日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「休み明け」のクラス。ベトナム勢は大変だなあ。

2019-08-30 08:42:23 | 日本語学校

曇り、後雨。

「『朝焼け』だァ」と見ていたのに、いつの間にか暗くなり、ポツポツと降り始め、今は本降りになっています。予報で、こんなこと言っていましたっけ?学生達が来るまでに、やんでくれるといいのですが。

さて、学校です。

ベトナムの学生が多いクラスでは、…やはりなあ(私の話を聞いても、聞き取れなくなっている…表情から窺えます)。ベトナムの学生が、あまりいないクラス(二年生になるのですが)では、そのままに授業を進められ、特別に対策を講じなくとも良さそうです。

二年生はまあ、いいとして、一年目の四月生は、悲惨ですね。そうでなくとも、ヒアリングが悪かったので、休み中は、七月生のクラスに来て、一緒に(バイトが休みだという週の2日は)補講に参加して勉強するように言っておいたのですが、来ませんでしたもの。これでは、先が思いやられます。今、手を抜いていると、後々それが祟ってくるのは目に見えていることなのに、わからないのでしょうねえ。多分、こうやってベトナムの高校でも過ごしていたのでしょう。

二年生クラスでは、休み中、5回ほど漢字のテストを実施したのですが、それに参加していた学生は、漢字力もそれほど落とさずに済んでいます。ヒアリングは元々いいので、「長期休みがあったが故に」という特別な手当もせずに済みそうです。

もちろん、皆が皆、そうというわけではありませんが。一つのクラスとして引っ張っていく上での、授業のやり方が関係してきますから、休み明けの彼等の状況はよく見ておかねばなりません。

それほど「力」が落ちていなければ、休み前と同じようにやっていけます。(休み前)クラスのレベルから見て、当人の「力」が崖っぷちにあったにもかかわらず、タラタラして(休みを)過ごしていれば、当然のことながら、休み明けの授業にはついていけません。さて、どうするでしょうねえ。「わからない。難しい」と言うだけでしょう。だからといって、努力するという頭はないようです。ただ、それが(クラスの)大半の学生であったなら、教師の方で、授業の組み方を変えていかなければならなくなるでしょう。

ただ、どのクラスにも、目的意識をはっきりと持って努力している学生がいますから、タラタラしている人たちのために、彼等を犠牲にはできません。つまりは、目的意識を持っている人たちを主にして、そうではない人たちにはご遠慮願うという形をとっていかざるをえないのです。つまり、「ゆっくりクラス」で、ゆっくりやってもらおうとなるのです。

不思議なのですが、こういう人に限って、自分のレベルがそれほど高くはないということがわからないのです。「えっ、私、このクラスにいられないの?」不満を感じるようですね。ついていけないのだから、ゆっくり(もう一度)やった方がいいというのは、明らかなことなのに。

母国では、(勉強が)できてもできなくても、同じクラスにいられた。(テストで)判らなかったら、隣の人のを見ればいいし、ほかの人のを見てとった点数であっても、それは私の点。」それで、どうこう思った事なんて無かった…。そうなのでしょう。

この学校では、「日本語能力試験」の前、対策期間を除いても、「N5」「N4」など、一定の勉強が終わった後に、レベルチェックの試験をしています。カンニングが習いになっている国の人もいることですから、それができないように、その時だけの席替えもしています。だから、このときの点数は信頼できると思うのですが、それを見ても、「ちょっと失敗した」くらいにしか感じていないのでしょう。「こんな点、私のじゃない」くらいに思っているのかな。

ただ、そういう国の人が、今は来ていませんから、点は点として受け止めてもらえるようです。カンニングだけは、監視が大変になるのですが。

日々是好日
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昨日は「新学期」初日。二年生は皆、元気にやって来ました。元気そうで何より。それが一番大切です。

2019-08-29 08:40:26 | 日本語学校
晴れ。

雨は降ったようです。早朝、ベランダが濡れていましたから。けれども、出るときにはすっかり乾いていました。湿度が決して低いとは言えないのに、これも、お日様の力でしょうか。

さて、学校です。

昨日は「新学期」初日。9時からの「Aクラス」では、皆、ちょっと嬉しそうな顔で出迎えてくれました。授業がというよりも、皆との言葉のやり取りならぬ、やり合いが楽しいのかもしれません。一人がボケると、すかさず誰かが突っ込みを入れる。来日後、もうすぐ一年と半年が過ぎようとしているこの頃、日本語を遣うのが、たまらなく面白くなってきているのかもしれません。

普段は、(来日後いろいろな目に遭い、言葉の怖さがある程度判っていますから)遣いたいけど、いざ言うとなると、どこかしら逡巡してしまう。ところが、ここにいるのは、皆、外国人で共に勉強している仲間ですから、思いっきり遣える。これも、皆が拠って立つところが学校だから、できることなのでしょう。

だいたい、同じくらいの(日本語の)レベル、その上、1年以上を同じクラスで過ごし、互いのことはある程度わかり合えている。何を言われても、共に、悪意がないことも判っている。

だからこそ、できる事なのです。

もちろん、セーブ役として教師は存在しています。が、日本語で茶々を入れたり、突っ込みを入れたりしている限り、それほど厳しくは止めません。「こいつは、まずいな。5回されるな」と思われたときだけです、止めるのは。

この学校で、こういうことはほとんどありませんが、注意しているのは、宗教上の習慣を面白がったりした場合くらいでしょうか。これも、つい出てしまった…感じなのですが。

彼等の国には、ヒンズー教徒もいれば、仏教徒、イスラム教徒もいます。日本とは違い、それぞれが、存在感のある、目立つ感じでいるようです。とはいえ、互いのことを知っているわけではない。祭りや宗教上のその他の諸々の習慣・お祈りの仕方などを見たことがある、聞いたことがある…くらいなのでしょう。

それが、こうして親しくなってくると、何かの調子にふいと聞いてみたくなったりする。魔が差したとしか言いようのないときがあるのです。こういうのが一番厄介です。一方は好奇心で言っているだけ。他意は無いし、別に深いところを訊いているわけでも何でも無い。ところが、訊かれている方は、もし、それが習慣であれば、なぜずっと昔からそうしているのかなんて、わからない。生まれたときからそういう中で育ってきているわけですから。つまり、何も説明できない。

