日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「天気予報」。「眠くてたまらない」。

2013-02-28 08:33:00 | 日本語の授業
 (天気)予報に反して、昨日は寒い一日でした。「暖かくなる」と、そう思って薄手のコートで外出した人は、「ったく」と寒さに震え上がったことでしょう。

 日本人はニュースを見なくとも、天気予報だけは見るのです。見てから出かけていなければ、「あっ、今日は見ていない」と、忘れ物でもしたような気分になり、落ち着きません。

 これは日課…というよりも、もしかしたら、見られるならば、朝、昼、晩の三回は画面を覗き込みたい…もの。それ以外にも、直ぐに天気予報をやっているチャンネルに合わせてしまうのです。「天気予報の時間だ」というふうに。

 立春を過ぎれば、「春一番はまだかな」となり、桜の時期が近づけば、「桜前線はどこまで来たかな」とせわしいない。また、梅雨が始まれば、「梅雨の晴れ間は何曜日くらいになるのだろう」、真夏になれば、「明日は何度くらいまで上がるのだろう」と、知らなくても良さそうなものにまで、天気予報が気になるのです。日本人の心は、もう、いつも、お空から離れられないのです。

 同じような意味で、「季語」に支配されているように感じられないこともないのですが。勿論、これはマイナスの意味で。けれども、言葉に支配されることにより、却って宇宙が広がっていける部分もあるということで、結局はプラスになっていくのでしょう。枠を嵌められれば嵌められるほど、深く深く墜ちていける(堕ちていくのかもしれませんけれども)、それも一種の心地よさに通じるのかもしれませんが。

 さて、学校です。

 昨日、午後の「Eクラス」で、一人のスリランカ人学生が、10分ほど遅れて、息せき切ってやって来ました。朝、5時か6時頃から12時までアルバイトをしていることを知っていましたので、残業があったのかなと思ってみていたのですが、席に着くと途端に、コックリしはじめました。教室は暖かいし、学校に着いてホッとしたでしょうし、慣れ親しんだ友達の声が心地よく、ウトウトとなったのでしょう。

 どうにもこうにも、耐えられないと、瞼が垂れてしまうようです。睡魔との闘いに、まあ、一応は格闘しているようでしたが、敗色濃く、舟を漕いでいることに気づいた右隣の中国人学生が、コックリ行く毎に、つついてやるのですが、それも昨日は功を奏さず、直ぐにガクンとなってしまいます。

 どんなに疲れていても、遅れても、学校へ来るので、彼が真面目で頑張り屋であることはよくわかっているのですが、こうなりますと、彼の身体の方が心配になってきます。

 日本語学校の学生というのは、いわゆる「苦学生」が大半でしょう。特に途上国から来ている学生はそうなのです。勿論、親に財力がある場合でも、日本に行ってからは自分の力で何とかやれとばかりに、放っておかれることも少なくないのです。そういう家では、「武者修行」にでも、出しているつもりなのでしょうが。

 とはいえ、大半の、いわゆる「苦学生」たる留学生達のことです。

 まだベトナム人学生は、アルバイトの選り好みをしたり(そういう段階じゃないと思うのですが)、アルバイト先に同国人がいなければ嫌だと言ったりと、自立(この場合は、自分でアルバイトを探す力と意思の有無を言っています)している人は稀なのです(その割に助け合わないのです。飲んだり、食べたりはやっているようですが)。ところが、最近のスリランカの学生達は相互に助け合っているようで、ある程度言葉が出来るようになると、先輩が後輩を引いていってくれるのです。

 これはおかしなもので、この、昨日、船を漕いでいた学生。彼が来た時に、銀行で口座を作るというので、ついていったことがあります。その時に、なぜか先輩の二人もついて来たので、「関係ないでしょ。なぜ、ついてきたの。暇だからでしょ」とからかうと、「先生に苛められかもしれないから」とか、「待っている時間、一人で寂しいだろうから」とか言うのです。実際は、言葉のわからない彼を心配してのことだったらしいのですが。

 実際、(この時は、彼はまだほとんど日本語が通じませんでしたから)彼らがいてくれて助かったのです。こういうのは、あまり以前のスリランカの学生達には見られないことでした。多分、入管の審査が厳しくなって、今いるスリランカの学生達のような、のんびり、おっとりした坊ちゃんたちしか留学生として来日できなくなったことも関係しているのかもしれません。競争心があまりないので、その点は心許ないのですが。そして、以前の玉石混淆状態だったスリランカ人学生たちと同じような状態なのが、今ではベトナム人学生たちなのです。

 このベトナム人学生達も、きっと今のスリランカ人学生達のように、後、2、3年もすれば、勉強する気持ちの、あまりない人たちは来られなくなるかもしれません。いや、日本の経済が今のようですと、そういう人たちは、中国の方に流れていくのかもしれません。ベトナム人にとっては、日本語よりも中国語の方が習得しやすいようですし。

日々是好日
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「同じ怖い蛇でも、こちらとあちらでは、大違い」。

2013-02-27 11:16:12 | 日本語の授業
 雨。小雨がぱらついています。しかし、これも直に上がるそうで、それとともに暖かくなってくるそうですから、雨が春を招きよせているような、そんな一日になりそうです。

 日本を訪れた外国人がよく言うのですが、「どうして都会の真ん中に、あんな大きな『カラス(烏)』が飛び回っているのだ」と。都会に住んでいる、あの大きな「カラス」は、江戸時代には山に住んでいたもので、東京に高層建築が建てられるようになると、山から引っ越してきて、以前、江戸時代の頃に、町に住んでいた小柄な「カラス」達を追い払ったらしいのです。

 きっと、ビルを木々に見立て、勝手に住みやすい環境を作っていったのでしょう。同じ町に住んでいる住人としては、共に暮らしていくことに躊躇いを感じるような、凶暴な相手なのですが、ただ、頭はいい。それに集団で敵と戦うことができる。この二点では本当に尊敬に値する鳥なのです。大きく、強い、「ワシ(鷲)や「タカ(鷹」」であろうと、(カラスたちが)集団で闘えば、相手は衆寡敵せずとなり、逃げざるを得なくなってしまうでしょうから。

 学校に来るいつものルートに、十数羽のカラスが屯しているところがあります。特に「生ゴミの収集日」などでは、ヒヤヒヤものなのです。頭上を低空飛行で飛んでいったり、翼が風を切る音が聞こえてくることだってあります。喧嘩している時など、三羽が団子になって落ちてくるようなことだってあるのです。

 今朝もそうでした。今日は「不燃物の回収の日(「生もの」は入っていません)」ですのに、すぐそばのマンションの最上階に陣取って、様子を窺っているのです。「あそこに三羽いるな。こっちの樹の上には二羽だ」と数えていると、感づいたのでしょう、「かぁ」と一鳴きすると、大きく翼を拡げて、降るように下りてきました。慌てて「見てない、見てない。私は見ていない(自分でも誰に向かって言い訳しているのかわからないのです)」と下を向いて、足早にやり過ごします。全く団体で来ますからね。やり方が汚い。「来るなら一対一で来い」。勿論、これは小声で、相手にわからぬように言っているのですが。

 さて、学校です。「Eクラス」で、昨日は「ヘビ(蛇)」やら、お化けやらの、名前を導入後、怖いものに関する話を読みました。その時、日本の毒蛇のことや、普通の「ヘビ」の太さ、長さなどを言いますと、皆、「へっ」というような顔をしています。見た限りでは、…馬鹿にしているなという感じ。

 南国から来ている人達にとっては、そんな、細い、短いヘビを見て、「ヘビだ、ヘビだ」と騒いでいる方がおかしいのです。私の「このくらい」に対抗しようと、躍起に「私の所では、このくらい(ヘビは太い)」と、両手で形を作っています(私は片手でした)。

