日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「将来の計画は、まずお金の計算カッら」。

2014-02-28 08:44:50 | 日本語の授業
 暖かい。

「温い」というのが、ピッタリの今朝の陽気。

 こう「温い」と、何が起こっても、怒りとか悲しみとか、そういう激しい心の動きとは、無縁の存在になったかのような気分になってしまいます。思えば、日本人はこの島国で、年に1度はそういう状態になっていたのです。人がここに住むようになってから、ずっと。

 今日など、「桜が咲きました」と言われても、決して、おかしくはないのです。思わず「ああ、そうか」と納得してしまいそう…。何でも「18度から10度」だそうで、これは、もう、迷うことなく「桜の季節」ですよね。ただ、残念なことに曇り空のようですけれども、また、これが「花曇り」だと、もっといいのですが。ま、いいか。春は霞がかかるのが常ですもの。もちろん、「汚染物質の到来」は、嫌ですけれども。

 さて、学校です。

 大学進学を目指していた学生達のうち、最後の一人に、やっと「合格の通知」が届きました。「花開く」ですね。これで、大学希望者は、皆全員、無事に進学の夢を叶えられたわけで、まずは、(教員一同も)ホッ。

 とはいえ、これからが、大変。「(大学の)学費」が、ズシリとのしかかってきます。できれば、親兄弟に迷惑をかけたくないというところで、これまで、頑張って来た彼等。ただ、「半年後に、いくらいる。一年後には、いくらいる。進学のためにいくらいる」という計算が、苦手な人が、多いようで、通知がきてから、慌てふためくというのが、パターなのです。その前にいくら言っても、判らないのです。

 もっとも、さすがに、大学を目指していた人たちは、しっかりしていて、それなりに貯金していたようなのですが、最後に、どこかの専門学校を探し出して、そこへ行くとか言って来た学生達は、この学校の学費も、部屋代もずっと払っていない人たちが少なくないのです。

 それでいて、恰好のいい服を着ていたり、スマホで遊んでいたりするのですから、意味が判りません。

 これは問題だなということで、ベトナムでは、私達が年に数回行った時に、会えなかった学生は、もう留学の手続きをとらない(前に、大卒だから大丈夫だろうということで入れた学生も、「お金がない」と言って、二年目の学費も、寮費も払おうとしないし、それどころか、シラッと、平気な顔をしている。その上、勉強もしようとしなかったのです)ことにしました。

 どうしても、教員というのは、自分を「万能であるかの如く」見る「厭らしさ」が抜けきれないようで、そういう人でも、「何とか感化させることが出来るのではないか」と思ってしまうのです。

 それに、「人は、皆、『腹に一物』もって、来日しているわけではないはずだ」などと思ってしまい、現実には、明らかに、「別の目的があって、留学ビザをとっていたのであろう」と思われるはずなのに、それが見えていても(見ようとしなかったり)しているのです。彼にも、いいところがある(あった)のだから…あのとき、手伝ってくれたし…などと、つい、見えた(厭な)面を打ち消してしまったりして。そして、その度に、裏切られてしまうのですが。それでも、懲りなかったりするのです、教員という者の業なのかもしれませんが。

 とはいえ、さすがに、もう、耐えきれなくなってしまいました、皆。

 もう、ちょっと、ベトナムの、某日本語学校からの学生は要注意だなと、激しく思うようになったのです。

 それ以外の二つの日本語学校と、その、某日本語学校とは、(ベトナムに)行って、様子を見た時に、はっきりとした違いがあるのです。

 その二つの学校では、(ベトナムの)先生方と学生達との距離が短いのです。とても近いのです。(日本の学校で)私達と学生達が話しているように、(ベトナムの)先生方と学生達が話しています。ですから、(私達が)行ったらすぐに、(向こうの学校に)馴染めるのです。自分達のやり方で、すぐに学生達と対することができるのです。同じ空気、同じやり方だということが、彼等にも伝わるようで。

 2月に行った時に、会ったのは二度目だったと言うことも関係していたのでしょうが、本当に、すぐに、そこで、彼等を教え始めても自然であるような雰囲気でした。出来るならば、皆そうであってほしいのですが。

日々是好日
 
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「偉い。もう、日本の社会に入っても、大丈夫だぞ」。

2014-02-27 08:44:10 | 日本語の授業
 曇り。雨がポツリと来ました。

 気温がだんだん上がってくると、もう頬にかかる小さな粒は、「粉雪」ではなく、「雨粒」に。

 毎年のように繰り返される、この変化は、春を待ちわびる心と、緑がほのかに芽生えている景色とが相俟って、…いいものですね。まったりとしていて、それでいて、どこか、浮き浮きしているのです。おぼろ月夜の晩も、そんな感じなのですが。空気が駘蕩としているのでしょう。

 さて、学校です。

 来日後、半年ほども経っていながら、まだ、何のために日本に来たかが思い出せないでいる人がいます。それぞれの国にいる時には、「日本へ勉強しに行きます」と言えていたのに、今は、「どうしていいかわからない」様子。

 日本語が下手な間は、日本語を使わなければならないアルバイトはできませんから、当然のことながら、割りの悪いものしか捜せません。それでも、頑張れるという人は、はっきりとした目的があって、日本に来ている人であり、漠然と、「日本へ行けば何でもできる」くらいの気分でいた人は、何をやりたいのかがしっかりと定まっていないので、崩れてしまうのでしょう。

 この差は本当に大きい。

 一年、乃至一年半ほどが過ぎようとして、さて、日本語学校を出ねばならぬとなったとき、ハッと気がつくのは、「金がない…。どうして、あんなに働いていたのに…」(進学するに金がない、で、帰るかというと帰らないのです。「どうするの」と聞いても、「さあ」、と言って、お地蔵さんになる。いったい、だれかが助けてくれるとでも思っているのでしょうか、真面目に勉強もしていないのに)。

 この「あんなに」というのは、「彼等にとっての『あんなに』」であり、以前の、いわゆる中国人学生の言っていた「あんなに」ではありません。

 けれども、それでも、月に12万円から13万円ほどは稼いでいたのです。生活費を差し引いても、4万から5万は残るはず。それがいつの間にか、みんな、どこかへ行ってしまっているのですから、どうしょうもない。

 進学の時に、「どうして(全くお金がないのか)」と聞くと、そういう学生は、決まって「わからない」と言います。いつも髪型に凝っていたり、髪を染めていたり、恰好のいい服や靴を身に付けたりしていますから、理由はすぐにわかるのですけれども。

 来たばかりの学生であっても、既にスマホが手放せない状態になり、授業中でも、教師の声をそっちのけで、隠れて見入っている者もいます。こういう「美酒」を「剥ぎ取る」のは、至難のワザ。別に彼等の意思が固いからと言うのではなく、弱いから「アヘン」をやめられなくなってしまうのです。

 「生活は厳しい。かといって、学校へ行かねばビザは下りない」、だから学校へは行くけれども、すでに学ぶという気持ちは千里の彼方へ飛んでいる。

 嫌々、来ているものだから、「居る」だけで終わってしまう。それさえも、(これは習慣ですから)その習慣が消えてしまえば、やっとこさと、学校にまで足を運ぶのは、面倒臭い。家で寝ていた方が楽となる。
 
