マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

詳細索引・無冠詞

2019年06月16日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
     詳細索引・無冠詞

163──同語反復文では無冠詞
292──人名と無冠詞、人名の複数形と無冠詞
448── ?
560──量的規定を伴って考えられた不可算名詞は無冠詞
591、593──定冠詞⇒不定冠詞⇒無冠詞の順序の根拠
609──有冠詞形があるから無冠詞形には独特の意味携帯を帯びる
617──遍在通念の無冠詞
653──外的形容の不定冠詞と無冠詞
662──無冠詞形の本質。語を語として打ち出す掲称的語局
671──金言。高踏的掲称
676-7──無冠詞複数形
680──定冠詞と不定冠詞と無冠詞の使い分け
720──長い冠飾句に無冠詞は拙い





詳細索引・もの(物、者)

2019年05月31日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
  詳細索引・もの(物、者)

82──名詞は物か者

84──事を表現するのに物(者)を使う

148──主語は必ず名詞

157──「何々について話す」と「何々呼ばわりする」

255、636──名詞の本質は「全てを物(者)にすること」

1420──「脱帽もの」「噴飯もの」「辛いものがある」





詳細索引・否定詞

2019年05月20日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
   詳細索引・‾否定、否定詞

325──2恪と~の関係。nichtsは nicht dessenから生じた。

504──消極的否定の un-はアクセント有り(例・unmoeglich可能でない)、積極的否定の un-は無い(例・unmoeglich・不可能な)。

1173──否定の表現(総論)

1205──否定の強調

1212──否定詞を強める不定詞

1269──否定疑問文

1400── nicht zuletzt




関口文法への詳細索引、時制の一致

2019年02月24日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
   詳細索引「時制(時制の一致)」

415 ── 間接話法における~。独にはない?
725 ──ドイツ語での~の種類
736 ──~の一致について。総論。一致させない場合。
740 ──日本語での時制の一致の実情
757 ──過去における未来の事の表現
787 ──過去形の代用としての過去完了
788 ──時制の一致で過去形と過去完了形になった
855 ──時制の一致が守られていない場合
869 ──分詞の表す時制
880 ──動作相の区別と時制の区別とは全然違う。遂行相は動作相であって時制ではない。
964 ──時制の一致は副文の副文までは及ばないのか。
1020 ──英語の仮定法には時制の一致はない
1035 ──時制の一致は守られなく成ってきている
1425 ──?


事実を指すwenn(改訂版)

2018年12月28日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
    事実を指すwenn(改訂版)

    事実を指すwenn(改訂版)

 『関口ドイツ文法』に「事実を指すwenn」を書き落とした事は大失策でした。調べ直してここにまとめておきます。関口は『ドイツ語学講話』の中に一講を設けて説明しているのですが、内容的にまとまりが悪く、完成していると言えません。よって、浅学を顧みずに、私がまとめてみます。見たものは関口のその論文のほかには『クラウン独和』と『独和大辞典』です。用例は、自分で集めたものは出典を示し、他からの引用は元を書いておきました。

 A・仮定的条件のwenn

wennの元の意味は「仮定」だと思います。しかし、その仮定にも色々あります。

 A-1、可能性のある仮定。未来ないし現在から近い未来の仮定。
1-1. Wenn ich Nachricht von ihr habe, lasse ich es dich sofort wissen. (彼女についてのニュースが入り次第、直ちに君に知らせます)(クラウン)
1-2. Wenn morgen die Delegierten ankommen, (so / dann) werden sie vom Oberbürgermeister begrüßt.(派遣団は明日到着すると、市長から挨拶を受ける)(大独和)
1-3. Wenn es Frühling wird, kommen die Zugvögel zurück.(春になると、渡り鳥が帰ってくる)(繰り返される事柄にも使われる)(クラウン)
1-4. Immer (Jedesmal), wenn wir sie einladen, hat sie keine Zeit.(彼女を誘うときは決まって「時間がない」と断る)(クラウン)
感想・1-4は1-3と同様、「決まった事」として考えるから、こういう言い方をするのでしょう。

A-2、 条件と帰結、理由と結論、原因と結果の関係にある真理を「仮定と帰結」関係で表す。
2-1. Wenn es also darauf ankommt, die treibende Mächte zu erforschen, die hinter den Beweggründen der geschichtlich handelunden Menschen stehn, ……, so kann es sich nicht so sehr um die Beweggründe bei einzelnen, als um diejenigen, welche grosse Massen, ...in Bewegung setzen (Engels, Feuerbach, §4)
(かくして歴史の表面で行動している人々の背後のある起動力は何かを探求することが問題になるならば、その時には、個々人を動かしている動機ではなく、大衆を動かしている動因を探らなければならないことになる)
英・When, therefore, it is a question of investigating the driving powers which lie behind the motives of men who act in history, then it is not a question so much of the motives of single individuals, however eminent, as of those motives which set in motion great masses, ...
 仏・S’il s’agit, par conséquent, de rechercher les forces motrices qui se trouvent derrière les mobiles des actions des hommes dans l’histoire, il ne peut pas tant s’agir des motifs des individus, que ce ceux qui mettent en mouvement de grandes masses, ...
 感想・独はwenn …… so(od. dann)が典型的な構文です。英はifもwhenもあるようですが、それを受ける語thenが付く場合もあれば、何も付かない場合もあるようです。仏にはsiを受ける語は使わないことが多いようです。