 以前、スリランカやミャンマーの学生に、こういう動物たち(ワニとか、アナコンダとか、カメレオン)の話をした時、私たちの感覚と(彼らの感覚)とが、全く違うことに気がつきました。日本では動物園などでしか見られない動物たちも、彼らにとってはご近所さんなのです。どこかに行けば直ぐに見られるものなのです。だから何でもないのです。日本人が野生の草花の名を知らずとも、見たことがあるし、共に存在していることに何の違和感も抱かないのと同じように、「ああ、いる。それが何か?」なのです。

「そうか、私たちは動物園へわざわざ行かなければならなかったり、テレビの動物番組を見たりして得た、知識としての動物なのだけれども、彼らにとっては身近な動物なんだ。なんてことはない、お隣さんなんだ」

 そして身近であればあるほど、ある意味では遠い存在なのです。だれもことさら興味を持たないので、見たことはあるけれども、「知らない」のです。遠い異国に住んでいる日本人が興味を持ち、知識として知っているほどには。

 この「Eクラス」では、おしゃべりさんが多いので、いろいろな話が出てきます。同じように「蛇が怖い」であっても、「私のいうところの蛇」と「彼らのいうところの蛇」とは全く別物でした。よく聞いていなければ、私だって同じ様子の蛇だと思ってしまうところでした。

日々是好日
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「ジンチョウゲ(沈丁花)の蕾」。「タイ人学生」。

2013-02-26 08:06:54 | 日本語の授業
 「ウメ(梅)」の花のことばかり見ていたようで、「ジンチョウゲ(沈丁花)」の花には申し訳ないような気がしています。

 春は忙しいのです、あちらでもこちらでも、庭木の物だけでなく、空き地でも花やらが咲いてきますし、草や木の葉の芽などが伸びてきますから。

 と、別に言い訳をしているわけでもないのですが、「ジンチョウゲ」の蕾が膨らんできました。しかも「ウメ」の蕾とは違い、たくさんついていますからねえ、また今年もいい香りで楽しませてくれそうです。

 昨日、強行軍でスリランカへ行っていた教員二人が学校へ戻って来ました。彼らの手元には言付かった荷物やら、ビデオに撮った学生達の父兄の様子やら…が、しっかりと。

 強行軍の割には収穫があったようです。

 で、それを見せてもらったスリランカの女子学生、妹さんの話やらお母さんの話をやらを聞いているうちに、目からポロポロ…と涙が…。

 妹さんが一人ぼっちでとても寂しいと言っていた…私もとても寂しい…。それを見ていた同じくスリランカの女子学生。もらい泣きでポロポロ…。いやあ、学校に来るなり、涙、涙、涙。

 勿論、授業が始まった時にはいつも通り、しゃきっとしていましたから、女は強い。

 そして、この「Fクラス」、また仲間が増えそうです。

 実は、昨日、五六時限目が終わり、職員室に戻ってきますと、お客さんが来ているよう。話では、どうもいろいろな問題を抱えている人と言います。けれども本人はとても勉強したいので、やはり日本語学校で日本語を学びたい。それで、知り合った日本人や、日本に住んでいる親切な同国人に助けられ、この学校を訪れたという次第。

 話が終わり、早速、授業を見てもらいます。本当はサッと見てサッと帰るのかと思っていたのですが、結局最後まで見ていたようです。それに(一緒についてきた)日本人の方もタイ人の方も付き合っていたようで、お疲れ様としか言いようがないのですが、本当に勉強したかったのでしょう。

 このクラスには、一月の末に「イロハ」から始めた17歳のタイ人少年がいます。彼は系統立てて覚えるのがどうも苦手らしく、いまだに「『ひらがな』、『カタカナ』、大変!」でやり過ごしてやろうという魂胆が見え見えなのですが、彼を見ていると、大学進学などを考えていないのなら、これでもいいかなという気になってきますから、不思議です。

 単語の導入の時にも、音を耳で拾って、タイの文字に置き換え(それを本に書き込み)、それで覚えているようなのです。最初は注意したのですが、それなりに進歩(話す、聞くの分野だけです)が見られるので、今では好きにさせています。

 往々にして「漢字圏」の学生は、理屈がわからないと動きが取れないということもあるのですが、彼の場合、見ているうちに、こちらの方が「そうか、こうやって生活していくんだ」とか、「なかなか生きのびでいく術を知っているな」とか、変なところで感動を覚えさせられたりしています。

 彼はきっと、どこへ行っても、同じようにして、言葉を覚え、そして周りの人達と馴染み、その地に自然に溶け込んでいけるのでしょう。いつも自然体のように見えます。

 で、この少年。私が教室を出るなり、ベトナムやスリランカ、中国、フィリピンの学生達に「彼女はタイ人じゃない」と触れ回っていたようです。先に「タイから来た人です」と紹介していたので、他の学生達は何が何だかわからない。

 キツネ(狐)につままれような顔をして、帰りしなに、
「先生、彼女はどこの国の人ですか」と私に訊きに来ました。
「言ったでしょ。タイの人ですよ」
「でも、タイ人のG君が、『あの人はタイ人じゃありません。言葉が違います』と言いましたよ」
「こらあ、G」
「はあい、ごめんなさい」

 彼は、いつの間にか、みんなのマスコット的存在になっています。

日々是好日
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「アルバイト先で、『板挟み』になっている…」。

2013-02-25 08:15:22 | 日本語の授業
 今朝もグッと寒さが堪えます。

 今朝、職員室の室温は4度でした。来てから、部屋が暖かくなるまで、オーバーは手放せません。これも、日によって違い、8度のこともあるのですが、土日と学生達がずっと教室にいなかった日の翌朝というのは、どうも寒さが一段と堪えるようです。

 とはいえ、学生達が来るまでには、少しでも教室を暖めておかなければなりません。

 さて、「ウメ(梅)」の花は、日一日と花数を増やしています。「こんなに寒いのに、健気やなあ」という目で見てしまうのですが、彼らにとっては要らぬお世話なのでしょう。気温に関係なく日照時間に従って蕾を開かせているのかもしれませんし。

 学生の一人が、「こんな時には、どう言ったらいいのか(結局は、どうしたらいいのかということだったようですが)」と相談にやってきました。

 アルバイト先でどうも店長とうまくいかない。しかもその二人の間に中国人が入っていますから、Aを立てれば、Bが不満を持ち、Bの言うとおりにすれば、なぜ(自分の行ったことと)違うことをすると言って叱られる…。しかしながら、彼によれば、直接の上司はその中国人であると。だから、店長よりも、そちらが直接「ああせい、こうせい」と言うわけで、その人を無視するわけにいかない。つまり板挟み状態なのです。

 チェーン店のようですし、社長から、「何かあったら、直接、自分の所へ言いに来い」と言われたこともあると言います。

 実は前にも店長から辛い仕打ちを受けていたようなのです。しかし、その時に、他の日本人ベテラン社員が庇ってくれて、社長にこう言ってくれたらしいのです。「彼は真面目に仕事をしている。問題はない」と。そういうわけで、店長の意図とは反対に、その時には給料を上げてもらったと言います。もしかしたら、そういうことも関係しているのかもしれません。その話を以前聞いた時には「恵まれていますね、いい先輩や社長に恵まれて」で終わっていたのですが。

 今度は、その店長と彼の間に、上司として中国人が入ってきています。どちらがやっても悪いのは彼ということになってしまい(多分、言い訳しないから、都合のいい奴と見られているのかもしれません。二人の鬱憤のはけ口として)、しかもAのいうことを聞けば、Bが「自分はそんなことを指図していない」と言い、Bの言うとおりに物をしまえば「どうしてこんな所に置く。いったい誰が置けと言ったんだ」と言われる。その上、職場では三人だけですから、彼の状態を知っている人も、庇ってくれる人もいません。

 というわけで、例の彼を庇ってくれた人に相談するようとに言いました。彼が心配しているのは、社長に「直接言いに来るように」と言われたのに、他の人に相談していいのかということ。それに、「社長は店長をあまり気に入っていないようだった。今度、問題を起こしたら、…」と言われているのを聞いたことがある。自分のせいで彼がやめさせられるのは嫌だということ。間の中国人はあと1週間ぐらいで他の仕事へ行く。だから我慢しておいた方がいいのではないかということ。

 その、彼の、今の状況を、アルバイト先の人達が、誰も知っていないのが問題であるということを言いました。彼はまだ日本にいるつもりです。インドで大学を出ていますから、そのアルバイト先とも、ずっと関係が続くかもしれません。彼が耐えているということを知っておいてもらった方がいいのです。信頼できる人がいるのなら、尚更、その人に今の状況を知ってもらっておいた方がいいのです。それから先のことは、会社によって対処の仕方が違いますから、その、内部にいる人に任せておいた方がいいのです。

 人はそれぞれ、自分の程に応じた考え方、身の処し方しかできません。

 育てようと厳しくされたこと(出来ませんから、勢い、厳しくされるのです。育てるつもりが無いのなら、無視されています)を恨んだり。能力がそれほどないと見られているにもかかわらず、自分だけは何でも出来ると思い込んで、今の状況に不満を持ってしまうというのも一つ。

 ただ彼の場合は、(学校での)学習状況を見ても、学生達や他の人達などとの接し方などを見ても、裏表のない人であるのはわかりますし、自分のことだけでなく、他の人のことを考えてやっているのもわかります。それ故に、同じ会社の信用できる人に相談した方がいいと言ったのですが。

 異国の人が、他国で仕事をする場合(アルバイトであっても、正社員であっても)、その国の人との間に問題を抱え込むこともあるでしょうし、また、共に弱い立場であるということから、外国人同士が軋轢を生じることもあるのです。ミスをした時に(その人に)庇ってもらえないのです。

 その時は、立場が比較的安定しており、日本の事情がわかっている、だれか(日本人)ベテランに相談した方がいいのです。その人が社長に言った方がいいと言うかどうかはともかくとして、話を聞いてもらっていた方がいいのです。

 それは「告げ口」などとは違います。会社内がギクシャクしていれば、客商売では特にそうなのですが、直ぐに表に出てしまいます。お客さんが寄りつかなくなってしまうのです。居心地が悪くなりますから。会社にとっても損、社員にとっても面白くない。二者は三者は同じなのです。

 どのようなことであれ、社長は会社に対しても、社員に対しても、勿論、お客さんに対しても、責任を負っているわけですから、知っておいた方がいいのです。それからは社長の腹一つです。アルバイト生の彼が、どうのこうの考える必要はないのです。

日々是好日
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「『作文』書き。自由に、あるがままに、こだわり無く…、今の自分の、身の丈を超えて」。

2013-02-22 09:01:17 | 日本語の授業
 学校の「ウメ(梅)」の蕾が開きました。綻び始めたなと思った次の日には、一輪が既に笑みかけ、そして、その翌日の今日、もう二輪が…。

 今週は寒かった…。日本海側では昨日5㍍を超える積雪が見られ、ここ、太平洋岸でも、雪こそ降らね、乾いた空気のままで…寒かった…。それでも、「ウメ」の花は咲くのですね。

 さて、学校です。

 お日様は燦々と輝いていますが、教室の中は氷室のようです。で、暖房のスイッチを入れておきます。

 ところで、「作文」のことです。日本人の小中学生でもそうでしょうが、まず、作文の指導には最初に、「相手の心を開かせるため」の処置をしておかなければなりません。もし、そのためであるならば、改行せねばならぬとか、漢字で書かなければならないとか、文法がどうだこうだとかいうのは、無視したっていいのです。私は、そう考えます。

 「文」を書き綴るというのは、心を開いていくための作業の一つでしかないのです。それが、教員に能力があるならば、「絵」でもいいし、「音楽」でもいい。ただ、ここは日本語学校で、大学へ進学したいという希望を持つ学生が多くいることから、「文字」になっているのです(勿論、『留学生試験』では、「作文」を書かなければなりません)。

 最初は「一文」だけでもいいのです。「私は嫌だった」でもいいし、「私は好きだった」でもいい。それから物語は始まっていくのですから。

 ところが、往々にして、「作文」を担当する者は、量をこなせばいいとか、偉そうなことが書ければいいとか、教員自身の身の丈を、越させることができないのです。それ故、見てくれだけになってしまうのですが。

 彼ら自身の気持ち、考えがある程度書け、しかも文を書く前と比べれば、考えが立ち勝っている(少々)…多分、それが、わずか半年くらいの指導ではせいぜいでしょう。しかしながら、一応、その習慣をつけておくと、つまり、ある程度の思考の自由さを身に付けておくと、大学に入った時に、かなり迷い無く書くことが出来るようになるのです。

 どの国でも、それぞれ「定型」があります。これは「文の構成であるところの『型』」というよりも、「思考」の部分での「型」のことなのですが、堅苦しいのです(これは自由主義社会で育てられた学生のことではありません。社会主義を標榜している国からであったり、内戦が今も続いているような国から来ている人達に多く見られることなのですが、まず、同じことしか書けないのです。「他のことを考えたことがあるでしょう」と言っても、戸惑ってしまうのです。きっといつも同じことを書いていれば、褒められ、違うことを書けば非難されるというのを繰り返してきたからなのでしょう)。

 それを少しずつ溶かしていって、ここでは、思った通りのことを言ってもいい(勿論、人を傷つけたりすることはだめです)、あるいは、「なんだ、そういう考え方もあるのか」と気づかせ、そこからだんだん自分たちの好きな分野での考えを深めていけばいいのです。どの分野にも一家言あるようなことを、日本語学校で、作文が書けるようになってからの半年ほどに求めてはなりません。

 私が言っているのは、文法的な間違いがないとか、漢字を多用できるとか、そういう意味での、いい文章というのではありませんし、最終的に、型どおりの文章が書けるようになったとかそういうための指導でもありません。

 心の扉を一つずつ開けていくための作業であるところの、作文書きなのです。こういう日本語学校に来ているような学生達には、それが必要であるような気がするのです。

 というわけで、二回目の作文のタイトルを「私の友人」にしました(これは何でもいいのです、書きやすければ)。このクラスでは、来日後一年近くを過ごしてきた学生達が多いからでしょうか、皆の文章が、まるで和歌の世界で嘆くといった様相だったのです。過去を懐かしみ、もどりたいという『伊勢物語』の主人公に、いつの間にか、皆、なっていたのです。

「いとどしく 過ぎ行くかたの こひしきに 羨ましくも かへる波かな」   (『伊勢物語』)

 来日が決まった時には、小躍りしていた学生達も、来日後は、現実という重荷が、肩にずっしりとかかっています。大半の学生達は、学費も生活費もそれほどの援助を親に頼むこともできません。彼ら自身の力で切り開いていかなければならないのです。中には借金をして来ている学生もいます。その返済も、彼らがしていかなければならない場合もあるのです。

 そうなると、ますます、故郷が恋しくなり、故郷にかかわる人、一人一人が懐かしきものとなっていきます。

「ある時は ありのすさびに 語らはで 恋しきものと 別れてぞ 知る」   (『古今和歌集』)

 とはいえ、今のところは、
「いかにせむ いかにかすべき世の中を そむけば悲し 住めば恨めし」  (和泉式部)
という状態であるようなのですが。

日々是好日
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「日本語学校には、いろいろな人が集まってきます」。

2013-02-21 08:49:08 | 日本語の授業
 晴れ。青空がどこまでも広がっています。今日は、富士山が見えているかもしれません。

 昨日のことです。「Fクラス(一月生のクラス)」では、一昨日「て形」の導入が終わっていましたから、当然、次に入ります。ところが、一昨日、四名の学生が欠席していました。(この大切な時にと、ムカッとしましたが、こういう人たちには「今」の大切さをいくら言ってもわからないのです。「て形」がわからぬまま、教室に座っていることの虚しさも通じないのです)

 それで、動詞の「て形」を皆で一斉に言っている時に、目が中を泳いでしまうのです(もともと、単語もそれほど覚えていないし、『ひらがな』『カタカナ』も、五十音図で終わっているくらいですから)。ただ、そのうちの一名は、母国で『初級Ⅰ』は終えてきていたと言っていました。そうは言いましても、頭ではわかっていても、一昨日何度も練習していた皆のテンポについては行けません。

 また、もう一名は、先に自分でも見ていたようでしたし、頭のいいようでしたから、考え考えでも、渡したプリントを見ながら口を動かしていけていました。

 ところが、問題は後の二人です。いわゆる、毎日学校に来て、授業でやってもらわない限り、自分では何にも出来ないという学生です。もうボウッとなって何にも参加できません。とはいえ、他の学生達も余裕がそれほどあるというわけではありません。とにかく毎日練習していかなければ、「て形」の定着は覚束ないことなのです。それで、他の練習中でも「はい、また間違えたね」と、一人が間違える毎に「四課から十四課」までの動詞のカードを使って、「て形」を言わせられていくわけで、昨日は、私の一コマだけでも五回は言わせたでしょうか、全部を(おかしなことで、やらせながら、却って私の方が「偉いな、飽きないんだ」と感動を覚えてしまっていましたが)。

 とはいえ、(この授業に)追いつけなければ、下のクラスが出来た時にもう一度やればいいのです。私としては、今現在、目的意識をしっかりと持って、真面目に勉強している学生達が、授業がつまらなくなって(つまり、常に休んだ学生の方ばかりに目が行き、同じことをまた勉強しているという気持ちになって)来なくなることの方が問題なのです、今の時期は。真面目に勉強していた人が病気とか、何かよんどころない用事とかで休み、そのフォローをする場合は、彼らは何も言いません。当然という目で見ています。

 しかしながら、こういう学生は自分でできるはずのこともしてきませんし、単語も覚えてきませんから、結局他の人が一時間で出来ることに2日も3日もかかってしまうのです。それに付き合わされてもいいとは、いくら大らかな気持ちの人達であっても思わないでしょう。彼らの大半はアルバイトをしながら、大学へ入るための努力をしている「苦学生」なのですから。

 それ故、学校に来ずに、来ても、勉強をせずに、追いつけない学生はそれなりに置いておくしかありません。ただ、ボウッとしていても、来ないよりは来た方がいいのです。聞くだけでもいいのです、こういう人たちにとっては(意味は追々と判っていくでしょうし、耳も日本語に慣れるのですから)。

 だいたい、こういう人たちは日本語を積極的に学ぼうという気がないのです。学びたい、勉強したいという気のある人の方を中心にすえてやっていかなければ、「『一月生』は今年の7月に『N4』」という流れが崩れてしまいます。それに、実際に、合格できそうな学生がいるのですから。真面目に勉強している人を落とすことの方が罪作りです。

 ついてこれない人達は、ディクテーションの時も、どうにも膝の上に本を隠して、それを見て書いているようです。書けないとボウッとしているよりも、(とにかく「ひらがな」や「カタカナ」を見てもいいから)手を動かして書いた方がいいので、注意はせずにおきます。彼らはきっと母国でも学校の授業の時にはこうだったのでしょう。しかしながら、授業中、暇な人というのは強い。何でもないことを耳ざとく聞きつけて、「欲しいの?恋人が欲しいの」とか言って、全く関係のないことに口を挟むのです(何か言いたいし、皆の中に入りたいと気はあるのです。ただそれが勉強には結びつきません。皆の注意を引きたいという気持ちだけなのです。努力をする気持ちはさらさら無いようです)。

 授業中、「していい冗談、それから学生が言ってもいい発言」というのは、教師が決めます(相手はとにかく大人なのです。だから、時々、どきっとするようなことを言ったりしたりすることもあります。そういう時には、非情さが必要になる時もあります)。

 その発言を、授業に取り入れるか、切って捨てるかは、教室の船長である、教師が決めなければならないのです。下手に入れてしまうと、授業が成立しなくなる可能性だってあります。それで大喜びして、楽しかったというのは、勉強はしたくないけれども、皆の中に入りたいという学生だけです。「入りたいなら勉強しろ」という原則を、理解できない学生達だけなのです(日本語学校で勉強している学生達は、短くて一年三ヶ月、長くても二年しか日本にいられません。その間しか、勉強できないのです。そして、普通は一年か一年半くらいで進路を決めなければなりません。そうしなければ、ビザが下りないので、日本で勉強していけないのです)。

 そして、勉強したいという学生達は、「無駄な授業だったな。来ても意味がなかったな」と思ってしまうのです。こういう時(例えば、「て形」の導入と練習のような大切案時)に、勉強しないでごまかそうとしている学生に同情して、同調してみせると直ぐに授業のリズムが壊れてしまいます。つけいらせてはならないのです。

 適当につけいらせて、それでも直ぐに授業のリズムに戻せる、手元に引き寄せることができるという教師のレベルに到るには、かなりの時間がかかるものです。だいたい、日本語学校というのは、常に「どこの国から、どういう年齢の人が、どういう経歴を持っている人が来ている」のかが、わからない状態で始まります。Aという国の人には通じたやり方がBという国には通じないということも多いのです。それに「高卒」か「大卒」か、「社会人を経験したものか否か」でも、全く授業のやり方を変えなければならないこともあるのです(勿論、教える内容は同じです。しかし、他が違ってくるのです。集中力を長引かせるためにはどうしたらいいのかとか、気分転換を図らせるためにはどうしたらいいのかとか、そういったファジーの部分でです)。

 勿論、そういう学生でも、一つの言葉でもいい、授業に参加すれば、褒めます。これは当たり前のことです。学生が嫌いで、厳しくしているわけではないのですから。そうではなく、脇道にそらせよう、自分たちがチャチャを入れて、授業とは別の話で盛り上げよう、つまり授業の流れを阻害しようという態度には、それは悪しきことであるときっちりとけじめを入れているだけです。

 特に、新入生を受け入れて一ヶ月か二ヶ月以内にやっておかねばならないことが、「ここは日本であり、授業をしているのは私である」という決然とした態度なのです(まあ、こう言いましても、90%以上の学生には、こういう態度は必要ではありません。親切に普通通りの授業をしていればいいのですが、残りの5%か10%の学生だけが問題なのです)。

 これがきっちりと出来ていないと、授業中に勝手に出ていく、携帯で遊ぶ、私語を重ねるとなるのです。こういう人達は、ここでは、何が良くて、何がいけないのか、何をどうしてはいけないのかがわからないのです。

 高校を出て直ぐの人達は、指摘されたり非難されたりすれば、引っ込みます。この先生の時には、これを言ったらひどい目に遭うということがわかりますから。しかしある程度年がいっていたり、しかもきちんとした会社で働いたことがなく来日した人は、これがなかなかわかりません。誰もついてこないし、だれか彼に追随して騒ごうとしたら、途端に厳しい叱責か、授業の妨害をするなと激しい目で睨まれますから、まず、しませんね、そんな馬鹿なことは。

一応、何と言いましても、この学校に勉強するといって来ているわけですから、それは貫徹してもらいます、どのような人であっても。

日々是好日
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「アルバイトが見つからない…」。

2013-02-20 13:06:36 | 日本語の授業
 曇り。昨日よりも少し…暖か…かな。

 「Fクラス」では、決まって休む学生が目立つようになりました。普段ですと、来日後二ヶ月くらいから、お金をあまり持って来ていない学生は、焦り始めるものなのですが、この今度の学生達は少々早すぎるようです。もっとも、ベトナム人学生だけですが。

 何度も口を酸っぱくして言ってきているのですが(現地でも。勿論、通訳してもらっています)、「日本へ行けば何とかなる」と、見切り発車で国を出ている人が、また国から出している親御さんが、多すぎるのです。何とかなると考えてもいいのは、それなりの努力を国でしてきていた人だけで、母国にいる時もボウッとしていて、何の努力(日本語を学ぶという)も、してきていない人には、そう思うこと自体が、私たちから見れば不思議でたまらぬことなのですが。