宗教上の深い意味があることなら、より以上、彼等の日本語のレベルで説明できるはずもないし、相手に正確に伝わるかどうかも怪しい。勢い、黙り込んでしまう。

勿論、一人一人の性格によって違ってくることなのですが、相手の表情を見て「あっ、まずいことを訊いたかな」と話をすぐに逸らす人もいれば、(相手が)黙り込んだのを見て、ますますしつこく訊いてくる人もいます。しつこくなったら、止め時ですね。私が判ることはこちらが言いますし、難しい宗教上のことであれば、「それぞれ昔からの習慣があるからね。多分、日本語で説明してもらっても、私だって、判らないと思う。もっと日本語が上手になったら、その時に、彼が説明してくれるでしょう。日本語の勉強、頑張ってね」くらいで話を締めてしまいます。

まあ、昨日はそんな堅い話もなく、(彼等が)休み中に行った専門学校の説明会や大学のオープンキャンパスでのことを聞いてから、授業に入りました。学校での勉強ですから、すぐに遣える日本語とは参りません。彼等の普段の生活とは、およそ不釣り合いな日本語を学ぶということになっています。

新聞や本などを読まない限りは、必要ないような言葉がたくさん出てきますから、そろそろ、「N2」レベルの文章に入ってきたと言ってもいいでしょう。

このクラスには、軽口を叩くのが得意な学生もいます。また、そういう人は、日本語で、そういう言葉を覚えたいのでしょうね。けれども、クラスの方針というのは、「N2」「N1」レベルの文章が読めるようにさせるべく、基礎的な単語や漢字を覚え、文法を覚えしていくというもの。

これさえできていれば、(会社に入ろうとも、大学へ行こうとも)基本的には、困らないはず。(判らないことを)普通の日本人に聞けば、(彼等の日本語が)わかる程度の基礎力は付いているはずですから。

ただ、こういう人は、コツコツとまめにやるということは苦手ですね。「耳の文化」範疇の、こんな人は、すべて「聞いた・覚えた」で、やろうとします。いくら記憶力のいい人でも、覚えられるくらいのもので終わっていれば、それから上へは、また深みへはなかなか行けないと思うのですけれども。高校までの習慣でしょうか、日本に来て、いくら読むことを重視させようと思っても、…難しいですね。また、「N3」から「N2」くらいまでは、「耳」だけでもどうにかなるもののようですし。ただそれ以上となりますと、困るでしょうね。それは、口を酸っぱくして言っているのですけれども。

日々是好日
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昨日は「休み」最後の日。間違えて来た学生が二人、いましたけれども。今日は大丈夫かしらん。

2019-08-28 08:09:25 | 日本語学校
小雨。

今はまだ、パラパラと降っていますが、学生達が来るころには、止んでいるでしょう。

昨日、「七月生」の補講が終了しました。どうにか、『みんなの日本語Ⅱ』を終えることができ、共にホッとしています。

彼等が帰ってから、最初にやって来たのは、午後のクラスの学生。休み前と同じように、挨拶をしてスリッパを履き、教室に行こうとします。授業は明日からだけれども、何か用事?と聞くと、キョトンとしています。どうも、27日から新学期が始まると思ったらしい。そして、「○○さんも来ます。来ると言っていましたから」と言う。どうも二人で連絡し合い、二人で「間違えて」来ることにしたらしい。。

二年生ですので、ついでに、進学について話をします。教務の教師が、進学したいという専門学校に連絡をし、予約を取り付けます。そうしているうちに、その○○さんがやって来ました。人身事故があり、電車が遅れたとのことです。彼は、元々自動車の専門学校に行きたいと言っていたのですが、学費の高さにちょっと腰が引けていたのです。挙げ句、諦めて、ビジネスとかホテルの専門学校にするとか言っていたのですが、やはり、自動車が忘れられないと見え、友人が学んでいる、ある関東の学校を受験すると言います。

勉強したいことができるのが一番幸せです。それがまだ見つけられない人だっていますもの。だいたい、それを学ぶために、遙かとおくの日本に来たのですから。

この、「自動車」と「料理」を学びたいという学生は、毎年、何人も出てくるのですが、どうしても、学費という面で折り合えないのです。それで、そのまま日本語を学ぶだけで帰国した学生もいるのです。まあ、たいていの学生は、第2志望、第3志望の専門に行って、日本で就職するということになるのですが。

二人には、せっかく来たのだから、少し勉強しますかと言うと、それまでニコニコと話していた学生、ズリズリと後退りして、小声で「帰ります」。まあ、そりゃあ、そうでしょうね。だいたい、「明日、持ってくるもの」という連絡を見ずに学校に来たくらいですもの。

一段落付いたところで、先に連絡のあった、日本語を学びたいという近所の方と会います。近所と言いましても、自転車で20分くらいのところに住んでいるらしいのですが、学びたいという奥さんと日本語の上手なご主人の、二人でやって来ました。その最中に、休み中に一時帰国していた学生が、お土産を持って来ました。今日から始まる新学期、最初は苦労するでしょう。もっとも、悪びれるふうもなく、「先生、お土産の飴、食べてね」と言って帰っていきましたけれども。

今年は、ネパール、スリランカ、バングラデシュなどのビザが出ていないので、10月生として来るのは、ベトナムの一人だけです。ただ、10月から勉強を始めたいという在日の方からの連絡がほかに、2,3あり、多分開講できるでしょう。

少ないと、授業も面白くなくなります。人がいて、やり取りがあってこその教室なのですから。

日々是好日
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めっきり、秋らしい日になっていますが…。

2019-08-26 08:51:06 | 日本語学校

曇り、時々晴れ。

朝晩がめっきり、秋めいてきました。風が違います。…と、喜んで、週間天気予報を見てみると、今週末にまた猛暑が来るとか。一進一退と見てもいいのでしょうか、それとも、涼しくなるのは、まだまだ先と見ておいた方がいいのでしょうか。

とはいえ、朝晩が25度くらいになると、「残暑」という言葉が似つかわしくなってきます。わずかばかりでも、それらしくなって、まずは、よかった、よかった。

さて、学校です。

「7月生」の二人と、後から入ってきた在日の一人、それから来年は高校を狙わなければならないタイの少年と、この四人は、夏休み中もよく頑張りました。タイの少年は復習になるのでしょうが、それでも、単語を覚えるのは大変ですし、「N3」漢字までやるのも大変です。この分でやれば、高校は大丈夫…かな。

ただ、二人の「7月生」の、(4月生と比べての)3ヶ月という差は、ヒアリングという面から見ると、ちときつい。同じようにヒアリング力に欠けている、ベトナムからの「4月生」と比べても、差は歴然としています。

やはり、スカイプで行った面接は弱いですね。こちらの「きつさ」があまり出ていないような気がします。面と向かっての面接では、二度行った場合もあり、そのたびにきつく言っていますから、来日したら、甘く考えていられないというのが、ある程度は判るはず。勿論、いくら言っても判らない人は判らないので、これは話せば通じる人だけに言えることですが。

この「7月生」は、判るタイプですね、二人とも。それだけに、「4月生」でないのが残念です。この学校で過ごす3ヶ月は、彼等が国で学んだ3ヶ月とは、やはり内容も重みも違う。わずか3ヶ月とはいえ、遅れてきて一緒にできるかというと、よほど本人が、それを理解した上で頑張らなければできることではありません。

それが、この休み後期でやっと判ったようです。一人は、カードをスマホに写していました…家で復習するのだそうです。もう一人は、スマホに(ヒアリングの)問題が取り込めないと言うことで、朝、少し早めにきて勉強すると言っていました。これがどれくらいできるかは判りませんが、卒業は皆一緒(4月に来ようが、7月に来ようが、10月、1月に来ようが、です)、試験を受けるのも皆一緒、そのことを確認させてから、現在の自分の日本語力を見させる。

二人ともそれができるタイプのようですから、後は本人次第。頑張れば追いつくでしょうし、頑張り度が足りなければ、10月生と一緒ということになります。それも納得させているのですが。

日々是好日
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「七月生」が初めて、「漢字テスト」に参加しました。二人のうちの一人です。5枚とも合格です。

2019-08-23 08:08:41 | 日本語学校

曇り。

陽が出ているかと思ったら、黒雲に隠れ、雨が降り出したかと思ったら、陽が照り始める。何でも来いと言いたくなるようなお天気です。今日も大気の不安定さは続くそうな。

今朝、ふっと気がつきました。今年は「キョウチクトウ(夾竹桃)」を見ていない…。

面白いものですね。樹は例年通り、そこに厳然とあったのに、見ていなかったのです。

意識して初めて見える。結局、人は無意識のうちにあるモノを捨て、あるモノを拾っているのでしょう。なんと言いましても、許容量が大してあるわけではありませんから。入れるなら捨てておかないと、すぐに一杯になってしまいます。

さて、学校です。

「七月生(今年)」にも、「漢字テスト」の参加を促してみました。二人のうち、一人は授業が終わってから、すぐにアルバイトに行かなければならないということで、参加したのは一人だけです。彼等は1時まで授業がありますから、ちょうど、二年生が帰った頃に、やって来るということになります。

…と、思っていたのですが、いつも参加していた13人(二年生)のうち、8人が専門学校の説明会に出席すると言うことで、11時からの試験に参加したのは、二年生3人と、「四月生」1人だけでした。このうち二年生2人は試験が終わってから、専門学校に見に行くそうで、そんなこんなで、午前の試験は早めに終わりました。何枚もやるという人が二人だけだったからでしょう。

職員室に下りていって、記録を取っていると、授業が終わった「七月生」と「四月生」が上がってきました。で、二人にも試験のプリントを渡します。一人は「七月生」は初めてで「N5漢字」からです。

「七月生」は、これまで(夏休み)に習ったところまでやるということで、5枚しました。1枚につき、20問ですから、頑張りましたね。ただ、二人とも漢字の一画一画がみんな棒線なのです。説明しても、なかなかわかりません。それで、そばにあった筆ペンで書いて見せると、…「(線に)太いの(部分)と細いの(部分)がある」。微妙な線は(本当は微妙でも何ともないのですが)、こうして見せてやらねば、気づかないのです。

タイの少年は、書いてみて、「変です」。自分の字を面白がっています。「100円ショップにあるから」と言っておいたので、帰りに買うかもしれません。

「スッと伸ばす」とか、「止める」とか言うのも、筆ペンを使っていないと、鉛筆ではただの棒にしかなりません。日本人や中国人は慣れているから、違いが「見える」のですが、そうでなければまず無理ですね。言ってもわかりません。

で、二年生の書いた漢字を見せてやりました。上手というわけではないのですが、彼等に比べれば、手が慣れているので、字も大きいし、力強いのです。おそるおそる、丁寧に引いている線とは違います。それも見てわかったようです。まずは、一歩前進ですね。

漢字は読めればいいようなモノですが、実際書けないと読めないものなのです。また読めるようになると、漢字を書いて覚えたくなるようで、本当なら後者のやり方の方がいいのでしょう。ただ、留学生には時間の制限があるので、待てないのです。ゆっくりと彼等が好奇心を持つまで待てるかというと、待てません。とにかく、教え、書かせ、覚えさせというのをやらざるをえないのです。

国で日本の文化に関心を持ってから来ている人なら、多分、日本に対する好奇心は国で蓄積されているでしょうから、そのまま、このやり方でもいいのでしょうけれども。大して日本について知らぬまま来ている人たちには、このやり方は通用しません。

どうも、日本の偉い人たちは、西欧や米国から来た留学生と、南アジアや東南アジアから来た留学生とをごっちゃにして考えているようで、それに、漢字圏の国から来た人も入れれば、この三つは全く違います。日本文化に対する考え方も、経済的な面からも、またその目的も、です。

「漢字圏」から来た学生を教えるのは一番簡単です。極端な言い方をすれば、日本の中高生を教えるのと同じようなやり方でも構いません。西欧や米国から来た人たちは、文化に関心がありますから、やれと言わずとも漢字を覚えようとしますし、短歌や俳句、あるいは小説まで積極的に読もうとする人までいます。日本へ来た目的は川端康成の『雪国』を原文で読むことと言った人もいました。

南・東南アジアなどから来た人たちは、多分、日本の文化に関心があってというよりも、いわゆる先進国としての日本、経済大国としての日本に惹かれてやって来たのであって、ある程度日本語ができれば、専門学校へ行き、多少なりとも技術を身につけ、日本で働くというのが目的の人が多いのです。