 A-3、過去の反復された条件
3-1. Meine Mutter freute sich sehr, wenn ich sie besuchte.(母は私が訪ねて行くと、とても喜んだ)(クラウン)
 感想・関口はこれも「事実をwenn」に入れています。「講話」の173頁を参照。しかし、このように広く取ると、狭義の「事実を指すwenn」、つまり「コメントを言う前提を設定するwenn」を一般的に「事実を指すwenn」と言う意味がなくなると思います。

 cf. 過去の一回限りの事はalsで表します。
3-2. Als er das hörte, erschrak er.(彼はそれを耳にすると、驚愕した)(大独和)
3-3. Gerade als ich das Zimmer betrat, ging er hinaus.(私がその部屋に脚を踏み入れたちょうどその時、彼は出て行った)(大独和)

 A-4、反実仮想はここでは扱いません。「文法」の第1部(理解文法)の第9章(接続法)の第6節(仮定話法)1045頁以下を参照。

B・事実を指すwenn(コメントを言う前提を設定するwenn)
 事実を指す場合なら、どんな場合でもwennが使えるというわけではない。事実を指す接続詞の根本は dassです。
 4-1. Ich weiss, dass er krank it.(彼が病気だという事は知っています)(大独和)

 或る事実を取り出して、それに対して Bemerkung(コメント)を加える場合にはwennを使います。もちろんそのコメントの方が主ですが。
 4-2. Wenn er es erst heute zur Sprache gebracht hat, so muss er auch seinen Grund haben.(彼が今日初めてそれを口にしたのには、それなりの理由があるはずだ)
 4-3. So viel ist gewiss, sie war fest bei sich entschlossen, alles zu tun, um Wertern zu entfernen, und wenn sie zauderte, so war es eine herzliche, freundschaftliche Schonung . (Goethe: Werters Leiden)(これだけは確かだが、彼女はあらゆる策を講じてヴェルテルを遠ざけようと堅く決心していたらしい。それを躊躇したのは、それは気持ちの上から、友情の上から忍びなかったからである)
 説明・構文としては wenn .... so (od. dann) が標準だが、soやdannはなくても良い。(以上、関口『講話』158-162頁)

4-4.Wenn der Berliner sagt: “Das kostet drei Eier”, dann meint er: das kostet drei Mark.
 (ベルリン人が「値段はdrei Eierだ」と言えば、それはつまりdrei Markだということである)
 説明・4-3と4-4とはどう違うか。4-4のwennは「もしベルリン人が~という事を言うとすれば」の意味で、いま具体的に誰かベルリン人がそう言ったというのではありません。逆に、4-2と4-3では、具体的事実が挙げられています。つまり、この wennは「一つの具体的事実をあたかも一般的事実であるかのように言う」ものなのです。
 なぜこのような事をわざわざするのか。それは、人間というものは、具体的事実を捉えてそれに何かのコメントを加える時には、それを一旦一般的事実かのように考えて初めて、それに対して判断力が何かの手がかりを得られるからです。
 早い話が、部下が何かの失敗をした時、上司は「その事をしてはいけない」とは言わない。「そんな事をしてはいけない」と言います。(同、162-3頁)
 牧野の感想・「そこでそれをするのが君の悪い癖なんだよなあ」という言い方もあるとは思います)。

 4-5. Wenn dennoch die Neubelebung der Kantschen Auffassung in Deutschland durch die Neukantianer und der Humeschen in England durch die Agnostiker versucht wird, so ist das wissenschaftlich ein Rückschritt und praktisch nur eine verschämte Weise, den Materialismus hinterrücks zu akzeptieren und vor der Welt zu verleugnen. (Engels, Feuerbach, §2)
(それにも拘わらず、ドイツでは新カント派がカント哲学を生き返らせ、イギリスでは不可知論者たちがヒューム哲学を再興しているが、それは学問的〔理論的)には後退であり、実際的には、背後で〔人に隠れて〕唯物論を受け入れながら、世間的には唯物論を否認しているかのように見せかける恥知らずのやり方でしかない)
英・If, nevertheless, the Neo-Kantians are attempting to resurrect the Kantian conception in Germany and the agnostics that of Hume in England, this is scientifically a regression and practically merely a shamefaced way of surreptitiously accepting materialism, while denying it before the world.
 仏・Si, cependant, les néo-kantistes s’efforcent en Allmagne de donner une nouvelle vie aux idées de Kant, et les agnostiques, en Angleterre, aux idées de Hume, cela constitue, au point de vue scientifique, une régression par rapport à la réfutation théorique et pratique qui en a été faite depuis longtemps, et, dans la pratique, une façon honteuse d’accepter le matérialisme en cachette, tout en le reniant publiquement.
 感想・英語にも「事実を指すwhen」が、フランス語にも「事実を指すsi」があるようです。

