晴れ。
酷暑が続いています。…続いていますと言ってしまいますと、語弊が生じてしまうかもしれませんが、気分的には、そうなのです。梅雨が明けて、まだ、ほんの3日ほどですのに。
今年は「梅雨」が明けるまでに、雨がずっと続き、故に、気温もそれほど上がらなかったせいか、「梅雨明け」と同時に、「突然の夏!」が来たという感じで、皆、「へばって」います。まだ暑さに体が慣れていないというか、ちょ、ちょっと違うでしょうと言いたくなるような、そんな違和感が残滓のように漂っているのです。…はあ、暑い。
しかも、日の出と共に、鳴き始める「ミンミンゼミ」の声が、暑さを倍増させます。…と、少し前までは思っていました。が、これも、ふるさとの夏から遠ざかっていたから言えた台詞で、ふるさとの夏の、「クマゼミ」の声のシャワーを浴びた後では、まあ、「ミンミンゼミ」もかわいいかと思えるようになってきたから、不思議です。
さて、「セミ」で思い出したのですが、「虫」のことです。
虫を育てるとか、虫を(食べるためではなく)捕獲するとか、そういう経験というか、習慣というか、そういうものの全くない学生達のことです。
日本の子供たちが、「カブトムシ」や「クワガタムシ」を見て、恐竜を見て興奮するのと同じ程度に興奮するというのが、まず理解できない。況して、これは子供に限らず、大人にも当てはまることで、いい年をした大人たちまでが夢中になって虫を捕らえている…わからない。しかも、虫取り籠に虫取り網を担いで、国内どころか、外国くんだりまで行って、喜々として虫を捕らえてくる(生きたままとはいかないのが悲しいようですが)。それをまた人に自慢する。自慢すると言うことは、その、相手がいるということで、自慢話を聞きながら、羨む人々がいるということなります。また、これも、理解できない。
「ムシ!ええっ、いやあだ」と男女を問わず、言います。
「小学校のころに、クラスで『キリギリス』や『コオロギ』を育てた」とか、「夏休みには、皆で分担して家に持って帰り、責任を持って育てる」とかいうのが、どうも判らぬ。そういう話をした私が、いえ、多分私だけが、あたかも虫が好きな変な人間と見えているらしい。だいたい…そんなことはないのに。
「あれは日本の子供が誰でも経験すること」といくら力説しても、そこの部分は、なぜかすぐに消え去ってしまい、聞いていないのと同じになってしまう。…夏になり、「ゴキブリ」の子供や小さな「クモ(蜘蛛)」を見つける度に、獲物を見つけて褒めてもらおうと持ってくる猫のように「先生、ムシ」と言い、私を呼ぶ。「呼ぶな」と言っても、ニコニコして嬉しそうに見せる。勿論、自分は触らずに。
これも、「リンカーンはベトナム戦争の時の大統領」というのと、同じ理屈なのでしょう。
あれは、思い出しました。「解放」というのの説明の一つでした。とにかく、少しでも、こういう知識を入れたかったので、『図説』の「アメリカ南北戦争」のところを開かせ、「リンカーン」の写真を見せたのです、あの時。でも、ベトナムの学生達が少しも反応を示さなかったので、「リンカーン」の説明を始めたのです(他の国の学生は、リンカーンがわかったので、日本語の知識を入れればよかっただけです。知識というか、単語です)。
一応、最初の単語(人名)ですから、ベトナムの学生も、それだけは耳に残った。「リンカーンはアメリカの大統領のひとり」というのも、話の最初のところですから、しっかりと頭に入っている。
それから後の、説明の繰り返しや、ホワイトボードに書かれた文字というのは、その『図説』に掲載されている「リンカーン」の写真や説明に目がいっている彼等の耳には届いていなかった(らしい)。そこへ突然、「ベトナム戦争」というのが聞こえてきた。ハッとする(もとより、その中の「ベトナム」という音に)。ハッとして、「リンカーン」と「ベトナム戦争」とが一つになって、「リンカーン」は「ベトナム戦争」の時の大統領となったのでしょう。
まあ、考えてみれば、彼等を責めることなどできません。一つ一つゆっくりやっていけばよかったようなものなのですが、五つの国からなっている、13人のクラスでは、ベトナムだけにあわせるわけにも行かず、勢い、よけいな説明も加えてしまうことになってしまいます。
このときは気がついたから、誤解を解くこともできたのですが、多分、誤解のままのことも多々あるでしょうね。二年生ともなりますと、知識の導入も必要となってきますから、よけいにそうなるのでしょう。
もっとも彼等と話しているうちに、彼等の誤解に気づくこともよくあること。いかに「雑談」が必要か、一年生ではないのですから、判らなかった、知らなかったではすまないことですし。
これからは、言葉の置き換えだけでは、すまないことがどんどん増えてきます。その時に必要になってくるのが、漢字なのです。「N2」までは「N3」レベルの漢字が読めなくても、だいたいどうにかなっていた人たちでも、「N1」の内容に入ってしまいますと、もう誤魔化しが効かなくなります。…まあ、それが一番判るのは、当事者なのでしょうけれども。
日々是好日