その人達に、日本語を教えていく上で、一番難しいのは、向上心を持たせること。勉強に対する欲を持たせることなのです。ある程度、話せればいいし、少し漢字が読めれば、それで十分と思うようなのです。だいたい、それくらいでも、仕事はありますから。

この、(向上心の)底上げをしていくのが難しい。まず、引っ張っていくに必要なのが、やはり日本の先進的な部分、機械文明の部分なのです。それを見せ、好奇心を抱かせる。これを取っ掛かりにして、勉強をさせていく(ある意味、邪道です。でも、来てしまったのですし、実際、日本に来たかったというのは、本当ですし)。

日本人や西欧・米国人が好きな日本の田舎町、田園風景などを見せると、バカにし始める人までいますから、大変。よくて、「同じです。私の国と同じです」と言って懐かしがるくらい。田園風景を見せるなら、その風景の中に、機械を入れておかなければなりません。そうしないと、真剣に見ないのです。

機械を入れずに、手で作業をしている姿は、当然のことで、それで「すごいな」とは誰も思わない(日本人は、すごいと思うのですが。でも、それは、どこでも機械を使っているからなのです)。彼等の国では、普通、人と一緒に水牛も働いているのです。

あれやこれやと用いながら、「これくらいでいいや」という気持ちを少しでも上げていく「N3」から、「N2」に。「N2」から「N3」に。そうしないと、よくて「N3レベル」で、止まってしまうのです。

勿論、以前に比べれば、もっと上手になりたいと願ってくれる学生は、増えてきました。向上心が無ければ、勉強だけでなく、仕事もできません。

ただ、変わることができるのは、若いうちだけです。大学を出るくらいの年齢になってしまうと、こういう国から来た人たちは、言語においては向上心と無縁になる人が大半のような気がします。疲れてしまっているのでしょうか、それとも、国では「すごい」とされ、それでいいと思い込んでいるのでしょうか。

本当に国によって、そこで要求されているものが違うからとしか思えないのですが。

日々是好日
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涼しくなりました。このまま、秋になってくれないかな。

2019-08-22 08:51:13 | 日本語学校

曇り。

昨夜というか、未明に激しい雨が降っていたようで、雨音で起こされてしまいました。もっとも短時間であったようですが。そのおかげで、早朝は、秋の気配が…風が違いますね。窓を開けると、もわっとした空気ではなく、普通の風が吹き込んできました。ほっ。

さて、学校です。

今日は、休み中の「漢字テスト」最終日。来週の火曜は、その週に新学期が始まることもあり、教員の会議などがあるので、お休みです。テストは、計5回。皆勤の人もいましたし、「(来ないので)今のレベルで大学に行きたいと言っているのか」とメールを送った人もいました。それを見たからでしょう、泡を食って飛んで来ました。

大半の者は、2,3回は来たけれども、あとは疲れた…。学校に来てから練習していた者もいましたが、「N3テスト」とは違い、「N2」にもなると、それだけで合格…とは参りませんね。やはり、直前に、一度は見直すにしても、事前の練習が必要です。今まで(N3まで)は、それで「合格できていた」と、己に才あるかのごとく、誇っていた輩も、きれいさっぱり、バッサ、バッサと切られていきます。

その反対に、最初は、才無げに見えたコツコツ型の人たちが、そういう要領のいい連中を尻目に、合格していきますから、やはり努力は人を裏切らないのでしょう。漢字であってみれば、この「N2」くらいまで来なければ、できるできないの差は、その人にしてもわからないと見えます。

要領よく、国でもやって来ていて、日本でもそれでやれるかと思いきや、日本人は、要領がいいというのを、勉強では余り認める傾向にはありませんものね。

そういえば、中国人の学生がこんなことを言っていました。
「あの人は、頭がいい。すぐに暗記できるし、話もできる。でも、日本人はそれをあまり認めませんね。褒めません。どうして?中国だったら、『あの人は頭がいい』と皆が言い、そして、それだけで、別格にしてもらえるのに」

社会に出れば、また違う部分も出てくることでしょうが、こと学校での勉強に関して言えば、「学問に対して誠実であること、才に傲らず、コツコツとできる」ことが大切。「天才の99%は努力からなっている」と、しごく生真面目に信じているのが、日本人なのかもしれません。天才でもないのに、何をえばっていると言われて終わりです。

職人気質を尊ぶ国民性から来ているのかもしれませんが。

実際、最初からきちんと「習ったように書く」という練習をしてきた学生は、半年も経たぬうちに、(漢字も)それなりの形になってきます。反対にテストの時だけ、パパッと練習し、暗記して来た学生は、漢字一つにしても、まだ、歪な形をしています。これまで漢字を教えてきた教師が、幾度となく、漢字のパーツのバランスや、部首などの指導をしてきているはずなのに、それができていないのです。言われるままに、その都度、練習を欠かさなかった学生達の字とは、明らかな差があります。

日本の社会では、「要領がいい、『適当』に頭がいい」というのは、余り褒めそやされません。「上」(どんなに努力しても敵わない人)があるのを小学校の頃から、嫌でも知らしめられているからでしょう、普通の日本人は。

こういう言い方は嫌だ、差別だと言われるかもしれませんが、インド圏などから来た学生を教えていると、否応なく、感じさせられてしまうことがあります。

「自分はできる」と思っているのです。あるいは、「自分は大学へ行ったから、頭がいい。知識がある」と思っているのです。そういう人が、本当に多いのです。

最初は、そういうエリート意識で、日本の普通の人(市井の人です)を見てしまうので、大変です。日本人は彼等よりもずっと知識があっても、もっとある人を身近に見ているので、だれも何も言わない。誇らない。誇ったりするのは生半可な知識のある人だけという気持ちが強いのです。

専門学校や大学を選ぶときにも、「もう、高校で勉強した」と言います。しかし、イギリス式の高校が多いので、高校卒と言っても、数学の高校でなければ、算数も満足にできない(日本の、習ったけれども、わからなかったというのとは違います。学校で習っていないのです)。知識も偏っていて、基本的なことも知らない(日本語のレベルは関係ありません)

だから、まず、「知らないことがたくさんある」という、日本人なら当たり前のことを、納得させておかねばならなくなるのです。これが、だいたい一年ほどが過ぎた段階でしょうか。聡い人なら、半年ほどで気がつきます。

