マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

お知らせ

ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

メープル・シロップ

2009年12月31日 | マ行
 北米地域では、白人が入植するずっと以前から、先住民がカエデの樹から採取した樹液を煮詰めてシロップを作っていました。彼等はこのシロップが、ミネラル分豊富で栄養価に優れていることを知っていたのです。

 白人の入植が始まると、先住民は入植者に樹液を採取し煮詰めて甘いシロップを作る方法を教えました。これはすぐに入植者の間に広まり、17~18世紀には、メープル・シロップは開拓という厳しい労働に従事していた彼らの大切なエネルギー源となったのでした。

 当時は、斧で樹皮に切り込みを入れ、木製のバケツをくくりつけて、そこに樹液を集めていました。そして、重いバケツを持って、雪の上をカンジキのようなものを履いて木々の間を歩き回って樹液を集め、森の中に立てた「シュガーハウス」と呼ばれる簡単な小屋でシロップ作りに励んだのです。

 20世紀後半になって、森の中にパイプを張りめぐらせて樹液をシュガーハウスまで輸送する設備が整い、重いバケツを持って歩きまわる重労働はなくなりました。

 採取方法は近代化されましたが、樹液を煮詰めてシロップにするというシンプルな方法は今も変わりません。はるか昔から自生するカエデの森では、今でも雪解けの季節になると、シュガーハウスから真っ白な煙が立ち上るのです。
 参考・ケベック・メープル製品生産者協会

 (第3世界ショップのチラシから)

     感想

 第3世界ショップのメープル・シロップは絶品です。「美味」なんて段階を通り越して「気品」があります。本当です。
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給食費

2009年12月30日 | カ行
 いよいよ冬休み。小・中学校の学校給食をあずかる栄養士や事務職員にとっては、新型インフルエンザにふり回された2学期だったという。

 毎日1時間目が終わると、先生たちと欠席の状況を確かめる。翌日の学級閉鎖が決まれば、食材業者に納入数を減らすよう、大急ぎで連絡する。

 学級閉鎖中の給食費は、保護者に返金するのが原則だ。だが、口座振り込みの手間がバカにならない。学校や自治体によって対応はまちまちだったようだ。

 給食費の滞納が増えていることも大きな悩みだ。学年末に食材費が足りなくならないよう、2学期には牛肉を豚肉に替えたり、エビ2匹を1匹にしたり。

 未納の保護者には督促の手紙を出し、電話をかける。生計が苦しい親には就学援助の相談に乗る。給食費事務に割かれる教職員の労力は、並大抵ではない。

 平均で中学生は月約4500円、小学生は4000円。給食費は家庭が学校に支払う一番額の大きいお金だ。ほとんどの小中学校で教育に組み込まれ、どの子にも欠かせないのに、公的な予算の外に置かれ、家庭から集金するシステムを取る。そこに無理や矛盾が生じていないか。

 中学生までの子を持つ全世帯に配られる「子ども手当」の一部を、あらかじめ給食費に回し、例えば市町村教委や学校が代理受領できるようにしてはどうだろう。手続きは容易ではなさそうだが、子どもの「育ち」のために確実に使われる仕組みになる。

    (朝日、2009年12月26日。石橋英昭)
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虐待

2009年12月29日 | カ行
   親から続く貧困の連鎖断て

      堀場 純矢(日本福祉大准教授、社会福祉学)

 親による虐待や育児放棄などで児童養護施設に入所する子どもたちが、バブル崩壊以降の不況を反映して増えている。2007年には入所率が全国平均で91%に達し、特に都市部の施設は飽和状態である。

 しかし、入所に至るまでの子どもと親の生活の実態がどのようなものであったかは、厚生労働省が5年おきに実施している入所児童調査で親の就労条件や所得階層の項目が1987年に削除されて以降、全国的な実態がつかみにくくなっている。そこで私は子ども虐待などの背景を知るため、2000年から2008年にかけて東海地方の児童養護施設6ヵ所の父母352人を対象に調査した。

 まず、親の学歴が判明した204人のうち93%が高校卒以下であることがわかった。これは親の弟、つまり子どもの祖父母の代から経済的に困窮していることを反映しているとみられる。親の職業・収入をみると、学歴が低いことが影響し、就労が不安定な人が32%、無職が28%と割合が高く、生活保護受給者の割合も10%と高かった。このため社会保険が無保険状態にある人が26%と、全体の4分の1を占めていた。

 居住環境をみると、収入が不安定なために民間アパートや寮、公営住宅など相対的に手狭な住まいで暮らしている人が45%と、半数近かった。また、近所付き合いの程度が判明した204人のうち、92%が「ほとんど皆無」と、地域で孤立している姿が浮かび上がった。こうした厳しい生活実態を反映するように、精神疾患・症状のある人が26%、慢性疾患・症状がある人が22%と、心身の健康問題がきわめて深刻な状態にあることがわかった。

 この調査結果からは、施設で暮らす子どもと親の生治基盤が脆弱で、自助自立の前提となる社会的条件が確保されていないことが、浮き彫りとなった。とりわけ注目したいことは、祖父母の代からの貧しさを背景として「低学歴→不安定就労→失業・借金→心身の健康状態の悪化→虐待・離婚→家庭崩壊→施設入所」という、「貧困」と「虐待」の再生産が多くみられることである。このような家庭環境で育った子どもたち(5施設の211人)は、施設入所時にアレルギー(25%)や過食・偏食(24%)、歯科疾患(20%)など、健康面の問題を抱えていた。

 限られた地域での調査ではあるが、ここに表れた結果は虐待や貧困など子どもを取り巻く困難な問題を解決するには、児童福祉施策の拡充だけではすまないことを改めて突きつけている。すなわち、国際的にみても水準が低い日本の雇用・住宅・医療・教育などの社会政策や、社会保障・社会福祉制度を含めた生活保障制度のトータルな整備・拡充が必要である。
  (朝日、2009年10月31日)
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事業仕分け(04、決算審査に)

2009年12月28日 | サ行
         加藤 秀樹(構想日本代表)

 いまの日本はどこまでも中央集権的で、教育にせよ、福祉にせよ、インフラ整備にせよ、あらゆる地域で「金太郎アメ」のように同じ政策がおこなわれている。ものを一からつくる明治維新や戦後の一時期はそれで良かったが、現在の社会においては、問題への対応も地域の状況に応じて多様でなくてはならない。無理やり画一的な政策をはめ込もうとするから、無駄は出るし、役所も活力を失う。

 多くの人はこうした問題を意識してはいる。しかし、政治家や官僚たちは行政改革や地方分権といった抽象的な議論に終始し、山のように報告書を作っても現場を変えるには至らない。どうすれば実効性のある対策をとれるかむずっと考えていた。

 そんなある日、構想日本に出入りしていた自治体職員に「一つひとつの予算を洗い、どの程度住民にとって生きているのかをチェックできるか」と聞いた。現場の事業を点検することで、背後にある制度の問題点を浮かび上がらせられないかと考えたのだ。答えは「できる」。

 梶原拓・岐阜県知事(当時)はじめ10人くらいの知事と開いていた勉強会「国と地方の税制を考える会」を軸に、2002年秋の岐阜県を皮切りに「国と地方の税制を考える会」のプロジェクトとしてスタートした。

 当初は自治体すべての事業を対象に、各県の職員が説明役となり市職員らが仕分けをした。数千項目が並ぶ分厚い予算書を見ながらで大変だった。各県を回り2年くらい続けるうち、事業の15%くらいは不要だとか、民間に任せれば3割は減るとか、相場観が浮かんできた。

 3年目から全事業仕分けから事業数をしばった仕分けを始めた。「市民参加型」も試みたが、最初はうまくいかなかった。利害関係者が集まって陳情合戦になってしまった。

 さまざまな工夫も凝らした。例えば「事業シート」は画期的だ。役所が出す資料は自分たちが言いたいことだけが書いてあり、必要な情報がなかった。こちらの仕様に沿う形でシートに事業の趣旨や負担額、効果などを記入してもらうことで、中身が格段に見えるようになった。

 自治体から始めた事業仕分けだが、私の頭にあったのはもともと国。今回の事業仕分けは年来の思いが実現したといえる。

 とはいえ戸惑いもあった。09月に鳩山政権が発足、財源の捻出法として、事業仕分けに過大な期待が集まった。いつの間にか、予算査定の手段のようになってしまった。事業仕分けは本来、「決算審査」なのだ。実施された事業の妥当性、効果の有無の評価に限ったもので、政策評価をしているわけではない。

 今後、国の事業仕分けを続けるとすれば、予算とは切り離してやりたい。政策の仕分けは政治サイドでやる。我々は現場でのお金の使われ方のチェックを、徹底してやる。

 中身としては事業にとどまらず、制度そのものにも切り込みたい。地方の例を挙げると、国の定める道路構造令。法律に従って造れば補助金が出るが、一定の道幅が必要などの制約が多い。長野県栄村では、補助金を使うと1㍍あたり11万円の建設費が、村独自の基準で建設すると、6分の1の予算でできた。こんな例は実は多い。ここをもっと議論したい。

   (朝日。2009年12月10日。聞き手・東野真和)
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モンスター・ペアレンツ

2009年12月27日 | マ行
 東京都内の公立小学校で、親が子供に対する学校側の指導に不満を持ち、「迷惑料」などの名目で現金10万円を校長に要求していたことが12月15日、都教委の調査で分かった。校長は要求を拒否したが、親は給食費の不払いを宣言してトラブルに発展した。

 理不尽な要求をするモンスターペアレント(問題親)に悩む学校は急増し、校長が鬱病(うつびょう)で休職するケースも出ている。事態を重視した都教委は新たにモンスターペアレントへの対応策を示した手引書を作成し、都内公立学校の全教員に配布することを決めた。

 関係者によると、トラブルを起こした親は今年夏、子供に対する運動指導中に起きた問題で、学校側の対応の悪さを指摘。当初は校長に通信費名目で現金1000円の支払いを求めたが、要求はエスカレートし、最後は「迷惑料」として現金10万円を求めた。校長が拒否すると、親は給食費不払いを宣言した。

 今年05月に都教委が専門家らで設置した「学校問題解決サポートセンター」で対応を協議。「学校側が謝罪することが先」と助言したが、親の理解は得られず、数ヵ月分の給食費の未払いが続いている。

 都教委の調査では、保護者から理不尽な要求を経験したのは、都立高校の約15%、小・中学校で約9%。センターへの相談は、05月から11月末まで112件、延べ181回に上っている。

 最近では修学旅行から帰宅後、体調の異変を訴え緊急入院した生徒の親が、「刃物を持って担任を刺しに行く」などと猛抗議。担任が家族への危害を恐れるような事態も起きている。

 こうした事態を踏まえ、都教委は、モンスターペアレントへの解決策を示す「学校問題解決のための手引き」を作成した。親への対応や問題解決までの方法を事例ごとに紹介。解決策を書き込むワークシート方式が特徴で、「保護者と接する心得10ヵ条」も示した。都教委幹部は「教員には苦情を『事実』『推測』『要望』『無理難題』といったように整理して考えられるようになってほしい」と話している。

 (産経新聞ネット版、2009年12月16日)

     感想

 私は、生きた屍のような「モンスター市長」や「モンスター教育長」や「モンスター校長」に悩まされています。モンスター・ペアレンツとどちらが悪いのでしょうか。
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お知らせとお願いと予告と

2009年12月25日 | 読者へ
   お知らせ

 ケロログへの関口ドイツ語講座(1957年度分)のアップロードがすべて終わりました。「関口ドイツ文法」の仕事の見通しが立ってから掛かるつもりでしたが、校正刷りが遅れましたので、少しずつこちらを片づけました。技術的な点では何人かの人々に助けてもらいました。ありがとうございます。私のパソコンについての知識と技術も高まりました。

 繰り返しお伝えしましたように、ケロログには「哲学の広場」から入れます。

   お願い

 そのラジオ講座の1958年01月29日では歌曲の鑑賞をしているのですが、その歌詞のドイツ語が分かりません。曲が「セレナーデ」であることは講義の中で関口さんが言っていますので分かるのですが、それだけでは捜せませんでした。

 お聴きになった方が「コメント」欄に「シューベルトの歌曲集『白鳥の歌』の第4曲」であると教えて下さいました。同時にその歌詞の書いてある所としてURLも教えて下さったのですが、そのURL(ドイツ語版ウィキペディア)で検索しても「何もない」と出て来てしまいます。

 図書館でCDでも借りて調べることも出来るでしょうが、誰か手元にお持ちの方は教えて下さいませんか。「白鳥の歌」の第4曲の「セレナーデ」の歌詞(ドイツ語)です。よろしくお願いします。

   予告

 「関口ドイツ文法」のゲラ(校正刷り)がいよいよ来年早々にも出るとの通知を編集者から受け取りました。原稿をお送りしたのが02月16日ですから、いかに大変だったか、察するに余りあります。

 この間、私はその文法書の「落ち穂拾い」として、ゲーテの「ファオスト」についての関口さんの訳と解説を調べてきました。これも出来たら何らかの形で後の人に残しておきたいと思っています。

 「ファオスト」の訳とその訳書に付けられた解説および独立して書かれた解説も、それぞれ意味はあると思いますが、やはり関口さんの解説は断然抜きん出ていると思います。まして、ドイツ語を文法的に読むとはどういうことかを実例で教えるものとしては、これに勝るものはないでしょう。

 そういうわけで、来年はまず「関口ドイツ文法」を完成させます。そして、その後は「ファオスト(関口氏の訳と説明を中心にした)」をまとめることになるでしょう。それで私のドイツ文法研究は終わりにしたいです。その後は哲学に戻るつもりです。随分長い廻り道になってしまいました。

 2009年12月25日、牧野 紀之
コメント (2)
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事業仕分け(03、枝野幸男・議員チーム総括)

2009年12月24日 | サ行
 あまりにも遠い存在だった国の予算。そこにこれほどの無駄があったとは。事業仕分けが流行語大賞でトップ10入りするほど社会現象化した背景には、国民のそんな驚きがあります。

 今回、多くの人が集まれる場所で作業をしたのは、自治体での仕分けの経験を生かした好判断でした。ネットや議事録によるのと直接見るのとではインパクトが違う。政治をプロに任せきりにはできないという最近の国民の意識と合致しました。

 「総括役に」との話があったときは正直、大変だと思いました。447もの事業を仕分けるとなると、基本的な知識、情報をインプットするだけで相当な負担です。実際、9日間の本番のために事前の勉強を20日ぐらいやりました。

 要求側の省庁と査定側の財務省の担当者を呼び、2,3時間かけて説明を聞いた。とくに要求省庁からは事業の効果や天下りの実態などを細かく聴取しました。時間配分はおおむね要求省庁3に対し財務省は1。財務省ペースにのってはいません。

 約1時間の議論で仕分けができるのかという批判もありましたが、事前にそれだけ時間をかけた。現場で仕分け人がイラついた場面もありましたが、あらかじめ要求した資料が出てこなかったせいもあったのです。

 仕分けの対象は、財務省が薦める事業、民主党が今春おこなった仕分けの対象事業、会計検査院などで税金の使い道が問題視された事業、議員が取り上げたい事業、の4つのカテゴリーから私の責任で選びました。財務省主導ではありません。

 仕分け作業の中心はあくまでお金の使い方が合理的か見極めること。その事業の目的が重要かどうかは、政府全体、部署でいえば国家戦略室で決めます。

 政治はちまちました仕分けにかかわらず、大局を語るべきだという指摘があります。でも私はその発想こそが、この国の放漫財政をつくったと考えています。地に足のつかないことを言い、あとは役所に任せるのが従来の政治でした。霞が関はそのほうが都合がいいし、政治家も楽なのでそちらに流れた。

 その結果、何が起こったか。例えば科学技術分野。仕分けでは「科学技術は重要ではない」とは言っていない。しかし、金の流れをみると、「中抜き」や「ピンハネ」が目立ち、ひどいものです。当然、厳しく判定せざるを得ない。おいしい思いをしたい霞が関を政治家が監視しなかったから、こんなことになる。大局は大事。でも本質は細部に宿るのです。

 今回はメディアが大挙して仕分けを取り上げました。今はメディアを通じて国民にどう映るかをいや応なく考えねばならない時代です。特にテレビは怖い。コミュニケーション能力の高い蓮舫さんでさえ、どう映されるかを考えて途中でスタイルを修正していました。

 メディアはこれを一過性に終わらせず、予算として最終結果が出るまで細部に目を光らせて監視をしてもらいたい。仕分けの趣旨をすり替えようとする霞が関の策動には、のせられないでほしいです。

 来年以降も予算の使い方を公開で議論する作業はせざるを得ないでしょう。パンドラの箱は1回開けたら閉まらない。国民の目に触れないところで予算を決めることはもう、できないのです。 (朝日、2009年12月09日。聞き手・吉田貴文)
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議論(06、フィンランドの倫理学の授業)

2009年12月17日 | カ行
 高橋絵里香著「青い光が見えたから」(16歳のフィンランド留学記、講談社、2007年)に次の記述がありました。

     

 多くの人がキリスト教、その多くがルター派を信仰しているフィンランドでは、学校でも「宗教」は必修の科目だ。だが当然、別の宗教を信仰している人もいれば、無宗教の人も少数ながらいて、その人たちのためには「倫理学」という別の教科が用意されていた。私は特に信仰している宗教もなかったので、この倫理学を2年生の1学期に取ることにした。

 倫理学という言葉を辞書で調べてみると、「道徳やモラルの起源・発達・本質などを研究する学問……?」。なんだかやたらとむずかしい印象を受けてしまったが、実際の倫理学の授業は決してかたいものではなかった。何が正しくて何がまちがっているのか、自分の道徳心を基に自分の考えをまとめ、そう思うのはなぜかとさらに自分に問いかけて、他人のさまざまな意見をききながら、自分なりの答えを見つけていくというのがこの教科のねらいだ。倫理の先生は、おだやかな人柄で、年配なのにお茶目なところがある副校長のタイナ先生だ。クラスには20人くらいの生徒が集まっていた。

 授業では、いろいろな社会的な問題について自分の意見を述べあった。一応、教科書もあったが使うことはまれで、授業では常に話しあいが行われた。話しあいのテーマには、いつも興味深いものが取りあげられた。

 「みんなも知っているように、フィンランドにはすでに大勢の外国人が住んでいます。私たちの学校にもエリカをはじめ、何人も留学生がいますね。彼女たちは、異文化について語ってくれたり、新しい価値観について教えてくれて、私たちの心を豊かにしてくれます。学校や国が国際的であるというのは、とてもすばらしいことです」。タイナ先生が、私の方を向いてにっこり笑った。「でも、国際化にはリスクもつきものです。最近では移民による犯罪も増えてきました。そこでみなさんの意見をきかせてほしいのだけど、これからもどんどん外国人を受けいれてもいいのでしょうか。それとも受けいれない方がいいのでしょうか。みなさん、意見がまとまったら手をあげてください」。

 先生はそう言うと、外国人の犯した犯罪についての新聞記事を資料として生徒に配った。記事に目を通した生徒の中から、さっそく手があがりはじめた。
「私はこれからも外国人をどんどん受けいれていいと思います。フィンランドには、まだ人が住んでいない土地がたくさんあるから、難民の人たちをフィンランドが進んで受けいれるべきだわ。もちろん、留学生たちも大歓迎です。ちがう国の出身の彼らから、私たちが学ぶことはとても多いですから」。そう言ったのは、外国人の友達が多いリーッカだ。

