七月も終わりに近づいた昨日、初めて学校に「セミ(蝉)」の声が響いてきました。「セミ」と、はっきりと判る声です。ああ、蝉が啼いている…。それからしばらくは「セミ談義」です。皆、今年も「セミ」は来ないのかしらんと不安に思っていたと見えます。
そして、今朝、公園の方から、「ミーン、ミーン」と、夏の暑さを倍増させる、例の声が聞こえて来ました。路上では既にセミの亡骸も転がり始めています。
「ミンミンゼミ」です。「ジージージー」という「アブラゼミ」の声も聞こえてきます。おっと静かになりました。「カラス」が来たのでしょうか。以前、清澄庭園で、池の上を、「セミ」を咥えた「カラス」が渡っているのを見ました。それから「セミ」の天敵は鳥、中でもカラスであると思うようになったのですが、友人の話によると、「カラス」は猫の子も襲うとか。
「セミ」を見ると
「 恋いに焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
という「都々逸」を思い出します。
とはいえ、思いの深さはどうであれ、人も、泣ける時には精いっぱい泣いた方がいいのです。笑いたい時にも、精いっぱい笑った方がいいのです。人はそうすることのできる力を、天から授かっているのですから。出し惜しみをしているうちに、旅立たねばならなくなるかもしれませんし。
「つひにゆく 道とはかねて聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを 」(在原業平)
さて、学校です。
昨日も後半の45分を、「箱根」の日程の説明や注意事項、それから「箱根」のDVDや歌の練習などに費やしました。というわけで授業時間はどんどん少なくなっていきます。その少ない授業時間に「Bクラス」であったことです。
これまでできなかった「ワークブック」を少しやらせていたのですが、早く終えた中国人学生に「2級文法」を見るように言っていた時のことです…。
と、ここまで書いていると、急に『チチチチチチ天』という声が耳元でしました。ほんの30㌢ほど離れたところに、「スズメ(雀)」が止まって、羽を振るわせながら啼いているではありませんか。巣立ったばかりのヒナでしょうか。親に餌をねだっているようにも見えます。親は人間のそばまでは来ないでしょうが、人間の怖さを知らない「小スズメ」は、バランスが取れなくなると、どこでも手近なところに止まってしまいます。しばらくは、筆を止めて、「小スズメ」の観察です。
すると急に様々な鳥の声が聞こえてきました(セミの声がしなくなるはずです)。忙しなく啼いているのもいれば、時折鋭い叫びを上げるものもいます。まるで「トリ銀座」です。近くにお狩り場や野鳥の森公園があるせいでしょうか。
さて、「小スズメ」は、飛んでいってしまいました。同時に蝉の声がまた、低く高く唸り声のように響いてきます。
話は元に戻します。例のワークブックをさせていた時のことです。
学生と話しながら何気なく窓越しに道を見ますと、建設が終わりかけたマンションの下の方で、なにやら黒い「ネコ(猫)」が、オートバイの匂いをかぎ廻っています。あれは大きいからオスですね。体つきもがっしりして見えます。頭の先からしっぽの先まで、全身真っ黒です。新顔ですね。
思わず、「ネコがいる」。そして、黒い猫は、日本では商売をしている人の間では喜ばれることもあるのだということなどを話すともなく話しておりますと、静かに問題をしていたはずのベトナム人男子学生が「猫はおいしい」。
えっ。タイ人学生もネパール人学生も、ミャンマー学生も、そして日本人である私も、驚いて彼の顔を見ました。「ホントかな」。
それで、今度はベトナム人女子学生に聞いてみます「本当?」すると、ニコニコしながら、嬉しそうに、でも小さい声で「ほんとう」と言います。「う~ん」。犬を食べる云々で驚いてなどいてはならぬのです。世の中には小さな猫だって食べる人たちがいるのですから。これなどは食文化ですから、別に文句を言うべきことではないのです。
ただ、あの歌に出てくる「ラクダ」を食べると聞けば日本人は驚きます。多分、海から遠い地に生まれ育った人が、日本人が「クジラ(鯨)」を食べると聞いて驚くように。
思えば、幕末から明治にかけて、欧米人が「ウシ(牛)」や「ブタ(豚)」の肉を食すると聞いて、日本人は驚き呆れたものです。それが今では、日本人の食生活の中に、自然に組み込まれるようになっていますから、おかしいと言えばおかしいことです。
もしかすると「ネコ」や「イヌ」だって、そして「ヘビ(蛇)」や「ネズミ(鼠)」だって、食べるようになるかもしれません。だって、中国人は「ヘビ」を普通に食べていますし、インド人やラテンアメリカの(ペルーだったかどこだったかは忘れてしまいましたが)人は「ネズミ」も食べると言っていましたから。
日々是好日
そして、今朝、公園の方から、「ミーン、ミーン」と、夏の暑さを倍増させる、例の声が聞こえて来ました。路上では既にセミの亡骸も転がり始めています。
「ミンミンゼミ」です。「ジージージー」という「アブラゼミ」の声も聞こえてきます。おっと静かになりました。「カラス」が来たのでしょうか。以前、清澄庭園で、池の上を、「セミ」を咥えた「カラス」が渡っているのを見ました。それから「セミ」の天敵は鳥、中でもカラスであると思うようになったのですが、友人の話によると、「カラス」は猫の子も襲うとか。
「セミ」を見ると
「 恋いに焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
という「都々逸」を思い出します。
とはいえ、思いの深さはどうであれ、人も、泣ける時には精いっぱい泣いた方がいいのです。笑いたい時にも、精いっぱい笑った方がいいのです。人はそうすることのできる力を、天から授かっているのですから。出し惜しみをしているうちに、旅立たねばならなくなるかもしれませんし。
「つひにゆく 道とはかねて聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを 」(在原業平)
さて、学校です。
昨日も後半の45分を、「箱根」の日程の説明や注意事項、それから「箱根」のDVDや歌の練習などに費やしました。というわけで授業時間はどんどん少なくなっていきます。その少ない授業時間に「Bクラス」であったことです。
これまでできなかった「ワークブック」を少しやらせていたのですが、早く終えた中国人学生に「2級文法」を見るように言っていた時のことです…。
と、ここまで書いていると、急に『チチチチチチ天』という声が耳元でしました。ほんの30㌢ほど離れたところに、「スズメ(雀)」が止まって、羽を振るわせながら啼いているではありませんか。巣立ったばかりのヒナでしょうか。親に餌をねだっているようにも見えます。親は人間のそばまでは来ないでしょうが、人間の怖さを知らない「小スズメ」は、バランスが取れなくなると、どこでも手近なところに止まってしまいます。しばらくは、筆を止めて、「小スズメ」の観察です。
すると急に様々な鳥の声が聞こえてきました(セミの声がしなくなるはずです)。忙しなく啼いているのもいれば、時折鋭い叫びを上げるものもいます。まるで「トリ銀座」です。近くにお狩り場や野鳥の森公園があるせいでしょうか。
さて、「小スズメ」は、飛んでいってしまいました。同時に蝉の声がまた、低く高く唸り声のように響いてきます。
話は元に戻します。例のワークブックをさせていた時のことです。
学生と話しながら何気なく窓越しに道を見ますと、建設が終わりかけたマンションの下の方で、なにやら黒い「ネコ(猫)」が、オートバイの匂いをかぎ廻っています。あれは大きいからオスですね。体つきもがっしりして見えます。頭の先からしっぽの先まで、全身真っ黒です。新顔ですね。
思わず、「ネコがいる」。そして、黒い猫は、日本では商売をしている人の間では喜ばれることもあるのだということなどを話すともなく話しておりますと、静かに問題をしていたはずのベトナム人男子学生が「猫はおいしい」。
えっ。タイ人学生もネパール人学生も、ミャンマー学生も、そして日本人である私も、驚いて彼の顔を見ました。「ホントかな」。
それで、今度はベトナム人女子学生に聞いてみます「本当?」すると、ニコニコしながら、嬉しそうに、でも小さい声で「ほんとう」と言います。「う~ん」。犬を食べる云々で驚いてなどいてはならぬのです。世の中には小さな猫だって食べる人たちがいるのですから。これなどは食文化ですから、別に文句を言うべきことではないのです。
ただ、あの歌に出てくる「ラクダ」を食べると聞けば日本人は驚きます。多分、海から遠い地に生まれ育った人が、日本人が「クジラ(鯨)」を食べると聞いて驚くように。
思えば、幕末から明治にかけて、欧米人が「ウシ(牛)」や「ブタ(豚)」の肉を食すると聞いて、日本人は驚き呆れたものです。それが今では、日本人の食生活の中に、自然に組み込まれるようになっていますから、おかしいと言えばおかしいことです。
もしかすると「ネコ」や「イヌ」だって、そして「ヘビ(蛇)」や「ネズミ(鼠)」だって、食べるようになるかもしれません。だって、中国人は「ヘビ」を普通に食べていますし、インド人やラテンアメリカの(ペルーだったかどこだったかは忘れてしまいましたが)人は「ネズミ」も食べると言っていましたから。
日々是好日