間を設けてさせていました。…こんなこと、漢字圏の学生が多かった時には考えてもいなかったことでした。

「文字は練習しなければ、覚えられない」という、イロハのイが認識できない、また判っていても、書く練習がどうしても身につかないと、そういう人がなかなか減らないのです。

漢字圏の人間は、文字は何回も書かねば覚えら得ないということが、身にしみて判っています。「漢字圏の人間ならだれでも漢字が書けるはず」というのは妄想です。それを少なくとも判っています。だから、漢字の練習と言えば、すぐに書く。点や撥ねを注意しながら、書けるようになるまで何度も書く。

「難しい」から、「覚えない(覚えられないのではありません)」。つまり、面倒なのでしょう。

「それが面倒なら、漢字のない国に行くしかありませんね」。そう言われて、「フン」となる国の人と、「そうですね、困りましたね」と言って、少なくとも練習を始める国の人と、どうも現在、2極に分かれているようです。

ベトナムの学生は、漢字に燃えていますから心配はないのですが。

日々是好日
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また、進学を考えなければならない頃になりました。本当に大変です。

2018-07-17 09:11:35 | 日本語学校

晴れ

ここでも毎日が熱帯夜で、苦しい…ような気がします。暑い…。

だいたい、まだ7月というのに、なんて暑さなのでしょう。子供のときには30度超えで街は騒然としていたような気がするのですが、今では35度超えですからね。30度なんて目じゃない。

しかも、雨の降り方だって尋常じゃない。きっと雪の降り方もそうなるのでしょう。梅雨がないはずの北海道に梅雨前線が張り出して大雨なんてことが現実に起こっているのですから。

南国から来て、暑さに慣れているはずの学生達が、暑い、暑いと茹だっています。昔のように、夕方に、打ち水をし、蚊遣りを焚いて…なんている生活であったら、お日様が姿を消した後は、扇風機くらいで間に合ったのでしょうけれども。最近は、夜、部屋を冷やさないことには、眠れません。こうやって、人の体は退化していくのでしょうか。

さて、学校です。

寝る時にエアコンの温度を下げすぎて、風邪を引いた…ということだったので、冷房病の話をしたのですが、熱中症までは、話が至っていなかった…。

連日、熱中症で運ばれる人がいる…。このことも彼等にはよく判らないようです。体温よりも外気が高くなったら、そりゃあ、大変なことなのです。ただ、彼等のところでは、道は土のところが少なくないし、木々や草も多いだろうし…、昼の熱を吸収してくれるところが少なくないのでしょう。

日本のように、ビルの屋上や外壁を緑化しなければならないとか、熱をため込まないような素材の開発に勤しむとか、そういう事を考えずに済むのでしょう。一度発展してしまうと、そこに住んでいる人間は、もうそれを手放せなくなってしまうのです。夏涼しく、冬暖かく過ごせるエアコンを、「捨てられるか?」と訊かれれば、我慢大会でなし、多分というより絶対に無理でしょう。無理をすれば、すぐに死に至ってしまうほど、もう人の体は脆弱になってしまっている。

しかも、学生達のところでは、それぞれお国ごとの電気事情というものがあり、それほどエアコンは普及していないようですし、それに、必要ないのでしょう。

彼等は、日本の緑化事情や、街の温度を下げるための多くの開発事業のDVDを見せたり、そういう開発の文章を読んだとて、ピンとも何とも来ないのです。

動物実験の文章もそう、そういうことは関心外のものであり、好きとか嫌いとか、読みたいとか読みたくないとか、そういう段階のことではないのです。

試験の時、また授業の時でも、まず関心を持たせるのに苦労します。

西欧やアメリカ、そういう国から来ている人は、そういう文章は身近であるし、読むのにそれほど困らない。それに、来ている人は、だいたいが日本の文化、歴史、習慣などに関心があっる。ところが、そうではない国の人も多数存在しているのです。働きにではなく、一応勉強に来られるわけですから、母国での生活もそれほど逼迫しているわけではない。異国に送り出すだけの経済的な余裕は親にはある。

とはいえ、日本に遣ることが、まず豊かさへの足がかりと考えていう向きもなきにしもあらず、それどころか、多いのです、そちらの方が。だから、日本のことは、自動車くらいしか知らない。これも自国を走っているから…。あるいは日本の自動車の工場があるから…。