 次に、アンナマリが手をあげた。

 「私は、これ以上膨大な数の外国人を入れない方がいいと思います。移民や外国人による凶悪事件が増えているのは確かだし、これがエスカレートすると国の治安も悪くなるかもしれない。フィンランドの人口はもともと多くはないから、あまりに無制限に外国人が入ってくると、フィンランドの文化や国自体が変わってしまうんじゃないかな」。

 「なるほど。確かにそうだよなぁ……」。それをきいて、私も妙に納得してしまった。

 アンナマリは、別に外国人が嫌いなわけではなかった。英語の授業でペアになって勉強をしたときも、私にとても親切だった。ただ彼女はフィンランドという国が好きだから、他国の影響を受けすぎて悪い方向に変わってはしくないと願っているだけなのだ。フィンランドはとても平和な国だが、深刻な問題の1つである覚せい剤問題に外国人が関わっていたり、悲惨な暴力事件などの犯人が実は外国人だったりということも少なからずあり、外国人によってフィンランドの治安が悪くなっていると言えないこともない。

 話しあいはそのあとも、他の人の意見をさえぎらずに最後まできくというルールをしっかり守りながら、賛成派と反対派の間でくり広げられた。ほとんどの人が賛成派だったが、少数でもしっかりと意見を述べている反対派の人たちに私は感心した。

 「エリカはどう? あなたは、フィンランドでは外国人の立場にいるわけだけど」。先生が合間に、私に意見を求めた。

 「外国人として私は、フィンランドに外国人を受けいれようと言ってくれる人がいるのはうれしい。けど、反対派の人の意見もとても納得できる……」。

 授業も終わりに近づいたので、先生が締めくくった。

 「私もね、どっちが正しいかなんてわからないわ……。わかってたら、この社会問題は解決してしまっているわね」と、先生が笑った。先生はこの話をうまくまとめようとはしなかった。ディベートの話題を持ちかけても、「正しい答え」など用意しなかった。先生は誰の意見も変えようとはせずに、本当に自由に生徒たちに語らせた。そんな授業風景は、倫理学に限ったことではなかった。フィンランドの若者が、「自分の頭で考えることができる大人」になれるのは、こういう授業の形が大きく影響しているからなのだろう。「他の人の意見にあわせる必要はない。ただ自分の考えはきちんと持って、問われたときは、感情的にならずに、説明できるようになろう」というこの教科の目標は、生徒1人1人の個性を、これ以上ないほどに大切にしたものだった。(引用終わり)

     感想

 1、「宗教」の方も受講してみると好かったと思います。キリスト教を信仰していない人が受講してもいいはずです。西洋に興味を持ってもキリスト教を勉強しようとしない日本人が多すぎると思います。

 2、他の生徒はどういう理由で「宗教」でなく、「倫理学」を選んだのかも聞いて見ると好かったと思います。

 3、エリカさん自身はどちらの立場なのか、はっきり言えなかったのは残念。

 4、そもそも先生が、自分の考えを押し付けないのは当然ですが、自分の考えを言わない(言えない)のは情けない。賛成か反対か以外に、「一定数の上限を設けて受け入れる」といった第3の考えもあるはずです。

 以上、少し無理な注文ですが、一応、原理的な感想を書きました。


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お知らせを2つ

2009年12月16日 | 読者へ
1、「浜松市役所の真ホームページ」をJimdo(ジンドゥ、と読むらしい)サイトで改訂復活させました。

 「浜松市役所の真ホームページ」は、実際には、このJimdoサイトをトップページとして、その下にブログ「浜松市政資料集」「浜松市政資料集2」「浜松市政資料集の目次」を従え、全体が一体となっています。

 これで、市役所のカウンター・ホームページを作ることが出来るのではないかと考え、実行してみます。

 まだ「輪郭の『リ』の字」が出来ただけですが、これだけでも、「全体的真実を分からなくさせるために個別的事実を更に細分化して発表している」公式ホームページに対して、「全体的真実を分かりやすく発表する」真のホームページの構想は推察できると思います。

 個々の情報でも「全体的真実」を追求するのですが、画面の作り方に関する私の問題意識は、パソコンの画面は、原則として、線的に作るべきではないか、ということです。つまり、上から下へと目を走らせれば漏れなく探せるようにするということです。現在の市役所のホームページは、よそでも同じですが、特にそのトップページが面的に作られていて、目を縦横に動かして捜すように出来ていますが、これでは拙いのではないかということです。

 建設的な批評とご意見をお願いします。

2009年12月16日、牧野 紀之

2、ケロログでの関口ドイツ語講座4(1958年01~03月分)は少しずつ増やしています。

 ホームページ「哲学の広場」から入れます。
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高橋絵里香著「青い光が見えたから」(16歳のフィンランド留学記)

2009年12月14日 | タ行
 この本は、小学校4年の時に「楽しいムーミン一家」を読んで夢中になり、その後どうしてもフィンランドに行って留学したいと思うようになって、それを実現した高橋さんの留学記です。

 高橋さんは暴力中学校で自分を見失いかけますが、結局フィンランド留学にこぎつけます。そしてその4年間の生活の中で自分を取り戻すことになります。

 学力世界1で一躍脚光を浴びている国ですが、その高校生活を内部からルポした貴重な記録です。

 英語の卒業試験の結果を心配していた(不合格だと卒業できない)のが、結局合格したことが分かった時の記述を読んだ時は拍手をしたいくらいでした。

 中学校生活とフィンランドの高校の倫理学の授業と卒業試験の様子との3か所を引用します。

 ──中学校生活
 私の通った小学校は、とても小さな学校で、上級生も下級生もお互い友達のような存在だった。ところが中学校では、上級生とはいつも敬語で話さなくてはならなくて、廊下ですれちがうときは、必ず自分から頭を下げてあいさつをしなければ、生意気と言われた。トラブルを起こさないようにと視線を避けているうちに、私はいつのまにか人の目をまっすぐ見ることができなくなってしまった。上級生とのふれあいが一番多い部活動でも、上下関係がはっきりしていた。校則も細かく、制服のスカートの長さはひざまでと決まっていたし、髪の長さやゴムの色、靴下の色、外見に関することは何から何まで決まっていて、髪を染めたりピアスを開けることも、他の多くの日本の中学校のように禁じられていた。

 また、経験の少ない若い先生たちは、体罰や脅しによって生徒に言うことをきかせようとしていた。宿題や教科書を忘れると拳で頭を殴る先生や、授業中騒がしくなると急に大声で怒鳴ったり、教卓を蹴りたおしたりする先生が何人もいた。なかには、先生に胸倉をつかまれたり、背中を蹴られたりした生徒もいた。しかし、暴力の程は、けがをするほどひどくはなかったためか、一度も公に問題になったことはなかった。

 その中に、生徒が忘れ物をしたり授業中おしゃべりをしたときに、他の生徒たちに笑いかけながら見せしめのようにひっぱたいたりする先生がいた。私に直接その手が振りあげられることはなかったが、ある日、教室に入ってきた先生に女子生徒が、「教科書を忘れました」と言いにいったとき、最後まで言い終わらないうちに彼女の頭に拳がとんできて、しかも先生は、「今、いい音したね」と笑ったのだ。その女子生徒は、小学4年生の頃ムーミンの本を読んでくれた私の親友だった。親友はただ、目に涙をにじませながら笑いかえすことしかできなかった。

 そのとき彼女はなぜ、なぐられたうえに笑われなければならなかったのだろう。怒りがこみあげてきたのに、それを訴える勇気のない自分が心から情けなかった。

 「どんなことがあっても、生徒が何をしたとしても、教師に生徒を殴ったりする権利はないんだよ」。以前、教員だった父と母は、そう言っていた。

 それならなぜ、そんなことが平然と行われているのか。話が矛盾しすぎて、私にはわけがわからなかった。

 親しくなった先生には、他の先生のそんな行為について思いきって話したことがあった。誰かに話すことで状況が変わるのではないかと、私は願っていた。先生も、「暴力はいけない」といぅ私の話に、深くうなずいてくれた。

 ところが、それから何日も経たないうちに、その先生は騒いでいたという理由で、固く丸めた教科書で女の子の頼を思いきり殴ったのだ。それも私のすぐ目の前で……。すがるようにして紡ぎあげた先生への信頼の糸は、あまりにもあっさりと切りはらわれてしまった。

 それでも、きちんと話をすれば先生もきっとわかってくれると信じて、もう一度談判に行ったが、「俺は教師になりたくてなったんじゃない!」という先生の怒鳴り声に、わずかな希望もうち砕かれてしまった。私の両親も先生と話しあってくれたが、状況は少しも変わることがなかった。

 そんな先生たちに対して、私の不信感はどんどん募っていった。許されざることが黙認されるのは、きっとそれが私の知らなかった「現実」というものだからなのだろうと、すべてをあきらめるようになった。

 それ以来、私は何かに対して疑問を持つこともなくなった。自分が目立ったことをして、理由もなく笑われたり、目をつけられたりしないように、周囲と歩幅あえもあわせようと必死になっていた。恐ろしいことに、自分を押し殺していることにも自覚がまるでなかった。

 他人に自分の存在を拒否されたり、否定されたりすることを何よりこわがるようになった。人の顔色をうかがいながら、本当はいつもビクビクしている自分がいた。

 「ごめんなさい! 何度でもあやまるから、どうか私を憎んだりしないで」と、ひどくおびえ、何に対してもすぐにあやまる癖がついたのも、このときだった。

 自分でも気づかないうちに、自分の髪の毛を抜く癖が出たり、原因不明の湿疹にも悩まされたりした。休日も、家にいる時間のほとんどを寝て過ごすようになったが、今思えば、そうすることでかろうじて自分の肉体と精神の安定を保とうとしていたのだろう。しかしそのときは、なぜこれほどまでにすべてに対して投げやりな気持ちになるのか、なぜこれほどすべてを否定して眠り続けたくなるのか、自分でもわけがわからず、両親や他の人に相談もできなかった。そしてそのうち、自分のあたためてきた留学の夢にまでも身を縛られそうな気がして、それすらどうでもいいと思うはど、私の心は病んでいった。

 そんな環境の中、私は毎日を平穏に過ごしていくだけで、精いっぱいだった。友達と集団で群れることに安心感を持つようになり、「みんなとおんなじような高校に行けばいいや」と、本気で思いはじめたこともあった。人とちがう道を歩むことを、こわいと思うようになっていたのだ。こわいだって? フィンランドにつよく魅かれた小学生の頃の私なら、他の人がどんな道を行こうがかまわなかったはずだ。夢どころか私が見失っていたのは、自分自身だった。

 ──倫理学の授業
 多くの人がキリスト教、その多くがルター派を信仰しているフィンランドでは、学校でも「宗教」は必修の科目だ。だが当然、別の宗教を信仰している人もいれば、無宗教の人も少数ながらいて、その人たちのためには「倫理学」という別の教科が用意されていた。私は特に信仰している宗教もなかったので、この倫理学を2年生の1学期に取ることにした。

 倫理学という言葉を辞書で調べてみると、「道徳やモラルの起源・発達・本質などを研究する学問……?」。なんだかやたらとむずかしい印象を受けてしまったが、実際の倫理学の授業は決してかたいものではなかった。何が正しくて何がまちがっているのか、自分の道徳心を基に自分の考えをまとめ、そう思うのはなぜかとさらに自分に問いかけて、他人のさまざまな意見をききながら、自分なりの答えを見つけていくというのがこの教科のねらいだ。倫理の先生は、おだやかな人柄で、年配なのにお茶目なところがある副校長のタイナ先生だ。クラスには20人くらいの生徒が集まっていた。

 授業では、いろいろな社会的な問題について自分の意見を述べあった。一応、教科書もあったが使うことはまれで、授業では常に話しあいが行われた。話しあいのテーマには、いつも興味深いものが取りあげられた。

 「みんなも知っているように、フィンランドにはすでに大勢の外国人が住んでいます。私たちの学校にもエリカをはじめ、何人も留学生がいますね。彼女たちは、異文化について語ってくれたり、新しい価値観について教えてくれて、私たちの心を豊かにしてくれます。学校や国が国際的であるというのは、とてもすばらしいことです」。タイナ先生が、私の方を向いてにっこり笑った。「でも、国際化にはリスクもつきものです。最近では移民による犯罪も増えてきました。そこでみなさんの意見をきかせてほしいのだけど、これからもどんどん外国人を受けいれてもいいのでしょうか。それとも受けいれない方がいいのでしょうか。みなさん、意見がまとまったら手をあげてください」。

 先生はそう言うと、外国人の犯した犯罪についての新聞記事を資料として生徒に配った。記事に目を通した生徒の中から、さっそく手があがりはじめた。
「私はこれからも外国人をどんどん受けいれていいと思います。フィンランドには、まだ人が住んでいない土地がたくさんあるから、難民の人たちをフィンランドが進んで受けいれるべきだわ。もちろん、留学生たちも大歓迎です。ちがう国の出身の彼らから、私たちが学ぶことはとても多いですから」。そう言ったのは、外国人の友達が多いリーッカだ。

 次に、アンナマリが手をあげた。

 「私は、これ以上膨大な数の外国人を入れない方がいいと思います。移民や外国人による凶悪事件が増えているのは確かだし、これがエスカレートすると国の治安も悪くなるかもしれない。フィンランドの人口はもともと多くはないから、あまりに無制限に外国人が入ってくると、フィンランドの文化や国自体が変わってしまうんじゃないかな」。

 「なるほど。確かにそうだよなぁ……」。それをきいて、私も妙に納得してしまった。

 アンナマリは、別に外国人が嫌いなわけではなかった。英語の授業でペアになって勉強をしたときも、私にとても親切だった。ただ彼女はフィンランドという国が好きだから、他国の影響を受けすぎて悪い方向に変わってはしくないと願っているだけなのだ。フィンランドはとても平和な国だが、深刻な問題の1つである覚せい剤問題に外国人が関わっていたり、悲惨な暴力事件などの犯人が実は外国人だったりということも少なからずあり、外国人によってフィンランドの治安が悪くなっていると言えないこともない。

 話しあいはそのあとも、他の人の意見をさえぎらずに最後まできくというルールをしっかり守りながら、賛成派と反対派の間でくり広げられた。ほとんどの人が賛成派だったが、少数でもしっかりと意見を述べている反対派の人たちに私は感心した。

 「エリカはどう? あなたは、フィンランドでは外国人の立場にいるわけだけど」。先生が合間に、私に意見を求めた。

 「外国人として私は、フィンランドに外国人を受けいれようと言ってくれる人がいるのはうれしい。けど、反対派の人の意見もとても納得できる……」。

 授業も終わりに近づいたので、先生が締めくくった。

 「私もね、どっちが正しいかなんてわからないわ……。わかってたら、この社会問題は解決してしまっているわね」と、先生が笑った。先生はこの話をうまくまとめようとはしなかった。ディベートの話題を持ちかけても、「正しい答え」など用意しなかった。先生は誰の意見も変えようとはせずに、本当に自由に生徒たちに語らせた。そんな授業風景は、倫理学に限ったことではなかった。フィンランドの若者が、「自分の頭で考えることができる大人」になれるのは、こういう授業の形が大きく影響しているからなのだろう。「他の人の意見にあわせる必要はない。ただ自分の考えはきちんと持って、問われたときは、感情的にならずに、説明できるようになろう」というこの教科の目標は、生徒1人1人の個性を、これ以上ないほどに大切にしたものだった。

 ──卒業試験
 朝8時半に、同じく「短い」数学を取っていたハンナレーナと一緒に、「標準的な」数学の試験会場である近くの中学校の体育館に向かった。フィンランド中の高校でいっせいに行われる国の公式の試験であるため、不正が行われないように、カンニング防止策は徹底していた。前日に、試験で使う電卓を一晩学校に預けにいかなくてはならず、鼻風邪が続いていたのでポケットティッシュも一緒に検査にかけることにした。検査にかけた以外の電卓や紙類は、一切試験会場に持ってきてはいけないことになっていた。他にも余分なものは何1つ持ってくることを禁じられ、鉛筆や消しゴムも筆箱に入れずに手に持たなければならなかった。

 卒業試験は、どの教科にも9時から3時までの6時間が用意されていて、試験を早くすませても12時まではその場で待機しなくてはならなかった。途中でお腹が減るので、私も教えられたとおりに、飲みものは透明のペットボトルの飲料を選び、チョコレートは紙をはがして細かく割ったものを透明のランチボックスに入れ、お弁当のサンドイッチもラップに包んだ。それらを会場の入り口でチェックするのは学校の先生たちだが、きびしい先生はサンドイッチに挟まっているのが本当にハムやチーズだけか、パンをはがして見るらしい。

 一定の距離を保ってたくさん並んでいる机の中で、私の席は一番前にあり、机の上にはきのう預けた電卓とポケットティッシュが置いてあった。他にも答案用紙が十分すぎるほどと、鼻をかんだりするためのペーパーナプキンがひとり一枚ずつ配られていた。

 「今から卒業試験の問題を配ります。指示があるまでは問題用紙に触れないでください」。ひとりの数学の先生が大きな声で体育館中の生徒に説明した。他の先生が、問題の載っている冊子を私の目の前に置いた。その表紙に「2003年卒業試験問題。数学」の文字を見たとき、自分の鼓動が耳に大きくきこえてきた。「今年の問題はむずかしくありませんように……」と心の中で祈った。

 「では、はじめてください」。先生の言葉がきこえたと同時に、体育館中にガサガサという音が響いた。私も1秒を惜しむように問題用紙を開くと、問題に目を通した。時間が足りなくて不合格になってしまっては、悔やんでも悔やみきれるものではない。ずらずらと並ぶ問題を見たとたん、頭の中で今まで学んだことが飛びかい目がまわりそうになったが、まず自分を落ち着かせることにした。

 最初の方程式の問題は、意外にもあっさり解けて自信を取りもどしたが、かんたんなのは最初の一問だけで、あとは長い文章問題ばかりだった。答えをいくつも出さなければならない複雑な問題が並んでいて、解くのにも時間がかかった。時間も惜しかったので、解けるものだけどんどん解いて、わからなくて行きづまった問題は、あとからやり直すことにした。そうしているうちに、結局全部の問題に挑戦してみることになったが、15問中、11問以上答えると減点されてしまうので、最後に一番上手く答えられていそうな答案を10問分集めて、あとのものには大きなバツ印を書くことにした。

 12時を過ぎると、数人が体育館を出ていったが、ほとんどの人が机の前に残った。私もようやく半分くらいできたところだったので、まだ出ていくわけにはいかない。トイレに行きたくなり、席を立って手をあげると、監督していた先生が無言のまま私をトイレに案内した。厳格な国の公式の試験でもトイレばかりは許されたが、そこでもカンニングの防止策は徹底していて、先生は個室のすぐ近くまで生徒についてきた。そのうえ、窓もなくて真っ暗な地下のトイレなのに、明かりをつけてはいけないことになっていた。個室にいる間に生徒がカンニングペーパーを読むのを防ぐためだ。だがそれも不自由なもので、トイレではどんなに目を凝らしても何一つ影さえ見えず、「便器はどこだ? トイレットペーパーはどこだ?」と、手探りで探しあてなくてはならない。このことは事前にヴァルプから話をきいていたので、私は家のトイレでも電気を消して練習していた。

 そのあとは、最後まで解けなかった問題とにらみあってはうなった。「もしかして、こう解くのかな?」。試験時間が終わる15分前、なかなか答えが出ずに悩んでいた最後の問題の答えがとうとう出た。予想どおりの数字が電卓に現れたときは、叫びたいくらいの喜びに満たされた。よく見直して答案が10問分あることを確認すると、私はよろよろとした足どりで数学の先生に答案用紙を渡し、出口へと向かった。

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事業仕分け(02、終えて)

