マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

索引の重要性、索引作りの大変さ━━活動報告に代えて━━

2018年07月24日 | サ行

      ━━活動報告に代えて━━

 『小論理学』の四校(!)を出版社に返送しました。いくら何でもこれ以上の校正はないでしょう。ですから、この本もついに、遅くとも8月には出ることになるのでしょう。本当に、本当に、大変でした。

 メモを見て整理しますと、原稿の完成から四校の返送までの日時は次の通りです。

2015年06月15日、原稿の完成。

2016年06月12日~2016年11月21日、初校(5か月余り)
2016年12月23日~2017年07月31日、再校(7か月余り)
2017年11月25日~2018年04月22日、三校前半(5か月弱)
2018年06月09日~2018年06月19日、三校後半(10日間)
2018年07月10日~2018年07月22日、四校(13日間)

 今回考えたことは、「索引の校正は本文の校正より一段階後になる」ということです。なぜなら、索引は初校が出てから、その頁番号が分かって初めて作り始めることが出来るからです。

しかし、索引を作りながらの校正(初校)はとても有益でした。なぜなら、「これに関係した事はどっかに書いたよなあ」と気づいた時、その「どこか」がすぐに分かるからです。そのために、不要な重複を避けることも出来ましたし、説明を詳しくできたこともありました。

 第二に考えたことは、「再校以降で本文に沢山加筆したり、逆に大きな削除を行ったりすると、索引の頁番号も変えなければならず、大変だ」ということです。逆に言い換えますと、「大きな加筆や削除は初校までにするべきだ」ということです。

 今回はこの上に、「単なる索引ではなく、大項目、例えば『ヘーゲル』などの項は、たくさんの参照箇所がありますので、それを内容的に分けて小見出しを付けて分類した(単純な頁順の索引ではなかった)という事情が加わりました。その「分類」と「小見出し」が正しいかも校正段階で再検討しましたので、三校(索引に関しては再校)が大変でした。

 何はともあれ、終わりました。

 私の本は「付録」というのが付くことになっていますが、今回は、付録1としては「『パンテオンの人人』の論理」、付録2は「昭和元禄と哲学」、付録3は「ヘーゲル論理学における概念と本質と存在」の3つを付けました。付録3だけは書下ろしです。

 索引は、「総索引」のほかに「箴言の索引」と「例解の索引」と「ヘーゲル受容史の年表」の3つがあります。題名から内容は推察できるでしょう。ヘーゲルの箴言的な言葉には有名なものがかなりあります。それ以外に本訳書に出てくる箴言的なものもみな、集めました。

 「ヘーゲルは難しい」という通説は「具体的事例で説明してくれないから」というのがその根拠でしょうが、そしてそのこと自体は正当だと思いますが、ヘーゲルはヘーゲルなりに結構具体的事例で説明もしているのでして、それをまとめてみました。それが「例解の索引」です。私(牧野)が例解したものも入っていますから、玉石混交という所でしょうか。

 最後の「ヘーゲル受容史の年表」も題名どおりですが、こうしてまとめてみますと、ヘーゲル哲学とがっぷり四つに組んで格闘したものがいかに少ないか、いや、ほとんど無い事が、分かります。

 「鈍足のマラソンランナー」が60年走り続けてようやくここまで来ました。まだ走り続けるつもりですが、自然の法則には従わなければなりません。気を付けて、末永く頑張るつもりです。何か矛盾した発言になりましたが、正直な感慨です。

2018年07月24日、牧野紀之


   関連項目

索引の意義2013年04月18日


国語辞書は語釈よりも語法を重視せよ(再掲)

2018年07月06日 | カ行
 お断り・メルマガ「教育の広場」2005年10月24日の載せ、その後「教育の広場」に転載したものを、再度転載します。


   国語辞書は語釈よりも語法を重視せよ(再掲)

 以前から「日本語疑典」を書いていますが、2日も続けて疑問を持つと又書かなければならなくなります。

 朝日新聞の国際欄に、多分毎週でしょうが、「水平線地平線」というコラムがあります。筆者は交代制ですが、10月23日は市川速水氏で「クールに進む『日本離れ』」と題する文を書いていました。その中に次の文がありました。

──日本の植民地統治下の強制動員に関しても、約20万件の被害申告を元に補償の対策案づくりが佳境に入っている。……

 これのどこに疑問を持つかと言いますと、「佳境に入っている」という表現の使い方です。これは好い事柄について使うのではないかと思うのです。

 学研の国語辞典で「佳境」を引きますと、「物事が進行してもっとも興味深くなる所」とあり、その使い方の例としては「物語が佳境に入る」を挙げています。

 たしかに「対策案づくり」は悪い事ではありませんが、元の「強制動員」が悪い事で、それの償いの仕事ですから、全体としては楽しい事ではありません。

 ですから、こういう事柄が大事な場面に差しかかった時に「佳境に入っている」とは言わないと思います。

 「対策案づくりが山場に差しかかっている」くらいでどうでしょうか。あるいは「対策案づくりがもう少しという所まで来ている」でもいいでしょう。

 次に今日、10月24日の朝日新聞は日本シリーズでロッテが2連勝したことについて2頁を割いて報じています。ロッテファンの私としては痛快な事ですが、それはともかくとして、見出しの文の最後にこうありました。

──阪神は3回無死1、2塁で藤本が送りバントを失敗。6回1死1、3塁ではシーツが2ゴロ併殺打。一方的な試合で連敗。──

 どこに疑問を感じるかと言いますと、阪神の側で論じている時にロッテの負けを「一方的な試合で連敗」と「一方的」を使っていいのか、ということです。

 他の辞書はたいてい「一方的な試合」を載せていますので、新明解国語辞典で「一方的」を見てみますと、「一方だけにかたよる様子」とあり、「一方的な勝利」という例が載っています。

 では逆に、「一方的な敗北」という表現はあるのでしょうか。多分、そうは言わないでしょう。

 たしかに、上で引用した所は「一方的な試合で連敗」であって、「一方的な連敗」ではありませんが、私は不自然に感じます。「好い所無く連敗」くらいでよかったと思います。

 それにしてもこのように単語や熟語の使い方に疑問を感じることが多いように思います。私がこれまでに書いてきたのもほとんどがこの使い方の問題でした。

 それなのに、「国語辞典の使命は語義を明らかにすること」という固定観念は変わっていないと思います。私もかつてそう書きました。今では、語義も大切だが、それと同時に、あるいはそれ以上に「語句の使い方」の説明が大切だと思っています。上の例から分かりますように、使い方の中にこそ語義を正しく理解しているか否かが現れるのだと思います。

 そういう語句の使い方を説明した国語辞典には、悪例(間違った使い方の例)も載せなければならないと思います。

 私は機会あるごとに、国語辞典の編集者たちにこれを伝えているのですが、理解してくれる人が出てきません。編集権を握る国文学者の先生にはこういう問題意識がないと見えます。

 誰かがインターネットのホームページでこういう本当の国語辞典を作ってほしいと思います。私はその試みを「ヘーゲル哲学辞典」(今は掲載していません)の中に入れましたが、私にはそれを続けて完成させる力も余裕もありません。

 誰かがやってくれるなら協力します。

  

ヘーゲルのWissenshaftをどう訳すか(その2・古在由重の考え)

2018年07月01日 | ハ行

 前置き・「ヘーゲルのWissenschaftをどう訳すか」という題で私見を述べたものは牧野訳『精神現象学』(未知谷刊、第2版)に「付録5」として収めました。それを「その1」としますと、「その2」と言ってよい文章を古在由重の力作『現代哲学』(1937年)の中に発見しました。
 随分前に読んだものですが、故あって数十年ぶりに読み返して発見しました。氏から直接聞いたところによりますと、氏はカント主義者として哲学を始めたそうですが、そのような重厚な学者らしい読みに基づいた立派な論考だと思います。例によって牧野流の注を入れました。「ヘーゲルにおける科学と哲学」という題は牧野の付けたものです。

     ヘーゲルにおける科学と哲学(古在由重) 