 派生形1・他者の言説を引用するwenn

 他者の言説を引用して、それにコメントを加える場合にもこの wennが使われる。この場合には、wenn-Satzに対する主文が形式的には無いような事もある。
 5-1. Auch bei Goethe finden sich, wenn auch unabhängig von Kant, verwandte Prägungen: “Denn das Gesetz nur kann uns Freiheit geben,” oder wenn er davon spricht, dass im Menschen ein “Dienenwollendes” sei. (ゲーテもカントとは関係はないが、それに似た事を言っている、『如何となれば、只法のみが吾人に自由を与える事が出来るのである』と。あるいは又、人間の中には『仕えんことを欲する何物か』があると言っているのなどがそれである。)
 説明・下線を引いたwenn-Satzには主文がないように見えるが、事実上、前にあるdenn以下の文の内容が主文なのです。(同164頁)
 牧野の解説・関口訳の最後の「のなどがそれである」が行間を読んで訳したものです。

 派生形2・比較対照のwenn

6-1. Und wenn der Mensch in seiner Qual verstummt, / Gab mir ein Gott zu sagen, was ich leide. (Goethe: Tasso)(悩みて黙するが人の常なれど、神は我に悩みを語るすべを授け給いぬ)
 説明・詩人というのは常人以上に悩むように出来ている代わりに、またその悩みを、常人とは違って、文筆を以て表現するという天賦を授かっているということ。(同168頁)
 牧野の感想・比較対照にwennを使うのはまあ分かります。ここではそれよりein Gottの方を説明して欲しかったです。牧野の推測では、「キリスト教の神」を意味させたければ無冠詞でGottと言ったでしょう。そういう限定なしに、「どういう宗教を持っている詩人でも、無宗教の詩人でも、天賦のものとして、そういう才能を持っている」という事で、「神とでも言うべきもの」と言ったのでしょう。あえて換言すれば、gab mir der Himmelと言うことも出来たのではあるまいか。

6-2. Ist das Lied auf das engste an die rhythmisch-melodische Gliederung des Ausdrucks gebunden, so bewegt sich die Erzählung frei in dem natürlichen, keiner festen Regel unterworfenen Rhythmus und Tonfall der Sprache. (Wundt) (歌謡が言語の韻律的・旋律的配置に拘束されているとすれば、物語は、言語の、いかなる規則にも縛られない自然のままのリズムと抑揚を以て自由奔放に振る舞うことができるのである)
 説明・「事実を指すwenn」の構文では「いつでも定形先置文で替えることが出来る」とまでは言えないが、「比較対照のwenn」の構文では、定形先置文で代替する事が好まれる。

6-3. Ist der Staat noch heute, zur Zeit der grossen Industrie und der Eisenbahnen, im ganzen und grossen nur der Reflex, in zusammenfassender Form, der ökonomischen Bedürfnisse der die Produktion beherrschenden Klasse, so musste er dies noch viel mehr sein in einer Epoche, wo eine Menschengeneration einen weit grösseren Teil ihrer Gesammtlebenszeit auf die Befriedigung ihrer materiellen Bedürfnisse verwenden musste, also weit abhängiger von ihnen war, als wir heute sind. (Engels , Feuerbach, §4)
(大工業と鉄道のある今日でも尚、大きく見れば、国家は〔経済生活から独立した物ではなく〕生産を支配している階級の経済的要求を映す物に過ぎないとするならば、人々がその全生活の大部分を物質的要求を満たすために使わなければならなかったような時代には、つまり今日の我々よりも一層物質生活上の欲求に依存する度合いの大きかったような時代には、国家は一層経済生活を反映する物だったにちがいない)
 感想・この場合は「比較対照のwenn」と言っても、「真逆な二つの事の対照ではなく、方向は同じだが「その程度が大きく違う二つの事の対比」だと思います。こういう場合でも使える訳です。

6-4. Wenn also die bürgerlichen Rechtsbestimmungen nur die ökonomischen Lebensbedingungen der Gesellschaft in Rechtsform ausdrücken, so kann dies je nach Umständen gut oder schlecht geschehen. (Engels , Feuerbach, §4) (そのように資本主義の法規定はその社会の経済的生活条件を法という形で表現した物でしかないのだが、それは事情によって上出来の場合もあれば不出来のこともある)
 英・If, therefore, bourgeois legal rules merely express the economic life conditions of siciety in legal form, then they can do so well or ill according to circumstances. 
 仏・Si, par conséquent, les préscriptions du droit bourgeois ne sont que l’expression sous une forme juristique des conditions d’existence économiques de la société, cela peut se faire bien ou mal, selon les circonstances.
 感想・これも「事実をwenn」の一種でしょうが、内容的には「譲歩の構文」だと思います。

 cf. 比較対照にはwährendもあります。

6-5. Während er bequem lebt, muss ich hart arbeiten.(クラウン)
 感想・indemも場合によっては使えると思います。

cf. 比較相似の wie ... so

7-1. Wie aber die Manufaktur auf einer bestimmten Entwicklungsstufe in Konflikt kam mit der feudalen, so ist jetzt schon die grosse Industrie in Konflikt geraten mit der an ihre Stelle gesetzten bürgerlichen Produktionsordnung. (Engels , Feuerbach, §4)(しかし、このマニュファクチュアがその一定の発展段階に達した時、封建的生産関係と両立できなくなったと同じく、今や〔マニュファクチュアから大きく発展した〕大工業は封建体制に取って代わった資本主義生産体制と両立出来なくなっている)
 英・But just as at a definite stage of its development, manufacture came into conflict with the feudal order of production, so now large-scale industry has already come into conflict with the bourseois order of production established in its place.
 仏・Mais de même qu’à une certaine phase de developpement, la manufacture entra en conflit avec le mode de production féodal, de même, meintenant, la grande industrie est entrée en conflit avec le régime de production bourseois qui l’a emplacé.
 感想・6-2までの「比較対照」は比較した結果が「反対」的でしたから、「対照」でしたが、この7-1の用例では「比較」の結果は「相似」です。この場合はwenn... soではなく、wie ... soが使われます。英では as ... soで、仏ではde mêde ... de mêdeです。
 こういう風に、似たものや対立する事柄は同じ所にまとめた方が理解し易いと思います。

 派生形3・逆接的な前提を後から付加する言い方

「逆接的な前提を後から付加する」とは何のことか分かりにくいと思います。或る事柄Aを言ったとします。その後に、本来はAを否定するような事Bを指摘することです。こういう言い方は、次の日本語の用例を見てみればすぐに分かりますように、日常的に使われています。
8-1. 米女子ゴルフツアーで8度の賞金女王に輝いたアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)が引退を発表した。/昨年、背中を傷めたが、リハビリに成功し、今季3勝(通算72勝)。37歳の年齢と実力を考えても、キャシー・ウィットワース(米)が持つ通算88勝のツアー記録を塗り替える可能性は、十分に残されているのにだ。(朝日、2008年05月17日)

8-2. Es ist die gemeinsame Psychose aller Gebildeten, dass sie sich immer mehr Bücher anschaffen müssen, da sie doch weder Zeit noch Lust haben, sie auch nur aufzuschlagen. (開けてすら見るだけの暇もなければ気もない癖に次へ次へと書物を買わずに入られないというのが、これがインテリの共通心理である)(作文202頁)
 説明・ドイツ語では、da …doch を使うのが普通です。
 8-3. Warum in die Ferne schweifen, wenn das Gute so nahe liegt? (善い事がこんなに間近に転がっているのに、何を苦しんで遠きを漁る必要があるのだ)
 説明・このda …… dochの代わりにwennを使ってもいいのです。
 感想・8-2ではdochが入っていますが、6-3にはありません。dochはなくてもいいのです。又、8-2でも8-3でも関口は後ろから訳していて、「後から逆接的理由を言う」形を採っていません。これはどうでしょうか。「何を苦しんで遠きを漁る必要があるのだ。
善い事がこんなに間近に転がっている〔という〕のに」と、「という」を入れるくらいしか妙案が浮かびませんが。この構文はやはり逆接的理由を後から言うことで、主文の主張を一層強く言いたいのだと思います。ですから、やはり順序は変えない方がいいと思います。
 8-4. Und der kleine Prinz fragte sich: Wie kann er mich kennen, da er mich noch nie gesehen hat? (その時、星の王子様は自問しました、「どうして彼は僕が分かるのだろう、これまでl度も僕に会ったことがないというのに」)(Prinz ,S.50)
仏原文・Comment peut-il me reconnaître puisqu’il ne m’a encore jamais vu!
英・How could he recognize me when he had never seen me before?
 感想・仏にdochに当たる語がないためか、独にも英にもそれらしい語句がありません。仏はquandを使う言い方はないのでしょうか。用例の収集が足りません。独英仏を比較できる用例は1つしか知りません。

cf. 順接的な前提条件は後から付け加える言い方が普通だが、前に持ってくることもある。

9-1. Er konnte deshalb nicht kommen, weil seine Mutter krank war. (クラウン)
 説明・weilの副文は、主文中のdeshalb, darum等に呼応することが多い。又、内容的に相手にとって新しい情報で、特にはっきりと理由を言う場合に使う。
9-2. Die Bank ist geschlossen, da heute Samstag ist.(クラウン)
 説明・daの副文は、聞き手に容認できる事柄、ないし既知の事柄の場合。
9-3. Da es regnete, gingen wir nicht spazieren.
以上、説明もクラウンから借用。

 (その後に気付いた点を入れて、少し加筆しました。12月31日)
 

事実を指すwenn

2018年12月20日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
    事実を指すwenn

 『関口ドイツ文法』に「事実を指すwenn」を書き落とした事は大失策でした。調べ直してここにまとめておきます。関口は『ドイツ語学講話』の中に一講を設けて説明しているのですが、内容的にまとまりが悪く、完成していると言えません。よって、浅学を顧みずに、私がまとめてみます。見たものは関口のその論文のほかには『クラウン独和』と『独和大辞典』です。用例は、自分で集めたものは出典を示し、他からの引用は元を書いておきました。

