日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「行徳祭り」、そしてその「前夜祭」。

2019-10-28 08:30:27 | 日本語学校

曇り。

昨日は、「行徳まつり」があり、それにこの学校も参加しました。

その前日、この祭りの「前夜祭」があり、その2、3時間ほど前に、「神輿」に関する外国人向けの説明会が「中台製作所」でありました。この学校からは、ネパール、ベトナム、中国からの学生が、併せて5名、通訳として参加しました。

通訳の「お仕事」の後、皆で「行徳駅前公園」へ行き、「神輿担ぎ」を体験できるというのですが、ネパールの学生は、映像で見ていても、どこかピンと来なかったようで、「担ぐ」だけで、引く身になっていました。中国人学生と、ベトナム人学生一人は、「やりたい!」と燃えていましたが。もっとも、頼りなげなベトナム人学生、一人は、そう聞いても心細げに「はぁ」。ネパール人学生は、力持ちのくせして、不安そう…で、三人は、前日まで、「通訳したら、帰る」でした。

ところが、土曜日、「中台製作所(神輿)」へ着いて、写真を撮ったり、説明を聞いたりしているうちに「ついていっても…いいかなあ」という感じになり、「では参加(半ば強引に、決めた)…」となりました。

そして、公園へ自転車で行き、実物(神輿)を見、実際に担ぐという段になりますと、途端に生き生きとし出したのです。まずは神輿の前で写真を撮って、「この神輿を担ぐんだ」。はっぴを貸していただけたのも、大きいでしょうね、気持ちの上からも。特に体の大きなネパールの学生二人は、担いでしまうと、担ぎ手として中心的な存在になっていました(後ろが二人のせいで、かなり高くなっていたのです)。一人は留学前にジムに通っていたと言いますし、一人は、太い竹や丸太を持ったことがあると言っていましたから。

途中、中国人女子が、「手が届かない~」と抜けてくると、すぐにはっぴを着た人が「こっち、こっち」と別の場所を空けてくれました。

神輿を「担いだり」、「片手で持ち上げたり」、「腰をかがめて持ったり」、「上へ放ったり」、四つの動作も指導の通りにやってのけ、二十人ほどの外国人は、終わる頃には、皆、汗びっしょりになっていました。

終わってから、留学生はインタビューなども受け、御神酒(二十歳前の学生はジュース、宗教的な理由から飲めない学生もジュースで)や天ぷらなどの食事の接待を受け、楽しそうに廻りの日本人の方と話していました。

中に升酒を少々いただき、真っ赤っかになっている者がいて、ちょっと心配しましたが、昨日、今からアルバイトに行くと、祭りの私達のテーブルに来てくれたので、ほっと一安心。

昨日、祭りの時間中、在校生は、ベトナム人は一人を除いて皆来ました。中国人、タイ人、フィリピン人も来て楽しんでいたようです。一人だけ運の悪いベトナム人学生がいて(4時の後片付けの時に来てしまったので)、何も食べられなかっただけでなく、「はい、片付けを手伝って」とやられ、少々かわいそうでした。それから最後までいた中国人学生と、在日の学生フィリピンから来た奥さんと、そのご主人など、数人が片付けを手伝ってくれました。椅子などを持って行ってくれたのは二人の留学生で、こういう時、すぐに快く手伝ってくれるから助かります。

その他、在日でこの学校で日本語を学んだことのある人が「行徳祭り」で、店を開いていて挨拶に来てくれたり、卒業生が、私達を見つけ、声をかけてくれたりと、楽しい祭りの一日でした。私は、ずっと座りっぱなしでしたが、公園を見物してくるから、ついでにパンフレットを持っていくと言ってくれたりする人もいて、皆に支えられている学校であることが再認識できた一日でもありました。

日々是好日
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「台風」。「即位礼正殿の儀」。

2019-10-24 08:13:06 | 日本語学校

曇り。

昨日は久しぶりで晴れました。きれいな青一色の「秋空」で、「確か、10月って言うのは、『スポーツの秋』を代表していたっけなあ。今年は…」などと、ふと独り言を言ってしまいました。今年は「15号」、そして「19号」が、千葉県はもとより、各地に甚大な被害を残しただけでなく、その前後もずっと雨風が続き、とても「爽やかな秋」なんて感じることができませんでした。それがやっと感じられたと思ったら、また低気圧やら台風が…です。

さて、学校です。

ネパールは、当然のことながら「台風」は「ありません」。スリランカも来ないのでわかりません。ベトナムは来ることは来るけれども被害を受けるのはたいていが中部地方ということで、北部から来ている学生達には、どうもピンと来ないらしい。わかるのはバングラデシュからの学生と、中国南部の学生くらい。

そんなわけで、大半の学生にとって、台風は初めて。こんな激しい雨風を味わったのは日本が最初ということになりました。「15号」の時は、千葉県の被害がものすごく、工場の夜勤が終わっても電車が不通で帰れなかったという学生が何人もいました。2時間ほども歩いて帰ってくる者やら、ずっと駅で待ち続け、やっと帰ってきたはいいけれども、すぐに午後の授業に出なければならないということで、体調を崩してしまった学生も出てきました。

その経験から、「アルバイト先が、『来ても来なくてもいい』と言ったら、もう無理して行くな」、「『来なきゃだめ』と言われたら、『前回の台風の時、朝、電車が走らずにずっと駅で何時間も待っていて、大変だった』と言ってもいいし、『歩いて帰って疲れた人もいた』と言ってもいい。とにかく、行くな」と学生に言ったのがすぐに通じました。

こういう経験でも、一年も過ぎてしまうと学生達も忘れてしまうのです。そして、同じような怖い経験やら、大変な目に遭うやら、してしまいがちなのですが、今回はすぐにもっと強い台風が来たので、話がスッと入っていったのでしょう。

