マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

仰げば尊し

2021年03月27日 | ア行
 卒業の季節になり、先日もNHKでその少年少女合唱隊隙の歌を流していました。私はなぜかこの歌がかなり好きなのですが、いつも理解できない事が1つだけあります。
 それは「仰げば尊し我が師の恩」と歌い出したすぐ次に「教えの庭にもはや幾とせ」と続くのですが、ここがなぜ「教えの庭」となっていて「学びの庭」と言うべきではないのか、という疑問です。
 
そもそもこの歌は卒業して行く生徒の立場に立った歌ですし、現に三番の歌詞には「朝夕なれにし学びの窓」という句もあります。
 ウイキペディアにはこの歌に関する多くの議論が紹介されていますが、私のこの疑問には触れていません。
 誰か教えて下さいませんか。

「維新」の意味(第2版)

2020年12月11日 | ア行
     維新の意味(第2版)

1,最初の投稿(牧野紀之)

 大阪維新の会の活動もあって、「維新」という言葉をよく聞くようになりました。今までは「明治維新」という形でしか聞かなかった語が、それとして考えられるようになりました。私はようやく「維新とはどういう意味だろうか」と考えて、調べてみました。結果は、以下のとおりです。
●国語大辞典(学研)
 全ての事が新しく改まること。特に政治上の革新。
●大言海
 万事、新規になること。
●明鏡
 世の中が改まり、全てが新しくなること。『詩経』に基づく語で、「維(こ)れ新たなり」の意。
●新明解
 維は「これ」の意。政権の交代に伴い、政治上の制度がすべて改革されること。

 これで全部を調べたとは言えませんが、まあこんなものでしょう。

 ● 牧野の感想
 以上の説明を見て気の付くことは、「これ」という語は文脈によって指す対象が異なるから、この際は意味を為さないのに、「これ新たなり」がどうして「(政治制度が)全く新しくなる」という意味になるのか、という疑問に答えていない事です。
 そこで、「維」で漢和辞典を引いてみると、それは「いと(糸)」のことで、特に「大きい(太い)綱」のことらしいのです。「おおづな、おおもと、根本、基準」といった意味の「維綱(いこう)」という言葉もあるらしいです。これなら「維新」の意味に繋がります。つまり、維新とは「その当の物事全体を支えている太い綱を新しくする」という意味なのです。
 もっと多くの事を知っている人は教えてください。ともかく、国語辞典には大切な事が落ちていることが多すぎると思います。

 ●2、山下さんの投稿

 私見に対して山下肇さんからご意見をいただきました。それは以下の通りです。
──(山下 肇)
下記の通りです。『詩経』「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」から出た語です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E6%96%B0
https://kanji.jitenon.jp/kanjic/1011.html?getdata=7dad&search=contain&how=%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6
「維」は「これ」と読み、あとに続く語を強調する意。

●3,山下さんの投稿を読んでの牧野の感想

 ご教示をありがとうございます。私もウイキペディアは自分で見ましたが、詳しすぎて引きませんでした。
 それはともかく、「維」を「これ」と読むのはいいとして、「あとに続く語を強調する」働きがあるとは、つまり副詞ですね。
 その後、明治維新のことを「御一新」と言うことがあるのに気付きました。この「一」はどういう意味でしょうか。野球で言う「走者一掃」の「一」と同じで、「それまでの状態を一撃のもとにきれいさっぱりと片付ける」ことではないかと思います。
 思うに、「維新」という言葉の意味が分かりにくいと感じた人が、「発音が同じで意味的にも似ている」ということでこういう言い方をしたのではないでしょうか。
「維」については、漢和辞典を引きますと、「繊維」とか「維綱」とか「維持」とかがあって、「糸」とか「綱」といった意味で使われることも多く、必ずしも「維」をその出典と結びつけて理解しなくても、「綱」の意味に取って「その当の物事全体を支えている太い綱を新しくする」という意味として理解するのも自然だと思います。そうだとすると、そこから同じ意味なら言い方のちがう「御一新」が出てくるのも分かるのではないでしょうか。
 
 言葉の起源を知ることは重要ですが、いったん生まれた言葉はいろいろな事情で言い方も意味も変わることはいくらでもあります。
 哲学を意味するphilosophy も、周知のように、元来は「愛知」即ち「知を愛する」ということでしたが、ヘーゲルはそんな「態度」に止まっていてはいけないとして、「実際の知」に成らなければならないとしました。そして、実際に彼はその知を立派な「体系」にまとめ挙げました。しかし、philosophyという言葉は変えませんでした。


「維新」の意味

2020年11月27日 | ア行
  「維新」の意味

大阪維新の会の活動もあって、「維新」という言葉をよく聞くようになりました。今までは「明治維新」という形でしか聞かなかった語が、それとして考えられるようになりました。私はようやく「維新とはどういう意味だろうか」と考えて、調べてみました。結果は、以下のとおりです。

●国語大辞典(学研)
 全ての事が新しく改まること。特に政治上の革新。
●大言海
 万事、新規になること。
●明鏡
 世の中が改まり、全てが新しくなること。『詩経』に基づく語で、「維(こ)れ新たなり」の意。
●新明解
 維は「これ」の意。政権の交代に伴い、政治上の制度がすべて改革されること。

 これで全部を調べたとは言えませんが、まあこんなものでしょう。

 牧野の感想

 以上の説明を見て気の付くことは、「これ」という語は文脈によって指す対象が異なるから、この際は意味を為さないのに、「これ新たなり」がどうして「(政治制度が)全く新しくなる」という意味になるのか、という疑問に答えていない事です。
 そこで、「維」で漢和辞典を引いてみると、それは「いと(糸)」のことで、特に「大きい(太い)綱」のことらしいのです。「おおづな、おおもと、根本、基準」といった意味の「維綱(いこう)」という言葉もあるらしいです。これなら「維新」の意味に繋がります。つまり、維新とは「その当の物事全体を支えている太い綱を新しくする」という意味なのです。

 もっと多くの事を知っている人は教えてください。ともかく、国語辞典には大切な事が落ちていることが多すぎると思います。

投稿「イタリアの教養教育」を読んで

2019年12月15日 | ア行

はじめまして。
哲学の広場の趣旨からははずれた投稿になってしまうのですが、マキペディアに投稿されていた「イタリアの教養教育」(2009年7月18日)を拝読しました。

 Scuola Normale superioreに関する日本語で書かれているひじょうに少ない記事のひとつとして興味深く読ませていただきました。

今年夏すぎ、私の一人息子が物理学をNormaleで学ぶことを希望し、9月に受験を受けます。イタリアの大学で受験があるということもかなりめずらしいのですが。

今は2月に行われる物理オリンピック向けの1週間にわたる集中講義(ノルマーレ主催)の選抜試験に向けて口頭試験をひかえています。

イタリアの教養教育。
 日本人である息子の体験として、それを目の当たりにして、じつは小学校のレベルから、日本の学校教育で忘れ去られた学問の根本に関わる教養を日々の学校生活の中で、問われつつ、学んでいる息子をひじょうにうらやましく思っています(ラテン語必修の理数系Liceoの5年生です)。 こうした積み上げられていくイタリアの教育の実態、マキペディアの記事に少しでもとりあげられていることを感謝します。

 注・「哲学の広場」に投稿されたものですが、ここに掲載しました。

秋の七草の覚え方

2019年10月22日 | ア行
         秋の七草の覚え方


 春の七草に比べて、秋の七草は覚えにくいようです。多くの人がそう思っているようです。私もそうでした。ついに解決したつもりですので、それを披露します。

 答えは簡単でした。春の七草が覚えやすいのですから、秋の七草もそれに準じて並べればよい、というものです。

 春の七草は次の通りです。

 せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
 すずな、すずしろ、これぞ七草

 さて、これがなぜ覚えやすいかと考えてみますと、すぐにも気付く事は、最後の「これぞ七草」を含めると、全体が五七五七七と、短歌形式になっていることです。それを除いても五七五七です。

 次に、上の句の最後が「ほとけのざ」と1語で5音になって上手く切れていることと、「ごぎょう」という少し変わった発音が入って変化を付けていることでしょう。

 これを確認したので、これに準じて秋の七草を並べてみましょう。

 まず最初の「五」は2音と3音の組み合わせです。秋の七草からそれを捜すと、2音はハギとクズだけで、3音はススキとキキョウです。これを組み合わせると4通りの組み合わせが可能ですが、「春」のゴギョウの位置に「秋」のキキョウを持って来ることはすぐに気付きますから、それを外すと、ハギ又はクズとススキの組み合わせの2つが残ります。

 「はぎ、すすき」と「くず、すすき」を比較しますと、前者の方がベターです。後者は「ずすす」と同音が3つ続いておかしいですから。従って、初句(?)は「はぎ、すすき」となります。

 次は、キキョウが決まっていますから、その後に4音の単語を捜します。それはナデシコしかありません。それで「ききょう、なでしこ」という第2句が決まります。

 上の句の最後は5音の語を持って来るのですが、フジバカマとオミナエシの2つあります。どちらでもいいと思いますが、ここではフジバカマを選んでみましょう。

 残りはクズとオミナエシですから、そのまま使います。

 よって、次のようになります。

  はぎ、すすき、ききょう、なでしこ、ふじばかま、
  くず、おみなえし、これぞ七草(A案)

