はじめに
ヘーゲルの「始原論」を調べている時、「始まりをどうするべきか」が問題になるのは何も学問や論理学の場合だけではない、と考えました。
先ず確認しておきたいことは、ヘーゲルがその「大論理学」の第1部の「存在論」の冒頭で問題にしている「学問の始まり」とは、「哲学一般の始まり」でもなければ「学問一般の始まり」でもなく、「ヘーゲルの考えている論理学の始まり」だということです。これまでの訳者は、みな、「学は何をもって端緒とすべきか」などと訳していて、この「学」と訳しているWissenschaftがWissenschaft der Logikの言い換えだということを理解していなかったようです。
さて、始まりはどこで問題になっているかと一般的に考えてみますと、哲学でも論理学でも、その他何らかの学術書を書く場合はいつでも問題になります。いや、学術書だけではありません。小説でも詩歌でも書き出しは大問題です。文字関係だけではありません。映画でも最初にどういう場面を写すかは大問題でしょう。芝居でももちろん同じです。音楽でもそうでしょう。いや、政治家の演説でも同じでしょう。絵画や彫刻などではどうでしょうか。門外漢なので分かりませんが、制作に当たっては「どこから手を付けるか」は問題になるでしょうが、完成した作品では「始まり」も「終わり」もないのではないでしょうか。いや、聞くところによると、絵画の中には「動き」があるそうですので、やはりその「動き」をどこからどう始めるかは画家にとっては大問題なのでしょう。要するに、何らかの意味で「始まり」のある事柄では当然、「何から始めるか」が問題になるでしょう。そして、そこでは「始まりでその作品のほとんどが決まる」と言って好いほど重要なのではないでしょうか。
では、ヘーゲルやマルクスのほかに「始まり」を論じたものはないのでしょうか。私は浅学にして知りませんが、映画でも音楽でもきっとそういうことを論じた人はいるだろうと思います。結婚式での挨拶の指南書などはあると思います。こんなことを考えていたら、「大村はま(授業の神様といわれる中学国語教師)に確か『書き出しの研究』とかいうものがあったはずだ」と気づきました。調べてみたら、ありました。氏の全集である『大村はま国語教室』(筑摩書房)の第6巻の中にありました。しかし、それは大したものではありませんでした。大村らしい緻密な研究ではありますが、我々にとって参考になる点はほとんどないと思います。私はかつて、その資格もないのに、「美しい論理的な日本語のために」(『生活のなかの哲学』に所収)などという文を発表しました。そこでは「結論がすべてを支配する文章」が好い文章である、と書きました。大村の研究を読んでも、これ以上の原則は思いつきませんでした。
第1節 大村はまの「意見文の指導」
その同じ全集第6巻に、その「書き出しの研究」の次に、「意見文の指導」という文章がありました。これを読んで考えた事をまとめます。
まず、この「指導」の骨子を紹介します。これは4つの「節」(とします)から成っているのだと思います。大村は番号を振っていないようですので、振りますと、次のようになります。
第1節、意見を書き合う
第2節、1つの意見
第3節、「課題図書」について考える
第4節、意見から意見 意見に意見
さて、第1節「意見を書き合う」の冒頭にこう書いてあります。「もちろん、意見文を書く力をつけようとしての学習であるが、生徒が自分で直接生活のなかから問題を拾って意見を書くのではなく、新聞の投書を取り上げ、それについて意見を書くのである。~今回は『取材』(何を書くか)の部分に中心を置かず、『書く』ことの方に中心をおいた。~取材そのものの指導は、別に、その目的で学習を展開して、そのなかで試みるわけで、この2つを1つの展開のなかで、いっしょに、主目的にしない」。これで少しがっかりしました。「自分で問題を拾って書く」事の指導の記録がどこに書いてあるのか(参照箇所の指示)も書いてないと思います。多分、していないのでしょう。これが大村の大欠点であることは後に書きます。
この節の「学習の実際」の中で確認したい点は、「選んだ投書に対しての単なる感想や批評ではなく、自分の意見を述べるようにと注意した」という言葉でしょう。「単なる感想や批評」と「自分の意見」とはどう違うのか、その説明はどこにあるのか分かりません。これも問題です。しかし、先に進みます。「学習の実際」は、取り上げた40編もの投書について、先ずAさんが意見を書くと、次の生徒は元の投書とAさんの意見との両方を踏まえて意見を書く、という方法になっているようです。
出てきた結果を仮綴じにして提出させ、最初の意見文(担当者のもの)については、心をひく題、ゆたかな内容、しっかりした考え、人に訴える力、よくわかる文章、適切な段落、使いこなされた用語、正しい表記、読みやすい文字、の9個の観点で評価をして、その評価表を返したようです。こういう細やかな指導こそ大村の真骨頂でしょう。続いて、実例が載っています。「人心を騒がすTV占い番組」と題した投書についてH君が意見を書き、それについてKさんとOさんが意見を書いたものです。この3つが皆、載っています。
第2節は「一つの意見」となっています。「1つの意見文には1つの意見だけを書くように」との趣旨を表しているようですが、内容はこの授業における「指導の実際」の報告です。
・二ヶ月前から、意見文を書くという予告をした。
・「こんなに意見を述べたいことがある」と題するプリントを作った。これは生徒の意欲をかき立てた。
次にそのプリントが採録されています。そこには56個のテーマが載っていますが、私の注目するテーマだけを引きますと、3・学校生活に求めているもの、23・先生と生徒、29・制服の意味、30・卒業式を考える(注・戦後の答辞のあり方を大村が紹介し、生徒は大興奮だったが、学年会という教師の集まりで否決されたという背景がある)、40・けさの講話から、41・勉強とは、くらいです。
大村は「なかなか、意欲的に書けるような題材はないものである」と言っていますが、生徒は多くの授業に不満を持っていますから、学校教師のお粗末授業の本当の原因は校長のリーダーシップの欠如にあるのだと話して、校長の学校運営について意見文を書かせたら、「意欲的に」書くと思います。30の「卒業式を考える」もそういうことを考える絶好の機会だったと思いますが、大村の問題意識が低かったのでそういう所へ持って行く事が出来なかったのだと思います。
第2節の第3項(としました)は「プリント」と題されています。生徒に配った実際のプリントがどういうものだったかが紹介されているのですが、副題として「意見を整え、構成を考えるために」とあります。具体的指導としては、そのプリントには、「A・自分の意見」「B・自分の意見の材料」「C・反対の考え」「D・反対の考えの材料」「E・反対の考えをふまえての自分の意見」という5個の欄があります。冷静に考える方法を指導する好いプリントだと思います。その上で、それらをどの順序で書くかを考えさせています。
第4項は「接続詞の学習の復習」です。実際、学者でも適切な接続詞の使い方を知らない人が少なくないので、大学でもこういう事をする必要があると思うくらいです。
第5項は「互いに書き合い、育て合う」です。大村も1人の書き手として加わり、実際に書いて指導する、とあります。ABCの生徒3人が一組(ひとくみ)になるようです。その3人と教師との4人で1枚の用紙に「自分の意見」を書くのだそうです。まず、生徒AとBとが書き、それを踏まえて教師が「自分の意見」を書くと、それらを読んで最後に生徒Cが、まとめるのではなく、「自分の意見」を書くようです。この方法で、3つの題で書くと3人の生徒が必ず1回は最後に来るように成る訳です。ものすごく細かな技術だと感心しました。
第3節は「『課題図書』について考える」です。「夏休みの学習の1つに『百字の意見』があった。新聞から投書を選んで、百字で意見を書く」のだそうです(大村自身が出した宿題なのかどうか、分かりません)。それを集めた結果、「課題図書」についての投書が一番多く、従って生徒の書いた「百字の意見」もそれについて書いている人が一番多かったので、それを秋の授業で取り上げた、ということなのでしょう。大村らしい「指導」で学習し、自分の考えをまとめたところで、「発表会」をしたそうです。発表者は4人にしたそうです。その後、Kさんの書いた「てびき」がプリントして与えられ、そのKさんの最終的「まとめ」が例として、出されています。いろいろな意見を整理し、考えた上で書いた立派な意見文ですが、最後にこう書いてあります。