で、後日、そのことを訊くと、前回、一人、部屋に残り、震えていたネパールの女子、「今回はみんないたので、怖くなかった。みんなとずっと話していて楽しかった」。思わず、「えっ」となったのですが、前回は、一晩中、ベッドからも下りられず、ずっとネパールの母親と話し続けていたそうで(怖くて怖くてたまらなく、しかも独りぼっちでしたから)、朝の10時過ぎに、他の学生が戻ってくるまでトイレにも行けなかったのに比べれば、今回は仲間がいます。怖さを和らげるために、ずっとお話をし、話疲れて自然に眠る…だったのでしょう。

とはいえ、「台風」イコール「怖い」「大変」というのが、頭の中に刻み込まれたようです。

さて、一昨日は「即位礼正殿の儀」でした。

昨日、学生達に訊くと、まず挙がったのが「お休みでした」。アルバイトや勉強で疲れていた彼等にとって、ありがたい「プレゼント」だったというのは本当でしたね。「二年生」クラスでは、すぐにクスクスと笑い出し(同意の印)、「王さま」とかチラホラ日本語で聞こえてくるのですが、あとはそれぞれの国の言葉で何か言い合っています。ネパールの学生が、「ネパールの大統領が安部さんと会った」と興奮して日本語で言うと、他のネパールの学生もパッと私の顔を見つめます。でも、「一昨日の式の時、安部さんに会っても会わなくても関係のないことで、あれは、天皇家の『儀』で、日本人のお祭りのようなもの…」。ちょっと困りました。もちろん、こういう世界中から要人が来てくれるのですから、いいチャンスであることはあるのでしょうが、それを言うと、本末転倒という気がする。首相に会ったということよりも、こういう式に参列したと言うことの方が重みを持つ…というような日本人の感覚は、ちょっと理解できないのかもしれません。

しかも、非常に公平に、国際的に政治的に経済的に、力があろうがなかろうが、王の場合、在位年数で席次は決められ、次に皇太子などが次ぎ…というやり方は、本当に迷いがなくて潔い。どこの国で始まったやり方かはわかりませんが、これは守ってしかるべきことでしょうね。

実際のパワーとは別の力が働く社会があるということが目の前に繰り広げられ、気持ちがよかった。バチカンなどもそのひとつでしょうが。もちろん、それを認めたくないという国もあるでしょうが、江戸時代社会の二重構造を思い起こし、ちょっと面白かった。

ただ、学生達にとっては、和食は貧弱に見えたようで、建物にしても何にしても、「金」とか「宝石」とかで、ケバく塗りたくったり、飾りたくったりしたものの方が、「カネがありげ」に見えていいのでしょうね。

日々是好日
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[作文」…。別に困らせているわけではないのです。

2019-10-17 08:36:41 | 日本語学校

曇り。

また、雨になりそうな…でも、ならないかな。そんな空模様です。

「風」というのは、面白い。「空(くう)」と言えば、確かに「くう」。何もないといえば、確かに見えないからないのだろう。しかしながら、「ない」かというと、そうでもなく、「ある」ことを見せたり、実感させたりする。どこかで木々が揺れたり、寒いとか涼しいとか暑いとかを感じさせたりする。つまり、「何もない」のではないのだろう。

「心」も同じで、「空っぽ」であるが故に、いろいろなものが入れたりする。いろいろなものが入っているから、もう「空っぽ」ではないはずだのに、時々「空っぽ」であるような感覚(錯覚)に陥る。しかも、そういう「心」を捉えようとしても、風を捉えるようなもので、とらえられない。

いったい、「心」とは何であり、どうしたらわかるのか等とも考えてしまうのだが、おそらく、わからないから「心」なのだろう。

こればっかりは、どう科学的に分析したって、どうにもならない。ネアンデルタール人の遺伝子の一部を持つ我々人類は、祖先の頃となんら変わるところはない。

「生き物」というのは、悲しいものだ。風のようにあっという間に「失われ」、一度「失われ」たら、もう「戻る」ことはない。「戻れた」としても、その時には周りにいた「生き物」の方が失せている。戻ってきた者にも、既に前の記憶はない。だから、「戻れた」ということにはならない。

だから、尊いのだろう。

さて、(なにを言っていいのかわからなくなったところで)学校です。

学生達に、「作文」を書けと言う、「自分の意見」を書けと言う、「作文」の授業のことです。「書け」と言うことはたやすいけれども、なかなか筆をおろせない者がいる…。実際、こっちの方が大半です。どうしようと考えれば考えるほど、思考の海は混沌としてき、端も見えなければ、底も見えない。しばらく経って、「何を書く?」となどという輩も出てくる始末。考えているうちに、何が何だかわからなくなってきたのでしょうね。ホワイトボードに書いてあるというのは、その都度言う台詞。

以前、中国人学生の場合は、ほとんどが、すぐにサラサラと書いて、最後に「国のために尽くします」。あるいは他に責任を転嫁して「あなたの意見は?」ときた。

書き慣れているのはいいけれども、「自分のもの」ではないのです。「同じことを幾十回も書いてきた、書くのは簡単」[教師に褒められたのと同じのを書いていれば、褒められこそすれ、非難などされない(はずだ)。皆、同じことをやっているのだから」と言う。その通り、「金太郎飴」でした。でも、…じゃなくて、「あなた」の事を書いてと言うと、途端に固まってしまう。

どちらがいいのかわかりませんが、一応「自分」を書こうとして、混沌の闇に包まれている者の方が、私には指導しやすい。

「自分の心」は、ちょっと別の場所に置き、「公や学校」用の作文などと、そんなものに書き慣れていると、いつか心が裂かれてしまうのではないか…と、怖くなってきてしまいます。