こういう国では、截然とエリート教育がなされ、一般大衆の教育とは切り離されているとしか、思われないのです。大きく、三つでしょうか。ほんの一握りの超エリートと、高校や大学へ行くことのできる経済力のある家庭の子、そしてそれ以外の大勢です。超エリートと、それ以外の人たちとの差たるや、平均的な日本人からすると、想像を絶するとしか言いようがありません。

まずは、「皆、同じ教育を受けさせろよ」と言いたくなってしまうのですが。これも、日本では公教育で、先生が三年か四年、あるいは五年でほかの学校へ行くということがあるからでしょうし、公教育では教師のレベルがだいたい同じであるということも関係しているでしょうが。

今、二年生で、専門学校を見に行くときに、困ったことが起きています。日本人が多くを占める専門学校なのですが、その学校案内に、いろいろなコースが書かれてあるのです。それを見て、「私が勉強したいのは、ソフトです。それはありません」と言うのです。

多分、一事が万事なのでしょう。私はITの事はわからないので、ため息をつきながら、「まず、行ってごらん。行って、何をしたいのかと聞かれたときに、ソフトですなんて答えないでね。英語でも紹介は書かれてあるから、それをよく見てから、行ってね」

自分たちが高校で勉強したことが、世のすべてであるような感覚だけは、願い下げです。

日々是好日
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「念力の ゆるめば 死ぬる 大暑かな」村上鬼城

2019-08-21 08:41:53 | 日本語学校
晴れ。

今日も大気は不安定で、昼過ぎにはザァーと来るらしい。昨日は帰る頃に来ましたけれども。10分ほどだったかしらん。1時間は続く…と思っていたのですけれども。

こうなると、村上鬼城の「念力の ゆるめば 死ぬる 大暑かな」という句が思い出されていきます。…「念力」ねえ。

猛暑が一段落して…。一昨日の晩、そして昨夜と、最低気温が25度以下となり、しかも、秋雨前線の影さえチラホラしてくると、もう勘弁してよという気分になってきます。まだ、涼しさとは、ほど遠いとはいえ…。

その、まっただ中にいたときには、「ハア、暑い」で終わっていたのに、少しでも「秋」が感じられるようになってしまうと、もう「念力」も緩んでしまいますよね。気が抜けてしまう。こういうときが、かえって危ない。

暑いうちはピンピンに張っていた緊張の糸も、緩みがちになってしまいます。こういう土地に慣れている日本人でさえも。外国人はどうなのでしょう。東南アジアや南アジア地域から来ているこの学校の学生達は。

彼等にとっては湿度の方が問題で、暑さは、(暑いとは言うものの)大したことはないそう…本当かな。

さて、学校です。

昨日も、休み中の「漢字テスト」がありました。アルバイトが入ってしまうと、来られなくなる学生もいるようで、休み前までは、「N1」テストで、先頭を走っていたベトナムの学生も、とうとう3番手になってしまいました。まあ、これも仕方のないことです。休み中は一日8時間アルバイトができますから、新学期に備えて少し多めにアルバイトをしておくことも大切でしょう。一昨年など、試験のため、直前の一ヶ月、アルバイトを休んだ学生もいましたし。いつ何時、(日本語能力試験や大学受験のための)非常事態が起こるかもしれませんし。

本来、夏休み中の漢字テストは、2年生用…だったのですが、なぜか、前回、前々回と、「私も受けたいです。夏休みの間に『N3漢字』を終わりたいです」と一年生が参加しています。彼女は、時間があるときには学校に来て、七月生(一年生)が『みんなの日本語Ⅱ』を受けている教室の後列で、自習をしているのです。その流れで、試験を受けるようになったのでしょう。

まだ漢字が手に慣れていないので、文字らしく見えるようになるにはもうちょっと時間がかかるかな。ただ、本人は必死です。昨日は、7枚(1枚、20問です。「N3」までは)やると言う。ええっ、ちょっと大丈夫かなとは思ったのですが、一応、満点は取れなくとも、合格圏には入っている。

同時期に、日本にやって来て、来たときには同じようなレベルだったのに、この休み期間にかなりの差がついてしまった…ような気がします。これは、どこの国でも同じですね。特に一年生は、休み中、一日八時間バイトができると言っても、それほどできるわけではありません。多分、国にいたときと同じように、寮でおしゃべりをしたり、ダラダラしているだけでしょう。それなら、学校に来て、勉強を続けた方がいい。彼等がここで勉強できるのは、最長2年間だけ。来年になって「もう少しいたい」と言っても、もう遅い。

休み中、どうせ、学校は開いているのです。教師も誰かしらいる。わからないことは聞けばいい。

これができるかできないかで、差が出てしまうのは当然のこと。しょうがないですね。一年の終わりのクラス分け、あるいは、新学期早々、するかもしれません。その時には、中国人学生と共に、勉強に励んでいる「非漢字圏」の学生が、皆の一歩前を行き、それ以外の学生は、ゆっくりと進んで行くことになるかもしれません。

ただ、余りに早く分けすぎてしまうと、あとで必死になり始めても、ついていけなくなってしまうので、これも困るのです、特にベトナムの学生は(今、ネパールやバングラデシュ、スリランカなどの学生はビザが下りないので、一年生のほとんどはベトナムの学生です)。インド系はヒアリングがいいので、授業を聞いているうちに知識を増やすこともできるのです。勿論、漢字が苦手な人が多いので、読解の授業は最悪になってしまうのですが。

日々是好日
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今日は、ちょっと雨が降るとか。「夕立」とは誰も言いませんけれどもね。

2019-08-19 08:55:37 | 日本語学校
曇り。

天気予報図には、「秋雨前線」の文字が…。…えっ!!!もう「秋」…?

今年は、「残暑」という感覚が消え、「梅雨明け」からの「猛暑」がずっと続いている…のです。学生達に、「更衣」の話や、「四季折々」の衣服の「色」の話などをしても、どこか…わからない…かった表情をしていたのも、日本がこうなってきますと、(日本人の私でも)わかってきます。

「盆明け」に、「残暑」という具合には、気持ちの上で行きませんもの。かつては、「盆明け」前後で、「セミ(蝉)」の声(つまり、セミの種類)も変わっていましたし、「盆明け」の海は「『クラゲ(水母)』が出るから、泳ぎに行くな」などとも言われていましたもの。時の移ろいが比較的はっきりしていました、四季でと言うより、もっと細かく。

それに慣れている日本人でさえも、もう「暑中見舞い」とか「残暑見舞い」っていうのは、なくなってしまうであろうという予感はしますし、季節毎の衣服の「色」は消え、今期流行の「色」だけで、終わってしまうような気もします。

人の感性は「風土」によって培われ、その地が変化すれば、それに随って人の感性も変わっていく…ものだと言われています。もとより、どれほど年月が過ぎようとも、人々にかつての記憶が残ってさえ入れば、その名残は残っているでしょうが、そうでなければ、新しい習慣や文化が築かれていくだけです。

今年も、「台風一過」で涼しくなると思いきや、熱風が流れ込んできましたもの。時の流れから行けば、「暑さ」から、「涼しさ」を予感させるであろう「残暑」のはずが、一際暑くなっただけでしたもの。

こうなってしまうと、どうやって「日本語」を教えていったらいいのか、わからなくなってしまう部分が増えてきそうです。せっかく違う風土からやって来たのにね。そして、日本という国の風土で経験しながら日本語という言語を学ぼうとしているのに…ね。

日々是好日
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補講にきちんと来てくれることも、勿論、大切だけれども、家でも、宿題以外に、もう少し勉強して欲しいと思うのは、欲張りかしらん。

2019-08-14 14:30:34 | 日本語学校

晴れ。

曇ったり、晴れたりの、お天気です。今は晴れていますけれども、これがどうなりますことやら。朝、出るとき、地面は濡れていたことですし。

風が…、どうも、「台風」の匂いがする。この匂いを嗅いでしまうと、「カンナ」の花の赤が思い出されてなりません。お盆が過ぎた頃の、あの花の、オレンジがかかったというか、黒みがかったというか、あの赤の花です。

で、今日も、「補講」があって、その後は、昼、面接の練習に三人来ることになっています。一番(テストが)早くある学生は、「補講」の最初の授業(私の担当す。9時から10時40分まで)が終わってからの11時から…の、予定なのですが。そして、後の二人は、2時、多分。一時からか二時からかは、忘れてしまいました。面接の練習と言っても、こちらとしては形をつけるだけ。あとは本人の作業になります。この三人のことが、頭から離れなかったので、「Aクラス」の学生が、「(作文の練習に)来たい」と行ったときには、思わず、「今度ね」と言ってしまいました。

七月生は、新学期から、「Cクラス」に合併となります。そのため、『みんなの日本語Ⅱ』を一日、二課か、あるいは一課半は、やっておかなければなりません。それで、「補講」という形で、毎日のように来させているのですが、勿論、二日か三日毎に復習のための時間はとってあります。けれども、ヒアリングがそれほどよくない学生にとっては、かなりの強行軍…かもしれません。

それ故に、七月生、十月生、そして一月生として来る予定の学生には、あらかじめ、日本でやる3ヶ月分、半年分、9ヶ月分を国でやってから来るように言ってあるのですが。それがきちんとできていないから、問題なのでしょう。

四月生は、条件が「N5合格」ですから、みんな、『みんなの日本語Ⅰ』は終えてから来ています。それに、中には2冊目の半分、あるいは2冊目を終了してから来ている学生もいますから、遅れてくる学生が、「3ヶ月分と言えば、『みんなの日本語Ⅰ』くらいだろう」と、高を括って来てしまうと、後で泣きを見るということになってしまいます。

特にヒアリングに難のある、民族であってみれば、少しでも早く来て、耳を慣らしておいた方がいいのです。わずか一日であろうとも、軽んずることはできません。一日の長と言われるくらいですもの。それが、積み重なって、百日の、あるいは一年の長になるのです。それが、平たく言えば、「慣れ」なのです。

今、(七月生の)二人には、懸命にハッパをかけているのですが、わかってくれるかしらん。家でも、ある程度勉強しておかないと、置いてきぼりになってしまいますよ。もちろん、もう少し、強い言葉で言っているのですけれども…。

日々是好日
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夏休みは、かえって、忙しい…。

2019-08-13 08:50:30 | 日本語学校

曇り。

台風のせいなのでしょうね、曇っています。曇っているから、直に雨になるだろうと思っていると、それがなかなか雨にならなかったり、またカンカン照りだから大丈夫だろうと思っていると、突然雨になったり、台風が近づいてくると、いったいどうなるのか、予測がつきません。夕立でなくとも、馬の背を分けるような雨になるかも知れませんし。

お日様の光が遠いからでしょうか、今日、「セミ(蝉)」の声が、いつもより、ぐっとか細く聞こえます。「セミ」と言えば、階段などでひっくり返って死んでいる「セミ」。あれは、仰向けになって、元に戻れないから死んでしまったのであって、元に戻せば、元気に飛んでいく。…というのを聞いてから、ひっくり返った「セミ」を見つける度に、ちょこっと触って、少しでも動いたら、元に戻すという作業を続けています。実際、八月に入ってから、3匹ほど、元気に飛んでいきました。生まれ変わりは「セミ」になるかも…。

この「セミ」、子供のときの話とは違って、成虫になってから、1ヶ月ほども生きていた例もあるとか。そうなると、ますます、この仰向けになっている「セミ」を元に戻すという作業はやりがいが出てきます。

とはいえ、虫取り網に虫かご、このセットでうろついている日本人は、どうも留学生達から見ると珍しい生き物に見えるようで、虫を見ずに、それを狙っている日本人を見る方が面白いらしいのです。

さて、学校です。

休みになってから、毎日の補講にやって来る「Dクラス」の学生は別にして、「漢字テスト」にやって来る、真面目な「A、Bクラス」の学生達。来ないのは、やはりベトナム人とスリランカ人ですね。

ネパールの学生は、いいですね。こちらが言ったとおりにきちんと来て、(漢字の)試験を受けてくれます。もとより、アルバイトが入っているときは来られませんし、用事があるときも来られないのですが、それでも、端っから来る気のない人たちとは違います。

もっとも、大きな声で「二枚、やります」と言って、二枚とも不合格(一枚につき20問あり、100点満点の80点で合格です)の人も居ますが、70点でも取れたと言うことは勉強したからであって、やらないのよりはずっとましです。…変な慰め方ですが。2回目(火・木が試験の日です)にはちゃんと取れていますから、文句はありません。