──現状のままであったら、「課題図書」と感想文は、子供たちの負担になるばかりだと思う。子供にも、ひとりひとり個性があり、好みがある。だから「課題図書」の幅をもっと広くとったらいいのではないかと思う。また、すぐに感想文を連想して読む気がしなくなるような考え方を「課題図書」に対して持っているような、みじめな子供をこれ以上作らないように、大人は立ち上がらなければいけない。(引用終わり)
第4節の「意見から意見、意見に意見」は指導の技術的な面が多いので、余り関心が持てません。省きます。
第2節 私見
さて、以上の大村による「意見文の指導」を読んで考えた事を書きます。
第1項 作文指導の方法
私は作文教育についてまともに調べた事がありません。何かの機会に偶然眼にしたもので覚えている物を再度、開いてみました。1つは田宮輝夫著『子どもと作文』(国民文庫、1984年)です。著者は小学校教諭で日本作文の会の常任委員だそうです。もちろん「出版当時」の事です。「この本は、1人ひとりの子どもたちを本当にかしこく、豊かに、たくましく育てていくうえで、作文を書くことが、どんな意味をもっているかを、お父さんやお母さん方にわかってもらうために書いたもの」(まえがき)だそうです。実際も、そうなっています。
「戦前は『綴方の時間』が、時間割のうえにきちんと書き込まれていました」が、戦後は、文部省の『学習指導要領』によって、作文を時間割に組み込む必要がないとされたため」に、先生によって「作文を書かせる教師とそうでない教師とができました」(18頁)といった報告もありますし、また、「はじめは、ある日ある時のできごとを、時間の順序にしたがって、一つひとつのものやことがらのすがたや動きを、ていねいに思い起こしながら書くことが大切です」といった作文指導の実際的な面にも言及していますが、本書の圧巻は何と言っても、67頁以下にあるK君の作文でしょう。
三年生になって教育実習に来た松木先生が実習期間を終えることになり、「お別れの会」を持った。その後に、書いた作文です。これを書いたK君は3年生になってはじめて原稿用紙3枚も書いたのです。2年生の時勉強も遅れがちだといわれていた子どもの作品です。
その作文の冒頭の部分を引きます。
松木先生のこと 3年 K
松木先生といっしょに、まい日べんきょうしたりしたのでたのしいです。
それから、松木先生がいつもこくばんにじをかいたり、えをかいたりするから、いつもこたえがすぐわかるようにおもえてくるから、いい先生だとおもいます。
あと、松木先生といっしょにあそんだりしてたのしいです。
あと、こくごのべんきょうをしたり、さんすうのべんきょうをしたり、しゃかいのべんきょうをいっしょにしたり、りかのべんきょうをしたりして、たのしいです。
あと、松木先生がいるといつもべんきょうがたのしくなります。
あと、松木先生がそばにいると、べんきょうのこたえがわかるときもあります。
あと、松木先生がべんきょうをおしえてくれるので、ほんとうにありがたいとおもいます。
あと、松木先生がまえにいると、べんきょうがすこしずつ、こたえがわかってきます。(以下略)
これについて田宮はこう評しています。「若く明るくて心がやさしい先生だったので、子どもたちは松木先生が大好きでした。とりわけ勉強が遅れがちなK君にはよく目をかけてくれて、K君がよい発言などすると、松木先生は目頭を熱くしてじっとききいるような場面も何回かありました。それだけに、K君も松木先生が大好きでした。その松木先生が、あしたから学校へこなくなるというのです。ふだんは、こんなに長い文章を書いたことのないK君が、このときは、松木先生への思いをいっぱいこめて、いつまでも書きつづけていました。
K君は、一文が書き終わると、じいっと教室の壁をみていて、また、つぎのことばがみつかると、書きはじめました。一文書いては、じっと考え松木先生との事実を思いおこしながら書きつづったものです。19回もくりかえし、くりかえしでてくる『あと』ということばは、K君が、まだなにかないか、まだないかと、松木先生との出会いの1つひとつを、たんねんに思いおこしていったあらわれの『あと』です。この『あと』という、不必要と思える2つの文字のくりかえしのなかに、松木先生に教えてもらったことに応えようとするK君の誠実さが表現されています。切ないほどの思いのこめられている『あと』です。(以下略)」(73頁)。