というわけで、2年目の進路を決める段階になりますと、大困り。「どうしよう。何を勉強しますか(日本語が少しできるようになったからといって帰る気はない)」。訊かれてもこちらが困る。「私は、あなたじゃない」。とにかく、入りやすい専門学校か、安い専門学校を探そうとする。

やりたいこと、学びたいことではないのです。もちろん、それがはっきりしている学生もいます。けれども、恐ろしいことに、そんな人に限って、簡単には入れると思っている。ハードルは高いのです。まず、日本語のレベル、そして経済的なこと。

いい学校、優秀な学校はそれなりにある程度の日本語のレベルを要求する。自分の日本語のレベルがそれを満たしていないというのが判らない。無理でしょうと言っても、どうにかなると思っている。…はっきり言えば、「どうにもなりません」。それに出席率。

日本人なら、あることを学びたいと思ったら、それなりに努力する。身の程、自分のレベルは判っていますから。言葉が判らなければ、何も学べないというのも判っている。

ところが、そうではないのです。漢字が読めない、意味が分からなくて、何が学べるのだろうと思うのですが、アルバイトで「培った」日本語で、十分だと思っている。

なにも「読む・書く」を重視しているわけではないのですが、彼等はあまりに「聞く・話す」の世界にいすぎるのです。しかも、いわゆる「話し言葉」の世界での「聞く・話す」なのです、それは。「書き言葉」での「聞く・話す」ではないのです。だから日常会話レベルで終わりなのに、それが判らない。「みんな(日本人は)、日本語が上手だと言います」で、しらっとしている。

こういう人達をどうしたらいいのでしょうねえ。国で、しっかりとそういう思想に馴らされてしまっている。「文章を読んで、文意を読み取って…」などができないのです。そういう訓練を高校生までにされていないのです。できるのは、こちらから見ても「頭がいい」と思える一握りの学生だけです。そういう学生は特に教育を必要としない、ほっといてもできるのです。それなのに、大多数の普通の学生達は、読み取れなくとも、全く意に介しません。それどころか、訊けば、勝手に答えます。判らなくとも、言わなくちゃと思っているのでしょう。

文意を問うたり、指示されているものを訊いたりすると、およそ、あり得ないような答えや、信じられないような答えを出してきます。それを訂正し、根気強く理由を説明し、また接続詞や文末表現などから答えを導き出せるようなやり方を教えていっても、なかなかできません。半年あまりで、3、4人がどうにかこうにかなるかならないかの程度なのです。

「N2」までは、時間と小器用さでどうにかなっても、「N1」は、無理でしょうね。蓄えがないのです、そこまでの。

日々是好日
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風邪引きさんが、続出しています。

2018-07-13 08:36:48 | 日本語学校

晴れ。

早朝は陽が雲の中にあり、これは曇るかと思いきや、やはり家を出る頃にはお日様がしっかりとお顔を覗かせていました。

だいたい、冬は天が低く見えるほどの雲の覆いかぶさり方なのですが、今は、同じ灰色の雲でも、ずっと高いところにあるような気がします。不思議でも何でもないのでしょうけれども。

暑い日が続き、「エノコログサ(狗尾草)」も枯れ葉色になって、毛羽だって見えます。一方、「オシロイバナ(白粉花)」や「アサガオ(朝顔)」は元気いっぱい。同じ花でも種類が違うと、時期がずれ、「あれっ」と驚かされることがよくあるのですが、最近は油断なりません。今年のように梅雨が短く、猛暑が足早にやって来たりしますと、植物の方が正確に季節を捉え、早めに活動を始めるということだってあるようですから。

さて、学校です。

冷房の話です。

学校にいる間は、教員が室温を調節していますから、それほどのことはないと思うのですが、学生達、一旦家に帰ってしまうと、途端に、暑いと思えばすぐに冷房の温度を下げすぎて、風邪を引いてしまう。冷房の利用法がよく判らない人が多いのです

「Aクラス」で、風邪引きさんが続出し、しかもどうも誰かさんにもらったという感じがしない。そこで教員が訊いてみると、「19度」にして寝たらしい…。夜にアルバイトから帰って、シャワーを浴び、「暑い」。で、室温を下げた。下げすぎた。皆、アルバイトの時間が違うようなので、その時には同室者が既に寝ていたということもある。