 勿論、経済的にある程度余裕があって、日本でアルバイトをせず、勉学に励むだけでいいというのなら、また話は別です。こちらも、それほど気を遣わなくてもすみますから。そういう人は教えることだけに気を配っていれば事足りるのです。そうでなければ、アルバイト探しのために授業は休むは、行ってもまた、断られるはで、勉強もお留守になり、それ故に面接に行くたびに日本語力が問題で断られるという悪循環の中で足掻いていかねばならなくなってしまいます。

 実際、そうなってしまうと、身動きが取れなくなってしまいます。「ひらがな」「カタカナ」が書ける(とはいえ、単語のディクテーションまではできません。五十音図が書ける程度です)だけで、来日し、一ヶ月もせぬうちから、授業を休むようでは、在籍しているクラスの授業には、すぐについて行けなくなるのはあたりまえのことです。遅刻しても、復習に参加できなくて、置いて行かれるほどですのに。

 この学校では、必ず、授業の時に、前時の復習を入れるようにしています。アルバイトで、家で復習が十分にできない学生もいますし、(高校を出るまでに)家庭学習の習慣がついていない学生もいるのです。時には、授業の多くを、その復習のために割かなければならないことだってあるくらいなのですから。

 「勉強は学校で終わらせる。その代わりに必ず来い」で、勉強したいけれども、十分な時間がとれないという学生に配慮して…と、まあ、それが全部の理由ではないのですが。

 家でも教科書を開かない、学校の授業にも参加しないでは、実際問題として何のために来日しているのかわかりません。だいたいが、二兎(勉強とアルバイト)を追っていないので、どちらもだめになってもそれほどはがっかりしないようなのですが、面接がだめだったということだけには強い反応を示すのです。本来は日本語の方で反応して欲しいのですけれども(なぜか、日本語がそれほど出来なくても。まあ、それなりに頑張らないから当然でしょうけれども)。

 ただ、いかにも自分は不幸という顔でやって来られても、こちらとしては、はっきり言って同情の余地は無しと思っていますから、「日本語が出来ないんだから、しょうがないでしょう。まず日本語の勉強をしてから面接に行くことを考えるべきでしょう」としか言いようがないのです。が、そう言っても、馬耳東風、馬の耳に念仏。聞く気が無いのか、耳に入っても右から左へ、通りすぎてしまうだけなのか…は、わかりませんが、なんの変化も見られません。

 だいたい、「『ひらがな』を書くのがやっと」というくらいで、面接に行っても(だいたい日本語も話せず、相手の言っている言葉もわからぬようでは)、どうにもならないはずなのですが、それも、わからないというのが不思議。説明してもわからない(本当にわからないのか、あるいはそれを理解しようという気が無いのか、つまり、行けば何とかなるという思い込みが強すぎてなのかはわかりませんが)、全く反応を示さないというのも不思議。とにかく、どうにかなるはずで、ならないのは、相手がおかしい、自分は不幸だと思ってしまうようです。

 こういう学生が、同じクラスに二人か三人、出てしまうと、後が大変です。年によっては、同国人(同じ国から来ている場合、考え方が似ている場合が多いのです)や似た素質の学生が多く入っている場合があるのです。ただ、今年の「Fクラス」の場合、今のところは、他の人達は彼らは自分とは無関係と思っているようですけれども。そういう考えの人達に引きずられないようにしていくことも、クラス作りでは大切なことでしょう。

日々是好日
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「日本語ができないのに、来日して直ぐにアルバイトが見つかると考えている、おかしな学生達」。

2013-02-19 08:26:24 | 日本語の授業
 曇り。
 
 白っぽい灰色の空のあちこちに、サッと墨で一刷けしたような黒い線が入っています。その線がじんわりと滲んでいったかと思うと、いつの間にか黒雲となり…今日も一降りあるかもしれません。

 昨日、「やっと春が近づいてきたかのように感じられたのに」と、情けなさそうに空を仰いでいると、思いは学生達も同じらしく、「いつ暖かくなるのか」と聞かれてしまいました。男子学生には、「まだまだ先」と意地悪く答え、女子学生には「あと少し」と励ましながら答えていますと、脇を通りすぎた学生に、「またァ、二重人格」とばかりに冷たい目で睨まれてしまいました。へへへへへっ、人生なんて、こんなモンですゾ。

 さて、一月開講の「Eクラス」では、「お休み組」が出はじめています。来た時に聞くと、この日本の春先の不安定なお天気に振り回され、どうにもこうにも体調を崩して、辛いそうなのです。そして、その学生が昨日もお休みです。それで、同じ寮の学生に聞いてみると、「わかりません」という答え。電話をかけようにも、まだ持っていないので、それもできません。今日、来なかったら、様子を見に行かずばなりますまい。

 このクラスが、四月から午前になるというので、現在、同じ午後クラスである「Eクラス」から、(このクラスの方に)移りたいというベトナム人学生が何人か出てきました。午後のクラスよりも午前のクラスの方が、アルバイトが探しやすいということなのでしょう。

 この「午前のクラス」、「午後のクラス」というのも、なかなかやるせないことで、ある意味では、この年は(この年入学の学生は)「午後のクラス」になり、次年度は「午前のクラス」になるという、半ば、運めいたところもあるのです。もとより、各自の来日時の日本語のレベルも関係はするのですが。

 とはいえ、ある程度、日本語が聞き取れ、話せるようになっていれば、(レストランや焼き肉店などで働くことが出来るので)、却って、「午後のクラス」のほうがいいのでしょう、そういうところは夜が遅いので。

 ところが、聞き取りも悪く、話すのも、なかなかうまくなれないという学生は、そうはいきません。(その前の段階ですから)どうしても、工場などの、比較的、日本語力を必要としないような場所が、主なアルバイト先ということになってしまいます。そうなりますと、やはり「午前のクラス」の方が、アルバイトは探しやすいようです。

 「日本で勉強したい。日本で大学に入りたい」という気持ちが、かなり強くあったとしても、「先立つものはなんとやら」ですから、生活が安定していないと、落ち着いて勉強もできません。それはかなり口を酸っぱくして彼らの地では言っているのですが、彼らの両親にしても、日本へやるのが精いっぱい、後は自分で頑張れというのがせいぜいのところのようです。これも各国の経済力が関係してくるので、日本人の頭で考えてどうせいとは、なかなか言えるところではありません。

 結局は、比較的生活が安定している母国で、どれだけ基礎的な日本語をものしているか(最初の3ヶ月をきっちりと毎日学校に来て勉強できるだけのお金を持ってきていれば)で、それから先の、来日後の「どんなアルバイトを、いつ探せるか」ということは、決まってしまうのです。

 「ひらがな」も書けない、「カタカナ」も知らないというレベルで来日して、直ぐにアルバイトが見つかると考えている方が、おかしいと私たちは思うのですが、どうして彼らにはそれがわからないのでしょう。

日々是好日
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「寒い日の教室」。

2013-02-18 08:25:22 | 日本語の授業
 真冬並みの寒さだというのに、学校の「ウメ(梅)」は、蕾を日一日と膨らませています。こういう「ウメ」の姿は、お日様の下、青空の下で見たいもの。とはいえ、今日は昼から、雨になるといいます。

 一昨日から、ジッと天気予報を見つめていたのですが、今日、午後からの雨は揺るぎのないものであるらしく、今朝はため息交じりに起き出しました。何となれば、自転車で出かけることが、不可能になってしまいますから。

 然るに、しかるにです。朝はお日様が強い陽射しを放っていました。慌ててテレビをつけますと、やはり天気予報のお姉さんが言っていることは昨日とおんなじ、「昼頃から雨になるでしょう」。…でも、お日様は出ている…。