大切な事は、出来ない子がこういう作文を書くまでに心を揺さぶったのはもちろん松木先生の授業が第1でしょうが、ここまでの文章を書かせた素地はそれまでの田宮の作文指導だったということです。
そして、その「指導」の内容は、多分、大村のような細かさには欠けるかもしれませんが(89頁を見ると、かなりの指導をしています)、大村に比して、むしろ「どういう事を書かせるか」に重点があるようです。「子どもたちの作文力は、実際に作文を書く機会を多くし、おたがいの作文を読み合うなかでしか伸びません」(31頁)という点は同じだと思います。大村も「自分のやり方が唯一絶対だ」などとは言っていません。
もう一つ思い出したのは清水義範著『清水義範の作文教室』(早川書房1995年)です。これは著者の弟(清水幸範)が名古屋で塾をしていて、そこの小学生の作文の授業を担当した経験をまとめたものです。担当と言っても自分は東京に住んでいますから、基本的にはFAXでのやりとりで、月に1度くらいは実際に名古屋に行って、対面授業をするようにしたようです。
この授業が大村や田宮のそれと違う所は学校の正規の授業ではなく塾の授業だということです。そのためもあって、遠慮なくものを言っているという感じがします。例えば、小学生の作文なんてやはりつまらないものだと言って、原因を2つ挙げています。1つは「書く動機がないからだ」とした上で、「もう1つの要因」として、「子どもたちがいい作文を書かなければ思い込んでいる」という事をあげています。「私の家族は、いろいろ文句もあるけどやっぱり大切な人たちで、ぼくの姉はぼくの宝物で、お父さんには長生きしてほしくて、旅行は楽しかったです」というふうに書くのが作文だと思っている、というのです。
更に清水は「作文にはいいことを書かなきゃいけないという思いこみを小学生に植えつけているのは、親でもあり、大人全体でもあり、社会でもある。そして、そこに全部の責任があるとは言わないが、学校の先生のせいでもあるのではないだろうか」と書いています。そして、「『私は妹がにくらしくなり、殴ってやりたいと思いました』という作文に対して、『姉妹はなかよくしましょう。弱い子を殴るのはよくないことです』という指導を書きそえる。なんじゃい、それは。それは国語の指導にはぜんぜんなっておらんではないか。(中略)そんな指導はせんでもよろしい。作文の指導は、作文力とでもいうものを高めるためにするもので、道徳教育をするためのものではないのだ。事実がちゃんと説明できているか、その時の気持が読み手に伝わるか、さらに言えば読み手を同感させられるか、という文章面のことを評価し、指導しなくちゃいけない。そうしないで、書かれている事実を評価していると、子供は、大人に文句を言われないことを書かなくちゃ、と思ってしまう。いい作文でなくちゃ、だ。その結果、小学生の作文はつまらなくなる。(中略)何を書いてもいい。ただし、読み手にちゃんと伝わるように書くんだよ、というのが私の立場である。もっとも、そうは言っても子どもたちはそんなひどい(たとえば、いじめは楽しいとか)作文はまず書いてきませんがね。でも、基本的な心構えの問題です」(26-30頁)。
この問題は高学年になるほど重要性を増すと思います。まして、「作文」の授業でなく、哲学とか、あるいはそれこそ道徳の授業だったら果たしてどう「指導」するのが正しいか、大問題のはずです。しかし、そういう研究や議論がそもそもあるのでしょうか。私は教科通信に関心を持っていますが、高校生とのやりとりを発表したものがあります。妹尾和弘『私の目は死んでない』(評論社2000年)です。岡山県の県立高校の国語教師だった妹尾が、生徒が何を考えているのか分からなくて困った時、授業の最初に5~10分の時間を取って、「今、自分が思っていることを自由に書いて下さい」といって生徒に書いてもらい、B4の紙1枚にまとめて「いま、ここで」と題して、返した。それを15年続けたのを元にして編んだ記録です。この通信は学級通信ではないのはもちろんですが、教科通信とも言いにくいものです。
これが生徒に支持されたのは、生徒は勉強ももちろんしたいのだが、それと同じく、あるいはそれ以上に他の生徒との本音での意見交換をしたがっているからだと思います。こういう事を教師がしてくれると、日頃会話をしない同級生や同学年生とも話し合えるからだと思います。私の大学での教科通信に対しても、「こういうのが高校時代にあったらなあ」という感想を何回も聞きました。
この妹尾の通信の大欠点は教師の考えが全然書かれていない事だと思います。生徒同士の意見交換だけでも確かに意味はありますが、テーマが限定されます。生徒の視野を広げてあげるのは教師の重大な任務です。又、高校生ですから家庭の事などでかなりシーリアスな事も書かれているのですが、教師がそこで何かを書くとすると、それこそどう「指導」するかが問題になります。これを「難しい」と言って避けているのは、やはり本当の教師ではないと思います。
清水は「作文指導」での教師の役割を上のように限定してはいますが、最後をこう結んでいます。「作文を書くということは成長へのチャンスに満ちている。そこでもし適切な指導をしてあげれば、眠っている子供たちの目を覚まさせることができるのだ。(中略)学校の先生というのは、やらなきゃいけないことが山ほどあり、~大変である。私もそのことはよく理解している。しかし、子供に作文を書かせて、よくできました、のスタンプを押して返すだけというのは、あまりにも惜しい。せっかく作文を書かせたというのに、点をつけて返すだけではなんら教育になっていないのだから。
『よいことをしましたね』や『弟にはやさしくしましょう』式の、内容への干渉はしなくていいから、せめて、『すごくおもしろかった』とでも書き添えてやろう。『この話、このあとどうなるのか気になるから、続きを書いて先生に見せてくれ』でもいい。『そいつがどんないやな奴なのか、いまひとつわからないので箇条書きにしてくれ』とか、『なんとまあ豊かな感受性を持っているの、いいことだなあ』でもいい。少くとも、子供が、その作文を書いてよかったと思うような、またやる気が出るような、そういうコメントをつけて返してやってもらいたい。それが作文指導のとりあえずの第一歩ではないだろうか」と結んでいます。
私が哲学の教科通信『天タマ』を出し始めた時、或る生徒の母親が子どもの机の上にあった「通信」を見たらしく、こう言ったそうです。「みんなしっかり自分の意見を書いてるじゃない。先生もきちんと批評を書いているし、生徒のためになるいいプリントだね」と。生徒自身のレポート1つ1つにも「感想」を書ける時は書きました。書けなくなった時は、「教科通信だけにする」と、説明しました。なぜ私は批評を書けたのか。授業の目的は『各人が自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させること』だと気づいたからです。逆に言えば、授業としては特定の結論を出さない、ということです。もちろん「授業中の私語をどうするか」といった「1つに決めなければならない問題」では、「生徒の意見を聞いた上で教師が決め」、それに従ってもらいます。この原則に気づいて霧が晴れました。私も自分の意見を腹蔵なく言えますし、生徒もどう振る舞って好いか迷わなく成りました。思うに、この原則は他の授業でも当てはまります。なぜなら、「今正しいとされている事」や「学習指導要領」に書かれている事は、相対的真理にすぎないからです。何十年後かには間違いとされているかもしれませんし、少なくともより大きな真理の1契機に引き下げられているでしょう。学校教師の一番悪い事は、自分が絶対的真理を教えていると思い込んでいることです。
第2項 子どもに本を読ませる方法
「作文」の基礎は「読書」にあるという事は、ほとんどの人の認める事ではないでしょうか。学ぶのが先で、表現はその後に付いてくるのです。あるいは、学びながら身につけるのです。という事は、作文指導の根本は読書指導であるという事だと思います。
