日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今日、学生達は「未来館」見学へ行きました。

2024-02-29 09:45:23 | 日本語学校
曇り。

さっきまで、時折、陽が差していたのですが、もう雲が厚くなっています。夜には雨が降るとのこと。

今日、学生達は、「未来館」へ行きます。少しずつ、日本で、いろいろなものを見て、少しずつ日本を理解していってほしいような人達が、一年生には、少なからずいます。

以前、来日後一度も病気になったことがないという人が、旧保健所(もう新しく建てられましたが)へ行った時、「日本の病院は大きい」と驚いたことがありましたっけ。それほど、国によっては、地域によって差がある場合があるのです。

ネパールから来た女性が、以前、「自分はカトマンズで育ったけれども、自分のふるさとの人は車も見たことがない」…そういう人もいるでしょうね。険しい山々が続き、車で進むことができないような所であれば、動物の背に揺られて行くか、自分で歩いて行くかするしかないでしょうから。

その意味でも、「博物館」や「科学館」、「美術館」というのは、優れものなのです。ただ、そうは言いましても、ある程度の知識は必要ですし、それに根ざした好奇心も必要になってきます。「見た。でも、何のことかわからなかった」で終わってしまうのは、もったいない。もちろん、それでも見せておいた方がいいのです。ずっと日本にいるのなら、その経験が生きないとは限りませんから。

「バス旅行で、何が一番楽しかった?」…こう訊くと、大抵「バスの中でのおしゃべり」と答える人達。いくらそれにガックリきても、またそれに慣れてしまっていても、やはり見るべき物は見せておいた方がいい。今は、学校の勉強とアルバイトで楽しいことなんてそんなにないでしょうから。彼らにとって「課外活動」というのは、本当に、稀にある息抜きなのです。毎年のように、課外活動に行った翌日に、「次はいつ?」「どこに行くの?」と聞きにくる人がいるほどなのですから。

さて、昨日、スーパーの横の道を歩いていた時、突如、「キーッ」という鋭い鳴き声が聞こえて、「おっ」とびっくり。文字にすると同じようなものなのだけれども、聞き慣れた「ヒヨドリ」の「キーッ」ではない。別の「鳥の声」のような気がする。傍らの「ツバキ」の樹からであろうと、様子を探ってみたのですが、姿が確認できませんでした。どうもすっきりしないまま、立ち去ろうとすると、また「キーッ」が追いかけてきます。一体、何なんだろう…。

それから、いつものように、公園の中を歩いて来たのですが、昨日はやけに小鳥が多かった。目の前をチョンチョンと跳んでいたのは「ハクセキレイ」、「スズメ」の集団の中に二羽ほどがいて、飛ぶでなく、跳んでいる。見ていると、手こそないものの、縄跳びをしながら進んでいるみたい。これに驚いた「スズメ」が道を譲って、チョンチョン。大風のあとだったので、何か落ちていたのでしょうか。

そして、今日も、「セキレイ」は来ていました。この公園がお気に召したのかしらん。

ところで、「未来館」という課外活動のことなのですが、昨日、「Eクラス」の一人に、「来るのは学校?」と尋ねられ、「はっ」。そういえば、彼女は11月の中旬から来始めたので、こういう活動は初めて。で、「クラス」の皆にも、もしもということがありますから、教室で、「明日は、駅に来てください。学校じゃありませんからね」と確認しました。

以前、「連休」の最初の日に学校に来た人もいましたし、「台風」などで、「休校」になった時も、自転車を漕いで、大風と闘いながら来た人もいましたっけ。とはいえ、もうすぐ『みんなの日本語(Ⅱ)』が終わるくらいの「日本語」のレベルになっていますから、いちいち、カレンダーのその日を指さし、「駅です」なんている必要はないでしょう。それに、その反対に、確認の電話を入れてくる人もいるくらいですから。

九時になっても、連絡がないところを見ると、皆、無事に集合できて、出発できたのでしょう。一時頃に解散するとのことでしたから、行徳に戻ってくるのは、二時頃になるでしょう。大学入試を控えている人が一人いますから、戻ってきてから、最後の面接練習をすることになっています。

日々是好日
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「同国人であるが故の、不自由さ」を見ることがある。

2024-02-28 08:28:47 | 日本語学校
晴れ。

まだ風が強い…とはいえ、昨日のようなことはありません。直に収まるでしょう。

さて、学生達。

「N2」か「N1」レベルに、クラスがなってくると、もう外国人用の普通の教科書は卒業という感じになりますから、教材が「時事問題(世界)」や「日本文化」などに移ってきます。外国人用の普通の教科書を用いていても、話をそちらの方に振っていかないと、ここを卒業してからは日本人、つまり日本社会に入っていくわけですから、困ることになります。

「時事問題」に無関心か、無関心を装うことに長けている(習慣になっている)人達もいれば、「知りたい」と好奇心を剥き出しにしている人もいる。国によってこうも違うのかと思われるほど…。実を言いますと、面白がっていられたのは初めの頃だけ。今は本当に煩わしいのです。

「クラス」の皆が、そういうのに興味をもたなければ、授業としては成立しませんから、最初は「文化」という当たり障りのないものを小出しにする。その合間合間に、「時事」を入れていくという戦略をとるしかないのです。少しずつ、やってもいいかなと思えたら、よ~しと入れてみる。本当に、この作業、手間取る。で、大半(の年度)は時間が来て、「はい、これまでよ」と言うことになる。

こういう無関心を装う人達に限って、自分の国のことに関しては、やけに主張したりする。自分の意見ではなく、政府の意見でしょうが。

とはいえ、こういうくびきがほどけると、案外、面白い「発展」を見せてくれる場合もあるので、これが止められない。しかしながら、これが本当に手こずる。何せ、ここへ来るまで二十数年間をその、ある意味、「ぬるま湯」の中で過ごしてきているのですから。

そう思っても、我々と彼らとの「差」というのは、(最初は知らなくても)求めればそういう資料が、簡単に見られるか(探せるか)どうかということだけなのかもしれません。案外、些細なこと。

以前、内モンゴルから来た学生が、「(中国の大学では)私はだめだった(どういう意味だろう?)。反対に、彼女の方は先生達にいつも褒められていた」と何かの調子に言ったことがありました。

私たちから見れば、彼はいろいろと「考える(悩む)」方で、彼女の方はというと、あまり考えない…。つまり、上の人(?)から「これを覚えろ」とか、「これはこうに決まっている」と言われれば、それを絶対のものとすぐ考えてしまう…という素直な人。…だから、褒められるのか。

彼の方はというと、「祖父や父が一生懸命に植えて育てていた木々のある庭が、ある日、わずかな金で、政府に取り上げられた。数年後、こっそり見に行くと、木々のあった所が穴だらけになって無惨な状態になっていた…」おそらくこれも、彼の国ではよくあることなのでしょう。それに「茫然とし、悲しみを覚える」か、「政府が『やれ』と言ったからやったまでのこと」と、上から目線で言えるか…。

歴史を奪われれば、人は自尊心をなくしてしまう…土地と歴史は結びついていますから。もっとも、これは一例。歴史にもいろいろなタイプがありますから。

この学校に来ている学生達の中には、同じ国であるがゆえに自由が失われてしまうということもありました。上から目線の人もいれば(つまり、無意識のうちにでしょうが、「上」の人達と自分を同一のものと考えてしまっている)、現実の中で、足掻いている人もいたのです。

ある程度のことは、「知識」として心得ていても、実際のところはわからないと言うことがよくあります。南アジアのこともその一つ。あまりよくわからないのです。だから、初めの頃は、当たり障りのないところ、ウジウジと対処するしかなかった。けれども、見ているうちに、だんだん不愉快になってきたのです。自分たちには関係ないのですが、不愉快が体調にまで及んできたのです。それがきっかけで、「日本のやり方」を、ここでは通すようになったのです。不愉快でした。国での「身分」を、ここ(日本)にまで持ってくるな。

インドだけではないのです。以前、在日の人が、職員室に飾られている、これまでの学生達の写真と名前を見て、「どうしてこういう人を留学させたのか。私なら、入れない」と言ったことがありました。当時は、ネパールに関する知識も見聞も大してありませんでしたから、「へっ?」だけだったのですが、それから幾度かネパールに行ったり、調べたりしているうちに、インド人に感じたような不愉快さを、そういう発言に感じるようになりました。

もちろん、日本にも、それと同じようなことがないわけではありません。確かにある。しかし、彼らの国のような「露骨さ」はないのです。いけないことを言っている、そう言うような感覚といった方がいいのでしょうか。しかしながら、彼らは、まるでそれが正義であるかのように主張するのですから、とんでもない。「ここは日本だ。その人個人を見て!」です。

この学校では、そういうのを、断ち切った立場から、私たちは彼ら(学生達)を見ているし、学生同士でもそうあってほしいと思っています。同国人であっても、ここ(この学校のみならず、日本)にいる限り、そんなのは「どっかにいっちまえ」なのです。

今年の4月生達も、そう。この学校では、皆を「個人」として見、「勉強する」かどうか、「努力する」かどうか、「自立」できているかどうか、などくらいしか見ませんから、国での尾っぽは捨ててきてください。捨てて来た方が無難に生きられます、日本では。

日々是好日
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今週の金曜日、「ひな人形」を作ります。 それで、思い出したこと。

2024-02-27 08:10:50 | 日本語学校

晴れ。風強し。

昨夜は強い風でした。昨日、昼過ぎ頃から、「すごい風だよ」ということで、覚悟はしていたのですが、いやあ、すごかったですね。夜中に目が覚めたくらいでしたから…と、過去形にならないところがまた怖い。

今朝も、かなり強い風。熱が持って行かれそう…。学校に着いて、まずはホッ。席について、あれ?寒くない…。風さえなければ、そう寒くはなかったのだということを、改めて感じてしまいました。

自転車で来る学生達が大変なのはもちろん、歩いてくる人達も、大変でしょうね。ただ学校そばの公園の砂が巻き上げられていなかったのは、先日降った雨のおかげかもしれません。春先はこの砂に悩まされるのが常なのですが。

さて、学校です。

今週は行事に振り回されそうです。木曜日は、「未来館」へ行き、金曜日の午後は、「C・D・Eクラス」合同で 「雛人形作り」。

もちろん、これは「色紙」で作り、台紙に貼るというもの。簡単そうに見えて、作ってみると、なかなかそう簡単ではなさそうで、特に顔や髪型には時間がかかる…。こんなことしたことがない…という人が多いからかもしれません。

ただ、これは、日本人の「男女の色分け」というのものが、いわゆる「偏見」であるというのがよくわかるという意味で、本当に面白い。

彼らが選ぶ「紙の色(服)」や、顔、髪型などを見て、思わず「これは男でしょ」と驚いたり、「えっ。この色が女???」だったり。

「男雛」、「女雛」と並んでいるので、わかりやすいのです。いつでしたか、留学生の出身国が、10を超えた頃からそれを強く感じることが増えました。学生同士でもそれを言い合ったりしていましたから、互いに「???」という発見もあったのでしょう。

顔も違えば、着せる色も違う。最近は髪型も面白くなってきた。自国の伝統的なものになるのは、「服の色」くらいでしょうか。髪型はかなり近代的というか、ゲームやアニメの影響を感じさせられるものが多くなっています。ただ、顔はそれぞれの「民族的な」ものですね。日本人であったら…が通じないのです。それが面白い。伝統的な「美男美女」というのが皆違う。モデルのような現代の「美男美女」でないところが、もっと面白い。

日本人も大人であったら、「男雛はこう。女雛はこう」とそんな顔を描いてしまうのでしょう。なんと言っても、伝統は強い。先入観で書いてしまうのです。つまり、現代風のきれいな顔ではなく、「引目鉤鼻」にしたりする。幼稚園さんであったら、自分がなりたいような顔を描くでしょうけれども。

それが、こういう異国から来た人達には、日本人のような「雛人形に対する思い」なんてのは別にありませんから、自分がきれいと思う顔であったり、かっこいいと思う髪型であったりする。それが結構面白い。最初の頃は驚いていた私たちですが、今ではどんな顔を描き、どんな髪型にし、どんな色の服を着せるのか楽しみになっています。

そういえば、この「お雛様」作り、彼らが卒業してからの、日本での仕事の役にも立っているようで、こんな話を聞いたことがありました。この学校を卒業してから専門学校に行き、それから日本のホテルに就職したという人だったのですが、ある時、旅館の飾り付けを考えるように言われ、記念に持っていた自分の作った「雛飾り」も、その横に飾ったのだそうです。

ホテルの人にもお客さんにも「褒められた」そうで、この学校での活動が彼女の仕事にも役立っていることを知って、私らも、なんだかうれしくなってしまいました。おそらく彼女にしても、学校で雛飾りを作っている時には、ただ面白いだけでしたろうが、その(仕事を始めた)時には知っていてよかった、作っていてよかったと思ったでしょうね。

特に、ホテルや旅館に来る人達にとっては外国人が日本の伝統的なものを作って、それを飾るというとはうれしいことですし、彼女にしても、お客さんとの話の接ぎ穂にもなったでしょう。

ということで、金曜日を楽しみにしています。

日々是好日
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それぞれの国情、知っているかな、知らない振りをしているだけかな…。

2024-02-26 08:15:48 | 日本語学校

曇り。

今は曇っていますが、直に晴れるでしょう。雲のわずかな切れ間から少し青空が覗いているような…。

今朝、「ジンチョウゲ」の香り、芳しい香りがすると思ったら、学校の小さな鉢植えの「ジンチョウゲ」の花が満開になっていました。「ウメ」の花が香りで負けるのも宜なるかな。花数で負けていますもの。

昨日の雨で、公園に水たまりがいくつもできていました。これを避けながら歩くのは難儀。で、今朝は三角形の2辺を歩いてきました。小さい公園ですし、どちらであろうと歩数も大した差はない…のですが、どうしても、損をしているような気になってしまうのです。あっちの方が少なく歩けた…という気分がついて回るのです、学校に着いても。

今朝も赤信号で待っている時、空を見上げていました。これは日課ですね。変にそのまま歩けたりしますと、これも、損をしたような気分になってしまいますから困りもの。空を仰いで、「月」を見たり、「うっすらとした季節の雲」を見つけたり、どこか、ほっとする部分がないと、人間、行き詰まってしまうもののようです。自然は、ごく普通に、時を飛び越えて、重なり合ってくれますから、どこかしら幸せな気分になれるのでしょうね。

さて、学校です。

この学校の「留学生」や「在日生」達の、生まれ育った国は、それぞれ複雑な事情を抱え、日本にいるとはいえ、日々の生活の中で、それが垣間見られる…ということもあります。。政争の中で、にっちもさっちもいかなくなっていたり、内戦状態であったり、他国からの干渉で袋小路に追い込まれていたり…。何かの調子でひょっと出ることもあるのです。まあ、人によりますが。

だいたい、彼らがどの程度、母国の状態を知っているかは、聞かない限り、わからないことです。私たちの方でも、必要がなければ、聞かないようにしていることですし。彼らにしても、(国に関することを)知らない振りをしていたり、言おうとしない人もいますから。

それに、彼らの国では、噂などはあっても、マスコミがそれほど自由に何でも報道できるわけではないでしょうし。インターネットがいかに発達していようが、操作するのは人間なのですから、それに慣れていれば、不満を感じることもないでしょう。皆、そんなものだと思って…。

日本に来ても言うことは、トイレがきれいとか、ゴミが落ちていないとか、そんなことくらいです。

「インターネットの限界」というか、それの「闇」「恐るべき所」を私たちは毎日のようにアメリカを通して見ています。中国やロシアはあからさまですから、逆になんとも思わないのですが、自由の国であり、民主を標榜しているアメリカでさえ、この「インターネットの闇」に絡め取られているのですから、本当に恐ろしい。

「人間の心や、いわゆる精神」は「発達」できないのでしょうね。だから5万年前よりも進歩しているかというと、そんなことはない。「科学」を「使いこなせなくて」、簡単に「闇」の方にばかり向かってしまうことさえある。しかも本人は気づかなくて、同族で殺し合うのですから、恐ろしい。

科学が発展し、豊かで、多くの人がそれを享受できる国であればあるほど、その「闇」は、もしかしたら深いのかもしれません。人は「モノ」と同じようには「発展できない」ものですから。

昨年来た、一年生達も、今年の4月から、一応二年生となり、進学を考えなければならなくなります。

その時に、彼らの、国に対する気持ちを聞いたり、これからのことを聞いたりするのですが、これも案外に難しい。「私の国は大変」と言うのはよく言うところ。ただ、問い詰めていくと、その「大変」の意味するところは皆違う。そのあとに「(大変)だから…」がある人もいれば、ない人もいる。

単純に、「来られてよかった。私の友達は皆、大学に入ったけれども、まだ授業がない」という人もいれば、「日本はアルバイトができる。私の友達は、今、何もしていない。仕事がないから」という人もいます。そこで止まってしまう人もいないことはないのです。

まあ、やってみなければわからないことです。いつも、「進学を控えた指導」を始めてから、やっと彼らの気持ちや状態がわかったということも少なくないのです。それから、どう進めていくべきか考えていくわけですから、なんとも時間のかかることです。とはいえ、大学進学を目指している人には避けては通れない道。異国で彼らがどうしていきたいのかを考える時間でもあるのですから。

日々是好日
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道を通り過ぎる「ネコ」も、花に飛んでくる「ヒヨドリ」も私の味方。学生達を眠気から救ってくれています。

2024-02-22 08:01:31 | 日本語学校

小雨。

さて、「Eクラス(十月生)」も、いよいよ「中級」を視野に入られるような頃となりました。

感慨無量です。「N3」から「N2]や「N1」に上がる時よりも、「初級」が終わる時が一番ほっとするのです。

「ひらがな」「カタカナ」と共に、「あいさつ」やら「教室用語」やらを覚えた頃には、「まあ、こんなもんか」くらいの顔つきだった人たち(在日生)も、課が進んでいくと、だんだんに不安げな表情になり、「イ形容詞」「ナ形容詞」の活用練習では、…私には無理…無理じゃないのですけれども、無理と思ってしまう。それをどうにか乗り越えたと思ったら、先に、「動詞の『テ形』」が控えていた…。

ガーンとなった顔を見る度に、10課くらい前のページを開かせ、「このとき、大変だと思ったでしょう。でも、今は?」と、それを繰り返しながら、どうにか、『みんなの日本語Ⅱ』を終えようとしています。

中には「カタカナ」が大の苦手で、「カタカナ」が姿を現す度に、今でも「う~ん」と唸りながら、壁の「カタカナ」に救いを求めてしまう輩もいますし、「漢字」がなかなか進まず、いまだに「N5漢字」テストで、アップアップしている人もいます。いるにはいるのですが、教室の中は、まあ、明るいですね。こちらにいびられる人もだいたい決まってきていますから、周りもそれ(いびられそうな兆候)が出てくると、ワクワクしながらみています。もっとも、皆が余裕を持って見ているわけではなく、次はこっちに来るかと身構える人も、中にはいる。

まあ、一番笑うのは、本人であることが、なんとも情けないことなのですが。もう手の内は見透かされている…。

そういえば、卒業生が遊びに来た時に、「この先生は(私のこと)、最初は怖いと思うかもしれないが、実は怖くない」などと、のたもうていましたっけ。

まあ、授業中、笑いが絶えないのはいいこと。でなければ、長い授業、途中で飽きてしまう…。もちろん、それもわかります。それでも、休ませてなるものかと、こちらは授業しているのですが、受けさせられている相手はそうはいかない。とはいえ、道を通りすぎていく「ネコ」も、「ウメ」や「ツバキ」にやってくる鳥たちも、私の味方、授業に協力してくれますから、助かっています。時々夜勤で疲れたという学生もいるにはいるのですが、以前のように、「じゃあ、10分だけ寝てよし」とまで言わずに済んでいるのも、学生達の生活状況も変わってきたからなのかもしれません。

なにより、(アルバイトの)時給も上がっています。最初の頃は、日本語もたどたどしく、工場で働くしかなかった学生達も、今ではかなり話せるようになっていますから、捜すとしたら、コンビニかレストランなど。日本語が使える場所がいいのです。

留学生達に取って何より大切なのは、生活が安定していること。アルバイトがあって、生活にそれほどの不安がなければ、日本語を勉強するのも、日本で働くためという留学生達。頑張れるはずです。

日々是好日
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卒業前、最後の一ヶ月間に入れておくべきこと。…もとより、こちらの考え通りには参りませんが。

2024-02-20 08:18:06 | 日本語学校
曇り。

朝の空気は生暖かく、春の気だるさまで漂ってきそうです。予報では、朝の七時で、17度と出ていましたが、全くこれは堪らん…。一応、まだ二月なんですけれどもねと言いたくもなる。

とはいえ、今日の夕方から、だんだんと下がっていき、明日からの三日間は、また冬になるとか。最高気温が10度を切る日も出てきそうだと聞けば、ブルブルとなってしまいます。暖かさに慣れてしまうと、に寒さが堪えてきますね。学生達が体調を崩してしまうのもわかります。日本人だっておかしくなってしまいそうですもの。だいたい彼らは、日較差がほとんどないような国から来ているのですから。

この暖かさで、「ウメ」の花も満開になり、先から咲いていた「スイセン」の花も好調。あっちからもこっちからも馥郁としたいい香りが漂ってきます。あちこちの梅の木を渡り飛んで蜜を吸っている小鳥たちの姿も垣間見られ、まあ、春ですね。今日は久しぶりに、「ウメ」に飛びついている「メジロ」を見かけました。

そういえば、まだ蕾だと思っていた「ジンチョウゲ」の花。今朝、手まりのようなものが(花の集合体?)二つ、咲いていました。昨日はまだ蕾だと思っていたのに、この暖かさで背を押されたのでしょうか。

さて、学校です。

今、「A・Bクラス」では、世界史の高校教材『タペストリー』を参考に、少々説明を加えながら、映像を見せています。週三で、合間合間に他のものも入れながら、2,3週間、これを続けていくと言うことにしました。やっと落ち着いたという感じです。

だいたい「N2」か「N1」レベルのクラスでは、本来なら、「文学教材」か、特定の「専門知識を入れた教材」、あるいは「一般的なもの」などを入れた方がいいのです。単なる外国人向けの「日本語教材」では、飽き足らない人達も出てくるものなのです。もとより、こちらもそれに応じた準備なりをしておかなければなりませんが。

「文法」や「漢字」、「会話」などを学ぶのは、日本語学校にいる留学生として当然のことですが、彼ら(留学生)は、この学校にいられる期間が決まっているのです。それだけだと進学してからが、ちと辛い。日本語のレベルだけでなく、大学へ進む前にこれだけは知っておいた方がいいと思われるような知識の面での学習も、少々必要ですし、それがある程度わかるレベルになっているはず。もちろん、日本語のレベルが、それほど高くない場合は、論外ですが。

この(日本語の)レベルに至るまでの期間、彼らを教えていると、様々の場面で、知識面で困るようなことが、度々出てくるのです。国によってというか、知識面での偏りが甚だしいと思われることが少なくないのです。おそらく日本もそういう傾向はあるのでしょうが。それにしても、日本で暮らしていくということになると、その部分が白紙というのは…、大変なことも出てくるのではないでしょうか。日本での就職を目指している人達が大半ですので、偏りはともかく、日本人が大体知っているようなことは、少しでも知っておいた方がいい。大雑把でも知っておいた方がいいのです。

そうは言いましても、こういうものだけではなく、この頃には(日本語の勉強の他に)、いろいろ見たいもの、知りたいものも出て来るようです。「旅行が好きなので、日本の『名所旧跡』を見たい」、「『歌舞伎』や『新幹線』、『和食』のことを知りたい」。あるいは、「『旅館』とは如何なるものや」、「日本の武術を知りたい」、「日本の車」、「科学技術」を見たい…。

インターネットが発達し、何でも調べられるし、それで見ることもできる時代になってはいても、それだけでは、人間、やはり、満足できないものと見えます。「百聞は一見にしかず」で、「実際に行ってみる」派が消えないのもそのためなのでしょう。…ただ、彼らが見たいとか言っているのは、皆、インターネットなどで検索できるものばかり。別にわざわざ学校で教えていく必要はない…と、最初は思っていたのですが。どうも違うようですね。見ながら、それに関する話も聞きたい…と思っているような気がする。

ということで、いわゆる「知識」と、「興味」の間を綱渡りしながら、この、最後の「一ヶ月ほどを教えていくということになりそうです。

日々是好日

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「初級」が終わった段階で、誰を上げ、誰を下げるかが、少々悩ましい。

2024-02-19 08:05:14 | 日本語学校
曇り。

曇っていても、明るい。やはり季節はかなり進んでいますね。

学校の「ジンチョウゲ」の蕾も膨らみ始めました。春の訪いの印がここにも一つ見られます。早咲きの「サクラ」もすでに満開を迎えていることですし、この街にも、直に、白やピンク、紅色の「サクラ」に彩られ、明るい春が来ることでしょう。

さて、今、悩んでいるのは、上のクラス(四月生クラス)に上げる人のこと。「Dクラス(七月生)」からは既に、一月中旬に上げています。つまり、「Eクラス(十月生)」がもうすぐ「初級」を終わるので、その時に、考えておかねばならぬ人のことです。

「中国人学生」は当初から(初級が終わり次第)上げるつもりでしたので、「漢字」も彼だけは先に進めさせていましたし、「40課」が過ぎた頃から、ジワジワと、「そろそろ午前のクラスにも行ってみない」と勧め、今は週三で、このクラスにも行っているのですが。

問題は「Eクラス」の、もう一人の学生。

ヒアリング力も、理解力もある。文法事項が一文の中に、二つ、三つあろうと楽にこなせる。漢字もそれなりに頑張っている(まだ「N4」の漢字が終わったばかりですので、テストではもちろん、まだ「N4」段階です)。

もっとも、「Eクラス(十月生)」はまだ『みんなの日本語(Ⅱ)』を終えていません。二月いっぱいはかかるでしょう。それに、上のクラスに上げると、私本来の授業(読解)には、それほど時間を割けないので、勢い、(最初のうちは))頑張れる人しか、ついて来られないのではないかという不安があるのです。

なんとなれば、このクラスの「四月生」は、昨年の12月に「N3」に合格しているので、現在「N2」の「漢字」「文法」をやらねばなりませんし、同時に、新しく一月中旬頃、上がってきた旧「Dクラス(七月生)」の学生には、「N3」の「漢字」「文法」をやらねばなりません。もとより、文法は暗記文の意味をさらりとやるだけです。「N3文法」は、一応、それを終えましたので、これからは暗記させることに専念させていくことになります。

現「Eクラス」では、他の学生達とかなり差があるように見えるこの学生も、そこまでできるか…という不安があるのです。訊くと、「専門学校」で「観光(ホテル)」を専攻したい…ということは、それほど頑張らせる必要もないか…。適当にやらせてやってもいいのか…とも思いながら、もったいないなという気分が抜けきらないのです。

他の学生達には10くらい練習させねば呑み込めないようなことでも、彼の場合は、2か3くらいで呑み込んで遣えるようになるのです。

もちろん、あと二人ほど、ちょっと悩ましい人がいることはいます。一人は、ヒアリング力も理解力もある。しかしながら、「漢字」を練習したがらない。覚えられないのです。「初級」のうちはいいけれども、「N3」「N2」と上がっていけば、単語一つにしてもそれでは済まなくなる…。

もう一人は、漢字にせよ、文法にせよ、きっちりと完璧にやろうとする…百点が好きなのです。ただ、応用がなかなかうまくやれない。多分、上のクラスにやると、辛くなるでしょう。自分の守備範囲できっちりとやろうとするだけでしょうから。それに、春休み間には、この上がってきた人達には補講せねばならぬだろうと思っているのですが、どうも、彼女は一時帰国を考えているふう。では、追いつけませんね。

ということで、今のところ、本気で悩んでいるのは一人だけ。まあ、悩むよりも訊くが早い。今日にでも訊いてみて、一週間だけでも行ける時に午前のクラスに行ってみさせ、それから本人の「つもり」を聞いてみることにしましょう。

日々是好日
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「社会問題」「時事問題」に関心がある…。それを聞くとちょっとうれしくなってしまいます。

2024-02-16 08:54:39 | 日本語学校
晴れ。

やっと風が少し収まったかな…まだかな。いやあ、昨晩から今朝にかけては、すごい風でした。嵐ですね、まったく。ビュンビュンと吹き荒れる風の音やら、ブーンと電線が鳴る重い響きやら…。早朝など、それに加わって、サイレンのけたたましい音まで聞こえて来て…落ち着いてはいられませんでした。とはいえ、なんでも「春一番」の翌日は強風が吹き荒れ、気温が下がるのが普通だとか。なるほど、例年通り…ということですかね。

昨日、「A・Bクラス」でのこと。何度試みても、DVDプレイヤーが動かない。オタオタしていると、それをまた、じっと見ている目があって…どうも行けませんね。また、「困った」さんになっている…で、ジー。で、いいわけではないけれども、困った時の「タペストリー」というわけで、「はい、○○ページを開いて」とやった。やはり、こういうときの書物は助かる。そして、昨今の不安定な時事の説明を始めたというわけなのですが、皆、神妙な顔をして聞いている…あれ、興味があるのかな。ちょっと驚きました。そんな感じではなかったので。

そのうちに、「動く写真ができていから」と、映像の話を始めると、食いついてきた人がチラホラ。んん、もしかしてと思って尋ねてみると、見たいと言う。

「やったね」でした。もちろん、コロナ禍の最中は留学生が来られない期間が二年ほどあったので、こういう授業は全然できませんでした。在日の人達がほとんどでしたから、せいぜいできても「N4」くらいまで、その上というのは、ちょっと無理でしたね。

その前でも「時事問題」まで行けたのは、「留学生試験」で「総合問題」を選ぶ学生がいた時か、中国人学生(だいたい、一年ほどで「N1」に合格するか、できなくともほぼ「N1」レベルまでいけていましたから)が多い頃と相場は決まっていました。

ところが、今年の「A・Bクラス」は、それを知りたいというのです。フィリピンの学生がいたからかしらん。ベトナム人学生が多い時には、全く関心なしという顔つきばかりで、こちらとしても、教科書を進めていくしか術はなかった。

というわけで、朝から、かつてまとめた資料をエッサカホッサカと探したり、それをまとめるのに精出したりと、気ぜわしいこと。とはいえ、ちょっとうれしいですね。

日本語の能力はかなりついているのに、世事に全く興味を示さないという人達よりも、こういうことに興味関心を持ってくれる人の方が、言葉の面でも、また日本社会に適応していく上でも、広がりができて、役に立つでしょうから

日々是好日。
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「十月生」で、この時期に三週間ほども帰国してしまうと、あとが大変ですね。

2024-02-15 08:52:19 | 日本語学校
晴れ。

今朝、学校の門扉を開けた時、突然、左においてある「ウメ」の木から、慌てて逃げ出した小鳥がいました。低空飛行で逃げていきましたから、よほど驚いたのでしょう。その前を私が通った時には、気づかずに、門扉を開けたその音に驚いてハッとなったと見えます。「ウメ」の蜜を吸うことみ必死になっていたのでしょう。

「『ウメ』に『ウグイス』」というふうに、うまくはいきますまいが、まだ薄暗かったので、その姿をはっきり見ることができなかったのは、ちと心残り。かわいい「メジロ」だったらうれしいのですが。

そういえば、一昨日、公園で「ハクセキレイ」を見かけました。「ハクセキレイ」は小さな川の、小石のあたりを飛び回っている…という印象が強かったのですが、公園でも、チョイチョイと歩いているのですね。まだ早かったので、人がいなかったからかもしれませんが。もっとも、鳥だって、飛ぶとは限らない。学校の近くでは昼でも「ハト」やら「ムクドリ」やらがよく歩いていることですし。…時々見回りに来るネコが怖くないのかしらん。

さて、学校です。

ご母堂が病気と言うことで三週間ほど帰国していた学生。一昨日教室に姿を現してくれたのはいいけれども、皆の日本語を聞いても、どこかしら茫然とした顔つきで入っていけない。それは、まだ、このクラス、「初級」ですからね。日本語自体がフワフワの状態の時に、日本語がゼロの世界に行っていたのですから、真っ白けにならないほうが不思議。何を聞いても、グッと詰まり、日本語で反応ができない。…それもわかります。

ということで、昨日は「時間」を利用して、彼が休んでいた四課分ほどを復習。

一昨日(私が)言ったように、既に友達の本を見て、線を引くべきに線を引いていた…つもり…だったが、見せてもらった相手が悪かった。様子を見ていると、引いていない箇所もいくつかあったようで、(私の)説明を聞きながら、引いている。その(彼に本を見せた)人を見て、「う~ん、君の本を見たのか…。見せてもらうなら、人を選ぶべきだったな」と言うと、言われた(見せてやった)方がうれしそうに笑っている…。怒れ、怒れ、これは怒るべきであるとも思ってしまうのですが、だいたい、誰も怒ってくれない。慣れというのは恐ろしいものですね。

いくら激しく言ったつもり(と私は思っている)でも、「もう正体はバレバレだぜ」みたいに、皆、「また来たぜ」と見ている…だけ。「う~ん。どっかでバーンと言って、凹ませてやりたいな」と思っていても、互いにナアナアが、もう身についてしまっていて、どうもうまくいかない。下手をすると、「困ったちゃんだ」と慰めの目で見られたりしている…のに、気がついたりする。

あっめがね忘れた。申し訳ない、取ってきて」と言うと、「いつもですから、大丈夫」なんて言われたりする。

学生達の表情がどんどん柔らかくなって、優しく、また時には子供っぽくなってしまうのは、うれしいことなのですけれども、試験や進学のことを考えると、ちょっと待てよとも思ってしまう。まあ、しょうがないか、四月になってから、締めてやればいいか…と思って、軟らかい雰囲気の中にいる私です。…とはいえ、何か一つ問題が起こると、大きな波が立ってしまうので、安心はできないのですが。

日々是好日
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「ルビ」が振っていない「漢字仮名交じり文」章は、「漢字」が読めないとわかりません。「N4」まではいつも振っているから、そういうものだと思っているのかしらん。

2024-02-14 08:43:30 | 日本語学校
晴れ。

今日は、それほど寒くない…と思いながら、学校へ。昨日は本当に風が強かった…。寒さよりも風の強さに参っていました。

とはいえ、既に「ウメ」の花が咲き、冬の終わりを告げています…。もっともまだ二月。安心はできません。また寒さが大波小波とやって来るかもしれませんし。ただ春を告げる「カワズザクラ」も既に満開…。春近し。

さて、学校です。

「Cクラス(四月生)」に体験入学(?)した中国人学生(アルバイトの事情もあり、週に三回ほどしか参加できませんが)。「先生は『Eクラス(十月生)』の授業の時よりも話すのが速い…」。そりゃあ、そうでしょう。半年の差は頑張らなければ埋められない。ただこの速度というのは、慣れるもの。慣れてしまえば、なんと言うことはない。いつまでも外国人向けにゆっくり話していたら、それこそ罪作り。普通の日本人はそんなにタラタラとは話してくれませんから。

それに、中国人は、他の「非漢字圏」の学生たちとは違い、「漢字」がネックになって、文章が読めないということはありませんから、ヒアリング力さえ身につけば、どうにかなるもの。あとは本人の母語での国語力だけ。これがないと、どんなにペラペラ器用に話せている中国人でも「日本語能力試験」での「点」は取れません。

問題は「Dクラス」から上がってきた三人のうちの二人。一人は先週、病院に行かせたので、まあ、大丈夫でしょう。もう一人が昨日登校しましたので、「しょっちゅう、病気で休むというのは、何か問題があるのではないか。一度病院へ行って見てもらった方がいい」と言いますと、例の如く「薬を飲んでいるから大丈夫だ」と言います。「進学するには出席率も大切だ。いつも病気だと言って休んでばかりいる人は、おそらく専門学校の方でも敬遠するだろう(勉強しない人と見なされる)」と言うと、意味がわかったのか、病院へ行くと言い出しました。

それまでは、「病気だから休む。そのどこが悪い」風だったのですが、まあ、今日も具合が悪いようでしたら、学校のそばにある病院にでも行ってもらいます。近くだとスタッフもついて行けますし、予約も取りやすいですから。残りの一人は全く問題なし。毎日午前に来て「Cクラス」の授業を受け、午後は「Dクラス」の授業も受けています。漢字テストでも、もう「N4」は終わり、「N3」に入っています。

「漢字」は大変ですね。「ひらがな」だけか、「漢字」があっても「ルビ」が振ってあるものであったら、読める。読めるから意味はわかる。ただ、同じ「漢字交じり文」であっても、「ルビ」がないものは、一人では読めないから、結局意味がわからずじまい。おそらくはこういう意味ではあるまいかと推量しながら読んでいっても、時間がかかるから面白くない。面倒と言うことになり、やる気も失せてしまう。

ということは、「漢字」を覚えなければ、どうしようもないと言うこと。この「漢字」、書かれたものを見れば、「手が慣れている」かどうかなんて、すぐわかるもの。(「漢字」を見て)「練習していないね、もっと書きなさい。書きが足りない」等と言うと、「もう10回も書いた。何が言いたいんだろう」みたいな目で、こちらを見たりする…人もいる。

「漢字」には一つ一つ意味(今では元の意味がわからなくなっている字もあるようですが)があり、「ひらがな」、「カタカナ」は覚えればいい字数は決まっているけれども、「漢字」にはそれがない(ように思われる)。で、次から次に出てきて救いようがない(気分になる)。漢字一字の読みも一つ二つじゃない…というのも、耐えられないことなのかもしれません。このときは「こう」読む、でも、あっちでは「こう」は読まないというのも難しい。

ただ、普通は、気がつかないうちに漢字を覚え、いつの間にか、パズルを解くように読めるようになっているもの。書くのがけったるいという気分に、すぐなる人は、日本語を学ぶのに適さないのかもしれません。こういう人は、留学生の中にも少なくはないのです。

日々是好日

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病気になる前に「休む」。別に悪いことじゃないけれども、しょっちゅう休むのは、ちょっとね。病院は、別に怖い所じゃありませんから。

2024-02-13 08:06:45 | 日本語学校
晴れ。

先週の金曜日、漢字テストをしながら、学生達を見ていると、鉢植えの「ツバキ」に何かが飛んできた。見ると、「ヒヨドリ」でした。「ツバキ」の蜜を吸いに来たのです。

父母の家にいた頃、庭にパンくずを撒いたり、庭木の枝にミカンを刺したりして、やってくる小鳥たちを見て楽しんだものでしたが、それを追いかけ回すのが、この「ヒヨドリ」。キーッと鋭い鳴き声を上げて、小さな「スズメ」や「メジロ」を追っ払うのです。で、ついたあだ名が、「ギャング」。…まあ、一羽だけだと、かわいくないこともない。

「ツバキ」の細い枝が撓っています。やはり「メジロ」などよりもずっと体格がいいからでしょうね。そう思いながら見ていると、パッと飛び立った。…そのあとにのっそりと現れたのは、最近、このあたりを縄張りにしている雄ネコさん。雄ネコといっても、顔つきは柔らかく、数年前によく来ていた雄ネコとはかなり違う。前のネコさんは額と鼻の所に向こう傷がありましたものね。よく喧嘩していたのでしょう。それに比べれば、穏やか。午後にも、もう一匹回ってくる雄ネコがいるのですが、そっちものんびりしたもの。首輪をつけていないけれども、毛の色艶もいいし、飼い猫かしらん。

さて、勉強を除けば、かなり余裕の出てきた「Eクラス」に比べて、最近の「Cクラス」はちょっとゴタゴタが続いています。「Dクラス」から上がってきた二人がよく休むのです。前のクラスにいた時も休みがちだったのですが、その時は住んでいる所がかなり遠かったため疲れたのだろうくらいに、皆、考えていました。それでとにかく説得して、近くに住まわせることになったのですが、それなのに、休みがちときている…。こは如何なこと。

「体調が悪い」とか、「熱がある」とか、まあ、いろいろあるようですが。「『熱がある』、『体調が悪い』のなら、病院に行けばいい」と言うのに、ガンとして行こうとしない。もしかして、来日(昨年の七月)してから、一度も行っていないのではないかしらん…。

で、その日やってきた男子が、また具合が悪いとか言うので、「病院は行ったか」と訊くと、「行っていない」と言う。「病院へ行かなければよくならないでしょ」と言うと、薬を飲むからいいと言う。「とにかく病院へ行きなさい」ということで、半ば、力尽くのようにして行かせた。

スタッフが病院に連れて行くと何のことはない、耳を掻きむしって膿が溜まっていた…だけ。で、その水疱に医者が針をちょんと刺して、膿を出し、処方箋をもらって薬屋さんへ行って完了。針を刺す時にかなりビビっていたらしいのですが、それで一件落着なら簡単なもの。そんなことで休むなよと言いたくなるのですが、これもお国柄か、村柄かよくわ
からない。なんとなれば、以前この学校に来ていたスリランカ組(彼らとは違う地方)は、病院へ行くのに怖がったりしなかったけれども、よく「大きな病院、大きな病院」と喚いていた。風邪くらいで大病院へ行くか?というのがこちらの考えだから、近所の病院へ連れて行こうとすると、「その病院には○○はあるか」と訊く(○○は忘れてしまいましたけれども)。そんなの、どこの病院にだってあると言っても信じない…。ただ近所の病院に、一度連れて行ったら、もう喚かなくなりました。

というわけで、男子は一度病院へ行って、日本の病院は怖くないことがわかったようなので、もう嫌がらないでしょう。ただ女子二人がその日来なかったので、まだ問題は残っています。…もう一人を入れて、この四人、同じ所から来ています。もう一人の男子(四月生)も休みがちで、なかなか病院に行かなかったようなので、もしかしたら、その地方の問題なのかもしれませんね。

そういえば、以前中国で勉強していた時、中近東から来ていた人がすぐに休んでいたのです。日本人なら、病気で休んでいるのなら、邪魔をしないのが一番と思うのですが、彼らは違うのです。二日目にお見舞いに果物を持って行くと、その部屋はパーティーと化していました。病人もお茶やお菓子を食べながら、見舞客と一緒に賑やかに談笑している…。これで病気????

おそらく彼らは病気になる前に、休むのでしょうね。病院に行くのが大変な所に住んでいれば、病気にならないのが一番。だからちょっと疲れたで、「お休み」となるのでしょう。それも悪くはないけれども、日本で、そうやっていれば、「初級」なら、少々ヒアリングさえよければ凌げても、「中級」からは、やっていけないよと思うのですけれども。それも彼らにはたいしたことではないのかもしれません。

考え方を変えさせるのは、なかなか大変なことのようです。まあ、彼らのように生きて行ければ、それはそれでいいのですけれども。

日々是好日

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余裕のある「二年生クラス」と、勉強に忙しい「一年生クラス」と。

2024-02-09 08:09:03 | 日本語学校
晴れ。

寒さも少々落ち着いて、まずは、一息と言うところでしょうか。

「C・D・E」の「一年生クラス」に対しては、やはり今年中に、少なくとも「N3」には合格させておかねば、という気持ちが、こちら側にあり、のんびりと勉強…というふうにはなりません。やはりテスト勉強のような形で進めざるをえないところもあり、もしかしたら、それを望んでいない向きには、それが窮屈に感じられるかもしれません。

一方、「二年生クラス」は、二人を除けば、進学先も決まっており、授業の時にも余裕ができています。これまで、「あれ?これなあに」と思っていたことやら、「現状はどうなっているのかな」と思っていることなどを取り上げ、学校での映像の楽しみを少しはわかってもらえたのかなとも思っています。

特にベトナム勢。今、この「二年生クラス」にいるベトナム勢は四人。学校での勉強が苦手な人はさっさと自分の道を探して出ていきましたから、残って、毎日、学校へ来ているというのは、「勉強が目的」「勉強に耐えられる」という人たちだけです。不器用でもコツコツ勉強を続けて来られた人が一名。自分の学びたいことが最初からはっきりしていた人が一名。それから、与えられたものをきちんと消化していき、消化しているうちに、きっと道が拓けていくであろうと思われる人が一名。

フィリピンやスリランカの学生は、何を見せても、それなりに楽しんでくれるので、(見せる側も)それほどの悩みはなかったのですが、これに映像を楽しんでくれるベトナム勢が加わると、俄然、見せる方もやる気が出てきます。

昨日は、車が好きな学生が「今の車を見たい」と言ったので、「多分、君が思っているのとは違う方向に開発が進んでいるかもしれないよ」と言って、「空飛ぶ車」の開発の様子を見せてやりました。彼はおそらく、日本で言えば「トヨタ」や「ホンダ」(「スバル」の車を買いたいと言っていたので、それも含まれていたでしょうね)などの、地を走る「かっこいい車」を想像していたのでしょう。当てが外れたふうでしたが、それでも、将来は、こちらの方になるかもしれないなみたいな顔つきになって見ていました。

彼らと接しているうちに、なにも、最初から「時事問題」やお堅い「ニュース」などを見せる必要はないと思うようになりました。以前、中国人留学生が多かった頃は、何も知らないことに(私たちの知識との差というか、知識の範囲の違いが大きすぎたのです)愕然として、地球の歴史やら、20世紀の映像やら、知識物をみせることにムキになっていたのですが、今から思えば、ああまでする必要はなかった…。

今はもっとおおらかな気持ちで、彼らが見たいというものを見せていく…というふうに方向転換しています。いろいろなものを見、質問し、考えていくうちに、「今の世界の様子は?」とか「これまでの世界は?」なんていう質問が出てくるかもしれませんし。

森羅万象、すべては蓮の葉の、露の一滴に含まれる、なんてのも言われていることですし。きっと知らないうちに時代の潮流というものも見えてくるでしょうし、彼らなりの理解も増えていくことでしょう。で、今は、彼らが見たいという物を探し、見せていくようにしています。それがきっと、いつかは、「日本では、ニュースも面白い」と思えるようになるかもしれませんし、偏りも減っていくかもしれません。もっとも、どの国にもその国ならではの偏りはあるものですから、自国と日本との違いもあれっと思うようになるかもしれません。外国で暮らすことの良さはそこにあるものですから。

日々是好日

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月曜日雪が降りました。けれども、「初級クラス」の人たちは楽しむどころではなかったようです。

2024-02-08 05:39:55 | 日本語学校

晴れ。

月曜日、「午前のクラス」は大雪の予報があったことから、急遽、二時限目で帰らせることに。そして「午後のクラス」は休み。翌火曜日も休みということで、土日月火と四日授業ができないことになってしまいました。アルバイト先へもきちんと連絡しておくように伝えて。電車で、しかも乗り換えで行く人もいるのです。

休みで喜んだ学生たち、特に「初級」の学生たちはですが、喜んだ分、昨日は大変なことになってしまいました。勉強した分がきれいに消えている…。いつものように、最初に「他動詞と自動詞」の復習をしてみると、ちょっと声が出ていたので、ほっ…。ところが、次の「動詞」の絵カードの復習の時に、なかなか出てきません。「初めて見るぜ」みたいな顔をしている。「文」でも出てこない。

後悔しましたね。…先週までの分がだいたいできていたので、それで捨ててしまっていたカードが恋しくなってきた。…あれも忘れているのだろうな。土日が休みなので、火曜日(月曜日は私は入っていません)に備えて、普通はもう少し多めにカードを残しているのですが、きちんと言えていたので、安心して外してしまった…もう、安心は敵だ。

とはいえ、顔を見合わせて笑っているのを見ると、なぜかこちらまで笑えてくる。復習するしかありませんね。何せ、土日月火ですもの。ということで、結局、十課分ほどの復習を、さらっとでもせねばならぬ羽目に。

土日の、たった二日間でも、月曜日は重苦しいというのに、四日ですからね。しょうがない。

ところで、今週降った雪のことです。訊いてみると、「二年生クラス」はやはり余裕があります。雪でかなり遊んだそう。アルバイトも断っての遊びは楽しかったでしょうね。皆、学校の近くに住んでいるので、待ち合わせたのでしょう。ところが「一年生クラス」はそうはいかなかったようで、「きれい」と言う者が半分、「寒い」が半分と言ったところ。遊ぶどころではなかったようです。

「初級(N4)、(N5)」期間は、大体、在日生がいるものですから、在日生が多いクラスの場合は、長期休みをなしにして勉強を続けたりすることもあります。留学生は休みを期待するものなのですが、最近の留学生はそれで、異を唱えるものもなく、それが結果的にいい効果を上げているのかもしれません。

「四月生」は、まだいいとしても、「七月生」は来てすぐに、つまり、まだ学校の勉強の仕方にそれほど慣れていない時期に、1ヶ月ほども休んでしまうことになりますから。長く休んでしまうと、休み明けが大変です。一からやり直させねばならぬ人も出てくるのです。鉄は熱いうちに打て、しかもある程度の期間も必要…は一般的に見て正しい。勉強の習慣もさることながら、ノートを180度ほども傾けて書く癖やら、「ひらがな」「カタカナ」などの文字の形が、ややもすると、自国の文字の形にすり替わってしまうことやら…。それが、ある程度安定していると、休んでも、それほど心配しなくてもいいのですが。

学校を通して、日本での生活の「核」ができているかいないかは、彼らのこれからの生活に大きな影響を与えます。一人であることの「不安」の払拭にも役立つでしょうし、アルバイトで、初めて自分のお金を手にしたことから来る、ある種の「解放感」にも制限を与えることができるでしょうし。

日々是好日
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「雪」が、降るかもしれません。

2024-02-05 08:21:11 | 日本語学校
曇り。

思っていたよりも寒くはない。雪が降りだす前が一番寒いと言われるようですけれども。

今日は雪が見られるかもしれないとか。もうこのあたりで、雪が見られるとは思っていなさげにみえる学生達。もし、本当に見られたら、さぞかし、うれしいでしょうね。

以前は、冬になると、「いつ雪が降るのか」と訊かれたものでしたが、それも訊かれなくなって久しい…。きっと、以前は、元留学生が「雪」の中にいる自分の写真でも送っていたのでしょうね。「いいなあ。…雪か(自分も見たい)」。そういう「気持ち」を抱かずに皆、来ているのかな。…見たことがない人達には、本物の雪を見せてやりたいけれども。今は、「卒業して、専門学校か大学に行ってから、友達と行ってね」くらいしか言えません。

確かに、このあたりでは「座して待つ」とは参りません。ただ温暖化のせいで、大きなうねりのように、急に寒くなったり、暖かくなったりが続いているので、もしかしたら、南岸低気圧が「雪」を連れてきてくれるかも…なんて思ったりしていたのですが。ただ降ったら、降ったで大変でしょうね。「アルバイトに行けない…困った」あるいは「帰れない…困った」になるかもしれません。なにせ、このあたりは雪を想定して作られた町ではありませんから。

とはいえ、南国で育った人達にとっては、「この寒さに凍えているだけ」というのは、なんとも切ない。「寒い、寒い(寒いだけ)」に、せめて「雪を見た」でも加わってくれれば、まだ耐えられる。「雪を見たんだから」。昨今の文明の利器で、それを母国の友達や家族に送ってやれば、「すごいね。雪だ」で話は盛り上がろうもの。

この、「雪なんどが降ってくれたら…」という気持ちはわかりすぎるほどわかる。ただ、雪が降ると、積もらなければまだしも、積もると…それが少しであっても、不都合が生じるのですが、それはきっと体験しなければわからないことなのでしょうね。その不都合というのも、単に寒さや交通だけのことではない…。

めったに雪が降らない土地で育った私でも「雪害」をよく見聞きするようになりました。子供の頃は、あくまでイメージで、「絵」や「文」から受ける美しく可憐ではかなげなものでしたが、雪国の人の「雪はイヤだ。本当にイヤだ。雪の降らない所へ行きたい」という言葉を聞けば、ハッとさせられます。生活する人から見れば「雪は悪魔」なのでしょう

普段ですと、それを逆手にとって、夏に冷房要らずにしようとか、いろいろ考えることもできるでしょうが、「非常時」には「今、生きる」ことを考えなくてはなりません。それに、家を守るための、屋根の雪下ろしや道の雪かきも加わります。

ここは寒いとは言いましても、まだ寒さをしのぐ建物の中に住むこともできますし、家の暖房も使えます。温かいものを、好きな時に飲んだり食べたりもできます。ただ日本では、いつ、どこで、同じようなことが起こらないとも限りませんから、人々は保険のつもりで、「税」を払っているのです。まさかの時に困らないように。その保険をきちんと守ってもらわないと、本当に何のために税を払っているのかわからない…と言うことになってしまいます。

もとより、助け合いは必要です。が、助け合いとて、心の余裕がないと、簡単にはできません。心の余裕には、「普段通りの生活ができる」ことが必須の条件です。「頑張って」だけではどうにもなりません。「一人一人が、自分で生きることを考えて」となると、国も県も市も町も村も集落も必要がないということになってしまいます。それこそ、それで飯を食っている人は、要らないと言うことになるのではありますまいか。

「きれいな雪が降りそうだ」ということから、どうも「救いようのない」ことが頭に浮かんできてなりません。きっと学生達は「寒い、寒い」と言いながらも、「雪」が見られることを期待しながら来るのでしょうね。

日々是好日
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「日本」について、見たいもの、知りたいことが、言えるようになった?「A・Bクラス」。

2024-02-02 08:15:36 | 日本語学校
曇り。

静かな朝です。朝、5分でも遅く家を出ると、道を交差する人の数は増えているので、ご用心、ご用心。朝は本当にせわしない。とはいえ、学校に着くと、音はすっかり消えています。学校が大通りに面していないということもあるでしょうし、その上、ここの道は一方通行なのです。運動会の頃は、もう早くから聞こえていた子供達の声も、全くしません。寒いですからね。

さて、学校です。

「映像」を見せ始めた頃…といっても、ここ2週間ほどですが、最初は「何が見たい?」、「何が知りたい?」といくら言っても、互いに顔を見合わせるばかりだった「A・Bクラス」の学生達。一人くらいですが、最初に、自分の「希望」が言えたのは。

この学生にしても、昨年の五、六月くらいからでしょうか、折に触れ、見せていたので、イメージがあったので、すぐに言うことができたのでしょう。「ロボットを専攻したい」と言うのに、(ロボットについて)あまりに何も知らない…つまり、訊かれても何も言えないのです。…それで、どうして「ロボットを専攻したい」になるの???

世界ではどのようなロボットが考え出され、作られ、活躍しているか、訊かれても、「へっ?…」。漠然と「専攻したい…」なのでしょう。それに愕然とし(面接の時、訊かれたらどうするんだ!)、録り溜めていたものを、あっちこっちから引っ張り出し、少しずつ見せていたのです。何回か、ついていて見せ、説明した後は、(時間がある時に)自習室で自分で見るようにしておいたのです。何回か残って見ていたようでしたが。

で、今年になってから、学生達に聞く時、最初に彼女に「もう、ロボットはいいね。他に何が見たい?」と聞いたのです。他の学生達は、ちょっとどう反応していいかわからないふうだったので。

ベトナムの学生は、「教科書」中心というか、「勉強」というのは「教科書だけ」というのが染み付いているようで、それ以外があるということが、なかなかに呑み込めない。だいたい「非漢字圏」で、「N2」レベルか「N1」レベルに達していれば、「生きた日本語」というか、大雑把な「日本」というか、そっちへ関心が移っても良さそうなものなのですが。

日本に来て、長い者は二年近く経っています。この間、日本に関することで「あれ?」と思ったり、「どうして?」と思ったりしたことがあるでしょう。それを聞きたかったのですが。

で、最初に出た「着物」「侍」「ゆかた」など、もういくつか見たから、慣れたのでしょうか、あるいは見ているうちに、あるいは日常生活でも気をつけるようになったのでしょうか。押し黙っていた学生が、「あれが見たい」と言い始めました。ただ困ったのは、「日本の歴史」を知りたいとか、「日本美術」を学びたいとかいったこと。「美術」なんて網羅した物はないし、「日本の歴史」なんて、漢字の説明から入らなければならないので、見る頃には疲れ果て、それどころではなくなっている…。それに、彼らは、この三月で卒業あのですから。

で、高校の参考書「日本史」を見せ、写真を見るだけで良し。これを見て、興味が出たら、インターネットで調べるべしと言っておきました。

ただ今年の「A・Bクラス」は、ちゃんと見る人が多いのです…最初はそうじゃなかったのですけれどもね。見ないなら見せないと強く言ったことが功を奏したのかもしれません。毎年、「12月の日本語能力試験」が終われば、ニュースなり、「日本文化」のなにがしかなりを見せたいと思っているのですが、なかなかうまくはいかない。テレビのスイッチをいれるとすぐに「教科書」を開けたり、漢字の練習を始めたり、スマホを見たりで、準備をしてきたこちらとしては面白くないことこの上も無し。で、一回か二回で終わり。「教科書!」に移ることが普通でした。

このクラスも昨年はだめでしたね。ところが今年はうまくいった。彼らの見たい物が、こちらの見せたいものに、うまく嵌まったからかもしれません。「着物」と誰かが言えば、それに関する話をし、彼らにも話させ、話題を共有するという一手間が生きたのかもしれません。あるいは、「見る」ことも「勉強だ」ということが、わかったからかもしれません。そういう雰囲気になれないクラスが多かったので、ちょっとほっとしています。

留学生達は、(コロナ禍が続いていることもあり)以前は一,二ヶ月に一度はあった「課外活動」の時間も、ここ数年は、それほど取れてはいません。それ故に、見聞も広がってはいないでしょう。アルバイト先と学校の二点をつないで生活しているようなものなので、日本について知りたいと思える時間も、心の余裕もないのかもしれません

今の授業は、最初に、「N1文法」のいくつかについて(きちんと勉強するのは、他の教師の時間です。暗記文を覚えるために)軽く説明し、それから「四字熟語」と「ことわざ」を入れ、『上級で学ぶ』をやる…時間があったら「映像」を見せるという計画だったのですが、この『上級で学ぶ』が二回ほど没になってしまいました。「映像」に食われてしまったのです。

と言うことで、今日は「映像」無しで、教科書のほうをやることにしています。ただ、今日は、途中「豆撒き」をすることになっていますので、それも楽しいでしょうね。

日々是好日

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