わからないから、「心」だし、それを見つめようとすると、まず「何が何だかわからない」、「言葉にできない渦のようなもの」が現れてくるのも、おそらくは理に適っているのでしょう。「わからない」というのは、自分で端緒を見出せないだけのことで、一つ一つ衣を織っていくように、糸を束ねていくと、「ああ、あの時はこんな気持ちだったのか」と気がついたりする。

これまでやってきた同じ色の墨を流し込まれて、それを一つ一つ拭っていく方がずっと手間がかかる。繰り返されているからその分、分厚くなっている。おいそれとは痕跡が消せない。だいたい消しても消しても、名残は残るわけで、指導する方が、「本当にそう考えているの」と聞いても、もはや、それが自分であることすら、わからなくなっている。1枚1枚ベールを剥いでいっても、さらにまた薄いベールがかけられていて、時にはそれを剥いでいくと本人まで消えてしまうこともある。

教育というのは恐ろしい。大して詰め込まれていない方が、やりやすいのです。

一対一で、「何にびっくりした?」「何が嫌だった?」「何が困った?」、あるいは「何が凄いと思った」「何が嬉しかった?」など、ごくごく初歩的なことを聞いているうちに、言葉が出てきたりする。繕わざる「己の感じ」です。こういうのを話しているうちに、解れてきて、どんどん話せるようになってくる。もちろん、その時に「書け」と言えば、また「木阿弥」さんになってしまうのですが。

彼等が言った言葉を、それなりの日本語に改め、紡いでいくと、一度よりも二度目、二度目よりも三度目というふうに、言葉が的確になっていきます。言葉が的確になって来たと言うことは(もちろん、私が押し込んだという面も否めないのですが)、「混沌」が少し「晴れた」ということ。それから、「いつ」「だれが」…などといった事項を入れ、整理していけば、読む方もそれほど困らないし、書く方も嫌だという気持ちにはならないでしょう。

人に「伝える」ということは、母語であっても難しいこと。特に、何かの「説明」というのは。しかし、その練習をしていくと、「自分がどう思っていたか、感じていたか」を確認していくことで、次に繋げられるという面もあるのです。

本当なら、ただ彼等の言葉を日本語に置き換えるだけの、大した作業ではないのでしょうけれどもね。

日々是好日 
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今日、これから、「行徳神輿ミュージアム」に見学に行ってきます。

2019-10-10 08:18:14 | 日本語学校

晴れ。

朝は15度くらいでしたから、随分涼しくなりました。昼も、ひと頃のように30度近くになるということもなくなりました。とはいえ、台風が近づいています。最近は台風の置き土産みたいな、熱波が残されますから、安心はできません。

子供のころは台風が来るたびに秋が一段と深まると言われていたような気がするのですが、それも勘違いだったのでしょうか。

さて、学校です。

一昨日はネパールのお祭りだったようで、昨日、午前の学生の中には相当草臥れた態の人がいました。お酒を飲み慣れないから限度がわからなかったのでしょう。午後の学生に訊くと、女子は「お酒を飲めないから行かなかった。三人でお祭りをした」。男子は「飲んでいる人もいた」。

国にいるときには、ほとんどの学生が飲んだことがなかったようです。とはいえ、日本ではどこにでもお酒は置いてあるし、アルバイト先のレストランなどでも、男女を問わず、ビールで乾杯なんてやっていますし。お酒に対する興味も出てきて、ちょっと飲んでみたい…気分になったのでしょう。それでも、一滴も口にしない人もいたようですが。ビールをちょっと飲んだ…と白状した人は何人かいました。

「うっぷして、草臥れている」人に訊くと、「飲みません。…これからは、飲みません」。そうとう懲りているようです。でも、「人、酒を飲む。酒、人を飲む。酒、酒を飲む」ような人はいませんから、中国人とは違いますね。

彼の場合、顔を洗いに行ったり、トイレに行ったりして、頑張ろうとはしているようなのですが、徒労になっていますね。すぐにへたばってしまう。こちらは、帰れとも言えませんし、「日頃は真面目に頑張っているから、まっ、いいか」くらいの感じで見ていたのですけれども…。

私は放っておいても、ほかの人が脇からいろいろな事を言ってきます。A:「○○さんは、ビールを飲んだ…」B:「ワインも飲んだ」C:「お酒はだめだめ、ね」。

どうも、話から、ビールとワインをチャンポンで飲んだ。それで、今朝、グロッキーになっているらしい。中国人の女子は、それを横目に、「中国にはもっと強い酒がある」。

午前だけでなく、舞台を変えて、午後のクラスでもお酒の話は続きます。お米のお酒、米以外の穀物の酒、果物の酒…。話すことが楽しいらしく、いろいろな名前が出てきます。すると、突然、ネパール人が、「オオカミ(狼)」のお酒と言い出しました。動物の?と訊くと、「そう」と言います。中国にも「虎骨酒」があるし、…と思って、骨を使うの?と訊くと、肉と言います。それこそ、え~です。

まだ、日本語がそれほど様になっていませんから、本当のところは、確とはわからないのですが、ネパールには狼がいると見えますね。そちらの方が、え~です。「トラ(虎)」とか、「サイ(犀)」の話はよく出ていたのですが、狼というのはありふれて語るまでもないと言ったところだったのでしょうか。一人が「たくさんいる」。すると、横の学生が「うちの庭に出た」。キリがないので話を打ち切って勉強に戻ったのですが、日本の「イノシシ(猪)」と同じくらいありふれた動物のようです。

ところで、今日「行徳神輿ミュージアム」にお邪魔させていただきます。行徳に住んでいながら、神輿のこともよくわからない人も多く、10年ほど前には一度行ったことがあったのですが(中台製作所の方です)、新しく「行徳神輿ミュージアム」ができたと言うことですし、10月末の祭りには、説明のため、留学生に通訳を頼むという話もあるようなので、皆で行くことにしたのです。

日々是好日

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「台風19号」が近づいています。前回(15号)の時は大変だったけれども…。

2019-10-09 08:24:16 | 日本語学校

秋晴れ。

爽やかな朝です。

風が強めなのは、台風の影響でしょうか。「15号」と同じくらいかそれ以上の力でやって来そうです。ビルというのではなく、屋根瓦の家が軒を連ねていると、落ち着く…というイメージも、猛烈な台風の襲撃を前に、変化を迫られているのかもしれません。

でも、きっと、強風が吹いても瓦が飛ばないような、そういう仕組みか接着剤か、そんなものが新たに作り出される…ことでしょう、かな?

この学校にいる人たちは「台風」を経験したことのない人たちが多く、先だっての「台風15号」には、肝を冷やされたようで、「あれよりも大きいの?」

「まだ海上だけれども、少なくとも同じくらいか、悪くするともっと大きいかもしれないね」などと言うと、ひそひそひそ…。

「雨風が激しかったら、多分、交通ダイヤも乱れるだろうし、不通になることもあるだろうから、行く前に(帰りに事も考えてね、アルバイト先に)電話をしてから、どうするかを決めること」と、午後のクラスの学生達には言っておいたのですが(朝のクラスには今日言います)。

「15号」が来たときには、学生達の対応は二つに分かれていました。「どちらでもいい」と(アルバイト先に)言われたので、「行かなかった」人と、「(困ってしまって)行った」人と。

行かなかった者は、部屋で、雨風の音の激しさに一人怯えていたと言いますし、行った者は、朝、帰れなくて(深夜の工場の仕事です)、結局、寝ずにそのまま学校へ来た(午後のクラスの女子です)と言います。

一方、その日バイトがあった男子は、行ったはいいけれど、帰り(朝です)に、(電車は動いていなかったし、駅は、人で一杯で入れなかったから…)二時間ほどもかけて歩いて帰ってきた。

凄いところは、部屋に戻って教科書を取ると、そのまま、学校に来たこと。こちらは、彼等が来てから、話を聞いて驚いてしまって、「疲れたでしょう、もういいから、帰って寝なさい」と言ったのですが、「大丈夫。ネパールではいつも歩いていたから」と、授業が終わるまで残って勉強していました。そんな人が二人いました。

現在、週に許可されているアルバイト時間は28時間ですので、いきおい、学生達は、時給の高いところへと流れていきます。近場のレストランなどは、それなりに便利ですし、日本人と話すチャンスも多いと思われるのですが、時給が400円、または500円と違ってきますと、やはり少々離れていても、慣れているし…ということで、そのまま最初のアルバイト先に残るということになってしまうのでしょう。

もちろん、日本語が話せるようになると、どんどんアルバイトを換わっていく人もいます。遠くから近くへ、また工場から、レストランなどへ。しかしながら、やはりアルバイト代ですね。最後に決め手となるのは。

遠いところでは、ボーナスまで出ると言いますし…。そうなりますと、国からそれほど送ってもらわなくても、どうにか進学に要するお金は準備できます。

一応、彼等は高校を出て来ていますし、「自分でお金を稼いでいるよ」というのを、親や友達(恋人かな)に見せたいというのもあるでしょう。

こんなアルバイト経験から、彼等(インド圏の学生)が一番驚いたのは、日本では、職業に貴賎がないということ(もちろん、あるにはあるのですが、彼等の国でのことに比べれば、「無」に近しいのです)。以前、バングラデシュの学生がこう言っていました。

「国だったら、レストランで働いていると言うと、見下げられるのが普通だ。でも、日本ではそうじゃない。日本人に、レストランでアルバイトしていると言って、馬鹿にされたことはない。レストランのお客さんからは、「頑張っているね」と言われるさえある。それに一番びっくりした」

私達が気づかないところで、彼等なりに変化しているのです。若い頃はみんなお金がない。お金がないのは普通のこと。だから、頑張る。随分前の日本人を見るようで、時々、ハッとさせられることがあります。

日々是好日
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言葉を介さぬ説明。音だったり、ある仕草だったり…。百面相の達人になれたら、な。

2019-10-08 08:00:32 | 日本語学校

小雨。

まだ、時折、パラパラと降っているようです。この「パラパラ」。半年ほども経つと、いろいろなところで耳にするからでしょうか、擬声語や擬態語に関心を持つ人が出てきます。おそらく、それまでは、確とは判別できなかった「音」が、一つ一つ切れて聞こえるようになるからでしょう。「この言葉は何だ」と言ってきたりします。

そのうちに、1年が過ぎ、1年半が過ぎ…教科書もだんだんと上級のものになりしてきますと、そういう「音(言葉)」が、今度は「新出語句」としてどんどん出てくるようになってきます。

すると、戸惑い出すのですね。

面白い「遊び」ではなくなってしまうのです。これまでは、「アルバイト先の誰それが使った、あれ、面白い」それだけの話でした。もちろん、いったん気になり始めると、途端に耳につくようになってきます。あっちでもこっちでも使っている…。面白い。おそらくはこういう意味だろうけれども、はてさて、実際はどうなのだろう。

それくらいのものだったのが、学校で習い始めてしまいますと、もう「おままごと」では済まなくなってくるのです。「勉強だ、テストに出るぞ」に、なってしまうのです。こうなりますと、もう面白くはありませんね。その気持ちもわかります。で、授業中も身振り手振りよろしくして見せて、どうにか、この「面白い、いったい何なんだ」という気持ちをなくさせないようにしているのですが、うまく行っているかな。