 ここで必然性のないのはフジバカマだけですから、そこをオミナエシに代えますと、次のようになります。

  はぎ、すすき、ききょう、なでしこ、おみなえし、
  くず、ふじばかま、これぞ七草(B案)

 「春」の上の句の終わりのホトケノザがア音で終わっていますから、「秋」もフジバカマの方が好い、という考えはあると思いますが、B案にも「なでしコ オみなえし」とコとオが続くので言いやすいというメリットがあります。したがって、どちらでもいいとと思います。私はB案で覚えています。

 偶然でしょうが、「春」と「秋」とが同じように整理できました。これなら、原理を知っておけば、忘れても、その場で自分で作れます。A案でもB案でも自由自在です。

 注・かつて一度掲載したものですが、秋ですので、再度掲載しました。参考になれば幸いです。

上野女性学の限界

2019年07月24日 | ア行

   上野女性学の限界

 東大の入学式で上野千鶴子さんの行った挨拶が話題になりました。新聞でも取り上げられ、東大新聞では学生から賛否のアンケートを取ったとか。

 昔は、東大の入学式とか卒業式では総長の話が話題になったと記憶しています。戦後の講和条約をどうするかが問題になっていた頃、南原総長が全面講和を主張した時には、時の総理大臣から「曲学阿世の徒」という言葉が返ってきたと思います。

 時代は変わりました。今では総長の話は話題にならず、来賓の話が注目されるようです。

 さて、6月30日のTV番組「情熱大陸」では30分近く、好意的に報道していました。問題の発言の中心は、次の3つの言葉のようです。

①がんばったから報われるとあなた方が思われること自体が、あなた方の努力の成果ではなく、環境のお陰だったことを忘れないようにしてください。

②恵まれた環境と恵まれた能力とを恵まれない人たちを貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください。

③そして強がらず自分の弱さを認め、支え合って生きてください。(文字通りの発言のはずですが、番号を振ったのは牧野)

 私の鈍い頭にはイマイチ趣旨がはっきりしませんが、上野さんの言いたいことは、多分、「全ては自分の努力次第だ」という考えは間違いで、努力すらできない環境で育った人もいる、という事ではないかと思います。

 もちろんこれには賛成ですが、それなら、②と③は余計だと思います。これくらいの事は高校の入学式で言うのが適当でしょう。それよりも「学問の府」である大学の教授であった上野さんのするべきだった事は、「個人の人生の成功不成功における主体的条件と客観的条件を、整理して提供する」ことだったと思います。

 それは、私見では、次の通りです。

 A・客観的・環境的条件
親からの条件──素質(才能)、育てられ方(物的条件、精神的条件)
 親戚や兄弟姉妹からの条件
 幼稚園での条件、小学校での条件、中学校での条件、高校での条件、塾での条件。
 しかし、一番の前提は世界と自国(日本)の状況(政治、経済、社会)でしょう。
 注・牧野の場合。1939年の12月末に生まれた私について例解しますと、「生まれてから最初の6年間を除いて戦争のない時代に生きたこと」が第1の好い条件でした。第2のそれは、「ワープロとパソコンの登場する時代まで生き延びたこと」です。そうでなかったら、腱鞘炎で相当苦しめられ、私の業績は半減していたでしょう。

 B・主体的条件=努力
 これももちろん大切です。

 私見では、上野さんは、問題をこのように整理して学生に提示し、「問題に気付いたら、すぐに結論を求めようとしないで、まず、関連した事柄をできるだけ沢山集めて、次に、箇条書きでいいですからそれを整理して、それから考えてみてください。高校までの勉強と違って大学は研究する態度や方法を身に付けるところですが、そういう研究する態度を考えるための絶好の問題が今、出てきましたから、ここから学生生活を始めるのはとても有意義だと思います。」と結べば好かったでしょう。

 はっきり申し上げますと、こういう風に言わないで、自分の考えを「1つの考えですが」と断りもしないで、まるで絶対的真理であるかのように主張したのは不適切だったと思います。

 上野さんは沢山の本を出しているようですが、アマゾンで見た限りでは、「自分の授業」を説明したものは1冊もないのではなかろうか(もし、それを知っている人がいましたら、教えてください)。これは教員のあり方としても非常に拙いと思います。もっとも、自分の授業方法の分かるような本を出している教員はほとんどいませんから、上野さんだけを責めるのは不公平ですが、こういう事実自体はもっと意識されて好いでしょう。

 次に、7月3日付けの朝日新聞に載った記事を取り上げます。

 この記事の前文にはこう書いてあります。
 「政党に男女の候補者を『均等』にするよう求める法律が実現したが、女性が極端な少数派という状況は変わっていない。全国で唯一、女性市議が誕生したことがないとされていた鹿児島県垂水市で4月にあった市議選に挑み、次点だった高橋理枝子さん(53)と〔彼女を〕支援した「鹿児島県内の女性議員を100人にする会」代表で南さつま市議の平神純子さん(62)が、日本の女性学・ジェンダー研究のパイオニア、上野千鶴子・東大名誉教授(70)を訪ねた。参院選を控え、上野さんが2人に語った「壁」の本質とその壊し方とは。」

 さて、本文は全部引くと長くなりますので、上野さんの発言としてゴチックで書かれている部分だけを引きます。(番号は牧野)

 ①「女の被選挙権の行使が少なすぎる。選択肢がないと投票する先がない。女よ、もっと選挙に出よう。最大の敵は夫と親族という家庭内抵抗勢力。1人で決めて、家族には事後通告する」

 ②「男を立てる」のなら、当選を譲らないといけない。「おっさんたち、あんたたちに任せられないから、私が代わりに決める」というのが女の政治参加

 ③「女性議員がいない弊害を感じたことはない」というコメントにあぜんとした。そんな人たちが勝手に決めたら「何の問題もない」になるに決まっている。妊娠、出産、育児支援、当事者抜きで決めないでほしい。
 性別だけでなく、年齢クオータ(一定数の割り当て)もつくった方がいいんじゃないかって思う。若い人にも出てきてもらわないと。

 ④「今の野党共闘の難しさもそうだけど、マルチイシュー(複数の課題)を抱えて、統一戦線を組むのは難しい。シングルイシュー(一つの課題)だから、広い裾野が持てる。「女性」はその大きなキーワードになる」

 ⑤「20代や30代のシングル(独身者)やシングルマザーの女性を引っ張り出したらいい。そうした人たちの利益の代弁者がいない。立候補の抵抗勢力がないから出やすい。仕事を辞めなくても議員を続けられるようにする、託児所をつくる、供託金をなくす─ー。
 パートタイムで誰でも地域貢献できる仕事にしていく議会改革や選挙改革に、取り組む時期が来ている」

 ⑥「10年前には考えられなかった候補者均等法。女性候補を擁立しないと恥ずかしいっていう建前はつくった。各政党、やる気があるのか、大きなチェックポイント。やんなきゃ、ネガティブキヤンぺ-ンをやりたいくらい」 (朝日、7月3日、福井悠介、野崎智也)

 さて、これについての感想を書きます。

 ①の中で「女よ、もっと選挙に出よう」と言っていますが、こういう「提案」ないし「激励」を聞くと、マルクスとエンゲルスが1848年に「万国の労働者、団結せよ」と叫んだのを連想します。周知のように、この呼びかけからまもなく200年が経ちますが、これは未だに実現していません。「万国の労働者の団結」は当時30歳前後だった「世間知らずのマル・エン」が思うほど簡単ではなかったのです。今後も出来ないかと思われる位です。若い青年の夢想なら笑って済ますことも出来ますが、70歳の老人の言葉がこのレベルでは困ります。

 上野さんは、自分の授業、特にゼミの生徒にどういう教育をしたのでしょうか。何十年もの間には沢山の生徒がいたはずです。その学生の中から何人の立候補者が出たのでしょうか。ひょっとするとゼロではないでしょうか。それを反省しないで、「女よ、もっと選挙に出よう」と言っているような能天気では困ります。

 ⑤では「仕事を辞めなくても議員を続けられるようにする、託児所をつくる」といっていますが、これは政治家(議員)に成ってからの事です。その前にはまず、「供託金をなくす」という提案が重要です。これは正しいと思いますが、先日の選挙では誰も問題提起しなかったと思います。同時に考えなければならない事は、仕事を辞めて立候補したが、落選した場合のことです。今回の選挙で、共産党は「立候補者の内、55%が女性だ」と自慢していたと思いますが、それは、共産党では供託金を含めてすべての費用を組織で出してくれるからです。それに、候補者はほとんど「党組織の役」についている人ですから、今後の事を心配する必要がないのです。つまり、共産党は「政治的シンクタンク」という性格を持っているのです。他の党も、新たに政治に乗り出そうとする人々も、これを学ばなければなりません。

