(天気)予報に反して、昨日は寒い一日でした。「暖かくなる」と、そう思って薄手のコートで外出した人は、「ったく」と寒さに震え上がったことでしょう。
日本人はニュースを見なくとも、天気予報だけは見るのです。見てから出かけていなければ、「あっ、今日は見ていない」と、忘れ物でもしたような気分になり、落ち着きません。
これは日課…というよりも、もしかしたら、見られるならば、朝、昼、晩の三回は画面を覗き込みたい…もの。それ以外にも、直ぐに天気予報をやっているチャンネルに合わせてしまうのです。「天気予報の時間だ」というふうに。
立春を過ぎれば、「春一番はまだかな」となり、桜の時期が近づけば、「桜前線はどこまで来たかな」とせわしいない。また、梅雨が始まれば、「梅雨の晴れ間は何曜日くらいになるのだろう」、真夏になれば、「明日は何度くらいまで上がるのだろう」と、知らなくても良さそうなものにまで、天気予報が気になるのです。日本人の心は、もう、いつも、お空から離れられないのです。
同じような意味で、「季語」に支配されているように感じられないこともないのですが。勿論、これはマイナスの意味で。けれども、言葉に支配されることにより、却って宇宙が広がっていける部分もあるということで、結局はプラスになっていくのでしょう。枠を嵌められれば嵌められるほど、深く深く墜ちていける(堕ちていくのかもしれませんけれども)、それも一種の心地よさに通じるのかもしれませんが。
さて、学校です。
昨日、午後の「Eクラス」で、一人のスリランカ人学生が、10分ほど遅れて、息せき切ってやって来ました。朝、5時か6時頃から12時までアルバイトをしていることを知っていましたので、残業があったのかなと思ってみていたのですが、席に着くと途端に、コックリしはじめました。教室は暖かいし、学校に着いてホッとしたでしょうし、慣れ親しんだ友達の声が心地よく、ウトウトとなったのでしょう。
どうにもこうにも、耐えられないと、瞼が垂れてしまうようです。睡魔との闘いに、まあ、一応は格闘しているようでしたが、敗色濃く、舟を漕いでいることに気づいた右隣の中国人学生が、コックリ行く毎に、つついてやるのですが、それも昨日は功を奏さず、直ぐにガクンとなってしまいます。
どんなに疲れていても、遅れても、学校へ来るので、彼が真面目で頑張り屋であることはよくわかっているのですが、こうなりますと、彼の身体の方が心配になってきます。
日本語学校の学生というのは、いわゆる「苦学生」が大半でしょう。特に途上国から来ている学生はそうなのです。勿論、親に財力がある場合でも、日本に行ってからは自分の力で何とかやれとばかりに、放っておかれることも少なくないのです。そういう家では、「武者修行」にでも、出しているつもりなのでしょうが。
とはいえ、大半の、いわゆる「苦学生」たる留学生達のことです。
まだベトナム人学生は、アルバイトの選り好みをしたり(そういう段階じゃないと思うのですが)、アルバイト先に同国人がいなければ嫌だと言ったりと、自立(この場合は、自分でアルバイトを探す力と意思の有無を言っています)している人は稀なのです(その割に助け合わないのです。飲んだり、食べたりはやっているようですが)。ところが、最近のスリランカの学生達は相互に助け合っているようで、ある程度言葉が出来るようになると、先輩が後輩を引いていってくれるのです。
これはおかしなもので、この、昨日、船を漕いでいた学生。彼が来た時に、銀行で口座を作るというので、ついていったことがあります。その時に、なぜか先輩の二人もついて来たので、「関係ないでしょ。なぜ、ついてきたの。暇だからでしょ」とからかうと、「先生に苛められかもしれないから」とか、「待っている時間、一人で寂しいだろうから」とか言うのです。実際は、言葉のわからない彼を心配してのことだったらしいのですが。
実際、(この時は、彼はまだほとんど日本語が通じませんでしたから)彼らがいてくれて助かったのです。こういうのは、あまり以前のスリランカの学生達には見られないことでした。多分、入管の審査が厳しくなって、今いるスリランカの学生達のような、のんびり、おっとりした坊ちゃんたちしか留学生として来日できなくなったことも関係しているのかもしれません。競争心があまりないので、その点は心許ないのですが。そして、以前の玉石混淆状態だったスリランカ人学生たちと同じような状態なのが、今ではベトナム人学生たちなのです。
このベトナム人学生達も、きっと今のスリランカ人学生達のように、後、2、3年もすれば、勉強する気持ちの、あまりない人たちは来られなくなるかもしれません。いや、日本の経済が今のようですと、そういう人たちは、中国の方に流れていくのかもしれません。ベトナム人にとっては、日本語よりも中国語の方が習得しやすいようですし。
日々是好日
日本人はニュースを見なくとも、天気予報だけは見るのです。見てから出かけていなければ、「あっ、今日は見ていない」と、忘れ物でもしたような気分になり、落ち着きません。
これは日課…というよりも、もしかしたら、見られるならば、朝、昼、晩の三回は画面を覗き込みたい…もの。それ以外にも、直ぐに天気予報をやっているチャンネルに合わせてしまうのです。「天気予報の時間だ」というふうに。
立春を過ぎれば、「春一番はまだかな」となり、桜の時期が近づけば、「桜前線はどこまで来たかな」とせわしいない。また、梅雨が始まれば、「梅雨の晴れ間は何曜日くらいになるのだろう」、真夏になれば、「明日は何度くらいまで上がるのだろう」と、知らなくても良さそうなものにまで、天気予報が気になるのです。日本人の心は、もう、いつも、お空から離れられないのです。
同じような意味で、「季語」に支配されているように感じられないこともないのですが。勿論、これはマイナスの意味で。けれども、言葉に支配されることにより、却って宇宙が広がっていける部分もあるということで、結局はプラスになっていくのでしょう。枠を嵌められれば嵌められるほど、深く深く墜ちていける(堕ちていくのかもしれませんけれども)、それも一種の心地よさに通じるのかもしれませんが。
さて、学校です。
昨日、午後の「Eクラス」で、一人のスリランカ人学生が、10分ほど遅れて、息せき切ってやって来ました。朝、5時か6時頃から12時までアルバイトをしていることを知っていましたので、残業があったのかなと思ってみていたのですが、席に着くと途端に、コックリしはじめました。教室は暖かいし、学校に着いてホッとしたでしょうし、慣れ親しんだ友達の声が心地よく、ウトウトとなったのでしょう。
どうにもこうにも、耐えられないと、瞼が垂れてしまうようです。睡魔との闘いに、まあ、一応は格闘しているようでしたが、敗色濃く、舟を漕いでいることに気づいた右隣の中国人学生が、コックリ行く毎に、つついてやるのですが、それも昨日は功を奏さず、直ぐにガクンとなってしまいます。
どんなに疲れていても、遅れても、学校へ来るので、彼が真面目で頑張り屋であることはよくわかっているのですが、こうなりますと、彼の身体の方が心配になってきます。
日本語学校の学生というのは、いわゆる「苦学生」が大半でしょう。特に途上国から来ている学生はそうなのです。勿論、親に財力がある場合でも、日本に行ってからは自分の力で何とかやれとばかりに、放っておかれることも少なくないのです。そういう家では、「武者修行」にでも、出しているつもりなのでしょうが。
とはいえ、大半の、いわゆる「苦学生」たる留学生達のことです。
まだベトナム人学生は、アルバイトの選り好みをしたり(そういう段階じゃないと思うのですが)、アルバイト先に同国人がいなければ嫌だと言ったりと、自立(この場合は、自分でアルバイトを探す力と意思の有無を言っています)している人は稀なのです(その割に助け合わないのです。飲んだり、食べたりはやっているようですが)。ところが、最近のスリランカの学生達は相互に助け合っているようで、ある程度言葉が出来るようになると、先輩が後輩を引いていってくれるのです。
これはおかしなもので、この、昨日、船を漕いでいた学生。彼が来た時に、銀行で口座を作るというので、ついていったことがあります。その時に、なぜか先輩の二人もついて来たので、「関係ないでしょ。なぜ、ついてきたの。暇だからでしょ」とからかうと、「先生に苛められかもしれないから」とか、「待っている時間、一人で寂しいだろうから」とか言うのです。実際は、言葉のわからない彼を心配してのことだったらしいのですが。
実際、(この時は、彼はまだほとんど日本語が通じませんでしたから)彼らがいてくれて助かったのです。こういうのは、あまり以前のスリランカの学生達には見られないことでした。多分、入管の審査が厳しくなって、今いるスリランカの学生達のような、のんびり、おっとりした坊ちゃんたちしか留学生として来日できなくなったことも関係しているのかもしれません。競争心があまりないので、その点は心許ないのですが。そして、以前の玉石混淆状態だったスリランカ人学生たちと同じような状態なのが、今ではベトナム人学生たちなのです。
このベトナム人学生達も、きっと今のスリランカ人学生達のように、後、2、3年もすれば、勉強する気持ちの、あまりない人たちは来られなくなるかもしれません。いや、日本の経済が今のようですと、そういう人たちは、中国の方に流れていくのかもしれません。ベトナム人にとっては、日本語よりも中国語の方が習得しやすいようですし。
日々是好日