しかるに、その読書指導には子どもないし生徒に読書の指導をする事と、自分が模範を示す事との両面があると思います。「子どもが本を読まなくて困る」と言う親に対して、「では、あなたは本を読んでいますか」と聞くと頭を掻いてしまうという話はよく聞きます。親だけではありません。学校教師は本当に生徒の模範になるほどに本を読んでいるでしょうか。大いに疑問です。
ですから、解決策は「先生が模範を示せばよい」という事になります。又、校長も本を読んでいる人が少ないと思います。学校のホームページを見ますと、校長の話を載せなければ格好が付かないという事で校長の話が載っていますが、それは大部分が入学式とかの挨拶です。大学の学長ですら、しかも「教養」を人に説くほどエライ哲学者学長(東洋英和女学院大学学長)である村上陽一郎でさえ、その「学長だより」は式辞の転載です。本を読んで考えた事、映画を見て感銘を受けた事、展覧会で見た絵の話などは載っていません。政治的な話題や他校でのいじめ自殺事件についての考えなど、望むべくもありません。これでは生徒に「文章を書く意欲を呼び起こす」とは言えないでしょう。
品川女子学院の「校長日記」は公立学校の校長欄より村上の「学長だより」より充実しています。ブログ形式で毎日書いているようですが、がんばり過ぎの感じさえします。「日記」にしないで、「週間活動報告」くらいにして、学校で起きた事だけでなく、上に例示したような事柄を論じ、他の教師や生徒の意見も載せるようにすると模範的なものに成るでしょう。学校は独学の府ではなく、集団学習の府なのです。学校では、校長通信こそ討論、即ち集団的思考の練習をする場でなければならないと思います。
第3項 「偏った読書」
大村の先の「『課題図書』について考える」の箇所を読んでいますと、しきりに「かたよりのない読書」といった言葉が出てきます。そして、それは公理のごとく正しい考えとされているようです。逆に言うならば、「片寄った読書は避けるべきだ」という考えが疑問もなく受け入れられています。本当に、片寄った読書は悪い事なのでしょうか。いや、そもそも「片寄らない読書」と「片寄った読書」の境界線はどこに引かれているのでしょうか。
大村の「指導」ではぜひこの問題に注意を向けさせるべきだったと思います。なぜなら、この問題は「読書」に限らず、「生き方」でも同じだからです。中学生にも成ると、自分の将来について考え始めます。その時の大問題の1つが「生き方における幅の広さと1つの事を深く追究する事との矛盾」の問題だと思います。私はかつて『関口ドイツ語学の研究』の中でこの問題について偉そうな事を述べましたが、反省しています。この問題に正解はないと今では思っています。各人が自分で自分についてだけの答えを出して生きるしかないと思います。
この問題は更に、中学校以上での「教科担任制」の問題にも発展します。多くの人はこれを当然と思い、今や小学校でも一部ではそれが導入されているようです。では、教科担任制は本当によい面ばかりで弊害はないのでしょうか。大村はこの問題を考えた事がないようです。少なくとも書いていないと思います。しかし、「意見文の指導」を読んで感じた大村の限界はこれと関係しているようです。と言うのは、意見を言うということは、一般的には、社会的な問題について意見を言うことであり、もう少し狭く取ると、政治的な問題について発言する事であるのに、大村自身は国語教育については「意見」を言っていますが、政治的な発言は(多分)していないと思われるからです。中学校の教師は担当教科の教師である前に中学校教師なのだという事を考えるべきです。そして、同時に、生徒にもこのことを考えさせるべきです。
いや、大村だけの話ではありません。ほとんどの教師が、特に校長が、「公務員の政治的中立性」を口実にして、政治的発言から逃げていると思います。そして、この「教師が政治的発言をしない事」こそ、生徒が「意見の言えない人間」になる最大の原因だと思うからです。
私は「教科担任制」の最も徹底した大学で、「これでは拙い」と思って「小大学」という考えを打ち出し、実行してきました(拙著『先生を選べ』参照)。「ドイツ語の時間なのだから、ドイツ語だけやれば好いのだ」と言う人はいつも出てきますが、大部分の学生は私見を支持してくれます。
