柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

判断

2013-11-09 08:23:05 | Weblog
放射線禍、除染基準の1mSv/年が厳しすぎる(のです、確かに)ので、世界基準の20mSv/年に緩めましょうという流れだそうですが、反原発派が黙ってる筈もないことです。朝日毎日は当然の如くとんでもない!の反対表明です。ゼロ信仰とは斯くも強いというのか、素人を煽るには強いのです。ゼロにしろ!危険はなくすべきだ!消せる危険は消せ!そう言われればそうよねぇ、となります。危険判断の定義の問題です、現に我々は「ゼロじゃなくても危険じゃない」環境の中で生きてます、無菌の有害物質ゼロのカプセルの中に暮らしてるのではないのですから。そこを忘れてる、というのか、思考停止させられてる。ゼロにできるんだからゼロにしろ、原子力利用のことです、一旦事故になったらこんなに大変なんだ、だから消してしまえ。これが反原発さん達の根っこです。こうやって足止めしといて、一方で復興はどうなってる?と叫んでます。1mSvは細野さんが(民主党が)言い出した、根拠に薄い極端値、俗耳を引く為のハッタリという評価もあります。低線量の長期被曝という人類初、未曽有の事態に、極端な基準を持ってくるは間違いと既に3年も経った現在だからこそ証明されているようなもんです。極端な規制のお陰で人々は帰れない。復興?広島長崎はどうしてあんなに早く復興したんです?人がそこに残っていたからです、人がそこで生き続けたからです。他所者が知らぬ土地を復興できるもんですか。地の者でこそできることでしょう?間違ってますね、話の根っこから。そう思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする