日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『誰にでも起こり得ること』と思うことの大切さ」。

2011-07-27 08:44:14 | 日本語の授業
 曇り空で、ムシムシしています。雨が時々、ポツン…、ポツン…。

 台風が過ぎてから、空の具合は、どうもすっきりしません。昨年は「超」酷暑で、熱中症で、バタバタと倒れる人が続出し、今年は(梅雨明けが早かったことから)昨年を上回るであろうと、予測されていましたのに、なぜか、高くとも30度前後をうろうろしています。もちろん、夏本番は(土用の丑の日は過ぎたものの)やはり8月でしょう。8月がまだですから、まだまだ油断は禁物です。

 日本では、それでも、かなり遠慮がちに「中国式新幹線」の事故の報道がなされています。「遠慮がちに」と言いますのも、もしこんなことを、日本でしたら(日本ではされるはずがないので、この仮定はおかしいのですが。だって、こんなことをしたら大変です。そのことを、皆、諸機関の人も会社の人も、知っているのです。これは知識の問題でしょうか、それとも想像力の問題でしょうか)、それこそマスコミの袋だたきに遭い、100万回土下座しても、人々の憎しみは消えないことでしょう。

 そのことが想像できなかったというところに、現在の、中国諸機関の病理が潜んでいるような気がしてなりません。「そこ退け、そこ退け、おいらが通る」で、すべては、やりたい放題、やり通せると、全く疑っていないように見えることです。

 今では、かなりの数の中国人が外国へ行ったことがありますし、数年を他国で暮らした者もいます。彼らが行った国というのも、極貧の国とか、紛争中の国とか、途上国で、やはり中国の方が進んでいると自己満足できるような国ばかりというわけではありません。

 中国よりも、遙かに進んだ国も少なくはないのです。もっとも、何年、そういう国に住んでいようとも、それ(他国の優れているところ)が見えなければ、せっかくの機会を活かせないわけで、豚に真珠というほかないのですが。

 多分、中国では、今でも、ああいうことは、一つ一つ口に出す必要もないくらい、たくさん起こっているのでしょう。ただ、マスコミが、マスコミとしての力量を発揮できるような状況にないので、国民はなにも知ってはいないのでしょう。

 日本に来た人が「えっ。そんなことがあったの」と自国について問う場合だってないことはないのですから。これはアメリカや、ドイツ、フランス、イギリスなどの国へ行った人でも同じでしょう。

 とはいえ、それでも、前に比べれば、中国は随分開かれてきました。中国国内が安定することは、他国の者にとっても、幸せなことです。なにせ中国は人数が多い。その上、格差が、資本主義国日本以上に酷い。こういう国では、貧乏な人は、一旦何事かが起こったら、逃げ惑い、殺されていくのを待つだけという状況におかれてしまいます。

 内乱というのは、どこの国で起こるにせよ、いいことは一つだってないのです。争いになれば、人が死にます。

 人が死ぬのです。どちら側にせよ。命を賭してまで守らなければならないものは、この世にはありません。またそういう世の中にせねばならぬのです。それは政治家の責任であり、その人達を撰ぶ一般大衆の責任なのです。

 ところで、この「人が死ぬ」ということの恐ろしさを、中国人が我が身のこととして想像できるようになるのはいつのことでしょうか。

 もう随分前のことですが、そのころは、(中国では)交通事故で死者が出ても、道路にそのまま放置されていました。しかも死体をそのままにして、惨い写真を撮り、それを掲示板に貼っていたりしていたのです。これはもう、「晒している…」としか日本人には思えず、「どうして周りに警察がいるのに、白い布で覆うとかしないのか。彼らの尊厳はどうなるのだ」と、近くの中国人に聞いたことがありました。

 すると、「構わない。中国は人が多すぎるのだ。一人や二人死んだからって何だって言うのだ」と、笑われたことがありました。そばにいた中国人は、皆、同じ反応を示しました。彼らの反応に驚きながらも、決して本心ではあるまいと、そう思いはしたのですが、どうも、彼らの根性は、魯迅の時代から全く変わっていないようにも思われました。

 これが、彼ら特有のジョークにせよ、死に関することにジョークを用いるべきではありません。これは、他の中国人に聞いても、殆どは同じような反応でした。

 そこには「自分だったら」とか、「自分の身内や友人だったら」とかいった想像力が決定的に欠けているように思われたのです。そして、そう感じている彼らの心を、とても怖いと思いました。もちろん、彼らはとてもいい人達です。友人で、頼りにもなります。親切で、明るく、中国で暮らしていく上でのアドバイスをよくしてくれました。ところが、同胞にはこういう冷たさで接するのです。