 ただ、これも、「個人の強さ」が関係しているところで、高卒で来て、一時はそういうところまで落ちても、「ハッと気がついて」、巻き直せる人はいましたから。

 結局は、彼等の国にいた時と「同じことしかできない」としか言いようがないのです。

 彼等の国にいた時に、勉強した経験がない人(もちろん、皆、高校までは出ています。ここで言っているのは、「小学校、中学校、高校と、ただ学校へ行って、教室に座っていただけ」で、テストの時は、適当に隣の人の答案を写し、それで、高校卒業という卒業証書をもらっただけ…という人です)が、外国へ行ったからといって、急に勉学に勤しめるかというと、そんなことはあり得ないのです。だれが考えても、そうでしょう。

 不思議なことに、カンニングが常態である人たちが、少なくないのです。学校のレベルチェックのテストです。悪くたって、関係ないと思うのですが、どうも嫌らしいのです、それが。

 それで、カンニングをする、またそれが当たり前である…。以前、ベトナムの学生で、テストとなると、一人机を引き出してくる人がいました。聞くと、邪魔をされるからと言うのです。はは~ん、そうか。見られたり、「教えろ」と言われるのが、常の国であるから、テストに集中したい者は、悪口を言われようとも、皆に背を向けてテストを受けるしかなかったのです。

 もっとも、いつも他の人の答案を覗くというのが習慣になっている人でも、学校へ行くという習慣さえついていれば、日本語は上達するものなのです。だって、毎日、学校で日本人教師に日本語を教えられ、しかも、それをずっと繰り返していくわけですから。

 学校というのは、小さな日本社会、日本社会の縮図と言ってもよく、ここで適応できない人が、日本の会社で働けるかというと、それは、おそらく、非常に難しいことでしょう。多くの学生の目的は日本で働くことなのですが。

 人が話している時は、黙って聞く。教科書を開けと言われて、それに、五分も十分もかかるようでは、勉強が出来ないだけでなく、会社に入れても、お荷物になるだけですから、厄介者と言われ、嫌われるだけでしょう。

 毎日来ている人は、遅くとも、三ヶ月くらいでそれが出来るようになっています。授業の流れも掴めているはずですし、「ここいらあたりで、こうなるな」という勘がつくようになっているはずなのです。

 ところが、休みがちな人は、それができない。また、そうしなければならないということもわからない。それで浮いてしまうのです。それで、学校に来ても、(わからないから)ザワザワザワ…となる。それが一人だけであったら、まだ、自分一人が浮いているということに、気がつくのでしょうが、もし同じような者が、その時、二人か三人いたら、多分、クラスの他の学生達の多くも彼等に巻き込まれてしまうことでしょう。だって、元は一緒なのですから。

 おかしなことですが、そんな時、(もちろん、腹は立ちます)元々は同じであったにもかかわらず、彼等が来るまでは、教室の中で、きちんと出来ていた、他の学生達に感心してしまったりするのです。

 「偉い、君たちは。もう、日本の会社でも働けるぞ」と。

日々是好日
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「アルバイトをしながら、学校に通うのは大変…。」

2014-02-26 08:47:01 | 日本語の授業
 暖かい朝です。今にも桜が咲き出しそうな、そんな感じの朝です。のんびりとした、おおどかな気分…になってきます。

 と、書き始めたところで、玄関で靴音がしてきました。…アルバイトが終わってから来ていた学生は、もう大学が決まったから来るはずもなし…と思いながら待っていると…彼女でした。

 ビザの更新の手続きで来たと言います。上の自習室へやり、他の教員が来るまで待たせておきます。

 早く来て、早く帰りたいのは判るけれども、私も朝が一番仕事が出来るのです。もちろん、早く来てしまえば、いろいろな雑用もしてしまいますが、まあ、そんなことは本来なら、若い人たちが来てからすればいいことなのかもしれません。多分、これはどこの会社でも学校でも同じでしょうが。

 彼女はおとなしく、上へ行きます。タウンワークの雑誌を持っていましたから、それを見ながら待つつもりなのかもしれません。

 日本語学校に二年ほどもいますと、ある程度真面目にやってきた学生たちは、「非漢字圏」出身であっても、こういう雑誌が読めるようになっています。友人・知人を頼り、探してもらうのではなく、自力で探し、電話し、面接まで出来るようになっているのです。

 ただ、こうは言いましても、時々、勉強する気のない者が紛れ込んできます。それでも、最初から、そういう気分をプンプンさせている者は稀で、三ヶ月ほどは、しおらしい様をしているものなのですが。

 とはいえ、そういう態度を取っているうちに、日本では、日本語が出来なければ、仕事が探せないということに気づき、急に勉強を始める人も出てきます。そして、それが、ある程度、日本語が使えるようになりますと、面白くなったか、あるいは世界が広がることに気づいたかして、そのまま懸命に勉強を続けたりすることもあるのですから、(こういう人であっても)侮れません。

 もっとも、留学生の多くは、最初は、日本語を勉強して、大学に入りたいという希望を持って来てはいるのです。ただ、異国で、アルバイトをしながら、勉強するというのに、耐えられないのです、つらくて。だんだん、学校が付け足しのようになってしまうのです。

 これを責めるのはたやすいことです。しかし、彼等の大半は、母国では親に「おんぶに抱っこ」で、育って来た人達です。自分で掃除や洗濯、食事作りなどをやりながら、勉強するのだって大変なのでしょう。それなのに、アルバイトまでしているのですから。

 日本での給料は、たとえ、アルバイトであっても、彼らの国の基準から言えば、かなり高額になります。親の給料の数ヶ月分であったり、ゆうに越えていたりするという場合だって少なくないのです。

 親から見れば、そんなにとっているのだから…と、なるのでしょうが、彼我では、生活費が全く違うのですから、一概に多い少ないを判断することはできないのですが、それを説明できないのでしょう。

 もしかしたら、言っても判らないと思っているのかもしれません。彼等自身、母国にいる時に、人から(彼等の留学経験、乃至アルバイトのことを)聞いて「えっ、そんなにもらえるのか。それなら何でもすぐにできる」くらいに考えて、一石二鳥(外国に行ける。しかも、日本語を学べば、大学にも行けるはず)を狙っていたのかもしれませんし。

 正確な情報というのは、なかなか伝えにくいものです。

 ベトナムの日本語学校に行くたびに、口を酸っぱくして(日本での生活の苦しさ、その中で勉強していかねばならないことの大変さなど)言っていますし、また、在日の経験のある人がそれを通訳してくれたり、語ったりしてくれるのですが、如何せん、そういう人は往々にして、国費留学生であったり、かなり恵まれた環境にあった人であったりして、本当に伝わっているのかなと(懸命に通訳してくれている人の顔や、留学希望者の表情などを見ながら)どこか一つ、はっきりしないこともあるのです。

日々是好日
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「『雪は…もう、いい(いらない)…』と言うようになった南国の学生達」。

2014-02-25 08:41:08 | 日本語の授業
 晴れ。

 今日は久しぶりに10度を超えそうです。

 2月は確かに「逃げる」…。あっという間に、この月も終わってしまいそうです。とはいえ、いろいろなことがありました。二回の大雪はその最たるものでしょう。何せ、あれほど雪を待ちわびていた南国の人達までが、「雪?…もう、いい(もう十分だ)」となってしまったくらいでしたから。

 この都会は、雪には強くは出来ていないのです。「雪害」という言葉が、ここでも、自然に出てくるほどでした。雪とは、淡雪であり、落ちてすぐに溶けてしまうものであって、人に「害」を与えうるものであるという認識は、ありませんでしたのに。