 と、思いながら家を出たのですが、空を見ると、かっきりと黒雲に覆われている部分と、青空の部分と二つに分かれています。これでは仕方がないかなと諦めながらも、自転車には乗ってきました。

 なるほど、予報通り、朝も八時近くなりますと、黒雲が力をつけてき、青空はドンドン覆われていきます。午前のクラスの学生達が来る頃には、まだ雨が降っていなくとも、帰りには雨になっていることでしょう。ほとんどの学生達が自転車通学ですから(学校の裏の寮に住んでいる学生達は、勿論、学校に自転車でくる必要はありませんから、徒歩です)、降り出しそうになると、お外とにらめっこということになってしまいます。

 陽の光がないと、寒さがグッと身に沁みてきます。お日様の光さえあれば、午後のクラス(三階)は、教室が暖かく、楽勝という感じなのですが、陽光がないと、エアコンを強くせざるを得ず、暖房嫌いの学生と寒さに弱い学生達との、せめぎ合いということになってしまいます。

 だいたいは、男子学生が女子学生に譲って、それで終わりということになるのですが、相手が男子だと、双方共に、なかなか手を緩めませんから、ちょっと厄介になってしまいます。

 ただ、そんな時でも、教師が一言、「私は寒い」と言えば、直ぐに学生達は譲ってくれます。それでも譲らないような学生には、この学校では今まで出会ったことはありません。

 さて、七時半頃に暖房をつけた教室は、そろそろ暖かくなっているかしらん。今日のような日にはなかなか暖まりませんから、せっかくやって来た学生達が寒さに震えると言うことになってしまっては可哀想です。ジッと座ったままですから、少しでも寒いと身体に堪えます。また、暖かすぎると、アルバイトで疲れていますから、眠くなってしまいます。

 冬は、寒さの冬は、この温度調節が、教師にとっても、厄介な作業の一つなのです。

日々是好日
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「外国で生活するということ」。

2013-02-15 08:33:08 | 日本語の授業
 重く雲が垂れ込めています。多分、もうすぐ雨になるでしょう。一日中、気温の変化はなさそうという予報が出ていました。

 さて、学生達のことです。アルバイトのことです。日本語が話せなかったり、聞き取れなかったりすれば、まず、アルバイトは探せない。これは、彼らとても、わかっていることです。が、問題なのは、いわゆる、日本人が聞いて、「うん、これくらいならどうにかなる」という線まではいけないけれども、(日本語が)わからないわけではないという層の、アルバイト探しのことです。

 中国人は、この付近にも、あるいは、そういう会社にも少なからずいるでしょうから、互いに便宜を図り合うということで、(中国人留学生は、ある程度の日本語さえできれば)それほどの不便は感じずに、アルバイトを探すことができるようですが、それ以外の国から来た人達は、そう簡単にはいきません。

 一応、アルバイトはある…といっても、週一であったり週二であったり、あるいは電話があった時だけ行くという条件であったりと、そんなこんなで、なかなか落ち着いた生活をすることができないようなのです。

 最近は、簡単に(来日の)許可が下りているように見えるベトナム人留学生も、来日してはじめて、「あれ、予想(あるいは期待)と違った…」ということに気づくようで、本人が勉学を目的に来日していない場合、日本語学校としては本当に困るのです。

「(どんな目的で来日しようとも)この学校にいる間に、勉学の方に少しずつ心を向けさせていく」ようにしようと努力していても、経済的な基盤が出来ていなければ、なかなかそれも達せられません。

 そういうベトナム人学生を観察しながら思うのですが、以前、スリランカの学生達もそうでした。来てみて初めて「あれれ」という人もいなかったわけではなく(かなりいました)…と言いましても、悪いことをするというわけではないのです。やはり、今のベトナム人学生と同じように「勉強するために来たの?」と疑問詞をつけたくなる人達が半分以上を占めていた…だけなのです(が、これが学校としてはかなり重いのです。心が勉学の方にさえ、向いていれば、私たちとしてもやりようがあるのです。それがないとなると…)。

 こういう人達は、えてして、簡単に日本の生活に溺れてしまいます。日本人の間には暗黙のルールがあって、それを人々が守っているからこそ、安全で清潔な町であり、人々がそれぞれの生業ができるのだということが、当然のことながら、見えません。

 ただ、ただ、その「楽さ、安全さ、心地よさ」だけを享受しようとするのです。そのための努力を日本人が、子供の時から教育され、培ってきたのだということがわかりませんから、それは、野放図なものです。

 そうは言いましても、それが少しずつ感じ取れる(これは不思議なもので、これは感受性の有無、多寡と関係があるようです。勿論、日本語力も必要ですが。知識があるとか、智慧があるとかいうものとはあまり関係がないように思われます)学生が増えてきました。

 実は、今年の旧正月のこと。ベトナム人学生達がどうも夜間にパーティを開いていたようで、そのアパートの大家さんから教員に「静かにしてくれと隣の人がクレームをつけた」と電話があり、教員は夜中に二度三度と呼び出されて彼らのところに行ったとのこと。ただ、その時のパーティというのが、二年ほど前のベトナム人学生達のパーティとは全く違っていて、外からはほとんど声が聞こえないほどの静かさであったらしいのです。

 日本のアパートは隣との、仕切りの壁が薄いので、外からは声が聞こえなくとも隣からはビンビン響いてくるところがあります。お隣の人達に、いくら「小さな声で話すからいいでしょう。お正月だし」とお願いしても、早朝から仕事のある人には、それは通じません。それ故に、こういうおおごとになってしまったのでしょうが、彼らを翌日呼び出して、詫び状を書かせるにしても、ちょっと可哀想かなという気持ちになりました。

 とはいえ、「夜中にパーティをしてはいけません。それに隣の人は病気でしたから」くらいの注意は与えましたし、後ほど教員がお詫びを兼ねて菓子折を持って行かねばならなかったということも伝えました。学生達は、「困ったな。どうしてこんなに大変なことになったのだろう」という顔になり、一人など「私たちも、お菓子を買って持っていきますか」などと真顔で聞いてくるほどでした。

 二年ほど前のベトナム人達のパーティは、全く、誰がみても彼らが大騒ぎをしているとしか言いようがないものでしたし、それは一度や二度のことではありませんでした。しかも、私たちがきつく注意しても、やめようとしないどころか、「私たちだって、時には、息抜きをして楽しみたい」と反対にくってかかってきたり、「誰が言った」と困っている方の人に喧嘩を売ろうとする学生さえいました。今回の学生達とは全く違います。これもレベルの問題なのでしょう。このレベルというのは、本人の、相手の気持ちがわかるという資質、そして彼らの母国での家庭教育によって培われているはずのもののことです。

 一昨日、昨日と彼らに「詫び状」を書かせ、それもお隣の方に見せに行ったのですが、言葉はまだ大半の学生達が「初級Ⅰ」か「Ⅱ」レベルでありながら、私たちの言う意味は感じ取れていたようでした。

 多分、これが感じ取れるかどうかというのが、外国で暮らしていけるかどうかの鍵となるのでしょう。外国では、自分たちの国では考えられなかったようなことが問題になることがあります。その時に、「ああ、この人は嫌がっているんだ。じゃあ、まず意味は判らないけれども、謝らなければいけない」とか、「何か悪いことをしたのかな。そしたら、やめておかなければならない」と感じ、そう行動するということです。

 外国暮らしでは、わからないことが山ほど出てきます。そこに自分たちの国の習慣、自分の気持ちを持ってきても何にもなりません。「郷に入れば郷に従え」というのは、本当のことです。

日々是好日
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「ジンチョウゲの蕾」。「スズメたちが遊びに来ました」。

2013-02-14 08:41:44 | 日本語の授業
 昨日、「ヤナギ(柳)」が芽吹いていたことを書いたと思ったら、今度は「ジンチョウゲ(沈丁花)」の蕾です。少し膨らんできました。