その一方、学校で習い始めると、急に関心を持ち始める人も出てきます。「ああ、これは、自分の国の△△と同じだ」と言って、その「音(言葉)」を言って見せたりするのです。

「こそこそ」だったり、「ごそごそ」だったりしますと、私の動作を見ながら、「それは『コソコソ』には聞こえない」とか言ったりする(ムッ)ので、その時は、「泥棒さんです」などの解説を入れているのですが。もちろん、時には、いろいろとやって見せても、「そう、見~え~ない」などと言う輩もいるので、その時には、「や~めた。これは○○です」で押し通すこともあります。まるで、連想ゲームです。けれども、これが、案外面白い。

「上級」の学生になりますと、単語の説明も日本語で出来るようになります。が、それゆえにこそ、言葉を介さぬ説明が必要になってくるのでしょう。中国人学生の時には、そんなこと思いもしませんでしたが。

日々是好日

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クラスの雰囲気

2019-10-07 08:33:13 | 日本語学校

曇り。

昨日は、「涼しい」を通り越して、肌寒ささえ感じられたくらいでした。今日も昨日の空気の流れは続いているようです。

とはいえ、「台風」が、週末にはまた来そうです。低気圧ではなくて、台風ですものね。最近の台風は、一つ一つ、どうもこの地に与える影響が生半可のものではなく、「台風」と聞くだけで、身構えてしまいます。

9月の終わりごろも、暑く、「秋の訪れ」なんて遠い先の出来事のような気がしていましたのに、夏の間は気にならなかった「蔓草」類に目が行くのですから、心と体は別物のようです。

ということで、学校です。

今、この学校には4つのクラスがあります。「Dクラス」は、10月に始まったばかりのクラスで、10月生(留学生)が来るまで、「ひらがな」や「カタカナ」の練習をしながら待っているような感じかな。

そのうち3つのクラスには授業で行っているので、クラスの雰囲気というのがある程度わかります。…もっとも、「Cクラス」はお客さんかな、週に三日ですから。

クラスも作られてから半年ほども経ちますと、それなりの個性というのが出てきます。「Aクラス」は男所帯といった感じですし、「Cクラス」は、女所帯。「Aクラス」は、持ち始めのころは、それこそ、力付くでやらなければならないような部分もありました。だらだらしていて、少しもピシッとしていない。「こんなんで授業ができるか!」。

彼等も、最初は「なんてヤツが来たんだ」と思ったことでしょうね。それもどんどん潰していき…「それはこの授業に関係があることか!」は、しょっちゅう言っていたような気がします。それから「こちらを見ろ!」というのと、「本を見ろ!。答えは書いてある」というのも。

授業をしているというのに、彼等の視線が右や左、あるいは下に向かっているのです。「どこを見てる!」別に大声で言うわけではありません。力だって、向こうの方がずっと上で、けんかをしたら負けるでしょうし。

もともと、真面目なネパール組が多かったので、言えばわかる。ただ習慣は急には変わらない。それを矯めていくのに時間がかかったというところでしょう。それに、言っていいことと悪いことの区別がそれほどついていなかった。

「それを日本人に言うのか!」「授業中に、そんなことを言っていたのか!」。つい、今までの癖で、私の授業の時にも、皆の受けを狙ってか、そんなことを言っていたのでしょう。その都度、「どういう気だ」。こういうことを繰り返しているうちに、だんだん言ってはいけないこと、言うべきではないことなどに気が回るようになって来たのでしょう。今は、ほとんど、きつく言うことはありません。今、そんな類いのことを、誰かが冗談めかして言えば、クラスがパッと私を見るのです。彼等の価値観でやるのではなく、こちらの価値観でやるということが、もう習慣となったのでしょう。

「Bクラス」の方は、日本語の習得には、ある程度、時間は多めにかかると見ておいた方がいいようなクラスです。しかし、気分のいい人達が多く、「ゆっくり、ゆっくり」という感じで、全体的に、授業では、あまり無理はさせていません。

それでも、皆、週一のテストでは、「N3漢字」に入っていますし、二人を除けば、もう「N3漢字テスト」を卒業し、「N2漢字」の試験を受けています。ここには、二人ほど、どうしても、カンニングをしてしまうという人がいるのです。1年半ほども、こちらが注意し続けても、まだ、隙あらばやってしまうのです。もう、これほど経っても、そういう了見で変われないということは、言っても無駄ということでしょうね。

かといって、態度が悪いかというとそういうわけでもなく、それ以外は、ごくごく明るく授業にも参加しますし、授業中「覚えろ」といえば、文も覚えようと努力します。あれもお国柄なのでしょう。ズルをしていると言う感覚もないのです。見つかったら「しまった」という顔はしますが、それだけ。それに、他の人も責める様子はないのです。「Cクラス」にも、前の学年にも、彼等と同国人の、そういう人はいますから。点が採れればいいのでしょう。「汚いことをしている」「みっともないことをしている」という感覚も、もしかしたら、ないのかもしれません。

たかだか「週一の漢字小テスト」に過ぎぬのに…。「カンニングまでするかよ」というのが私達の感覚なのですが、どうも、よくわからないのですが、違うのでしょうね。

もっとも、大半の者は、「それはいけないことです」と言えば、やりません。私の見ているところでは。

この、「いけない」というのは、人のものを見て書く(写す)こと。これには、見せてやる事も入ります。教科書や答えの書いてある紙を膝において、それを、隠しながら写す。最近はスマホで調べて写すようですが。

もっとも、全然(漢字の)練習をせずに写すだけであった、かつての「彼等」は、写し間違いが多かった。「カンニングしても、写すのに、間違えるんだ」だったのですが、最近は、写すのだけは真面に写せるようで、そういう間違いはあまり見られなくなりました。これももしかしたら、進歩かもしれません。

日々是好日
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「漢字テスト」。「N3」まではいいけれども、「N2」からは、少々辛いらしい。

