日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「留学生クラス」では、毎日宿題ノートが山積みされるけれども、「在日生クラス」では、なかなか書くと言うことができないようですね。

2022-07-22 08:26:26 | 日本語学校

曇り。時々晴れ。のち一時雨…らしい。

さてさて、他人事でなく、自分が、老いが絡むいろいろな状態になってしまうと、どうも書物の世界に逃げ込もうとするようである。他者の慰めやら、からかい、力づけなどでは、どうもうまくたちいかなくなってくるのです。

で、頼りにするのが、「狂歌」。「狂歌」というと、文化文政期と思ってしまうのですが、実際はそうではなく、既に「万葉」のころにもあったようで、殊に「戦国時代」は盛んであったらしい。一休和尚のものも、面白い。

「先の世に 借りて返すか 今貸すか いつか一度は 報い来ぬべし」(一休)

昨日の歌(?)もそう。やはり禅宗系のお坊さんは、「公案」で常に攻めたてられているからか、暇つぶしのようにポイポイと作っている…かのようにも見えるから、すごい。聞いた者はフフっと笑ったり、なるほどなと感じ入ったり、それぞれ違いはあるけれど、結局は一時的にでも、気が紛れる。それがいい。何かの折にふと思い出したりすると、何事も、「なるようにしか、ならないものさ」などと思ったりする。

夜など、1人で、

「雀どの お宿はどこか知らねども ちょっちょとござれ ささの相手に」(蜀山人)
などと言いながら、やに下がったり、

「鶴もいや 亀もいや 松竹もいや ただの人にて 死ぬぞめでたき」

この狂歌も作り手の名を「四方赤良」で覚えたものの、「蜀山人」と言うべきか、はたまた「大田南畝」となすべきか、どの名も有名なので、どうしたらいいのかわからない。ご当人はなんとも思っていないのでしょうけれど。

そういえば、こういう歌もありましたっけ。
「貪欲を 捨てよと言うて 捨てさせて 後より立ちて 拾ふ上人」

人間なんて、本当に変わらない。縄文時代の人も、もしかしたら何万年も前の人も、同じように考え、迷い、また、人を騙し、騙されしていたのでしょうね。判っていながら、それを繰り返し、引っかかっては泣き喚き、騙しては悦に入る。

そうかと思えば、人は、
「あら楽や 人が人とも思はねば 人を人とも 思はざりけり」(深草の元政…この人は禅宗ではなく日蓮宗だそうですけれども)

なんて思ったりする。

花鳥風月はもう関係ないのです、人間の業と向き合っている時には。

さて、学校です。

「B・Cクラス」こそ、留学生が入ってきたので、11人なのですが、「Aクラス」「Dクラス」も4人か5人といったところ。この二クラスは、在日生だけなので、どうしても数が少なくなる。それで、足りない部分は別に引き出して、「(授業が終わってから、或いは授業の前に)○○さん、来なさい」といった感じで、手当てするという形をとらなければならなくなる。
授業が終わってから、○○さん、残りなさいといった感じで
「在日生クラス」にいる人たちは、日本語の様子がわからないからか、「宿題」というものの意味が掴めない…のでしょうね(日本語なんて聞いたことがないという人がほとんどですし。だいたい日本のことだって、知らない人が少なくないのです)。自分たちの文字と同じと考え、言えれば、だいたい書けるだろうから、練習する必要などないくらいに考えているのでしょう。

で、まず、(宿題を)しません。つまりノートに問題や答えを書かないのです。書くという習慣がないのでしょう。「言えば判ることをなぜ書く????」と、宿題を出したこちらを怪訝そうに見るだけ。

それが、「留学生クラス」に入ると、変わりますね。最初から「留学生クラス」に入っていれば、皆が毎朝、宿題をノートに書いて、それを提出しますし、「N5漢字」に入れば、20~30字ほども書いた漢字ノートも提出します。そして提出された各自のノートを見て、教師が問題箇所を指摘していきますから、多分、焦るのでしょうね。しかも、留学生には、こちらも強面で臨みますから。

もっとも、なかなか同じようにはできません。それでも、毎日文字を書くということが大切なのです。彼らだけの時には、毎日「おはようございます」だけでもいいから、書くように言っていました…でも、書いてきませんでしたね。

「在日生クラス」では、彼らに合わせて授業をしていきます。なんとなれば、こちらの進め方で、やりますと、すぐについて行けなくなりますから(つまり、彼らが7,教師側が3くらいでしょうか)。ところが、「留学生クラス」では、1年半で、ある程度の結果を出さなければならないので、卒業時から逆算して、こちらのやるべきことを決め、それを彼らにさせていきますから、こちらが9.8くらいで、学生側が0.2くらいになる。特に「初級」ではそうです。これが「N2」レベルくらいになりますと、進路を考えながら、進めていかねばなりませんから、学生の方の割合がずっと増してきます。それに進路に応じての取り出しというのも増えてきます。