 それが、今回は、自然に皆、「雪害」という言葉を使っていたのです。それも驚きでした。言葉というものは、生活に密着しているというのは本当ですね。絵空事の言葉ではなくなっていたのです、この地における「雪」は。

 アルバイトにしても、学生達は、(近くであれば、それでも自転車で30分くらいのところなのですが、そのアルバイトに)行けなくなり、また電車で行っていた者は、「行きはよいよい、帰りはこわい」で、帰ってこられず、すっかり参ってしまったようです。

 とはいえ、1回目の大雪の時、工場にいて、「ええ。雪!…見ていない」というふうに、降り積もった雪は見ていても、降りしきる雪の姿を見ていなかった者は、まだ未練があったようでしたが。もちろん、そんな、「2回目の僥倖」を期待していた学生も、2回目には、やはり「もう、…いい」となっていました。美しさよりも、まずは生活なのでしょう。

 それに、あの、二度目に積もった雪は、降る様からして、私の知っていた雪とは大違いでした。ズシリと重く感じられ、ポタポタと、直線で落ちてくるようなものでした。軽やかに舞うなどとは、決して言えないものでした。もしかしたら、ああいうのが、根雪になるのかもしれません。「根雪」なんて、物語の世界での言葉だったのですが。きっと、こういう雪が、北国の雪なのでしょう。

 さて、学校です。

 「一月生」も、日本での生活が一ヶ月を超えますと、少しは日本語での応答が出来るようになり、なにか言いたいなという自主的な気持ちが、芽生えているようです。それでも、多くは、簡単な冗談でも言ってみたいとか、そこまでは行かずとも、少しは受けを狙ってみたいとか、そういうものに過ぎないのですが。というわけで、そんなこんなで、最近は、何だか判らない冗談がポツリポツリと教室を賑わすようになってきました。実際は、理解するのに、かなりの手間と時間がかかるのですけれども。

 まあ、これもいいこと。なんにせよ、人は、習うだけ、繰り返すだけでは、絶えられなくなるのです。そこに自分の意思を入れたくなるのです。きっと、そうやって、言語を自分のものにしていくのでしょう。

 ですから、教員は皆、苦しい冗談であっても、目を瞑って、笑っています。時には、ヘラヘラとしか、笑えないような、しかとはしれぬものもあるのですけれども。

日々是好日
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「卒業生の個別指導」。

2014-02-24 08:56:54 | 日本語の授業
 今朝も寒い…。これも、きっと、お日様が出ていないからなのでしょう。先程までは、雲の切れ間から、時折、光が覗くということもあったのですが、雲はだんだん厚くなっていくようです。

 とはいえ、「ヤナギ(柳)」の細い枝が、黄緑色に見え始めました。…やはり、春は近づいているのですね。

 学校の「白梅」も、「サザンカ(山茶花)」も、もはや、終わりに近づき、反対に、「ジンチョウゲ(沈丁花)」の蕾が随分と膨らみを増してきています。今週の中頃には気温もかなり上がるそうですから、もしかしたら、急に、秘やかな香りが漂ってくるかもしれません。そして、「あれは何の匂い(香り)ですか」という声が聞こえてくるかもしれません。

 さて、学校です。

 「卒業生クラス」では、2月に入ってから、個別指導が始まっています。それぞれが進学も違い、目的も違っているので、そうせざるを得ないのです、毎年のことですが。

 ある者は、大学受験のために、作文書きや論文書きに精を出し、またある者は面接の準備に追われる…、そういうふうに、個別に頑張らねばならなくなっているのです。

 そして、合格できた者の中でも、また差は広がっているようです。

 「合格した。うれしい」で、終わりになっている者。「合格した。大変だ。このまま大学に入っても、ついて行けないだろう。もっと勉強せねば」で、自主的に学校へ来て、勉強を始める者(学校に来れば、教員で手の空いている者が、チョコッと見に行きますから、教えてもらえて便利なのです。彼等は「家では勉強できないから」と言って来るのですけれども)。

 きっと、この差は、これからの四年の間に出てくることでしょう。彼等は何も気がついていないようですけれども。

 本当に、「好きこそものの上手なれ」なのです。けれども、この「好き」とかが、ない人は、それが見つけられるまでは、勉強習慣の有無が、(そういう人達の力の)差を広げることになってくるのです。

 「自然に任せる」とか、「天然に(生まれたままの様子で)生きる」とかいう言葉は、確かにすばらしい。それが出来さえすれば。けれども、「気まま」に生きて、天賦の才をものに出来たという人は、果たしていたのでしょうか、これまでに。

 「好き」なことだったら、人が「やれ」と言わずとも、やっています。その意味では、「自然」です、確かに。しかし、それにせよ、「見たことがあった」とか、意識的に「見せられた」という過程がなければ、そのことがあることさえ気がつかなかったことでしょう。

 ですから、子どもの時からの教育の一つに、「世の中には『こういうこと』がある」という知識を入れることも必要になってくるのです。だって、すべてを想像力で補うなんてことは無理なこと。だれにだって、出来ませんもの。

 それが、異国から日本に来、まだ二年と経っていない人たちであれば、それは日本語能力が一番大切になってきます。大半は「非漢字圏」の学生達です。しかも、ごくごく普通の若者達ですから。

 日本に来て、自由に「スマホ」が買えることに満足して、しばらくはその虜になっていたり、親元から初めて離れられて、「自由」の美酒を味わうことから逃れられなくなっていたり、あるいはその反対に、「自由であること」で、不自由になり、我と我が身を縛ることになって、先が見えなくなっていたり…そういうごくごく普通の、どこにでもいる若者達なのです。

 彼等のほとんどは、別に、向学心に燃えて来日しているわけでもないのです…。まあ、来日前の面接では、そうは言っていますが。

 自分で食事を作り、掃除をし、自分でアルバイトを探し、そして…来日の目的である勉強もせねばならない。そういう環境で、頑張るということは、それまでの(大半は彼らの国では中産階級といっていいでしょう)生活から見れば、「辛い」の一言に尽きるのです。

 日本人が頭に描いているところの「留学」とは違うのです。

 それでも、この二年ほどの間に、自分を取り戻せ、頑張ることが出来た人は、幸いと言えるのかもしれません。そのまま、流されてしまい、さて、専門学校へ行こうという段になって、オケラになっている自分を発見(アルバイトで稼いだ金は、全部、あれを買い、これを買いして、判らないうちになくなっているのですから)。

 そういう学生は、今回はどうも、少し多いように感じます。いくらこっちが注意しても、馬耳東風、暖簾に腕押し…。きっと彼等はこれからもそうなのでしょうね。これからは、だれも、注意してくれる人はいないのですから。

 もっとも、これも(このことが判るか判らないかというのも)、日本語のレベルと、不思議なほど比例しているのですが。

日々是好日
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「猫と犬」。「『日本留学試験』の願書書き」。

2014-02-21 08:00:32 | 日本語の授業
 晴れ。

 最近よく目にするようになった「猫」に比し、「犬」達は、いつも鎖に繋がれ、主人と一緒に歩いています。やはり、「犬」は辛いな。リードが多少長く伸びるにしても、繋がれていることに変わりはないのです。「猫」なら、ポンと飛び上がって塀の上を歩いたり、垣根の底から、向こうの家へと入り込んだりできますし…。やはり、生まれ変わるのなら、「猫」の方がいいな。

 そういう目で、彼等を見ていますと、向こうでもそれを感じるらしく、上から視線でこちらを睨んでいるような気がしてきます。それを感じて、思わず「なんだ。おんなじなんだからな」と目で言ってやりますと、それは見て見ない振り、さりげなく、視線を逸らしてしまいます。やはり「猫」は「読める」。

 「初級」のクラスでも、互いに言語が通じぬレベルであれば、それは「ワンワン語」や、「ニャンニャン語」で、やった方が、ずっと気持ちが通じ合えます。おもしろいものですが、結局は、原始音楽のようなものなのかもしれません。だって、「ヒト」には、彼等の微妙な言葉遣いがわかりませんもの。

 というわけで、今、初級の「10課」あたりの学生とは、時々「ニャンニャン語」や「ワンワン語」を介して、意思の疎通を図っています。こういう「初級」のクラスでは、のってくる学生が、常に五人ほどは出てくるのです、ありがたいことに。

 さて、学校です。

 最初は、「N3文法」の流れが掴めずに、「難しい」と言っていた学生達も、「第一課」が終わってしまえば、それなりに判ってきたらしく、おとなしくなっています。これまでの「初級」のレベルの単語や説明の仕方を少しずつ、普通の(年齢相応の)レベルの単語に置き換えていくわけですから、ある意味では「楽」なはず。しかしながら、まだその作業は始まったばかりですから、自然、日々新たに耳にする「単語」は増えてきます。

 最初は反応しきれないのでしょうが、とはいえ、一度、板書した「単語」をこちらも、日に、一度ならず数度、使うわけですから、耳にする回数が増えてくれば、それは相手も大人のこと故、直に「どうってことはない」となっていくことでしょう。まあ、いつもこうなのです、「日本留学試験」というものが始まり、二年生クラスの学生達が多く参加するようになってからは。

 というわけで、今日は、今年の六月にある「日本留学試験」に参加したいという学生達を一クラスに集め、「願書書き」をしていきます。説明も兼ねて、30分と見ているのですが。それから、別のクラスに戻る者は戻り、正規の授業に参加するということになります。

 今回は、皆、「非漢字圏」の学生達ばかり。まだ試験問題を目にしていないから、明るく「参加する」と言っているのでしょうが、一度やってみたら、愕然とし、後悔するかもしれません、これもいつものことですが。

 まあ、そうは言いましても、これは「経験」。お金が許すなら、やはりやってみるに越したことはないのです。それに、実力は大したことはないのに、天狗になっている者も、ちょっと見られますから。

日々是好日
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「猫」。「皆が揃うと、そろそろ春という気分になってきます」。

2014-02-20 07:58:28 | 日本語の授業
 晴。

 最近、本当に猫を多く見かけます。いったいどこで飼われているのでしょうか…とは、思うのですが…、見ると、首輪がない。

 私が子どもの頃には、飼い猫というものは、通称、「よだれかけ(涎掛け)」の首輪をつけていたはず…、それが一昔か二昔くらい前から、凝ったものや豪華なものに変わっていき、そして今は、(つけて)ない…のです。

 だから、態度で判断するしかない。おっとりした様子の猫は、これは多分飼い猫であろうと思い、あたりを睥睨していたり、落ち着きなくキョロキョロしたりしているのは、これは野良だなと思い…そう思いながら見ているのですが。

 昨日、午後の授業の時に、学生が、外を見て笑ったのです。「猫がいる」と言って。それで、彼等が笑ったり、私の顔を何か言いたげに見たりした数を数えてみると、それからも四回、ありました(もちろん、その度に猫の顔をチェックしました)。その他にも、朝、見かけましたし、学生が帰ってからも、学校の前をゆったりとした歩きで横切っているのがいました。しかも、皆、違うのです、顔が。

 これは、なんとしたことか。ここ数年、多くても2匹くらいのものでしたから、ちょっとびっくりです。しかも1匹を除いて、皆、かわいい顔をしているのです。これは、(その1匹を除いて)皆、飼い猫なのかもしれません。首輪はついていなかったけれども…。こんなに寒いのに、顔を見せてくれて…、なんだか、ホンワカした幸せな気分になってしまいます、猫を見た日というのは。

 さて、学校です。

 「CDクラス」では、高校受験のために、数学と英語に集中していた学生も戻ってきましたし、雪道で転んで打撲し、歩けなかったという学生も、どうにか歩けるようになって戻ってきました。そして、いつもの賑やかさが戻ってきたのです。

 卒業生が皆卒業したあとは、このクラスが一番上ということになります。ということは、アルバイトで休みがちになったりする学生や、言語が不得意であり、なかなか漢字も覚えられねば、文法もストンと落ちていけぬという学生は、基本、このクラスにいても、上達は出来ないだろうと思われるのです。で、その旨は(学生達に)伝えてあるのですが、それでも、ここにいたいという学生は何人か出てきます、いつもそうなるのですが。

だれが考えても、一番いいのは、もちろん、自分のレベルに合ったところで学ぶことです。が、いろいろないきさつからそれが出来ない場合もあるようで、学校側としましても、クラスの邪魔にならぬ限りは、最後は本人が学校に来ることが肝要だからと(それを)見て見ぬ振りをすることもあるのです。

 それが、わかっているかどうか…しかも、このクラスには、「中級」教材を一度終えたことのある学生と、初めて初級から上がってきた学生とが、一緒に学んでいるのですから、そこには、ある難しさが出てきます。双方共に、困らぬようにということで、授業していかねばならぬのです。

 下手をすると「上の学生」が退屈になり、いても無駄という気になってしまったり、かといって、上ばかりを見ていると、下の、本来教えていかねばならない人たちの方が、判らないと言うことにもなってしまう。

 このクラスは、あくまで、「初級が終わったばかりの人たち」のクラスであり、しかも、「非漢字圏」の学生が大半(中国人は一人です)であるということを、どんなことがあっても、忘れてはならぬのです。そのために、「プレ中級」という助走を設けているクラスなのですから。教える立場の者は、上がいれば、(そっちを見、彼等と授業をしている方が楽ですから)ややもすれば、初めて勉強するという人達を置いて行くということにもなりかねないのです。

 本来、鍛えておかねばならぬ人たちを中心に鍛える。上の人たちは一度やっているのですから、出来て当たり前であり、私達の力量とは全く関係ないのであるということを腹に据えておかねばならぬのです。その意味では、教師の力量も問われているのです。

 まあ、こう言いましても、日本人でも、いくら勉強しても、国語の点が取れない(読解で)という人も、まま、いることですから、そう肩肘張る必要もないのですが。何となれば、彼等はほとんどが大人で、それぞれの分野で、それなりの知識と技術、力を持っているのです。

 ある者はコンピューターで、ある者は会計で、またある者は経済の分野で…。だめだと言っている学生でも、アルバイトでの忍耐力や料理の腕が勝っていたりするのですから、侮れません。(いくら知識の限界はあるにせよ、好きなことは、もうそれだけで強いのです)。

 ただ、ここは日本語学校で、教えるものは日本語と、それに付随した知識ときていますから、なかなかそれ(彼等の得意分野)が、発揮できない嫌いはあるのですが。説明してもなかなか判ってくれない時、そしてお互いに「『困ったなあ』さん顔」をしている時、本当に申し訳ないような気分になるのですが。私だって、彼等が好きなことには本当に疎いのですから(その分野の想像力は欠けているでしょうから、理解しにくいのです、否、できないと言った方がいいのかもしれません)。