はっきり言いますと、要するに、校長(トップ)が自分の学校運営についてきちんと自分の考えを発表し、他の教師や生徒の考えを聞いて、公開の場(校長通信)で議論をすれば好いのです。これをする見識と勇気と能力が校長に欠けているのが最大の問題なのだと思います。
第4項 読書感想文
大村の先の「『課題図書』について考える」の中に出てくる事の2つ目は「感想文を書かされるから読書が嫌いになる」という事です。これもよく知られた問題です。それなのにこれが深められていません。その原因の1つは、先に指摘しておきました、「単なる感想」と「自分の意見」とはどう違うのかが解明されていない事だと思います。
私見を書いておきますと、これは善悪や高低と好悪との違いに関係します。つまり、善悪、良否、高低についての判断に根拠を付けて述べるのが意見で、好悪を言うのが感想です。しかし、実際には感想という形を取った意見も沢山あると思います。
しかも昨今の日本語表現を注意して聞いていますと、断定を避けて、「~かもしれない」と結ぶ言い方がものすごく多用されています。「~させていただく」の多用と併せて、この2つが日本語の濫用の双璧です。
そもそも夏休みの宿題として読書感想文を課すことが適当かの根本問題があります。そこまで言うならば、更にいわゆる「自由研究」とやらも問題です。私の子どもの頃は戦後の混乱期だったからか、そういう事を経験しませんでした。自由研究にはどういう意義があるのでしょうか。外国にもこういうのがあるのでしょうか。
欧米の先進国では、夏休みの過ごし方は、家族で海や山に行くとかが中心のようです。アメリカなどでは民間主催の催しに参加することもあるようです。貧しい人にはそれへの補助制度もあるとか。日頃の放課後の過ごし方とも関係しますが、基本は自宅で過ごし、好きな事の稽古に励み、自習をし、友人などと付き合う、ではないでしょうか。日本ではこの「基本」が塾通いで取って代わられているのではないでしょうか。
さて、本題に戻って、感想文が適当でないとしたら、何があるでしょうか。私は大学生に夏休みの宿題の1つとして、「100頁以上の小説を読み、そのあらすじをまとめる」という課題を与えました。考えた事を書きたいなら書いてもよい、という但し書きを付けました。我が家の娘は小学校で図書委員に成った時、「自分の読んだ本を友人に紹介する(勧める)としたら、どう話すか」を昼休みに放送してもらう、という企画を立てたようです。
学校教師ももう少し工夫したらどうでしょうか。自分が子どもだった時、読書感想文や自由研究をどう思ったかを思い出したらどうでしょうか。生徒に宿題を出すならば、自分もやってみたらどうでしょうか。なお、清水は前掲書の109頁以下で「読書感想文の愚」と題する文章を書いています。
終わりに
大村の「意見文の指導」から出発して大分いろいろな事を考えてしまいました。全体として、大村はもちろん素晴しい「国語」教師だとは思いますが、「意見文」などという社会的視野の要求される事柄になると、氏の限界も目立つと思いました。
もっとも私の「哲学の授業」を受けた生徒たちでも、授業では立派な意見文を書いてくれましたが、その後、社会人となった今、折に触れてその時のような意見文を発表しているかと言いますと、答えは疑問符です。
或る大学生は私の事を「こんなに意見を言う先生には初めて出会った」と言っていましたが、我が「マキペディア」の読者も、私の問い合わせには親切に答えてくださいますが、「意見文」はあまり書いてくださらないようです。
自分の意見を言うという事は、自分の立場を明らかにすることで、日本人の一番躊躇する事ですから、日本人が日本人である限り解決しない問題なのかもしれません。いや、そうとも言えません。日本では保守的ないし右翼的な人たちは自分の意見をどしどし発表しています。逆に言うと、民主派の人たちの声が小さすぎるようです。昨今の様子を見ていますと、かつてのワイマール時代のドイツの民主主義がナチスの全体主義に敗北してゆくのもこういう風だったのだろうか、などと考えてしまいます。今の日本にはかなり大きな言論の自由があると思います。その上、インターネットという手段も発達しています。よりよい社会を目指し、公正で楽しい社会を目指す人々はこれらの権利と手段を最大限に使って戦うべきだと思います。(2013年7月4日)
関連項目
「哲学の授業」
議論の認識論