今は「B・Cクラス」と、「Dクラス」で、筆を持つ時間が全く違うという「面白い」ことになっています。

日々是好日
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10の国から来ている、21人の学生たち。

2022-07-21 08:47:12 | 日本語学校

曇り。

「蝉」の声に送られるようにして、やってきました。暑いのは嫌だし、喧しいのも嫌。とはいえ、暑くない、「蝉」の声も聞こえないというのは…もはや日本の夏とは言いがたい(「花火大会」も中止が続いたし、「お化け屋敷」なんてのも、この二年ほど無かったようですが)。いやはや、人間というのは、全く身勝手でわがままな存在。

ここは日本語学校ですから、日本語を学びに来ているのは、異国の人たち。また日本国籍を持ってはいても、基本的に日本語とは関係の無い世界で育ってきた人たち。日本についてわずかなりとも知識のある人もいれば、全く知らないという人もいる。

彼の地では、経済的にある程度恵まれており、それ故に、天狗になっている人もいれば、そういう色が全く感じられない人もいる。語学に才能が見られる人もいれば、そうでない人もいる。

年齢も、留学生の場合は、だいたい二十歳前後から25歳くらいが一番多く、語学を教える上で年齢による気遣いは要らないのですが、在日の人となると話が違ってくる。年齢のばらつきが、かなりあり、40歳を超えて来ると、こちらとしても、教え方や内容を工夫したり、彼らの要求を理解した上で、こちらの望む方へ引っ張っていくという辛抱が必要になってくる。

また、(日本で)高校へ行きたいという人も、時々、親御さんに連れられてやってくるのですが、例えば、自宅で1人で勉強ができるか否かも鍵になってくる。暗記が勉強、テストは暗記したものを書くだけという教育を15年ほども受けていれば、字を書いて覚える、本を読んで理解するということがなかなかできない。別に責めているわけではないのですが、まず最初から、この手当てをしなければ、先には進めないのです。すぐに、「違うな」とこちらのいうとおりにできる人もいれば、何ヶ月経っても、授業中に、教師の顔を見ているだけという人も出てくる。

「日本ではこうだ」と素直に納得できれる人なら、まだ若いのですから、1、2週間くらいで「ひらがな」「カタカナ」は書けるようになります。それが、「ひらがな」が書けるようになるだけで二ヶ月以上かかる人もいるので、さあ、大変。書けるようになっても「50音図」上でのこと。「ひらがな」を遣って書かれている「日本語(単語)」は読めない。読めないから授業中、こちらが本を見るように指示を出しても、ずっと教師の顔を見ているだけということになる。

「みんな違うからいい。多様性は大切だ」とは、こういう場合、なかなか言えないのです。彼らは、日本で高校へ行きたいとやってくるわけですから。「ひらがな」「カタカナ」を覚えていれば、「数学」の初歩(小学校レベル)の計算に入れます。計算式はおそらくどこでも同じでしょうから。ところが、ここで、「分数」が判らない、「小数点」が理解できないとなると、用うべき日本語がわからないので、教えようがない。まずは、「『ひらがな』を覚えてね。そして読めるようになってね」で、停まってしまう。親御さんは判らないでしょうね。自分の子供は優れているとは思わなくても、普通だと思っていますから。どこの国でも、教育レベルは同じだと思っていますから。異国で基礎的な知識を学ぶことの難しさが理解できない。で、子供だけが苦労すると言うことになる。

以前、中国人の留学生が、「国では数学が全然判らなかった。教えてもらいたい」といいに来たことがあったのですが、「中国人の先生に、中国語で教えてもらって、判らなかったのに、日本人の先生に、日本語で教えてもらって判ると思うか。日本語と中国語とどちらの方が上手なんだ」と詰問調で言ったことがあったのですが、中学を卒業するかしないかの人に、さすがにそれは言えません。

もとより、一番大切なのは「本人にやる気があるか否か」ということなのですが、やる気があっても、自分を過大評価している人もいて、現実を認識するのに、半年以上もかかる場合があります。

留学生の中には、頭がいいなと思えても、成功体験が邪魔をするのでしょうか、彼らの国の勉強方法から抜け出せず、日本で望むような仕事に就けない人が出てきます。遠回りして、やっとあきらめがつくというのは、可哀想は可哀想なのですが、素直にこちらの話を聞かなかったからだと腹立たしく思えてくることがあります。一見、迂回しているように見えても、こつこつと漢字を覚え、文章が読めるようになった方が勝ちなのです。

異国に来て、そこで何事かをやろうと思うならば、まずは言葉でしょう。言葉がわからねば、その地の人と意思疎通を図ることも難しい。それに何よりも、日本のような土地では災害があった時にどうしたらいいかも判らないでしょう。彼らはあまり気にはしていないようですが。

それと、現地の習慣というか風習ですね。それを文化と捉えて、知ろうとしてほしいのです。土地の習慣とか風習などは、その風土と深い関係があり、その地の人たちの考え方にも影響を与えています。その地の人を理解し、より楽に生活していきたいと思うなら、それが一番手っ取り早いのです。

ここ二年ほど留学生が入ってこられなかったので、今は留学生が今年の四月生だけです。在日生と合わせても、いつもの三分の一ほどでしょうか。それでも現時点で、21人が様々な目的で学んでいます。彼らの国籍も、ベトナム、スリランカ、パキスタン、ネパール、フィリピン、インド、バングラデシュ、イラク、コロンビア、シエラレオネと10カ国に及び、宗教も民族も様々というか、バラバラです。

とはいえ、あっちに気を遣えば、こっちが困るというふうに気を遣いまくりということはありません。彼らが求めているのは「日本語」であり、「日本に受け入れられる」と言うことなのでしょうから、(勿論、その深浅は問いません)、私達が手当をするのはその一点だけ。後は問題が起きた時に考える…くらいでしょうかしらん。気にし始めればきりがありませんから。

「麻に添う蓬は矯めざるに直くなる」とも言います。もちろん、こちらは日本語を教える立場ですから、この「直くなる」を「文字を覚える」ほうに解釈していますが。

「話す」「聞く」ができれば、日本で簡単に仕事が見つかると思い込んでいる人も、週一の漢字テストに、真面目に取り組み、懸命に漢字を覚えようとしている人たちの中に入ると、変わってきます。最初は「(自信が崩れて)おかしいな、変だな」とオロオロとし始め、次に「これじゃ、いかんのかしらん」と考え始め、皆を真似し始めます。それで終わりというわけではなく、根気があれば、うまくいくでしょうが、年が長けていると、それも難しい。とはいえ、曲がりなりにも、多少は、文字を覚えようとする。

こういう人の場合、覚えるのに順序などないのです。好きな「言葉」、或いは「内容」、「物」が「ひらがな」で書ければいいのです。そのうちに、「カタカナ」が書けるようになるかもしれませんし。折りがあれば、簡単な「一」「二」「三」くらい入れてもいい。「カタカナ」が書けようになっていれば、「今」くらい入れてもいい。「『屋根』の絵を描いて、カタカナの『ラ』で出来上がり」です。それも「ついで」で教えればいいのです。何かの機会があれば、その時々に一つだけ。一つでも漢字が書ければ、それだけで日本人との話が弾みます。

日々是好日
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今年初めて「蝉」の声を聞きました。

2022-07-20 08:21:48 | 日本語学校
晴れ

晴れ時々曇り。便利な言葉です。これに「ところによっては雨」というのが入ればもっといい。

「昨日勤王 明日は佐幕 その日その日の出来心」お天気だってそうでしょうね。一喜一憂している人間なんて馬鹿みたいに見えるでしょうね、お空の上の上のずっと上からは。

これを、こういう歌が流行っていた幕末か明治の初め頃のものだと思っていました。覚えやすいし、言いやすい。しかも、何か折りには言い訳にも使える、便利なものですし。

ところが、引いてみると、「西条八十」の歌詞だそうな。昭和の初め頃のものですから、確かに古いことは古いけれども、「狂歌」とかじゃあないし、まず、私でも知っている数々の歌詞を書いた人の作だったとは。「出来心」一つにしても、こういう文句が先に付いていた方が、なんとなく許せる。だれが言っても。その点、本当に便利なものです。

今朝は、今年初めて「セミ(蝉)」の声を聞きました。グウ~ワアンと大音声に鳴いていました。ただ短かった、この声は、すぐに、シー、シーという秘めやかな蝉の声になってしまいましたから、それだけに、この一時の蝉の声は印象に残りました。

けれども、ちょっとばかり、ホッとしました。「今年は蝉の声が聞こえない…なにか異常が起こるのではないか」と市井では喧しかったから。しかしながら、もう既に異常に馴れている我ら。「異常さん」とは親戚づきあいをしているようなもの。

この暑苦しい世の中に、また宗教で苦しんでいる人が出てきた。宗教とは、人を助けるはずのもの。だから人間はそれを作り出した。救いがほしいと思っている人が、そういう状況におかれている人が多かったから。

「神といひ佛といふも 世の中の  ひとのこころの ほかのものかは」(源実朝)

万葉調と言われるのは、当時の他の歌人たちのよりも、ずっと直裁的に、現代の私達の心に響いてくるからなのでしょうね。この人の歌のいくつかは、叫びみたいなもの。だから有名な幾首かを見ると、自分の心にすぐに迫ってくる。

けれど、時々、辛くなることがある。それに比べれば、江戸期の

「念仏を 強いて唱(もう)すもいらぬもの もし 極楽を通り過ぎては」(桃水和尚)
という禅宗のお坊さんのもののほうが、(ハッとして、次にホッとでき)笑えるところがいい。

日本人なんて、山に入る時には、「無事に帰山できますように」と、その山の神に祈り、海に入る時にも同じようにして来た。何にも目の前にない時には、お天道様に、「今日も恙無く過ごせますように」と、柏手を打って来た。

そんな存在だと思っていたのに、金で神様をどうにかしようとする心の人がいるとは(金でどうにかなるものなのでしょうか、「神」っていうのは)。またそれを唆すような神の存在を使い、押し広げていこうとする人がいるとは(もう、こうなったら、金儲けの一つですね、宗教ってのは)。

ちょっと考えただけでも、そんなもんは紛いもんだということは、わかりそうなものなのに、引っかかるとは。人とは本当に弱いものなのですね。追い詰められると、何をするか判らない。誰かに、何かに、頼ろう、縋ろうとしてしまうものなのでしょうね。

目に見えるもの。具体的なあるもの。「心」とかではなく、「物」で何とかできれば、こんな楽なものはない。「物」で何ともできないから、「宗教」があるのでしょうに。

日々是好日
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「身の丈にあった」とか、「そこそこの暮らし」とかいった言葉が日本人は好きなようです。

2022-07-19 08:51:14 | 日本語学校

晴れ。

まるで梅雨時に、急に青空が現れて、ホッとしたかのよう。本当に、毎度のことながら、「今年は変」と言いたくなりもする。

夏は、やはり雨なら、「夕立」でしょう。さっと降って、さっと止む。止んだ後には、虹なんかが出たりして…。

「寝転んで 篠をつくづく ながむれば 内へ半分 雨の降る家」 (朱楽菅江)

年取って思い描くのは、多分、こういう己れの姿。畳に寝転ぶことができる日本の家屋ならではのことなのでしょうが。

「いい加減 損得もなし 50年」なんて川柳が流行ったのも、当時の平均年齢が、いわゆる、今の「退職年齢?」と同じくらいだったからなのでしょう。今だったら「50年」が「80年」なんてことにもなりかねず、それでも、疾うにこの年齢を超えていますから、「80年」はおかしいということにもなりかねず…。

なんとなく、「現状」とは別の場所に身を置くことになれば、不安は不安。とはいえ、良寛さんの
「ひさかたの 雨降らば降れ 風吹かば吹け」…その前の部分(おそらくは、それがきっかけの部分で、本来なら大切な部分なのでしょうけれども)は忘れてしまいましたが、こういう気分にもなる。捨て鉢一歩手前というか、考えることをやめて、踏みとどまってはいるけれども、なんとなく中断状態みたい。

学生たちに、注意を促しながらも、
「柿食いに 来るは 烏の道理かな」と思いもする。

それぞれ、「道理(わけ)」があるのです。勿論、注意ならぬ彼らからすれば、文句を言っている私にだってこの「道理」はある。

「Cクラス」、いわゆる「初級クラス」のことです。国で、『みんなの日本語(Ⅱ)』を終えてきている学生もいるのですが(これは毎年のことです)、だからといって、ここでその続きができるかというと、そういうものではないのです。それができる学生はまずほとんどいません。

「ひらがな」「カタカナ」の書き順やら形やらが違っていれば、当然のことながら、「漢字」の形も書き順もおかしなものになっているし、なって来もする。「発音」も「イントネーション」も、本人はできているつもりでも、雑になっているから…ひどい時にはやり直しなんてことにもなる。 

ただ当人は判らないようで、「私はできているに」という感がありありと見える。

よくよく説明したいとは思っても、微妙な言いまわしなど、まだ「N4」レベルでは判りませんから、言っても無駄。つまり、言われたとおりにしようとする素直な人なら勝ちになるが、そうではなければ「我(が)」の強い方は負けと言うことになる。

大変ですね。今、一名いるのですが、どうにかなるかしらん。夏休みがあるので、少々心配なのです。

日々是好日
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「七夕様」で、「神」という言い方は避けたのですけれどもね。無駄でした…。

2022-07-07 08:49:06 | 日本語学校
曇り。

時折、陽が射してきますし、風は…なんと、心地よい涼しさ。これも「温帯低気圧」と化した、「台風4号」の影響なのでしょうか。七月なのに、どこか、変…。

さて、今日は「七夕様」。

「星に願を」というわけで、先日、「短冊に願いを書いて」の時、下のクラスのイスラム教徒の女性が、それを拒否。これは「宗教」というよりも、「文化」なんですがね。

実は数年前、これまで通りの説明をしていたところ、イスラム教徒の男子学生が急に立ち上がり、「帰ります」。…彼以外のイスラム教徒の学生たちは残ったのですが。まあ、そういうこともあり、その時以降、「神様」…つまり、「天帝」とか、「天で機織りをしていた」とかいう言葉を、一応、封じて説明するようにしていたのですが。それでも、出てくるのです、こういう人が。こういうこと以外は、ごく普通の人なのですが。

異文化の、いわゆる先進国と言われる国に来ていても、なかなか自分の「優位性」を捨てきらない人というのはいるもので、その「優位性」たるや、自分はいわゆる「(自分たちの)神を信仰しているから、(それを信じていない)未開の者たちに比べて、優位にある」というようなもの。…これじゃあ、どこに行っても、悶着を起こすだろうな。

日本人の宗教観なんて、いい加減なもので、「あなたはいい人で、私の友だち。私の大切な友だちが信じている神は、多分、いい神様。だから私も尊重します。はい、合掌」で、終わり。だれに手を合わせようが合わせまいが、「自分のものは自分のもので、変わりはしないから平気」なのですがね。

融通が利かない世界から来ている人は、他の世界に行った時、大変だろうなと、他人事ながら、思ってしまいます。その人が行った某地の人が、思い込みの激しい、その人を哀れと思い、最初のうちは、万事につけ、譲ってくれるでしょうが、それに気づけないのでしょうね、きっと。しかしながら、それが続けば、心優しい某地の人も我慢の尾が、ぷっつんと切れるでしょう。そして、関係はぶち切れてしまう…でしょうね。その時に恨みつらみを言って、「嫌な人たちだ」と言うようになるのでしょうが、全く困ったものです。末が判るだけに同情してしまいますけれども、双方に。

こういう人の宗教観だけは、口で言っても変わることではありませんから、私達の態度も一応「敬して、之を遠ざく」になってしまいます。

せっかく異国に来たのに、新しいもの、未経験のものを、用意されても自分から排除してしまうとは、ある意味、もったいないことなのですがね。

そういえば、もう10年ほども前のことになるかしらん。「カトリック教徒」の学生が、「読解」のテキストの「進化論」が語られていた件に反応し、「これは間違っています」と主張したことがありましたっけ。

その時は、「日本では皆、こういう『学説』が常識となっているので、日本人を知るという意味で、勉強してね」で、事なきを得たのですが、「イスラム教徒」の世界は、まあ、国や民族によっても違うのでしょうが、どうも上から目線の人が少なくないようで、ガチガチの人も微々たるものとは言いがたいようです。

中世の「イスラム教国」は、「古代ギリシア」の哲学やら、文学、科学を学び、己がものとなし、先進的な大帝国となっていました。当時は、中世ヨーロッパ世界を睥睨していたものですが、それも、おのれと異なったものをドンドン吸収していけるだけの自信と度量があったからなのでしょう。それがなければ、今でも、己が狭い空間で、ハアハアしながら生きていくしか道はない。とはいえ、それは他者からの視線。

彼らそれぞれの民族や国の歴史があり、その歴史の中で培われた生き方なのでしょうから、他者がどうのこうの言うものでもないし、言えるものでもない。

こういう学校にいれば、様々な宗教を持った人と、いろいろな接点ができてしまいます。中には、私達に、如何に自分たちの宗教が優れているかを力説する人もいるのですが、(宗教に「優れている、いない」はないだろうと、思っている私達には、あまり通じないようですね。礼儀上、聞いてはいるのですが、こころでは「気の毒だな。徒労であろうに」。

慣れていない人は近づくかも知れませんが、それは宗教としてではなく、あくまでも珍しい文化としてです。またその方がいい。「宗教」なんて、人に押しつけるものではなく、押しつけなければだれも信じないとしたら、もうそれは「宗教」のまがい物とでも言った方がいい。  

「宗教」というものは、「地震」、「津波」、「火山の噴火」、「戦争」、「疫病」、そして「予期せぬ親しい者の死」など、人知を越えた災いに対する人々の「畏れ」であり、「祈り」であり、「(祈ることによって)救われる心」であり、ある意味、人と人(ある時は死者)との「よすが」でもあるのでしょう。この意味では、極めて個人的なものです。

ただ、この数千年の間に、カリスマ性のある人が出現し、それが政治的なものと結びつけば、巨大な力を持つこともあるでしょう。その力に軍事力が備われば、当然、大きく広がっていくでしょうね。ただし、だから、立派というわけでもない。

宗教の名は違っても、人々の願い、祈りは同じである限り、結局は同じものに対して祈っているのです、人は。

だから、日本人は「森羅万象に神宿る」となる。で、皆、同じ。そういう日本人に、おのれの宗教の利点を声高に叫んでも、それがなんだ????となる。

「生き方」の違いを説く方がよっぽど説得力があるような気がするのですけれども、「宗教」を説くよりも。

日々是好日
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さて、毎日新たな気持ちで授業に臨めば…などと勝手に考えています。授業の流し方は、大して変わっていないのですが。

2022-07-06 08:16:15 | 日本語学校

今朝も、大雨になっていると思いきや、薄日が射すような具合。まあ、ここ数日「不安定な」という枕が付いていますから、やはり雨が降っていないうちに、出た方が良さそうだと、今朝も早めに出てきました。

いつも皆よりもずっと朝が早いので、「初級クラス」の宿題やら、採点やらは翌朝しても良さそうなものですが、一度やって失敗してからは、やはり、提出された「その日」のうちにやるようにしています。

理由は、まず、最初の二ヶ月くらい(五月から六月初旬にかけてでしたが)は、文法のチェックだけでは終わらないということ。

文法はそれほどミスが無くとも(なにせ、『みんなの日本語Ⅰ』の初めの方ですから)、ベトナム勢の「ひらがな」が、なんともひどい。「カタカナ」はおいておきますが。とんでもない字を見つけてはその字毎に訂正し、(前日の)宿題の終わりのページに、その字を一字ずつ練習するように書いておいても(1ページ分も要します。ひどい字が多いのです。これを二ヶ月ほども続けます)、翌々日の宿題はやはり同じ字で提出してきます。少しも変えていない。

もっとも、一言付け加えておきますと、5人のうちの2人がです。3人は、訂正箇所を見た後、すぐには直せませんでしたが(癖になっているので、宿題の始めの方は改めてあっても、書いているうちに癖が出てくる)、今は時々出るくらい。ほぼ大丈夫。きれいな字と言えるような字を書く人もいます。

2人のうちの1人も、最近、一字を除けば、かなりマシになってきました。つまり、最後まで変えない(つもりがないということでしょう)のは1人だけということ。よほどひどい時には、その字の下に線を引いたりすることもありますが、やっても無駄なら、そちらに手をかけるよりも、手当をすれば伸びる人の方に力を注いだ方がいい。

それから、朝は、やはり「その日」のことを考えたほうがいいということ。若いうちと言いましても、60ちょっと過ぎくらいまでのことですが、その頃までは前日に見ておいても、翌日に気持ちも気分もそして授業のイメージも残っていました。けれども、もうダメですね。やはり(その日の)朝に見て流れを掴んでおかないと、その日の授業が流れていかないのです。毎日のように同じことをやっていても。

だいたい、朝っぱらから向かっ腹を立てていても、碌なことはないということでしょう。イライラすることは前日のうちに済ましておいた方がいい。で、朝は、書ける時は、ブログ書きに精を出し、毒を出し切ってから、授業に出る…という形になってしまいました。ここ二、三年のことですが。

これでいいのかな。多分、いいのでしょう。年と共にやり方も変わっていくのが自然の流れ。まずは、無理をせず、真っ白とはいかずとも、要らぬ絵を描かずに、授業に臨めば、相手も楽になるということでしょうし。

日々是好日

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今日は、「七夕」をします。願い事を書き、飾りを作ります。

2022-07-05 08:36:17 | 日本語学校

曇り。

朝から雨…の心づもりをしていたのですが、なんとカーテンを開けてみれば、薄曇りで、時々陽が射しているような状態。まあ、直に台風も熱帯低気圧にだろうし、こんなものかなと、ちと腑抜けのようになってしまいました。とはいえ、雨でないと言うことは、苦労して自転車に乗らずにすむということ。大歓迎です。

自転車を走らせているうちに、空き地のフェンスに「夕顔」の蔓が巻き付き、白い花が飾りのように付いているのを見つけました。夏ですねえ。学校の近くでは、それと気付かぬ間に、もう「フヨウ(芙蓉)」が満開となっており、「ケイトウ(鶏頭)」も日々「かしら」というか「鶏冠」というか、それを伸ばしつつある…。

「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」      子規

小中学校で習った「俳句」や「短歌」、「詩」などというものは、なかなか忘れられないもののようですねえ。

山川草木のみならず、特に近代は、「うた」の中に、動物や昆虫の姿も多く見られますし、日々の生活の様子なども垣間見られ、だからでしょう、何かの折にふと心の中に湧き出てように現れることがあります。もっとも、多くは一首や一句まるまるというのではなく、一部分にしかすぎぬものなのですが。

さて、今日は午前中、後半の授業で「七夕」をやります。「七夕」の説明をした後で、短冊に願い事を書き、色紙で飾りを作っていきます。

たいていは、教師に教えられたとおりのものを作っていくのですが、時々、目を見張るようなすごいものを作る人がいるので、なかなかに侮れない。折り紙は日本だけのもののようであって、そうではないということがよくわかります。

十年以上も前のことになるかしらん。インド人の学生が、この人は美術系ではなかったので、最初は、何とも思っていなかったのですが、折り始めていくと、ん、ん、ん、これはもう「私達の知っている『折り紙』」のレベルではないな…」ということがよくわかりました。立体的な建築物のようなものを作っていったのです。それからスリランカの学生、この人は美大出身だったので、多分、すごいものを折るだろうなと思っていたのですが、やはり堂々としたものを作り上げていました。

まあ、その他のは、私同様、「どうしよう…」で、「わっか」を作っていったり、網を作っていったりがせいぜい。それでも、作業というのは楽しいもののようで、なにがしかを折り上げると、「先生、先生」と呼んで見せてくれます。隣同士教え合ったり、中には手先の器用な人がいますから、難しい箇所は折ってもらったり。大半は手伝ってもらったくせに、「できた、できた」と大喜びで騒いだり…。

