日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

昨日は、「入学式」でした。今年の新入生は、女子が元気がよくて積極的。男子は食われています…見たところ。

2024-04-23 11:21:09 | 日本語学校

曇り。一時晴れ。

月曜日は、入学式でした。

二年生が、一階の教室で「式」の準備をしている間、新入生は三階の教室で、「新入生挨拶」の練習やら、「新入生」、「在校生」、「全員」、「起立、礼、着席」などの単語を覚え、それから、「返事」の仕方などのの練習をしました。

まだ時間が少々あったので、「日本語能力試験」が、毎年、七月と十二月にあること、大学に行きたいと云う学生が少なくなかったので、その他にも「日本留学試験」が六月と十一月にあることなどの話をしている時、二年生が遠慮がちに呼びに来てくれました。

今年の四月生は、全部で20名。うちネパールからの二名は五月の上旬にならないと来られないことがわかったので、今年は全員揃うのを待つことなく、18名で先に式を挙げることに。

この四月生、ネパールとスリランカからの人たちが大半を占めているのですが、うち女子が圧倒的に多く、しかも皆、生きがいい。男子の影は…悪いけれども、かなり薄い。授業時における、声の大きさでも、他クラスを圧倒している。毎年、新入生の声は大きいものなのですが、それ大きいと感じてしまうのは、女子の声が大きいからなのでしょう。声の小さいベトナム勢が二人しかいないということも関係しているのかもしれません。

昨年度の「四月生」も「七月生」も、そして「十月生」も、総じて、声がそれほど大きい方ではなかったし、男子が、ある程度数いたので、女子の声が消えていた…のかな。ただ、争うように勉強するという感じのネパール人学生は、いなかった…。皆、高卒できていたからかもしれません。待ちの学生たちが多かったのです…それに、バングラデシュから来ている三人の男子も、それほど日本語の勉強が好きそうには見えないし…。

ところが、昨年度の学生たち、学校は、今でも楽しいらしいのですね。聞いているだけの授業だと、ニコニコしています…ただ、質問をすると下を向いてしまうか、「アッシには関係ござんせん」みたいな顔つきになってしまう。これが困ったところなのですが。宿題を来てしていても、休みがちなのと、宿題は全部はして来ずとも、明るく元気で、毎日顔を見せてくれるのと、どちらがいいかと言われれば、宿題の「しゅく」なんて、どっかに飛んで行ってしまいますがね。

勿論、それで笑っていられるのも、「初級」の間だけです。「中級」になりますと、単語の量も、文法の量も、「初級」時代とは比べものにならないくらい増えてきます。特に「漢字」は、授業の時の導入で終わりでは、どうにもなりません。週一である「漢字テスト」でも、合格して終わりというわけにはいきません。学校が準備した「漢字一覧」に意味を書き、読みも覚えていくという努力なしには、ついていけないでしょう。そこが、今「Aクラス」と「Bクラス」に差ができているゆえんなのですが。

できれば、新入生たち、こういう状態だけは避けてほしい。特に、国で十分な日本語教育を受けて来られなかったネパール人学生はそう。「ひらがな」から入れていかねばならぬ人たちが大半なので、最初は苦労すると思いますが、がんばって毎日勉強しているうちに、きっと『みんなの日本語(Ⅰ)』の間には追いつけるでしょう。『(Ⅱ)』に入ると、かなり難しくなってくると思うので、勝負はその前までですね。実際、そうやって、「Aクラス(四月生クラス)」に入った「十月生」(ネパール人)だっていることなのですから、

まさに「初心忘るべからず」です。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「言わなかった後悔より、言った後悔」

2024-04-22 07:09:10 | 日本語学校

小雨。

今週はどうもお天気が悪そうです。その上、今日は最高気温も20度を下回るとか…夏日のような暑い日が続いていたので、ちと大変。学生たちも着るものに戸惑っているのがよくわかります。特に雨の日は…。季節の変わり目は本当に大変です。

古代の人たちは、この「大変さ」を、楽しみに変えていたのでしょうけれども、今ではそれは贅沢の部類に属してしまっているような…。昔とは違い、「その季節ならではのもの」も、「その季節に行うべきこと」も、失われつつあるか、あるいは努力をせねば失われてしまうかしているようで、それは、実際、自分の中でも次第に希薄になりつつあるようです。

「伝統」であるとか、「ここでなければ楽しめない」というのが、昔は、「習わし」で終わっていたのに、今では「経済」を考えねばならぬというのも、困ったことかもしれませんが、続けていくためには仕方の無いことなのかもしれません。

さて、学校です。

よく「やらなかった後悔より、やった後悔」と言われますが、こういう学校では「言わなかった後悔より、言った後悔」を考えておいた方がよさそうです。

「異文化は尊重せねばならぬ」と、決まり文句のように、皆、言います。私も以前は石頭でそれを大切にし、やり方を間違えてよく失敗しました。こちらは相手を「異文化」と思っていても、相手はそうは思ってくれない。そういうところからイスカの嘴になってしまうのです。噛み合わない。

こちらは、「相手はこうしてやった方がいいのだろうな」という感じでやっても、相手は「これで通るんだ」くらいなもの。一方的にこちらが譲るという形になってしまい、だんだんこちらも疲れてきて、勝手に相手が嫌になる。

それで、自己主張を覚えました。言いにくいなと思っていても、「そう、私たちはそうやらない」が言えないと、こういう人たちとの付き合いは長く続きません。そうやって初めて、相手が「あれ?違うのか」となるのです。

勿論、これは普通の日本人にしか勧められないことです。日本人は相手に合わせて考える傾向にあるようですから。ところが、世界には、はなっから、自己主張のみで、「それが通ればよし、通らなかった場合はそのときのこと」と考えていたり、自分たちと違う世界があることなど想像だにできない人たちもいるのです。

友達関係でしたら、相互のものですから、それですんでいても、(日本語学校のように)来日し、日本に馴染んでもらわなければならない人たちが対象だと、そういうまどろっこしいやり方ではどうにもならなくなってしまいます。(対象者は)もう日本にいて、周りが、日本人が大半を占める日本社会なのですから。「自分たちはこうだ」を主張しすぎる人たちには、決して譲らない。ゴミ出しなどの些細なことでも、日本で暮らしていくためには「覚えろ、やれ」しかないのです。

なにせ、この学校、常に10カ国以上の人々がいるのです。あまり頭ごなしに言わない方がいいとか、ちょっと強権的じゃないかと言う人もいるのですが、きっとそういう人たちは、異文化の持ち主とあまり付き合いがない人たちなのでしょう。あるいは、日本人と同じように考えてくれるような人たちとばかり付き合ってきたのでしょう。嫌な目にそれほど遭っていないのだろうなと思います。

日本人の悪い癖、「自分さえ我慢すれば」。これは、仕事の面において、「困った人」だと思います。彼ら(留学生)は、日々の生活(含アルバイト)を通して、生の日本人の中に入っていかなければならないのです。日本人と一定の付き合いができるためには、まず日本人のこと、日本社会のことを知らねばならない。その最初の相手が、日本語学校の教師ということになるのです。

私は「日本では」とか「日本社会」では、という大層な言い方はあまりしません。「私は困る」とか、「私は嫌だ」と言います。すると、彼らは「先生は嫌なんだ」と覚える。そして日本で類似のことに出会った時、「そう言えば、こういうことが嫌だと言った人がいたな。日本人はそうなのかしらん」と思ってくれる…ようです。ちっとばかり記憶に残るだけでいいのです。

来日後、半年も経てば、彼らも日本での経験が少しばかり増えてきます。長ければ、そうである人とも、そうではない人とも出会い、自分なりの修正をやっていけるのでしょうが、ここでは長くて二年、短ければ一年とちょっとくらいなので、経験が増えるのを待つ時間はそれほどないのです。

ただ、今の学生たちもそうですが、学校が嫌いではないのがわかります。明るいのです。それを見ていると、やはり、一番先に出会う日本人として、言いたいこと、言わねばならぬことは最初にはっきりとわかる形で伝えておくことは必要であると思います。