2019-10-04 08:23:45 | 日本語学校
雨。

六時半頃から、ポツリ、ポツリと、音もなく、姿も見えないような雨粒が落ちていたようです。それが六時半を過ぎると、だんだん感じられるようになり、そして学校へ急ぐ途中に、粒が大きくなってきました。でも、セーフでしたね。

久しぶりの雨です。「雨だ、雨だ、今日も雨だ」と、ついこの間まで騒いでいたのがうそのよう。そして晴れの日が続き、台風が来ると、ザァーと、まとめて落としていく…。本当に「お天気様」には泣かされます。

さて、学校です。

教員が二人、今日、ハノイへ発ちます。何人か来年の4月生との面接もあるようですが、主な目的は「ハノイにおける留学生フェア」参加です。随分前に、一度参加したことがあったのですが(その時はホーチミンとハノイの二つの地でした)、その時は、ホーチミン会場に来た若者たちの大半は、こりゃあ、「サクラ」だな。話してみると、もう留学先は決まっていると言います。うちの学校は東京の近くだから、大学を考えるときには便利だよと言っても、「うちの学校では、みんな広島県に行く」とか言います。正直ですね、きちんと答えてくれました。で、学生やその父兄とは別に縁は生じなかったのですが、ハノイ会場では、あちらで日本語学校を開いている人や、知人に頼まれて様子を見に来たという日本人関係者と知り合いになり、その面では成果がありました。

なにせ、日本人同士ですから、だいたい価値観も同じなら、教育に対する考え方も似ています。「勉強をしたい学生が欲しいし、大学まで考えているものの方がいい」「そうだろうな」「ベトナムで、『初級』レベルは一応教えられる所と組みたい」「どうして」「ベトナム人の場合、単語だけならいざ知らず、基本的な文法を入れてもらっておかないと、日本語での説明は難しい。他の国では、どうにかなるのだが」云々。

当時は、ハノイというか、ベトナム北部にはそれほど日本語学校がなかったようで、来日した学生に訊いても、「探した。大学にはあるが、民間にはなかった」。ある学生など「研修生に日本語を教えているところに行って勉強した」。

それが、ここ数年で、ガラリと様子が変わり、「N4」どころか、「N3」「N2」くらいまで教えられるという日本語学校も出てきたようですし、中学・高校で日本語を教えている学校も見られるようになりました。もちろん、玉石混淆というのは、彼我に違いはありません。

兄弟姉妹やいとこを呼びたいと、在学生や卒業生に相談された時、「『N5』は必要だし、『みんなの日本語Ⅰ・Ⅱ』くらいは終えていないと、来日後、大変だよ」と言うのですが、問題は、彼等が日本で勉強していた状況(学生の質も含めます)と今の状況とが違うと言うことが、なかなか呑み込めないこと。

ベトナムだけでなく、それ以前のスリランカの学生達もそうでした。そのころ、「毎日学校に来て、言われたとおり、書いているのに、どうしてこうできないのだろう(漢字は当然のことながら、ほとんど覚えられません。よって、文も読めません)とため息をつきたくなるような人たちがゴロゴロいました。それでも、専門学校の中には、喜んで(?)入れてくれるところもありましたし、専門学校卒業後、皆、就職し、今でも日本にいて、きちんと働いているようなのです。日本語とか勉強の面では、それほどのことはなかったけれども、別に、悪いことをするでなし、身の程に応じたところに収まって頑張っているということなのでしょう。

最近は、そういう学生はほとんどいなくなり、「覚えられない」と言いながらも、皆、「N3漢字」は卒業までに(毎週、漢字の試験をしています。合格出来てから次に進みます)、合格出来るようですし、「Aクラス」では、ベトナム人の中にも、ネパール人の中にも、「N1漢字」に入っている人が(現時点で)数人出ています。大半は「N2漢字」は終了するでしょう、卒業までに。「N1」漢字テストが終了してくれると、少し肩の荷が下りるのですが。

もちろん、これで完璧というわけではありません。が、「一度は覚えた」、「覚えたことがある」というのは、結構、強いのです。「思い出せる」のですから。

「思ひ出すとは 忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば 「閑吟集」

「思い出す」という言葉を耳にするたびに、心の中に浮かんでくるのは、閑吟集のこの件。

それを、学生が「いくら覚えても、すぐ忘れてしまう」と嘆いたときに、「一度覚えたから、思い出せるんだよ。覚えたことのない人は、思い出せっこないもの」と言って、慰めているのです。本歌取りどころか、かなり意味は違ってくるのですが、私の中では一つ道なので、怺えてもらいましょう。

今日も、テストの日(毎週、原則金曜日に統一してやっています)。一回ですぐに合格出来る者、三回くらいやらないと合格出来ない者と、まあ、さまざまですが、それもしかたのないこと。大切なのは、真剣に取り組んでくれることなのです。「N2」に入ると、やはり大変だと言います。

「N3」までは、一回につき、20問と、比較的わかりやすく、合格しやすいのですが、「N2」からは、一問の中に、同形異義語も押し込んでいますから、一問とはいえ、三つ、あるいは四つ合わねば丸とならぬ…とまあ、そんなものもあり、「N2」に入ったばかりの時は、中国人以外は、だいたいため息をつきますね。

ところが、「N1」はもっとしんどい。それまでは、一回に「三枚します」と言えていた学生もせいぜい二枚が限度、一枚でヒイヒイ言っている人もいるくらいですもの。だいたい、多いときで一枚に60近く入っていることがあるのですから。

日本人である私から見ても、よく頑張れるなあです。

日々是好日
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「訊かれている事」が正確に聞き取れるようになると、話はスムーズに流れていきます。まあ、当然のことですが。