だいたい二間の部屋に、三人か四人(一間に一人か二人)住んでいるので、時間のばらつきがあればあるほど、部屋は冷えていくということになる。

冷房の使い方に慣れるのは、かなり難しいことです。それはよく判っているのですが。今年は、うっかりして、早めに注意を促すのを忘れていました。が、確かに毎年、こういうことがあり、室温を下げすぎると病気になるから気をつけるように注意していました。2年目の学生にしても、こうなのですから、1年目の学生は彼等を見習い、そんなもんだと思ってしまうのかもしれません。

冷房は確かに便利なものなのですが、うまく使わないと体を損なってしまいます。午後の「BCクラス」には「冷房病」という言葉を入れましたが、さて、ピンときているかしらん。こういうイメージの湧きにくい言葉は、幾度となく(その期間には)繰り返して言っていかなければならないものなのです。もっとも、想像力に欠ける人は、何事によらず、一度言われたら学生はすぐに覚えて然るべきと思うようで、「昨日、言ったと言いましたけど、みんな覚えていませんでしたよ」などと言うので困りものです。

特に、留学生などには、一度言えば大丈夫な人と、そうではない人。しかも内容如何では日本人と同じようにイメージできることとできないことなどがありますから、それはしっかりと理解しておかねばなりません。

多分、こんなことは頭がいいからわかるはず、あるいはセンスがないからわからないなどとは言えないことなのでしょう。彼等の、それぞれの国で得てきたもの、また生活パターンなどが違いますから。

日本人だってそうです。東北地方の人が、「冬に晴れの日があったので、驚いた」等と言われれば、太平洋沿岸の九州人のみならず、東京辺りの人間でも驚くことでしょう。大体晴れている…。「雪は下からも降る」とか「雪は青い」とか聞いたら、パラパラと降ってすぐに溶けてしまう雪しかしらぬ人間は、キョトンとするだけでしょう。

もっとも、こういうことは知識で補うことはできます。その知識から類推していくこともできるのですが、それができにくいことも確かに存在します。

一緒に文章を読んでいて、彼等の幾人かが、「判らない」と言った時、文法や単語ではない何かが、彼等の理解を阻害しているということもよくあるのです。そんなとき、見せられるものならば、映像が一番いい。ただ、最近はスマホが発達していますから、こちらが準備しなくとも、彼等に調べさせるという手もあります。もっとも、知らなければ調べようという気にもならないでしょうから、それを指示するだけでも、学校の存在意義はあるのかもしれません。

日々是好日。
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今は、気が緩んでくるころなのかしらん…。

2018-07-12 08:54:39 | 日本語学校

曇り

雨が降っていたようです。地面がしっかり濡れていました。それに涼しげな風が吹いてきています。猛暑もちょっと、今日ばかりは一休みしてくれるのでしょうか。

日本人は話の中で、生き物のみならず、山や川、海もそして自然現象までも擬人化していることがあります。すると、途端に、「判らない」。そして「それ、だれのこと?えっ。山のこと?どうして山が人のようになるの?」という気分も…わからないことはない。

けれども、津波は来るは、火山は噴火するはの国においては、「神が怒っている」ではなく、「御山が怒っている」、「わたつみ(海神)が怒っている」となるのです。

そういう自然災害の多い国で、その上、一神教の国でなければ、多分、日本人の、このような気持ちは、スッと入っていく…でしょう。

さて、梅雨が明け、猛暑が続き…と、この辺り(関東地方)のことばかり考えていたら、梅雨がまだ明けていなかった九州、四国、中国地方で、梅雨末期特有のとは、一括りできないほどの豪雨が降り、大災害が発生しました。多くの方がなくなっただけでなく、家が土砂に埋まり、道が寸断され、必要な物資が届かなくなっています。何よりも「水」がない。人は水に生かされている、水から生まれたものというのがよく判ります。いつもは、空気と同じほどに感じられている存在なのですが。

日本では、夏場は特に「ひとっ風呂」というのが、何よりのもてなし。ご馳走でした、古くから。

ちょっと外出した、「じゃあ、一汗流したら」。そんなこんなで、日に数度、水かお湯を浴びる(それを贅沢だと…確かに、少しは思っていた)。けれども、日常化していたことだから、あまり罪悪感を伴わずに、やっていた。