2009年12月13日 | サ行
事業仕分けを終え科学技術予算について思うこと

                      JT生命誌研究館館長、中村 桂子

 行政刷新会議の「事業仕分け」に、仕分け人として参加しました。今回の事業仕分けは「個別事業について無駄を見出す」という試みとしては、一定の成果をあげたと思います。また、研究者と官庁の間の話し合いで組み立ててきた中での常識が、必ずしも社会の常識と合致するものではないという例にも出会い、開かれた議論の重要性を実感しました。

 科学技術予算については、総合科学技術会議、旧七帝大+慶応・早稲田の学長、ノーベル賞受賞者、自然科学研究機構などの独立法人、学会などから批判の声が相継ぎました。教育、学術を含めて科学技術の重要性は認めますが、これらの反応が、今回の事業仕分け全体を見て、その中での科学技術予算のあり方を考えたうえでの判断ではなく、「とにかく科学技術予算を削ったのはけしからん」というものであったのには、大きな問題を感じました。科学技術(私自身は科学ですが今は予算は科学技術しかありません)の重要性がわかっていないときめつけていたこと、実態を分析して解決策を提案するものではなかったことも問題です。

 この10年ほど、「集中と選択」というかけ声のもとバランスを欠いた予算の組み方がなされてきたことは、研究者の誰もが感じていることです。誤解を恐れずその実感を表現するなら「予算を削られるより、バランスを欠いた予算配分の方が学問を壊す力は大きい」と言ってよいと思っています。

 たとえば、麻生内閣の補正予算でつけられた2700億円の先端研究助成基金は、1000億円に削減されたという話を聞きましたが、それにしても乱暴な話です。これほど大きな額のお金を学問としての必然性なしに出すこと自体おかしいと思います。この提案があった時に「研究の本質が分からずに勝手なことをされては研究者コミュニティが壊れる」と抗議をし、「本当に必要な研究を必要な額支援すること」を求めるという行動を今回抗議なさった方達にとっていただきたかったと思います。そのうえで、今回の削減にも「本当に必要な研究に必要な額出すこと」を求められたのなら、筋が通って納得できます。しかし、ただお金の要求では説得力に欠けます。お金が多ければ多いほど研究成果があがるということではありません。

 くどいようですが、「大事な研究に本当に必要な額をつける(それは削らない)」ことが必要なのであり、今回の仕分けの結果を専門家が検討し、もしそのようなところがあったら「必要な額」に戻さないと角をためて牛を殺すことになります。この作業はどうしても必要です。是非専門家にそれをやらせて下さい(スーパーコンピューターも含めて)。皆でていねいに考えること。学問の世界にはこれが不可欠です。本日の新聞でその方向が出されたことを知り、これからに期待しています。

 昨日(11月30日)、COEという文科省のプロジェクトに関する会合がありました。そこで「継続性」について活発な議論がありました(これは仕分け作業の時に私が指摘したことと重なります)。これまでこのような議論はなかったので、驚くと共にすばらしいと思いました。考えることが始まったように思います。仕分けの効果と私は受け止めましたが、そうだとよいのですが。

 (構想日本のメルマガ、2009年12月04日)


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pdf鶏鳴双書

2009年12月12日 | カ行
 お断り・2024年8月以降、クラウドからダウンロードする方法でお渡しすることにしました。

 pdf鶏鳴双書1   2000円(税送込み)

01、小論理学(上巻)
02、同、注解
03、生活のなかの哲学
04、先生を選べ
05、哲学夜話

 pdf鶏鳴双書2   2000円(税送込み)

01、小論理学(下巻)
02、同、注解
03、概念論(第1分冊)
04、ヘーゲル研究入門
05、労働と社会
06、ヘーゲルの目的論
07、関口ドイツ語学の研究

 pdf鶏鳴双書3   2000円(税送込み)

01、ヘーゲルからレーニンへ
02、ヘーゲルの修業
03、ヘーゲルと共に
04、ヘーゲルと自然生活運動
05、囲炉裏端
06、ヘーゲル的社会主義

   pdf鶏鳴双書4  800円(税送込み)
 
「自然哲学(序論)」ヘーゲル著、牧野紀之訳注

 ヘーゲルの「自然哲学」の序論を訳し、細かい註解を施したものです。ヘーゲル読解についても、ドイツ語を文法的に読むという点でも、出来る限りの註解を書いたものです。

 短い場合は除いて、原則として、訳文と訳注とを別のファイルに入れてありますから、訳注を参照しながら読むのに便利に出来ています

 訳者の使った原書のコピーもお渡しします。このコピーで、訳者がどのような印を付けながら本を読んだかが少しは分かると思います。

pdf鶏鳴双書 5、「合本・鶏鳴」第1~12号

 2枚組で3000円(税送込み)です。

合本・鶏鳴1(1~15号)
合本・鶏鳴2(16~30号)
合本・鶏鳴3(31~45号)
合本・鶏鳴4(46~65号)
合本・鶏鳴5(66~77号)
合本・鶏鳴6(78~89号)
合本・鶏鳴7(90~101号)
合本・鶏鳴8(102~113号)
合本・鶏鳴9(114~125号)
合本・鶏鳴10(126~137号)
合本・鶏鳴11(138~149号)
合本・鶏鳴12(150~170号)

 大した成果を上げられなかったとは言え、70年代の熱を帯びて始まった我々の鶏鳴運動の記録ではあります。今では雑誌『鶏鳴』は、実質的には、ブログ「マキペディア」とその読者に受け継がれていると思います。

  pdf鶏鳴双書 6「ヘーゲルの始原論」、定価1000円(税送込み)

01、ヘーゲル「大論理学」冒頭の「始原論」(初版)の注釈付き翻訳
02、同(再版)の注釈付き翻訳
03、マルクス「経済学の方法」(『経済学批判序説』の第3節)の注釈付き翻訳
04、牧野紀之の論文「寺沢恒信氏と哲学」
05、同「山口祐弘訳『始元論』を読んで」
06、同「許萬元のヘーゲル追考論」
許萬元のヘーゲル研究の中心テーマの1つが追考論です(氏自身は「追考」ではなくnachdenkenとしていますが)。これが始原論と関係があるので、この際、検討してみました。
07、同「ヘーゲルのWissenschaftをどう訳すか」
08、同「寺沢訳『大論理学2』を読んで」
「大論理学(初版)」の第2巻(本質論)の翻訳を検討しつつ、様々な問題に言及しています。

09、ヘーゲル「大論理学」冒頭の「始原論」のラッソン版のコピー



 お申込み方法2つあります。

 ① 郵便振り込み
  口座番号、00130 - 7 - 49648
  加入者名、鶏鳴出版
  ★ 通信欄に購入希望の商品名を書く事を忘れないようにして下さい。

 ② ゆうちょ銀行口座を持っている方は振り替えも出来ます。
  記号 10180、番号 1889 5201
  名義、牧野紀之
  ★ 送金後に「購入商品名、注文者の氏名・住所・電話番号」を、マキペディアのコメント欄を使ってお知らせ下さい。


→ 変更しました。
   本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。
-----------------------------------------------------------
備考・以上は2009年12月12日に発表し、その後書き加えたりして、改訂したものです。
   最終改訂日は2015年03月08日です。
 追備考・その後、再度改訂しました。(2024年8月2日 東谷啓吾)

   関連項目

鶏鳴出版

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キリスト教(02、キリスト教)

2009年12月11日 | カ行
 キリスト教とは、「ナザレのイエス」という歴史上の1人物を「キリスト」つまり「旧約聖書で神が(地上に)送る(贈る)と約束した救い主」である、と信ずる考え(思想)のことです。

 ユダヤ教は、イエスをキリストとは認めていません。つまり、キリストはまだ地上に送られてきていない、と考えています。ですから、ユダヤ教の人々は「キリストの到来(初めて来る事)」を今か今かと待っているのです。

 それに対してキリスト教徒は、イエスがキリストだと認めていますから、キリストはすでに1度来て、今は天に召されていると考えていますので、「キリストの再来」を一日千秋の思いで待ち望んでいます。

 何をしに「再来」するかと言いますと、「最後の審判」をしにくるのです。キリストが再来すると、トランペットがパンパカパーンと鳴り響き、墓の蓋が開いて死者がゾロゾロと出てきます。そこでキリスト・イエスが「お前は天国だ。お前は地獄だ」と「最後の審判」をくだすのです。

 最初は何をしに来たのかと言いますと、「福音を述べ伝える」ためです。イエスをキリストと信じれば、神の国に入れるぞ、と教えるためでした。

    参考

 01、神を霊 (Geist) において、従って神を真理において[神の真の姿を]認識せよというキリスト教の戒め(「ヘーゲル「小論理学」136節への付録2)

 02、絶対者〔神〕をただ客体とだけ捉えるにとどまる立場は、最近では特にフィヒテが正当にも示したことですが、迷信の立場であり盲目的畏怖の立場です。確かに神は客観ですし、しかもそれに比すれば人間の特殊な〔主観的な]考えや意志は何の意味も持たないような正真正銘の客観です。しかし、神はまさにそのような絶対的客観であるが故に、主体〔人間〕に敵対した暗黒な威力ではなく、むしろ主体性をその本質的契機として自己自身の中に含み持っているものなのです。

 これをはっきりと言い表わしたのがキリスト教でして、そこでは、すべての人が救われて幸福になることが神の意志だと言われています。そして、それは、すべての人間が救われて幸福になるには、人間が神と一つであることを自覚し、神を単なる客体と捉えることを止め、よってもって、ローマ人の宗教的意識にとってはそうであったような、神を畏怖と恐れの対象と見ることを止めなければならないというのです。

 更にまた、キリスト教では神を愛と考えますが、そして、それは、神が自分と一体である息子の中で一人の人間として人々に自己を啓示し、人間を救済したからなのですが、そこで同時に言い表わされていることは、客観と主観との対立は「潜在的には」克服されているということであり、従って人間の仕事は、自分の直接的な主観性を捨て去り(古い自分から更生し)、神を人間の真の本質的な自己として意識することによって、この救済に与(あずか)〔り、その救済を顕在的なものにす〕ることだ、ということです。(「ヘーゲル「小論理学」194節への付録1)