2019-10-03 08:30:00 | 日本語学校

曇り。

日本海側を進んでいる(もう入ったかな)「台風18号」の影響かもしれませんね。昨日までの青空から、一変して「曇り」です。

まだ、教室では冷房が必要で、午前のクラスでも、教室に入るなり、「暑いです」と言う学生がいます。早くに来て、サッサとリモコンのスイッチを入れてくれる学生もいて、もちろん、二年生ですが、これは助かります。ただ、窓を閉めてくれると、もっと嬉しいのですけれど。

午前のクラスでは、早朝のアルバイトがあった学生が、厚手のパーカーを羽織ってやって来ることもあります。朝晩の気温と昼の気温とが全く違うので、戸惑っているようですが。

この、私達には「涼しい」と感じられる程度の朝晩の気温というのも、ある国の人にとっては、いわゆる「冬」の気温。

四季の概念というと、何やら厳めしく聞こえるのですが、来日して半年くらいの学生達に、「四季があるか」を問うて、「ない」と答える学生は、まず、いません。「四季」がわからなくとも、「冬があるか」と問えば(「冬」はわかりますから)、だいたい「ある」と答えます。

国によっては、「雨季」や「乾季」という概念が入っていないところもありますから、最初はこうとしか問えないのです。

で、「冬は何度くらい」と訊くと、「25度くらい」。「それは冬じゃない」と言うと、「高いところはもっと寒い」。「高いところじゃなくて、あなたが住んでいるところ」と聞き直しても、それでも、彼等は「冬はある」と答えます。

彼等の体感温度でも、それは「冬」であり、私達が言うところの「めっきり寒くなってきた」感といえるのでしょう。彼等の「冬」は、私達とは違うようです。でも、ここでは「日本ではね」というのが入るのです。だって、「日本」を学んでいるのですから。

さて、学校です。

最近、二年生のクラスでは、面接の練習もかねて、授業中、10分か20分ほど、授業の途中で、彼等の国のことを尋ねたりすることがあります。同じことを訊いていても、3ヶ月前には、それほどはっきりと答えられなかったことも、最近は随分、的確に答えられるようになって来ました。

おそらく、これは「訊かれていることがはっきりわかった」からなのでしょう。

訊かれていることが「わからない」と、答えようがないのです。それが本当。それに、「『わからない』のに、『わかった』ふりをして、いかにも「それらしく」答える」のが習慣になってしまうと、大変なことになってしまいます。「わからない」ことは、「わからない」のですから、それでいいのです。だって、外国人なのですから。後からこの国に入ってきて、言葉を学んでいるだけであって、文化を目にし耳にして育ったわけではないのですから。

日本の会社に入った外国人の中でも、これが障害となり、日本人とうまくやっていけなくなったという人は少なくありません。「わからない」と言えばいいのになあと思うこともたびたびあります。もちろん、私だってそう。

わからなければ、聞き直せばいいようなものの、もう10年かそれ以上も、日本に住んでいたり、働いていたりしますと、プライド故にか、もう、問い直すということができなくなってしまうのです。「平(ひら)」で、責任がそれほどない間はそれでもやっていけるのですが、それがベテランと見做され、チームの若手を2,3人でも抱えなければならなくなってしまいますと、そうはいきません。

「わかったふり」や「聞く耳持たず(相手が言っていることが正確には聞き取れませんから)同じことただ繰り返して言っているだけ」というのは反感を持たれてしまいます。中には、さも相手に問題があるような言い方しかできない人もいますから、困ります。

相手の言わんとするところがわかれば、人によって、言い方を変えねばならぬ事がわかります。うまく行っている人は、「勘」がとりわけ優れている人か、「聞き直す」ことに何ら拘りを持たぬ人と言えるでしょう。

日本人の社会でもそうです。全員が日本人であっても、そう。わからないことは訊く。この習慣が出来ていれば、仕事もどうにかなっていくものです。

こういう仕事(日本語教師)で言えば、入った当初は学生に何回聞かせればいいかわからなくて、ベテランに訊いたりしていても、学生の反応が見えるようになったら、自分で決めることができるようになる…ようなもの。もちろん、いつまで経っても、学生を見ようとしない人はいますし、いくら指導しても見えない人もいるにはいるのですが。

日々是好日
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面接の時の言葉遣い。

2019-10-02 08:18:04 | 日本語学校

晴れ。

朝夕は、秋めいてきましたが、日中はそれどころではなく、犬のようにハアハアやっても、誰からも責められないであろうような暑さが、続いています。

そんな中、「アサガオ」の花が、早朝の潤いを与えてくれています。「アサガオ」なんて、夏休みの自由研究の救い手…という認識しかなかったのですが、最近は夏の終わり、秋の初めを示すもののような気がしてくるのですから、不思議です。

さて、学校では、受験のために、「面接」の練習等が始まっています。が、常日頃、どちらかといえば、口が重いという学生にとってはこれは難事業。アルバイトなどで軽口が叩けるようになっている学生ならいい(つまり反応が速い)のですが、相手の意図を考えたり、言葉遣いなどを考えたりし出しますと、考えれば考えるほど、どう答えていいかわからなくなってしまうというような、そんな学生が、2,3人いるのです。これも、「場面、相手によって、言葉遣いは変わる。注意しろ」などと、言っていたこちらの責任も少々あるのでしょう、かしらん。

また、一方、軽口を叩くのに長けた学生にしても、つい、日常の言葉の癖が出てしまい、相手の先生に対して友達言葉を使ってしまうのではないかとひやひやしてしまいます。

「まじ」とか「まじか」、また「めっちゃ」とかいう言葉は、アルバイト先のみならず、電車に乗っていたり、道を歩いたりしているときでも、よく耳にするようで、昨日も、口が重い学生が「『まじ』は、いい意味か」と訊いてきました。「場面や相手を考えて言葉遣いが変えられるほどの日本語力がない限りは、使うな」と答えますと、「では、『まじか』はどうだ」と訊くのです。

