日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「冬休み」には、なりましたけれどもね。

2019-12-26 08:56:11 | 日本語学校

曇り。

夜には、雨になるそうな。

温暖化の影響でしょうか、冬なのに、雨の日が多いというのは。冬はすっきりと晴れていて、電車から富士山の姿がくっきりと見えるというのが、定番だったような気がするのですが。春と同じように、幾重もの雲や霧に霞んでしまって、なかなか富士山の姿を見ることができません。別に、特別、探して見ようとするわけではないのですが、目に入れば、「『めっけもん』見いつけた!」という気になって、ホッとするのです。

さて、学校です。

19日に「ディズニー・シー」に行った後、学生達は冬休みに入りました。それでも、まだ進学先が決まっていない学生は、休むわけにはいかず、毎日学校に来ています。日本語のレベルがそれほどなかった学生達は、早めに彼等を受け入れてくれるような専門学校を探し、それ相応の準備をし、合格していますから、悩みはないのですが…。

困っているのは、「N3」と「N2」の境目にあるような「非漢字圏」の学生で、大學を目指している者たちです。

もちろん、それくらいのレベルの学生でも、「四年は長い、二年の専門学校で十分」という者も少なくありません。彼等は、一発で専門学校を決め、悩みはないようです。だいたい、かなりレベルを落としての受験ですから、問題はないのです。私達も、初めの頃は、大学受験を勧めはするのですが、各人それぞれ事情があり、背負っているものも違い、ある程度以上は踏み込めません。残念は残念ですが、本人は合格して、すっきりした表情でいますから、私達にも不満はありません。

こういうときは、いつも、日本人的な感覚で彼等を責めてはいけないなあと思います。私達にしてみれば、外国人で日本で就職したければ、そしてそれなりの能力があれば、やはり大学に行った方がいい…。2年間と4年間とでは、学べるものが違う…。

日本では、…彼等の国と比べればですが、情報が至る所に溢れていると言ってもよく、いろいろな話をしていく度に、また折に触れDVDなどを見せていく度に、彼等の知識の狭さ、浅さ、考えの浅さを感じるのです(そう言っている私にしてからが、大したものではないので、これは非常に大きい)。時間があれば、あれも見せてやりたい、これも教えてやりたいと思うものの、こういう段階に入れるには、日本語がある程度聞き取れなければなりません。

中国人学生の時には、「漢字」が助けてくれました。教師に力量がなくても、彼等の持つ「漢字の知識」で、ごまかせたのです。ところが、「非漢字圏」の学生にはそういう甘え(教師の側)は通じません。ですから、学生が、ある程度漢字を読めるようになっていなければなりませんし、聞き取れていなければならないのです。

それができるようになるのは、だいたい、12月の「日本語能力試験」が終わった頃でしょうか。「受験」したのは、「N2」であっても、授業では「N1」のものをしている段階です。漢字テストでも、クラスの三分の一は「N1」に入っている頃です。

もっとも、12月には、「ディズニー・シー」か、「ディズニーランド」へ行くと言うことで、「ウォルト・ディズニー」の人生を伝えたり、「ディズニー・リゾート」の説明をしたり、映画を見せたりしなければなりませんから、そういう遑はありません。

で、正規に始めるのは、1月に入ってからとなります。やっとこういう「授業」ができるようになったと思っても、あっという間に卒業です。やっと日本語がわかるようになってこれからという時に、出て行かれるわけですから、辛いと言えば辛い。

結局、日本語の授業で終始してしまったなあという後悔しかありません。もっと幅広く、深くできれば…と思うのですが、(日本語学校で学ぶ)限度が2年間ですから、それも叶いません。そのためには、いろいろな意味で、それ以後、4年間は必要だと思うのです。

専門学校に入れても、一年目はともかく二年目にはすぐに就職活動をしなければなりません。時間は短いのです。…学生達はそれほどのこととは思っていないようですが、中には人材であると思われる人もいるのです。そういう人は大学に行って学んだ方が後々のためになる…、もちろん、こういう私達の気持ちはなかなか彼等には通じません。22、3才で日本に来ていますと、日本語学校で二年、専門学校で二年ですから、26、7才になっています。

理由を聞くと、「先生、日本と違って、私達の国では60才くらいで死んでしまう。のんびりはできないのだ」と言われてしまいました。だから、早く働いて、…となるのだと。

悲しいですけれども、これも現実です。

以前、バングラデシュの人(以前、企業から頼まれて、この学校で「三級」まで学んだことがありました)が、40代後半で国に帰るという話を聞いたことがありました。その話を伝えた学生が「先生、もうその年は、バングラデシュでは晩年です」と言っていたのです。

