日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今日は雷雨になるとか。

2021-08-31 09:01:42 | 日本語学校
晴れ。

今も陽は燦々と照っているというのに、昼過ぎから雨になるとのこと。昨日の、北関東での雷様の映像はすごかった。今日はこちらでも雷鳴が轟くのかしらん。

さて、朝の風は随分と涼しさを運んで来ています。ただ学生達が来る9時頃ともなりますと、涼しさとは縁遠い状態となり、彼等が、ちと気の毒。

昨日、日曜日に2回目のワクチンを打った母子が二人ともお休みということで、「Aクラス」は、一人だけの授業となりました。このクラスは、現在、三人しかいませんから。それで、彼だけの内容に絞って話を進めていきました。

大学では「会計コース」で勉強したけれども、日本の大学院では、「経営」を選びたいと言う彼。普通、日本では、大学四年間で学んだものを、大学院でやるもの。それを、再度、言ってもやはり「経営」を勉強したいと言います。それなら、「(行くのは)大学だな」と言っても、「いいえ、大学院で」と言うのです。(もうこれは、何ヶ月も前から、幾度となく説明してきたことです)。

そして、「先生、実はね」と、ある大学に行って説明を受けたときのことを話し始めました(この時は一人ではなく、もう数年日本にいる人と一緒に行ったとのこと)

その大学では、「(自国の大学で)『会計』を勉強していても大丈夫。この大学院で『経営』を学べるし、日本語能力も『N3合格』でいい。入学後試験を受けて『N2』に合格すればいいから。但し、『聴解』は高得点が望ましい」と言われたらしいのです。それにはまだ話が続いていて、「英語の試験では500点以上」という条件がついていました。

彼が、それほど英語ができるとは思えなかったので、「無理だと思う」と言うと、なぜか自信ありげに「大丈夫だ」と言うのです。

その(日本の)大学は、大学入試でも、英語で決まるようなところ…という感じがあったので、ちょっと戸惑っていると、「私は大学卒業時の英語の試験で合格した(これに合格しないと卒業できないらしい)」と言うのです。さらに尋ねると、それはたいしてレベルの高い試験ではなかったらしい。そして、(日本の)大学の人が話した、英語の試験のことを「『TOPIC』でしょう」と言うのです。私はそういう英語の試験のことを知らなかったので、よく判らないながら、「TOEFL」か「TOEIC」の、いずれかであろうと思うと言いました。なにせ、その場にいたわけではありませんから。

それから、その人が、500点以上というからには、おそらく、そのうちの「TOEIC」であろうと。それでも、どうも、ピンと来ないようなので、スマホで、それを調べさせると、やっと理解できたようで、「じゃあ、…」。

とはいえ、「経営」を学ぶことをあきらめてはいない。(先生に送るための論文内容を)すでに三分の二ほどはまとめたというので、一応、それを待ちます。

お人柄は本当に申し分のない人で、欠点と言えば、人がよすぎて、優しすぎることくらい。ご両親や周りの人に大切に育てられてきたということが、よく判ります。来日後もご両親の友人のうちに居候でき、お金は国から送られてきていて、何不自由ない。日本語学校でも、現在いる「フィリピン」「スリランカ」「パキスタン」「ネパール」「スーダン」などの国の人と、ごく自然に仲良でき、困った時にはすぐ手を差し伸べる。労を厭わないところもいいですね。

ただ、言語方面はどうも苦手のようで、若い子達にからかわれるのも、主にこの方面でのこと。からかわれても、困った顔を見せるだけ。思わず、こちらで「言い返せ」と活を入れてしまうのですが、「みんな子供だから、大丈夫」とニコニコしています。

「やられたらやり返せ」「言われたら、言い返せ」と一喝してしまう私の方が、悪人みたい…ですかしらね。

日々是好日
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今あるのは、二つのクラス。みんなよく漢字を覚えてくれます。

2021-08-30 13:14:14 | 日本語学校
晴れ。

早朝は曇り空だったのですが、今はカンカン照りに。今朝も秋の虫の音に送られるように、自転車を走らせて来ました。

風も随分涼しげに吹いていました。尤も、動くと、やはり、かなり暑い。

言語を学ぶには、最初は、おしゃべりが好きな人の方が得。「耳」がいい、「おしゃべりが好き」というのは言語を獲得する上で、大切な要素。「話すのが好き」という人は、それだけで、天分があるということになる。その上、耳がよければ、最初のうちは鬼に金棒。ただ、留学生はそれだけではもたない。

進学するためには、日本語の「試験」で、「合格」、乃至は、ある程度の「得点」が、必要になる。しかしながら、そのことがよく判らない人は、「聞き取れ」、そして、気の利いた「返事ができる」で、「満足」し、そこで、止まってしまう。