 03、キリスト教は、全ての人間に1つの平等、すなわち「皆が平等に原罪を負っている」という平等しか認めなかったが、これは、奴隷と被抑圧者の宗教であるというキリスト教の性格に相応していたのである。(「マルエン全集」第20巻96頁)

 04、新しい世界宗教であるキリスト教が、一般化された東方の神学(とりわけユダヤ教)と、通俗化されたギリシャ哲学(とりわけストア哲学)との混合から既に秘かに発生していたのである。(エンゲルス「フォイエルバッハろん」第4章)

   関連項目

イエス・キリスト
宗教とは何か
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認識論(03、レーニンの真理論)(その1)

2009年12月06日 | ナ行
 レーニンの労作『唯物論と経験批判論』(1908年)は「弁証法的」唯物論や「史的」唯物論よりも、弁証法的「唯物論」を強調したものだとされている。しかし、それは単に古い命題を繰り返しただけではなく、唯物論の認識論を発展させもしたのだという。それは特に、「認識論における実践の基準」と「哲学における党派性」との明確化にあるとされている。

 「理論の党派性」については既に検討した。この問題でのレーニンの意義は、歴史研究における主観的方法と客観主義的方法と唯物史観の方法との異同を明らかにしたこと、そして、理論を事実的特殊研究と一般理論とに分けて、後者でのみ党派性が問題になることを主張したことである。その限界は、理論展開が内在的ではなく、間違った命題に自説を対置する悟性的な方法に終始していること、従って自説からの前衛党論への論理的帰結を引き出しておらず、自称レーニン党の変質の一因を作ったことであった。

 今回は「レーニンの真理論」を検討してみたい。

1、レー二ン理論の要旨

 レーニンの真理論は、その著書の第2章の第4,5,6節にまとめられている。第4節は「客観的真理は存在するか」と題され、第5節は「絶対的真理と相対的真理~について」と題され、第6節は「認識論における実践の基準」とされており、これらは内容を正しく表現した題名となっている。

 第4節の冒頭部分は第6節までの3つの節全体への「はしがき」である。即ち、マルクス主義者のつもりでいるが、実際は観念論に転落しマッハ主義者となっているボグダノフの言を引いて、その中で混乱させられている問題を3つに整理している。この3つの問題が3つの節のテーマとなっているのである。

 さて、本来の第4節はボグダノフの真理概念の引用とそれへの批判から始まる。ボグダノフは、真理をば人間の経験を組織する形式としているが、これでは人間に依存しない客観的真理の否定になると、ボグダノフ自身による修正命題も含めて批判している。続いて、このボグダノフによる客観的真理の否定は氏個人のものか、それともマッハ主義の基礎からの必然的帰結かと、問題を立て直す。そして、そこには、A=認識は感覚から始まるかと、B=感覚の源泉は客観的実在かとの二面があり、マッハ主義と唯物論とはAで一致し、Bで異なるとする。だから、客観的真理の否定はマッハ主義の本質だとなる。

 その後は、そこまで述べてきた本論への「補論」で、唯物論者に対する批判、①唯物論者は客観的実在を認める形而上学者である、②唯物論者は感覚を信頼しすぎる、③唯物論者は物質概念にしがみつく独断論者である、という3つの批判に反論することによって、それ迄に述べたことに念を押している。そして、最後が次のまとめである。

 「物質の概念を受け入れるかそれとも否認するかの問題は、人間の感覚器官の証言に対する人間の信頼に関する問題であり、人間の認識の源泉に関する問題である。~我々人間の感覚を外界の像と見なすこと、客観的真理を認めること、唯物論の観点に立つこと、これは同じ事なのである」(163頁)。

 第5節のテーマは絶対的真理と相対的真理の関係如何の問題であり、人間の認識の相対性をどう考えるかの問題であった。レーニンはまず、ボグダノフによるエンゲルス批判を取り上げる。即ち、エンゲルスは真理の相対性を認めながら、他方で「永遠の真理」を認めているのは折衷主義だ、というのである。レーニンはこれに対して、まず、ボグダノフはエンゲルスが永遠の真理の実例として挙げた命題の虚偽性を証明していない、という直接的反論をする。そして、次に、『反デューリンク論』の第1篇第9章の真意を積極的に述べ直す。即ち、客観的な真理を認めることは何らかの仕方で絶対的真理を認めることを意味すると確認した上で、その「何らかの仕方」を次のように述べる。

 「人間の思考は、その本性上、相対的真理の総和から成る絶対的真理を人間に与えることが出来るし、〔現に〕与えてもいる。科学の発展の各段階は、絶対的真理というこの総和に新しい粒を付け加える。しかし、各々の科学的命題の真理の限界は相対的であって、知識が更に発展するにつれて拡大したり縮小したりする」(170頁)。

 その後に、フォイエルバッハの説を引用してそれを補強し、「弁証法は相対主義の契機を含むが、相対主義に還元されることはない」とまとめている。

 第6節は認識論における実践概念の問題であった。レーニンはここではボグダノフを取り上げることなく、直ちにマッハの言葉をマルクスとエンゲルスに対置する。即ち、マルクスとエンゲルスが実践概念を認識論の中心に持ち込んだのに対して、マッハは現実と仮象の区別に実践上の意味(行動上の意味)を認めるだけで、理論的意味を認めない。つまり、マッハは実践概念と認識論とを並直して分けてしまい、正しい認識は有用なだけで、それが客観的実在の反映であるかどうかは問わないのである。

 このようにマッハの認識論を性格付けた後、これを哲学史の中に位置付けることによって、マッハの路線もその内容も何ら新しくないことを示し、既にフォイエルバッハによって反論されている、と言う。

 まとめは次の通りである。

 「生活と実践の観点が認識論の第1の根本的な観点でなければならない。そして、〔この観点に立つなら〕それは、必然的に、講壇的スコラ学問の限り無い思い付きを掃き捨てて唯物論に到達することになる。もちろんその際には、その実践という基準も、事の本質から言って、決して人間の観念を完全に確証または論破するものではない、ということを忘れてはならない。即ち、この基準も、また、人間の知識が「絶対者」に転化するのを許さない程度に「不確定的」であり、同時に、観念論や不可知論のあらゆる変種との情容赦無い闘争を行いうる程度に確定的である」(181頁)。

2、レーニン理論の検討

 国民文庫編集委員会の前記「解説」に拠ると、これが、「レーニンの仕事は古いものの繰り返しに終っておらず、唯物論の初歩的真理を一層強固なものに築き上げた」ことになるそうである。が、この評辞は間違っていると思う。まず、「古いものの繰り返しでなく」と来たら、「発展させている」と受けてくれなくては困る。しかるに発展とは潜在的本質の顕在化である。「一層強固に築き上げた」程度では量的進展に過ぎず、発展とは言えない。

 ここのレーニンの真理論には4つの積極的内容がある。第1点=客観的真理の承認、第2点=相対的真理と絶対的真理の弁証法的関係、第3点=認識論への実践概念の導入、第4点=実践による理論の検証における確定性と不確定性、以上である。

 第1点は唯物論そのものであり、初歩的真理である。第3点はそれはど初歩的ではなく、一歩進んだ真理である。レー二ンはなぜか言及しなかったが、フォイエルバッハの自然的実践概念とマルクスの社会的実践概念を区別すれば、それは完全に弁証法的唯物論であり唯物史観に通ずるから、上級の真理となる。

 第2点は、エンゲルスの理論を「相対的真理」と「絶対的真理」という語を使って言い直しただけだが、第4点を明確に定式化したのは、おそらくレーニンが初めてであろう。内容的には、マルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』の第8に、「社会生活はすべて本質的に実践的である。〔だから〕理論を神秘主義にいざなうすべての神秘を本質的に解決する道は、人間の実践及びこの実践の理解である」という言葉があり、これと関係すると思うが、レーニンのこの定式はマルクスのその言葉に還元されるものではない。だから私は第4点だけをレーニン固有の功績と認める。

 レーニンの叙述の方法は、相手の主張を整理してそれに自説を対置し、次に相手の説と同じ哲学史上の先例を引いて相手の説を一般化し、既に先行唯物論によって行われている反論を対置し、最後にまとめるという方法である。即ち、レーニンの反論方法は間違った説に正しい説を対置するという最も初歩的な悟性的反論方法である。換言すれば、ここでもレーニンの叙述は概念規定からの内在的展開ではなく、従って前衛党論にとっての必然的帰結を引き出してもいない。そのため、本書によっては、「人間の知識が絶対者に転化する」のを防ぐことはできず、自称レーニン党が宗教団体に変質し、一般党員が党と党の幹部を信仰するのを防ぐことができなかった。

 レーニンは本書の「第2版への序文」(1920年)の中で、これが「弁証法的唯物論の参考書」として役立ってほしいと言っているが、それなら基本的概念についてはきちんとした定義をするべきであった。そもそもボグダノフは真理についての定義をしているのである。それを批判するなら、それに代わる定義を出すべきである。それなのに、客観的真理の命名的定義すら与えないで、その存否を論じた。そのために、その主張方法が断定的になっただけでなく、そもそも客観的真理とは何の事か、不明確のままとなった。

 レーニンの用語法からは次の3つの意味が考えられる。第1は、客観的実在を正しく捉えた観念。第2は、客観的実在そのもの。そして、この2つの意味の場合は、その実在自身が現象か仮象か本質かは問わない。第3は、自己の概念と一致した実在というヘーゲル的真理概念、である。このどれかがはっきりしないのに、その存否を論じても始まらないだろう。

 このように概念規定をしないで先に進む非科学的態度は、宗教論になると完全な間違いを引き起こす。レーニンは、あらゆるイデオロギーは歴史的に条件付けられているが、科学的イデオロギーには客観的(絶対的)真理が対応し、宗教的イデオロギーにはそれが対応していない、と言っている(172頁)が、これは間違いである。唯物論というのは、全ての観念(これがある程度以上まとまったものがイデオロギー)は客観的実在を反映しており、その限りで真理(ヘーゲルのいう主観的定義における真理、正しい観念)であることを認めるものである。だから、もしレーニンのように、客観的実在をいささかも反映せず、従って客観的真理の対応しない観念やイデオロギーがあると認めると、唯物論を自ら否定することになる。なぜレーニンはこういう間違いを犯したか。根本的姿勢としては、敵のことは調べもしないで実際以下に悪く言う、悪い意味での党派的な態度であろうが、直接的には宗教と科学の違いを原理的に考えず、それらの概念を規定せず、従ってあいまいな常識的用語法を無批判に受け入れたからであろう。

 不可知論者が唯物論者に投げつけている、やれ形而上学者だとか、やれ独断論者だとかいう非難に対しても、レーニンはそれらの語の意味を検討せず、相手がどのような意味でそれらの語を使っているかを明確にせず、従ってその非難がかえって非難者の間違いと唯物論の正しさを証明していることを内在的に示さず、ただ超越的に不可知論者だとか、反動哲学だとかの悪罵を投げ返すことになった。

 私は以前から、自称共産主義運動家の人々が、一部の情勢分析や綱領などではその表現の微妙な違いに過度にこだわるのに、他の一部の重要な語句についてはその概念規定を抜きにして粗雑な言葉使いをして平気でいられるという事実に、疑問を持ってきた。これを私は「辞書の無い運動」と呼ぼうと思う。私が「ヘーゲル哲学辞典」を書き続けている理由の1つはこの問題意識であり、それによって我々の自然生活運動を「辞書を持つ運動」にするためである。「科学的」社会主義運動とは本来こういうものだったのではあるまいか。

 レーニンは絶対的真理と相対的真理についてもその命名的定義を与えることなく、両者の関係についてだけ述べている。しかし、これはほとんど実害を与えていない。レーニンに代わってそれを規定しておくと、絶対的真理とは「無条件に、いつでもどこでも妥当する命題、または理論体系」のことである。相対的真理とは「何らかの条件下でのみ、あるいは限定された時と場所の範囲内でのみ妥当する命題、あるいは理論体系」のことである。

 この方面でのレーニンの欠点は、第1に、『反デューリンク論』でのエンゲルスの叙述は、自説を絶対的真理と主張するデューリンクへの批判であったために、真理の相対性に力点が置かれたが、レーニンは、その「真理の相対性」を絶対化することを要求するボグダノフを批判することが目的だったために、相対的真理の真理性、即ちその客観性(客観的実在の反映)と絶対性(絶対的真理の粒になること)の主張に力点を置くことになったことを、断らなかったことである。しかしこれは小さな欠点である。

 第2は、欠点というより間違いに近くなるが、相対的真理の「総和」を絶対的真理としたことである。つまり、無数の相対的真理の関係を算術用語の「和」で表現したことである。確かに、分野を異にする複数の真なる命題の関係なら、こういう語で表現してもそう悪くないかもしれないが、同一対象についての低い真理とそれを止揚した高い真理との関係を「和」で表現するのは、拙いを通り越して間違いだと思う。しかも、学問的にも社会生活でも革命運動でも、そこで大きな問題になるのは後者の関係なのである。ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学、ニュートン力学と相対性理論、古典経済学とマルクス経済学、カント哲学とヘーゲル哲学、自然発生的運動と自覚的運動等、例を挙げればきりが無い。

 そして、第三に、レーニンは真理の主体的性格に言及しなかった。即ち、真なる命題も理論も、それを理解している生きた個人に担われている限りで、実際に作用するのであって、書物か何かに書き残されているだけで理解している人がいない場合には、それはいわば眠っているのであり、理解していないのに理解しているつもりの個人が振り回す場合には、それは虚偽に転化し、当人をハッタリ屋にし、周囲の人々を傷つけ、歴史を後退させる働きをするということを、指摘しなかった。そのため、又、低い相対的真理と高い相対的真理の関係は、遅れた個人と進んだ個人の関係として現われることも指摘しなかった。レーニンがもしこれに気付いていたら、両真理の関係を「和」の関係で捉えると、遅れた人と進んだ人を並列することになり、師弟関係や指導者と大衆の関係をうまく説明できなくなることに思い至ったであろう。しかし、不幸にして、レーニンはこれに気付かず、レーニン信者達もこれに気付かなかったために、社会主義運動の組織論は認識論的基礎付けを持たず、時々の政治力学だけに左右されることになった。

 そのため、第四に、この部分でのレーニン固有の功績である「実践による理論の検証の確定性と不確定性の関係」も、その効力を十分には発捧せず、いや、そもそもほとんど注目されなかった。これは、レーニンの叙述自身が、実践の検証性の主張に力点を置いており、この確定性と不確定性の関係については、最後に但し書きとして触れただけだったことも、一因である。

3、認識論の始まり

 レーニンに代わって認識論から解放運動の組織論への内在的展開の骨子をまとめておこう。

 認識論(認識そのものではない)は、「人間の認識は真でありうるのか」の反省と共に始まる。それ迄、そのような反省無しに認識してきた人が、そういう自己反省をし、認識が認識自身を対象とするようになる時、認識論は始まるのである。
 この間いは、当然、「もしそれが真でありうるとするならば、それはなぜか」、又「もし真でありえないとするならば、それはなぜか」という問いに連なっていく。更に、第三に、「認識の真偽は何によって判定されるのか」の問へと進み、そこから、「そもそも真理とは何か、認識するとはどういうことか」という反省までさかのぼる。これがいわば原理論ないし本質論である。

 それに対して、「正しい認識のためには、あるいは認識の間違いを少なくするには、どうしたらよいか」というのが方法論であり、認識における実践論である。直接的動機はどうであれ、認識の本質への反省の根底にはこのような方法への関心がある。

 このように反省してみるとすぐ分かることは、人間は或る予想をもって行動しており、その行動の結果が予想通りだと、そこで前提されていた予想を真と見なしている、ということである。ここでは、その行動が個人または集団が自然に働きかける行動か、それとも他の個人または集団に働きかける行動かということは問題にならない。又、その予想が感覚的な漠然としたものかはっきり考えられたものか、つまりどの程度当人に意識されていたかも、関係無い。

 ともかく、行動の結果が予想通りなら、その予想が真とされる。では、予想とは何か。それは現状認識に基く未来の推定である。その推定の内容は当の対象の未来像である。つまり、対象自身が現実に新しい姿を取る前に、それを主観内で先取りするのである。しかし、対象の未来像は対象の現状の中に潜在しているものの顕在化でしかない。従って、予想とは、対象が現状A(潜在態Bを含む)から現状Bになる前に、主観が現状Aの把握を介して、Bを主観内で顕在化させることである。

 つまり、予想は対象の自己変化の先取りであり、行動が予想の正しさを確証しうるのはこのためである。確かに全ての対象が人間の働きかけの結果として変化するものではなく、天体のように人間の関わり無しに動いている対象も多いが、その変化の結果を予想して観察するのも、この場合の行動の内である。

 では、人間はどうやって対象の現状の把握からその潜在態を推定するのか。それは、その対象の動き方についてのこれまでの経験と知識をもとにしてである。だから、初めて出会った対象については予想は立てられず、せいぜい既知のものの中に外面的に似ているものを連想して、確度の低い推定が出来るだけである。しかし、ここから分かる事は、予想は対象の未来の先取りであると同時に、対象についての過去の経験の反省でもある、ということである。というより、対象の「現状の把握」と言う時の「現状」は、それまでの変化の結果としての現状であり、それを把握するとは、本来、その「変化の過程」という過去とその過程の結果としての現状とを知ることなのである。これが、変化する対象の過去と現在と未来に対する人間主観の関わり方の基本である。

 この現状把握と、従ってまた未来の推定とを意識的に試してみるために行われるのが、実験である。だから、実験は行為の一種だが、本来的には主観内で行われる過程を小規模に対象世界で行うもので、本来の行為というより、本質的には認識の一要素である。

 ここでは認識とは対象の主観による把握のすべてであり、真理とはその把握の正確なことである。これが真理の差し当っての定義である。真理をこう定義する時、認識の真偽は行動の結果によって判定されるものだが、それが真でありうることは経験的事実である。確かに人間の認識には不正確な場合があり、従って行動の結果が予想通りに行かないこともある。しかし、この事から、認識が原理的に真でありえないということにはならない。むしろ間違いの発見による認識の是正により、その後は予想通りの結果が得られるようになることで、かえって認識の真でありうることの証明になる。

 なぜ認識は真でありうるのかとの問いに対しては、逆に、もし認識が真でありえなかったら、人間の行動はつねに予想に反した結果を得ることになり、そもそも人間は生存し続けることができなかっただろう、と答えることになる。

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レーニンの真理論(その2)

2009年12月06日 | ナ行
4、認識論から存在論へ

 しかし、認識の間違いにもいろいろある。ちょっとした間違いなら、認識の原理的真理性(認識は真でありうるという考え)に疑いを起こさせないが、何度も検証された理論が完全には正しくなかったとか、その理論は或る限界内でのみ妥当するということが分かると、そこから認識は真でありうるのかという疑問が改めて起きる。

 この反省の結果として種々の認識理論が生まれる。まず、認識の間違いを感覚上の間違いである錯覚と思考上の考え違いに分けることができるが、そのそれぞれを重視し、原理的な間違いと見なす時、2種の懐疑論が生まれる。感覚に対する懐疑論と知性(思考能力)に対する懐疑論である。感覚の証言は感覚が感じたことをそのまま伝えるだけであり、その感覚の感じ方は対象の本当の姿を正しく捉えているかどうか分からないと考えるのが前者であり、古代懐疑論である。

