▼予告したとおりに、観に行ってきました^^
月一の映画の日でもあり、MOVIX昭島は満員だった。
ちょっとしたお祭り気分で、姪っ子も大喜びだ。
しかし、「エヴァンゲリオン」の監督はつくづく幸せ者だと思う。
自分の過去の作品を商業主義に則って作り直せるのだから・・・。
▼考えると、本来のテレビ版ストーリーの「エヴァンゲリオン」が劇場にかかった事はなかった。
そのダイジェスト版(と言うと怒られるか)が、『DEATH』篇として公開されたのみだった。
だから、比較的テレビ版のストーリーに則して語られた今回の『序』には、前半、ややもたつきが感じられた。
そして、それとは別に、
舞台となる第三新東京市の風景に、主人公の心象風景を投じたかのようなイメージショットが続いたので、
「ああ、この方向に進んでしまったのか!?」と危惧した。
しかし、それは、主人公・碇シンジのキャラ立てだったのかも知れない。
後半、綾波レイが物語に絡んできてからは加速度的に盛り上がる。
前半はだから、葛城ミサトの魅力に注目してみていた。
ミサトさんは可愛い。
十年前と変わらず、「ちょっち」なんて言葉を使っていて、
もうちょっち歳を経れば「おばさん」化する一歩手前で、輝きを放っている
さて、「ヤシマ作戦」である。
今回は、テレビ版に「国家的プロジェクト」の肉付けを加味して、非常に盛り上がる。
作戦指揮のミサトさんの面目躍如で、会議室でのミサトさんの顔がブスに描かれ、それがまた可愛いのだ
使徒ラミエル(だっけ?)も、シンプルな形状から派手な変化を遂げている(私は、この使徒、『ガンダム』のエルメスを思い出すのだ)。
・・・そして、シンジ君にも勝らず心を閉ざす(と言うか、開き方を知らない)レイは、この作戦を通し、ややシンジとお互いの理解をし始めるのだ。
シンジに助け起こされて、「こういうときにどんな風にしたらいいかわからない」と言うレイ。
「笑ったらいいと思うよ」と言うシンジに、レイは微笑んでみる。
この場面の作画は、三度は描きなおされている。
テレビ版、映画版、今回の映画版である。
最初の映画版のときは、これでもかと美しく、テレビ版から描きなおされていた。
髪の毛なんて、とても繊細に描きこまれていた。
しかし、今回の映画では、シンプルな線で描かれ、気負いが感じられず、
でも、そのシーンが、物語のクライマックスであるが故に、そこまでの段階を経たストーリーに「描き込み」が為されていたので、私は大いに感動した。
▼さて、私には、いまだ、新劇場版「エヴァ」がどこに進もうとしているかがわからない。
使徒が、かなり生物的に解釈しなおされているとは思った。
死ぬと、血飛沫が上がるし、肉片が飛ぶ。
私は、テレビを見ていたとき、「使徒ってなんなんだ?」と言うのが疑問の第一だった。
十年前の映画では、それに一つの答えが提示されていたが、「だったら、なおさら、なんなんだ?」の思いが募った。
それが、「エヴァ」の謎の深みに繋がってもいた。
だが、今回の作品では、生物に近づいていた。
それでは、キューブリック言うところの「マジック」が消え失せてしまうような気がした・・・。
▼今回の作品では、前作品群の名シーンがあえて削られているような気もした。
サキエルが、ミサイルを手のひらで受けとめるシーンや、
活動限界に達したエヴァ初号機と、絶命したシャムシェルが相討ちにでもなったかのように夕日の中でシルエットとなって浮かぶシーンなど。
また、シャムシェルの、ビルさえも切り裂くムチの効果を表すシーンも少なかった。
あえて、こちらが見ていて心地良いと感じた名シーンみたいなものは外していると感じた。
サキエルVSエヴァの格闘戦だが、アップが多すぎて、両者のガップリ四つの構図も見えにくかった。
つまり、これまでの「エヴァ」は、それはそれで完成。
今回の「エヴァ」は、それもそれで、新しい完成。
と、考えているのであろう。
▼・・・そして、新劇場版『破』の予告編である。
全く新しい世界が展開されそうだ。
エヴァ6号機まで出てくる大盤振る舞いのようだ。
明らかに新キャラクターも二人出てくる。
一人は「メガネっ娘」だ(もしかして、セガサターンのゲーム版の山岸マユミか?)
