曇り。
夜には、雨になるそうな。
温暖化の影響でしょうか、冬なのに、雨の日が多いというのは。冬はすっきりと晴れていて、電車から富士山の姿がくっきりと見えるというのが、定番だったような気がするのですが。春と同じように、幾重もの雲や霧に霞んでしまって、なかなか富士山の姿を見ることができません。別に、特別、探して見ようとするわけではないのですが、目に入れば、「『めっけもん』見いつけた!」という気になって、ホッとするのです。
さて、学校です。
19日に「ディズニー・シー」に行った後、学生達は冬休みに入りました。それでも、まだ進学先が決まっていない学生は、休むわけにはいかず、毎日学校に来ています。日本語のレベルがそれほどなかった学生達は、早めに彼等を受け入れてくれるような専門学校を探し、それ相応の準備をし、合格していますから、悩みはないのですが…。
困っているのは、「N3」と「N2」の境目にあるような「非漢字圏」の学生で、大學を目指している者たちです。
もちろん、それくらいのレベルの学生でも、「四年は長い、二年の専門学校で十分」という者も少なくありません。彼等は、一発で専門学校を決め、悩みはないようです。だいたい、かなりレベルを落としての受験ですから、問題はないのです。私達も、初めの頃は、大学受験を勧めはするのですが、各人それぞれ事情があり、背負っているものも違い、ある程度以上は踏み込めません。残念は残念ですが、本人は合格して、すっきりした表情でいますから、私達にも不満はありません。
こういうときは、いつも、日本人的な感覚で彼等を責めてはいけないなあと思います。私達にしてみれば、外国人で日本で就職したければ、そしてそれなりの能力があれば、やはり大学に行った方がいい…。2年間と4年間とでは、学べるものが違う…。
日本では、…彼等の国と比べればですが、情報が至る所に溢れていると言ってもよく、いろいろな話をしていく度に、また折に触れDVDなどを見せていく度に、彼等の知識の狭さ、浅さ、考えの浅さを感じるのです(そう言っている私にしてからが、大したものではないので、これは非常に大きい)。時間があれば、あれも見せてやりたい、これも教えてやりたいと思うものの、こういう段階に入れるには、日本語がある程度聞き取れなければなりません。
中国人学生の時には、「漢字」が助けてくれました。教師に力量がなくても、彼等の持つ「漢字の知識」で、ごまかせたのです。ところが、「非漢字圏」の学生にはそういう甘え(教師の側)は通じません。ですから、学生が、ある程度漢字を読めるようになっていなければなりませんし、聞き取れていなければならないのです。
それができるようになるのは、だいたい、12月の「日本語能力試験」が終わった頃でしょうか。「受験」したのは、「N2」であっても、授業では「N1」のものをしている段階です。漢字テストでも、クラスの三分の一は「N1」に入っている頃です。
もっとも、12月には、「ディズニー・シー」か、「ディズニーランド」へ行くと言うことで、「ウォルト・ディズニー」の人生を伝えたり、「ディズニー・リゾート」の説明をしたり、映画を見せたりしなければなりませんから、そういう遑はありません。
で、正規に始めるのは、1月に入ってからとなります。やっとこういう「授業」ができるようになったと思っても、あっという間に卒業です。やっと日本語がわかるようになってこれからという時に、出て行かれるわけですから、辛いと言えば辛い。
結局、日本語の授業で終始してしまったなあという後悔しかありません。もっと幅広く、深くできれば…と思うのですが、(日本語学校で学ぶ)限度が2年間ですから、それも叶いません。そのためには、いろいろな意味で、それ以後、4年間は必要だと思うのです。
専門学校に入れても、一年目はともかく二年目にはすぐに就職活動をしなければなりません。時間は短いのです。…学生達はそれほどのこととは思っていないようですが、中には人材であると思われる人もいるのです。そういう人は大学に行って学んだ方が後々のためになる…、もちろん、こういう私達の気持ちはなかなか彼等には通じません。22、3才で日本に来ていますと、日本語学校で二年、専門学校で二年ですから、26、7才になっています。
理由を聞くと、「先生、日本と違って、私達の国では60才くらいで死んでしまう。のんびりはできないのだ」と言われてしまいました。だから、早く働いて、…となるのだと。
悲しいですけれども、これも現実です。
以前、バングラデシュの人(以前、企業から頼まれて、この学校で「三級」まで学んだことがありました)が、40代後半で国に帰るという話を聞いたことがありました。その話を伝えた学生が「先生、もうその年は、バングラデシュでは晩年です」と言っていたのです。
日々是好日