日々是好日
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「『卒業文集』の作文書き」。

2014-02-19 07:39:36 | 日本語の授業
 「立春」を過ぎてから、ずっと厳しい寒さが続いています。二度の大雪に見舞われ(きっと、一度目は学生達、「見舞われ」ではなく「恵まれ」と思ったことでしょう)、雪が止んでからも、ずっと…寒い…のです。

 そして、今日も、家を出た時から、寒かった…。もちろん昨日とは違い、風はありませんから、自転車に乗りながら、むむむむむ…進めん…とぼやく必要はありませんでしたけれども。

 自転車で、(学校までの)いくつ目かの角を廻った時のことです、「寒雀(かんすずめ)」が羽を膨らませながら突っ立っているのを見つけました。すると、そこに大きな「斑猫(ぶちねこ)」がやって来たのです。「雀」だって馬鹿じゃありませんから、すぐに飛び立ってしまったのですが、この「ぶち」、寒さをものともせずに、悠然と歩いているではありませんか。見たところ、飼い猫です。家の、コタツの中でウトウトしていてもよさそうなものなのに。人が肩をすくめ、急ぎ足で会社に向かって歩いているのはわかります。もうそれは「習い」といってもいいことでしょうから。

 ところが、「猫」が、です。最近の猫は、どうも、関東地方の、この寒さを、ものともせぬらしい。寒さどころか、もしかしたら、あの大雪の時だって、平然と雪道を歩いていたかもしれぬのです。「猫はコタツで丸くなる」というのは、いやはや、もはや、伝説の歌詞になってしまっているのかも…なんて考えさせられてしまう、昨今の猫でありました。猫語で、「寒いんだよ」と語りかけましたら、ギロリと睨まれてしまいましたもの。

 さて、学校です。

 今週は、卒業生クラス以外の、三つのクラスで、『卒業文集』のための、「作文書き」が始まっています。出来上がった作文を見ると、それぞれに大変だったこと、そして楽しかったことなどが綴られています。もちろん、「綴られて」なんて優雅な状態で書かれたものではなく、その間には、それぞれ紆余曲折がありました。

「なァんにも、書くことなんて、あァりィましェん」「そんなことはないでしょう。日本に来てから、いろいろなことがあったでしょう(本心…脳みそを絞れ)」
「私は頑張りました」「そうですか(本心…勉強は頑張っていないだろ)」

 まあ、大変だったことはよくわかります。彼らの国は、ベトナム、スリランカが大半を占め、後はフィリピン、中国、ミャンマーと多くの国は南(中国も南方の人たちです。少年以外は)ですもの。

 この冬の寒さです。作文書きにしても、去年の、つまり前のことはすっかりどこかへ行ってしまい、「辛い」、「寒い」という、この冬の、今のイメージから始まってしまい(風邪でバタバタ倒れました。雪道で転んで打撲傷になった学生までいましたし)、4月から来ている学生だって、7月や10月に来た学生だって、夏や秋のことがどこかに吹き飛んでいましたもの。

 けれども、面白いことに、「CDクラス(去年の1月、4月、7月、一人の10月生の混合)」では、アルバイトを探すのに、もう困らないだけの日本語の力はついているようで、どこかしら文章にも余裕が感じられるのです。これが三、四ヶ月前であったなら、こうはならなかったでしょうけれども。

 それに比して、「10月生クラス」や「1月生クラス」は、まだ日本語がままならぬと見え、何でもいい、あれば(辛くとも、荷運びでも何でも)やるというアルバイトで糊口を凌ぐしかない学生が少なくないと見え、余裕がありません。やはり、来日して進学を目指すのなら、国で余程日本語をやっていない限り、4月か、遅くとも7月には(日本に)来ていたほうがいいようです。

 これが、「漢字圏」の学生ですと、10月くらいに来ても、本人の母語のレベルが上でありさえすれば、それほど大きな問題にはならないのです。もっとも、中国人でも、なかなかアルバイトが見つからずに困ったという学生は、私の記憶の中に、一人、いることはいるのですけれども。

 彼は、かなり日本語が流暢に話せていましたから、いつも面接までは漕ぎ着けるのです。けれども、行くと、「ごめんなさい。家の店は狭いので」とか、「小さいので」とか、言われ、断られてしまうのです。

 よくこぼしていましたっけ。「日本の店はどうしてあんなに小さいんだ。狭すぎて、歩くスペースがない」。最後は、彼と同じくらい大きな店長がいる店に採用になりましたから、何事も根気よく、腐らずにやればいいと言うことなのでしょうけれども。

 (作文の)その中に、こんなことを書いている学生がいました。「最初は電話が大変だったけれども、四、五回もやると、みんな同じことを聞いているのに気がついた。それで電話での応答が楽になった」。そうですね。それで私達は、とにかく練習半分だと思い、電話で応募してみるように言うのです。

 とはいえ、あと半分ほどは、まだ「清書」書きが済んでいません。本人は「家でやる」と言っているのですが、家で勉強するという習慣がない国の人たちがほとんどです。きっと、お尻に火がついてから、休み時間にアタフタと書くのでしょう、「待って、待って」と言いながら。

日々是好日
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「私も大学に行きたい…」。

2014-02-18 08:47:30 | 日本語の授業
 晴れ。早朝は雲が重く垂れ込めているようでしたが、今はもう、すっか雲が切れて、青空になっています。これも、お日様の力によるのでしょうか。「北風と太陽」なんてお話を思い出してしまいます。

 最近は、角を曲がって、学校が見えるところあたりで、すぐに玄関横の赤い花が目に入って来ます。やはり清楚な「シラウメ(白梅)」は、弱い。目立ちませんねえ。また特に冬は、明るくて、暖かい色が好ましいので、それを目が欲するからということもあるのでしょうが。自転車を停める時に、何となく、その傍らに、心細げに立っている「白梅」に謝りたくなってしまうから、不思議です。

 さて、学校です。

 今年、ベトナム、スリランカ、ミャンマー、インドの学生が、大学に合格したと言うことも関係しているからなのでしょうか、今までは、「(卒業したら)専門学校へ行く」としか言っていなかった学生までが、「できれば、大学に行きたい」と言い始めるようになりました。

 もちろん、欠席が重なれば、それどころではなくなるのですが、それを、どうも、余りよく、わかっていないらしい。「大学は、勉強するところで、遊ぶところじゃないよ」としか、(そういう人達には)言えないのですが。…わかっているのかな。

 なにせ、以前、「大学に行きたい」という人に、「何を専攻するの」と訊くと、「ボディビル」と言うのです。それで、「大学は、『ボディビル』をするにせよ、理論的なことも勉強しなければならないよ」と言うと、首を傾げます。それで「本も読まなければなりません」と言うと、…驚かれてしまいました。

 もちろん、この地で、生まれ、育っていれば、日本語を使うのに、別に困るわけではないので、あとはその専門のレベルによるのでしょうけれども、何せ、彼等は異国で生まれ育っているのです。日本語がそれほどうまくないのです。国によっては、「聞く」能力に長け、「話す」が、日本人と思われるほど巧みであったりするのですが、よくよく聞いていると、単に簡単な文法と単語のみで成立させているにすぎず、「上のレベル」の日本語まで至れないなとしか感じられなかったりするのです。