「同じ」。「でも、日本人はよく使っている」。「でも、だめ」。

これは、どこの国の言葉を学ぼうと、ある程度、「聴く力」がついてきた時に、出てくる問題なのですが、学習者にとっては、「きれいな言葉」と「汚い言葉」の区別などつくはずもなく、道で聞きかじった言葉を「どうだ、みんな知らないだろう。俺は知っているんだぜ」と、自慢気に吹聴したくなるのも、これも、また仕方がないことなのかもしれません。

「誰が相手であろうと、『です・ます体』を使えば問題ない」と、言っても、教室で学ぶ言葉よりも、おそらく外の世界で耳にする言葉の方が、心にしっかりと根を生やすのも、当然と言えば当然のこと。なにせ、教室では、日頃耳にしたこともなく、しかも使う機会もない言葉を学ぶばかりなのに比して、外では、聞くだけでなく、やり取りまでできるのですから。

学生達も、ちょっと上手になったというのが一番危うい時期であるというのは承知しているはずです。初心者であれば、相手の日本人だって、変なことを言われても、笑って済ましてくれます。ところが、ある程度話せたり、聞き取れたりしますと、「これは、わざとじゃないか」などと勘ぐられ、嫌われることだってありうるのです。

「今が一番大変なとき。ご用心、ご用心」とは言っているのですが、言う方が無理というもの。それもわかります。覚えたら使いたくなるのが人情。そんな言葉は、親しい友達だけと、いくら言ってもできっこないでしょうね。「新しい言葉を知った。意味もよくわかる。どんなときに使っていたかもわかる。嬉しい。使いたい。使えた。よかった」で、後のことは考えられないのが大半の学生でしょうから。

面接の時に、変な言葉を使わないように。できれば、その前に、(使いたい言葉の善し悪しを)訊いてくれることを祈るばかりです。

日々是好日
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「セミの声」、そして「ウグイスの声」

2019-10-01 08:22:02 | 日本語学校
晴れ。

久しぶりに書いています。この数週間は、忙しかった。朝、早く来て一人でブツブツ言いながら書いては消し、消しては書き、またその辺りをウロウロしたりしている間に、日は過ぎていき…今日に至っています。

まあ、ともあれ、一段落です。次に備えます。

ウロウロしている間に、セミの声はパタリと止み、今は、秋の虫が草むらから、チチチチチ、あるいはリーリリリリリリと、一つ一つはか細いながらも、団体さんでは大きくなる…様相を呈してきています。

この辺りは、です。先週土曜日に行った田園地帯では、「ツクツクボウシ」が鳴いていましたし、多分今週は「ヒグラシ」の声が聞こえることでしょう。

ここは蝉と言えば、「ミンミンゼミ」一色でしたもの。セミの声が一色とは、ちと寂しい。これでは季節の流れを感じられません。夏の終わりから秋へという流れが。とはいえ、今年は、残暑がわからなかった。夏のままという感じでしたもの。これでは、しょうがないのかもしれません。

昨日、学生に、「ウグイス」の声を聞かせました。暦の上では、春の鳥とは、これいかにというところですが、本に出てきたのです。まずは、DVDで、姿を見せ、それからウグイスの鳴き声です。経験から言うと、それほど上手な方ではないのですが、この鳥。

中国の学生は漢字を見るなり、「わかる」とはいうものの、実際に鳴き声には拘りがないようで、「へえ、そんなもんかい」くらいのもの。スリランカやバングラデシュ、ネパールの学生は「…いる。…いると思う」で終わり。ベトナムの学生は、なぜか「はい、わかります」と明るい声。

中国圏には鳴き声を愛ずる文化がある故に、中国・ベトナムからはもう少し、よさげな反応が返ってくるはずと、期待していたのですが、ちと様子が違った。「手に取るなやはり野に置け蓮華草」文化とは違い、籠に入れて、美声を競わせる文化なのでしょう。それには、もしかしたら「ウグイス」は向かないのかもしれません。

もう、20年近く前になるでしょうか、奥多摩歩きをしていたときのこと。ちょいとばかり休んでいると、どこからか「ウグイス」が飛んできて、それはそれは見事な鳴きっぷり。声も立てず、身じろぎもせずに、聞いていると、どこからか、数段上の声が聞こえてきました。すると、今、いかにも誇らしげに鳴いていた、その鳥、ぱたぱたとどこかへ飛んで行ってしまい、次に来たのは、その数段上の鳴き声の持ち主。ひとしきり鳴いて、また相手を蹴散らしにどこやらへ飛んでいったのでしたが、このときの声は、忘れられませんね。

鳴き声にも、並み、上、特上、特特上、特特特上があるというのがよくわかりました。私が、その以前に聞いていた鳴き声というのは、ごくごく並みのものにすぎぬと言うこともよくわかりました。しかしながら、それでも「ウグイスだ」で、満足できたのですから、無知とは恐ろしい。

街中にいては、こういうのも気づきません。今年、公園の近くでウグイスの鳴き声がしたと思って辺りを見回したのですが、わからない。どうもおかしいと気づいて、よくよく声のした辺りを見てみると、どうもどこかのマンションから聞こえている…。

誰からが、「鳥の声」か、「ウグイスの声」か、おそらくそんなものを買ってきて、聞いていたのでしょう。そうでなくとも、若い鳥で、まだまだ学習が足りないと言った声でしたが。

ウグイスの声を聞きたかったら、山に行けですね。学生達はそれほど興味がなさそうでしたから、「これがウグイス。これがウグイスの声」で、仕舞いにしましたけれども。

日々是好日
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