 というふうに、「ジンチョウゲ」を見ていますと、いつの間にか、「スズメ(雀)」が降りてきて、その周りでチュンチュンと遊び始めました。「ジンチョウゲ」は一階の教室の、道に降りていける大きなガラス戸のところに置かれており、そこは三段ほどの階段になっていて、道に通じているのです。その階段のところで、スズメが遊んでいるなと見ていると、一羽、二羽といつの間にか数が増えてきて、階段やら、置かれている自転車の上やら、直ぐ下の道やらが、ドンドン賑やかになっていきます。そのうちに「ヒヨドリ(鵯)」まで、つがいでやって来ました。

 どうも入口に置いてある「ツバキ(椿)」の蜜を吸いに来て、そのまま足休めをしたという恰好です。

 よく「スズメが集まっていると、そこは安全だと思って他の鳥たちもやって来る」と言われるのですが、そのままそれを絵に描いたよう。いつもは攻撃的な「ヒヨドリ」も、昨日はおとなしく自転車のサドルに止まって、こちらを見ています(見ているように見えただけなのでしょうけれども)。

 直ぐに学生達にこのことを言いますと、チラリと見やりはしたものの、私ほどの感動はないようです。「モンゴルの鳥はもっと大きいです」とは、モンゴル国から来た学生。ベトナムから来た学生は「どこにでもいます」。「あんなもの、珍しくも何ともない。あんなものがいいのか」という目でこちらを見ています。

 それはそうでしょう。が、日本に住んでいると、こういう小鳥たちに心が癒されるのです。忙しない国で生きている多くの日本人は、「無心」を生き物に感じ、心が一息つけるのでしょう。これは小鳥たちだけではありません。身近なところに住んでいる猫や犬などにも、それを感じます。

 人というものは、知らぬ間に、心と心で鬩ぎ合いをしていることがあります。これは仲違いというわけではなく、「相手は、今、どう感じているのだろうか」とか、「こんなことを言っても大丈夫なのだろうか」といった、いわば他愛のないことが大半なのですが。

 人以外の生き物にも、多分、それはあるのでしょう、お互いには。ただ、人にとっては、彼らとの心の交流で、それがスッと交じりけなしの感情で伝わることが多く、人と人のように忖度しすぎて、疲れ果てるというようなことが、あまりないのです。

 ただただ、素直にそれを感じ、受け取っていればいいような、そういう甘えが許されているような気がするのです。勝手な思い込みかもしれないのですけれども。

 普段なら、憎っき、ギャングの「ヒヨドリ」と色眼鏡で見てしまう、そんな鳥でも、小さな「スズメ」たちと平和共存している姿をみれば、それなりに愛しきものに思われてくるから不思議です。

日々是好日
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「一雨毎の春」。

2013-02-13 09:03:44 | 日本語の授業
 晴れ。早朝まで降り続いていた雨は止み、もう陽が射し始めています。

 最近、よく雨が降るようになりました。いくら寒さが厳しくても、春が近いということでしょう。一雨毎に春の足音が高くなってくるような気がします。この辺りの「ウメ(梅)」の蕾も膨らんできたことですし。

 九州に戻っていた頃は、(九州では)「ロウバイ(蠟梅)」が終わりを迎え、土手には、一面に「ナノハナ(菜の花)」が咲き乱れ、家々の庭は「コウバイ(紅梅)」やら、「ハクバイ(白梅)」やらで美しく飾られてい、もう春真っ盛りといった感じだったのですが、戻ってみると、ここ行徳では、まだまだ…。

 関東の中では暖かい地方に属するとはいえ、まだそれほどの、春の華やかさは訪れていなかったのです。やっと冬の終わり、春の初めを伝える「ツバキ(椿)」が、終わりかけているかなというくらい。

 まあ、そうはいいましても、ツバキの花に時折訪れる「メジロ(目白)」や「ヒヨドリ(ヒヨドリ)の姿は、春を感じさせらるものですし、日の光もかなり強くなってきたような気がします。

 と、こういうふうに、季節のおとないを感じとろうと耳を欹て、目を凝らしているのは、この地に慣れ親しんだ人間だけ…。まあ、それも仕方のないことですけれども。

 世界では一年中同じような気候の中で暮らしているという人達も少なくないのです。またほんの一瞬の花の季節に喜びを見出しながら暮らしている人もいることでしょう。もし、これが日本人であったら、勝手に無常観に浸っていたりするのでしょうが、そういう感傷とは無縁の世界で生きている人達の方が、もしかしたら多いのかもしれません。人の生理と自然の移ろいとは無関係なのです、そこでは。

 四季がある程度はっきりとしており、またそれが人間の暮らしとかなり大きな部分で関係を持っているという気候区に住んでいる人間達だけが、花が散っただの、紅葉の色が薄いだのといって、不幸になったり、幸せになったりしているのかもしれません、あるいは。

 さて、そうはいいましても、目の前にいる学生達のことです。

 もう数ヶ月になるでしょう。ずっと立ち直れないでいる学生がいます。帰りたいといいながらも帰れない。日本にいたくないと言いながらも、いるしか術がないことはわかっている。考えれば考えるほど堂々巡りに陥り、それを自分でもわかっている。けれども、這い出ることが出来ない。

 結局は、まだ、どん底にまで落ちていないからなのでしょう。落ちてしまえば、道は四方八方に広がり、融通無碍であることがわかるのでしょうが、それまでは、どういう忠告も、耳には届かないようです。私たちに出来ることは、彼のことを気にかけている人間がここにもいるということを、何かの折りにでも伝えることくらいなのですが、それでもまだまだ暗いトンネルの中にいるようです。

 暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月   和泉式部

日々是好日
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「柳が芽吹き始めました」。

2013-02-12 08:04:12 | 日本語の授業
 今朝は、かなり寒さを感じます。けれども、風はありません。今は晴れているけれども、夜には雨になるとか。もしかしたら霙が降るかもしれません。

 ここ数日、暖かかった故か、「ヤナギ(柳)」も芽吹き始めています。長く細い枝に着いた緑の蕾が風に揺れて、薄緑の霞がかかっているようにも見えます。学校の椿も既に満開になり、小鳥たちが蜜を吸いに、よく集まってきていますが、いずれ梅の便り、菜の花の便りが届くことでしょう。

 人の心の動きとは無関係に自然の草花、樹々は、春の装いの速度を速めているかに見えています。また、人もそれを見て、心が慰められたり、「時」というものを考え、「無常」の中に救いを求めるようになるのかもしれませんが。

 さて、2月10日、中国やベトナムでは旧正月を迎え、ここ日本でも、それぞれが集まってお祝いをしていたようです。とはいえ、この日は、日本では「正月」ではなく、「日常」ですから、集まっていれば、周りからクレームがつけられるということに、自然となってしまいます。というわけで、早速、日曜日の夜、教員がご近所から呼び出され、真夜中に二度ほど行かざるを得なかったようです。

 別に、彼らは酒を飲んで騒いでいたわけではなく、静かに話していただけだったようなのですが、それでも夜遅くまで話していれば、それだけでも、壁の薄い日本の住宅では声が響いてしまいます。

 もっとも、ご近所さんも、よくありがちな「変わった人」ではなく、ごく「普通の人」だったようで、最初は、「朝、早いので…」という遠慮がちな「お願い」だったらしいのですが、それでも彼らが話し続ける声が聞こえ、最後には、「どうしてわかってくれないの」になってしまい、学校まで届いてしまったようなのです。

 学生たちの大半は、来日後、二年と経っていません。というわけで、日本にいても、母国でのしきたりや慣習通りに過ごさねば、まだ心が落ち着かないのでしょう。これが数年経ち、日本や日本人とも馴染み、母国人と、それほど関係を持たなくなれば、変わっていくのでしょうが。なにせ、彼らは「留学」であって、「生活」するために来日しているのではありませんから。

 もし、結婚して夫婦で来ていたり、あるいは子連れであったりすれば、意識しているかいないかにはかかわらず、「母語の世界」に浸っているわけで、実際に存在している国よりも、脳裏にある国の方が、存在感は増しているはずです。