よく「(言ったことで)嫌われても、外で嫌われるよりはずっといい」と言います。学校では長期休みを除けば、毎日のように一緒に勉強しているのですから、こちらも相手を相手もこちらをある程度はわかる。毒のある(?)言葉を吐いていても、それが「ためを思ってのことか」そうではないかは互いにわかるものです。

さて、今日も、少々痛いことを言わねばならぬかもしれません。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さて、「Bクラス」、どういう授業に変えていこうか…。

2024-04-19 08:27:06 | 日本語学校
晴れ。

先ほどまでうっすらと曇っていましたが、今はカラリと晴れています。一昨日、道いっぱいに拡がっていた細い木の枝が、今朝見ると、道の端に溜まっていました。風によって掃き集められたのでしょうね。折ったのも風なら、掃き寄せたのも風。カラカラのお天気で、きっとすぐにバラバラにされてしまうのでしょうね、細っこい枝達。

さて、学校です。

悩ましき「Bクラス」。春休みの間に、習った「教科書」の内容をきれいさっぱりと忘れ、自分とは無関係のものとして、それでも、にこやかに登校してきた、旧「Eクラス」の面々。罪悪感を求めてしまう私に、どうしてと悲しそうな目で見つめ返す、旧「Eクラス」の憎たらしき面々(全員ではありません)。

とはいえ、過去に引きずられてはなりません、「さあ、もう忘れた。前を向こう」で、「これから」を考えることに。「春休み」中に、「もしも、こうだったら…」と考えておいた、次善の策を実施してみることに。

旧「Eクラス(十月生)」に、言われたことはするけれども、積極性が少々乏しい(というか、どうも日本の勉強の仕方に慣れていないかにみえる)、旧「Dクラス(七月生)」が入った現「Bクラス」。

幾層にも、かなりはっきりと分かれています。それを考慮しなければ、問題点が見つからず、故に対策が立てられない。

言われたとおりにするけれども、「話してみよう、使ってみよう」という気持ちが、それほどない。つまり、習ったなりである人達には、とにかく、使わせる。
「漢字は無駄もの」と考えて、そういうものにエネルギーを使いたくない(としか考えられない)と考えている人達には「今、教えた部分の漢字を、今、書かせることに」。とにかく、手を動かさせる。
「知識欲」だけはあるけれども、文法を覚えたり、漢字を覚えたりする気があまりない人達には、90分授業の間に、300字くらいの文章を読み、場合によっては話し合いをしていく。
それらがミックスで存在する…ので、これらを時々でやらせていく。もちろん、軌道修正は常に考えておきます。

そのために、授業中に使う「専用のノート」を準備さえ、必要に応じて使用させていく。

「Aクラス」の場合は、「N3」と「N2」を同じ授業に入れているので、時間配分などはちと面倒なのですが、勉強したい、もっと上のレベルを目指したいという人達が主なので、こういう手間はかかりません。ですから、今までのやり方をだいたい踏襲できます。まあ、「A」「B」共に、「読解」の授業なんですけれどもねえ。

人(学生)が変わると、同じ教材でもやり方を変えねばならなくなります。「クラス」の傾向にしてもそう。
留学生であっても、高卒者(20才前後)ばかりである場合と、「漢字圏」の学生が多い場合とでは、違いますし、大卒者(23才くらいから30才前後)が多い場合や、それほどやる気がない人達が多い場合、あるいはやる気満々だが、語学学習の面でかなり時間がかかりそうな人達の場合とでも、変えざるをえなくなります。

一対一の授業であったり、多くても3人程度であれば、流れていくように彼らの様子を見ながら、日々調節をやればすむこと。大した手間はかかりません。

それが、面倒になってくるのは、一斉授業だからです。せいぜい、20に満たないくらいの人員なのに、幾層もの塊が、かなりの個性を発揮していると、曖昧ではすごされない要素が絡まってきますから、その調整がちと面倒。とはいえ、留学生は逃げられません(逃げた人もいましたが、それは授業とは関係ないところでの話です)から、クラスのレベルを上げることに専念できます。

とはいえ、この「Bクラス」。これまでは微調整くらいで、終わっていたのに、ここまでやり方を変えようとは。また変えようとしている自分にも驚いています。年を取ったので、考え方がかなり自由になったからかもしれません。これまでだったら、その範囲でどうにかやるくらいで、それほど「自分の面倒」にすることはなかったですが。学生達を見て変えれば、学生達には少なくとも益にはなるでしょうが、その分、こちらにとっては、…体力・気力はかなり余分に使うことになるでしょうね。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「休み明け」の授業の流し方が、大体見えてきました。ちと不本意なのですが。

2024-04-18 08:20:57 | 日本語学校
晴れ。

まだ弱く陽が射しているくらいのものですが。

「スギナ」の緑が鮮やかに庭を彩っています。「ドウダンツツジ」も蕾をつけ、「フリージア」がきれいな黄をまとっているかと思いきや、そばでは「ドクダミ」の葉がはびこっていました。同じ植物なのに、「ドクダミ」には、「はびこる」と言いたくなってしまう。実際、この時期、どこにでも、あるのです。他の花を探しているのに、目に入ってくるのは、この「ドクダミ」ばかり。抜いても抜いても、後から後から生えてくる…。

さて、学校です。

昨日、学生達が登校する1、2時間前に、ザッと激しい雨が降っていたので、新入生達、大丈夫かなと思っていたのですが、登校時に傘を持ってきていた新入生が何人かいました。この季節、お空が不安定で、傘はなかなか手放せません。寒かったり、暑かったりするのも困りものですが。

その点、「二年生」ともなると、自転車通学が増えてきますから、一雨降っても、自転車で乗り切れるさというところなのでしょう、そのままの姿でやってきたりしています。これが本降りになりますと、雨合羽姿で登校ということになるのでしょうが。

「Aクラス」です。

「N2・N3」文法は、やっと(暗記文を)読むことに集中できるようになりました。「四月生」と「七・十月生」とは、一緒に何かをすると、かなりの差が出てくるので、「う~ん、ダテに四月から学んでいるのではないな」と、その時は思うのですが、「N2」の「暗記文」は、やはり「四月生」らにとっても、読みにくいらしく、今のところ、読みでは、「N3」の方に力を入れるようにしています(文法は、両方学ぶようにしています)。

「N2・N3(漢字)」は、共にまだ終了していないので、「読み」の方に入れていません。が、教えるにしても、「四月生」と「七・十月生」間では、同じようにはできません。

「四月生」の方は、もう基本がしっかり入っていますので、書き順にそれほど注意する必要もなく、ホワイトボードに漢字を貼って教える必要もなく、「漢字のパーツや部首を言いながら、一度書いて見せ、彼らにも一度書かせて、ノートをチェックして終わり」で済ませられます。

が、「七月生」「十月生」はそうはいきません。「七月生」三人のうち、スリランカの二人は休みがちですから、いまだにこちらのスピードのついていけず、遅れがち。「十月生」の方はまだ手が慣れていませんね。「わかれば、書ける」かというと、そういうものではなく、この考え方を改めない限りは、覚えることは難しいでしょう。とはいえ、休まずに学校にきていますから、直にどうにかなるでしょう。

「春休みの補講」期間に、全部出ていた人は、(終わる頃には、「漢字」でも)ある程度、追いつけたかなと思っていたのですが、それからの二週間ほどの休みで、元の木阿弥になっていました。「漢字」ばかりは、毎日、手を動かしておく必要があるということを呑み込むのに、時間がかかるようです。時間が無ければ、三つ、四つでもいい。毎日手を動かせと言っているのですが。

一方「Bクラス」では、「Aクラス」の「N3」授業ほどには楽に進んでいません。四週間ほどの「春休み」期間に、「十月生」は、『みんなの日本語』(の内容)がほとんど消え、「七月生」は、「十月生」に比べ、一ヶ月ほども復習できていたので、その「消え」の度合いも少ないとは言いながら、やはり、この期間「本を開いていなかったな」というのがわかるほどの思い出し方しかしていません。

新学期、最初の授業で、愕然とし、そして次の授業の日に、(『みんなの日本語』を)ザッと流してみたのですが、結局は、軽く「ああ」で終わってしまっていることに気づき、これは問題をやらせていきながら復習させていくしかないと思い定め、三回目は、「読解問題(ウォーミングアップ)」に戻しました。もちろん、「敬語」「動詞・イ形容詞・ナ形容詞の活用」「動詞の種類」「そうだ・ようだ」「自動詞・他動詞」の復習をやった上でのことですが。それから、「N3漢字」は、試験用プリントの「意味」の確認も始めました。「『漢字』が天敵」という人も若干名いますから。

もちろん、「Aクラス」の「N3」グループに比べれば、かなり速度を落としています。「復習」に時間がかかるので、しようがないことなのかもしれませんが、本当はもちっと早く進めたかった…。いまのところは、休み前に予定していたところの三分の一くらいでしょうか。

これで、四月末から五月上旬にかけての連休が来るのですから、今はその「明け」に少々ビビっています。

どうなりますことやら。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「漢字テスト」の日は、永遠に来週???

2024-04-17 08:03:33 | 日本語学校

曇り。一時雨。今、また陽が射して来ました。本当に気まぐれなお天気です。今日、明日、黄砂も飛んでくるとか。

日が出た頃は、まだ晴れで、おかしいな?朝から雨のはずだったんだけれども…。それがうちを出る頃には、灰色の雲が空いっぱいに…。何となく不気味というか、何かが起こりそうな不穏な感じが、ヒシヒシと迫りつつあるような…。

うちを出て歩き始めると、降ってきたか…。雨粒を感じたような気がしたのですが、それも、学校に着く頃には消えていました。それなのに、学校に着いてから30分以上経った頃に、ザーッと来ましたね。かなり激しい降りでした。それが、ものの10分か20分ほどで、スッと上がってしまいました。この分で行くと、学生達が来る頃までは保つかしらん…。なにせ、新しい人達は、傘を持っていないでしょうから。

今年は、予測がつかないようなお天気が続いています。まるで南国のよう。温暖化が叫ばれて久しいのに、サクラが随分遅かった…しかも、あっという間に散ってしまった…ような気がする。

北極の氷が溶けて、その冷たい空気が風に乗り、うねりながら、ちょうど日本の上空に来たりすると、寒さがぐっと募ったりする。地球規模の温暖化の余波でしょうね。

この分で行くと、冬にしっかりとした寒さが来なくなり、寒さが感じられなければ、「サクラ」は花開けませんから、満開にならずじまいで散ってしまうかもしれない…とか。「サクラ」の満開を見ないと、どうも「春」が終わった感がないので、冬からズルズルと梅雨に入り、酷暑の夏になる…ような一年になるかも。

満開の「サクラ」を、ギリギリ見ることができただけ、今年の新入生は運がいいのかも。

さて、学校です。

先週の金曜日に、「新学期」が始まったのですが、「Bクラス」…。「『春休み』に何をしていたんだ!」と喚くのは私の方で、敵はなんとも思っていない。それどころか、どうして???といった顔をしている。完全に、みんな、忘れていた…。

「七月生」は「十月生」を待つ間、『みんなの日本語』の復習ができていたからまだマシだったものの、3月に『みんなの日本語Ⅱ』が終わって、一週間くらいで、すぐに「春休み」に入っていた「十月生」は、「N3」文法の既習の部分(僅かです)が消えていたどころではない、「N4」文法事項のあれこれも消えていた。

こっちの慌てっぷりを見て、面白がったり、そんなもんだけど…のような表情の学生達。そうか、そうだよな。「休み」は「休み」で、勉強なんかする時じゃない。そう、宿題と言われれば、やらなきゃと思うことはあっても、何も言われなければ、やる義理(義務じゃないのです)はない…。それは「自分のため」なんで、「私のため」じゃないんだけれど…が通じない。

「う~ん。みんなが忘れていたので、今日は、『みんなの日本語』の復習をします」と、新学期二回目の昨日、復習をしながら、なぜ勉強しなければならないかの話もチョコッとしておいた。

彼ら、「あれがあるから、今、これをやっておく」式のやり方に長じていないようで、「漢字のテストは、火曜日」と言っても、どこか「火曜日は永遠に来ない」と考えているようなフシがある。一週間後に、火曜日は来るもんですけれどもね、普通は。

「一週間後に、同じように火曜日が来ると思っていないでしょ」と言うと、如何にもにこやかに笑う。笑ってすませちゃだめでしょ。絶対にそう思っているなと思われる人が一人、二人じゃきかない…。今、練習しなさいと言うと、素直に練習するんだけれども…「明日」とか言ってしまうと、「明日は永遠に来ない」と思っているんじゃないか…。

授業の時に、10分なりとも、漢字の練習をさせて、すぐテストとやったら、真面目に取り組むんだろうけれども、授業の時に、30分近もの時間は割けない。やることはたくさんあるんだから…で、特にその傾向が強い人を睨み付ける…。でも、堪えないんですよね。「私は勉強が好きです」とか、「はいわかりました」と如何にもかわいげに言う。困ったな。

もっとも、復習ばかりでは面白くないので、今日から一応、「N3文法」と「読解」に入っていきます。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サツキ」の蕾が膨らんでいます。初夏の雰囲気です。

2024-04-16 08:41:29 | 日本語学校
曇り。薄日が差しています。

「サツキ」の蕾が、灯台のように膨らんでいます。もう色がはっきりとわかります。こっちの「サツキ」は薄い桜色、あっちは白、そして向こうは濃い紅色…、そして雨が降ると、一層鮮やかになる…。ふと、傍らをみると、傍らの「ハナミズキ」にも、一、二輪、花が付いていた…。「サクラ」の季節が終わるか終わらないかのうちに…いやあ、賑やかなこと。初夏ですねえ。

4月も半ばを過ぎますと、そろそろ5月の連休のことが気になってきます。一つは「連休」ゆえの勘違い。日本は「休日」が、他国に比べ、かなり多いそうですから、それがわからなくて、失敗するのでしょう。年に四回(学校は四期です)、いわゆる「新人」の中にこういう人が出てくる。こちらとしては、「先週、言ったからいいだろう」と思っていると、「前日に(先生が)言わなかったから、(昨日)学校に来た」と言われて、思わず、はっ。…今年度の四月生は大丈夫かしらん。

今年は、スリランカとネパールの学生が大半を占め、あとは、タイ、中国、ベトナム、フィリピンからの学生が、それぞれ一人か二人ずついるくらい。通訳してもらう時、在校生がいない国は、ベトナムだけなのですが、卒業生の姉なので、何かあった場合、そちらと話せば事足りるでしょう。

ネパールからの学生が多いと、大変になるのが、「文字」の時間。今年の四月生の場合も、担任が、一度宿題を出させたはいいものの、すぐに「悲鳴」を上げていました。この、どうにもならない「字」を書く人が一人か二人くらいなら、授業の合間に指導することもできるのですが、今年は、八人もいますからね。こういう団体さんで来てしまうと、「片手間に(やる)」は無理です。「四月生」だから時間はあると思っても、一年経っても変われない人は、それなりにいる。一度ついた癖はなかなか変われない…かと思っていると、実はそうではなかった。いわゆる文化(の「習慣」)が違うのです。「文字」に対する意識が違うのです。だから、どうにもならない。…読める「字」を書いてくれるネパール人がいると、こちらは感動してしまう。…いい人だなんて。

「なぞる」という文化がないとしか思えないのです。もしかしたら、「手工業」というか、「手を使った作業」というのは、下に見られ、大切に扱われてこなかった?…そんなはずはない。どの国や民族にも、大抵は「文字」がある。「文字」を覚えるために練習をした記憶があるはず。「下手」より「きれい」の方がいいはず。

「この『お手本』の上に、鉛筆を置いて、なぞる。書いてみる」

これが、どうも、よくわからないらしい。なぜそんなことをするかがわからない。で、「手を上げて」で、宙で字を書かせ、それを繰り返させ、そのまま、下に落とし、紙の上をなぞらせていく…も、意味がわからないから、その場限りで終わってしまう。…タイ人にはすぐにこれが通じたのだけれどもなあ…ため息交じりに呟いても何にもならない。

つまり、どこに気をつけて書かねばならないかが、いくら言っても掴めぬようなのです。板書に貼った紙の、注意するべき所に赤で丸印を入れたりしても、その通りに書かねばならないという意識がないから、「言われた、やった、…忘れる」の繰り返しとなる。

とはいえ、「い」が「り」となれば、「読んでごらん」で、書いた本人からして、これは「どちらであろう」みたいな顔つきになっている。課ごとの宿題が、そんな勝手な文字で満たされていれば、訂正が「内容の誤り」の訂正ではなく、「文字」の訂正で真っ赤っかになるだけ。

訂正が終わったノートを見て、我ながら、何がどうなのかわからないだろうな、反対に同情してしまう。で、色を変えてみたり、こっちはマーカー、あっちはボールペンとかいろいろ工夫してみても、本人は、たいしたことはないとしか思っていないようなので、「出した」で、終結してしまっている。で、訂正した宿題を見る時間というのも別に設け、書かせていく。

これらは一人一人やっても徒労の時。「何度も言っているのに」というのは肚で思っていても、口には出せない。

そのうちに、「ひらがな」「カタカナ」が終わり(他の学生もいるので、いつまでもそこに止まっているわけにはいかない)、「漢字」の練習となる。と、これが、案外、きれいに書けるのです。ところが、「漢字テスト」で、「漢字」ならぬ「送り仮名」で訂正されると、ショックを受けたりする。そうか、「ひらがな」だけ習っていた時は気にしなかったのに、「漢字テスト」の時は気になるのかと新たな発見をしてしまう。

つまり、その繰り返しですね。今年もそういうネパール人が何人か出そうな気がします。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金曜日、初っぱなから四人も欠席者が…。初めての経験…のような。

2024-04-15 08:29:57 | 日本語学校
晴れ。

先週の金曜日が、「新学期」の始まりの日。いやあ、少々、驚きいましたね。「Aクラス」が二人、「Bクラス」が四人、欠席していました。二人は連絡があったものの、四人は連絡がありません。「Bクラス」の欠席者は、四人とも、「イスラム教徒」ですから、宗教に関係があるのかなと思って尋ねてみたところ、来ていた「イスラム教徒」が、「へっ」という顔をして、こちらを見たので…多分、関係ないのでしょう。

これまで、「新学期」に休む人がいたというのは、あまり聞いたことがありません。もしかしたら、あったかもしれませんが、これだけ人が多いというのは、ちょっと記憶にありませんね。どういうつもりなのでしょう、初っぱなから休むというのは。

さて、学校です。

今年度は、「新入生クラス」が一つ、そして、二年生クラスが、「A」「B」と二つあります。一応、「Aクラス」は、7月(四月生)か12月(「七月生」「十月生」)に「N2」を目指し、「Bクラス(「七月生」と「十月生」)」は7月か12月に「N3」を目指すということで、作ってあります。もちろん、人数の関係上、その中には、そこに追いつけない人も含まれています。

「Aクラス」は「四月生」が主…と言いましても、いわゆる「N2」で走れるのは、二人だけ。そこに、「七月生」三人と「十月生」二人が入ってきたという形で進めているのですが。「七月生」の二人は、スリランカ人ですから、もとよりヒアリングに問題はなく、「四月生」とは三ヶ月ほどしか違っていないので、「漢字」さえ、真面目にやっていれば、どうにかなるでしょう。ただ、体調が悪いとすぐに休んでしまうので、そちらの方が問題。

今、気をつけておいてやらねばならないのは、休まず毎日きちんと来ている「十月生」の方。一人は「中国人」ですから、「読解」はそれほど問題ではない…はずなのですが。ただ、多分「母国語」、いわゆる「国語」にそれほど勘が働く方ではなさそうなので、その意味では不安が、少々ある…。とはいえ、一応中国人ですから、漢字に問題がないだけでも、こちらとしては、助かる…。

で、その、ネパールからの「十月生」。彼の場合、来日してから、他の「十月生」達と同じ進度で3月の上旬まで来ていたので、「Aクラス」に来た途端、「先生の日本語が速くて、わからない…」。こちらは、言われて初めて、そんなに違っていたっけ。速度は同じはずなんだけれどもな。…おそらく、「速さ」と言うよりも、「内容」やら「単語」やら「省略」の多用やらに、ついて行けなかったのでしょう、最初の頃は。

もちろん、「初級」が終わったばかりの人と、一応、12月に「N3」に合格できた人達とでは、違って当たり前。同じだったら、こちらが謝らなければならなくなる。ただ、それも、春休みの最初、二週間ほどの補講で、追いつけたようです、速いとはもう言わなくなりましたから。とはいえ、「N3」の「読解問題」には苦労しているようです。暗記用「文法」は覚えたようですが、文章を読む速度は、やはりかなり遅い。「七月生」とも三ヶ月ほどの差がありますから。まあ、これも、真面目に毎日学校に来ているうちにどうにかなるでしょう。

この、今回のような試み(「Aクラス」)は、初めてのこと。今までは、同じクラスの中に違うレベルの者がいて、それぞれが違う「日本語能力試験」を受けるというのはありました。ただ、どこか一つを中心に据えるという形でのもので、今回のように、二つとも中心に据えてやるというのは、初めてです。

「文法」は、「N2」も「N3」も週に二回きちんと教えてくれる人がいるのですが、一応、暗記させるために、ザッと流しているので、これも必要。「漢字」は「N3」の試験を受けるものには「N3」を入れ、「N2」の試験を受けるものには「N2」を入れ、そして、読解も「N2」と「N3」に分け、説明を加えていく。

時間が足りない。あと10分あったら…と、思っても…思うだけ。これでどうにかやっていかないと…というわけで、金曜日はちょっと苦労しました。もっとも、これも慣れですから(学生にとっても、私にとっても)、うまく流れるようになっていくまでがちと苦労する…だけです。

これに「日本留学試験」の「日本語」を受けたいという二人がいるので、この二人だけは別の時間に…ということにして、私の空き時間に来られるように二人で相談しておくように言っておきました…が。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日から「新学期」です。「新入生」たちも、ネパールからの二人を残し、あとは全員揃っての勉強…が始まります。

2024-04-12 08:09:24 | 日本語学校
曇り。

やや風があるからでしょうか、枯れ葉が、音もなく落ちてきます。地面について初めて、音がする…カサコソ。公園の地面には、薄茶の地面の上に、「春落葉」と「サクラ」の花びらが点在しています。「サクラ」のピンクは、薄茶色の地面とは、あまり相性が良くないようですね。それに「枯れ葉」の茶とも、どこかそぐわない。

「若葉」の薄緑か、あるいは…、いやいや、やはり、水に浮かんで流れている方がずっときれい。川や湖、お堀がなくとも、雨さえ降れば、アスファルトの道は途端に、川へと変身し、うすピンクの花びらをのせ、たゆたうということになる。この「花筏」がみられるのも、ほんの短い時期だけ。今だけですものね。もっとも、ここ一週間ほどはいいお天気が続くそうで、それも、この近所では期待薄でしょうね。

さて、学校です。

今日から新学期。「11日までが春休み」で、「12日から新学期」というのを、どうも聞き違えた学生がいたようで、電話が二件ありました。…と思っていたら、昨日、やはり一人、来てしまいましたね。前日、「もし間違えるとしたら、○○君だけでしょう」と、冗談で言っていたのが、現実になってしまって、ハハハハ。双方共に笑うしかない。また、やった!