 「この列車に乗っていたはずなのに、死体もない。病院にもいない。いったいどこへ行ったのだ」と、埋められた列車のそばから離れようとしない人や、「座席表を公開してくれ。家族がどこに座っていたか知りたいのだ」と叫んでいる人たちを見ていると、自分に起こるはずのないことが起こったと驚きを隠せないでいるような気がしてならないのです。

 誰でも列車に乗れば、事故に遭う可能性があるのです。ゼロではありません。だから技術者も、設計者も必死になって安全を考えながら作るのです。技術者であれば、特にこういう乗り物を造る場合、誰だって世界一の速度を目指すでしょう。ただ安全だけは犠牲にはできません。誰が乗るのかわからないのですから。

 その会社の管理職の者も、自分の家族が乗ることを考えて作れと言うでしょうし。ところが、その基本的な、他者を思いやる心がなければ、怖いことになります。「作れというから作った。でも私は決して乗らない」というのは、無責任と言うよりも卑怯です。

 普通は、設計した技師や作り上げた工場の人や、会社の人が集まって、大喜びで完成を祝い、早速座席に身を沈めながら感激のあまり涙を流す…ものですのに。もしかしたら、そういうことが彼の国では失われて久しいのかもしれません。

 それにしても怖いことです。

 日本の原子力発電所の秘密工作と無神経振りと同じくらい、とても怖いことです。

 ところで、中国人学生ですが、この事故は知っていたものの、いきさつや現状などは殆ど知りませんでした。「先生は知っていますか。中国で列車の事故が起こったんですよ」と私に教えようとしたくらいですから。なお、一言付け加えますと、彼らが見ているのは中国発信のもので、日本のものではありません。

日々是好日
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「虫たちとの共存」。 | トップ | 「生きるためには『食い物』... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ありがたい)
2011-07-27 12:23:19
中国のことについていろいろ指摘していただき、本当にありがとうございます。でも、難しいですね、中国のことは。日本やアメリカなどの国との国情が違うのですから、いわば独裁と民主主義という雲泥の差ですね(国民の質の違いなどはその次の次の…と思いますが)。何よりまず、今の中国では誰でも先生みたいに自由にブログで自分の意見を発表することさえできないでしょう(ないわけではないですよ、100万人単位のネット警察が目を見張っているため発表してもすぐ消されてしまい、ひどい場合、ブログの禁止となり、さらに身の安全も問題となります。)。今の中国は、20年前の中国より開かれているとか、60年前の中国より開かれているとか、そんなことはないと思いますよ。証拠として、20年前は少なくとも天安門事件が発生し、60数年前は、少なくともいくつかの(対等できる)政党が中国にはあったのです。今は?中国のキリスト教会やお寺の坊さんまで共産党賛美の歌を歌わされています。もっとも、列車の追突事故を含めこれら事件は中国人が全て、または全ての中国人が知らないわけでもないのです。それが別今の中国が前より開かれているからそうなったのではなく、殆どインターネットという科学の利器がもたらした結果だと思われます。難しいですね、中国は。長年の愚民政策・愚民教育+暴力独裁政治をされてきた中国人は、確かに多くはブタ化しています。まあ、独裁政治が続く限り、こんな状態はずっと続いていくでしょう。別に魯迅が指摘しなくても世の中の常識者ならみな分かっていると思います。ちなみに言いますが、魯迅の文章は、いつの間にか既に中国の小中学・高校のテキストからきれいに排除されました。10年後の中国の若者に魯迅などをいうと、知らん顔をされるかもしれませんよ。それにしても、中国は事故や事件が多すぎますよね。もしかしたらそれも世界一ではないでしょうか。中国政府が2001年に公表したデータによれば、交通事故だけでも中国は一日平均300人が亡くなっているほどですから、とても一般庶民が関心を寄せられるようなものではないのでしょうね。また、内乱というものは確かに起きてほしくないのですね。でも仮に起きてしまったら、一概に悪い結果しか出ないとも限らないと思いますね。アメリカの南北戦争は、内乱ではないでしょうか。又
見ようによっては、中国の春秋戦国時代、20世紀上半期の清末・国民党時代も内乱の時代でもあったのでしょう。起きてほしくはないのですけれども、それを口実に、悪を隠蔽しながら働き続け、あくまで独裁を維持しようとする悪党らを許すわけにもいかないでしょう。ありがとうございました。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本語の授業」カテゴリの最新記事