 ですから、社会学者であり、Wemens action networkの理事長である上野さんのするべき事は、その団体に政治的シンクタンク的性格を持たせるか、新たにそういうシンクタンクを作るかのどちらかであったと思います。上野さんのように東大教授で相当の給与をもらい、その上退職金ももらい、印税も相当あり、講演も1年に100本くらいこなす人気者なら、億単位の財産がおありでしょうから、その一部を「恵まれない人々を助けるために使って」欲しいと思います。そのように、自分が出した上で、皆に寄付を呼びかければ、松下政経塾ほどの物は無理でも、地方選はもちろん、国政選挙にでも出せる程の物には成ると思います。

 最後に言いたいことは、上野さんの考えを聞いていますと、あたかも「女であることは無条件に全面的に善である」かのように聞こえる事です。女性代議士が部下の男性に対して暴言を吐いたり、暴力を振るったりして問題になったのは、ついこの間の事ではなかったでしょうか。

 残念ながら、以上のような率直な感想を述べざるを得ませんでした。東大の教授などというと、皆さん途端に無批判的になりがちですが、どんな偉い人の言動でも疑って考えるのが学問です。

 かつて朝日新聞は、小柴さんの「ニュートリノの発見」でのノーベル賞受賞決定の発表の翌朝、「小柴語録」とかいって、彼の言葉を載せましたが、私はそれに対しても批判的でした。

 cf. 小柴語録(2008年8月2日)

PS(7月27日に記す)
 本文章の題名を替えました。
 本文章は、上野さんの功績を認めるが、氏の考えにも大きな欠点(欠けている点。悪点ではない)があるのではないかと、問題提起したものです。氏の「挨拶」に対する批判は、「入学式で言うべきことではない」といった超越的な批判はあるようですが、私見のような内在的な批判はないようですので。

アマゾンのPOD

2019年04月08日 | ア行

 1、朝日紙2018年10月19日に次の記事が載りました。

注文に応じて印刷⊥製本⊥出荷。アマゾン設備公開、出版社の在庫不要

 アマゾンは、注文に応じて1冊ずつ本を印刷して販売する「プリント・オ
ン・デマンド(POD)」の設備を報道陣に公開した。具体的な売上金額は
明らかにしていないが、日本では2012年から17年の間に20倍以上に成長
しており、アマゾンは個人出版の市場拡大につなげる考えだ。

 公開されたのは、千葉県市川市の物流拠点内にある設備で、バレーボール
コートほどの広さに印刷や製本などの機械が計11台並ぶ。通常は1日18時間
ほぼ絶え間なく稼働している。

 10年にサービスが始まり、16年からはカラーにも対応。アマゾンのサイト
から本の注文を受けると、サーバーからデータをダウンロードして印刷、製
本、出荷する。関東地区なら、午前中に注文すれば最短でその日のうちに本
が届く。現在、約300万冊分のデータが登録されており、うち9割は洋書だと
いう。

 最大の利点は、出版社が在庫を持つ必要がないこと。通常の書籍印刷に比
べ、売り上げる冊数の見込みが少なくても出版の可能性が広がる。一方、1
冊あたりの値段は割高になる。

 メディア事業本部事業企画本部の種茂正彦本部長は「少量多品種の出版が
可能で、個人出版のハードルが下がる。日本は出版のオンデマンド化が進
んでいないが、今後は出版社との連携を強化してコンテンツを充実させてい
きたい」としている。(滝沢文那)

2、牧野の感想とお願い

 私はこれを読んで大いに興味を持ちました。私の本などは、残念ながら、ろくに売れないのです。しかし、それなりに評価をして、買ってくださる方もいる訳で、かつて鶏鳴双書として出したものを、今は「pdf鶏鳴双書」という不十分な形で出しているのもそのためです。

 しかし、これもやはり「正式の本」として、いつでも読者に買える状態で提供しておきたいと思っています。この願いが、このアマゾンのPODのルートに乗せれば実現できるかもしれないのです。

 読者でもあり協力者でもあるSさんに調べてもらいました。まだ不明な点も残っていますが、出来そうです。

 しかし、その前に、読者の皆さんに発表して、みなさんの意見を聞いてみることにしました。
 Sさんの調査によりますと、実際のシステムは「インプレス」とかいうところが仲介してくれるそうです。そのインプレスが「出版ブランド開設サービス」という事業をやっていて、そこと契約すれば、アマゾン以外でも売ることが出来るようです。

 私としては、もちろん、鶏鳴出版の名を使って、未知谷さんにお願いするのはどうかなと思われるが、出しておきたい本をこのルートで出そうかと考えています。
皆さんの周りで、このルートでアマゾンからPOD出版をした経験のある方に経験談を聞ける方はいませんか。そういう人の話を聞けるのならありがたいと思っています。
 よろしくお願いします。

4月8日、牧野 紀之
 

関口の意味形態論の例解

2018年11月22日 | ア行
     
         意味形態論の例解

 私は、関口存男(つぎお)の意味形態論について既に2回「説明」しています。1回目は『関口ドイツ語学の研究』(鶏鳴出版、1976年)でして、2回目は『関口ドイツ文法』(未知谷、2013年)の中です。しかし、読者は気付いているでしょうが、両方とも、自分でも、「これでは何も分からないな」と自覚しながら書いたものです。最近、ようやく、例解が出来なければならないと気付きました。それを実行します。

   小目次
 例解1・千一夜物語
 例解2・動詞。進行形、能動で言うか、受動で言うか
 例解3・語順
 例解4・否定疑問文への答え方
 例解5・ドイツ語の指向性と日本語の響き

例解1・千一夜物語
 金田一春彦は『日本語の特質』(NHKブックス)の183頁で次のように述べています。
 〔単数・複数の区別については〕ドイツ語なんかでも難しいのがありますね。たとえば『千夜一夜』をドイツ語で "tausend und eine Nacht" と言うそうです。Nachtというのは単数です。元来「千一の夜」ですから複数にすべきですが、tausendの次に「一つの」というeineがあるので、それに引かれて単数のかたちを使う。このへんはどうも論理的ではないように思います。(引用終わり)
 残念ながら、この説はいただけません。そもそも金田一は「自然現象に不合理はない」という大法則を知らないようです。自分に分からない現象を「非論理的=不合理」と決めつけるのは学者として極めて拙い態度だと思います。言語でも人工的に作られたもの、例えばエスペラント語なら、非合理という事はありえるでしょうが、ドイツ語は自然言語です。そこには非論理的なものはありません。研究者にとって説明できない現象があるとするならば、それは研究者の理解がまだ十分に進んでいないだけのことです。
 注・エスペラント語は実際には言語の本性に対する深い洞察に基づいて作られた素晴らしい言語のようです。そうでなければ、他の人工言語は生まれては消えていったのに、ただ一つエスペラント語だけが生き残って未だに隠然たる影響力を発揮し、国連の共通言語にしたらどうかという提案すらあると聞きます。

 さて、一般論はこれくらいにして、この実例をどう考えるかです。私の知る範囲では、ドイツ人でも、その他のドイツ語学者の誰でも、これを「説明」した人はいません。いや、関口存男だけは別です。関口の説明を聞く前に、まず念のために、英語及びフランス語と比較して、ドイツ語の「奇妙さ」を確認し、問題を確認しておきましょう。
 日・千一夜物語(あるいは千夜一夜)
 英・Thousand and One Nights (×Night)
 仏・Les Mille et une Nuits (×Nuit)
 独・Tausendundeine Nacht (×Nächte)

 問題は、なぜドイツ語はここで単数形を使うか、です。常識的に考えれば、金田一の言うように、複数形を使って当然の所なのに、です。
 関口は『無冠詞論』(『冠詞』第三巻、三修社)の341頁で、「これは対象を一括的に捉えるか、分解的に捉えるか、それぞれの言語の捉え方が違うだけの話である」と答えています。英語やフランス語は、他の多くの言語も多分そうでしょうが、一括的に捉えるから複数形にしますが、ドイツ語は(多分、ロシア語も)分解的に捉えるから、こうなるのだ、ということです。つまり、ドイツ語は千一夜(千一回の夜)をいったん千回の夜と一回の夜に分けた上で、次に合わせて表現する言語だということです。そして、その「合わせた結果の最後の数が「一」だから、次の名詞は単数形にする、ということです。

関口の説明をそのまま引きます。
──英語ではmy und your fatherなどという独と同じ言い方のほかに、独には見られないmy und your fathersと複数扱いが盛んに行われる。これは分解しないで一括して考える証拠であり、ここでも「分割」と「一括」との2原理が対立して外形を左右している現象が観察される。
 例えば、air-, car- and seasickness are the same thing(飛行機酔いと車酔いと船酔いとは同じものである)などと言うかと思うと、the American and Japanese goverments〔米日両政府〕とかthe foreign, defence and finance ministers〔外務、防衛、財務大臣〕などは複数形で見かけることが「多い」。
 ドイツ語の考え方がすべて分解的であり、英が「主として」一括的であるということは、例えば「2時間半」を英はtwo and a half hoursと言うに反し、独はzwei und eine halbe Stundeと言うのでも分かる。但しzweieinhalb Stundenないしdrittehalb Stundenにおいては、数詞が1語をなすから、もちろん一括的取り扱いをする。(引用終わり)

 残念ながら、フランス語への言及もロシア語の検討もありませんが、思うに、英語がこの点でかなり中途半端(牧野が引用符号を付けた「主として」とか「多い」に注意)なのは、英語は比較級の形などからも分かりますように、ドイツ語から分かれて独立した言語ですが、フランス語の影響も強く受けているからではないでしょうか。

 さて、ここで意味形態とは何かをまとめましょう。
 人間は言語に使って対象を捉え、表現する場合、対象を「直接」「そのままの姿で」捉え表現するのではないということです。これが大前提です。これを知らないと、金田一のように「対象が複数なのに単数形を使うとは論理的でない」などという愚論が出てくるのです。
 そうではなくて、人間はそれぞれの言語に定式化されている「考え方」を通して、対象に接し、対象を捉え、そして表現するのです。この「考え方」を関口は「意味形態」と呼んだのです。氏のよく使う言い方を引きますと、「水は器の方円にしたがう」のです。水そのものには形はないのです。それを入れる器の形によって丸くもなれば四角くもなる、という事です。
 以上で終わりなのですが、もう少し蛇足を加えます。

例解2・進行形。能動か受動か
 我々は外国語としては先ず英語を学びますから、そして英語の動詞には進行形という形がありますから、「~しつつある」という状態を意識するようになります。そして、無意識の内に、「外国語はどの外国語でも進行形という形を持っているものなのだ」と思い込みます。しかし、大学に進んで、第二外国語を学びますと、ドイツ語にもフランス語にも進行形というのはありませんので、「おやっ?」と思うのです。しかし、この疑念はすぐに忘れ去られます。それほど文法学に興味を持っている学生はほとんどいないからです。
 しかし、この進行形を持っているかいないかの違いも意味形態論で説明できます。それはそれぞれの言語の対象把握の方式の違いでしかありません。

 動詞との関係で、日本語と西洋語との違いを、形というより使い方の違いの面で見てみますと、私は、「西洋語は受動表現を好むが、日本語は能動表現を好む」という事実を指摘したいと思います。
 ヘーゲルの有名な言葉に、
 Das Bekannte überhaupt ist darum, weil es bekannt ist, nicht erkannt.(ズーアカンプ版『全集』第3巻35頁)
 というのがあります。直訳すれば「一般的に言って、知られている事は、知られているからといって、それだけで、認識されている訳ではない」くらいでしょう。
 英訳は2つありますが、Baillieの訳は、What is “familiiary known” is not properly known, just for the reason that it is “familiar”です。
 Millerの訳は Quite generally, the familiar, just because it is familiar, is not cognitively understoodです。
 金子武蔵は「一般に熟知せられているものは、熟知せられているからといって認識せられているわけではない」と訳しています。
 私もかつては受動形で訳していましたが、最近は「或る事を知っているというだけでは、認識していることにはならない」と訳しました。要するに「知っていることと認識している事とは別」ということです。皆さんはどう思いますか。能動文の方が日本語らしいと思いませんか。
 この彼我の違いも意味形態論で説明できます。対象自身は能動でも受動でもないのです。その言語が能動で捉えるか、受動で捉えるかの違いでしかないのです。

例解3・語順
 語順も習慣で決まっています。例えば、イエス・キリストがその好例です。日本語は「イエス・キリスト」という語順で言いますが、これは多分、英語のJesus Christをそのままの語順で訳したのでしょう。ドイツ語ではJesus Chistusで、フランス語では Jesu Christ
です。
 ここで大切なのは名前と評辞の順序です。英語でも同じでしょうが、ドイツ語では例えばガミガミうるさい人がいたら、Robert der Teufel (鬼のロバート)と言います。「仏のロバート」は、見たことがありませんが、多分、Robert der Engelでしょう。
 ともかく、Jesus Christを訳す時、「キリスト・イエス」と日本語文法として正しく訳した人もいたようですが、多くの場合、「イエス・キリスト」と間違った語順で訳してしまい、それが一般化したのです。そのため、「イエス・キリスト」全体で或る人の名前だと思い込むような誤解が生じたのです。

 もう少し大きな語順の問題を見てみますと、「交叉配語か平行配語か」の問題があります。 一般論を言うより、実例で説明した方が早いでしょう。関口はこう言っています。
──対比した句を並べるのに漢文口調は(日本語も同じ)必ず平行配語を用いて、……「家貧にして孝子出で、国乱れて忠臣顕はる」とかいったように、語順を厳密に平行させるのが配語法として美しいとされている。西洋人の昔から好む交叉配語(Chiasmus)、例えば
Die Kunst ist lang, und kurz ist unser Leben.〔芸術は永く、人生は短い〕 (ゲーテの『ファウスト』)とか、Das Leben ist der Güter höchstes nicht, der Übel größtes aber ist die Schuld. (シラー)〔生きていること自体が最善の事とはいえないが、最悪の事は罪である〕
というやつは、少なくとも私の知るかぎり東洋人の間には絶対に好まれないどころではない、むしろ絶対に無いのではあるまいか(定冠詞298頁)。

 私(牧野)の見つけた文例を挙げますと、「秋水には『兆民先生行状記』がある。これによって私はふだん着の兆民に親しんだ。兆民先生は夜を好まれた、夜は雅にして昼は俗也、子の生れたる時より俗なるはなく、人の死したる時より雅なるはなしとおっしゃった。」(山本夏彦『完本文語文』文春文庫)があります。

もちろん例外はあります。更に関口の言を引きます。
──日本語でも「行こうか戻ろか、戻ろか行こうか」といい、漢詩にも「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」という〔交叉配語の〕句があるが、これらはそう広範に見受けられる現象でもないし、いわんや修辞・文法の1原則として堂々と振りかざす必要のあるほどの筋道とも思えない。ところが西洋語では、これが1つの原則になっており、只今の場合においてはむしろ文法上の規則と言ってもよい位である(無冠詞236頁)。
Seine Großmutter und er, er und seine Großmutter, machten für ihn die Welt aus. (お祖母さんと自分、自分とお祖母さん、これが彼にとっては全世界であった)
これも日本語と西洋語の意味形態(考え方)の違いです。対象にはどっちを取るかの基準はありません。

例解4・否定疑問文への答え方
 これは大分詳しく論じます。

 第1項 否定疑問文とその答えの原則
 否定疑問文に対する答え方は日本語と西欧語とでは逆である、だから西欧諸国から来る宣教師などはこれで戸惑うと言います。まず、それを確認しましょう。
1. 問・Haben Sie keinen Ausweis?
答・Doch, ich habe einen. 又はNein, ich habe keinen.
(「証明書はお持ちではないのですか」「いえ、持っています」又は「ええ、持っていません」)
2. 問・Gehen Sie heute abend nicht aus?
答・Doch, ich gehe aus. od. Doch, das tue ich. 又はNein, ich gehe nicht aus. od. Nein, das tue ich nicht.
(「今晩は出掛けないのですか」「いえ、出掛けます」又は「ええ、出掛けません」)
(NHKラジオドイツ語講座、2005年3 月)
3. 日・「それじゃ窮屈でしょう」「いえ、窮屈じゃありません」(漱石『こころ』)
 独・„ Sie sich unbehaglich?“ „Keineswegs.“
 英・“You seem very uncomfortable.” “Oh, no, I am not at all uncomfortable.”
用例3から判断するに、unbehaglichを使っても否定疑問文ではないようです。否定疑問文とは否定詞が単語として入っているものを言うようです。従って、ここではドイツ語ではDochという返事はないのでしょう。


 第2項 原則とは違った返事もあるようです。用例を少し挙げます。
4. „… und er kommt aus Weintal.“ „Weintal? Das ist im nächsten Kreis. Er ist nicht von hier.“ „Ja, das ist mir auch aufgefallen“, antwortet der Kommissar. ―謎の死
(「そして彼はヴァインタールの人です」「ヴァインタールですか?隣の町だ。彼はここの人じゃないんだ」「ええ、私も変だと思いました」と警部は答えた)
5. „Und was machst du denn heute an deinem Geburtstag?“ „Nichts.“ „Was, nichts!“ „Ja. nichts.“ (「今日の誕生日には何をするの」「何もしない」「えっ、何もしない?」「うん、何もしない」)(NHKラジオドイツ語講座、2005年3 月)
感想・4と5は日本語と同じだと思います。‚Nein, nichts.‘とは言わないのでしょうか。 Stimmtという返事もあるようです。
6. „Und wie heißt das Kind?“ „Amin.“ „Das ist kein deutscher Name.“ „Stimmt, der Vater kommt aus Tunesien.“
(「で、その子の名は何?」「アミンだ」「ドイツ人の名前じゃないね」「うん、父親はチュニジアの人だ」)(NHKラジオドイツ語講座、2003年04 月)
7. 日・「新聞なんか読ましちゃ不可(いけ)なかないか」「私もそう思うんだけれども、読まないと承知しないんだから、仕様がない」(漱石『こころ』)
独・„Vielleicht sollte man ihn die Zeitung gar nicht mehr lesen lassen ...“ „Ja, aber er besteht darauf.“
英・“He shouldn’t be reading the paper like that, should he?” “No, I don’t think he should either, but what can I do? He insists on being allowed to see it.”
感想・独と英では答え方が反対になる事もあるようです。
第3項 他の文への応用
否定疑問文への応えとしてのNein, Dochは他にも応用されます。
8, „Aber Phantasien hat keine Grenzen“, antwortete er. / „Doch, aber sie liegen nicht außen, sondern innen ... “ (Die unendliche Geschichte)
英・ “I thought Fantastica had no borders.” / “It has, though …”
仏・«Mais le Pays Fantastique n’a pas de frontières» objecta-t-il. / «Si, mais elles ne sont pas externes, elles sont a l'interieur. …(「でもファンタジア国には国境がないよ」と彼は答えた。「いやある。但し、外にではなくて中にあるんだ」)
感想・8は否定「疑問文」への対応ではなくて、否定「平叙文」への対応です。表現は一様ではありませんが、根本は同じだと思います。
9. „Versprecht mir: Geht nie wieder so dicht an den Fluss!“ „Nein, bestimmt nicht.“(「約束するんだよ。川にはもう2度とそんなに近づかないように」「はい、決して近づきません」)(NHKラジオドイツ語講座、1999年06 月)
 感想・これは否定「命令文」への応答です。

第4項 ジェスチャーで答える場合
 これが特に問題です。
10-1. 英原文・“I'm going to do a little reconnaissance for a few minutes, do you mind?” She shook her head and smited back. (「マジソン郡の橋」34頁)(「ちょっと見てくる。いい?」。彼女は彼の笑顔に笑顔で応えながら頷いた)
 独訳・„Ich gehe mal ein paar Minuten auf Erkundigung, wenn's Ihnen nichts ausmacht.“ Kopfschüttelnd erwiderte sie sein Lächeln. (独訳55頁) (迷惑でない?)
 仏訳・”Je vais faire un petit tour de reconnaissance quelques minutes, ça ne vous ennuie pas?” Elle avait secoué la tête et lui avait rendu son sourire.(仏訳41頁)
 感想・英語は肯定疑問文ですから、答えは当然「首を振る」です。しかし、独訳と仏訳は「それであなたに差し障りはありませんか?」と否定疑問文で訳しています。そして、その否定的な問いに対して「差し障りありません」と答える動作は「首を横に振る」こととなっています。これは原則通りです。日本語で「迷惑じゃない?」と聞かれた時、「迷惑ではない」と首を振って答える場合、横に振るだろうか、縦に振るだろうか。やはり横に振るのではあるまいか。独仏と同じように。
  10-2, „Hm“, brummte Herr K., „und jetst traust du dich nicht mehr.“ Bastian nickte. (Unendliche G. S.8)
 上田・佐藤訳・「ふーん」コレアンダー氏はうなった。「だからもういいかえすのもこわいんだな。」 / バスチャンはうなずいた。
 英訳・‘Hmm,‘ Mr C. grumbled. ‚And now you don’t dare?‘ / Bastian nodded.
 仏訳・── Hum, grogna M. K., et maintenant tu ne t’y risques plus. / Bastian secoua la tête.
 感想・これは実に面白い用例です。独と英は「否定疑問文への答え方」の原則に反して「頷いた」と言い、訳しています。つまり、これを原則通りに理解すると、「いや、まだやっている」「仕返しを続けている」という意味になりますが、実際は「もう仕返しはしなくなった」という意味です。和訳は問いの方を肯定疑問文に訳しましたから、「うなずいた」で日本語文法の原則通りです。もっとも、訳者が自覚してこう訳したのかは疑問ですが。 
 仏だけは原文には逆らって、但し原意と仏文法には忠実に「首を振った」と訳しています。と書いたのですが、これは「文法に逆らって」かどうか、私には分かりません。そもそもsecouerを辞書で引きますと、「secouer la tête(同意または疑いのしるし)」とあります。つまり、どちらにでも使えるのです。
さて、こういう日本語と同じになる独と英はあるのだそうです。アッカーマンさんに聞きました。仏はこういう場合でもinclina la tête, hocha la tête (うなずいた)とは言わないのでしょうか。

日本語を用例で考えておきます。
 11-01、池田・西田を読んだうえであの本を書いたというわけではなかったのですよね。/ 福岡・はい。その通りです。(池田善昭・福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読む』明石書店29頁)
 感想・これが通説通りの言い方でしょう。

 11-02、「あなたは本当にアシザワという人に会ったことはない?」/ 運ばれて来たコーヒーをよけて身を引いた彼女は無言のまま首を横に振る。/ 「でも、名前は聞いたことがある?」(黒井千次「羽と翼」189頁 
11-03、──焼そばはそれまで、富士宮名物ではなかったのですか。──とんでもない。焼そば目当ての観光客はほとんどゼロでした。(朝日、2011年11月05日)
11-04、「どうあっても、お納め願えませぬか」/ 「……」/ 上野介は、首を横に振るしかなかった。説明している暇はない。(池宮彰一郎『その日の吉良上野介』新潮文庫142頁)
感想・最後の3例は西洋と同じでしょう。

私は、否定疑問文とそれへの答え方はほとんど研究されていないのではなかろうか、と思っています。関口も全然言及していません。否定疑問文には更に、二重否定の疑問文もあります。
又、かつては、"Vater, wollt ihr nicht essen ?" "Ja, wohl," antwortete Zitterlein und rückte näher zum Tische. (理髪師1頁)(「お父さん、食べないの?」「いや、食べる」と言って、テーブルの方に動いた)という言い方もあったそうです。今ならDochだけですが。
又、ロシア語では原則的に日本語と同じだそうです。但し、後に確認の文を添えずに да, нет だけで答える時は英語のyes, noと同じに(日本語と逆に)用いるそうです(佐藤純一『ロシア語入門』日本放送出版協会、30-31頁)。
 最後に、こういう事があるから文法研究では最低でも英独仏の3カ国語を比較するようにした方が好いという事になるのです。
 
例解5・ドイツ語の指向性と日本語の響き

次の例文を見て比較して下さい。
  An droht die Glocke.(ゴーンと鐘が鳴る)
  Ab riss das Seil.(プツリと綱が切れた)
  Auf tut sich der weite Zwinger. (パッと檻が開く)
  Hin gleitet der Kahn. (スーッと小舟が滑っていく)
 以上の4例を見ますと、ドイツ語の文はいずれも分離動詞を使った文です。しかし、そ
の分離した前綴りが原則通り文末に置かれていなくて文頭に置かれています。確かに分離
動詞の前綴りは文末に置くのが原則ですが、それは原則です。言語などというものは原則
があれば例外があるものでして、この場合もその原則の例外です。そして、前綴りをこの
ように文頭に置くと(ドイツ人には)間投詞な力を持って感じられるそうです。
 右側に掲げました「訳」は本来の訳ではありません。あるいはこういう方が本当の訳だ
という考えもあると思いますが、ともかくここで独日両語を対比しましたのは、或る同じ
情景に接した時、ドイツ人はこう言い、日本人はこう言う、という対比なのです。
 そして、その対比をさらに詳しく見てみますと、ドイツ語で分離動詞の前綴りが使われ
ている所に日本語は擬音語が使われているということが分かります。

 別の例を出してみましょう。
  A・Krach! war die Tür zu.(バタンと扉が閉まった)
  B・Die Tür fiel ins Schloss.(バタンと扉が閉まった)
 この場合は実際に音が出ているのですから、ドイツ語にも「バタン」という言葉を使っ
た表現(A)があります。それももちろん使われるのですが、ドイツ語にはもう一つBの言い方もあるのです。
 これはよく分析してみるととても面白い表現でして、文字通り訳しますと「ドアが錠前
の〔穴の〕中に落ち込んだ」ということになります。もちろんドアの方が錠前の穴より大
きいですから、物理的にはそのような事はありえません。しかし、ドアが勢い良く閉まっ
てきて、それを錠前がハッシと受け止めて、ドアの動きがいっぺんに止まる、その感じが
この表現には良く出ていると思いませんか。
 実にこのドイツ語があるからこそ「なるほどこういう見方も出来るんだ」ということが
分かるのです。これが言葉を学ぶ楽しさだと思います。

 「はてしない物語」の中に次のような一節がありました。
 Plötzlich trat Stille im Saal ein, und aller Augen wandten sich nach der grossen Flügeltür, die geöffnet wurde. Herein trat Cairon, der berühmteste und sagenumwobene Meister der Heilkunst.
 英訳・Suddenly all fell silent, for the great double door had opened. In stepped Cairon, the far-famed master of the healer's art.
 牧野訳・一瞬、広間はシーンとなった。皆の眼が入口の大扉に注がれた。扉が開く。サッと入ってきたのはカイロンだった。名高いというより、すでに伝説的と言ってよいほどの医術の達人である。
 岩波訳・突然、大広間が水を打ったように静まった。全員の目が、今しも開かれた大きな両開きの扉の方に吸い寄せられた。入ってきたのはカイロン、名高いというより、すでに古い伝説に包まれているほどの、医術の達人だった。