上の写真:普段はメガネを掛けている山岸マユミ^^
あまりのオリジナルからの逸脱に、
「おいおい、平気なのかよ^^;」
と、私は危惧するのだ。
・・・でも、故に、の「破」なのだろう・・・。
ただ、オリジナルからの「破」ではあるけれど、私には、「エヴァンゲリオン」と言う作品の<カルト>から<スタンダード>への移行と言う目論見が感じられる。
それでいいのだと思う・・・。
姪っ子は、早くも、来年の公開を待ちわびている
(2007/09/02)
月一の映画の日でもあり、MOVIX昭島は満員だった。
ちょっとしたお祭り気分で、姪っ子も大喜びだ。
しかし、「エヴァンゲリオン」の監督はつくづく幸せ者だと思う。
自分の過去の作品を商業主義に則って作り直せるのだから・・・。
▼考えると、本来のテレビ版ストーリーの「エヴァンゲリオン」が劇場にかかった事はなかった。
そのダイジェスト版(と言うと怒られるか)が、『DEATH』篇として公開されたのみだった。
だから、比較的テレビ版のストーリーに則して語られた今回の『序』には、前半、ややもたつきが感じられた。
そして、それとは別に、
舞台となる第三新東京市の風景に、主人公の心象風景を投じたかのようなイメージショットが続いたので、
「ああ、この方向に進んでしまったのか!?」と危惧した。
しかし、それは、主人公・碇シンジのキャラ立てだったのかも知れない。
後半、綾波レイが物語に絡んできてからは加速度的に盛り上がる。
前半はだから、葛城ミサトの魅力に注目してみていた。
ミサトさんは可愛い。
十年前と変わらず、「ちょっち」なんて言葉を使っていて、
もうちょっち歳を経れば「おばさん」化する一歩手前で、輝きを放っている
さて、「ヤシマ作戦」である。
今回は、テレビ版に「国家的プロジェクト」の肉付けを加味して、非常に盛り上がる。
作戦指揮のミサトさんの面目躍如で、会議室でのミサトさんの顔がブスに描かれ、それがまた可愛いのだ
使徒ラミエル(だっけ?)も、シンプルな形状から派手な変化を遂げている(私は、この使徒、『ガンダム』のエルメスを思い出すのだ)。
・・・そして、シンジ君にも勝らず心を閉ざす(と言うか、開き方を知らない)レイは、この作戦を通し、ややシンジとお互いの理解をし始めるのだ。
シンジに助け起こされて、「こういうときにどんな風にしたらいいかわからない」と言うレイ。
「笑ったらいいと思うよ」と言うシンジに、レイは微笑んでみる。
この場面の作画は、三度は描きなおされている。
テレビ版、映画版、今回の映画版である。
最初の映画版のときは、これでもかと美しく、テレビ版から描きなおされていた。
髪の毛なんて、とても繊細に描きこまれていた。
しかし、今回の映画では、シンプルな線で描かれ、気負いが感じられず、
でも、そのシーンが、物語のクライマックスであるが故に、そこまでの段階を経たストーリーに「描き込み」が為されていたので、私は大いに感動した。
▼さて、私には、いまだ、新劇場版「エヴァ」がどこに進もうとしているかがわからない。
使徒が、かなり生物的に解釈しなおされているとは思った。
死ぬと、血飛沫が上がるし、肉片が飛ぶ。
私は、テレビを見ていたとき、「使徒ってなんなんだ?」と言うのが疑問の第一だった。
十年前の映画では、それに一つの答えが提示されていたが、「だったら、なおさら、なんなんだ?」の思いが募った。
それが、「エヴァ」の謎の深みに繋がってもいた。
だが、今回の作品では、生物に近づいていた。
それでは、キューブリック言うところの「マジック」が消え失せてしまうような気がした・・・。
▼今回の作品では、前作品群の名シーンがあえて削られているような気もした。
サキエルが、ミサイルを手のひらで受けとめるシーンや、
活動限界に達したエヴァ初号機と、絶命したシャムシェルが相討ちにでもなったかのように夕日の中でシルエットとなって浮かぶシーンなど。
また、シャムシェルの、ビルさえも切り裂くムチの効果を表すシーンも少なかった。
あえて、こちらが見ていて心地良いと感じた名シーンみたいなものは外していると感じた。
サキエルVSエヴァの格闘戦だが、アップが多すぎて、両者のガップリ四つの構図も見えにくかった。
つまり、これまでの「エヴァ」は、それはそれで完成。
今回の「エヴァ」は、それもそれで、新しい完成。
と、考えているのであろう。
▼・・・そして、新劇場版『破』の予告編である。
全く新しい世界が展開されそうだ。
エヴァ6号機まで出てくる大盤振る舞いのようだ。
明らかに新キャラクターも二人出てくる。
一人は「メガネっ娘」だ(もしかして、セガサターンのゲーム版の山岸マユミか?)
上の写真:普段はメガネを掛けている山岸マユミ^^
あまりのオリジナルからの逸脱に、
「おいおい、平気なのかよ^^;」
と、私は危惧するのだ。
・・・でも、故に、の「破」なのだろう・・・。
ただ、オリジナルからの「破」ではあるけれど、私には、「エヴァンゲリオン」と言う作品の<カルト>から<スタンダード>への移行と言う目論見が感じられる。
それでいいのだと思う・・・。
姪っ子は、早くも、来年の公開を待ちわびている
(2007/09/02)