1-1、ヘーゲル以後今日にいたる観念論哲学は、弁証法の思想と共に成長した哲学的科学の観念を再び放棄して(1) しまったか、あるいはそれらの名義だけを保存しているに止まる。そしてそれらの代わりに今や観念論の神秘的・官学的性格だけが哲学における「ドイツ的なもの」を代表するにいたる。後に現代観念論の非科学性をはっきり認識するために、予め我々は「哲学的科学(2)」という観念の展開について一瞥しておきたい。
(1) この「再び放棄して」とは、「前に一度放棄したものを、再度、即ち二度目に放棄する」という意味ではありません。ドイツ語のwiederと同じで、「元に戻す(戻る)」ことです。ドイツ語と日本語の異同を明確に意識していないとこういう間違いを犯します。
(2) 「哲学的科学」という語もあまりピンときませんが、「哲学という形を採った科学」「哲学という段階に達した科学」ということでしょう。Wissenschaft der Philosophieです。

 まず注意すべきは「科学」という言葉である。ラテン語の「seientia」(スキエンティア)という言葉は、もともと知識一般を意味する。そしてこのような広い意味においてそれは 「ignorantia」(イグノランティア)即ち無知識に対立するものにすぎない。しかるにそれから出てきた英語およびフランス語の「science」(サイエンス、シアンス)はもっばら体系化された知識を、しかも主に自然についてのこのような知識を意味している。言い換えれば本来それは何よりも自然科学を意味し、たとえ後に社会科学あるいは歴史科学まで含むようになったとしても、哲学だけはそれから除外されるのが普通である。それはどういう訳だろうか? この事実は第一に、最初は自然科学だけが科学の名に値するものだったことを意味する。第二に、社会科学あるいは歴史科学が比較的最近まで公然たる科学の名を要求しなかったことを意味する。そして第三には、哲学が一般に科学以上あるいは科学以下のものと見なされてきたことを意味する。さて、このような事情のもとでカント以来ひとりドイツ語の「Wissenschaft」(ヴィッセンシャフト)だけが明白に哲学をも含めての科学を意味することは注目に値する。これは単なる言葉の問題ではない。カントのいわゆる「思考法の革命」に関する問題というべきであろう。
 カントが自己の哲学的研究の主要任務として掲げたのは、数学・自然科学・形而上学一般の可能性と共に、実に「科学としての形而上学」の可能性の問題だった。彼のいわゆる「理性批判」は『科学として現れうべき将来のあらゆる形而上学への序説』にほかならなかった(1)。フィヒテはその哲学を「科学一般についての科学」として規定し、これに『科学の科学』あるいは『科学論』(知識学)の名を与えた。これらの先行者たちの要求をヘーゲルは自分の観念論的立場から実行に移した。その『精神現象学』は『論理学』に至るまでの「科学の生成」の叙述である。「真理の存在する真の姿は体系でしかありえない。私の目的はただ一つ、哲学が科学の形態〔つまり体系〕に接近する事業に協力することだけである」。そして彼の『哲学的諸科学全書』(エンチユクロぺディー)は論理学・自然哲学・精神哲学をうちまとめたところの「真に一つの科学」としての哲学の全体にほかならなかった。これらのうちに我々は哲学的科学の理念が次第に成熟しつつあるのを見る。しかしこの理念の成熟を可能にしたものは何であったか?
(1) カント主義者から出発した人らしい正確な理解です。

 哲学的科学は弁証法によって初めて本当に成立する。ドイツ古典哲学における科学としての哲学の理念の成熟はまさにそれにおける弁証法の理念の成長にほかならなかった。この理念はヘーゲルにおいて観念論的に転倒した姿で実現された。彼においては、哲学的科学の理念が実証的諸科学に外部から君臨する独立的な哲学の形態を採ったように、弁証法の理念は現実に向かってその法則を押し付けるところの概念の自己運動の形態を採った。かくてヘーゲルの弁証法は哲学的科学の形成に寄与したいという願いにもかかわらず全体としては非科学的神秘に転化しなければならなかった(1)。後に我々は現代の哲学が━━殊にファシズム支配の下で━━単に非科学的な神秘性を暴露しているばかりではなく、みずから哲学の科学性の公然たる否認にさえ到達していることを見るだろう。
(1) 古在はヘーゲル哲学を十分には研究せず、マルクスとエンゲルスの言葉を表面的に理解しているようです。唯物論が「意識は現実の反映である」と主張する時、それは「観念論者の意識も現実を反映しているが、ただそれを正確に自覚していない」ということです。ヘーゲルは現実を好く観察していました。或る点では唯物論者の古在以上に、です。だから、弁証法を深めることが出来たのです。

