ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

坂本龍馬や中岡慎太郎らが眠る「京都霊山護国神社」の墓所。京都の町を見守るたくさんの墓石

2014-10-11 | 寺社仏閣

ミモロのお友達には、坂本龍馬ファンがたくさんいます。京都を訪れる龍馬ファンが、必ず詣でるのが、「京都霊山護国神社」にある坂本龍馬のお墓です。「ミモロちゃん行ったことないの?」と言われて、「そういえば、まだお詣りしてなかった…」と、ある日、お詣りに出かけました。
京都の東山、高台寺のそばにある坂道を上がった山の懐に、抱かれるように、その神社はあります。

境内に入り、まずは本殿に参拝。この「京都霊山護国神社」は、明治元年(1868)に、我が国初の官祭招魂社(かんさいしょうこんしゃ)として創立されました。官祭招魂社とは、辞典によると、国家のために殉難した人の霊を祀る神社だと…。、
ここは、幕末の嘉永6年(1853)から大東亜戦争(のちにGHQに太平洋戦争に改称)までに国難に殉じた勤皇の志士ならびに英霊をご祭神として祀られています。ちなみに、2番目の官祭招魂社は、のちの靖国神社です。

常に人が絶えない靖国神社に比べて、なんともひっそりとした静寂に包まれた境内です。


社務所には、ありました「坂本龍馬」の写真と家紋。
 

そして、龍馬のお守りも…。


「あれ?龍馬さんのお墓はどこだろ?」と、境内を見回すと、社務所の横に、墓所への入口が…。ひとり300円納めて、中へと進みます。


山の斜面に墓所が作られ、その敷地は、なかなか広いよう。坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允、高杉晋作ら、幕末の歴史時代劇などに登場する名前が、地図上に記されて、訪れる人を案内します。

「あ、坂本龍馬のお墓だって…。割と入口に近い…」と地図をみながら…

「木戸孝允のお墓は、ずいぶん上の方にあるんだ~。お詣りするの今度にしよう…」


ミモロは、今回は、坂本龍馬のお墓詣りだけをすることに…。目的の場所を確認して、階段をのぼり、墓所へと入ります。


「わー山の斜面に墓石がたくさん並んでる…」斜面を埋める墓石の数に圧倒されるミモロです。
多くの御霊が眠る墓所、歴史の教科書や映画、テレビに登場しない、無名の多くの人々…でも、そのひとりひとりが、歴史を動かしたのです。

「こっちだ~」とミモロは、看板を頼りに、足早に墓所の中を歩きました。

そして、ついに坂本龍馬のお墓へ到着。
隣りには、同じく命を落とした、中岡慎太郎のお墓が並びます。

二人は、慶応3年(1867)11月15日、京都河原町通蛸薬師下ルの醤油商、近江屋で、京都見廻組の襲撃を受け、龍馬は即死、中岡慎太郎は、全身に刀傷を負い、数日後に息を引き取りました。
幕末期の京都は、おそらく想像ができないほど、緊張感に包まれた町だったことでしょう。

龍馬のお墓の後ろには、同じ志を持ち、殉じた人達の墓石が、京都の町に面するように立ち並んでいます。


ミモロは、お墓に手をあせて、お詣りを…。

そばには、龍馬と中岡慎太郎の像が…京都の町をじっと見つめるように立っていました。
 

彼らが目指した国造り…今の日本を彼らは、どう見ているのでしょう?

ミモロもいっしょに、京都の町を眺めます。龍馬が生きた時代の京都とは、大きく様変わりした町。「きっとビックリしてるね…」

徳川の時代から、明治へと、日本を変えた立役者のひとりである龍馬を崇敬する人たちは多く、京都では、命日の11月15日に「龍馬祭」が行われます。


ミモロの知識は、大河ドラマの龍馬しかありません。なので、「龍馬さんってすごい人なんだよね~」という程度しかコメントできません。あしからず…

「京都霊山護国神社」のそばには、勤皇の志士たちゆかりの資料を集めた「霊山歴史館」があります。
 

幕末に興味のある人は、ぜひ訪れてみては…。

龍馬のお墓詣りをしたミモロは、清水寺の方向へ、観光客で賑わう坂道を、進んでゆきました。

龍馬ファンの東京のお友達に、「今日、お墓参りにいったの…」と、夜、電話で報告しようと思いながら歩きます。

*「京都霊山護国神社」の詳しい情報は、ホームページからどうぞ


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