 A・仮定的条件のwenn

wennの元の意味は「仮定」だと思います。しかし、その仮定にも色々あります。

 A-1、可能性のある仮定。未来ないし現在から近い未来の仮定。

1-1. Wenn ich Nachricht von ihr habe, lasse ich es dich sofort wissen. (彼女についてのニュースが入り次第、直ちに君に知らせます)(クラウン)
1-2. Wenn morgen die Delegierten ankommen, (so / dann) werden sie vom Oberbürgermeister begrüßt.(派遣団は明日到着すると、市長から挨拶を受ける)(大独和)
1-3. Wenn es Frühling wird, kommen die Zugvögel zurück.(春になると、渡り鳥が帰ってくる)(繰り返される事柄にも使われる)(クラウン)
1-4. Immer (Jedesmal), wenn wir sie einladen, hat sie keine Zeit.(彼女を誘うときは決まって「時間がない」と断る)(クラウン)
感想・1-4は1-3と同様、「決まった事」として考えるから、こういう言い方をするのでしょう。

 A-2、過去の反復された条件

2-1. Meine Mutter freute sich sehr, wenn ich sie besuchte.(母は私が訪ねて行くと、とても喜んだ)(クラウン)
 感想・関口はこれも「事実をwenn」に入れています。「講話」の173頁を参照。しかし、このように広く取ると、狭義の「事実を指すwenn」、つまり「コメントを言う前提を設定するwenn」を一般的に「事実を指すwenn」と言う意味がなくなると思います。

 cf. 過去の一回限りの事はalsで表します。
2-2. Als er das hörte, erschrak er.(彼はそれを耳にすると、驚愕した)(大独和)
2-3. Gerade als ich das Zimmer betrat, ging er hinaus.(私がその部屋に脚を踏み入れたちょうどその時、彼は出て行った)(大独和)

 A-3、反実仮想はここでは扱いません。「文法」の第1部(理解文法)の第9章(接続法)の第6節(仮定話法)1045頁以下を参照。

 B・事実を指すwenn(コメントを言う前提を設定するwenn)

 事実を指す場合なら、どんな場合でもwennが使えるというわけではない。事実を指す接続詞の根本は dassです。
 3-1. Ich weiss, dass er krank it.(彼が病気だという事は知っています)(大独和)

 或る事実を取り出して、それに対して Bemerkung(コメント)を加える場合にはwennを使います。もちろんそのコメントの方が主ですが。

 3-2. Wenn er es erst heute zur Sprache gebracht hat, so muss er auch seinen Grund haben.(彼が今日初めてそれを口にしたのには、それなりの理由があるはずだ)
 3-3. So viel ist gewiss, sie war fest bei sich entschlossen, alles zu tun, um Wertern zu entfernen, und wenn sie zauderte, so war es eine herzliche, freundschaftliche Schonung . (Goethe: Werters Leiden)(これだけは確かだが、彼女はあらゆる策を講じてヴェルテルを遠ざけようと堅く決心していたらしい。それを躊躇したのは、それは気持ちの上から、友情の上から忍びなかったからである)
 説明・構文としては wenn .... so (od. dann) が標準だが、soやdannはなくても良い。(以上、関口『講話』158-162頁)

3-4.Wenn der Berliner sagt: “Das kostet drei Eier”, dann meint er: das kostet drei Mark.(ベルリン人が「値段はdrei Eierだ」と言えば、それはつまりdrei Markだということである)
 説明・3-3と3-4とはどう違うか。3-4のwennは「もしベルリン人が~という事をいうとすれば」の意味で、いま具体的に誰かベルリン人がそう言ったというのではありません。逆に、3-2と3-3では、具体的事実が挙げられています。つまり、この wennは「一つの具体的事実をあたかも一般的事実であるかのように言う」ものなのです。
 なぜこのような事をわざわざするのか。それは、人間というものは、具体的事実を捉えてそれに何かのコメントを加える時には、それを一旦一般的事実かのように考えて初めて、それに対して判断力が何かの手がかりを得られるからです。
 早い話が、部下が何かの失敗をした時、上司は「その事をしてはいけない」とは言わない。「そんな事をしてはいけない」と言います。(同、162-3頁)
 牧野の感想・「そこでそれをするのが君の悪い癖なんだよなあ」という言い方もあるとは思います)。

 3-5. Wenn dennoch die Neubelebung der Kantschen Auffassung in Deutschland durch die Neukantianer und der Humeschen in England durch die Agnostiker versucht wird, so ist das wissenschaftlich ein Rückschritt und praktisch nur eine verschämte Weise, den Materialismus hinterrücks zu akzeptieren und vor der Welt zu verleugnen. (Engels, Feuerbach, §2)
(それにも拘わらず、ドイツでは新カント派がカント哲学を生き返らせ、イギリスでは不可知論者たちがヒューム哲学を再興しているが、それは学問的〔理論的)には後退であり、実際的には、背後で〔人に隠れて〕唯物論を受け入れながら、世間的には唯物論を否認しているかのように見せかける恥知らずのやり方でしかない)

英・If, nevertheless, the Neo-Kantians are attempting to resurrect the Kantian conception in Germany and the agnostics that of Hume in England, this is scientifically a regression and practically merely a shamefaced way of surreptitiously accepting materialism, while denying it before the world.

 仏・Si, cependant, les néo-kantistes s’efforcent en Allmagne de donner une nouvelle vie aux idées de Kant, et les agnostiques, en Angleterre, aux idées de Hume, cela constitue, au point de vue scientifique, une régression par rapport à la réfutation théorique et pratique qui en a été faite depuis longtemps, et, dans la pratique, une façon honteuse d’accepter le matérialisme en cachette, tout en le reniant publiquement.

3-6. Wenn es also darauf ankommt, die treibende Mächte zu erforschen, die hinter den Beweggründen der geschichtlich handelunden Menschen stehn, ……, so kann es sich nicht so sehr um die Beweggründe bei einzelnen, als um diejenigen, welche grosse Massen, ...in Bewegung setzen (Engels, Feuerbach, §4)
(かくして歴史の表面で行動している人々の背後のある起動力は何かを探求することが問題になるならば、個々人を動かしている動機ではなく、大衆を動かしている動因を探らなければならないことになる)

英・When, therefore, it is a question of investigating the driving powers which lie behind the motives of men who act in history, then it is not a question so much of the motives of single individuals ....
 感想・独はwenn …… so(od. dann)が典型的な構文です。英はifもwhenもあるようですが、それを受ける語thenが付く場合もあれば、何も付かない場合もあるようです。仏にはsiを受ける語は使わないことが多いようです。
 3-6は「事実を指すwenn」ではなく、一般的真理を言っていると取るべきかもしれません。境界線を引くのはいつでも難しいものです。

 派生形1・他者の言説を引用するwenn

 他者の言説を引用して、それにコメントを加える場合にもこの wennが使われる。この場合には、wenn-Satzに対する主文が形式的には無いような事もある。

 4-1. Auch bei Goethe finden sich, wenn auch unabhängig von Kant, verwandte Prägungen: “Denn das Gesetz nur kann uns Freiheit geben,” oder wenn er davon spricht, dass im Menschen ein “Dienenwollendes” sei. (ゲーテもカントとは関係はないが、それに似た事を言っている、『如何となれば、只法のみが吾人に自由を与える事が出来るのである』と。あるいは又、人間の中には『仕えんことを欲する何物か』があると言っているのなどがそれである。)
 説明・下線を引いたwenn-Satzには主文がないように見えるが、事実上、前にあるdenn以下の文の内容が主文なのです。(同164頁)
 牧野の解説・関口訳の最後の「のなどがそれである」が行間を読んで訳したものです。

 派生形2・比較対照のwenn

5-1. Und wenn der Mensch in seiner Qual verstummt, / Gab mir ein Gott zu sagen, was ich leide. (Goethe: Tasso)(悩みて黙するが人の常なれど、神は我に悩みを語るすべを授け給いぬ)
 説明・詩人というのは常人以上に悩むように出来ている代わりに、またその悩みを、常人とは違って、文筆を以て表現するという天賦を授かっているということ。(同168頁)

 牧野の感想・比較対照にwennを使うのはまあ分かります。ここではそれよりein Gottの方を説明して欲しかったです。牧野の推測では、「キリスト教の神」を意味させたければ無冠詞でGottと言ったでしょう。そういう限定なしに、「どういう宗教を持っている詩人でも、無宗教の詩人でも、天賦のものとして、そういう才能を持っている」という事で、「神とでも言うべきもの」と言ったのでしょう。あえて換言すれば、gab mir der Himmelと言うことも出来たのではあるまいか。

5-2. Ist das Lied auf das engste an die rhythmisch-melodische Gliederung des Ausdrucks gebunden, so bewegt sich die Erzählung frei in dem natürlichen, keiner festen Regel unterworfenen Rhythmus und Tonfall der Sprache. (Wundt) (歌謡が言語の韻律的・旋律的配置に拘束されているとすれば、物語は、言語の、いかなる規則にも縛られない自然のままのリズムと抑揚を以て自由奔放に振る舞うことができるのである)
 説明・「事実を指すwenn」の構文では「いつでも定形先置文で替えることが出来る」とまでは言えないが、「比較対照のwenn」の構文では、定形先置文で代替する事が好まれる。

 派生形3・逆接的な前提を後から付加する言い方

 「逆接的な前提を後から付加する」とは何のことか分かりにくいと思います。或る事柄Aを言ったとします。その後に、本来はAを否定するような事Bを指摘することです。こういう言い方は、次の日本語の用例を見てみればすぐに分かりますように、日常的に使われています。

6-1. 米女子ゴルフツアーで8度の賞金女王に輝いたアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)が引退を発表した。/昨年、背中を傷めたが、リハビリに成功し、今季3勝(通算72勝)。37歳の年齢と実力を考えても、キャシー・ウィットワース(米)が持つ通算88勝のツアー記録を塗り替える可能性は、十分に残されているのにだ。(朝日、2008年05月17日)

6-2. Es ist die gemeinsame Psychose aller Gebildeten, dass sie sich immer mehr Bücher anschaffen müssen, da sie doch weder Zeit noch Lust haben, sie auch nur aufzuschlagen. (開けてすら見るだけの暇もなければ気もない癖に次へ次へと書物を買わずに入られないというのが、これがインテリの共通心理である)(作文202頁)
 説明・ドイツ語では、da …doch を使うのが普通です。

 6-3. Warum in die Ferne schweifen, wenn das Gute so nahe liegt? (善い事がこんなに間近に転がっているのに、何を苦しんで遠きを漁る必要があるのだ)
 説明・このda …… dochの代わりにwennを使ってもいいのです。

 感想・6-2ではdochが入っていますが、6-3にはありません。dochはなくてもいいのです。又、6-2でも6-3でも関口は後ろから訳していて、「後から逆接的理由を言う」形を採っていません。これはどうでしょうか。「何を苦しんで遠きを漁る必要があるのだ。善い事がこんなに間近に転がっている〔という〕のに」と、「という」を入れるくらいしか妙案が浮かびませんが。
 この構文はやはり逆接的理由を後から言うことで、主文の主張を一層強く言いたいのだと思います。ですから、やはり順序は変えない方がいいと思います。

 6-4. Und der kleine Prinz fragte sich: Wie kann er mich kennen, da er mich noch nie gesehen hat? (その時、星の王子様は自問しました、「どうして彼は私が分かるのだろう、これまでl度も私に会ったことがないというのに」)(Prinz ,S.50)
仏原文・Comment peut-il me reconnaître puisqu’il ne m’a encore jamais vu!
英・How could he recognize me when he had never seen me before?
 感想・仏にdochに当たる語がないためか、独にも英にもそれらしい語句がありません。仏はquandを使う言い方はないのでしょうか。用例の収集が足りません。独英仏を比較できる用例は1つしか知りません。






 


関口文法へのサポート、詳細索引・西洋語

2016年12月05日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
     詳細索引・西洋語

129──定形の位置に関しては、現代の~はたいてい前結法。ドイツ語は中間的。
150──~には真の意味での主語・属詞関係の繋辞はない。
447──同じ語句の近い所での繰り返しを嫌う。
609──通念には定冠詞を使う。

632──具体化規定を避けるために不定冠詞を使う。
633──不定冠詞の持つ~の奇癖。「1」から出立しているが、「1」と関係なく「どんな?」を問題にするときに使う。
647──~の冠詞用法の難しさ
738──時制の一致
765──~の完了時制

794──時間的にすぐ前のことに過去形ではなく、現在形を使う.会話で。
879──日本語では動作相を使う場合に、~では状態相を使う。
882──633と同じ。
885──単回遂行相の擬音副詞は~には存在しない。
886──状態相による遂行相の指示。
894──同上。

1052──~には仮定話法がある。間接に裏面から言う。
1128──~には擬音の副詞が少ない。
1153──~では限定語句と被限定語句の順序が決まっていない。
1210──否定の強調ではその否定を何らかの概念と組み合わせなければ表現できない。

1334──非情の受け身と自然可能的な受け身は~の影響。
1359──「Aの中のA」という最上級表現は~の習慣。
1432──交叉配語は~の原則の1つ。

1450──目的語の代名詞による繰り返しは~の常識。
1477──~では「一文には一主語」
1478──「バターは値が上がる」における~の語理。
1507──~でのrの発音



modus(様態、様相)とはどいう「在り方」か

2016年04月08日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
modus(様態、様相)とはどいう「在り方」か

 私は『関口ドイツ文法』(未知谷)の902頁に「『話法』」という訳」という題で次の文を書きました(角括弧の中は今回補充したものです)。

──「話法」という言葉はドイツ語のModal-, Modalitätの訳です。問題はこのドイツ語の意味です。これはラテン語のmodusから来ています。羅英辞典を引きますと、これはmeasure(尺度)が一番に出てきますが、こことの関係ではmanner, mode, way, methodといった意味だと思います。つまり、「在り方」「様式」ということです。従って、語自体としては「主観のあり方」という意味はないと思います。

 カントはその12個のカテゴリーの中に〔量、質、関係と並んで〕Modalität(様相)という種類を挙げ、具体的には可能性、現実性、必然性の3つを取り上げました。たしかにカントのカテゴリーは主観の形式であり、主観が現象を捉えなおす|時の枠組みですから、「主観のあり方」と称することもできますが、ドイツ文法の「話法」とは大分違うと思います。

 ここで認識論の根本を繰り返すつもりはありませんが、普通の考え方では、やはり、ドイツ文法の話法は主観のあり方ですが、可能性とか現実性とか必然性は客観のあり方になると思います(ヘーゲルの論理学: ではこれらは客観的論理学の中に入っています)。しかし、それはやはり「あり方」ではありますからmodusに由来する言葉で捉えて好いのだと思います。──

 この文は本当にお粗末でした。何が問題なのかがはっきりしていません。modusを主観のものと取るか客観のものと取るかはたしかに大切な問題ですが、私に本当に分かっていなかったのは「様相」とか「様態」と言われるもの(ないし事態)は「在り方」の1種であることは間違いないのですが、どういう「在り方」が特にmodusに由来する語で表現されるのか、ということだったのです。

 最近、少しフランス語を勉強しようと思い、フランス語版ウィキペディアで「レーニン」の項を少しずつ読んでいます。そうしたら、Lénine annonce que le nouveau régime sera fondé sur le principe de “contrôle ouvrier”: les modalités de celui-ci sont fixées par décret fin novembre(レーニンは、「新体制は”労働者による統制”という原則に基づいて作らなければならない」と告げた。そして、この「統制」の具体的な在り方は11月末の政令で定められた)という文とUn ensemble de décrets sont pris dans les mois qui suivent pour modifier la société russe(政令の全体はそれに続く数ヶ月の間に決められた。それがロシア社会の在り方を決めることになる)という文に出合いました。「そうか、彼らはmodusに由来する語をこういう風に使うのか」とひらめきました。

 「在り方」というのは何かの「在り方」ですが、その在り方と言っても根本的な在り方から末端的な在り方まであるわけです。思うに、「様態」で表現される「在り方」はそのどちらでもない「中間的な事柄の在り方」だと分かったのです。

 哲学史上で「様態」を使った人で有名なのはスピノザです。スピノザの「様態」は「無限者である神の属性〔思考と延長〕の変状」とされています。つまり「属性」レベルの事ではないのです。その次のレベルでの「在り方」なのです。

 先の文にも出ていましたカントの「様相」(Modalität)も直観や概念といった認識能力の最高位のレベルの事柄ではなく、概念(カテゴリー)を分類する観点の1つです。

 ドイツ文法の「話法の助動詞(Modalverb)」も動詞を分類する直接法や接続法や命令法といった中心的なものとは少し違った観点での「在り方」です。

 最後に、Modalverbを「話法の助動詞」と訳して好い理由を説明します。それは『関口ドイツ文法』の605頁に書きました「2度目には一般化して言う」という法則がここでも働いているからです。
たしかに一般的にmodal-と言ったのでしたら「法」(やり方)という意味でしょう。しかし、文法を論じているのですから、modal-と言えば、断るまでもなく、Sprache(言語表現)のmodal-(様相)に決まっている訳です。それが動詞論ですから「話法」となっただけの話です。

 ついでに。仏語版ウィキペディアのレーニンの項ですが、これが内容的にも革命前のロシア社会民主党内での論争などが詳しくて、びっくりしています。多分、相当の研究者が書いたのでしょう。まだ読み終わっていません。そもそも頁数が90頁あります。ドイツ語版のレーニンは60頁です。英語版のそれは30頁です。

詳細索引・英独仏の比較

2015年12月17日 | 「関口ドイツ文法」のサポート

166──同語反復文での英独仏

175──「○○も○○だ」での英独仏

180──「それは○○のせいだよ」

580──序数詞と英独仏

697──冠詞用法での比較(現在はこの項目はありません。第2版に載せる予定)

742──時制の一致・不一致

1042──間接話法での場所表現

1061──評辞+dass文で評辞を省くか間投詞で評辞に替えた場合

1321──動詞の元来の意味での受動相

1388──ist und bleibt

1413──不定冠詞+抽象名詞で評価を表す

1451──目的語の繰り返し


「文法」のサポート、詳細索引・意味形態

2015年06月22日 | 「関口ドイツ文法」のサポート

57──狭義の意味形態は民族的ではない
65──3種の意味形態

66──第2意味形態が中心
68──意味形態の自立性

69──意味の類型が意味形態
74──意味形態の体系性と非歴史性

89、229──意味形態については定義は困難、せいぜい形容ができる程度

232──言語(文法形態)は民族的、意味形態の原理は「分かれば好い」
247──意味意識と形態(文法)意識。cf. S.1152

493──「意味」とか「形容」とかは意味形態の問題で、品詞とは無関係
589──冠詞には意味はない、意味形態があるだけ

624──意味形態が全然違う
667──同じような事はみな、同じ意味形態にあてはめる

675──その意図〔意味形態〕から言うならば
709──考え方(意味形態)に2つの型がある

875──言語表現における「自然な勢い」にはけ口を与えるのが意味形態
887──意味形態としての搬動語法は辞書の仕事ではなく、文法の仕事

1152──意味意識と形態(文法)意識。cf. S.247
1472──提題という意味形態

「文法」のサポート、詳細索引・因由(原因、原因相、理由)

2015年06月16日 | 「関口ドイツ文法」のサポート

179──原因を挙げるes ist etwas

182──「その一因は~」の表現

465──原因や理由を付記するals welcher

1124──因由の副詞

1146──原因相の前置詞

1169──逆接的な前提を後から付加する言い方

1220──因由的文脈の中でのso .. dass

1315──原因や理由を選択的に表す

1322──受動表現で因果の関係を表す

1497──因由のdennに代わるコロン


「文法」のサポート、詳細索引、直接法

2015年03月26日 | 「関口ドイツ文法」のサポート

747──damitの副文の中
1025──従属疑問文の中

1038──間接話法における直接法
1061──副詞・評辞・間投詞+dass文の中

1066──「一つ間違えば~に成るかもしれない」の未来文は直接法
1068──親しい間柄での忠告と直接法

1077──wir hätten’sとwir haben’s
1085──後から言う否定的な但し書きの中

1095──仮構的延長文の中
1096──ohne dassの中

1257──反発的反問文の中
1286──dassを使った間投文の中

1310──und+定形倒置文で「挑みの認容」を表す場合