結局は単に一つの要請に終わったところの哲学的科学〔という目標〕は、弁証法的唯物論において初めて真実に貫徹される。哲学的科学としての唯物弁証法は自然・歴史・思惟の最も一般的な発展法則の究明であり、「人類の歴史的発展の考察から抽象される最も一般的な諸成果の総括」である(1)。それはドイツ古典哲学によって意識的に追求された哲学的科学という理念の唯一の実現者であり、哲学的科学そのものである。
(1) 古在の「弁証法的唯物論」とはこういう一般論だけです。ヘーゲル論理学の何らかのカテゴリーの「現実的意味」を独自に解明したものは1つもありません。「概念的理解」を実行した論文もなければ、「概念の個別」も分かっていませんでした。「所与の事物の何たるかはその実体的性質によってではなく、その果たしている機能によって決まる」という考え方も知りませんでした。

 観念論的な哲学概論家ならびに哲学史家たちは、過去から現在にいたるまでの哲学の学派を彼らの主観的見地に従っていろいろに分類する。しかしその際に唯物論一般および弁証法的唯物論はどのように取り扱われているか? 徹底した観念論者たちは唯物論一般を哲学から除外する。そして彼らはただ観念論だけに哲学の名を限ろうとする。しかし「公平な」哲学者たちはこのような事はしない。勿論、あらゆる場合に唯物論の最高の発展形態としての弁証法的唯物論は無視されているか、そうでなければ機械的唯物論または俗流唯物論と同一視されている。しかしながら、おおくの場合においては唯物論も哲学の仲間には数えられている。彼らの分類表には観念論の雑多な諸分派の名と並べて、たとえささやかなりとも唯物論の名が見い出される。しかし我々はこのような事実がしばしば人々を一つの錯覚に誘い込むことに注意しなければならぬ。

 第一に、哲学諸学派を分類するこのような方法は、あたかも唯物論と観念論諸形態との間の差別が観念論諸形態そのものの間の差別と同じ意味を持つかのように思わせる。しかしながら実際には前者の差別は後者の差別より単に大きいばかりでなく、全然異なる意味を持つ。否、唯物論と観念論一般との関係は単なる差別ではなく、実は根本的な対立でなければならない。そして観念論諸形態の差別はこの根本的な対立の一方の側における従属的な〔第二次的な〕種別にすぎない。世界観における観念論対唯物論の対立は、原則的にいえば、人間史をつらぬく階級対階級の対立の反映である。あらゆる社会におけるこの基本的な対立と階級内部における種々な階級層の差別とを見分けえないのは、社会的な色盲であろう。ただかような人にとってのみ、唯物論は単に哲学的諸学派の間に伍する一つの学派、学説史における単に一つの学説にすぎない。

 第二に我々は、単に哲学史が観念論と唯物論との二大陣営に分裂するだけでなく、唯物論の最高の発展形態としての弁証法的唯物論がまさに一つの哲学的科学であることを正確に理解しなければならぬ。ガリレイおよびコペルニクス以来の自然認識の方向もその最初の出現にあたっては伝統的な自然観の諸形態に付け加えられた一つの異端的な自然観と見えたかもしれない。しかしながらそれは単に神話的・宗教的・目的論的等々の自然観と並ぶところの一個の自然観ではなかった。それはまさに自然について唯一可能な自然科学を代表するものであった。マルクスおよびエンゲルスによって確立された社会の理論は単に進化論的・実証論的・有機体説的等々の社会学説と並ぶところの一個の社会学説ではなかった。それはまさに社会について唯一可能な社会科学を意味するものであった。まったく同一なことが弁証法的唯物論の哲学についても言われなければならぬ。それは単に一個のいわゆる科学的哲学ではない。それは自然、社会、思惟の━━即ち世界および世界認識の最も一般的な発展法則についての唯一可能な哲学的科学にほかならず、この意味において一切の非科学的世界観に対立する━━(1)。
 (1) 古在の間違いは、「自称弁証法的唯物論の哲学」を、十分な検証もなく、「真の弁証法的唯物論の哲学」と認定していることです。「自称弁証法的唯物論の哲学」の諸派はソ連のデボーリン派もミーチン派も、日本の共産党内の良識を代表する加藤正なども、みな、「ヘーゲルとがっぷり四つに組んで格闘することを避けた自称弁証法的唯物論の哲学」でしかありません。現に、その「格闘の記録」が何もないではありませんか。いや、そもそも、「自称弁証法的唯物論の哲学」の創始者とされているマルクスとエンゲルス自身でさえ「ヘーゲルとがっぷり四つに組んで格闘することを避けた自称弁証法的唯物論者」だったと、私は、最近、思うようになりました。この点は近い将来『フォイエルバッハ論』の詳細な検討を通して明らかにする予定です。

 最初に我々は哲学における「ドイツ的なもの」の探求から出発した。そして我々はドイツ古典哲学における「生けるものと死せるもの(1)」の区別に到達した。その観念論的な神秘性と官学性は我々にとっては死滅すべきもの、その弁証法および哲学的科学の理念は我々にとっては生命あるものであった。しかるに現代のドイツ的な哲学にとっては、それがドイツ版であると日本版であるとをとわず、事情は逆転する。我々にとっての生けるものがそれにとっては死せるものとなり、我々にとっての死せるものがそれにとっては生けるものとなる。のちに我々はこの事情を一層くわしくみるであろう。(古在由重著作集、勁草書房、第一巻52-6頁)
(1) この「生けるものと死せるもの」という句はかつてイタリアのヘーゲル研究家のクローチェが「ヘーゲルにおける生けるものと死せるもの」という題の本を出して(一九〇七年)から有名になった句です。

 1-2、しかしこのように技術と結びつけられた科学の概念は、どのように哲学に適用されるだろうか? 哲学そのものもこのような意味での科学として解釈されるだろうか? 我々は先にドイツ古典哲学のうちに哲学的科学という理念が成熟したのを見た。これに類する理念がアメリカ哲学のうちにも存在するだろうか?
 否、存在しない。既に帝国主義の段階へ突入していたアメリカ資本主義は、決してその哲学者たちの頭脳のうちにかような理念を成熟させなかった。科学における真理についての彼らの見解はいかなるものであるか? 真理は彼らにとっては決して客観的なものではなく、純粋に主観的なものとなる。「真理はプラグマテイストにとっては経験における一定の作業価値のあらゆる種類をあらわす総称である」(ジェームズ)。マッハをはじめH・ポアンカレ、デュエムらもこの点においては根本的な一致を見出した。この事は、プラグマティズムの真理観が決して単にアメリカ的なものではなく、帝国主義の時代における観念論的真理観の一形態として国際的なものであることを証明する。もしこのような主観主義に立つならば、哲学がジェームズの見なすようにもっぱら「人の内奥の性格の表現」となり、哲学史がもっぱら「人間的気質の衝突」となるのは当然である。
 哲学の科学性はデューイにおいても抹殺されている。「科学」も彼には結局において自然科学を中心とする特殊科学しか意味しない。勿論、「科学」との関連はつねに哲学にとって不可欠なものとして強調されてはいる。しかしながら哲学的科学という観念は、弁証法の思想の欠如のゆえに、まったく存在しない。「哲学は幻想である」というジェームズの思想は彼にとっても受け継がれている。彼の見解によれば哲学的世界観を構成する二つの要因のうち「科学」(サイエンス)の要因はただ消極的なものにすぎず、積極的なものはむしろ「想像」(イマジネーション)の要因である。我々はもう一度デューイをしてかたらしめよう。
 「我々のもとには、ありあまるほどのエネルギーと活動性がある。かつて産業的達成へ注ぎこまれた活力の少なからぬ部分が今や科学に向かっている。我々の科学的『設備』は自己の方法で我々の産業的設備に匹敵するようになりつつある。殊に心理学および社会科学においては世界中の他のいかなる部分も及びがたいほどの助力が注がれつつある。しかし、もし今までのところ活動性に相応しい成果が挙げられているという人があるとしたら、彼はあつかましい広言家だろう。どういうわけか? 問題は、我々に指導的な観念を生み出す想像力が欠けている点だと私は思う。我々は思弁的な観念を恐れるから、『事実』の領域において莫大な量の死んだ特殊化された仕事を積み重ねてゆく」。(同上書78~80頁)