 不思議なことに、他国へ行き、一時帰国するまでは誰でも自分の国が世界で一番いいように思えてくるようです。辛いところが多いからでしょう。ところが、一度帰り、自分の国の現実を「頭」で見ざるを得なくなってしまうと、今度はかわいさ余って憎さ百倍のくちになってしまうようです。戻って来るなり、「自分の国はどこそこが悪い」と言い出してしまうのです。これも愛情の裏返しなのでしょうが、わかっていても、この落差に思わず笑ってしまいます。

 さて、一月に来日したばかりの「Fクラス」の面々、三日間の、この連休をどう過ごしていたでしょうか。宿題は出してありますし、遊ばないように(母国人と遊んでせっかく覚えた「ひらがな」や「カタカナ」、基礎の基礎の「文法」を忘れないように)注意はしてあるのですが、どこまで聞き取れているかは、勿論、藪の中。多分、また一からやり直しということになるのでしょう。

日々是好日
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「久しぶり?の学生達」。「今日は、課外活動。『スカイツリー』に行きます」。

2013-02-08 08:49:01 | 日本語の授業
 快晴。きれいな青空が広がっています。風も強く、今日も富士山が見えそうです。

 今日、学生達は先生方に引率されて「スカイツリー」に行くことになっています。きっと遠くにはきれいな富士山と、眼下には東京の町を見ることができるでしょう。私はそんなに歩けないので、今日は治療院に行かせてもらいます。

 昨日、久しぶりと言いましょうか、数日ぶりで学生達の顔を見ることができました。気持ちの上では、日常生活と切れてはいないのですが、やはり、久しぶりという感じがいたします。

 授業を休んでいた学生にも、留守電を入れます。すると、目が覚めた者一名、他は、ある者はかなりの時間が経ってからでしたが、伝言を聞いた学生達から電話が入りました。ホッとしますね。皆、彼らの力の限りで一生懸命生きていることがわかって。

 私たちは、彼らが日本でそれなりに勉強しながら生きていくことの難しさは、ある程度理解できるような気がしています。とはいえ、この、理解というのも、所謂、先進国と言われて久しい日本に生まれ、日本という国籍を持つ者が、途上国と言われ、言葉の不自由な世界で生きている彼らをどの程度わかってやれているかは、それは、勿論、わかりませんけれども。

 ただ、彼らは、彼らの国では、何不自由なく、生きていくことが出来ていたわけで、現状維持を望むなら、日本なんぞに来なくても良かったという層なのです。

 それ以上の何か、ある者は学歴でしょうし、ある者は経済的なものでしょうが、それを望み、それが得られてからの自分を漠然とではあれ、思い描くことが出来たから来たのでしょう。そうでなくては、言葉の通じない異国で、しかも知識の量というのがかなりの差がある場合、うまくやっていけるはずがありません。

 勿論、学生の中には、自分の国の生活が面白くないから、親にせがんで何かの折りにテレビや雑誌で見た、あるいは知り合いに聞いた日本に来たという者もいます。来日してから変わる者もいますが、そのままの状態の人もいます。

 目的がないから、勉強する気もない、肉親と暮らしていれば、学校に行くように言われるでしょうから学校には来ますが、それで終わり(多分、国でもそうだったのでしょう)。それが、学校の寮で暮らしていれば、誰も目くじら立てて怒る者もいないでしょうから、面白いことの方に気持ちが流れて行ってしまいます。

 もし、アルバイトがうまくいっているようでしたら、アルバイトに精だし、国で手に入れることが出来ないような金を手に入れ、ますますそれが面白くなってアルバイトに励み出すというふうに

 時々、どうしてこの人が「留学」なのかと不思議に思われることがあります。「研修生」として日本に来て働いていれば、彼らが苦手な勉強をせずとも、ある程度のお金を持って帰ることもできるでしょうに。

 もし、勉強とアルバイトとを秤にかけた場合、勉強はググッと軽く浮き上がり、アルバイトはグッと重く下がっていくように感じられるのです。アルバイトなら、5時間であろうと、6時間であろうと、集中してできるのに、たとえ疲れていなくとも、授業では、20分と、もたないのです。

 この間、働いていれば、彼らにとっても幸せであろうにと思うのですが、聞くと「研修生」ではなく、「留学生」のほうがいいと言うのです。

 こういう人にとっては、学校で勉強する、知識を得るために勉強するという行為は、もっと早い段階で(中学校でも高校でも)終わっているように感じられるのです。それよりも仕事を通して、技能なりを習得したほうが、ためになったのではないかと、思われるのですが。ただ、本人も、その人の家族もそうは思っていない…ところが…難しい(私たちの勉強させたい、またさせるべく努力するのが水泡に帰しているという虚しさから来るところの感傷?なのでしょうが)。

 さて、どのような人であっても、この学校に来て、同じように課外活動に参加していくわけです。そして、今日はスカイツリーです。これは楽しむしかないですね。そう、楽しんできて下さい。勉強が嫌いな人も、この学校に来た意味が判らない人も、皆、同じように楽しんできてください。学校で勉強するのが苦手でも、外で見聞を広めることはできますから。

日々是好日
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「遅まきながら、『節分』のご報告」。

2013-02-07 08:43:04 | 日本語の授業
 行徳に戻って来ますと、ここ数日、起こっていたことが煙のように消えているのに気がつきます。そして、日常に戻ります。

 今朝は曇り、時々晴れ。桜が咲く頃の気温になりそうな。

 さて、今年は雪の当たり年になりそうで、昨日も関東地方では雪がチラホラと降り、北部や西部では積雪もあったとのこと。なるほど、地図をよく見れば東京は西にズリズリと延びているような地形をしています。勿論、これは千葉県の行徳の地から見れば、ということなのですが。

 留守中…のことは消え、私の頭の中では、先週の金曜日の「節分」のことしかないのですが。

 「節分」では、例年通り、卒業生は「寿司作り」をしました。この、皆が作った、所謂「寿司」なのですが、これも例年通り、なかなか凝ったもので、海苔を重ね、何かの花を形づくったものやら、動物の顔に擬したもの、また出来上がった寿司にたっぷりとマヨネーズを巻き付けて立体的な造形を拵えたものなど、いやはや、民族の数、国の数が多ければ多いほど、それだけの数の「寿司芸術」が見られました。

 で、作り手達が自分たちの「芸術品」を食べ(残念そうでしたが、空きっ腹には代えられません)、お腹いっぱいになったところで、下級生達の分を盛りつけます。うれしいことに、午前の学生達も喜んで食べてくれましたし、午後の学生達と来たら、「残さないでください」なんて、全く言う必要がありませんでした。気がついたらなくなっていましたもの。

 そして、一言。「来年は皆さんが作って、下級生達にあげるのですよ」。これがちょっとぴんと来ていないような…そんな気がしましたが。

 最後にお決まりの「鬼は外、福は内」で幕引きです。学生達は最後の掃除まできちんと手伝ってくれました。ただ、今年は、卒業生達も(昨年に引き続き、二度目の)「豆撒き」をしましたので、洗い手がいなかった。後のことを考えると、やはり「豆撒き」は、最初の年度だけでいいかなという気になってきます。

 そういえば、一人、「さあ、君。鬼にならないかな」と誘った学生が、「先生、私は去年もなりました。そして豆をぶつけられました」といかにも心外であるという表情で言ったので、私の方では、内心「しまった」。

 でも、鬼に相応しい(これは言い過ぎ、つまりは)、最初になってくれそうな気のいい学生はそういないのです。最初に一人でも手を挙げてくれれば、次々と「鬼」のなり手は出てくるのですが、この、最初の一人が難しい。とはいえ、彼は、私が「しまった。ごめん」と言う前に立ち上がり、鬼の面をつけてベランダに出てくれました。

 と言うわけで、遅まきながら「節分」のご報告。

日々是好日
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