暖かい。
「温い」というのが、ピッタリの今朝の陽気。
こう「温い」と、何が起こっても、怒りとか悲しみとか、そういう激しい心の動きとは、無縁の存在になったかのような気分になってしまいます。思えば、日本人はこの島国で、年に1度はそういう状態になっていたのです。人がここに住むようになってから、ずっと。
今日など、「桜が咲きました」と言われても、決して、おかしくはないのです。思わず「ああ、そうか」と納得してしまいそう…。何でも「18度から10度」だそうで、これは、もう、迷うことなく「桜の季節」ですよね。ただ、残念なことに曇り空のようですけれども、また、これが「花曇り」だと、もっといいのですが。ま、いいか。春は霞がかかるのが常ですもの。もちろん、「汚染物質の到来」は、嫌ですけれども。
さて、学校です。
大学進学を目指していた学生達のうち、最後の一人に、やっと「合格の通知」が届きました。「花開く」ですね。これで、大学希望者は、皆全員、無事に進学の夢を叶えられたわけで、まずは、(教員一同も)ホッ。
とはいえ、これからが、大変。「(大学の)学費」が、ズシリとのしかかってきます。できれば、親兄弟に迷惑をかけたくないというところで、これまで、頑張って来た彼等。ただ、「半年後に、いくらいる。一年後には、いくらいる。進学のためにいくらいる」という計算が、苦手な人が、多いようで、通知がきてから、慌てふためくというのが、パターなのです。その前にいくら言っても、判らないのです。
もっとも、さすがに、大学を目指していた人たちは、しっかりしていて、それなりに貯金していたようなのですが、最後に、どこかの専門学校を探し出して、そこへ行くとか言って来た学生達は、この学校の学費も、部屋代もずっと払っていない人たちが少なくないのです。
それでいて、恰好のいい服を着ていたり、スマホで遊んでいたりするのですから、意味が判りません。
これは問題だなということで、ベトナムでは、私達が年に数回行った時に、会えなかった学生は、もう留学の手続きをとらない(前に、大卒だから大丈夫だろうということで入れた学生も、「お金がない」と言って、二年目の学費も、寮費も払おうとしないし、それどころか、シラッと、平気な顔をしている。その上、勉強もしようとしなかったのです)ことにしました。
どうしても、教員というのは、自分を「万能であるかの如く」見る「厭らしさ」が抜けきれないようで、そういう人でも、「何とか感化させることが出来るのではないか」と思ってしまうのです。
それに、「人は、皆、『腹に一物』もって、来日しているわけではないはずだ」などと思ってしまい、現実には、明らかに、「別の目的があって、留学ビザをとっていたのであろう」と思われるはずなのに、それが見えていても(見ようとしなかったり)しているのです。彼にも、いいところがある(あった)のだから…あのとき、手伝ってくれたし…などと、つい、見えた(厭な)面を打ち消してしまったりして。そして、その度に、裏切られてしまうのですが。それでも、懲りなかったりするのです、教員という者の業なのかもしれませんが。
とはいえ、さすがに、もう、耐えきれなくなってしまいました、皆。
もう、ちょっと、ベトナムの、某日本語学校からの学生は要注意だなと、激しく思うようになったのです。
それ以外の二つの日本語学校と、その、某日本語学校とは、(ベトナムに)行って、様子を見た時に、はっきりとした違いがあるのです。
その二つの学校では、(ベトナムの)先生方と学生達との距離が短いのです。とても近いのです。(日本の学校で)私達と学生達が話しているように、(ベトナムの)先生方と学生達が話しています。ですから、(私達が)行ったらすぐに、(向こうの学校に)馴染めるのです。自分達のやり方で、すぐに学生達と対することができるのです。同じ空気、同じやり方だということが、彼等にも伝わるようで。
2月に行った時に、会ったのは二度目だったと言うことも関係していたのでしょうが、本当に、すぐに、そこで、彼等を教え始めても自然であるような雰囲気でした。出来るならば、皆そうであってほしいのですが。
日々是好日
「温い」というのが、ピッタリの今朝の陽気。
こう「温い」と、何が起こっても、怒りとか悲しみとか、そういう激しい心の動きとは、無縁の存在になったかのような気分になってしまいます。思えば、日本人はこの島国で、年に1度はそういう状態になっていたのです。人がここに住むようになってから、ずっと。
今日など、「桜が咲きました」と言われても、決して、おかしくはないのです。思わず「ああ、そうか」と納得してしまいそう…。何でも「18度から10度」だそうで、これは、もう、迷うことなく「桜の季節」ですよね。ただ、残念なことに曇り空のようですけれども、また、これが「花曇り」だと、もっといいのですが。ま、いいか。春は霞がかかるのが常ですもの。もちろん、「汚染物質の到来」は、嫌ですけれども。
さて、学校です。
大学進学を目指していた学生達のうち、最後の一人に、やっと「合格の通知」が届きました。「花開く」ですね。これで、大学希望者は、皆全員、無事に進学の夢を叶えられたわけで、まずは、(教員一同も)ホッ。
とはいえ、これからが、大変。「(大学の)学費」が、ズシリとのしかかってきます。できれば、親兄弟に迷惑をかけたくないというところで、これまで、頑張って来た彼等。ただ、「半年後に、いくらいる。一年後には、いくらいる。進学のためにいくらいる」という計算が、苦手な人が、多いようで、通知がきてから、慌てふためくというのが、パターなのです。その前にいくら言っても、判らないのです。
もっとも、さすがに、大学を目指していた人たちは、しっかりしていて、それなりに貯金していたようなのですが、最後に、どこかの専門学校を探し出して、そこへ行くとか言って来た学生達は、この学校の学費も、部屋代もずっと払っていない人たちが少なくないのです。
それでいて、恰好のいい服を着ていたり、スマホで遊んでいたりするのですから、意味が判りません。
これは問題だなということで、ベトナムでは、私達が年に数回行った時に、会えなかった学生は、もう留学の手続きをとらない(前に、大卒だから大丈夫だろうということで入れた学生も、「お金がない」と言って、二年目の学費も、寮費も払おうとしないし、それどころか、シラッと、平気な顔をしている。その上、勉強もしようとしなかったのです)ことにしました。
どうしても、教員というのは、自分を「万能であるかの如く」見る「厭らしさ」が抜けきれないようで、そういう人でも、「何とか感化させることが出来るのではないか」と思ってしまうのです。
それに、「人は、皆、『腹に一物』もって、来日しているわけではないはずだ」などと思ってしまい、現実には、明らかに、「別の目的があって、留学ビザをとっていたのであろう」と思われるはずなのに、それが見えていても(見ようとしなかったり)しているのです。彼にも、いいところがある(あった)のだから…あのとき、手伝ってくれたし…などと、つい、見えた(厭な)面を打ち消してしまったりして。そして、その度に、裏切られてしまうのですが。それでも、懲りなかったりするのです、教員という者の業なのかもしれませんが。
とはいえ、さすがに、もう、耐えきれなくなってしまいました、皆。
もう、ちょっと、ベトナムの、某日本語学校からの学生は要注意だなと、激しく思うようになったのです。
それ以外の二つの日本語学校と、その、某日本語学校とは、(ベトナムに)行って、様子を見た時に、はっきりとした違いがあるのです。
その二つの学校では、(ベトナムの)先生方と学生達との距離が短いのです。とても近いのです。(日本の学校で)私達と学生達が話しているように、(ベトナムの)先生方と学生達が話しています。ですから、(私達が)行ったらすぐに、(向こうの学校に)馴染めるのです。自分達のやり方で、すぐに学生達と対することができるのです。同じ空気、同じやり方だということが、彼等にも伝わるようで。
2月に行った時に、会ったのは二度目だったと言うことも関係していたのでしょうが、本当に、すぐに、そこで、彼等を教え始めても自然であるような雰囲気でした。出来るならば、皆そうであってほしいのですが。
日々是好日