1-3、しかし一体このいわゆる想像、思弁とは何ものだろうか? これについては残念ながら一言も語られていない。幻想によるアメリカ的実際主義〔プラグマティズム〕の否定は、ついに一つの消極的否定に止まっている。既にカントは「透察の絶頂に大胆な飛躍によって苦労せずに達しようとするところの幻想の哲学者」を排し、ヘーゲルは「科学の研究にあたって大切なのは概念の力闘(Anstrengung、努力)を辞さない〔厭わない〕ことである」と断じた。しかるに哲学的幻想に替えて哲学的科学を打ち立てるものこそ弁証法である。実際、弁証法の━━しかも唯物弁証法の武器による概念の力闘(1) なしには、すべての哲学的世界観は一瞬の影像、一片の概念詩に化してしまうであろう。(80頁)
(1) 「唯物弁証法の武器による概念の力闘」の記録はどこに残っているのでしょうか。証拠を示してほしいです。

1-4、リッケルトにおいては哲学はまだとにもかくにも科学という名義を要求しており、哲学の科学性を放棄する「生の哲学」から自己を区別していた。同じくフッサールの「現象学」もとにかく厳密科学の要求を掲げて登場していた。勿論、それらは既にヘーゲルにおいて提起された「哲学的諸科学のエンチュクロぺディー(1)」への要求とは本質的に異なっている。そしてそれらの「科学的」哲学は実際はベルグソン、ディルタイらの「生の哲学」と必然的に補い合うところの、帝国主義時代における観念論の一形態にすぎない。このことはハイデガーがリッケルトおよびフッサールの学派から出発したという一つの事実に照らしても明らかであろう。しかしリッケルトおよびフッサールにおいて形式的ながら要求されていたところの科学性は、キエルケゴールやニーチェらに依存するところのハイデガーおよびヤスパースの「実存哲学」においては、もはや放棄されている。ところで日本アカデ-哲学の展開はその一つ一つの段階においてドイツにおける観念論のこのような展開の跡を追い回している。かつてはリッケルトの哲学がその「科学性」のゆえに日本で普及した。しかし今はハイデガーやヤスパースらの哲学がその非科学性あるいは「超科学性」のゆえに日本で流行している。かつては「科学性」がリッケルトの信じたようにドイツ哲学を日本哲学に結びつける国際的な紐帯だった。それなのに、なぜ今は非科学性あるいは「超科学性」がそれに代わったのか? この事は、いつもドイツ哲学の目新しい「はしり」を追いかけ回るという日本アカデミー哲学の浮気な性質だけでは説明されない。その根底にはナチス・ドイツと現代日本との社会状勢における接近という根本的な事実が伏在しなければならぬ。
 このように、一般的にはドイツ観念論の伝統的な坊主主義的・官僚学問的性格、そして特殊的にはヘーゲル以後のドイツ観念論が有する唯物論排撃の「輝かしい」闘争経歴━━この二点こそ日本アカデミー哲学の道程をドイツ観念論哲学のそれの模写および反映たらしめる根本的な条件なのだ。日本の観念論はあらゆる場合に唯物論の認識論としての模写説あるいは反映論を攻撃している。それにも拘わらず日本観念論自身が常にドイツ観念論の模写および反映であることによって自己の認識論をみずから否定しているのは、皮肉な事実である。(91~93ページ)

1-5、最後に我々は現代日本における唯物論哲学の性格について一言しなければならぬ。明治以来、日本における唯物論の諸理論も初めは先進諸国(フランス、ドイツ、ソヴェート連邦)から移植された。否、今後もなお日本の唯物論哲学はこれらの諸国から多大なものを摂取しなければならないであろう。しかしそれにも拘わらず、日本の〔唯物論〕哲学的世界観はこれによって初めて日本の社会的現実の内にその根を下ろすことができ、今後の実り多い発展への展望を開くことができた。唯物論的世界観だけは断じて「日本的なもの」によって変形されえず、圧倒されえない。なぜならば、それは一切の民族的隔絶を止揚すべきところの真に国際的な地盤に立つ哲学的科学であり、「日本的なもの」によって歪曲されるのでなく、これを説明するからである。唯物論的世界観だけは断じて「日本的なもの」によって去勢されえず、無力化されえない。なぜならば、それは日本における社会的矛盾の苦痛から生誕し、「日本的なもの」によって骨抜きにされるのでなく、これに抗議すべき任務を負うからである。日本的現実の矛盾こそまさにそれの活発な発展を要求し、それの強力な推進を命令しつつある(1)。(94頁)
(1) この古在の『現代哲学』の「序」は1937年9月となっていますが、その時には既にソ連ではスターリンによる権力の掌握が完成し、言論の自由はなくなっていました。逆に国際共産主義運動としてはディミトロフの「統一戦線戦術」が提唱され、実行されつつありました。真の弁証法的唯物論はこういう動きに「認識論的」根拠を与えるべきでした。しかし、ソ連と日本共産党を疑ってもみない古在の哲学はこういうおめでたい「信念=信仰」を表明するだけでした。この「信仰」は引用文1-6で繰り返されます。

1-6、かつてマルクスはいったー「たとえばマンチェスターやリヨンで働いている――集団的な労働者は、彼らの企業主および彼ら自身の実践的屈従を『純粋思考』の理屈によって片付けうるとは信じない。彼らは存在と思惟との、意識と生活との差別を非常に苦痛に感じているのだ。彼らは知っている。財産・資本・貨幣・賃労働その他のものは断じて観念的な妄想ではなく、彼らの自己疎外のきわめて実践的な、きわめて対象的な所産であることを。したがってまた単に思惟および意識においてだけでなく集団的存在および生活において人間が人間となるためには、それらの所産は実践的な対象的な仕方で揚棄されねばならぬことを」。(「神聖家族」第4章第4節)
 この世界とはどんなものか? そして人間の生活はいかにあるべきか? この問題は哲学者ならぬプロレタリアートにむかって日々にその解答をうながしている。しかるにこれに対する率直な感想としての彼らの世界観は、その自然成長的形態においてすでに唯物論的であり弁証法的である。弁証法的唯物論の哲学は、彼らの日常的な生活実践からうちだされるところのこの素朴な世界観をさらに広汎な・さらに豊富な・さらに深刻な実践に基づいて一個の科学にまで精練したものにほかならない。それは真の世界観的科学、科学的世界観である。(同上書109~110頁)

  感想 

 古在の『現代哲学』はヘーゲル以降の西洋哲学の内容自身、と言うより、そういう内容を持った哲学の社会経済的背景を分析したものです。多くの資料をしっかりと読み解いた努力は評価できますが、相手の哲学の内容に自分の「弁証法的唯物論の内容」を積極的に対案として出していません。
 しかし、我々のテーマである「ヘーゲルのWissenschaftと科学の関係」については、両者を切り離す考え方に反対して、両者を結びつける理解を示し、哲学を科学の頂点に置き、最高の科学として位置づけています。前者は主観主義的な理解であり、観念論と結びつくとし、後者こそ客観的な理解であり、唯物論と結びつくとしています。もちろんヘーゲル自身の考えも後者です。
 最近は、観念論の立場に立つ人はもちろん、自称唯物論の人も、「ヘーゲルのWissenschaftは『科学』と訳してはならず、『学』とか『学問』と訳さなければならない」と、言っていますし、それを実行しています。しかし、この考えの人でこの考えを根拠づける論文を発表した人がいるのでしょうか。私は知りません。知っている人は教えてください。