確かに、日本人と話していれば、「話題」は増える。けれども、増えただけ。知ってる!」で、終わりになってしまうのです。読みながら、単語を覚えていく、漢字を覚えていくというのも大切な作業なのに。

どうも、「『読む』のは面倒だ」と考えてしまうらしい。なにせ、「ひらがな」だけで、十分と考えていたのに、「なんと、『カタカナ』だって」、「カタカナ」が終わると、「漢字だって」…そりゃあ、大変でしょうけれども。

10年くらい前には卒業式を迎えようとしているのに、「一」「二」「三」は覚えているけれども、「四」から先が曖昧になるというような人までいました。

今の学生と比べるのは、なんですが、今は「下の(N3に入ったばかりで、『あいうえお』の人が多かったせいで、例年よりも、漢字学習に入るのが遅れていた)クラス」でも、既に「300」の漢字は覚えていますから、雲泥の差です。

しかしながら、ここまで来るのに、本当に時間がかかりました。

最初の頃は、いくら彼等のために(漢字の)資料を作っても(小学校の教科書や参考書などを下に、手書きで作っていました)、そして、毎日のようにそれを練習させても、素直に「写す」だけで、「覚えよう」とは、していなかった…と思います。

資料を作ったはいいけれども、使って役に立ったと言えるのは、ほんの一握りの学生だけで、他は別のやり方をせねばならなかった。とはいえ、最後は背に腹はかえられず、邪道…で攻めるより仕方なかった。

つまり、「『住所』を漢字で書けると、それだけで専門学校の先生はびっくりするよ(ほめたり)」とか、「テストの作文の時、『学校』『来ます』『行きます』『勉強』だけは、必要だから覚えよう(必要最低限)」とか、そんな付け焼き刃的なものに成り下がっていきました。これでは、すぐに忘れてしまいます。

今、思えば、あの頃の、あの苦労は何だったのだろう…。今は外国人用の「書き順」のついた漢字の本が幾つも出ていますし、彼等の母語で説明があるのさえあります。前は、『中級』なら『中級』の本に出てくる文章から、漢字を抽出して、一つ一つに書き順を入れ、読み方を入れ、作っていました。しかも、『上級』になっても、これは同じ。『中級』で、やったから、もういいだろうとはなりませんでした。教科書に即して作っていましたから、ある意味、系統性がなかったのでしょう。

今は、「N5」「N4」「N3」「N2」「N1」で、漢字を教えることにしていますので、「読解」用の漢字を作らなくてもよくなりました。大きい紙に気になる漢字や単語を書いて、皆で見て終わり。思えば、学生も、よく漢字を勉強するようになりました。

こちらも楽になり、学生もよく勉強するようになり、これでうまくいくかと思いきや、「コロナ」です。なかなか、人の思うようには、世界は動いてくれません。

一日も早く、「日常」が戻って、また日本で勉強したいという人たちが、来日できますように。

やはり学生達が一杯いて、明るい笑い声が響いていないと、学校ではないのです。

日々是好日
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「オリンピック」の放送を楽しんだらしい。興奮して語ってくれたようです。

2021-08-27 08:49:15 | 日本語学校
晴れ。

今日も暑い。今日なんざ、「残暑」なんて使いたくないですね、「猛暑」です。

けれども、この学校に来る「イスラムの女性」は、長袖を着、髪には「ヒジャプ」を巻き付け、そしてコロナ禍の下にあっては、「マスク」まで必須となっている。

日本のように蒸し暑い国では、本当に可哀想に見えるのですが、彼等はそれほどのこととは思っていないようです。中近東のように暑くとも乾燥しているのとは違うと思いますのに。あちらなら、身体を覆えば、太陽光を遮断できるわけですから、それなりに涼しさを感じることができると思うのですが、でも、日本ではねえ。

とはいえ、「マレーシア」や「インドネシア」のイスラム教徒の女性たちだって同じような格好をしている…。これらの国は、日本よりもっと暑くて、雨だってたくさん降るでしょうから、服装だけで判断できるというものではないみたい…。きっと体が慣れていて、こちらが「熱中症にならないかしら」なんて、心配することではないのかもしれません。

私が、イヌのように舌を出して喘いでいるのに、すぐそばで、スッポリと身体を覆っている人を見ると、思わず、大丈夫かしらんなんて思ってしまうのです。

さて、学校です。

「作文」担当の教師が、閉幕したばかりの「オリンピック」のことを話題にしたらしいのです。すると、在日の人から、「みんな見た。面白かった。すごい、すごい」との反応があったとのこと。

国では「オリンピックの放送など、見た記憶がほとんどなかったから、(オリンピックと聞いても)何とも思わなかった」。そういえば、オリンピックが開催される前に、聞いたことがありました。反応は、「オリンピックって………」でしたね、その時は。

「Aクラス」は、今年4人しかいませんから、そのうちの2人がこうだと、もうこの話題は打ち切りということになります。なにせ何も言うべきことを持っていないわけですから、半数が。

4人のうちに1人は、母国と日本を行ったり来たりしてきました。いわば、半分日本人。四年に一度のオリンピックをさまざまな形で見ていたでしょうし、それに関する話題も子供同士あったでしょう。つまり、日本の若者と同じと考えてもいい。そして、もう一人の国もそれほど「オリンピック」で騒ぐようなことはないようで、この話題は、ポションと萎んでしまいました。

ところが、初めてオリンピックを見たという、この二人。一昨日、話の矛先を向けられると、勢い込んで、教師に話し始めたらしい。「これまでは、せいぜいサッカーくらいしか、つまり『ワールドカップ』くらいしか知らなかった。それが日本で『オリンピック』を見て、俄然気に入った」らしい。

日本人の間では、コロナ禍ということもあり、賛否両論というか、否定的な見方をする人の方が多かったのですが、もちろん、開催されてしまえば、人間の限界を見せてくれる人たちに感動しない人はいません。それはだれでも同じでしょう。「ヒト」という同族がすばらしい成果を上げ、それを見せてくれるのですから。

彼女らの場合は、自国の選手がほとんどいないゆえに、選手を「国」単位では見ていません。だから、余計感動するのでしょうね。

以前、中国人の学生が多かった頃、「面白くない。どうして日本人が金や銀をとった競技ばかり見せるのだ」と不満を言っているのを聞いたことがあるのですが、面白いですね、いかにも中国的。

私達が中国にいた時、オリンピックの放送というと、やはり「中国選手」ばかり映っていました。日本人は、「中国にいるんだから、仕方がないな」で終わっていたのに、他国にいるくせに、その国の選手をクローズアップするのを非難するのです。自己チュウ性分はどこにいても変わりません。その時は、「ここは日本だからね」と注意しておくに留めたのですが。なんと言っても、こういう性分は一朝一夕には変われませんから。

で、オリンピックに目覚めた学生のことです。日本にいると、いろいろなものが見られるということに感動したらしく(実は前から、「日本はいい」を繰り返していたのですが)、自分なりに策を巡らしているようです。

本当は、遠回りに見えても、日本語の勉強に頑張ることが、一番の近道なんですけれどもね。

日々是好日
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「秋の虫」の声が、今朝、聞こえてきました。か細い声でしたけれども…。

2021-08-26 08:43:52 | 日本語学校
晴れ。

今日は「猛暑」になるのだそうです。いわゆる厳しい「残暑」。「処暑」を疾うに過ぎたというのに、ハア…。

今朝、近くのマンションの植え込みから、虫の音が聞こえてきました。「チ、チ、チ…」というか、短い「音」の連続。「『コオロギ(蟋蟀)』かな…」通り過ぎた後で、ハタと気がつきました。今日は「『セミ(蝉)』の声が聞こえていない」

今朝は早くから強い日差しに辟易となり…なにせ、「秋だ」という気分が抜け切れませんから、こういうときに暑いとグンニャリしてしまいます。で、外に出るなり、ムワァと暑苦しい空気に包まれて、「秋」という名は返上してくれ…と言いたくなった。ところが、それを幾倍か押し上げるはずの「セミの鳴き声」がしなかった…これはやはり「秋になっていたのか」ということになった。

で、学校です。

留学生が多かった頃は、欠席はほとんどなく(「出席率」の提出が、更新には必要ですから)、安心して、つまり、毎日出席すると言うことを前提に授業を進めることが出来たのですが、在日生が多いと、そうはなりません、というか、そうはできないことも多々あるのです。

子供が病気になったとか、保育園が休園になったとか、自分に関することではなく他の理由でお休みということもよくありますし、仕事の都合で、帰国しなければならなくなったということも、幾度となくありました。

留学生の場合は、一年分の学費等は既に来日前に払い込んでいますし、来日時には3か月分くらいの生活費は持ってくるように言っていますから、少なくとも3か月は勉強だけに集中できます。これが守られ出したのは、ここ5,6年のことでしょうか。

最初のうちは、私達の考えが如何に甘かったかを嫌になるほど知らされました。「日本に行けば(働いて)金持ちになれる」くらいの知識しかない人がかなりいて、いくらその「噂」を否定しようにも、双方共に相手の言語がわからず、また誤解の上に則った日本理解でしたから、言葉がある程度達者な者にでも、こちらの意図が伝わらぬということがありました。人間、どうしても、自分に都合のいい方に考えが寄ってしまうものですから。

それではならじと、相手国の学校をまず見つけることにしたのです。そこには、教師として、日本留学経験があったり数年の在日経験のある人がいるはずだと思ったからです。そういう人と会い、話し、信用できそうな人を選んで、そこと連携をしていくという作業に、それから数年かかりました。一年に一度、二度と行き、話してこちらの考えを判ってもらわなければならないこともありました。会わなければ、わからないことも多かったのです。

それに、会って、話し、いい人だと思えても、送られてくる学生がその人の言っていたことと多く違っていれば、その人は私達が求めていた人と違うということになります。いくらいい人でも、自分の国の理屈で動いていれば、それはこちらにとって困る人でしかないのです。そういう人が推した学生が一人でも、真面目に勉強すればいいのですが、ほとんどがそうでなければ、教える私達の方が困るのです。

学校というのは、彼等が働くために、一時的な場所を与えるという存在ではなく、学びたいという、いわゆる「学生」が存在していなければならない所なのです。

そういう人たちがやっと集まるようになった…と思えた矢先に、このコロナ禍で、来日が叶わなくなりました。

本当に大変です。学生が来日できなくなってから既に一年半が過ぎました。コロナがある程度収まって、来日が可能になっても、あのまま、ああいう学生が募集できるのでしょうか。一度切れた糸を、また結び直すことができるのでしょうか。

多分、真面目な日本語学校はどこも、同じような悩みを抱えていると思います。

日々是好日

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「日本語能力試験」、合格した人はいいけれど、合格できなかった人は、かなり落ち込んでいました。「頑張ったのに…。」

2021-08-25 10:05:31 | 日本語学校
曇り。

早朝は曇っていましたが、時折、雲の切れ間から陽が射してきます。

今日は、自転車が、気持ちよかった。まるで台風一過のような風の強さがあって、それが夏の終わりを思わせるような涼しげな風を運んできました。とはいえ、だんだん暑くなるのでしょうね、今日も。

コロナ禍で、昨年の「四月生」から、プッツリと留学生の糸は切れています。日本で勉強したいと言う人たちがいても、昨年の「四月生」は、既に2年近くも「待機状態」というか、「待たされ状態」。中には、疲れてしまって、留学をあきらめた人もいました。勉強したいと思ったときが、やり時。その時を逃してしまうと、もうやる気が失せてしまいます。何やら申し訳ない。一人だけ、滑り込みで来られた学生がいるのですが、一人だけというのも、ちと切ない。

例年ですと(2年目の今年は)、数十人の留学生のうちの一人が、(進学を目指して)動き始めると、クラス中がザワザワとなり、そのうちに、だんだんまとまって進学ムードになっていくものなのですが、一人ではねえ。孤独な戦いになります。なにせ、在日生の進学というのは、いても、目的が高校ですからね。留学生とは違います。

昨日、「日本語能力試験」の結果が出たのですが、失敗したスーダンの在日生が、「どうして落ちたのか。私は一生懸命勉強したのに」と訴えてきました。

一生懸命、勉強していたのはよく判ります。が、家庭の事情で、毎日学校に来られるわけでなし、また発音にもかなりの問題があり、おそらくはそれ故に聞き取るのが難しいであろうと思われるし、まず何よりも年齢が上がれば上がるほど、普通は覚えるのに時間がかかるものだし…、なかなか若い人のようには行きません。条件が違うのです。それが、説明しても、どうも判らない…。もっとも、最後に、また頑張りますと言ってくれたので、ホッとしたのですが。

在日生で、特に夫の仕事関係で来日した人は、まず日本について、何も知らなくて来ています。「何も」というのは語弊があるかもしれませんが、知っていても、せいぜいが「日本製の自動車」くらい。年齢が上ですから(アニメとはいかない場合があります)。仕事で、上司から「あの国へ行け」と言われた夫について来ただけのこと。もともと日本に興味があるでなし。日本語の勉強を始めるまでは、特に日本文化や日本人どこがどうなのかまでは判らなかった。私だとて、この国の人が学生として来なければ、調べようとは思いませんでしたもの。

日本文化や日本の習慣などの知識の有無となりますと、それは留学生(この学校には欧米の人はいません)とて同じことです。日本が好きとか、もう少し具体的に日本の文化が好きで来たという人はあまりいません。東アジアか東南アジアから来ていれば、親戚知人の中に日本企業で働いている人がいたから(話を聞いて)来たとか、日本で働きたいと思って来たくらいのもの。

来日する留学生の大半は、この地で働くというのが目的なのです。文化なんぞに興味を持つのは、豊かな国の民の特権のようなもの。それを来日前の人に、要求するのは所詮、無理なのです。特に女性は、自分の家の近所のことしか、知らない人も多く、その知識の幅で何事も解決しようとしますから、所々で綻びが出てしまいます。

知識の大半は、何かと比較するまでは判らない。そこには、基準となる「自国のもの」があって、「それと違う」から始まり、「なぜか」から広がり、それなりの結論を自分で見つけて行くもの。

その基準となるべき自国のことを知らなければ、知識は増えていきません。液体のようにダラダラと、何でもない、かといって、何でもなくはない、正体不明のものが、見たことはあるくらいの状態で増加していく。それを元にして、何か考えられるかというと、何も考えられない。「知っている」「見たことがある」で、事足りる世界でしか生きていけない。

もちろん、それでもいいのです。自分の世界の中で、こじんまりと生きていくのであれば。

ただ、世界は拡がっているというか、違う世界に行けば、自分の世界では要求されなかったことを要求されたりする。自分の国では覚えるだけでよかったのに、「意見をまとめよ」とか「書け」などと言われる。そんなこと、考えたこともないから、「わからない」としか言えない。

特に、自国で、エリートとして自負していた(高卒でエリートなのです)者にとっては、わけがわからない世界でしょうね。

日本語は、「話せて終わり」とはならない。どの国だって同じでしょう。

「みんなの国で、字が書けない人はどう?」と訊くと、「働けない」と答えます。日本語には、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」という三つの文字があります。漢字は手で書いて覚えなければなりません。「努力」しなければならないのです。「コツコツ」と、バカみたいに書いて覚えなければならないのです。この「バカみたい」な「作業」が面倒だし、つまらないとして、やらない留学生もいました。時々いるのです。忘れた頃に表れるというか。

樹を見て森を見ないというのでしょうね。「私は話せる」だから、「すごいのだ」。あいつらは「頭が悪い」から、「真面目に」漢字なんて覚えているんだと言った、南アジアの人もいましたね。結局は、この「コツコツ」さんは大学に入り、「頭がいいと自負していた」者は、行き場を失って、さて、どうなりましたことやら。

勉強に「書く」という習慣があるかどうかというのも、またそれを軽んじるかどうかというのも、日本語の習得には関係してきます。

ただ、今の学生さんは、週一の漢字テストも頑張っていますし、授業の端々に、日本の生活のことを入れても、真面目に聞いてくれています。

学生が少ない分、個々に対応できるところが、今はいいのかな。なにせ、在日生というのは、入ってくるのも、バラバラですし、既習未習もバラバラ。それでも半年ほどが過ぎると、それなりに慣れて、同じクラスで頑張れるようになる。皆、ここでは、同じ異国人ですから。

日々是好日
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東京成徳大学から実習生がやってきました。

2021-08-24 08:43:36 | 日本語学校
晴れ。

早朝4時過ぎから、もう、「セミ(蝉)」の声がワンワンと響きわたっていました。昨朝はそんなこともなく、また時折聞こえてきても、弱々しいものでしかなかったのに。

とはいえ、昨日も今日も、「セミ」は落ちていませんでした。その代わりといっては何ですけれども、「カナブン(黄金虫)」が階段に落ちていました。「カナブン」も「セミ」も、田舎であろうと街中であろうと、どこにでも飛んできます。でも、そういえば、今年はまだ「コウモリ(蝙蝠)」も見かけていませんし、「カマキリ(蟷螂)」や「トノサマバッタ(殿様飛蝗)」も見ていません。

やはり、空き地が関係しているのでしょうか。以前、自転車で来る途中に、いくつかあった空き地に、いつの間にか、作業用の車が入ったり、棟上げ式が行われていたりしていましたもの。もしかしたら、野草や虫たちの生息地が、この辺りでも失われつつあるのかもしれません。野鳥の森があったりと、他よりも自然に恵まれているような気がするのですが。そういえば、アゲハチョウのサナギがたくさんついていた樹も、姿を消していました。

さて、学校です。

昨日から東京成徳大学から実習生1名がやってきています。沖縄の人と言うことで、昨日、名前を聞いた学生が「日本人ですか」と、不審げに訊いていました。

「名字」の響きがそう聞こえるのかもしれません。彼等が聞き慣れているのは「タナカ」とか「サトウ」とか、そういったものですから。彼の「姓」の最後には、「ン」がついているので、確かにそう聞こえないことも無い。私達は、「名字」の「音」よりも、「漢字」の方に気がとられて、そっちの方の謂われを尋ねたりしていたのですが。

昨日は、朝から一日いて、授業を見、午後は、インド人女性一人の『初級』の補講授業に参加し、それが(三時に)終わってからは、残って自習している3名(一人は途中で帰りました)の様子を見たり、話したりと、楽しげでした。

ただ、まだ、学生にからかわれても反撃できない様子で…からかわれているのに、気づいていないのかもしれません。一応、学生達は皆、『初級』は終え、『中級』に入っているので、からかおうと思えば、からかえるのです。

見ていると、一番年の近い、高校受験を目指しているパキスタン人学生のそばに寄っていましたから、やはりなと思えて、ちょっと笑ってしまいました。

日々是好日
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もう、暦の上では、「処暑」。だからというわけでもないのでしょうが、今日はちと涼しいのです。

2021-08-23 08:34:18 | 日本語学校
曇り。

お日様がカンカン照っていないからか、かなり涼しく感じられます。例年ですと、この、朝夕の涼しさの前に、帰りの虫たちの声、あるいは早朝の「ツキミソウ(月見草)」や「ヒルガオ(昼顔)」の色で、秋の近づきを感じるところなのですが。今年は、その前に、体感の方が季節を感じてしまい、季節を先取りしてところが、例年と違うところ。何だか不思議です。今日は「処暑」。

さて、留学生達が、ほとんど姿を消してから一年あまり。学校の様子も随分変わってきました。いつもは終わると同時に、学校特有の、ガヤガヤ、ザワザワがありましたのに、今は本当に静か。同国人同士が大声で話しながら帰ると言うこともなくなりましたし、今は前に比べて、学生の年齢が高くなったということもあるでしょう。留学生たちは、大半が20前後でしたから。

今は、留学生対象の、午後のクラスがなくなったこともあり、午後、個別授業ができています。もちろん、毎日というわけではありませんが。来られるときは、午前のクラスに参加するというのが条件です。一人は「あいうえお」から、一人は、週に一回しか来られないので、N3レベルの補講をしています。

こういう形であっても、午前中、クラスにいてくれると、他の学生達が問題を解いているときに、あるいは、何か彼等に考えさせているときに、そういう学生の質問に答えることができます。当然のことながら、毎日授業に参加している人たちとは、質問の内容が違ってきますから。

それに、学生の方でも、そのことが判った上で参加してくれているので、こちらとしてもやりやすい。時間がないときは無理に付き合わなくても済みますから。

以前、そういう形で参加しているのに、(一斉授業中)勝手な個人的な質問を始めて、しかもやめない…ということがありました。授業後に、それを注意しても、あるいはしようにも、互いに共通語がない。ということで、双方不満を持ったまま、(相手が)やめていくということがありました。

今回は、一人は日本語がある程度判りますし、もう一人はご主人が達者な日本語を話すので、何かあってもすぐ対応出来、助かっています。まあ、そうでなくとも、相手のことを気遣うことができるタイプのようなので、まずはこちらもそれほど気を遣わなくても済んでいます。

日々是好日
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「お盆」という習慣について

2021-08-20 08:49:49 | 日本語学校
晴れ。

今夏、「ムクゲ(木槿)」の花も「タチアオイ(立葵)」の花も、見かけたことは見かけたのですけれども、チラリくらいのもので(例年、同じ道を通る度に、見ていたので、何だか変な気分です)、自分の中で夏の風景としては成立していなかった。

思えば、「梅雨」の頃から、何となく慌ただしく、一日があっというまに過ぎ去っていったかと思っていると、同じ一日の中に妙に長い時間が終わることなく続き、一日の区切りがつけがたかった…。時間なんて、人間の感覚が作り出すに過ぎないものだと思い知らされました。

とはいえ、「キョウチクトウ(夾竹桃)」の樹には、まだまだ蕾がぎっしりとついているところを見ますと、まだ、実感としては秋にはなっていないのでしょう、暦の上では、「立秋」は疾うに過ぎているとはいえ。

昨日、「Aクラス」で、「お盆」の短いDVDを見せてみました。(ここに来る留学生たちは、考えてみれば面白いのですが、日本の文化などに興味を持っていないのです。そういうものを見せても、寝てしまうか、他のことをし始めるか、そのどちらかなのです。20人のクラスで一人でも熱心に見る人がいたら、御の字です。ですから、よほどの必要性がない限り、ここ数年はあまり見せていませんでした。寝せるくらいなら、本を読み、漢字を書きする「授業」をしていました。わざわざ苦労して、無駄な時間を作る必要はないでしょうから。

彼等、留学生たちの主な目的は日本語をそれなりに習得して、資格をとり、合法的に日本で働けるようになること。つまり、彼等の目的からしますと、日本の文化を学ぶということは、寄り道なのです、不必要なことなのです。それよりも「有意義」なことに時間を使った方がいいとなります。

もちろん、中国人学生が多かった頃は、一年くらいで「N1」合格かそれに準じたレベルになりますから、世界のものや日本のもの、歴史や地域のことなどもいろいろと見せ、説明していくことができました。それらを知らないと進学した先で困るということを、話せば判ってくれたからです。

しかし、そういう学生が少なくなり、南アジアや東南アジアからの学生が増えてきますと、宗教なども関係してきて、だんだん話が複雑になってきます。ネパールの学生は仏教の中心は自国であるとの意識が強く、自分たちが文化の中心である(仏教では)と思い、その「亜流」としか見えない日本の文化には何ほどのものがあらんくらいの気持ちですし、これはスリランカなども同じです。工業だけには興味を持つようですが、あとは見せても無駄ですね。つまんな~いで、終わりです。

それに、イスラムの学生の中には、日本の年中行事も、「宗教の匂い」を嗅ぎ取って拒否する人だっていました。(だから、「七夕」の説明も大変です。今は、以前のように不用意に言葉を使うことはできません。言葉を選んで、だれでも参加できるように「匂いを消して」説明するようにしています)。

ベトナムの学生はまたちょっと違っていて、自分たちは無宗教と言う人たちが多いのです。それでも、かつては中国文化圏に入っていたということもあって、日本の習慣と似ているところが多いので、日本のことを話しても、別に気にしません。ただ、先祖を祀ることも宗教の一種だと言いますと、そういう人でも驚愕しますね。「無宗教」というのは、苛酷なもので、ああのんびりした人たちには向いていないと思うのですけれどもねえ。

で、「お盆」のDVDのことです。ちょいとばかり説明した時から、一人からすぐに質問が飛んできました。こういうのに興味を持ってくれるのは年齢とか、経験の有無とかも関係してくるのでしょう。ところが、一人が問い出すと途端に、それまで、ぼうっと見ているだけだった人が、自分の国のことを話し出したりします。

異国で異なった文化を知るということの、本来の意味は、自国の文化を発見するということです。比較しなければ、自分の国のものだって見つけられない。

進学の時の作文指導でも、日本文化との比較で自国のことを語らねばならぬものが多くありました。が、一人に見せても、それだけで書かせるのは難しい。一人だけで見ても、どこに注意したらいいのか、何を比較したらいいのか、ぼんやりと頭の中で流れてあるだけで、言葉にならないのです。まして、それを文章にするなど、もってのほか。

ところが、皆でいて(三人だけなのですが)、一人が何か言うと、まだだれかが言い出す、言い出すうちに新たに気づくことが出てきて、またそれを問い質したりする。こうなると、授業が成立しますね。あとは単語を入れればいいだけなのですから。

ただ、今、コロナ禍での授業ということで、一応、「読解問題」「N2文法」「N2漢字」をどうにか時間のやりくりをしながら、自分の授業時間の中に押し込んでいるので、彼等の問いかけにもあまりこたえてやれず、一応、「こういう行事というか習慣というか、そんなものがあるのだ。それ故に、8月12日から16日まで休みだったのだ…」ということだけ、知ってもらったで終わってしまいました。

ちょっと残念でしたね。時間が合ったら、もう少し発展させて、短くともそれなりのものがまとめられたでしょうに。

日々是好日
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電車の乗り換えも、だれでも聞いたことがあるはずの東京の地名も、何も判らない…どこにも行っていないから…。

2021-08-19 08:22:36 | 日本語学校
晴れ。

昨日は、昼過ぎに豪雨。豪雨と言いましてもすぐに止んでしまいましたから、夕立のようなものかしら。いえいえ、それよりも、ベトナムで遭遇した「スコール」に似ていたような。

昨日は朝から風が強く、無風状態だったその前日とは全く違っていました。あの風が豪雨を呼んだのかしらん。

今日はほとんど風はなし…尤も、時折涼しげな風が吹いてきます。昨日の風はムワッとしていましたが。

さて、昨日のこと。

「聴解(N2)」担当者から、「今日は大変だった。電車の乗り換えやら、上野近くの駅名やら、何も知らないんだもの。それをヒヤリングで聴かせて、解を求めるのは、土台、無理というもの」。

でも、一応、本にあると言うことでやったらしいのですが、聴かせるよりも説明に四苦八苦したらしい。

それは、その前日の私とて、同じことでした。既に2年目の学生です。それが「鎌倉って???」

文法「~や~といった」で同じグループに属するという説明の箇所で、「京都」と並んで「鎌倉」という地名が出てきたのです。例年ですと、1年ごと6月には「鎌倉」か「横浜」に行っていますから、「鎌倉」と出てくると、「大仏」か「海」が、すぐ学生達の脳裏に浮かんできて、説明なんぞ必要ありませんでした。

ところが、今年も昨年も、どこにも連れて行っていない…。「富士山」や「箱根」、「日光」は言うに及ばず、紅葉狩りで行っていた「明治神宮外苑のイチョウ並木」、そして隔年で共に行っていた「小石川後楽園」と「六義園」にも行っていない。

もちろん、その他にも、例年ですと、1・2か月に一度は近場に連れて行っていました(例えば、「皇居」、「上野動物園」、「お台場」、「科学博物館」など)。冬休みの前は隔年で「ディズニー・ランド」か「ディズニー・シー」。ここは地の利がいいので、県を跨がない限り、安く行けます。「ディズニー」へは自転車でも行けますし。

というわけで、地名がピンと来ない。電車の乗り換えもポカ~ン。

別に、これは「コロナで」というわけではないのです。学校で、どこかに引率して連れていなければ、日本語が不自由な彼等、どこにも行けないのです。これは、留学生も、在日の人たちも同じこと。

せっかく日本に来ているのに、どこにも行けないのは、本当に可哀想。とはいえ、今はどこにも行ってはいけません。まずは「命を守る」ことが大切ですから。これは彼等の国にいても同じことでしょう。

「中級クラス」で、「道や方向を読み取る」問題を解説しているとき、16才の少年がどうも考え込んでいる…ように見えた。で、「困ったね。方向音痴かな」とからかうと、彼のすぐ上のお兄さんが、「はい、行徳の辺りしかわかりません」…そうなんだ。

本当なら、いろいろなところに興味があって行ってみたいでしょうに。みんな我慢しているのですね。

あとちょっとだから、もう少し我慢してくださいね。

…本当に、あとちょっとかな???不安です。

日々是好日
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お久しぶりです。今朝、青柿が落ちていました。

2021-08-18 08:37:51 | 日本語学校
晴れ。

秋の長雨も、ここいら辺りでは過ぎ去り、夏が戻っています。とは言いながら、今朝、路上に落ちた青柿を見つけました。まだ「ミンミンゼミ」も啼いています。

今年、「蝉のお助け」をしたのが、5,6回はあったかしらん。2回ほどは、既に間に合わなかったのですが。今朝も、ドアの前に一匹、ひっくり返っていました。今朝の蝉はあまり元気がなく、拾ったときは、もうだめかと思ったのです。だって、動きも、「ミン」とも「シー」とも言いませんでしたから。でも、少し足が動いた…で、とにかく木の上にでも置いてやろうと思ったのです。

初めは、力なく見えていても、階段を下りていくうちに、指に感じる力がだんだん強くなってきました。生命力というのは、すごいものですね。指から引き離すようにして木の股に置くと、途端に、「ミ―」と一声叫んで飛んでいってしまいました。何はともあれ、まずは、やれやれです。

今年は、例年になく、夏が短く感じられ、そのせいでしょうか、お助けできた蝉も例年ほどは多くなかった…。尤も、まだ、夏が終わった、蝉の季節が終わったというわけではないのです。実際、今朝も、セミの声が、ミンミンしています。でも、今年は蝉時雨はなかったかな。

今年。春が過ぎても、なかなか夏らしくならないなと思っていたら、いつの間にか「猛暑」。体がやっとこの暑さに慣れたころ、いわゆる「秋雨前線」が列島に停滞し、西では豪雨、この辺りでも、雨のみならず、10月中旬といわれるような涼しい日が続きました。

日本の四季は、五感を通して季節の移ろいを感じていくもの…と、思っていたのですが、今年の四季は、突然に来、突然に去ったという感じ。肌に涼しさを感じて、見れば秋の風物がある。香りに感じて辺りを見れば、春の風物がある。こんな穏やかで優しいものではなくなったような…。これから、毎年、こんなふうになるのかしらん。

今、ここで勉強している人たちは、多くが南国から来ていますから、こういう不順なお天気に、アップアップしているかと思いきや、日本はこんなものであろうと、不思議に悟り顔。

なるほど、それもそのはず、多くは日本での夏は初めてなのですから。

一昨年までは、教室は留学生でぎっしりで、在日の人を断らねばならぬほどでした。あの頃、コロナが流行っていたら、また別に、大変な作業をしなければならなかったでしょうね。体の大きな人たちが多かったことですし。

ただ、今は、留学生も運良く間に合った一人だけ、で、あとは在日の人ということで、間隔を空けて座ることができ、どうにか続けていられます。

だいたい、在日の人たちは、勉強するにしても、せいぜい、『みんなの日本語(Ⅰ)、(Ⅱ)』程度。中には、動詞の活用形に入ると、いつの間にか、来なくなるということもありました。「もっとゆっくり、適当に」というのは、一斉授業を中心にしている学校の中では、難しいのです。今は、午後に個人レッスンが入れられるので、随分できることは増えましたが。それに、その頃から、漢字の勉強が入りますから、これも壁だったのでしょう。

ところが、今年の、在日生はちょっと違いました。一応、皆、『N4』の試験に応募していたので、『みんなの日本語』が終わってから、『N4』試験対策などをしていたのですが、「試験が終わってから、『N3』の教材に入ります。みなさんはどうしますか」と訊くと、「続ける」というのです。
 
まあ、中の一人は高校を目指し、もう一人は専門学校を目指しているということもあったでしょうし、「N3」くらいはとっておかないと、アルバイトもままならないということが判っていたからかもしれません。

みんな一緒に勉強を続けられると言うことで、ホッとしました。

今年の12月の試験まで、みんな一緒に頑張れるといいですね。

日々是好日
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