実は、同じようなことがあったのです。その日は雨だったので、「う~ん、よく来たね。ついでに勉強しますか」の一言で、退散されてしまいましたが。昨日も、それが繰り返された…。ただ、彼は「高校受験」が目的なので、来たついでにと「九九」の表を渡し、「ちょっと復習しておくように」

これは、「九九」を習ったことがあるけれども、ちょっとあやふやになっているとか、英語でなら言えるけれども、日本語ではスッと数字が出てこないというような学生には、必要なことなのです。なにせ、ここは日本で、(高校に)通っている生徒の大部分は日本人なのですから。それにスッと反応できないと、大変です。簡単なことでも、あらかじめやっておいた方が、将来的にはずっと楽になる。それから、数学の「専門用語」というか、普段の日本語の勉強ではまず耳にしないような単語も覚えておいた方がいいのです。もっとも、これは後の話。今はまず「日本語」をしっかりやっておくことが大切です。

昨年度の学生達(高校受験)は「N2」に合格してからが長かった(半年以上ありました)。それで、割と問題を多く解かせておくことができたのですが、今年度受験する人達は、そうは行かないでしょうね。「国語」はまず、諦めざるをえないでしょうし、「理科」もそう(これは経験からです)。点がとれるとしたら、「数学」の簡単な問題だけなのです。文章題はちと手に余るでしょう。フィリピンの学生は、英語ができるにしても、その前段階の「日本語」で躓いてしまったら、元も子もなくなってしまいます。

で、「新入生」達です。ずっと何の連絡も来ず(こちらから連絡しても埒があかなかった)スリランカの学生四人が、「昨日着いたので」と、彼らの知り合いのスリランカ人女性が一昨日やってきたそうな。みんな、心配していたので、狐につままれたような顔になってしまった…へっ?どうして?(インターネットで調べるたびに、「(スリランカの)某局留め」から動いていなかったのに)。まあ、何はともあれ、来られて良かった。新学期に間に合って良かった…で、何となくうやむやに喜ぶことに。

ということで、新入生でまだ来ていないのは、ネパールからの二人だけということになりました。ネパールからの人達は例年、覚えてきた「文字」に問題があり、改めるのに、かなりの時間を要するのです。下手をすると、「漢字」導入したあとの「テスト」でも、「漢字」は正しく書けているのに、「送り仮名」の「仮名」を間違え、「×」になってしまうことさえあるのですから。

この人達も一日でも早く、授業に参加してもらいたいもの。遅れれば、遅れた分だけ、その二乗、三乗と負担が重くなっていく可能性大ですから。

日本語の勉強には、やはり「文字(ひらがな・カタカナ・漢字)」が必要。「文字」を軽んじ、聞いて判ればいいとは、なかなかなりません。この意識を変えていくのにも、時間がかかるのです。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「春ち葉」。ネパールから、新入生が五人、到着しました。

2024-04-11 08:11:13 | 日本語学校
晴れ。

昨日に引き続き、「晴れ」です。近所の「サクラ」が咲き始める前から、道には「落葉」が道を覆っていました。「夏落葉」とはよく聞く季語なのですが、この晩春に散る「葉」も、「春落葉」と言うようですね。

この「春落葉」、公園の入り口や角っこに、吹きだまりのように溜まっています。すでに「サクラ」が咲く前から、落ちて、道に散り敷いていたのですが、一昨日の大風によってまとめられ、同じく激しい雨によって濡れそぼち、一つにかためられてしまったかのよう。その点、「サクラ」の花びらは道にへばりついていて、ちっとやそっとの風では動こうともしません。今年も、花びらが変色する前に、だれかが「花」の弔いがてら、「葬花」の儀式を行うかもしれません。

と言うわけで、短かった、近所の「サクラ」の季節も終わりました(日本では、どこにでも「サクラ」は植えられており、どこの「サクラ」でも、それなりに楽しめるものなのですが、ここでは学校から見える、この「サクラ」の樹が、季節の変化の目安となっています)。そして、この「サクラ」の季節が終わるとすぐ、頭の中では「夏木立」が芽吹き始めます。同時に、「鯉のぼり」と「サツキ」が街を彩り、直に「梅雨」が始まり、酷暑の「夏」がやってくる…。

今年は、「サクラ」の「満開」が報じられるか報じられないかのうちに(「サクラ」の開花が遅かったからでしょうか)、吹き流しの「鯉のぼり」の写真が、あちこちから届けられていました。…「季節は先取りされるもの」」とはよく言ったものです。昨今は、「黒鯉」「赤鯉」「青鯉」だけではなく、「ピンク」の鯉やら、「オレンジ」の鯉やら、いろいろな鯉が、あちこちで風に吹き流されているようですが。

さて、学校です。

学校では、「ひな祭り」や「豆撒き」は、やるのですが、この「端午の節句」だけは、ややもすると、忘れてしまいがち…。何かのおりに、この「吹き流し」に気づいた学生が、「あれは何だ?」。訊かれて、ハッと気づく。そういえば、今年も説明しとくのを忘れてた…。連休が続くと言うのも言い訳の一つ。6月の「日本留学試験」を受ける学生が一人でもいると、ちょっと時間が取れないというのも、その一つ…かもしれません。

とはいえ、今年も「ホテル」業の方へ進みたいという学生がいるので、僅かなりとも、上のクラスには、その説明をしておきたいと思っています。忘れないように…そういえば、
「菊の節句」も忘てる…。

話は変わりますが、昨日、ネパールからの新入生が五人、成田に着きました。空港に着くとすぐに、出迎えの女子学生と連絡を取り合い、付き添いのスタッフに、その状況を一部始終知らせてくれたようです。便利になったものです。もう、中はどうなっているかしらん等と、ウロウロする必要も無い。やはり、同じ地域、同じ学校から来ていると、楽ですね。それに出迎えに行ってくれた二人の女子。空港にいく前(学校に来てくれた時)に、ちょっとおしゃれしていました。久しぶりに会うからかもしれませんね

その時に、一昨日来た学生も一緒に来ていたのですが、私たちに会った時に、その学生達、「先生に『初めまして』と言いなさい」と、ネパール語で教えていました。「初めまして」は日本語でしたし、すぐに言われた学生が「初めまして」と言ったので、わかったのですが、「先輩はすごいね。」と言うと、うれしそうに笑っていました。人に教えることは学ぶこと。どんどん新しい人達に教えてやってください。それが復習になりますし、自信にも繋がりますから。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日、ネパールから二人やってきます。

2024-04-10 09:10:07 | 日本語学校
晴れ。

昨日は、「春の嵐」が吹き荒れていました。今朝、道には、千切れた葉っぱだけでなく、枝付きの葉っぱまで散らばっていましたし、「サクラ」の花びらは言わずもがな。やっと遅れて咲いたのに、あっという間に「嵐」にやられてしまった。今年は、満開の「サクラ」を「見かけた」で、終わってしまったような気がします。

その嵐も、ネパールからの新入生を迎えに、学校を出た頃でしょうか、雨風共に鎮まり、まずは、ほっ。…ああまで風が強いと、電車が遅れがちになってしまうでしょうし、飛行機の離着陸も大変…のような気がしましたから。

昨日の迎えは、成田(空港)ではなく、羽田(空港)でした。そして、今日は、男子二人、女子三人が成田(空港)へ来るとのことで、迎えは、昨日に続くスタッフ一人と、別のネパール学生二人です。

スリランカからの四人は、まだいつになるか連絡はありませんし、来ることになっているネパールからの二人も、もしかした5月の連休ということになるかもしれません。

最初が肝心ですから、今週の金曜日から始まる授業に間に合うようにと頼んでいたのですが、お国が違えばまた事情も違うということがあるでしょうし、お国どころか地域が違えば、また違ってくるということさえあるでしょう…。国を跨げば、こちらが予測できないようなことも起こってきます。

駐○○大使館か、駐○○領事館で嫌がらせをされたとか、そこで、英語がそれほど達者でなかったことから難癖をつけられたとか、以前、聞いたことがありました。今はどうなっているかわかりませんが。

