マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

歴史教育の在り方

2011年01月18日 | ラ行
       桃木 至朗

 ベトナム史を専攻する私は、授業でよくベトナム戦争に関するリポートを書かせるのだが、この十数年で2度、「ベトナム戦争の行方はなお予断を許さない」と結んだりポ-トに出くわした。何の疑問もなく古い文献を丸写ししていたのだ。

 私たち大阪大の歴史学の教員は、2003年から全国の高校の歴史教員に呼びかけ、「像を結ぶ」歴史教育の実現を目指して共同研究を進めてきたが、その動機は大学での経験を通して抱いた歴史教育への強い疑念だった。

 なぜこのように歴史を知らない、考えない学生が育ってしまうのか。現場の先生との交流を通し、その理由が見えてきた。

 現在でも、多くの高校教員や高校数科書を書き大学入試を出題する大学数員が、大量の暗記を要求するセンター入試の存在を理由として、21世紀を生きる高校生にさして必要だとは思われない古い教養・知識や教え方を固守している。その結果、歴史、なかでも世界史は「暗記ばかり」「現代に無関係」とのイメージが強い科目となっている。

 歴史学習に一定の暗記は必要だ。が、高校でありがちな、教科書に書かれた主要事項を機械的に詰め込もうとして、結果的に多くの事項をうろ覚えに終わらせる方法は、受験指導そのものとしても非効率だろう。

 世界史の現在の教科書は形式的には学習指導要領に従って間口を広げている。中央アジアや東南アジアなど従来軽視されてきた地域の扱いが詳しくなり、衣食住や環境の歴史、海から見た歴史といった新しい視点も導入されている。

 ところが大半の大学では、ヨーロッパや中国など明治以来の「メジャー分野」に偏った研究教育体制を墨守しているため、新分野と引き換えに圧縮すべき旧来の暗記事項が、教科書でも入試でも減らせない。新分野をきちんと教えられる高校教員は育たず、教科書も入試も新分野に関して不正確な記述・出題が横行する。昨年度の大学入試をざっと見てみたが、東南アジア史に関する世界史の出題では、誤りや不適切なものが10件以上も目についた。

 こんな状況を認識していた私や同僚たちは、昨秋に世界史の履修漏れが明るみに出て騒がれた際にもさほど驚かなかった。多くの高校教員が世界史を面倒で面白くないと考えているのだから、こうなるのも当然だ。面白くて人生にも必要なものだという確信があれば、受験対策にも前向きの知恵が出るはずだ。

 もちろん、教師だけを責めるのは不公平だ。不適切なカリキュラムと入試も早急に改める必要がある。世界史だけでなく日本史も地理もすべて断片的で不十分な理解に終わっている現状を改善するには、現在の世界史・日本史・地理のA科目を統合した地歴基礎のような科目を設け、高校で必修とし、センター入試は文系・理系ともこれだけを受験させてはどうだろう。時代の流れで複雑化したB科目は選択制として、入試では国公立2次試験や私大入試専用とする、といった荒療治も必要と思われる。

 それはそれとして、教育現場はどうすべきか。高校の先生たちとの共同研究で私は、わかりにくい分野の代表とされる東南アジア史についていくつかの提案をしてきた。①全体の枠組みと整理のポイントを紹介し、それに沿って教えるべき王朝名・事件名などの語句の一覧を、全員に理解させたい基礎、センタ一入試程度の標準、もっとも詳しい上級の3レベルに分けて示す。②大手の世界史教科書の記述に、詳しいコメントと解説をつけ、不適切な入試問題の検討・解説もして、どの先生でも東南アジア史を教えられるようにする。③学ぶ意味が見えにくい東南アジア史について、神仏習合のような日本との意外な類似点、ベトナム戦争と東南アジア諸国連合(ASEAN)の発展に共通する柔らかい強さなど、日本を見直したり世界の明日を考えたりす急に有意義な点を紹介する──といった作業や工夫だ。

 履修漏れのしわ寄せで大変な思いをした生徒や先生は全国に多いはずだ。一過性の問題として終わらせずに、歴史が21世紀に不可欠な教科として再生する道を探ることが必要だ。それはどう教えるかを考える地道な取り組みを全国で行い、「わかる歴史」「面白い歴史」「必要な歴史」の三拍子そろった歴史教育を小学校から大学まで広げることにかかっている駕はずだ。
 (朝日、2007年03月06日)

     関連項目

高校社会科の復活を
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする