マキペディア(発行人・牧野紀之)

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仰げば尊し

2021年03月27日 | ア行
 卒業の季節になり、先日もNHKでその少年少女合唱隊隙の歌を流していました。私はなぜかこの歌がかなり好きなのですが、いつも理解できない事が1つだけあります。
 それは「仰げば尊し我が師の恩」と歌い出したすぐ次に「教えの庭にもはや幾とせ」と続くのですが、ここがなぜ「教えの庭」となっていて「学びの庭」と言うべきではないのか、という疑問です。
 
そもそもこの歌は卒業して行く生徒の立場に立った歌ですし、現に三番の歌詞には「朝夕なれにし学びの窓」という句もあります。
 ウイキペディアにはこの歌に関する多くの議論が紹介されていますが、私のこの疑問には触れていません。
 誰か教えて下さいませんか。

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教えの庭について (浦 隆美)
2021-04-03 23:21:43
『広辞苑』編者の新村出の「家庭という語」(講談社文芸文庫『語源をさぐる』所収)の説明を再構成すると、「教えの庭」の「庭」の小史は次のとおりです。

①家庭の「庭」は、元々、『論語』の「庭訓」(ていきん)の故事による。
②①の故事は、父の孔子が庭を走って過ぎる子の伯魚を呼び止めて『詩』と『礼』を学べと言ったもの。
③②により、「庭」は子を教育する父を象徴するものとなった。
④例えば、古来、「庭の訓(おしえ)」や「教へし庭」といった表現があった。「庭の訓」は父の教え、「教へし庭」は教えてくれた父を意味していた。
⑤明治以降、父の子への教育を含意する伝統的な「庭」の用法は廃れた。
⑥他方、ホームの訳語としての「家庭」という語が一般的となり、「家」と「庭」がホームという概念によって結び付けられることとなり、「庭」の意味が根本的に転換することとなった。

新村の文章に「仰げば尊し」についての説明はありませんが、「庭」は古来、「教え」と結びつくものであり、和歌でも「教への庭」などの表現が使われていたことから、格調の高さが求められる「仰げば尊し」では「教えの庭」とするのが自然だったのではないでしょうか。

他方、「学びの庭」の歴史は分かりませんが、『デジタル大辞泉』に「庭」の意味として、《物事の行われる場所。神事・行事などの行われる場所。「学びの庭」「いくさの庭」「祭りの庭」》とありました。「教えの庭」が『論語』を背景として教える者と教えられる者の関係に眼目があるのに対して、「学びの庭」は「学び」という神聖な行為が行われる場所であって、場所の神聖さに眼目があるのではないでしょうか。「仰げば尊し」のテーマが師弟関係にあるとすれば、「学びの庭」より「教えの庭」の方がふさわしいと考えられます。

しかし、「庭の教え」は、本来、父親(家)による教育を意味するものでした。江戸時代の上田秋成の『盗人入りしあと』にも、「昔はかかる遊びを庭の教へにて習ひしが、…」(昔はこのような遊びは家の教育で習ったが)とありました。「仰げば尊し」では、「教えの庭」が家ではなく学校のこととなってしまい、一見格調高く見せながらも、『論語』以来の意味を無視、あるいはひっくり返しています。この点では、「教えの庭」は「仰げば尊し」に最もふさわしくない言葉であったはずです。

なぜこのようなことになったのか、分かりません。歌詞は、大槻文彦・里美義・加部厳大の合議で作られたとありましたが、『言海』を書いた大槻が「教えの庭」の伝統的意味を知らなかったとは思えません。明治以降、伝統的な「庭」の用法が廃れる一方で、学校が整備され、校庭ができたりして、「教えの庭」が学校を意味することが一般的となり、それに従ったのでしょうか。あるいは、師弟関係に父子関係を投影させて、学校教育に家庭教育の役割までも持ち込もうとする意図があったとすれば、「仰げば尊し」の「教えの庭」は、今日の学校教育の問題へとつながっていることとなりますが、考えすぎかもしれません。

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