また、(日本に)着いたら着いたで、文化の違いもありますから、こちらがすぐに気をつけていなければならないこともあります。学校側が迎えに行った場合ですが。

この学校ができて最初の頃、スリランカからの男子学生を(まだ、こちらも馴れていなかったので、日本人スタッフ二人と、同国の女子学生一人で)迎えに行ったことがありました。彼女、新入生を見るなり、彼のトランクと重そうな荷物を持ったのです。新入生男子は、当然のように、すぐに渡します。そして彼はと言いますと、軽いリュックを肩にかけているだけ。思わず、「自分で持て」。女子学生には、「手伝いたいなら、軽いのだけにしなさい」。女子学生、「先生、大丈夫」と言って、渡そうとしません。

「大丈夫じゃないだろ。(男子は普通の体つき、女子は小柄)とんでもねえ」と思ったのですが、…まあ、いいか。直に音を上げるだろうから。それを待っていればいい。こういう習慣は、こちらが下手に手出ししてもどうにもならないものなのです。

見ていると、女子は次第に疲れてきたらしく、遅れがちになっている。けれども、男子は意に介さず、急行電車を見ては、あれが新幹線かなどと訊いてくる。たまらんやっちゃなとこちらが思っているのに、全く気がつかない。

遅れて、しかも、ヒイヒイ言っている女子を待っていると(私は手伝いません。手伝うべきは男子なのですから。(だいたい、「自分の荷物だろ。持てないようなものは持ってくるな」…と、こちらは思っている)、遅れるのに、少しばかり苛立ったのでしょう、やっと男子が手を出した。

もう、それからはスリランカからの学生を迎えに行く学生には、「自分の荷物は自分で持たせる。手伝うなら、軽いものだけにしろ」を徹底するようにしていました。

まあ、このときは特別だったのでしょう(…と思うことにしている)。だいたい男子の場合は自分のものは自分で持つようになっていましたし、男子には男子の迎え、女子には…どちらでもいい(もちろん、同国の学生がいない場合はしょうがないのですが)ようになりました。

ベトナムは男女が関係ないようですね。女子が持ってやる場合も多いようですが、見るからに互いに労り合っているので、全く嫌な気がしない。フィリピンの場合は男子がかわいそうになることもある。女子の方に自分の荷物は自分で持てと言いたくなる。

ネパールもカースト制が残っていないわけではないようですが、自分のものは自分で持つし、見ていてあまり気にはならない…ので、放っています。

インドとスリランカくらいでしょうか、見ていて、ムカッときたことがあったのは。バングラデシュからは男子だけしか来ていないのでわかりません。おそらく、女子は出さないのでしょう。

というわけで、2024年度の「四月生」クラスは、「中国」「フィリピン」「ベトナム」「スリランカ」「タイ」「ネパール」からなる学生たちで始まることになります。昨年度の学生達の出身国は「スリランカ」「ミャンマー」「中国」「ネパール」「タイ」「バングラデシュ」「インド」…以上が留学生、そして在日生としては「フィリピン」「ネパール」「スーダン」ですから、国別で見ると、なかなか賑やか。国の数が多ければ多いほど、私たちの実体験としての知識も増えていきます。

まあ、互いに勉強ですね。勉強しながら、時には対立しながら、日本での生活がより楽になるように、手伝っていくことになります。もちろん、その中心は「日本語を教え、学ぶこと」です。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新入生が、また一人やってきます。スタッフと共に迎えに行く学生はうれしそうでした。

2024-04-09 09:21:30 | 日本語学校
雨。時折、雨脚激しく、また、風も強く。

今日、午後、ネパールから一人やってきます。迎えに行くのは、学校のスタッフと留学生一人。彼女は、新入生と同じ地域の学生です。

昨日、彼女と、10日に来る新入生の迎えに行く学生と、三人が学校に交通費を取りにやって来ました。それがとても楽しそうだったので、思わず、「勉強の話がなかったら毎日でも来たい?」と聞くと、へへへへへ…。そっか、そうだろうねえ。

さて、学校です。

昨日は、学生が誰も勉強に来ませんでした。「…静かだなあ」。もちろん、私たちは、それぞれ、自分たちの仕事ができたので、別に不満はないのですが、それはそれとして、誰も来ないのは、どうも手持ち無沙汰で、なんとなく寂しい…。「今日、来たら、大歓迎なんだけれどもなあ」。まあ、「大歓迎」という意味は、「さあ、お勉強しましょ」という意味で、敵もそれを知っているから、来ないのでしょうねえ。特に「一人は嫌だ」で。

4月12日から、新学期が始まるのですが、来た学生達を見ていると、かなり差があるようです。スリランカ人で、ヒアリングに問題がある人は、まず、いない。「いた」としたら、例外の部類に入る。「読んで」覚えるというよりも、「耳」で覚えるタイプがほとんどなので、「字」を見ることを強要せねばならぬくらい。一方、ベトナム人は、だいたいヒアリングに難ありと見ているので、国で勉強していないと、ここでの勉強はきつくなる。

ここでは、「全員が日本人で、日本語で教えていく」わけですから、国で全然勉強していない(勉強していても、申請が通った途端、止めてしまえば、元の木阿弥)と、辛いでしょうね。もちろん、皆(高卒者)、一応、「N5」には合格しています。「合格」してから来ているとは言っても、「合格しないと、日本に来られないから」だけで勉強していた人と、「日本語で話したい」、あるいは「日本で○○を勉強したい」と目的があって、勉強していた人との差は、来日後の勉強に歴然と現れてきます。。

(日本に来て、日本語での)勉強に、愕然となって頑張るか、適当にわかると言葉の欠けらを拾って自己満足しているか、あるいは(わからなくても)、なんとも思っていないか…この差は大きい。

タイからの学生は、初対面ながら、身を乗り出さんばかりに、こちらに向き合い、話そう、話そうとしていました。十年前に勉強していたけれども、だいぶ忘れたと言いながらも、おそらく将来の設計がきちんとできているのでしょう。その上での留学というのがよくわかりました。

スリランカとタイからの学生と、ベトナムからの学生と、あまりに差があったので、これからのことを思わず、考えてしまいました。これが杞憂に過ぎなければいいのですが。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一口に「日本語学校」と言いましても、千差万別。一括りにはできません。したら、金太郎飴になってしまうだけです。

2024-04-08 08:28:45 | 日本語学校

曇り。

時折ポツリと来ていましたが、傘を差すほどではないようで、皆、足早に歩いていました。その上、今朝は、街全体に靄がかかり、今日も鬱陶しい…。如何にも春らしい天気であると思っていると、何と学校に着いて30分ほど三十も経ったころから、薄日が差してきました。はっきりしない天気ですね。

さて、先週の金曜日は、職員会議でした。

久しぶりに、皆、顔を揃え、全体会議が終わって、各クラス、各分野毎の話になり、それから後は…まあ、四方山話が尽きなかったようです。。

今、学校では、ちょっと「N4」問題に揺れています。

普通ですと、卒業前の12月の「日本語能力試験」で、「N1」「N2」「N3」を受け(この学校は、四期制で、最後の学生は「一月生」となります)、その時に「N4」を受ける学生は、あまり、いないものなのですが、今年度はちょっと事情が違ってくるような気がします。

小さな学校ですから、コロナ禍の中で、留学生が来られない時は、本当に大変でした。けれども、卒業生やご近所さん、また、当時、学んでいた方(在日生)が、知り合いを紹介してくれたりし、なんとか、危機を乗り越えらたようなところがありました。もちろん、留学生達と比べれば、年齢はずっと上でしたし、学校へも、毎日来られるとは限らないという人もいました(仕事の都合がつかない日もあったのです)。双方共に、手探りというような感じで授業を進めざるを得なかったのです。留学生達が多い時のように、さっさとカリキュラムをこなしていくようにはできませんでした。

その流れで、日本で日本語を学びたいというのなら、多少、能力は劣っていても、あるいは歳が上であっても(40代くらい)、入管が許可を出すのなら、入れてもいいのじゃないかと、そういう気にもなったのです。なにせ、皆、本当によく勉強してくれていましたから。

このような人達は、別に、試験(日本語能力試験)を受け、結果を出したいと言うのではなく、一年ほど、(日本で)日本語を学んでみたいくらいの感じといったらいいのでしょうか。もちろん、自分のためですから、「試験」を受けるように言えば受けるのですが。ただ、そう言いましても、下手に試験などを勧めますと、せっかく楽しく勉強しているのにと、楽しさが試験のせいで半減してしまうかもしれません。目的があって、遮二無二、勉強しているわけではないのですから。

「単語」など、覚えるのに時間もかかりますし、その応用ともなれば、「勘弁してよ」ともなりがち。ヒアリングでも、なかなか聞き取れず、もちろん、聞き取れた時にはうれしそうな顔をするのですが、それが「得点」やら「合格・不合格」やらの言葉が絡んできますと、どうもそのうれしそうな表情も心からのものかどうなのかわからなくなってしまいます。「わかった」、「言えるようになった」という達成感も、楽しみながらやることで、生まれてくるのでしょうから。

そういう人達も、このような日本語学校で、若い人達と一緒に勉強してもいいのではないだろうか、それがまた他の留学生達の励みにもなるのではないだろうかと思っていたのですが、「試験の合否」が要となってしまいますと、こういう人達を受け入れる余裕がこちらにもなくなってしまいます。

成績のいい学生を入れ、合格率を上げるという一点だけの学校になってしまうのでしょう。

この学校では、(非漢字圏であれば)「四月生」「七月生」はだいたい「N3」か「N2」で、卒業。「漢字圏)であれば、「N1」ですね、もっとも、誰でも合格できるというわけではありません。これは、日本人であろうと、「国語」の成績がどうしても伸びない人がいるのと同じです。

一口に日本語学校と言いましても、千差万別です。この学校のように、日本の公教育的な観点から教えようとする学校もあれば、中国人だけ入れ、予備校のような学校もある。それを一括りでまとめようというのは、ちょっと無理があるような気がするのですが、どうでしょう。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「春休み」中とはいえ、なかなかに賑やかでした。

2024-04-05 08:46:42 | 日本語学校
小雨。

「サクラ」の季節というのに、街全体がくすんで見えます。今朝も小糠雨で、少々寒い。…「花冷え」か。歩いていると、「ベニカナメモチ」かな?濡れてひときわ艶やかな紅色が目に飛び込んできました。小雨の中で、「サクラ」の花も葉もくすんで、そんな街の中にボウッと見えているのに、その一角だけが、濡れ濡れとした赤。で、根本を見てみると、「ムスカリ」がぽつんと立って、紫色の花をつけていました。

これも、誰かがこっそりと植えたのでしょうね。公園などの生け垣の根元に、時々見受けられる花です。公園の生け垣の下には、ここには「ムスカリ」、あそこには「ナノハナ」、「スイセン」といった具合に、だれか人が、こっそりと「空き地利用」で、植えた?みたいなものがあります。見る人を楽しませているのだから、「こんなのを公共の地に(植えるなんて)」なんて、だれもそんな無粋なことは言わないでしょう。

さて、学校です。

昨日は、新入生の荷物解きやら運搬やらのお手伝いに、ネパールの学生が、朝早くから来てくれました。

ちょっと落ち着いた頃、教科書を取りに来るようにと連絡を受けた、タイ人新入生が、お姉さん(在校生)と一緒にやってきました。お姉さんはあまり勉強が得意ではないようですが、妹さんの方は、かなり積極的。十年くらい前に(日本語を)勉強したことがあるとかで、懸命に(日本語を)思い出しながら、使おうとしていました。来てすぐなのに、日本語に関しては、もう立場が逆転しているようですね。お姉さんも、うかうかとしてはいられません。

それから、ベトナム人新入生が一人来て、教科書を持って帰りました。彼女は、まだ日本語が全然話せません。しかし、お姉さんがこの学校を卒業したばかりであるし、一緒に暮らすということなので、多分、大丈夫でしょう。

ちょっとして、やってきた中国人新入生。親戚のうちから車で荷物を運んでもらったということで、寮のカギと教科書を持って帰って行きました。今日から、寮の部屋でネパール人学生と一緒に暮らすことになります。ただ、夏には、親戚が近くに引っ越してきて彼と一緒に暮らすことになっているそうなので、それまでのことですね。

そうこうしているうちに、中国人学生が話があると言ってやってきました。中国でも、世代間ギャップは甚だしいようで、若者はそれを親世代に納得してもらうのに苦労しているらしい。

日本では、中国の「電気自動車」、「自動運転」、「ドローン」などの進んだ技術がよく報道され、「日本よりもすごい」みたいな感覚で捉えている人が多いでしょうが、いわゆる人間的な部分がそれに追いついてはいないというのが実感。もちろん、私も、そういう報道に踊らされがちなのですが、忘れてはならないのは、ロシア程ではないにしても、同じような報道規制があるということ。ロシアでも、このたびのウクライナ侵攻を否定しがちな若者と、大本営発表みたいなテレビのニュースしか見ない親世代から上の人達との間には、大きなギャップがあって、親子関係ですら傷つけられているらしい。

「鰯の頭も信心から」というのに、懲りている日本人からすれば、国が「我が国はすごい」と言えば、そこに、胡散臭いものを嗅ぎ取らない方が悪いと思ってしまう。自画自賛なんて眉唾ものだと思ってしまうのです。

これは二十年以上も前の話ですが、中国にはやはり「士大夫」や「科挙合格者」とか言ったものに対する憧れというか、そんなものが根強く残っていて、国が豊かになると先祖返りしてしまうようなところがあると思ったことがありました。

口では、「農民と労働者」の党であると標榜していても、実際、大多数の人はそうは思っていませんね。だいたい馬鹿にしています。日本で、そういうのがわかれば、大顰蹙ものです。政治家であったら、「辞めろ」の大合唱を浴びてしまいます。いまだに多くの人の心の中には「農」「工」が上にあるのです。だから、素晴らしい研究者を褒め称えるのに「この人は職人気質だ」が通用するのでしょう。

もとより日本でも、世界中のあらゆる国でも、知識や技術をもっている人は尊敬されます。特に、日本では「知識」と「技術」が同列に語られることが多いというのが、中国との違いなのかもしれません。「遊び」でも、「作ったもの」でも、技術が人間離れしていれば、そんじょそこらの知識人など足下にも及ばないほどの尊敬を受ける。だから、「好きなことを探せ」とよく言われる。「その方が幸せだから」。「好きなことに貴賤はない」。「好きなことなら失敗しても、諦めがつく」。「嫌いなこと、嫌なことを80年もやっていけるか」。とは、よく言われること。ただ、好きなことに出会えるかというと、これは難しい。好きなことで人より上に行けるかというと、これはもっと難しい。だから、皆と同じような勉強をしてしまう…しかなくなる。

極端な話。「親の仕事は子供に好きなことを見つけ出させること」なんて言った人もいましたし。

さあ、中国人若者のはどうするでしょう。結局は、自分の気持ちがどれほど強いかにかかっている…というのは、日本人だから言えること。国毎にそれぞれの背景があり、日本に来ているとは言え、彼らはその尻尾を切ることができない。これは中国人だけに言えることではないのですが。

日々是好日

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「N3」に入る前に、「N4」までの漢字テストを受けるように言っておいたのに、やろうと学校に来たのは、一人だけ…。他の学生は、完全に逃げ腰ですね。

2024-04-04 08:40:31 | 日本語学校
小雨。

時折、パラッパラッと、降ってきます。でも、皆、傘は差していない…。春になると、晴れの日は稀で、だいたい、こんな、ぐずつきがちのお天気になるようです。今朝は、雨のせいか、空気が澄み、本当に爽やか。数日前に、「黄砂」が飛んでくる、洗濯ができないなんて騒いでいたのが嘘のよう。雨できれいに流されてしまったのかしらん…。(黄砂は)飛んで来ているかもしれないけれども…、自分の中では、無い。

今朝、道ばたで、「キュウリグサ」が花をつけているのを発見。小さいので、よほど気をつけていないと、そのままになってしまいそう。しかも、咲いているのが、アスファルト道とブロック塀の境なんかですから、それこそ、見過ごしそう。