これが絶たれると、途端に「非日常の世界」に入っていった…ような気がしてきます。

被災地でも、水が自由に欲しいだけ遣えるようになって初めて、「日常生活に戻れた」という気分になれるのでしょう。この「水」が、最初の一歩なのです。周りを気遣うことなく使えるということが。

さて、学校です。

「Aクラス」では、「N2」の勉強が始まっているのですが、この頃になると、一番上の、このクラスでも、休みがちの人が出てきます。一年以上もこの国で生活していると、弛みも出てくるのでしょう。本来ならば、一番しっかりしなければならない頃なのですが。

初めの頃、「日本ではこうしなければならないのか。自分の国と同じことをしていたら叱られるんだ…」と殊勝に思っていた人でも、言葉が、ある程度、話せるようになると、気も緩んできます。「この程度までだったら、自分の国と同じようにしていても、アルバイトはできるんだ」。また、「そんなにきちんとしなくてもいいよ。」とか、同国人から言われると「そうだよな」と思ってしまうのでしょう。人は志(「大学へ行って○○を学ぶんだ」とかいう)がなければ、当然のことながら易きにつくものです。ただ、学校としてはこれは困る。

この国(日本)の人相手であれば、勉強する気にならなくなったら、やめて他へ行けば済むこと。ところが外国人であれば、それができないのです。

だいたい、勉強目的で来ているはずなのですから。例え、目的の、その裏の目的が、結婚するための資金を稼ぐとか、あるいは、日本の会社に入って夫を呼ぶとかであっても、きちんと学校で勉強さえしていれば、単に適当に「話す・聞く」ができるだけでなく、漢字も多少は読めるようになっているでしょうし、何よりもその過程で、日本のルールに対する知識も増え、理解も深まっているでしょうから。

ところが、休みがちの人は、ここが欠けやすいのです。

私たちも最初に入国した時に、そういう話は通訳を介してしているのですが、やはり最初は判らないようです。それで、何かことあるごとに、それを例として話を繰り返していくのです。ですから、毎日学校に来ている人はそういう話を聞き逃すことがありません。一度よりも二度、二度よりも三度なのです。そのうちに、学生の方から、「アルバイト先では」とか、「先日こういうことがあったけれども」などという例も出せるようになってきます。

そうやって、理解というものは深まっていくものなのです。

「聞いた。判った」とはならぬものなのです、こういうことは。だって、互いにとって「異文化」なのですから。ですから、出席率というのは、ビザの取得のためだけでなく、私たちにとっても、大切なことなのです。出席率の悪い学生ほど、日本理解が浅く、我流で過ごしてしまい、問題を起こしがちになってしまうからなのです。

日々是好日
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夏休みの一時帰国…。できれば、せずに頑張った方がいいのだけれども…なあ。

2018-07-11 08:23:03 | 日本語学校

晴れ。

昨夜も、熱帯夜だったそうな。窓を閉めれば、蒸し風呂。如何にうまく冷房を使っていくか…毎年のことながら…。

「世を捨てて 友だち 多くなりにけり  月雪花に 山ほととぎす」 
                             花道のつらね

今の世で言うと、この「世」は、何に相当するのでしょうか。とはいえ、忙しない世の習わしから離れてみると、この歌のような心は確かに、だれにも存在する。この気持ちが勝るか、世間と相変わらず交わりたいと思う心が勝るか。煎じ詰めれば、単に、ただ、それだけのことなのでしょうけれども。

相手が必要な人。つまり、比べたがったり、独占したがったり、支配したがったりする人。また、親切にしたがったり、感謝されたがったり、称賛されたがったりする人…。多分、そういう人は何らかの社会に属していた方がいい。

そうでなければ、どちらを自分が欲するか、これはそれを望む心の軽重次第。もちろん、どういう道を選ぼうとも、後悔というのは必ずあるのでしょうけれども。

さて、学校です。

夏休みの間に、大学の卒業試験を受けるため、一時帰国するという学生がいます。「日本に来て、日本語の勉強に明け暮れ、それで、合格するのかい」と、こちらの方が不安になっているのですが、本人はいたって暢気。「大丈夫です。合格出来ます」「そうか、そっちの国では、そんなもんかい」ということで、親からの帰国願いが出された時点で、「はい、どうぞ」ということに。