それが終わってから、参加したオープンキャンパスのことを聞いたり、これからのことを相談したり、また、すでに進学先を決めた人たちには、願書書きをしたり、志願理由を書いたり、面接の練習をしたり…。夏休みは、私たちにとっても、忙しく、予定していた教材作りもなかなか進みません。

もっとも、今、少しでも手をかけておくと、新学期が始まってから楽になるのです。新学期が始まってから、こういう準備を始めるとなると、アルバイトを休ませなければならなかったり、いろいろ不都合なことが出たりします。

…夏休みに全然学校に来ない人たち、それがわかっているのかしらん。

日々是好日

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黙って、夏休みに帰ろうとしている学生。進学はどうするつもりなのでしょう。皆は休み中に、懸命に頑張っているというのに。

2019-08-08 15:09:54 | 日本語学校

晴れ。

猛暑が続いています。学生達は、「暑い、暑い」と言いながらも、大学や専門学校のオープンキャンパスや説明会に参加しています。やはり、夏休みで勝負が決まるというのは本当ですね。

それなのに、帰国する学生がいます。昨年はネパールの学生が幾人か帰国しました。ベトナムの学生も、決まったように帰国します。帰国した学生は、あとが続きませんね。勉強の調子を崩してしまうのです。もともと、それほど好奇心があるとか、勉強の意欲に燃えてきていたわけではなかったのでしょう。

いくらこちらが、日本の事情、彼等の(日本語の)レベルの問題などを詳しく話しても、「こころ、ここに在らず」で、話になりません。この(夏休みという)期を逃さず、アルバイトなり、勉強なり、(大学や専門学校の)見学なりに励むように言っても、「帰ります」。

まあ、帰るのは自由ですし、いちいちこちらの許可が必要(罰せられる)というわけでもありません。しかしながら、帰らなければならない時には、必ず、両親なりからの「帰国理由」を送ってもらうことになっているのですが、今回、帰国するというベトナムの二人、それも「わからない」といい加減なこと。

戻ってきてから、すぐに専門学校の願書を出したいと言われても、9月に出す予定の学生、10月に出す予定の学生は、今、毎日のように学校に来て、「願書」書きやら、「作文」の練習、「面接」の練習に励んでいるのに、この差をどうやって埋めるのでしょう。

頑張っている人たちには、こちらも、懸命に指導できるのですが、自分の都合だけで動いている人たちには、やりようがありません。情としても、頑張っている方に手をかけるのは当然のこと。こちらがすぐに出すのは無理だと言えば、おそらく、勝手に出すのでしょうが、結局、あれも足りない、これも足りないとなってしまい、相手の心証を損ねてしまいます。それが不利に働くということすら、考えられないのでしょう。

おそらく、こういう国では、テキトーにやって、文句を言われたら金を払えばよかったのだろうと思われて仕舞いです。

そのうちの一人は、帰国することすら、最初、私たちに言っていなかったのです。ひょんな事から、発覚して、こちらが怒っているのがわかって、慌てて弁明に来たけれども、それが帰国予定の三日前。

夏休みぎりぎりまで、戻ってこないわけですから、夏休み中に、懸命に手立てを考え、それに従って対策を練り、勉強していた人たちとは、すでに新学期が始まる前に差が出ています。その差を埋めることができると錯覚しているのでしょう。

だいたい、この学校にいる間は、「帰国しない。勉学に励む」というのが、(来日前の面接の時の)約束でした。あの時の約束をなんとも思っていないのでしょうね。親御さんにもきちんと言っておいて欲しいと、間に立っている(現地の)日本語学校さんにも頼んでいましたのに。

一時帰国で失敗するベトナム人学生が多いから、ハノイに行ったときに、わざわざ念押しまでしていましたのに。

中国人学生もそうでしたが、ベトナムの学生は、それに輪をかけて、忘れるのが早い。定着しにくいのでしょうね。語順も、発音も、どうにかそれなりになっていたのが、一度の帰国で、ものの見事に崩れてしまい、そのまま残りの歳月を過ごすということになってしまいます。しかも、その間に専門学校や大学の願書書きやら入学試験やらがあるわけですから、思っていたのと違うと戸惑うのは本人でしょうに。

こちらも、休み中の努力を計算に入れて(進学)指導をしています。その前提が崩れれば、もう、頑張っているほかの人たちと同列には考えられません。わずか2週間か3週間と、彼等は思っているのでしょうが、帰国していた期間以上なのです、消えているのは。

それも、わからないのです。

彼等が戻ってきたときには、ランクを一つか二つ落とさなくてはならないでしょう。特に大学に行きたいと言っていた人は、まず「本当の事を言っていなかった」、「希望が叶うべく努力していない」ということで、「大学」に入れても、同じようにうそをつき、同じようにテキトーにやるだけでしょうから、ほかの人の迷惑になってしまいます。お金がないと言っていたのに、帰国するだけの金はあるのですから、それも嫌な気分にさせられた理由の一つ。

戻ってきたときには、倍も金欠病になっていて、進学をどうするのでしょうね。

日々是好日。
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「夏休み」の「補講」が、始まりました。今年は七月生対象です。『みんなの日本語Ⅱ』です。

2019-08-07 08:46:59 | 日本語学校

晴れ。

暑い日が続いています。「台風8号」が去ったかと思ったら、すぐに「九号」が発生し、南の海上では熱帯低気圧の雲が固まり始め「台風10号」となっています。この分で行くと、更に、次々に台風が発生し、列島を窺うことになるのでしょう。今までもこんなふうだったのかしらん。なんだか、ちょっと違ってきたような気がするのですが、これも「梅雨」が例年になく、雨の日が多く、涼しかったからかも知れません。例年通りと思えないところに、なんだか、嫌な感じがするのですが…。

さて、一昨日は、朝からにぎやかでした。やはり、学校は、学生がいないといけませんね。

「Dクラス(七月生)」の三人は新学期までに『みんなの日本語Ⅱ』を終えるべく、時間通りに(9時から12時半まで)やって来ました。「Cクラス(四月生)」の学生は、来なければならない学生のうち一人は遅ればせながらやって来たものの、ベトナムの女子一人とタイの女子一人は、やって来ませんでしたね。連絡もありません。