日々是好日
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「19日、ディズニー・シーの日」は、雨だと皆が言うけれども…。こうなったら、「てるてる坊主」しかありません。

2019-12-17 08:51:26 | 日本語学校

小雨。

今は、止んでいるようです。今朝は冷たい雨…がそぼ降っていました。最近は、冬らしくない一日であったり、一転、冬に戻ったりと、お天気様のご機嫌は芳しくないようです。今週は、ぐずつき気味で終始するようで、19日の「ディズニー・シー」を楽しみにしている学生達からは、先週から、「19日は雨で~す」と言われ続けています。

「雨の日もいいよ。まず、人が少ないのでそれほど並ばなくてもいいし…」なんて言おうものなら、冷たい視線が返ってきます。

並んでも、やはり、青空の下で楽しみたいのでしょう。歩きながら、あるいは、汽車や船に乗りながら、あちこちを見て、「自由時間になったら、あれに乗るぞ」と思えるのもディズニーでの楽しみの一つかもしれません。

そういえば、かつて、大雨だった日がありました。学生達は早速ディズニーの雨合羽を買い、飛び跳ねていましたから、あれはあれで楽しかったのかもしませんが、その時乗った船の寒かったこと。いまだに、「雨、ディズニー」と来ると、あの寒さを思い出してしまいます。

とはいえ、もう「ディズニーの頃」なのですね。大学に失敗した二人だけがまだ進学先が決まっていませんが、二人とも、あれから、毎日、特別メニューで頑張っていますし、きっと大丈夫でしょう。二人に、「神様は頑張っている人を見捨てないよ」と言う度に、「はい」と言ってくれるので、ありがたい限り。もっとも、「不合格」の通知が来た時には、半べそ(泣いてはいませんでしたが、目が赤かったので、うちで泣いていたのがすぐにわかりました)、不安、緊張…で、何も考えられなかったようでしたが。

我々のように、外国人と近い立場で接する機会の多い者にとっては、どの国にもそれなりの事情があるということは、わかりきったこと。特に途上国といわれるような国においては。けれども、大学では、事務局や大学の教師と学生の距離が遠いのでしょうね。一つ一つの国は一つ一つ違いがあり、いわゆる先進国と言われる日本と同一には考えられないということが、なかなかわかってはもらえないようです。

これまで、この学校では、いくつかの波があり、その都度、中国人が多かったり、スリランカ人が多かったりしました。少し前までは、ベトナム人が多く、そして今の二年生はネパール人が半分近くを占めています。一年生は、ベトナム人が多くなっていますが。

勉強の仕方が似ていて(多分漢字を使うからでしょう、手や目の文化の国)、国内事情もよくテレビで流れていた中国の学生は、ある意味、楽でした。一年ほどで「N1(当時は一級)」に合格させ(させられずとも後何点くらいの成績で)、以後は新聞、雑誌、文学の抜粋などができましたから、ある意味、中学校や高校の授業のようなものをすれば、事足りました。

その後のスリランカ人の場合は、「書かない、覚えない」と言う人たちが多く、大変でした。「書け」と言えば、20回でも40回でも漢字を書くのですけれども、覚える気がありませんから、絵をなぞっているようなもの。パーツの説明をしても、象形文字を書いて成り立ちを説明しても、その時は反応を示しても、多分、それはお愛想なのでしょう。結局焼け石に水。卒業時にも、「四」から上の字はわからないという人が嫌になるくらいたくさんいました。彼等が卒業した後、疲労感というか開放感に包まれたのを覚えています。もう、嫌だ。徒労であったと。

ベトナム人学生の時は、しょっちゅう、警察へ行かされました。今はそういうことが全くなくなり、今の学生と彼等が同じ国出身であるとは信じられないくらいです。しかし、儲けられなければ日本に来る意味がないと思っている人がまだ多いらしく、募集にベトナムへ行っても、大学に行きたいと言う人はいない…とよく言われます。では、まあ、しょうがないかというのがこちらの気持ち。「話す」「聞く」それから「文法」と三重苦のベトナム人学生は、やはり、かなり勉強してもらわなくては、「N2」レベルまではいけません。

ネパール人学生は、本当に楽です。「楽」というとおかしいかもしれませんが、まず、真面目です。よく勉強してくれます。週一の漢字テストの時も、見ていると、形が正しいだけでなく、書き順も正しいのです。これは習った後、きちんと復習してテストに備えていると言うことなのでしょう。質問もしますし、DVDもきちんと見てくれます。好奇心もあるのでしょう。