教室の中とは違う一面を見せてくれるので、それも面白い。

昨年からいる人たちは、皆、在日生で、特に「Aクラス」の四人は多分、昨年も折って、願い事を書いたことでしょう。説明も二度目、とはいえ、もう嫌だと言うような人はいないので、安心して説明ができます。「Bクラス」の2人、「Cクラス」の12人、「Dクラス」の3人は、「七夕」は初めてなので、いいかな。子供のいる人は、保育園や幼稚園でもするので、「知ってる」と言えれば、いいかな。

そんなこんなで、毎年の「七夕」行事が、今日もやってきます。

日々是好日
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書いているうちに、雨が降り始めました。久しぶりの雨です。

2022-07-04 08:41:38 | 日本語学校

曇り。

「梅雨」時なのに、30度超え。それでも、暑い暑いと不満タラタラだったのに、それがいつの間にか連日の猛暑。関東地方の内陸部では40度前後まで上がってしまい、もう、どうして…という声さえ心細げになっている。

例年の「太平洋高気圧」のその上に、「チベット高気圧」が張り出しているから。厚い布団を二枚重ねしたようなものと言われれば、何となく判るのですが、でも、どうして…。

「梅雨」の時は「梅雨寒」なんて言葉がありましたよね。でも、それも「死語」になりつつあるのかも。だいたい「梅雨」なんてのも、「遺物」としか語られないようになるのかも…。いやはや、暑い…。「暑いばかりじゃない、水瓶の水は大丈夫なの?」と、心配していたら、「台風4号」が太平洋高気圧の縁を伝ってこちらにもやってきそうです。既に「熱帯低気圧」になっているかもしれませんが。

「季語」をはじめとして、なにがなしか季節感がないと(無季は別として)、「俳句」らしくないと思ってしまう日本人。これからは「夏」の「季語」がドンと増えそう。短い春のあとは長い長い猛暑の夏が鎮座ましますような季節の国になってしまうかも。

さて、学校です。

異国の人たちを教えている時、よく彼らに、彼らの「常識」について聞きます。いわゆる「日本の常識」「彼らの非常識」と、「彼らの常識」「日本の非常識」をあらかじめ双方が知っていると、こちらも例文作りが楽になるし、彼らの理解も容易になる場合が少なくないのです。

これは宗教や文化によることもありますが、知識(学校教育レベルの)によることも少なくありません。教育というのは、長期にわたり人々を管理していく上で非常に便利な道具ですから、国によっては「知らしむべからず」というのを絵に描いたように実行しているところもありますし、それ故に「(ある知識を)それは嘘だ」とはっきり言い切る人々も出てきます。自由の国で、しかも科学技術が発達しているアメリカでさえ、そうなのですから、いくら自由を標榜していても、それを享受する人間には限りがある。

「人は見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない」。とはいえ、これも教育によるのでしょう。そう教育されてきたから、「見たいもの」が、ある国では画一的になる。理想が一色であればそうなりがちです。

自由がない国から、他国に来て、「ここは自由だろ」とばかりに、やりたい放題、言いたい放題のことをするような、ある国の人もいれば(いけ好かないのは、彼らの国では知識のある部類に入っているということ)、日本に「愛国教育」というのが認められぬことを奇妙に思っている人もいる。

日本人から見れば、自分の国を大切に思い、守りたいと思うのに、「教育」が必要なのかと、そちらの方が不思議。彼らのいわゆる「国」とは何なのかと思ってしまうのですが、多分、そういう国では「教育」しなければ、だれも、彼らのいわゆる「国」というものを愛せないのでしょうね。

ふるさとの人々を、国の山河を思い、来し方を思いやる。さすれば、「誰か故郷を愛せざる」でしょう。たとえ、幼い頃にいじめに遭ったとしても、不快なことに出遭っていたとしても、ふるさとの山河や野山の草花木々に慰められた思いをだれもが抱いているはず。

国とは、山河であり、草木であり、人々であり、どのようにも形を変えられる「水」のようなもの。これだというものはないのです。

日本でも群雄割拠の時代がありました。古くは国というのものは、せせこましい土地を指していました。この狭っ苦しい土地も、甲という国のものとなったり、乙という国のものとなったり、また、丙のものとも、丁のものとも、戊のものともなったりしたことがあります。だれのものとなろうとも、そこにいた人が望まない限りは、人々は同じ土地に住み、同じ生業をし、生きてきました。だから、想うことができたのでしょう。

国を離れて、日本に来ている人、特に若い人の中には、「日本がいい。日本でずっと暮らしたい」という人もいます。 とはいえ、おそらく年老いた時もそうなのかというと、そうではない場合も多いと思います。だれしも、生まれた国に戻りたいと思うもの。とはいえ、自分が生まれた国が全く違う姿になってしまっていた時、もうそれは自分の国ではないと思うかもしれません。