 それに対して、感覚は感じたままを伝えているのだから、そこにうそはないとし、その感覚のデータを思考が加工する時、そこから間違いが始まるのだとするのが、後者であり、近世以降の懐疑論である。これは今日では実証主義と呼ばれている。

 不可知論というのは、言葉としては、対象の一切の認識の可能性を否定するものだが、実際には、感覚的事実だけ認め、思考による解釈の客観性を認めない考え方、即ち知性に対する懐疑論ないし実証主義を意味することも多い。

 以上は、一応対象と主観との区別を認めた上で、主観が対象を認識できるかどうかを考えているのだが、実証主義や不可知論は、そこにとどまらないで、対象の客観的存在自体に疑問を持つようになる場合がある。即ち、主観内に作られた認識は主観外の対象の像ではなくて、ただそれだけとして主観内にあるにすぎない、という考えである。これが主観的観念論である。この考えでいくと、それはもはや「像」と呼べない。像とは本来何かの像なのだからである。

 これに対して、認識はあくまでも像であり、原型を映すものであることを認めるのが、唯物論と客観的観念論である。しかし両者は、その次に、その原型を認識する際の感覚と思考(知性)の役割をどう考えるかで分裂する。唯物論は感覚的認識の根源性を主張する。即ち、思考はただ感覚に与えられたものを加工して、感覚では捉ええなかった側面を引き出すことができるだけだ、とするのである。確かに内容的には、感覚で捉えうる面より思考で捉える面の方が重要なのだが、その認識内容の起源については思考は感覚に依存しており、感覚の中にないものは引き出せないとするのである。

 客観的観念論は、直接的には感覚的認識の根源性を認めるとしても、究極的には感覚に依存しない知性と、そういう知性にしか与えられない存在を認めるのである。

 感覚的認識の根源性を認めることはなぜ唯物論と呼ばれるのか。それは、「まず知性にではなく、まず感覚器官に与えられるものが物質と名付けられている」からである。だから、感覚に与えられることなく直接知性に与えられるものを認めると、物質でないものを認めることになり、唯物論でなくなるからである。

 ここに認識論上の唯物論と存在論上の唯物論との接点がある。前者は、上述のように、認識の反映性の承認を前提した上で、思考に対する感覚の根源性を認めることが出発点である。従って、認識論上の物質概念は、「人間の意識の外に意識から独立して客観的に存在し、感覚を介してしか認識されえない実在」のことである。

 それに対して、感覚は、感覚器官の作用であり、思考は脳の作用であって、それ自身は実体ではないと反省する時、存在論上の唯物論になる。差し当っては認識論上の物質と対置されていた意識は、実際は物質と並ぶ第2の実体ではなく、実体である物質の機能に引き下げられるのである。そして、なぜ思考は感覚に依存するのかと、その起源の性格を問う時、認識論上の唯物論は存在論上の唯物論に行きつくのである。

 逆に、全ての知性とは言わないが、ある種の知性には感覚に依存しない能力を認め、従って思考に対する感覚の根源性を全面的には認めない客観的観念論は、世界の根源なり起源なりに、その特別な知性で直接捉えるしかない知性的実体を認めることになる。この種の観念論的認識論が「客観的」観念論と呼ばれるのは、そのように観念の1種とはいえ個人の認識から独立した客観的な知性体を認める観念論的な世界観(存在論)を前提しているからである。

 認識が対象の映像であることを認める客観的観念論及び唯物論は、そこに留まる低級な理論と、そこから更に先に進む中上級の理論とに分かれる。後者は、その映像は認識主観の対象との行動上の関わりを通してその中で得られることを認め、そのメカニズムの解明に向かう。即ち、ここでは認識主観は実践主体の一面という性格を持つようになっている。これがヘーゲルの実践的観念論とマルクスの実践的唯物論である。

 その骨子は、①人間と対象との関わりは労働から始まり、思考の発生的性格は目的意識性であること、②その内容は、対象及び実践主体の現在の認識から出発し、それぞれの過去を反省することを媒介にして、未来を展望するものであること、③そこでは理論と実践とは全体としては常に一致しており、その一致の仕方は大きく3つに分けられること、である。

5、存在論から人生論へ

   その1、幸福論(個人論)

 何度も検証されたはずの真理が絶対的なものではないと自覚させられた時、本来の認識論上の反省が始まるのであった。その結果としてさまざまな認識理論が生まれる。その時、たとえ客観的観念論か唯物論の道を採って、人間の認識の原理的真理性に対する信念を持ち続けたとしても、それだけでは問題は解決しない。それだけでは真理の相対性を説明できないからである。従って、知性に対する懐疑論である現代の実証主義の問題提起に答えていないからである。

 これに対するエンゲルスとレーニンの考えは次の通りであった。デューリンクが自説を絶対的真理として主張したのに対して、エンゲルスは、①個々の命題でもいつまでも変らない「永遠の真理」というのは確かにあるが、それは「パリはフランスにある」といった大した意味の無い事柄についてだけである。②逆に、重要な事柄についての永遠の真理は、1命題に表わせるものではなく、少しずつ完成されていくものである。③真理と誤謬の対立も、善と悪の対立も、ごく限られた範囲の外では相対的である、と答えていた(『反デューリンク論』第1篇第9章)。

 レーニンは、認識の絶対性を全否定するボグダノフとマッハに対して、①個々の真理は相対的だが、絶対的真理の粒を成し、その総和が絶対的真理である。②実践による検証は、人間の知識を絶対者に転化させないほどに不確定的だが、相対主義に転落するのを許さない程度に確定的である、と答えた。

 しかし、これらによっては「人間の知識が絶対者に転化する」のを防げなかった歴史的経験を経た我々は、この問題をもう一度初めから考え直さなければならない。

 そもそも多くの人が認識の相対性を自覚し、考えるようになるのは、どういう経験からか。それは、デューリンクやマッハが、従ってまたエンゲルスやレーニンが扱った、ほとんど自然科学に限られた学問上の問題からか。私は、決してそうではないと思う。確かに自然科学の発展によって、旧来真理とされてきた理論の絶対性が揺らぎ、それを正しく説明できないために、おかしな哲学が出て来ることはある。しかし、それは一部の学者の間だけの問題だし、自然科学自身は、そういう間違った解釈によって進歩を遅らされることはあっても、進歩し続けるものである。だから、「自然科学に正しい方法を与える」ことも必要なのだが、それは哲学的反省を正しく行った自然科学者の一部によってなされている。自然科学も哲学も知らない自称「マルクス主義哲学者」がその方法を与えたいと言うなら、やらせておけばよい。笑い話の種くらいにはなるだろう。

 多くの人が真理の相対性を考えるようになるのは、自分の今の考えがどれだけ正しいか分らないとしたら、自分は自信を持ってそれを実行できないとか、先生を選んで勉強したり、運動に参加していくにしても、正しいと思って選んだ先生や運動が間違っていたらどうなるのか、その正しさの確証が無いのに選んで、1人なり1つに賭けることはできない、とかいったことではあるまいか。これが個人内の問題とするなら、対他人の態度の問題としては、○○に随分決め付け的な言い方をされて不愉快だったけれど、人間には決め付け的発言をするどれだけの権利があるのだろうかとか、逆に、自分は今迄随分断定的な言い方をして敵を非難し、自分の正しいと思う運動をオルグし、自分の方針を主張してきたが、個人の判断には間違える可能性があり、他人の幸不幸に責任を負えないのに、そういう強い主張をする権限が人間にあるのだろうか、といった反省ではあるまいか。反省の始まる迄は倣慢ですらあった人が、何らかのきっかけでこの種の反省をしておとなしくなったり、あるいはこの問題に答を出せないで一切の自信を失い、おかしくなってしまう人もいる。実際、人間の幸福はその大部分が信念の持ち方と人間関係に依存しており、それは認識論的には、ほとんど、人知の相対性をどう考えるかの問題に関係する。

 現実には、これらの問題は煮詰められることなくあいまいに処理されていると思う。多くの場合、それは、自説を絶対的真理として主張し、かつ何らかの方法で自説を他人に納得させる術をわきまえている親分と、よい親分の子分でありたいという人々との関係となっている。私は、こういう関係はとても広く行き渡っていると思う。会社の長と部下の関係は言うに及ばず、教師と生徒の関係でも、夫と妻の関係でも、あるいは多くの友人関係でも、一方が第1ヴァイオリンで他方が第2ヴァイオリンという例は多いと思う。いや、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンならまだよい。投手と捕手の関係で、それも捕手にサインさえ出させないで勝手に投げる投手とそれを受ける捕手の関係が多いのではあるまいか。理論的には、人間の外に絶対者を求め、それによって全ての人間を相対化するはずの宗教の中でも、これは変わらない。そこにも人間関係があり、それが正しく処理されない以上、事実上こうなっている。

 これは本当の民主主義ではないのではないかという反省から、我々は民主主義を原理的に考え直し、認識論的に基礎付けることになった。それは、人格の平等と能力の不平等と個人の有限性(どんなに優れた人でも間違いを犯す)を三大原理とするものである。

 人間の有限性を自覚せず、口の巧さと押しの強さを自分の正しさと思い込んでいる人に付ける薬は無いが、自信喪失の人に忠告しておこう。経験によって検証された真理は、たとえその後乗り越えられることになっても、より高くより包括的な真理の1要素になるだけで全否定はされないから、あなたの行動が無意味になることはない、と。又、先生を選び間違えれば自分も傷つくが、現時点で出来るだけの調査と研究をして一番正しいと思う道を選ぶ以外に、人間には行動のしようが無いし、一度選んだならば、その選択の当否を知るためにも、又間違っていた場合にはどこがどう間違っていたのかを知るためにも、その道を真直ぐ歩まなければならないし、そうしたならば、たとえ間違っていたと判明した時でも、その時にはもちろん改めるのだが、自分に誠実に精一杯生きたという「真理」は、無駄にはならない、と。

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