 言語にも、考えや知識を深めるために用いるのと、単にコミュニケーションがとれればいいというだけのものなどがあります。もとより、どちら(何)が「上」というようなものではないのですが、ただ、大学に行こうという人は、本を見ると、頭が痛くなっては困るのです。もともと、日本語がそれほどうまくないのですから。これでは、専門を学ぶどころではなく、コミュニケーション能力さえ、「?」マークがついてしまうでしょう。

 この、「大学へ行きたい」という空気も、「あの人が行けるのなら、自分だって…」という気持ちからのものらしく、もちろん、それだって、最初から、チャンスを捨てているよりは、「選択肢」は一つでも多い方がいいのですが。

 ただ、学校に来ないと、何も始まりません。これがわかっているのでしょうか。

日々是好日
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「金曜日にまた大雪が降りました」。「今日から、『C・Dクラス』は『プレ中級』に入ります」。

2014-02-17 08:35:16 | 日本語の授業
 晴。

 先週の金曜日、朝のうちはまだ粉雪が舞っている程度でしたのに、昼を過ぎると、少しずつ、雪の一片一片が大きくなり、そして、午後の学生達が帰る頃、地面はうっすらと雪化粧…と見ていたのに、…甘かった。

 午後、大学受験を控えた学生の補講をしている時、一人の教員が、「もう、帰った方がいい。積もり始めたから。学生達は、皆、帰ったよ」と知らせてくれたので、驚いて外を見ると、もうかなり(と言っても、1、2㌢ほど。ごめんなさい、雪国の方)積もっているではありませんか。

 天気予報が「積もる」と言っていたので、あの日は自転車で来ていませんでした。で、大慌てで学生を帰し(彼は自転車でした)、私も大急ぎで、靴に滑り止めを巻き付け、滑らないように、ゆっくりゆっくりと帰ったのでしたが。

 そして、土曜日。二人、大学を受験する学生がいました。前日に、「何かあったら、すぐに大学に連絡すること。二人揃ってから行く…のではなく、一人でもいいから時間通りに行くこと」などの注意を与えていたのですが、(その朝)テレビでは、電車の遅れが次々に流れてきていました。でも、二人とも、子どもじゃないし…大人だし、日本語も、まあ一応は話せるし…。何かあってもそれなりに対応出来るだろうし…(そう)かな?

 日曜日に学生に電話をかけてみると、「大丈夫」だったとのこと。5分か10分ほど遅れたそうでしたが、無事に「作文」も書けたし、「面接」も終了したとのこと。この「無事に」というところに、「脳天気」な、彼等を感じて、本当はちょっと心配なのですが。

そして、今日、月曜日です。晴れ。

 まだ雪は所々に残っていますが、梅の花が学校にもやって来ました。「満面の笑み」の花は、もう十指を超えています。雪が降るまでは固く蕾を閉ざしていたのに、おもしろいものですね。あの雪は、春を告げる「忘れ雪」だったのでしょうか。立春が過ぎてからの2週続けての大雪でしたもの(予報では、今週の水曜日に、また降るかもしれない…らしいのですが)。

 さて、今日から「C・Dクラス」は、「プレ『中級』」に入ります。内訳は、「N3文法」と「N3漢字」、それから、「プレ『N3読解』」と「プレ『N3聴解』」です(「非漢字圏」の学生ばかりですので、こういう形をとるようにしたのです)。

 このクラスには、昨年の12月の日本語能力試験で「N3」に合格した三人と、「N4」に合格した二人が入っています。この、「日本語能力試験」に参加していなかった学生達のうち、大半は、昨年の「7月」と「10月」に来日した人たちです。この彼等が、今年の7月に「N3」を目指すのです。もちろん、「N3」に合格している学生は「N2」を目指します。

 ただ、今年はインフルエンザにやられる学生が多かったことと、風邪や怪我で休む学生が少なからずいたこと(これも、この1月から2月にかけてですが)が、少し気がかりなのです。

 思えば、これまで、上のクラスでは、病気で休む人はあまりいなかった…。結局は体力がないと、特に異国では、勉強が十分にできないと言うことなのでしょうか。そうは言いましても、来日後、アルバイトで鍛えられていく学生が多いのも事実。

 頑張れ、学生達。

日々是好日
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「ハノイから戻りました。ハノイは『春節』でした」。

2014-02-13 08:19:51 | 日本語の授業
 曇り。

 2月7日、午前中は四時間授業をし、そして、そのまま成田に向かい、ハノイに行ってきました。戻ってきたのは、(10日の夜中、現地時間で零時20分発にハノイを発ち)、11日の早朝、日本時間の7時07分でした。

 成田に着いて、びっくりしたのは、雪でした。空港は吹雪だったのです。雪をかぶった木々の様子も、まるでロシアだな(ロシアには行ったことがないのですけれども)。

 今回のハノイは、出発にせよ、到着にせよ、まさに、「あわや」の連続でした。一日、出発が遅れていたら、雪でハノイへ行けなかったかもしれませんし、戻ってくるのが、半日遅れていたら、どこかでウロウロするような羽目になっていたかもしれません。

 まずは、無事に行けて、無事に戻ることが出来たことに、感謝。

 8日、9日は、日本語が話せる人に会うたびに、東京の雪のことを言われました。やはり、「日本へ行けば雪が見られる」ということは(来日を希望する)大きな一因と思われます。関心があるのですね。スリランカからの留学生に限らないようです。

 今回は、ベトナムの「春節」のお祭りに、ギリギリ間に合ったと言うことで、これまでとは違う、中国的な部分をかなり見ることが出来ました。これを言うと、ベトナムの人は嫌がるのですが(必ずと言っていいほど、フランスの影響下にあった、そしてあると言います、文化の面で)。

 寺の飾りは、かなりタイなどの南国的なものと似ていましたが、「科挙」の合格者名を石に刻んで名誉のこととしていたり(世界遺産になっているそうです)、門の名などに「中国でなら、あり得るな」という名が刻まれていたり…。

 知識・文化の面では、ベトナムの学生達が言うフランス的なものよりも、中国的なものの方が色濃く残っているように感じられました。寺にいて、そういうものを見ていれば、ベトナム語が出来なくとも、筆談で通じるのではないかなどと錯覚するほどに。

 そして、予定の日本語学校訪問です。

 予定は四校(一校は先に責任者が出張で不在とのことで今回は諦めていたのですが)、残りの三校のうち、二校は無事に訪問できたものの、最後に予定していた一校で、責任者がオートバイ事故に遭ったというハプニングがあり、今回は中止せざるを得ませんでした。とはいえ、前回に会った、4月生予定者と、一人の七月生予定者に会うことができ、彼等の様子をチェックすることができました。

 二度会うというのは、いいことです。学校に着くなり、向こうの教室から、「あっ、来た」とばかりに、ニコニコと手を振られ、こちらも「わあっ。来たよ。チェックに来たよ。ちゃんと勉強できているかな」と、(この、後半の部分はさておき)一緒になって、うれしくて、手を振ってしまいました。が、もちろん、かなりがんばっていたなと思われる人も、のんびりとしていたなと、思わず、睨みつけてしまった人もいましたが。

 ところで、今回も、その思いを強くしたのですが、各校のスタッフの方達と綿密な関係を作ることの大切さ…です。行くたびに人が変わるというのは、あちらも嫌でしょうし、こちらも嫌。行くたびに、慣れ親しんだ相手から、知識(学生のことや互いの国の実情)を得ることができるのがいいのではないしょうか。

 それに、こちらも勉強したいという学生がほしいし、あちらでも数ヶ月を共に過ごしてきた(あるいは過ごす予定の)学生です。共に「あだやおろそか」には扱えないはずです。

 「こちら(ベトナムの日本語学校)で、しっかりと教えてきた、いい学生だ。だからそちら(日本)でも、しっかりと伸ばしてほしい。そして、できれば将来に繋ぐことが出来るようにしてさせてほしい」となるのが、「情」というものではないでしょうか。

 二校のうち、一校は数度行っていますので、少しは互いに相手の様子が掴め始めている…ようですが、もう一校は二度目と言うこともあり、私たちの方でも、「へええ、そうなんだ」と思われることがかなりありました。実は、その学校でのこと。日本語ができる人が今回はベトナムに戻れず、代わりに迎えに来てくれた人が、中国語の先生だったのです。ベトナムで中国語で意思の疎通を図るという面白さ。向こうは切羽詰まって、その方に頼んだのでしょうが。一見、「ちまき(粽)」のように見える、バナナの葉で包んで蒸し焼きにした餅など、中国語で説明してもらいました。「モモ(桃)」や「キンカン(金柑)」の樹を飾るという習慣等についても、そうでした。

 そして、今回のハノイ訪問を通じて、更にいっそう、ベトナム女性のバイタリティを感じました。うまくいっているところは、どうも男性が縁の下の力持ち的で、出しゃばっていないのです。やり手の女性達がそうであることを欲するからでしょうか。

 ハプニングもあり、のんびりとしたハノイ訪問になったのですが、なぜか、前よりも、ベトナム(ハノイ中心)が、掴めたような気がするのです。

日々是好日
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「寒い1日。週末は雪がまた降るそうな」。

2014-02-07 08:48:32 | 日本語の授業
 晴れ。

 早朝、ひろがっていた厚い雲も、日の出と共に薄れ、今では青空の所々にちぎれ雲となって浮かんでいるだけ。お日様はグンと(部屋の中から見ると、)力強く光を放っているように見えるのですが、(部屋の中は)なかなか暖かくはなりません。

 (学校へ)来てから、もう1時間ほどもストーブを焚いているというのに、まだ15度なのです。来た時が、6度でしたから、それでもましと言うべきなのか…。とはいえ、寒い、寒いのです。

 学生達が来る前に、(一階の教室には)既に暖房を入れてたのですが、今見に行ったところ、それほど暖まってはいないようです。ついでに、今日は、三階も寒かろうと入れに行くと、やはり、三階はお日様の力なのでしょうか、一階ほどシンシンと底冷えがしているという感じもしない…。

 冬になると、皆が集まりたがるのが、三階のちいさな教室。ここは太陽が昇ると同時に、グングンと室温が増していき、学生達が来る9時頃ともなりますと、もうウトウトと、猫にでもなった気分でうたた寝ができます。

 さて、学校です。

 今日、午後から教員2名がベトナムへ向けて出発するということで、授業は午前中だけ。一昨日それを(午後の学生達に)伝えたのですが、この学生達、1月に来たばかりで、日本語もそれほどわかるわけでもなく、ただ単純に、「休みです」と繰り返し、全身で喜びを表すだけ。

 本当は、その分だけ、春休みが短くなり、別に休みが増えるわけでもないのですけれどもね。気の毒なのですが…。

日々是好日
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「江戸東京博物館」。

2014-02-06 16:08:09 | 日本語の授業
 曇り。寒さは続いています。

 風邪引きさんが多く出たので、「卒業生」と「一年生」とに分かれていくことになっていた「江戸博」を、急遽、合同で行くことにし、引率の教師は、駅で、慌ただしく打ち合わせをするという羽目になりました。

 出は、それほどよくなかったのですが、インフルエンザで、閉じこもっていなければならなかった人達が多かった割には、まあ、かなり来てくれたと言ってもいいでしょう。引率者が三人と、普段の半分ほどでしたので、「卒業生クラス」の人たちに、「一年生クラス」を落とさないようにと頼み、その甲斐あってか、乗りかえもスムーズに行きました。

 ただ、この、大江戸線、階段の多いのには参ります。「上り」はエスカレーターがあるのですが、「下り」は、両足揃えでヨチヨチといかなければなりませんから、まあ、大変なこと。深いんだから、それくらいの思いやりはあってもよかろうにとブツブツ言いながら、学生達の後を追うと、なぜか、いつも一人か二人、ヨチヨチ歩きの私に付き合ってゆっくりと下りてくれる学生が出てきます。

 若いから、友達とサッと歩いて行きたいだろうに、ちょっと申し訳ない気持ちになったのですが、そこは年のなせるワザ(面の皮の厚さに比例しているだけ)、下手に焦ると、せっかく少しずつでもよくなりかけている足が、元に戻ってしまいます。

 それに、両国でしょう、相撲にしても何にしても、若者ばかりが集まるようには思えないのですがね。来館者も、お年を召した方が少なくないのです。「小学生」だけだったら、いいのでしょうけれども、小学生でも身体の不自由な人はいますからね。もう少し、駅の方で考えてもらえればいいのですけれども。

 さて、「江戸東京博物館」。見学できたのは、だいたい、2時間ほどだったでしょうか。今度連れていった学生達は、「東京」も「江戸」も、授業の一環として歴史として扱う時間がなかったので、それほど興味は持てなかったのかもしれません(「卒業生クラス」でも、火曜、水曜と2日、インフルエンザで休校になったので)。ミャンマーの学生がいた時は、日本刀をじっと見ていたりしてたのですが、今年の学生達は、「浮世絵」も「日本刀」も「城」も、すべて縁遠い存在だったようです。

 もっとも、ミャンマーの学生が、「日本刀がほしい。国に帰る時に、買いたい」「ミャンマーには、旧日本軍が来た時に残していった日本刀がかなりあった。自分の家にもあったけれども、今はないから」と言った時には、「困ったな。どう相づちを打ったらいいのだろう」と思ってしまいましたが。

 ただ、「東京の暮らし」のところで、トラックを見て、「『おしん』のトラックだ」。これを言ったのは、スリランカの学生です。「ねっ、魚を売っていたでしょう」。(そうだったかしらん。覚えていない…)。けれども彼は興奮して、「『おしん』ですよね」と繰り返していました。

 本当に彼等は、「今の日本」しか知らないのです。「7月生」などは、「日光」にも行っているはずですのに、その時も、変なところに連れて行かれたくらいの気持ちだったのかもしれません。

日々是好日
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「昨日は雪が降りました」。

2014-02-05 08:56:38 | 日本語の授業
昨日のブログです。

 曇り。時折、雨がぱらついています。

 昨夜の暖かさが嘘のように、今日は冷え込むとか。昨夜はおぼろ月夜の雰囲気だったのに、やはり、まだまだ春は遠いようです。

 さて、学校です。
 学校ではチラホラ「風邪でお休み」の人たちが出ているのですが、その中には、病院へ行ったら、インフルエンザと言われたという人達もいて、どうも中には、「風邪を引く」「病気になる」ということがあまりわからないようで、これがなんとも難しい。辛い時は「発熱しているのではないかと疑え」ということを、徹底させねばならぬのですが、これも身体がわかるまで、無理なのかもしれません。