ただ一つ難を言えば、「大学進学」をなかなか考えてくれないこと。昨年12月に「N3」に合格した学生でも(国では、せいぜい「N5」レベル。しかもテスト用の勉強くらいしかしていなかったようで、ほとんど聞き取れず、話せもしませんでした)「専門学校」と言うのです。それも、いわゆる「いい専門学校」というわけではなく、主に「外国人用」の専門学校です。 学費が安いからでしょうし、早く働きたいのでしょう。

残念だなあと思います。大学に入れば、視野も広がり、今とは別の「目」を養うことができると思うのですが、そういう欲はない。好奇心があるので、いろいろなものを見せれば、真剣に見、いろいろ聞いてくる…そんなところからも、真面目に見ようとしないベトナム人学生達と比べて、大学に行けば、もっと伸びるだろうにと残念になって来るのです。

せっかく、ネパールに行き、面接で半分以上を落とし、そうして選んだ学生にも文句を散々言い、来日までの心得などをわかってもらっていたのに、昨年の10月から、ネパールの学生は誰も来ることができていません。いつになるかわかりませんが、許可されるようになっても、この流れが切れてしまっていれば、また一からやり直しです。こちらももう年ですから、体力が続きません。かなりしんどくなっています。おそらく、向こうもそうでしょう。

大学に行きたいと思い、その支援ができるほどの家庭、ないしは一族というのは、それほど多くはないのです。ああいう国では中産階級というのは少ないのです。富豪か、貧しいという二極化された国が多いのです。ベトナムにしても、スリランカにしても、ネパールにしても、バングラデシュにしても。

まあ、気長に、そういう学生を探していくしかありません。今のところ、皆そう思っています。あとは国の問題かなあ。

日々是好日
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だれしも、「面接」では緊張しますけれどもね…。

2019-12-13 08:53:48 | 日本語学校
曇り。

今朝は、いつまで経っても明るくならないと思っていたら、曇っていたのですね。結局、ずっとお日様はお顔を覗かせてくださらないまま、夜が明け今に至っています。まだ薄暗い…。

さて、学校です。

不合格となった学生と話しました、皆で。大学の方からも、お話を伺いました。彼等はまだ若く、ここで諦めるか、再度挑戦してみるかというのは、とても大切なこと。これからの人生にも関わってきます。なにせ、日本人のように気力さえあれば、何度でも頑張れるというものではないのです。

半べそ状態で来た一人には、「上を向こう、前を見よう。頭を切り換えよ」と言い、何が何だかわからないと言う表情で現れた、もう一人には、「わかるかね。失敗したんだ。すぐ次を考えるんだ」と言い。…ただ、この学生は弱気で、グシュンとなってしまうので、お尻をひっぱたいたりしてやらなければなりません。

もちろん、こういうことは、例年おこります。起こる度に、共に辛い思いをします。これが、大して頑張っていない学生だったら、簡単に、もっとレベルを落として、下の専門学校を当たってみようとでも言えるのですが。

すぐに緊張して(面接時)、上がってしまう二人には、教員の一人が、毎日、皆の教員と話し、それを記録しておくこと、それから、それとは別に日記を書いて、毎日提出することというノルマが課せられ、私の方では、ニュースの準備をすることとなりました。

実は今まで、ニュースを担当してくれていた教員が、体調不良で辞めてしまい、今年からは見せていなかったのです。私の方でも、時間が割けなくて、見せないままになっていました。

とはいえ、背に腹は代えられません。それに「能力試験」も終わったことですし、とにかく時間を割いて、見せていかねば…ということで、昨日「『冷戦』後30年は経ったけれども」というのと「ローマ教皇来日」という二つを見せてみました。

彼等が生まれた時には「冷戦」は既に終わっていましたし、彼等の頭の中には、ヨーロッパはどこも豊かだという印象しかありません。かつての東西の違いなどは全く存在していないのです。私達の中には東欧と西欧の違いというのは、今でもはっきりあるのですが、それを前提にして話しても、彼等にはわからない…(それも当然のこと)。

しかし、見せていくと、旧東側には、彼等の国と同じような光景が広がっていた…、それにちょっと驚いたようです。一人が、「これ、戦争(第二次世界大戦)前?」とか聞いてきたのも、その表れなのでしょう。

それから、「ローマ教皇来日」のニュースです。キリスト教徒、特にカトリック信者が世界中にどれほどいるのか、またローマ教皇の発信力がどれほどのものなのかもほとんど知らなかったと見え、ビデオの合間合間に、質問の矢が飛んできます。

本当に自分達の世界のことしか知らないのです。ヒンズー教徒の学生は世界の大半はヒンズー教徒くらいにしか思っていないでしょうし、イスラム教徒の学生もそうでしょう。

その中で「真面目にやってきた」で済ませていたのです。若い人たちには、できれば日本で大学に行って、そこで、これまでに見聞きしたことのないものを見、聞き、視野を広めていって欲しいと改めて思いました。

日本では、ごく普通の、いわゆる常識と言ってもいいような事ゆえ、皆はその前提の上で話をし、それなりに楽しんでいるような事でも、彼等にしてみれば、その「常識」の部分がないので、どこかチグハグな聞き取り方や楽しみ方しかできないのです。理解にしても同じです。(普通の日本人と)少し話せば、誤魔化していても直にバレてしまう…。

日本にいて、ここでそれなりの働き方をしたいと思うならば、いろいろな事を知っておいた方がいい。特に社会面のことは。日本にいるから日本語さえできればどうにかなるというものではないのです。結局、どうにもならないことが増えてくる。「どうにかなる」というのは、一応、ある程度の教育が普及している国から来ている人たちにしか言えないセリフなのです。

日本では、学校教育のみならず、テレビでも教育番組というのがありますし(思想教育というのはないので、ある思想以外のものはだめというのもない)、ドキュメンタリー番組も充実していると思います。そういうのさえチェックしていれば、ある程度の深みを持った知識を得ることができる…と、まあ、そう思っているのですが。

ただ、書物から得られる…という人もいるかもしれませんが、彼等には、まだ、ちょっと無理です。かなりの語学力と知力を要しますから。それよりも、結局は、「百聞は一見に如かず」なのです。

昨日の彼等の様子を見て、少しずつ足りない部分の知識を増やしていこうと思っています。「Aクラス」のだいたいは「N2」レベルには来ているし、今、勉強しているのは「N1」レベルのもの。知識がないから読み取れないと言う部分が少しずつ増していくことですし…。

まあ、今のところ、そう考えているのですが…。

日々是好日
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面接なんて、やれば難しいし、その都度後悔が残るもの。かといって、やらねば、人は選べない。

2019-12-12 13:28:37 | 日本語学校

晴れ。

きれいな青空です。昨日は、家に着くとすぐに、ザァーザァーという音が…。まさかと思いながらも、カーテンを開けて覗いてみると、雨…、なんと雨。雨が降る予定(?)だったっけ…。さすがに、その夕の、天気予報のおじさん、お姉さん、お兄さんが、謝っていました…。しかし、こればっかりはね。仕方のないことです。お天道様ならぬお天気様は気まぐれですもの。しかも昨今の気象は、予測不能状態とも言えますし。例年では…が通用しない事態となっています。

さて、それと同じように、大学を受けた三人のうち、二人が不合格になりました。二人とも器用な方とは、お世辞にも言えませんが、真面目でコツコツ型で、悪いことは絶対にできない、しないというタイプ。専門学校の二年間という学習期間よりも、やはり、四年制の方が向いている…と思い、大学を勧めた、で、受けたのですが。

懸命に書き、覚えた作文も、少々テーマが違っていたと見えて、そのまま書けばいいものを、その場で、また考えた。真面目なんでしょうね。で、時間が足りなくなった…。

面接も、一人は練習段階で、なんと名前まで言えなかった。緊張しいなんです。もう一人も、判っているはずの言葉が、こういう状態では聞き取れなくなると見えて、「先生、もう一度」なんて言っていた。

学力が足りないわけではないし、努力をしない方でもない。「非漢字圏」出身で、7月には「N3」に合格し、12月には「N2」を受け、今は「N1」文法をし、「N1」漢字のテスト(構内でしている週一のものです)も受け、毎回合格している。

ただ、アルバイトが工場であり、日本人と話す機会が少ないという点だけが不安と言えば不安であった。しかしながら、これまでも、「漢字圏」ではなく、「非漢字圏」で頑張っているというのを汲んでいただいて、それなりに、頑張っている者は入れていただいていた…のですけれども。