それから、例の「サクラ」。「葉」と「花」がちょうどいいくらいの按配になっていて、落ち着けます。見ているうちにふと思った。昔の屏風や絵などに、風景を区分けする感じで「金の雲」や「サクラの雲」がよく描かれていけれども、あの「サクラの雲」…葉がなかった。花だけの「サクラ」だった。昔の「サクラ」って、葉と花が同時に咲くんじゃなかったっけ?。じゃあ、あの「雲」みたな「サクラ」は、何系なんだろう…。現在、どこでも見かける「ソメイヨシノ」は、江戸時代に染井村で 、母をエドヒガン、父をオオシマザクラとして作られたと聞いているけれども。当時から、花だけの華やかなサクラはあったんだ…。どうも何も知らないので、歩きながら、あれやこれやと考えてしまいます。

学校に着いて、しばらく経つと、じんわりと寒さが染みてきた。外にいると、却って寒さは感じられないようです。

さて、学校です。

新「Aクラス」に入ってきたネパールからの「十月生」。昨日も、「漢字テスト」を受けにやってきました。補講が3月いっぱいありましたから、春休みは、彼らの場合、今週からです。他の学生にも、「N4漢字テスト」がまだの人は、来るように言っていたのですが、聞きながら、ジリジリと逃げ腰の人が大半でしたね。しかし、彼は、二日に一回という約束を守っています。

この「十月生」達が、第一回目の漢字テストを受けたのは、昨年の11月27日。最初は「ひらがな」「カタカナ」をせねばなりませんし、「漢字の導入」もしておかねばなりませんでしたから、どうしても(漢字の)試験の回数が少なくなってしまいます。

留学生達、「N5」の試験に合格してから、来日したとは言いながら、(試験は)マークシート方式ですから、「ひらがな」や「カタカナ」だって、大体区別がつけば答えられるというようなもの。来日して、文字を書かせて、ガーンと言う場合だって少なくないのです。

彼の場合もそうでしたね。「なんで、この字に点が三つもあるんだ?」とか、「これは別の字です」みたいなのが、いくつかあって、注意すると、憮然としてた。その上、書き順もまちまち。これがしっかりしていないと、「漢字」を覚えていく時、問題になってくる。注意されても、その大切さがわかっていないので、おそらく自分なりに真面目に勉強してきたのに、「なぜ?」くらいのものだったのでしょう。

まあ、どの国も日本語を学ぶ上で恵まれていると言うわけではないので、(この学校に)来てから、改めさせていくしかないのです。

そして、2月13日に「N4漢字」を一応、終えたのは終えたのですが、週一回の「テスト」が、間に合わない。それどころか、(教えて)随分経ってから「テスト」ということになってしまい、彼らの気分が「テスト」の方に向いていないということになる。彼らにしてみれば、あのときは覚えていたのに、もう忘れた…だったでしょうね、多分。

それで、「テスト」の日ではなくとも、受けたい人は早めに(学校に)来て受けるように言っておいたのですが、まあ、これが難しい。言わればやるけれども…でしょうね。積極的にやる習慣がないのです。それで頑張ってくれたのは、まあ、いつも通りの、2,3人。

受けてほしかった人達は、「はい、難しい」で、後ずさり。週一回、あるいは連休があった時には二週に一回となって、その時だけ、試験を受けていた。ということで、「N3」教材に入っているのに、三人ほど「N5漢字テスト」で合格点をもらっていない人(つまり、7回分が終わっていない)がいるということに。

あの「春休みに『N4漢字』を覚えます」と言った後、後ろに「と、思います」をつけていた学生、「と、思います」を消してやってくれているといいのですけれども。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は、「日本語能力試験」の申し込みのため、久しぶりに学生たちがやってきました。

2024-04-03 08:24:12 | 日本語学校
曇り。

今は、曇りですが、昼頃から雨になるとか。テレビで、天気図を見ながらそれとなく聞いていると、「梅雨のはしり」なんて言葉も飛び出していた。そういえば、「菜種梅雨」にも「梅雨」が入っている。…これは今頃だったかしらん。「ナノハナ」の時期はもう過ぎたような気がするのだけれども…。

(ニュースにあった北国の画像の)「雪」を、見るともなく見ていると、頭の中に「地熱」なんて言葉が湧いてきた。これは「地熱発電」とかの「地熱」ではなくて、東北の人が、春先に言っていた「春先は地面が暖かくなっているから、雪が降っても積もらない」という言葉からの連想。

私など、(温泉地帯だから)雪が降っても、積もらないのが普通の世界だった。冬と春先とで、地面の温度に差があるなんて考えたこともなかった。「そうか、北国では、春は土の下からやってくるんだ」。

さて、前の「サクラ」です。「開花宣言」は既に出され、それから、まあ、春らしい日が続いていると言えば言えるのでしょうが、なぜか、まだ、街に「華やぎ」が感じられません。

「今年の『サクラ』は遅い」と、皆が思い、先走って「例年このくらいの時期だから」と、「花見」ならぬ「枝見」をしてしまった人が多かったせいかもしれません。「花見」をしてしまうと、もう春が終わったような気分になるのです。が、実際は「サクラ」の花は、まだまだ。もっとも今週末か来週の頭頃には「満開」になるでしょうと、テレビも言い、皆も何となくそんな気はしているのですが、どこかしら、例年の春とは違うような気がする…。パアッと咲いて、惜しむ間もなくハラハラと雪のように散っていく…そんなのとは違うような気がする。このまま「サクラ」の蕾が、二分か三分ほどしか開かなくて、そのまま、「ツバキ」のようにボトンと落ちていく…。もしかしたら、それが数十年後の「サクラ」の既視感???。

それはそれとして、「サクラ」が満開になったら、学生達は喜ぶでしょうね。「サクラ」はネパールが起源だというけれども、「ネパールのサクラはこんなにきれいじゃない」らしいので。日本人など毎年見ているというのに、満開になって、街中に「桜色」が広がると、それだけで、ウキウキしてしまう。

もちろん、日本人の中にも、いわゆる艶やか、華やかな「サクラ」系ではなく、昔からの「ヤマザクラ」系が好きな人もいます。鄙びた土地に行けば、いろいろな種類の「サクラ」が味わえて、それが山間部の景色と相まって、しっとりと落ち着く。でも、まあ、外国から来た人は、この「サクラ」の派手さがいいのでしょうね、きっと。

さて、学校です。

昨日は、「日本語能力試験」の申し込みのため、在校生達が次々とやってきました。午前の部の学生達は、十時頃に、そして午後の部は一時頃にやってきて、受験料を払い、写真を撮った後、お決まりの「勉強はしていますか」。返事は「へへへ」か「はあい」。

ズリズリと後ずさりしながら、「へへへ」と答えた学生は、そのまま、出口の方へ。「はあい」の学生は、「してないでしょ」にも、「はあい」。…慣れたか、こちらの問いに。

中には、「一人で寂しい。学校に来たい。先生、教えてくれる?」というのもいて、「でも、自習ですよ。学校で一人で勉強するの!」と言うと、「うううん」。それはイヤみたい…。「結局、遊んでほしいんだろ。勉強じゃないんだろ」と一喝されて、トホホホホとなってしまう。

新「Bクラス」の中の「七月生」は「N4漢字テスト」がだいたい終わっているようですが、「十月生」はまだまだの人が大半なので、休み中とはいえ、「漢字テスト」の件は言わざるを得ないのです。

ところで、「はあい」さん、やっていると言うけれども、やっていないだろうな。「なんでも『はあい』と答えておけば、嵐は頭上を通り過ぎていく」が、ありありとわかる。「学校に来て勉強しなさい」と言っても、「はあい」と言うくせに、もう一歩踏み込んで訊いてみると「それは難しい」と、如何にも困った然として言う。

まあ、彼らとのやりとりは面白い。みんな如何にもうれしそうに学校に来て、懐かしげに私たちを見(まだ、2週間しか経っていない)、一言二言交わすのを楽しんでいるというのが、よくわかる。もっとも、いざ学校が始まってしまうと、この「懐かしい。ちょっとばかり勉強がしたくなった」という気分もどこかに飛んでいってしまうのでしょうね。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする