快晴です。「渋谷」からも「富士山」が、くっきりと見えるとのこと。電車を使っている学生が、もしかしたら、「富士山を見たよ」と言ってやってくるかもしれません。
まだ「日本語能力試験」も、終わっていないというのに、その翌日の「紅葉狩」の場所(明治神宮外苑)の様子に一喜一憂しています。11月の中旬頃に、「昭和記念公園」の「イチョウ」の様子が新聞に載っていましたのですが、それはまあ、見事な「金色」で、それを見るなり、きれいと思うよりも先に、「しまった…」。何が「しまった」のか、それはさておき、とにかく「しまった」だったのです。そして、鳩首会談。「明治神宮外苑」の代わりには、どこがいいのか…。
とはいえ、電車一本で行ける、つまり乗り換えなし。230円で行ける、つまり往復500円以内。「黄葉」を見た後で「黄葉」を見に、近くの日本庭園へ行ける。つまり一回で「秋」を感じることができる。そういう場所を近場で探そうと思っても、見応えのある所は、まあ、滅多にありません。足を少し延ばせば、あることはあるのですが、学生達にはアルバイトがあるので、遠い所はだめなのです。
「午前のクラス」の学生達はいいのですが、「午後のクラス」の学生達は、(午前のアルバイトを休んだり、あるいは遅れていけるように頼んだりと)大変なのです。けれども、イチョウ並木の「黄葉」が、輝くのは午前であり、午後に行っても光は失せていますから、「春より秋」と言われる日本の秋をそれほどは、感じられないでしょう。というわけで、「『明治神宮外苑』のイチョウは朝」なのです。
この学校は、小さい学校(満員でも80人。大体は50人から60人前後)ですので、学生達が喜んでくれたとか、あまり面白そうではなかったとかいった反応が、嫌でも見えてきます。もちろん、そこには教育的配慮も必要(学生達が見たいものより、見せておかねばならないと私たちが判断したもの)なのですが、それ以外にも、学生達のレベル(素質)とか、出身地域とかも配慮せねばなりません。
「ネパール」や「モンゴル地方」など、内陸部の国や地域から来ている学生達には、「海」を見、触るということも、「水族館」で、魚族と親しむことも大切です。今年、「鎌倉」に行った時も、これは「一日旅行」で、午前中だけとか午後だけというふうには参りません。それで、アルバイト先に事前に連絡するように言っておいたのですが、中には、「金曜日は忙しいからだめ」と断られた学生もいたのです。
その学生は、内モンゴルから来ていましたので、「海が見たい。海を触りたい」。これは当然のことです。ネパールから来た学生も、「海に触れたことがない」。なぜかベトナムから来た学生が、「日本の海に触ったことがない」と言っていましたが。
こういう時には、学校の方からの「お願い」とは別に、私の方からも、学生の状況、教育的必要性などを書き、それを学生に持たせます。よほどのことがない限り、彼らが留学生ということから、考えてくれるようです。そのたびに、「日本人は頑張っている人が好き。勉強でも仕事でも。だから日頃頑張っていると、こういう時に、誰かが代わってくれる。代わってくれる人がいない時には、店長がしてくれる」と、アルバイト先を持ち上げておきます。
けれど、これは「冗談」でも、「(アルバイト先への)ごますり」でもないのです。きちんとした店は、相手が留学生であることを知って雇ってくれているわけですから、彼らの来日目的が「仕事」ではなく、「勉強」であることがわかっています。つまり、「勉強のため」で、便宜を図ってくれるものなのです。
もし、学校が、学生達を学校でいろいろな所へ連れて行かない限り、彼らの生活は、アルバイト、学校、部屋という三角形の範囲で終わってしまいます。せっかく日本に来たのに、しかも一番いろいろなものが吸収できる時期に来ているのに、これでは、悲しいではありませんか。そんなわけで、勉強半分、気分転換半分で、「課外活動」というものはあるのです。
ただ、この中でも、「日本」を感覚的に識らせることは難しいのです。季節は日々移ろっていますから。「常春」とか「常夏」とかいった概念は、日本のほとんどの地域では無縁なのです。この「移ろいゆく」という感覚も、定期的に行っていないと、身につきませんし。これは、街の空気というか、空の色というか、季節ごとの花や木々、草の匂い、鳥の鳴き声、虫たちの姿、そして、朝の木の鼓動といったものなのですが。
日本について理解を深める。これは、机の上で勉強するだけでは不十分なのです。まず、歩く。公園へ連れて行き、季節を感じさせる。また、古い文化、伝統的な部分と、近代的な部分とを見せる。それから大切なのは、私たちの受けてきた教育の後追いでしょうか。都庁に行ったり、職人さんの手作業を見せてもらったり、新聞社を訪問したり…。それに、「春の遠足」やら、「秋の遠」やらもありましたっけ。これらを時間をやりくりしながら、体験させていくのです。
今年のように四季の流れが多少乱れているときでも、秋の草花や木々、虫たちは、出番を待って、ちゃんと出現してくれます。冬もそうです。もう山茶花や椿がきれいな花を咲かせています。「食われ残りの柿」も絵のような姿で青い空にたたずんでいます。森に行けば、また違った日本の木々や花々が見られるでしょうが、時間が取れないのです。従って、春と秋の課外活動というのが、この二年で日本を、まず、風土から知らしめる大きな役割を担うということにあります。
日々是好日
まだ「日本語能力試験」も、終わっていないというのに、その翌日の「紅葉狩」の場所(明治神宮外苑)の様子に一喜一憂しています。11月の中旬頃に、「昭和記念公園」の「イチョウ」の様子が新聞に載っていましたのですが、それはまあ、見事な「金色」で、それを見るなり、きれいと思うよりも先に、「しまった…」。何が「しまった」のか、それはさておき、とにかく「しまった」だったのです。そして、鳩首会談。「明治神宮外苑」の代わりには、どこがいいのか…。
とはいえ、電車一本で行ける、つまり乗り換えなし。230円で行ける、つまり往復500円以内。「黄葉」を見た後で「黄葉」を見に、近くの日本庭園へ行ける。つまり一回で「秋」を感じることができる。そういう場所を近場で探そうと思っても、見応えのある所は、まあ、滅多にありません。足を少し延ばせば、あることはあるのですが、学生達にはアルバイトがあるので、遠い所はだめなのです。
「午前のクラス」の学生達はいいのですが、「午後のクラス」の学生達は、(午前のアルバイトを休んだり、あるいは遅れていけるように頼んだりと)大変なのです。けれども、イチョウ並木の「黄葉」が、輝くのは午前であり、午後に行っても光は失せていますから、「春より秋」と言われる日本の秋をそれほどは、感じられないでしょう。というわけで、「『明治神宮外苑』のイチョウは朝」なのです。
この学校は、小さい学校(満員でも80人。大体は50人から60人前後)ですので、学生達が喜んでくれたとか、あまり面白そうではなかったとかいった反応が、嫌でも見えてきます。もちろん、そこには教育的配慮も必要(学生達が見たいものより、見せておかねばならないと私たちが判断したもの)なのですが、それ以外にも、学生達のレベル(素質)とか、出身地域とかも配慮せねばなりません。
「ネパール」や「モンゴル地方」など、内陸部の国や地域から来ている学生達には、「海」を見、触るということも、「水族館」で、魚族と親しむことも大切です。今年、「鎌倉」に行った時も、これは「一日旅行」で、午前中だけとか午後だけというふうには参りません。それで、アルバイト先に事前に連絡するように言っておいたのですが、中には、「金曜日は忙しいからだめ」と断られた学生もいたのです。
その学生は、内モンゴルから来ていましたので、「海が見たい。海を触りたい」。これは当然のことです。ネパールから来た学生も、「海に触れたことがない」。なぜかベトナムから来た学生が、「日本の海に触ったことがない」と言っていましたが。
こういう時には、学校の方からの「お願い」とは別に、私の方からも、学生の状況、教育的必要性などを書き、それを学生に持たせます。よほどのことがない限り、彼らが留学生ということから、考えてくれるようです。そのたびに、「日本人は頑張っている人が好き。勉強でも仕事でも。だから日頃頑張っていると、こういう時に、誰かが代わってくれる。代わってくれる人がいない時には、店長がしてくれる」と、アルバイト先を持ち上げておきます。
けれど、これは「冗談」でも、「(アルバイト先への)ごますり」でもないのです。きちんとした店は、相手が留学生であることを知って雇ってくれているわけですから、彼らの来日目的が「仕事」ではなく、「勉強」であることがわかっています。つまり、「勉強のため」で、便宜を図ってくれるものなのです。
もし、学校が、学生達を学校でいろいろな所へ連れて行かない限り、彼らの生活は、アルバイト、学校、部屋という三角形の範囲で終わってしまいます。せっかく日本に来たのに、しかも一番いろいろなものが吸収できる時期に来ているのに、これでは、悲しいではありませんか。そんなわけで、勉強半分、気分転換半分で、「課外活動」というものはあるのです。
ただ、この中でも、「日本」を感覚的に識らせることは難しいのです。季節は日々移ろっていますから。「常春」とか「常夏」とかいった概念は、日本のほとんどの地域では無縁なのです。この「移ろいゆく」という感覚も、定期的に行っていないと、身につきませんし。これは、街の空気というか、空の色というか、季節ごとの花や木々、草の匂い、鳥の鳴き声、虫たちの姿、そして、朝の木の鼓動といったものなのですが。
日本について理解を深める。これは、机の上で勉強するだけでは不十分なのです。まず、歩く。公園へ連れて行き、季節を感じさせる。また、古い文化、伝統的な部分と、近代的な部分とを見せる。それから大切なのは、私たちの受けてきた教育の後追いでしょうか。都庁に行ったり、職人さんの手作業を見せてもらったり、新聞社を訪問したり…。それに、「春の遠足」やら、「秋の遠」やらもありましたっけ。これらを時間をやりくりしながら、体験させていくのです。
今年のように四季の流れが多少乱れているときでも、秋の草花や木々、虫たちは、出番を待って、ちゃんと出現してくれます。冬もそうです。もう山茶花や椿がきれいな花を咲かせています。「食われ残りの柿」も絵のような姿で青い空にたたずんでいます。森に行けば、また違った日本の木々や花々が見られるでしょうが、時間が取れないのです。従って、春と秋の課外活動というのが、この二年で日本を、まず、風土から知らしめる大きな役割を担うということにあります。
日々是好日