その他、結婚している女子学生(日本留学が決まってからの結婚です。彼等の国ではよくあることらしい。日本では、普通、留学を決めたら、結婚は延期か、止めになったりするものなのですが…。二人で行く場合は別ですけれども)が、帰りたいと…。

「そうですか。帰りますか。もう戻ってこないのですか」。そう、聞くと、びっくりして、「戻ってきます。専門学校へ行きます」と言う。「大丈夫かなあ」。これは毎年繰り返されることで、こちらも慣れてはいるのですが。

だいたい、国に帰ると、お金がなくなり(旅費、お土産等)、日本語は忘れ…(短くて3週間、長い時には休み中ずっとですから。時々、帰りの飛行機のチケットが取れなかったなどの理由?で、新学期に遅れてくる人もいます)で、にっちもさっちも行かなくなるものなのですが、それが、どうも判らない…らしい。

国に帰れば、金があるので、チヤホヤされるのでしょうが、戻ってくれば、同じこと。それに耐えられるのかな。

2011年の東日本大震災の際、この学校の学生も、大半が帰国しました。飛行機のチケットが成田では買えずに、新幹線で関西に行き、そこから帰国した学生もいました。そのころは中国人学生が多かったのですが、残った人はごくわずかでした。

帰国した学生のうち、一人だけ、「親が帰れと言うから帰るけれども、すぐに戻る」と言って帰ったのですが、彼女の場合は、戻るためのお金がなくなった…で、日本に戻ることができずじまいに。その他の学生達は、長くて1か月、すぐに戻ってきた学生もいました。

聞くと、「何もない…中国では、何も出来ない」。高校を卒業しただけの学生には、仕事もない…。あったとしても、日本のようにアルバイトで働いて、お金を貯めることなどできはしない…そう言っていました。

「日本は忙しかったけれども(彼女の場合は、アルバイトも勉強もよくしていました)、やることがあったし、自分にできることがあった。そして学費を貯めて、大学進学し、会社に入るという夢を現実のものにできると思えた。でも、中国にはなにもない…」。帰って、それが判ったのでしょう。親が特別金があるとか、力があるというのなら、別でしょうが、普通の家庭の人でしたから。

おそらく、現在の中国でもそうでしょう。大都市の大卒であっても、仕事にあぶれていると聞きます。まず何よりも、「人縁」。それがなければ、何もできない…。

帰国するという学生も、「ちょっとの間だけだから」という気持ちなのでしょう。もし、これがずっとであったら、…それでも帰国するでしょうか。

夏休みで決まるのだけれどもなあ…。勉強にしても、貯金にしても。

そのように、いくら言っても、イメージがわかないらしいのです。たぶん、彼等には判っいても、国にいる人達の方が、理解できないのかもしれません。彼等がアルバイトで得た金は、彼等だけのもの…とは、ならないのでしょう。

それに、アルバイトを28時間くらいしかしていなくても、彼等か、そういう人達にしてみれば、かなりの金を貯めている…と映るのかもしれません。使うなら、国でとなるのでしょう。

お金の使い方を間違えている…と思うのは、日本人という恵まれた立場にあるから言えることなのでしょうけれども、目先のことでなく、半年後、一年後、そして10年後を考えたら、今、一時帰国をするというのは、かなりのリスクがあるような気がするのですけれどもねえ。

日々是好日
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冷房は、使わない方がいいのは、もちろんだけれども…。

2018-07-10 09:05:45 | 日本語学校
晴れ。

カンカン照りです。着いてから拭かれた汗で、一つ目のハンカチはもう用無しに。続いて二枚目の、これは厚手のハンカチなのですが、それに移ります。もう少し経つと、ハンカチでは「おえんぞな」になってしまい、持ち歩くのはタオルということに成ってしまうのでしょう。本当に暑い…。

これで、停電になり、冷房が使えなくなるとどうなるのかしらんと思ってしまいます。広島の惨状を見るたびに。とはいえ、何もない時には、もう普通の私たちは、扇子や団扇だけの生活には戻りようがないのです。…そういう暮らしに慣れきってしまっている…。

若い時は我慢できても、年を取ると、暑さはやはり体に応えます。私の場合は、寒さは我慢できても、暑さはだめ。人によって多少違いはあるようですが、暑さの方が「堪えきれない」という人の方が多そうです。