やはり、責任のある人が変わると、その、人を見るのがだんだんに難しくなっていくのかなという感じを抱かざるを得ないような気がする…。。

「この大学で勉強したいのなら、そして頑張れるなら、どんどん来い。来たら、責任を持って鍛えてやる」と言える人がいないのかも…。

また、「最近はこういう学生が増えてきた。一度彼等の母国を見ておきたい」と途上国にまで行ってみようという人もいないのかも…。

どこの世界でもそうですが、人を見るというのは難しい。どうしても、安易な方に偏りがち。つまり、自分の分野で人を計ってしまうのです。わかるところだけで見てしまう。

日本人同士でも難しい。上の学生と下の学生は、すぐに決められます。しかしながら、中間層というのは難しい。「意欲を買う」と口では言えても、それが見られるかというと、「言うは易く行うは難し」となる。本当に難しい。

口先だけでの人も山ほどいるし…。これは、自分が実際にベトナムなどへ行って体で感じたことなのですが。で、結果。不器用でも、明るい人、日本が好きな人を選びたい…と、だんだんそのようになってきていました。

変に、国で頭がいいと見做されていた人は、却って扱いにくいのです。そういう人は直接、大学同士の交換留学という形で遣ってもらえばいいのですが、ときどき、直接、日本語学校に来たりすることがあるのです。

向こう側(連れてきた身内や知り合い)では、いい大学に入っているし(または出ているし)ということで、自信満々で連れ来る。学生の方にしても、日本語なんてチョロいと考えてきている。で、来て『みんなの日本語』なんて、単語はすぐに覚えられるし、文法なんて、子供だましだし、馬鹿らしくてやっていられないくらいの気分になってしまう。

ところが、そうやって高を括っている間に、漢字の勉強が始まり、「N5」「N4」「N3」と進み、漢字テストを繰り返しているうちに、その時だけバパッと練習して、パパッと覚えて、サッサッと書いて、合格して、「ああ、終わった。軽いもんだ」で終わっていた人は、試験が終わると同時に忘れていますから、まず文章が読めない…。これも、「中級」レベルであったら、教師が読んでいるのを聞いていれば、それなりに、その時はやり過ごせます。ところが、「N2」レベルに入ってしまうと、…もうだめですね。それでは通用しません。

文章が読めなければ、読解の授業を受けても、何が何だかわからない。それでもインド圏の学生は聞いていれば、答えられるはずと答えようとする。その都度、「よく読め」と言われるのですが、耳に頼った学習法で育ってきている人たちですから、「見る(読む)」ができない。「N2」や「N1」レベルの長文は、聞いて「指示語」の指すところが答えられるかというと、それは無理。単語で躓き、読みで躓き、文法で躓きしてしまえば、こんなはずじゃなかったとなる。

「N3」くらいで気がついていればねえというところなのですが、難しいですね。

だから、私達は多少不器用で時間がかかっても、真面目でコツコツしてくれる人の方が好きなのです。その上、日本びいきであったら、尚よい。

もちろん、頭がよくて、器用で、という人でも、コツコツできる人はいます。確かにそういう学生はいました。けれども、少ないですね。やはり、漢字圏の学生は、「N2」や「N1」の試験の前には、別に取り出して、読解の対策というのをしなければならない時の方が多かったですね。

専門学校では、今の日本語のレベルを見る。しかし、大学では日本語分野に限らず、その人の将来性を見る。そういうふうに学生には言ってきました。頑張れる人、多少不器用でも、(その学問が)好きで頑張れる人、大学にはそういう学生が向いていると言ってきました。

中国人であったら、勉強する気がない人でも合格させている大学もあるとか。今は、前は「非漢字圏」の学生が多く行っていたような大学にも、そういう中国人学生が押し寄せているようで、今こそ、大学の「見る目」が問われているような気がするのですが…、これは負け犬の遠吠えですかしらん。

日々是好日
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「滝が好き。滝に神様がいる?」

2019-12-11 08:49:22 | 日本語学校

晴れ。

家を出る頃には、柔らかな青にうっすらと雲がかかっている程度でしたが、今はもう、その青に墨色が混ざっているような、そんな感じになっています。天気予報では、「晴れ、のち曇り」とのことでしたから、多分、そうなるのでしょうね。気温は10度から14度と出ていました。今日もそれほど寒くはないようです。

さて、学校です。

先日、面接の練習をしていて、「日本に来て一番嬉しかった(楽しかった)ことは、なに?それはいつ?」と、訊いた時のこと。ネパールの学生が、「日光で滝を見た時」と言い、しっかり「華厳の滝」という名前まで覚えていました。その時は、「へえ」くらいのものでしたが、何日か後の授業の時、他のネパール人学生に(それを)訊くと、彼は「滝が好きなんだ」。そうか、滝が好きなのか…。

例の学生、その時、「日本人は、滝を神様と見る?」と訊くので、「見る」と答え、「ネパールでも?」と訊くと「ネパールでも(そう見る)」。そこで何人かのネパール人学生から突っ込みが入ります(もちろん、ネパール語で)。ひとしきり言い合ってから、私を見て「先生、ねえ、ある」。多分、他の学生から、「ない」とか言われたのでしょう。それを聞いた他の学生が、また彼に何やら言うと、そちらを見ずに、こちらを見て「ある。ある。先生、ある」と言う。

まあ、実際のところはわからないのですが、ヒンズー教にもたくさんの神様がいますから、その中には日本同様、森羅万象に神様がいるのでしょう。そうなりますと、当然のことながら、それぞれの滝にそれぞれ神様がいるということになるのでしょう。まあ、神とまではいかなくとも、信仰の対象くらいにはなっているのでしょう。

で、ついでに「ギアナ高原」の「エンジェルフォール」のことを話してみました。1000メートルほどの落差があるという記憶と、流れ落ちた先が滝壺にならないという記憶くらいしかなかったのですが、それを言ってみますと、途端に、他の国の学生までが興味を持ち始めます。

すばしこいのが、早速スマホで調べ、滝の姿を皆に見せてやります。折悪しくその写真では上部から中部までは映っていたのですが、肝腎のところが森の木々の中に隠れてしまい、はっきりと見えません。中ほどのところまでは、まだ白い水の流れが太く見えていました。「先生、先がない」。「残念ですね」。彼等にしてみれば、その姿が消えているところが見たかったのでしょう。まだ皆でざわついています。

その時は、「探して、あったら、持ってくるから」で、ひとまず収め、授業に入ったのですが、どうも、この「滝好き」の若者はそれを覚えていたようですね。それから2,3日経ってからのこと。

DVDの用意をしていると、早速「先生、今日、滝?」と目をキラキラさせて近づいて来ます。

彼等が興味を持つものは何でも探して見せてやりたい…のですが、時間の関係で、そう何もかも見せてやるわけにはいきません。けれども、興味を持ってくれ、しかも見せると、集中して見てくれるのですから、これは探しがいがあります。

実は、なかなかこういう学生はいないのです。いても、クラスに、せいぜい一人か二人くらいのもので、授業としては成立しがたいのです。

スリランカ人学生が多かった時は、DVDになった途端、すぐに、隣と話すか、スマホで遊び始めたりする。勉強とは思えないのでしょう。「読めない」のも、読解力がないからという面も確かにありはするのでしょうが、知らないから意味がとれない部分もあるはず。そう思って、その理解の助けのために見せようと思うのですが、却ってこちらがイライラさせられてしまうのです。別に見なくてもいい、わざわざ探して、見せてやっても意味はない。それよりも、「単語を一つ覚えていろ」で済ました方が互いのため。そんな気にもなってしまいます。こんなことは無理強いしても詮ないことですもの。

次ぎに、多くやって来たベトナムの学生はもっと徹底していました。課外活動などにも参加しようとしない。来てもすぐ帰りたがる。彼等の村の生活で十分なら、なぜに日本に留学しに来たんだと言いたくもなる。もちろん、DVDを使って見せてやっても、寝るかしゃべるかするのですから、意味はない。DVDを見せ始めた途端、彼等にとっての「有意義な過ごし方」をしてしまい、少しも乗って来ない。

資質としては同じようなものなのでしょうし、ヒアリング力という一点からみれば、スリランカの学生の方が上です。しかし、知的好奇心という点から見ますと、ネパール人学生の方がずっと上になります。

まあ、そういう学生を選んできたということなのでしょうが。しかしながら、本当に勉強しようという、またしたいという、こういう学生と対していると、本当に楽だし、楽しい。二重の「楽」です。

教材の準備が全く「無駄」にならないのです。それどころか、「プラス」に働いてくれますから、勢い、こちらも、イソイソと準備するということになる。

ただ、これも、今年の二年生で終わりかなという気がします。今年の一年生は、どうしてでしょうね、ネパール人はほとんど許可が出ていないのです。出ているのはベトナム人学生ばかり。ということは、おそらく、また時計は反対方向に進むということになるのでしょうね。彼等も、こういうのには興味を見せません。どういう教育を受けてきたのかなあと思わされるのですが、不思議です。

まあ、せいぜい、知的好奇心を明確に見せてくれる、ネパール人学生がいる今を大切にしましょう。こちらとしても、そう考えるより他ないわけですから。

日々是好日
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受験シーズンが終わり…いえ、一段落し、ちょっとクラスが落ち着いてきました。

2019-12-10 08:48:00 | 日本語学校

曇り。

早朝の雨がやみ、だんだん雲が切れ、青空が広がり始めています。

今朝は昨日のように凍えることもなく、まずまずの気温(8度と出ていました)で、しかも風がない。雨の後のしっとりとした、清々しさまで感じられましたから、まあ、いい気分で自転車を漕いで参りました。

いつの間にか、学校の「サザンカ(山茶花)」の花がいくつも咲いていました。これは「ツバキ(椿)」と言うのだそうですが、どう見ても、また季節から見ても、「サザンカ」であるような気がするのです。「ツバキ」はまだ早い…でも、早咲きと言うこともある…。

学校の二年生クラスでは、今、最後の大学組の試験も終わり、「ホッとしている組」と「落ち着かない組」とに分かれています。もっとも、10月くらいから始まっていますから、疾うに合格していた人たちは、対岸の火事みたいな気分で、落ち着かない人たちを見ているのかもしれませんね。軽く、自信なさげな人たちに「大丈夫だよ」なんて声をかけていましたから。

喉元過ぎれば熱さを忘るというヤツですね。自分たちだって、結果が来るまで落ち着かなかったくせに…。

まあ、これは、二年生の話。

一年生は、まだ12月1日の「日本語能力試験」の結果のことで時折ザワザワときています。曰く、「『聴解』が難しかった。速くて全然聞き取れなかった」。ところが、これが二年生で、先の7月に失敗していた人たちに言わせてみると、「『聴解』は大丈夫。あまりにゆっくりすぎて眠くなってしまった」となるのですから、無駄に一年を過ごしてきたわけではなかったようですね。

「試験」を受けるには、やはり「受験用の勉強」をした方がいい。アルバイト先などで、「上手だね」とか何とか言われて、その気になっていた一年生にはいい薬になったかもしれません。学校で勉強するような単語は、アルバイトの時なんかにはあまり使われませんもの。アルバイトであったら、せいぜい『初級』単語ですね。それさえ判っていれば、あとは「何となく」でもやれます。だって、同じ言葉ばかり聞いているのですから。

それが、ジワッとわかりかけて来たのが、一年生の一部でしょう。まだ全部とは言えません。

今、一年生(今年の4月生)一クラスと、二年生(昨年の4月生)二クラスを、教えているのですが、差は「ヒアリング」だけではありません。「読解」でもかなり出てきています。もとより、同じ二年生であっても、「読解」が苦手という人たちもいます。この「読解」なんてのは、ある程度、母国でそういう教育を受けていれば、それほど困ることはないような気がするのですが、まず「指示語」が何を指しているかが掴めないから、どんどん中身もこんがらがってきます。同じ二年生でも「Aクラス」では、非漢字圏の人たちでも、それほど「指示語」で困ることはなくなっているのですが、やはり「読解」が苦手という人たちが多いクラスだと、そこで固まってしまい、次へ進めなくなってしまいます。

「言う」という動詞ひとつにしても、「だれが」を訊いたり、「誰に」と訊いたりすると、糸はますます縺れてきます。「ここに出てくるのは誰?」。「○○と△△」。「二人だけだったら、○○じゃなかったら、△△でしょ」などと言わねばそこでストップしてしまい、先へ進まなくなってしまうことがたびたび生じてしまいます。

面白いのは、「指示語」を聞かれると、途端に、その付近の文を読み始める人のいること。全く違う箇所であったり、あるいは、人を訊いているのに、人ではないものの説明部分を堂々と読み始めたりするのですから、驚きです。けれども、彼女にしてみれば、普通のことなのでしょう。

これは、『中級』に入ってからずっと注意し続けているのですが、改まらない。本当に彼女がそう考えた結果であるのか、どこか読んでいれば、皆に認められてきたからなのか、それはわかりませんが、その都度、無関係な場所を選んで、読めるのですから大したものです。いくら注意されても、へこたれない。あっぱれを通り越して、何とやら。

もちろん、どのクラスでも、比較的正しい答えを出せる人はいます。間違えていても、こちらの許容範囲以内であれば、正しく導いていけば済むこと。ところが、他の誰かがきっぱりといかにもこれが正しいという風に大きな声で読みあげ出すと、途端にその声(正しい答え)が消えてしまうのです。

彼女が読み上げる箇所で正しかった時はほとんどないのに。それがわかっていればこの人が答えた箇所が違うと言うことくらいわかりそうなものだのにと思うのですが、そうはならないのですね。

これはなんでしょうね。民族によるのか、宗教によるのかわかりませんが。

言う度に間違えていて注意されていれば、本人も嫌気が差してくると思うのですが、応えませんねえ。まあ、同じことを繰り返すしかないのでしょう。考えて言っているとは思えないのですが。

日々是好日
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今日、「紅葉狩り」に行ってきます。

2019-12-03 08:02:14 | 日本語学校
晴れ。

昨日は大雨でした。本来ならば、月曜日(昨日)、「紅葉狩り」で、「明治神宮外苑」と「小石川後楽園」へ行くはずでした。が、結局、延期となり、で、晴れの今日、行くことに。

「午前のクラス」は、活動時間が同じということで、それほどの問題はないでしょうが、困ったのは、「午後のクラス」。いざとなれば、教員を二手に分け、午前、午後と二回にするかなどとも話していたのですが、昨日、来た午後の学生達に訊くと、「いや、朝がいい」と言うのです。一人が「『午前のクラス』は、朝、行くのでしょう」とか訊いてきたので、おそらく、いつも午後自分たちだけというのは嫌なのでしょう。皆と一緒ということは、以前同じクラスだった人や、同国人で朝のクラスの人たちとも会えるということ。これも、課外活動の楽しみであったらしい。

ということで、今日、8時45分、行徳駅に集合し、それから皆で、「黄葉」と「紅葉」を見に行って参ります。

ところで、昨日のことです。

7時前から、シコシコと皆に「今日(月曜日)、紅葉狩りに行きません。学校で勉強します」とメールを送り(なにせ、こちらのその方面の技術がないものですから、一人ずつに送ります)、指が疲れた頃に、他の教員達がやって来たのですが、本当にこういう機器を使いこなせないと、何事によらず時間がかかります。でも、前のケータイであったら、一斉に送ることができていたんですよね。社会の変化が早すぎる…。

でも、この頃、時折、陽が射していましたから、「今日は行きません云々」がどうも現実味を帯びていなかったのですが、メールを見た学生が、三々五々とやって来た頃には、もう、雨でしたね。

それから、ザァーと来ました。バケツをひっくり返したような雨が続き、…もう12月というのに、こは如何に…?

「Aクラス」などは、2年目ですから、「天気予報」を見なくてはならないということを知っています。ですから、来る時に降っていなくても、傘の用意、合羽の用意というのはしていたようですが、今年の4月生、10月生たちはそこまで気が回りません。授業中も雨が気になっていたようです。…傘がない。

で、「Aクラス」です。席に着くなり、「昨日は難しかった」。「日本語能力試験」についての話が始まります。

どうも「N1」も「N2」も「7月」の時より、かなり難しかったようで、特に彼等が得意としていたはずの「聴解」で、「全滅だ」。打ちひしがれたように、「難しかった」と「N1」組も「N2」組も言います。

「全然知らない単語が出てきた」「もうだめだ」「ねっ。一緒に来年も『N2』を受けよう」。まあ、試験にせよ、試合にせよ、人事を尽くしても、運という厄介なヤツの機嫌というヤツがある。頑張ったからうまく行くとは限らない。もちろん、頑張らなければ始まらないけれども。…というわけで、しばらく、だんだんに愚痴になっていく彼等の話を聞いていました。

どうも、私が送ったメールを見ずに、アルバイト先から直接駅へ向かった者もいたようでした。しかも、見ても、勉強道具を持って(アルバイトに)行かなかったので、慌てて家に取りに帰って、それから来た者もいて、皆が揃うまでに、少々時間がかかりました。それで、揃うまでと、「『しまなみ海道』を自転車で行く」、そういう旅行のDVDを見せてやりました。このクラスはネパール人が多いので、海に対してはかなりの思い入れがあります。「潮風」の感じとか、特に「海の匂い」などはなかなか口では伝えられません。

では、海が近いベトナム人はどうかと言いますと、「海は怖いです。泳げません」と男子学生にきっぱりと言われてしまいました。まあ、そういうものなのでしょう。わからないけれども。

皆が揃ったのを見て授業に入ります。ちょっと驚いたのですが、読むのが上手になっていたのです。漢字の読みに躓いたり、ひらがな続きの文で、どこで切ったらいいかと彷徨ったりがあまり見られなかったのです。それなりに「進化は遂げている」のに、却ってこちらの方が、変な戸惑いを感じてしまいました。

不合格でも、この分で後3か月ほど頑張っていれば、進学してもそれほど恥ずかしいことはないでしょう。

まずまずです。

日々是好日
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