「初級」レベルは本当に大切で、この時期にヒアリング力をどうにかしておかないないと、後が大変だということがわからないのでしょう。のんびりしたものです。こちらがいくら口を酸っぱくして、必要性を説いても、どうにもなりません。来年が思いやられます。

この分ですと、来ても「来てやっている」ふうになってしまい、他の学生の迷惑になるかも知れません。

夏休みの補講は、学校側からいえばサービスです。私たちにしても、学生を呼ばずに済めば、その分、ほかの仕事が捗ります。

中国人学生が多いときには、夏休みも補講、補講、補講で、とにかく勉強、勉強、勉強でしたが、中国人学生がほとんどいなくなってからは、夏休みはアルバイトの期間と見做さざるをえず、またそこまで必死になって入れるべくもない状態が続いていました。

ただ、七月生の数が少ないと、実際四月生も多くはないので(在日の方が多いのです。また、彼等の方が一生懸命に勉強してくれます)、将来的には、一つのクラスにせざるを得なくなるのです。それ故に、七月生には、3ヶ月分をどうにかして入れておかないとならないのです。

これが、国で「N4」くらいまでやって来ていると楽なのですが、如何せん、国や地域によっては、そういう教育ができないところもあるのです。せいぜい、「ひらがな」「カタカナ」で、「動詞のテ形」を学ぶときに、どうして動詞が変形するのかがわからず、泡を食った学生がいたことだってあるくらいなのです。

けれども、世界には、他国で左団扇で教育を受けることができる人たちというのは、本当に少数派です。

ネパールにせよ、バングラデシュにせよ、学生達に聞くと、「同じ村では、皆がドバイやマレーシア、サウジアラビアなどへ出稼ぎに行っている。けれども、自分は勉強がしたいから、日本で働きたいから、日本に留学させてもらった」と言います。

その点だけでも恵まれているのでしょう。ただ、恵まれていると言っても、来日後左団扇で生活できるわけではなく、生活は厳しいものです。

けれども、この生活に耐えて、大学まで行ける学生というのは、なかなか侮れないものです。

この「頑張り」を、単に、アルバイトをたくさんしているからというだけで、見て欲しくはない…という気もするのです。両立している学生もいるのです。それに、成功している学生もいるのです。

もっとも、彼等は頭だけでなく、また体力だけでなく、気力も、人一倍、あったのでしょうけれども。

日々是好日
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昨日、日光へ言ってきました。「東照宮」を拝観し、「中禅寺湖」で昼食を摂り、「華厳の滝」を見てきました。

2019-08-02 09:53:54 | 日本語学校

晴れ。

今日も暑い。

昨日、皆で「日光」へ行ってきました。「日光東照宮」を拝観して、「中禅寺湖」で昼食を摂り、「華厳の滝」を見て、それから一路行徳へ。

集合時間は6時15分で、最初に来ていたのは、例年通り、スリランカの学生。毎年、スリランカの学生がいるときには、バスの席取りの関係でしょう、いつも「一番」は、スリランカ人で、後ろの五人掛けを狙うのです(早い者勝ちということで、「一番」先にきていれば、好きな席をとることができます)。

ところが、今年、スリランカの学生は、「三人」プラス「卒業生ひとり」ということで、五人に満たない…。で、後ろは後ろですが、最後列の一つ前の列を狙っていたようです。

ネパール人学生とスリランカ人学生は、ノリノリで、ガイドさんの話にも、質問にも、「は~い」や「いいえ」は言うに及ばず、何でも、大きな声で答えてくれます、後ろから。ところが、ベトナム人はこれが苦手で、我関せずと無視している。「皆に問いかけている」ということは、「誰も答えなくていい」ということになると理解しているのでしょう。今回はバスの半分より前に、ベトナム人が集まって座っていたので、そこだけが、し~んとしている。後ろの賑やかさとは全く異次元の静けさ。

見ると、スマホで友だちと連絡していたり、音楽を聴いていたりしている。同国人だけと、笑い合ったり、何か言い合ったりして、学校という世界に存在しているにもかかわらず、幕を張り巡らしたベトナムという小世界で生きているかのよう。垣根を越えて、いろいろな国の人たちと、一緒に遊ぶということが、出来ないのでしょう。毎年、この図は変わりません。

皆(他の国の人たち)でやるというのが、本当にだめなのです。同じベトナム人とだけであったら、和気藹々とすぐに助け合い、うまく行くのですが、この「根性」は、なかなか変わりません。この学校から同じ大学に行った学生達が、「ベトナム人はすぐ固まって他の国の人たちを排斥する。だから、こっちも無視する」などと言っていましたし。

教室で一斉授業のときには、仲良くしているように見えても、いざ、教師がいなくなると、途端に、ベトナムでガチガチに固まってしまい、他国者を排斥してしまう。この傾向は変わりません。どうしてでしょうねえ。

ベトナム人の、この習性を見ていると、日本人の島国根性とか、すぐ、「村を作る」とか言うのが、かわいらしく見えてくるほどなのです。

日本人も「群れる」る傾向にあるのは確かなのですが、(多国籍の)集団の中に、だれか、独りぼっちの人がいると、すぐに、手を差し伸べて、輪に入れると思うのですが、それもない。知らん顔です。見て見ぬふりと言うよりも、もとからその意識がない。…ベトナム人が他国で仲良く暮らしていくというのは、本当に大変だと思います。

これは、彼等にとって、不幸だと思えるのです。

ネパールも、スリランカも、小国である点では、ベトナムや日本と同じなのですが、グッと開放的で、「頼むね」と一言言っておくと、どの国の人であれ、すぐに仲間に入れてくれ、昼食などのグループですることに何ら支障が生じないのです。

今年は、ベトナム人の中に一人だけ、他の国の人たちと親しくしてくれる学生がいるのですが、同国人がきわめて閉鎖的だと、一人だけ浮いてしまい、時々、かわいそうになることさえあるのです。

日本政府は、ベトナム人に関しては、あまり厳しく見ていないようですが、日本で、このような人々はどうやって折り合いをつけていくのでしょうね。もっとも、彼等は日本人に対しては、そういう態度を取らないようですが。日本にも、ベトナム以外から来ている人は多いのです。自分たちもその中の一人であるという意識がないのかしらん。

日々是好日
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