学生達を見ると、これも、大まかですが、国ごとに違いがあるようで、フィリピンの学生は、一般に私たちと同じようで、すぐに暑いと言い、エアコンをつけるとホッとした顔になります。けれども、スリランカの女子学生はエアコンが苦手の人が多く、私たちが犬のように舌を出してハアハア言っていても、平気な顔で、(寒いから)エアコンはつけるなと言います。男子は、ちょっと違うようですが。

しかしながら、暑さばかりは逃げようがありません。窓を開ければ、熱風が吹き込んでくる…したがって、外の風を入れようなどとは言えませんし、思いもよらぬこと。暑さばかりは本当に逃げ場がない。そういう時のエアコンは譲れぬところなのです。

エアコンを入れると、寒いとすぐに文句を言う(?)手合いには、長袖を準備しておくように言いますし、あるいはエアコンの風が当たらないところに座るように言います。

ところが同国人で固まりたがり、席を移ろうとはしません。自分に合わせろと言いたいようで、ほかの人に合わせることが苦手なのでしょう。日本人と同じように島国であるから…、同じようにするだろうでは、ないのです。一言で言うと、しない。日本人は農耕民族で、皆に合わせて、どこかで折り合いをつけようとする。もちろん、日本人でもそれができない人はいますが。

カーストの残滓がある国、多少にかかわらず。そういう国では、たとえ弱小国といわれているような国であっても、人によっては「自分の思い通りになってきたから。また、そうなって然るべき」という尾っぽがついてきます。こういう「べき」が、日本人のそういう人よりも、頑固なのです。頑固というか基本的な地盤が揺るがない。

これは、個人的な性格からというべきか、あるいは国民性からというべきか、始末に負えないので、いつもこちらが決めて、そうさせているのですけれども、これは、きっとエアコン云々の問題ではないのでしょう。

みんな暑がっている、それじゃあ、私は少し我慢しようという心持ちがあるかないかなのです。

だいたい、それほど現金収入がある家でなくとも、留学できるほどの家庭から来ている人は、彼等の国ではおそらく貧しいとは言えない存在なのでしょう。子供のころから、そういう中で育ってきている。そういう人が集まれば、「これまで思い通りにならなかったことがなかったのに、なんだ?これは」ということにもなりそう。

だいたいが、そうであれば、それゆえの「いざこざ」は生じやすい。蔭で言い合っているので、ちょっと暗い。でも、何かの拍子にふいと顔を覗かせる時があります。

国では威張っていられても、他の国の人にまで威張れるわけではない。たとえ、外国にいても、同国人であったら、だいたいの地位やら雰囲気やらで、あっちが上、こっちが上とか判断はついても、他の国の人間にはそんなこと、判りっこありません。百歩譲って、判ったとしても、多分、普通は、無視されてしまいます。面白がられれば別ですが。だいたいは同質の国同士ですから、面白がられるようなことはない(日本人や中国人だったら、最初は面白がるかもしれません。でもその後で、すぐに飽きられてしまうでしょう。面白くも何ともないことがわかって)。

そういう(「私の○○がわからないなんて」という)イライラもインド圏の学生には、あるようです。

一対一で話している時、出てくるのです。こちらも知らん顔をしてやり過ごしてやるのですが。それでも、自分は云々としつこく言う輩もたまにはいる。そういう時はかなり手厳しく「日本では関係ない。言われたことをきちんとできるかどうかそれだけだ」と言っておきます。「私は云々」と言い出した時には、「だから、私を特別にして欲しい」という意味が込められている場合が多いので、下手に譲ってしまうと、どんどん増長してきます。

「外国ではみんな『個』で頑張っている。『国(あるいは家、あるいは身分)』を引きずるな」。また、「個」で頑張れる人が、日本に於いても尊重されるのです。

日々是好日
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さっきまで、強い雨が降っていました。今、小康状態。これで終わりかしらん。

2018-07-06 09:51:54 | 日本語学校

雨。

梅雨に戻ったかのようなお天気です。雨脚も、少し弱くなったかと思うと、また強くなる。「本降りになって出ていく雨宿り」
早めに朝食を済ませ、止んだら出ていこうと待ち構えていたのですが、なかなか止みません。それでも少し弱くなった時を見計らって出てきたのですが、わずかな距離でも、雨脚が強くなればこたえます。横が見えない…。

昨日、一昨日のように風が強い日には、ヤットコショ、ヤットコショと必死に漕いで倒れないようにしていましたから、どちらが楽かと聞かれれば、ちょっと答えようがない。

もちろん、雨の日でも風の日でも、四苦八苦している私を尻目にスイスイ漕いでいる人はいるのですから、私としては畏るべしと思うだけ。

さて、学校です。

最近は本当に、アルバイトの募集が多くなりました。もちろん日本語のレベルにも拠るのでしょうが、それでも以前とは雲泥の差。前は学生に嫌な思いをさせてはと、新聞などで見かけたところに、先にこちらが電話をして尋ねておくという作業が必要でした。だいたい、こちらが日本人と判っていても、すげない返事、冷淡な応対、それどころか、嫌みまで言われる場合も少なくなく、その度に、「もう、あんな店、行かない」などと腹を立てていたものでしたが、ここ数年は向こうから挨拶に来られて説明してくださるほど。

ただ、学生はなかなか計算が苦手のようで、「多少安くても、時給が10円、20円くらいなら、近場の方がいい」というのが判りません。「片道一時間かけていくくらいなら、二時間確保して寝た方がいい」この理屈が浸透していかないのです。

もちろん、日本語がうまくなければ、「親切な同国人がいる方がいい」というのも判るのですが、勉強とアルバイトと、両立はこの国の人間(日本人)であっても難しいこと。それが異国の人であれば、気遣いもするでしょうから、疲れも倍倍になってしまいます。

勉強目的で来ている留学生でも、先進国、あるいは準先進国のような国の人達ならいざ知らず、そうではなければ、来日して頑張って学費を稼ぎ、国の両親に負担を掛けまいと思うのも無理からぬこと。だから、週に28時間という制限がある限りは、一時間に10円でも20円でも多く稼いでおきたいとなるのでしょう。

これが平日は4時間、土日は8時間以内という形であったなら(36時間以内)、彼等も無理することなく(どんなにがんばっても、30時間が限度という学生も少なくないのです)、近場のアルバイトを探し、ゆっくり体を休めることもできるのですが。

進学を控えた学生は、親から送ってもらうにせよ、できるだけ、自分の力で頑張ろうとしています。これが、学校にも来ない、勉強もしない、そういう学生なら論外ですが、毎日(出席率が100%の学生もいますし、だいたいそういう学生は96%くらいです)学校に来、懸命に勉強し、大学にも合格し、非漢字圏で来日時は「N5」レベルであったにもかかわらず、卒業時には「N2」にも合格できた(あるいは相当の点が取れた)ほどの学生であれば、別格扱いができないものかと思ってしまいます。

私たちの学校では、在日の方が「自分の子や親戚を呼びたい、自分が責任を持つから」と言ってくださるような場合を除き、それ以外の留学生は、教員が自分で現地に赴き、自分たちで会って、それから申請しています。

スリランカにもネパールにも、ベトナムにも行っています。もちろん、それでも、人が人を見るのであり、しかも言葉が不自由な中で見るのですから、失敗はあります。けれども、それでも、30分以上をかけ、やる気などを見てきています。なにせ教員が行くのですから、勉強する気のない人を入れたら、困るのは私たち自身ですもの、真剣です。

相手は大人ですから(18歳以上)、勉強の習慣が消えている人は、もうどうにもなりません。「これは勉強する気がないな」とか、「日本へ行って働くだけが目的だな」と感じられた人には特にしつこく聞いていきます。言葉は判らなくとも、相手の反応、つまり表情とかで少しは感じ取れるところがあるものです。それから、彼等が学んでいる教科書を使って質問をしたり、文字を書かせたりし、どれだけ頑張れているかもみていきます。できるだけ公平を期するためです。

少ない情報であっても、判ること、感じ取れることはあるわけで、一旦入れてしまったら、こちらが責任を持って、その期間、相対していかなければならないのですから、真剣勝負です。もとより、彼等を紹介してくれた現地の日本語学校の人も見てきます。だから、「東京の近くの学校に入れてくれと言われれば、右から左に紹介してしまう、だれでもかまわない」風な学校の人とはすぐに縁が切れてしまいます。

これは、現地の人だから…とは、あながちに言えないところがあります。日本人であっても同じです。その(現地の学校に関係のあるという)日本人が紹介してきたし、話もその人が進めていたので、その人の責任の下でのことかと思い、話を進めていたら、それが大間違い。入れてしまったら、それっきり…。一体何なんだ…。

日本人だからと安心していてもいけません。「日本人なら、『紹介(という言葉)』に、ある程度の『責任』を持つはず」は、日本という「社会」に順応してきた人に関しては、成立するかもしれませんが、日本人であっても、自由に生きてきた人であれば、「その『常識』が通じないことも、少なからず、ある」というのも事実なのです。

やはり、自分たちが行って、会って、判断を下すことができない場合は、よほどのことがない限り、お断りした方がいいのかもしれません。だいたい、関東周辺でも、日本語学校は多く、なかにはそれほど「勉強、勉強」としつこく言わない学校もあるやもしれませんから…。

この学校に来てしまえば、もともとやるつもりがない勉強を「やれ、やれ」と毎日せっつかれる。その上、学校に来ても眠れば、たたき起こされるわ、文句を言われるわで、「こりゃ、たまらん」。

私たちも、現地へ行った時に、言っているのですが、現地の学校も選んで入れて欲しいですね。テキトーでいい人には、そういう学校を。テキトーでいい人を、テキトーを怒る学校に入れたら、三方うまくいきません。一度、二度と回数を重ねれば、わかると思うのですが、それでも「ビザ」の関係がある。「勉強」や「やる気」だけ見て、紹介するというわけにもいかないのでしょう。そこがやるせないところなのですが。

日々是好日
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梅雨が明けて、この暑さ。とはいえ、じき、台風の影響を受け、気温が下がりそうです。

2018-07-03 08:33:35 | 日本語学校
晴れ。

先週の土曜日に「梅雨明け宣言」が出され、「あっという間に終わってしまった」感のある、今年の梅雨でありました。けれども、今、「台風7号」が本土に上陸しようとしています。すっと通り過ぎても弧を描いて、北海道の方へ行き、こちらには来ない…と思っていたのに(つい先だってまでは、晴れマークが続いていました)、ところが、明日から影響が出てきそうです。

明日は曇り、明後日から閉じた傘マークやら、開いた傘マークやらが出没して、ちょっと気ぜわしくなっています。そして、それと共に、気温も下がりはじめ、連日の30度超えが、影を潜めるとのこと。また梅雨空に戻る…みたいな気もするのですが…。

人間なんて、,晴れたり、曇ったりのお天気に、オロオロするだけの存在でしかなく、生かされているだけで満足すべきで、文句を言ってはいけないと言われてしまいそう。

少しでも偉そうな風をしたら、すぐに天罰が下る…というのが古くからの言い伝え。そして、多分、これが本当なのでしょう。

さて、学校です。

7月から、またクラス編成がなされ、二年生は、それなりに二クラスに分かれました。もちろん、どのクラスにもかなり熱心に勉強する人と、そうではない人とがいるようです。ただ、今の学生達の共通点は、学校を休まないということ。

家で勉強する習慣のある人はほとんどいないようですが、少なくとも、宿題を出されたら、やっては来る(中にはノート写しに精を出している人もいるようですが、「非漢字圏」の人においては、書くだけでも良しとせねばなりません)。教室で「やれ」といわれれば、頑張る。「チェックします」とか、「提出してもらいます」、「後から、当てます」という言葉が威力を発するのです。これはすごい。

もちろん、学生の質にも波があって、とにかく、残って、よく勉強するという学生が数人いた時期もありました。常に「学校に来い。ちゃんと勉強すると(母国での面接の時)いったでしょ」と言わざるを得ない状況の時もありました。

それに比べれば、御の字です、今は。

もちろん、こちらの指からスルリと抜けてしまいそうな学生もいることはいるのですが、家庭訪問ならぬ家まで行き、頑張って勉強しようと引っ張ってくるスタッフがいることゆえ、向こうも堪えかねて、自分から学校に来るようになってきた…。そうするうちに、なんとなく仲良くなる人も出てきて、学校がほどよい休憩所になってくる。

特別、勉強しなくとも、毎日来ることが大切なのです。毎日来ていれば、人と話すようになり、孤独感も少しは癒やされるでしょう。何せ境遇は、皆、だいたい同じなのですから。それに授業を聞いていれば、そして適当に作業をしていれば、それなりに上達でき、生活も安定してくるでしょう。

こういういい循環ができるまで、きちんと見ていてやらねばならぬのかもしれません。

日々是好日
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