 「病気です」とは言っても、「風邪です」とは言えない彼等。もちろん、在日も二年近くなると…(つまり、冬を二度経験している)…、冬場の病気で、「咳がコンコンと出る。熱が出る。頭が痛い。身体の節々が痛い」とかいう症状であったら、風邪ではないかと言えるようになるのですが。彼等は、皆、保険に入っているのですから、病院へ行って見てもらった方がいいと言っても、「母国から薬を持って来ているから、それを飲む」と、なかなか(病院に)行こうとはしません。

 さて、ここまで書いて、それからが修羅場でした。

 教員が一人、風邪で休み、もう一人もご家庭にご不幸があって、急遽帰省ということになり、しかも、私も足の治療で午後から休みを取っていた…。一昨日の段階で、治療院に行くのは無理だと思ったので、昨日、もしもの時はキャンセルのつもりだったのですが。

 この学校に多いのは、スリランカとベトナムから来た学生達。なぜかベトナムから来た学生達はインフルエンザや風邪に強く、インド圏の学生達は弱いのです。で、インド圏の学生達が多くいるクラスは、ポコポコと穴が空いてしまいます。頭が痛いとか、熱があるとか。

 スリランカの学生は、自分達で行けますから、私達の手を煩わせることもなく、先輩連と一緒に病院へ行きます。その時、インフルエンザだから家にいるようにと言われて、帰っていくのですが、なぜ外に出てはいけないかという理由がよくわかっていないので、用事があれば、出ていこうとする。

 他の人にうつすから、出ていってはだめなんだと言っても、大丈夫、マスクをするからと言う。どうも、こういう病気は、経験の有無で、怖さを感じる度合いが異なってくるようで、相手にわかってもらうのは、なかなか難しいところがあるようです。

 私達だって、他の国に行った時、その地の風土病の怖さを、あまりわかっていないことだって少なくないのですから。彼等が痛い目を、数度見るまでは、そのことがわからないのも、ある意味では当然のことなのかもしれません。

 と言うわけで、昨日は、「卒業生クラス」以外は、臨時休校となりました。月曜の段階で、あっちからもこっちからも風邪でポコポコお休みさんが出ていたのです。来ている学生もマスクをしてゴホゴホやっていますし。

 で、今日です。卒業生クラスでも、インフルエンザや風邪引きさんが多く出ている「Bクラス」はお休み、ベトナム人が多い「Aクラス」は、最後の授業。そして、1月に開講したばかりの新入生のクラスは、昨日だけは休みにしましたが、今日は、開きます。

 さて、この連絡、聞き取れているでしょうか、新入生さん達に。

日々是好日
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「入試の日に…インフルエンザ。…でも、試験を受けたいから駅で友達を待っている…ええっ!」

2014-02-03 08:24:48 | 日本語の授業
 「節分」の朝。

 明日は「立春」とはいえ、今日の最高気温は、18度ほどにもなるそうな。まるで、「サクラ(桜)」の頃です。それなのに、日が落ちる頃から急激に下がり始め、今年最強の寒気団が南下し、明日はまた冬に逆戻り…らしい。

 そういう天気予報を見て、学校に着いてみると、6時55分に学生から電話が入っていました。彼は今日、大学へ試験を受けにいかなければならないはず…。何事があったのかと、すぐに電話をしてみると、力のない声で、「辛くて起きられない」というのです。「土曜日から熱が出て、今日下がったら試験に行こうと思っていたけれども、まだ下がらない。今は話をするのも大儀」と言うのです。「どうしよう。大学に行けない…」。とにかく今日は休め、後はまた考えるということで、他の学生にも連絡してみると…。

 一人はもう、駅に着いていました。その駅に着いていた学生(7時15分くらい)、「先生、私はインフルエンザ」「ええっ!!!!」「でも、大学に行きたいから駅に来た。みんなを待っている。土曜日から具合が悪くて、昨日(日曜日)、友達二人と一緒に病院に行った。そしてインフルエンザと言われた。(大学の)面接の時に、マスクをしても、大丈夫?」「ええっ!!!!!」。

 続けて、他の学生達にも連絡をしてみると…、ベトナムの学生は三人とも大丈夫でした。が、もう一人スリランカの学生が、どうも体調がよくないと言います。「病院に行ったか。インフルエンザと言われたか」と聞きますと、行っていないと言います。「頭は痛いか。具合はどうなのか」と聞きますと、頭は痛くないと言います。

 「それなら、試験を受けろ」。まさか、這ってでも行けとは言えませんが(何せ感染しますから)、それほど体調が悪くないのなら、インフルエンザではないのなら、行った方がいいのです。いくら四期目があるとはいえ、その時、本当にインフルエンザか、ノロにかかってしまっていたら、大学へ行くのも夢のまた夢になってしまいますから。

 ミャンマーの学生は、起き上がるどころか、話しをするのも辛いと言う。これはもう休んでも仕方がないのです。とんでもないことに(インフルエンザにかかっていながら)、駅で他の学生を待っているといった学生(駅に一番乗りです。余程大学に入りたいのでしょう)、彼は病院で「インフルエンザ」と言われていますから、これも休ませるより他に手はないのです。

 しかしながら、「やっぱり、来たなあ」という感じです。

 実は今年に入ってから、ポツポツとインフルエンザで休む学生が出ていたのです。(インフルエンザではないかという疑いをもたれる)怪しいのも含めて、皆、スリランカから来た学生です。

 ただ、彼等はまだ去年来たばかり、日本の冬を経験していません。熱が出ると言うこともよくわからない…ようなのです。おそらく彼らの国では、「疲れた、休まなきゃ」で、休み、高熱を発するほど何かをするということもないのでしょう。だから、熱が出ていても、自覚症状がなく、感覚的にわからないのです。多分、辛いとは思っているのでしょうが、「日本の生活は大変だ」の中に呑み込まれ、「病気だから辛いのだ」とはならないのです。

 日本人だったら、「きついな。熱があるんじゃないかな」とかいう勘が働くものですが、わからないで、ウロウロしていて、バタンキューになってしまうようなのです。

 そういえば、以前、中国にいた時、クラスメートに、チュニジアから来ている学生がいました。学校を2日休んだので様子を見に行くと、ベットに見舞客と一緒に腰かけてお茶を飲みながら談笑していたのです。「もうよくなったのか」と聞くと、とんでもないという顔をして、手を額に当て、具合が悪いと言います。言いながら、見舞いのお菓子を如何にもおいしそうに食べています。

 「へええ、この程度で学校を休むんだ。親に叱られて、『行け』とは言われないんだ。多分、この程度で、仕事だって休めるんだろうな」と、驚いたことがありましたが。

 日本では、それが通用しませんから、本当に病気になってしまうのです。彼等流でやったら、病気になる前に休むので、ひどくはならずにすむのですが、(日本では)アルバイト先でも、そういうのを許しませんから、病気になるまで働かざるを得ないのです。そうしなければ、日本では「怠けている」と見なされてしまいます。そう考えていくと、日本の生活は彼等にとって大変ですね。慣れているはずの日本人だって、辛い時があるほどですもの。

 この二人の受験生。一冬を過ごしているから、冬を経験しているから、大丈夫だろうと思っていたのですが、甘かった…。やはり、ベトナムの学生に比べて、スリランカ人は寒さに弱い、寒さゆえの病に弱い、ということを、つくづくと感じさせられました。

日々是好日
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