国とは見たり、触れたりできるものだけでなっているわけではなく、「水」のように形もなく、底知れぬ部分もあるのですから。

日々是好日
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来日が遅れ気味だった「四月生」たち。どうにか休み前に『みんなの日本語(Ⅰ)』が終われそうで、ホッとしています。来週終了の予定です。

2022-07-01 08:37:05 | 日本語学校

晴れ。

「梅雨」はあったにしても、どこか肩透かしを食らったような…、あれがいわゆる「梅雨」だったのかしらん。まあ、ともかく、「梅雨」は終わりました。そして、まだ「終わった」と言われる前に始まっていたのが、酷暑。

30度を超えたくらいでグタグタ言うなと、笑われようが、貶されようが、暑いことは暑い。

学校に着くのが、7時前でも暑い。これが六時台前半だと、マスクをつけるのを忘れないのですが、今日は、自転車に乗ろうとして、ハタと気付いた…マスクを忘れた…。

まあ、自転車だし、だれと話すわけでなしと、そのままマスク無しでやってきたのですが。そうして自転車に乗っていると、自然と「つけていない人」に目が行きます。…案外いるな。イヌを散歩させている人もそう。こちらでは、顎のところまで落としているし、あちらでは片耳に引っかけている。足早に歩いている人もつけていない…きっと電車に乗る前につけるのでしょうけれども。

と言うわけで、本当に二年ぶりというか、マスク無しで自転車に乗ってきました。勿論、カバンに「まさかの時用マスク」をしのばせているので、仕事には差し支えありません。

さて、学校です。

先日、パキスタンの男子学生。授業が終わってから、なにやら話したそうなので、付き合ってやると、「アルバイト先のビルの管理人さんと話した」と言う。あいさつはしていたものの、「ちゃんと」話したのは、初めてだそうで、その時、年を聞かれ、「もうすぐ19才になる」と答えると、「管理人さんは驚いた」。そして、「30才くらいと思っていた」と言われたと言う。で、「そうですか、30才に見えますか」と私に聞く。

イスラム教徒の若者は髭を生やしている人が多いので、多分そのせいだと思うと言ったのですが、それでも合点がならぬらしい。そりゃあそうですよね。まだ十代なのだから。

それを聞いて、ふと自分のことを思い出した。私だって、新採用で初めて行った学校でのこと。そこの、同じ国語の先生に、「父兄が、37才の先生が来たと言っていたよ」と言われ、そうか、37才かと。納得いかぬ納得をしたことがあったのです。それからは、(その37才から)一歳でも若く言われたら儲けもんくらいに考えることにしたのですが…もっとも、遙か以前にその年は過ぎていますが。

まだ彼にはこういう考え方はできないでしょうね。そう見えたのは、マスクをつけているせいかもしれませんし。話している時など、時折、まだあどけない表情を見せるので、異国の人の年がはかりかねる人でも、(話しているうちに)案外若いのかなと思われるでしょうから。

さて、七月に入り、今度の日曜日に「日本語能力試験」があります。今年の「四月生」も、来週、『みんなの日本語(Ⅰ)』と、『N5漢字』が終了する予定。で、再来週に、『N5試験』を実施することになっています。

一口に「四月生」と言いましても、コロナのせいで、ひとくくりにすることはなかなかに難しい。4月中旬に来日できたのが一人、下旬に二人。で、5月上旬に二人、中旬に一人、下旬に四人という具合で、最後の学生が入ってくるまで、タラタラと授業をしていたのですが、それからは、いつも通りの進度でやっていき、どうにか夏休み前に「N5レベル」を終えることができそうです。

今年の4月生の国籍は、インド、スリランカ、フィリピン、ベトナムの4カ国。七月生が一人申請が通っていますので、そのクラスに、このクラス(4月生)の進度について行けない(在日の学生は、仕事があったりして毎日は来られないと言う人が多いのです)コロンビア、イラン、シエラレオネ、ネパールの学生が移ります。ウズベキスタンの人は、判るところだけ囓っていればそれでいい風なので、このクラスに残るようです。それからもう一人、「Bクラス」からウズベキスタンの人が移ってきます。

夏が始まると、「暑い」と言われて、冷房を入れても、すぐに遠慮がちに「少し寒い」などと言われ、下げたり上げたりが大変になってきます。個人的な部分もありますが、国でひとくくりにできる場合もあります。このクラスは、○○国から来た人が多いから冷房は高めの方がいいなというのも、他の国から来た人の中で暑がりがいれば、席替えやらせねばなりません。

とはいえ、コロナ政策のせいで、2年間、留学生が来られなかったわけですから、こういうことがあっても、うれしいものです。暑くても頑張ってねと言うと、私の国はもっと暑いから大丈夫とか、反対に、とても大変と言われたり。これからあと二年近くを共に過ごす仲間たち、いろいろあって、いろいろあるから、面白い。

日々是好日

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