 ドイツ語で einとか herein と方向が表現されている所には日本語ではやはり「シーン
」とか「サッ」と擬音語を使いたくなります。ドイツ人は目が発達しているのか、静けさ
が入ってくるのが見えるようです。日本人にはそれは見えませんが日本人は耳が発達して
いますから、何も音のしない静けさの中にも「シーン」という音が聞こえてしまうようで
す。
 要するに、日本語は音楽なのです。自然と共鳴して歌うのです。これが日本語なのだと
思います。それに対してドイツ語の世界は幾何学の世界です。どこにでも直線運動を見いだすのです。ですから、それはもう少し正確に言いますと、ベクトルの世界と言ってもい
いと思います。

 以上のは一つの試論みたいなものですから全部正しいと思わなくて結構です。大切な事は、このように諸言語には共通した大きな枠組みとその中での違いとがあるということです。ですからその共通点と違いとを手掛かりにして色々な事を理解することが出来るということです。私の言いたかったことは、我々が日本語を母語として生まれてきたことによってどういう偏った考え方をしているかということを自覚しておいても好いのではないか、ということです。語学の勉強の目的の1つとしてこういう事もあるのではないでしょうか。
(2018年11月22日)





 

ドイツの移民政策と日本

2018年06月22日 | ア行

 ① 2018年6月14日の朝日の天声人語

 日本でいえば、下町の趣である。ベルリン中心部から南、小さなビルのなかに目指す事務所はあった。寛容、連帯、愛などの言葉があしらわれた絵が飾られれている。移民2世、3世らが悩みを相談しにくる民間団体だ▼夫婦の不仲や教育、仕事探しなどが持ち込まれる。「とくに移民2世は、十分な教育を受けていないために望む仕事に就けない人が多い。ギャンブル依存症も目立ちます」。そう教えてくれたカウンセラーもトルコからの移民2世である▼高度成長期の1960~70年代、ドイツは多くのトルコ人を迎えた。ガストアルバイターすなわち客人労働者と呼ばれ、数年で帰国してもらう算段だった。しかし生活の基盤ができると、残ることを選ぶ人が相次いだ▼移民国家へと変わっていった事実を政府は長く認めなかった。言葉を学んでもらい社会に溶け込みやすくする政策が疎(おろそ)かになった。先の民間団体の会長カジン・エルドアンさん(65)は「労働力とだけ考え、人間として見ていなかつたからだ」と言う▼客人労働者に関心を持ったのは、日本の政策とだぶるからだ。政府は介護や農業、建設などを念頭に新たな外国人の受け入れを検討している。最長5年の新制度は移民政策の始まりにしか見えないが、政府は違うと言い張る▼来た人が社会にすんなり入るための策が十分に取られるか、心許ない限りだ。ちなみにドイツは2000年代に入り自らを移民国家だと位置づけた。教育の充実など新たな歩みを始めている。

 ②  2018年6月15日の朝日の天声人語

 きのうに続き、ドイツの話である。この国には外国から移り住んだ人のためのドイツ語教室が各地にある。最低600時間の学習が、移民に義務付けられているのだ。」ベルリンにある教室を訪ね、聞いてみた。なぜドイツに?▼クロアチア出身の女性は「いい暮らしができると思って」と言い、モルドバからの男性は「子どもにいい教育を受けさせたくて」と話した。難民もいる。アフガニスタンから来た男性は答えた。「イスラム過激派から戦士にさせられそうになり、逃げて来たんだ」▼ここ数年、多くの難民を受け入れたドイツの判断には驚かされた。そして現地を訪れて感じたのは、来た人を受容する構えが存在することだ。戦後、移民労働者を冷遇したことへの反省もあるのだろう。移民のルーツを持つ人は今、約2割にのぼる▼「移民の経験は、きっと難民にもいかせる」と連邦議員ゲーカイ・アクブルットさん(35)は言う。幼い頃トルコから来た彼女は移民への差別も、その後の支援の広がりも見てきた。語学教室のほか労組や福祉関係者など移民を支える人たちが難民の助けにもなるという▼難民の到来は逆風も生み、昨年の総選挙で反難民を掲げる政党が躍進した。それでも移民の試練を経たこの国なら、乗り越える力があるのではないか▼4年前のサッカーW杯で優勝したドイツ代表は、トルコ系や東欧系などの選手が活躍した。その様子は国の活力とも重なって見える。今回もドイツは優勝候補の筆頭だそうだ。

 感想

 我が浜松市は「多文化共生」を掲げています。或るきっかけで、ポルトガル語(その後、スペイン語のクラスもできたらしい)で教育する学校の前を通りました。中に入ってみましたが、生徒たちの元気な声は聞こえてきましたが、この学校の入っている建物の周囲には何の建物もなく、極めて辺鄙なところでした。

 この学校自体も、或る日本人女性が私費で独力で始めたもののはずです。その後、応援する人が少しは出たようですが。

 市の中心にあった元城小学校は生徒数の減少で廃校になり、近くの中学校に飲み込まれて、小中学校になりました。その跡地と校舎は、使われていないと思います。

 市の中心部に外国人のための学校を作るという案は、多分、受け入れられないでしょう。外国人の子供には、家では母語で話し、学校では日本語で話すようにして、みな、バイリンガルに育てるようにしたらどうでしょうか。こういうことが可能になるような仕組みはできないものでしょうか。

  

エンゲルスの「サルの人間化」論文の意義

2016年11月25日 | ア行

 この「サルの人間化における労働の役割」論文についてはこれまでにもいくつかの論文で触れてきました。主たるものは、『ヘーゲルの目的論』所収の翻訳「サルの人間化における労働の役割」及び同「伊藤嘉昭氏の『原典解説』を使ってみて」、第3に、『労働と社会』(特に85~8頁)です。

 最近またこのエンゲルス論文の意義を考え直しましたので、論じてみます。

 核心は、人間と動物の違いについてのまとめだと思います。それが、いくつかの段階を踏んで、急所へと絞られてゆくのです。第1段階は、「動物の自然への働きかけは無意識的で人間のそれは意識的である」ということです。これを第1命題としましょう。

 しかし、これは植物ならともかく、動物となると「計画的・意識的」行動が出てくると認めて、撤回して第2の命題が出てきます。それが即ち、有名な次の文です。まずドイツ語の原文を掲げます。

 独原文・Kurz, das Tier benutzt die äussere Natur bloss und bringt Aenderungen in ihr einfach durch seine Anwesenheit zustande; der Mensch macht sie durch seine Aenderungen seinen Zwecken dienstbar, beherrscht sie. (要するに、動物は外的自然を利用するだけである、自然界に変化をもたらすと言ってもそれは「そこに居ることで」に過ぎない。人間は〔動物と違って〕先ず自分自身を変えてから自然に立ち向かうことで、自然をして人間の役に立つように作り変える、つまり自然を支配するのである。牧野訳)

 この文は少しは知られていますが、その重要性に比しては知られておらず、ましてほとんど研究されていません。現に『原典解説・サルが人間になるにあたっての労働の役割』(青木書店、1967年)を書いた伊藤嘉昭氏ですら、この命題の説明を「利用」と「支配」という言葉の対置で捉えて事足れりとしているほどです。この命題の意味を知るには、更に一歩つっこんで、利用と支配とはどう違うのかと問い、その違いをもたらすものは何かと考えてみることです。すると、それは durch seine Anwesenheit と durch seine Aenderungen であることに想到します。すると、このAnwenheitとはどういうことか、人間の Aenderungen とはどういうことかと考えることになり、従来の訳では何の役にも立たないことが分かるのです。

 これまでの訳を見ると、durch seine Anwenheit の方は、どれも、「その存在によって」といったような直訳をしていますから、別に検討しません。問題はdurch seine Aenderungen です。入手した訳を検討した結果を報告します。

A・誤訳

訳例1・要するに、動物は外部の自然を単に利用し、そして単純に自分の存在することによって自然の中に諸変化を起こさせたまでである。人間は自分のもたらす諸変化によって自然を自分の諸目的に役立つようになし、自然を支配する。(田辺振太郎訳、岩波文庫『自然の弁証法』上巻、1956年、254頁)

訳例2・要するに、動物は外的自然を利用するだけであり、もっぱらその存在によってのみ外的自然に変化をもたらすのであるが、人間はみずから変化をもたらすことによって自然を自分の目的に奉仕させ、自然を支配するのである。(国民文庫版『猿が人間になるについての労働の役割』1965年、20頁)

感想・訳例2は困って訳例1を見て訳したのではないでしょうか。「変化をもたらす」と言いますが「どこに」その変化をもたらすのでしょうか。これが分かっていないので、曖昧な訳になるのです。
と言うより、場面は、労働で対象に直接かかわって労働する「前」の事を言っているのだというのが分かっていないようです。ですから、「諸変化をもたらす」などと、労働そのもの及びその結果と取れる表現を使うのです。durchというのは「そこを通って」ということです。「そこを通って」対象に取り組むことになる、という事です。

B・直訳しただけのもの

訳例3・要するに、動物は単に外的自然を利用し、且つ単に自らの存在によって自然の中に諸変化を生ぜしめるにすぎなかった。之にひきかへ、人間はその変化によって自然を自己の目的に役立たしめ、これを支配する。(加藤正・加古祐二郎訳、岩波文庫上巻、1929年、181頁)
感想・加藤正という人はとても優秀な人だと思っていますが、ここは分からなかったようです。直訳で逃げました。

訳例4・要するに、動物は外部の自然を利用し、その存在によって自然に変化をおこさせるだけであるが、人間はその変化によって自然を人間の目的に奉仕させ、自然を支配するのである。(伊藤嘉昭の前掲書、1967年、128頁)
感想・「原典解説」を書く人がこれでは困ります。

 訳例5・英訳・In short, the animal merely uses external natur, and brings about changes in it simply by his presence; man by his changes makes natur serve his ends, masters it.
 感想・訳例4も5も直訳です。最後の「自然を支配する」はその前の「自然をして人間の役に立つようにする」を言い換えただけであり、従って「即ち」と入れても好いくらいの所だということが分かっているのでしょうか。疑問です。

C・自信のない訳

訳例6・要するに、動物は単に外的自然を利用し、たんにその存在によってだけ外的自然に変化をもたらすが、人間はみずからその変化によって自然を彼の目的に利用し、自然を支配するのである。(寺沢恒信・菅原仰訳、国民文庫『自然弁証法』第1分冊、1953年、223頁)
感想・訳例3を見て訳したのか、不明ですが、「みずから」をなぜ入れたのでしょうか。却って訳例3よりも悪くなったと思います。「みずから」はどの語にどう掛かるのか、不明確です。自信がないのでしょう。

訳例7・要するに、動物は外的自然を利用して、たんにその場に居あわせることによってのみ、外的自然に変化をもたらすにすぎないが、人間はみずからその変革によって自然を彼の目的に利用し、自然を支配するのである。(許萬元『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』大月書店、1968年、66頁)
感想・恩師である寺沢の訳(訳例6)を見て訳したようです。Anwesenheitを「その場に居あわせること」としたのは感心します。が、肝心の所は手本と同じです。「変化」を「変革」と代えていますが、これでは「人間自身の自己変革」より「対象変革」を考えていたのかな、と思ってしまいます。その点で後退さえしているかもしれません。いずれにせよ、余計な「みずから」を入れたのはいただけません。

D・正しく訳した例

訳例8・要するに、動物はただ外部の自然を利用するだけであり、ただ自分がそこにいることによって自然のなかにいろいろな変化を引き起こすだけである。人間は自分のいろいろな変化によって自然を自分の目的に役立つものにし、自然を支配する。(岡崎次郎訳。河出書房新社刊『エンゲルス』(世界の大思想の1冊)。2005年)
感想・これは一応「正しい訳」と認めて好いでしょう。「自分のいろいろな変化によって」ではイマイチ不正確ですが(「まず自分の方を色々と変えてから」くらいにすれば、もっと良かった)、他の訳よりははるかに良い訳だと思います。

 訳例9・仏訳・Bref, l’animal utilise seulement la nature extérieure et provoque en elle des modifications par sa seule présence; par les changements qu’il y apporte, l’homme l’amène à servir à ses fins, il la domine.
 感想・この訳が最高でしょう。フランス語版『マルエン三巻選集』にある訳です。「人間が〔y=自然に立ち向かう際にそこへ〕持ってゆく諸変化によって〔即ち、予め自分を変えてから対象に立ち向かうことで〕」です。これがきちんと分かっていると推察できます。

以上の検討で、このdurch seine Aenderungen がこれまでいかに研究されていないかが分かりました。肝心な点はこの「諸変化」とは労働対象を労働の結果において変化させたことではなく、労働する前に「人間自身が自分を変化させたこと」なのです。

では、更に具体的には、この「人間が自分自身の中に引き起こす諸変化」とはどのような変化でしょうか。これを初めて研究したのが拙稿「労働と社会」でした。そこに書いたことは、要するに、この「諸変化とは、道具の改良とか、新しい機械の製作とかだけではなく、技術や技能の向上も含み、更に労働組織の在り方の適正化まで入っているのです。エンゲルスは会社の経営に関与していましたし、軍事技術などにも4詳しかったようですから、こういう事まで分かっていたのだと思います。

このように広く理解すると、許萬元が「労働過程における手段(道具)の作製こそ、人間実践の優越性を現実的に保障するものである」(前掲書62頁)と言うのは狭すぎる事が分かります。喫茶店で「実践的認識論」について談論風発するだけの講壇学者の正体が好く分かる言葉です。

更にもう1つ。これはマルクスの「フォイエルバッハに関する11のテーゼ」(いわゆる「フォイエルバッハ・テーゼ」の「第6」にある「人間の現実的本質は社会的関係の総和である」の理解と関係してきます。この命題も無思慮に使われています。なぜ「無思慮」と言うかといいますと、第1に、マルクスには人間の定義として、これの他に「労働する動物」という定義と「類的存在(Gattungswesen)」という定義とがあるのに、これらの3つの定義の関係を考えていないからです(私見は『労働と社会』の171頁以下にまとめてあります)。第2に、この「社会的諸関係の総和」とは言葉としてどういう意味か、従って我々が人間研究でどういう事に気を付けなければならないか、が考察されていないからです。
 これは先に指摘しましたdurch seine Aenderungenの中の「労働組織の在り方」がまず入ります。しかし、これを「工場内分業」と捉え直しますと、分業の全体像を確認しておいた方が好いでしょう。即ち、分業は大きく三大別できます。普遍的分業(農業、工業、商業、等々への分業)、特殊的分業(工業内部の分業、農業内部の分業、商業内部の分業、等々)、個別的分業(工場内部の分業)です。前二者は「社会内分業」とまとめることが出来ます。最後のものが「工場内分業」です。ですから、これらの「分業」のどこかに「変化」が起きれば、人間による自然支配にも変化が起きるのです。

 要するに、エンゲルスの先の定式化はこのように広い視野を持ったものだったのです。かのドイツ語を正しく近いするか否かはこういう社会観と関係していたのです。ついでに付言しておきますと、ヘーゲルは『法の哲学』第198節で分業の根本的な諸問題について詳しく指摘しています。

 最後に、最近知った例で考えてみます。日本のラグビーチームは、昨年(2015年)のワールド杯で強豪南アフリカチームにタイムアップ直前に劇的な逆転トライを決めて勝利しました。日本中が大興奮しました。この日本チームのメンタル・トレーナーを務めていた荒木香織(園田学園女子大学教授)へのインタビュー記事が雑誌『ラジオ深夜便』2016年10月号に載っていました。その中に次の言葉がありました。

 ──誰でも不安なときは、「どうしよう」と思い詰めてしまいます。そこから抜け出すには何が不安なのかを明確にして、自分にできる対策を立てることが必要です。そしてそれに取り組めば不安はなくなる。日本代表メンバーでも一般人でも、その対処法は同じです。
 試合相手との体格の違いも試合展開も、変えることはできない。コントロールできるのは心構えや準備の仕方、試合中の判断に対する準備。つまり自分の内にある事柄なのです。──

 最後の「コントロールできるのは~自分の内にある事柄」というのが面白かったです。人間は自然を支配するにはdurch seine Aenderungenだと言ったエンゲルスの言葉と同じだったからです。翻って考えるに、これはもっと広く言える事でしょう。勝負事でも政治運動でも自分が勝つには「まず自分を変えて、よりよくして試合に臨む」しかないわけです。人生全体をとって考えても同じでしょう。

 私の好きな言葉は「修身斉家治国平天下」です。これを応用すれば、「真のオルグは自分を高めることである」となります。逆に、「自分を高めないでするオルグはお節介の別名である」となります。お節介オルグを沢山してきたわが身を反省することしきりです。(2016年11月24日)

朝日新聞のジャーナリズム(その2)

2016年08月23日 | ア行

1、朝日、静岡版。2016年07月25日の記事

──完工の防潮堤に植樹。浜松・篠原工区で園児ら

 県と浜松市が遠州灘沿岸の浜松市域に造っている防潮堤のうち、篠原工区の本体工事の完工報告会と記念イベントが24日、現地であった。県や市、それに県に300億円を寄付した一条工務店グループの幹部らが出席。小学生やこども園の園児らと、堤にクロマツの苗木を植えた。

 県と浜松市は寄付などを元に、天竜川河口から浜名湖の今切口までの17・5㌔を四つの工区に分け、標高13㍍の防潮堤を造っている。そのうち、南区と西区にまたがる篠原工区は最初に工事が始まり、5月までに4・5㌔で本体工事が終了。まだ1㌔弱残っているが、大どころが終わったため、市民の防潮堤に対する関心を高めるべく報告会を開いたという。

 保安林伐採などに時間を要し、他の工区も含む全体の工事は遅れており、県の担当者は「2020年3月の完成を目指す」と話した。

 2、牧野の感想

 これを一言で評するならば、「事実ではあるが、真実ではない記事の見本」ということになると思います。

 この事業はもともと「津波の被害を防ぐ、あるいは軽減するための対策をしなければならない」という考えが前提となっていたと思います。

 そこに一条工務店が300億円の寄付を申し出てくれたわけです。そのために、この金をどう使うかという問題に具体化されたのです。

 その時、県知事や浜松市長にとっては「巨大防潮堤で津波を抑え込むのは当然」だったようです。そのため、どの程度の巨大防潮堤をどうやって作るかだけが問題になったのです。それ以外の方法は検討もされなかったようです。

 結局、クロマツを主とする「保安林」を一部削って、海岸沿いに巨大防潮堤を作ることになったのです。

 しかし、人々の頭の中には「クロマツ防潮林」信仰が残っています。また、他の一部の市民の中には宮脇昭の「その土地の潜在植生の混植・密植こそが最良の方法」という説を信奉している人も少なからずいます。

 私には好くは分からない経過を経て、上記の巨大防潮堤の北側の裾に幅1メートルくらいの「防潮林」を植えても好いことになりました。行政派はクロマツを植えることになりました。上の記事で紹介されているのはその活動の一環です。

 宮脇派は行政の許可を得た限りで、広葉樹の混植・密植を着々と進めています。巨大防潮堤の裾だけでなく、そこから百メートルくらい北側に前からある「小さな防潮堤」の上(裾ではありません。「上」です)にも植えています。

 朝日新聞と中日新聞は行政派の「クロマツ植樹」の時だけ切れ切れですが、報道しています。静岡新聞は6月13日の宮脇派の植樹活動を報道しました。

 事態の全体像が分かるような「真の報道」は今の所どこにもないようです。

関連項目

朝日新聞のジャーナリズム

朝日新聞のジャーナリズム──批判に対して反論しない人をどう扱うか──

2016年06月26日 | ア行

 最近、朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」欄に立花隆が取り上げられました。この欄はかつては5回で完結していたと思いますが、今年からは(?)一人について6回以上のスペースを割くことも当たり前になってきています。それにしてもせいぜい10回くらいが普通でしたのに、立花隆については14回だか15回も連載したのには驚きました。さすがに「知の巨人」と言われている人です。

 しかし、立花の「半生」を聞くならばどうしても触れなければならない2点が落ちていました。一つは、日本共産党への批判と相手からの反批判です。もう一つは、立花の評論活動への批判に対して立花が応えない事です。立花批判には私の知っているだけでも「立花隆の無知蒙昧を衝く」(宝島社)と「立花隆『嘘八百』の研究」と「立花先生、かなりヘンですよ」の3つがあります。

 ここで考えておかなければならないことは、批判に対して論者は絶対に応えなければならないか、という問題です。もちろん、答えは「否」です。応えなくてもよい批判もたくさんあります。内容が低級である場合とか、批判の仕方が間違っているとか無礼であるとかです。また、結構あるのが、批判者が「自分が世間から相手にされないので」、他者批判をして、反論を求めている場合です。

 しかるに、前記の批判書はいずれも軽率なものではなく、各界の実力者が、あるいは大学生がまじめに立花を検討したうえで批判したものです。これにはやはり応えなければならないと思います。

 それなのに立花は応えていないのです。これは不誠実であり、正しくないと思います。世間はこういう「批判に対してまじめに応えない人」に対しては、しかるべき態度をとらなければならないと思います。マスコミなら、そういう論者には発言の機会を与えないとか、機会があった場合には「なぜ批判に応えないのか」と質問するべきだと思います。

 私に知っている人では、こういう「批判に対してまじめに応えない人」は立花隆と長谷川宏です。それなのに朝日新聞はこの両者にインタビューをしたりしています。そして、その際、「なぜ批判に応えないのか」という質問をしていないのです。

 批判に対して反論はしているのですが、その相手が自分と同じ土俵に立っているものだけで、根本的に違う批判は黙殺している人もいます。私の知る範囲では、許萬元がそれに当たります。許萬元は創風社版の『弁証法の理論』上巻への「まえがき」の中でそれをしています。つまり、自分と同じように喫茶店で談論風発する材料としてのヘーゲル研究(酒肴哲学と命名したいです)をしている人たちからの批判に対しては反論をしているのですが、この本(青木書店刊『ヘーゲル弁証法の本質』)を最も広く深く読み込んで評価しかつ批判した拙稿「サラリーマン弁証法の本質」(『哲学夜話』に所収)は黙殺しているのです。

 論争は民主社会の大きな武器ですから、我々は、それを正しく使わなければならないと思います。そして、応えるべき批判に対して応えない人に対してはしかるべき対応をするべきだと思います。また、その「しかるべき対応」をしない人やマスコミに対しても「しかるべき対応」をしなければならないと思います。

浜松市立中学生の「イジメ自殺問題」の和解について

2016年03月17日 | ア行

 1、静岡新聞の速報、2016年1月25日

2012年6月に浜松市内の中学2年の男子生徒=当時(13)=が自宅マンションから転落死したのはいじめを受けたことが原因だったとして、両親が浜松市と同級生ら11人に約6400万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が25日午前、静岡地裁浜松支部(古谷健二郎裁判長)で開かれた。同支部が示した和解案を原告、被告双方が受け入れ、和解が成立した。

  原告側代理人が記者会見し、同級生や市の担当者が同日、和解に際して同支部内で両親に謝罪し、男子生徒の死に遺憾の意を示したことを明らかにした。和解内容には、市側がいじめ防止や再発対策を約束することや、市や同級生が解決金計495万円を支払うことも盛り込まれた。

 原告側代理人は「こちらの要求とはほど遠い内容だったが、司法の場での判断を尊重したい」と話した。男子生徒の父親は「法としてのけじめはついたが、加害者には一生をかけて、人として今後何をしていくか考えてほしい」と語った。

和解成立を受け、花井和徳市教育長は「あらためて心より哀悼の意を表す。このような痛ましいことが二度と起きないよう、最善を尽くす」とのコメントを発表した。

 訴状によると、男子生徒は12年2月ごろからクラスや部活動、塾などで同級生から悪口を言われたり、殴られたりするなどのいじめを受け、自殺に追い込まれたとされる。

 男子生徒の転落死について、市教委の第三者調査委員会は12年12月、男子生徒の死を自殺と判断し、背景にいじめがあったとする報告書をまとめた。浜松中央署は14年1月、男子生徒に暴行したなどとして暴力行為法違反の疑いで同級生の少年1人を静岡地検浜松支部に書類送致し、一緒に暴行したものの、当時、刑事罰の対象にならない14歳未満だったほかの男子生徒8人を児童相談所に送致。少年はその後、静岡家庭裁判所が不処分とした。

2、朝日新聞、静岡版。2016年1月26日。

見出し──「いじめ側、哀悼の意を」、地裁浜松支部中2自殺和解で


 浜松市立中学2年生だった片岡完太君(当時13)の自殺をめぐる民事訴訟の和解が1月25日、静岡地裁浜松支部(古谷健二郎裁判長)で成立した。この日、完太君のいじめに加わった被告の少年らが謝罪し、いじめや自殺を防げなかった浜松市も遺憾の意を表明。原告である完太君の両親は亡き息子に「ありのままを報告したい」と語った。

市に防止策求める

 完太君は2012年、自宅マンションから飛び降りて自殺。自殺はいじめで追い詰められたことによるとして、両親が2013年6月、いじめたとされる当時中学2年生だった11人と市を相手取り、計約6400万円の損害賠償を求めて訴えた。地裁支部が昨年3月、和解を提案していた。

 地裁支部は和解の前文で11人だけでなく、完太君へのいじめ行為をしたとされる複数の生徒も含めて反省と謝罪を求めた上で、「完太君の死について哀悼の意を持ち続けることが強く期待される」とした。また市には「二度とこのような不幸な事件が発生しないように最大限の対策を模索すべきであろう」と求めた。

 また、いじめや、いじめによる自殺が繰り返される現状について、生徒や学校関係者らが「外形的なささいな行為でも、いじめにつながる行為は絶対許されないと深く心に刻み、いじめ防止の行動を実践していくことが必須だ」と指摘した。

 原告と被告はこの日、地裁支部で非公開の和解協議に臨んだ。原告側弁護団によると、和解条項に従い、被告の一部少年らと保護者らの計18人に加え、浜松市教育長、当時の中学校長、学級担任の3人が完太君と両親に対して頭を下げた。

 片岡完太君の両親は和解成立後、浜松市内で記者会見を開いた。父親の道雄さん(51)は「法として一つのけじめかと思うが、(被告の少年らが)今後どのように自分たちのしたことを背負っていくかが大事だ」と述べた。

 和解成立に「どんな結論が出ても、すっきりするわけがない。法律の限界がある」と思いを語ったが、地裁支部が和解の前文で被告の少年らが哀悼の意を持ち続けることを期待するという文言を入れたことで、「納得できた」と言う。

 被告の少年らのうち8人の代理人である弁護士は25日、「今後も、片岡完太君のことを忘れることなく、さらには、人の気持ちを理解し、命の大切さを理解する人として生きていきたいと考えます」などとする8人のコメントを発表。一方、コメントでは市教育委員会が設置した第三者調査委員会について「『いじめありき』『(被告らの)責任ありき』の姿勢で調査が行われた」として「残念に思うとともに怒りも覚えている」として、市に調査を検証するよう求めた。

 浜松市の花井和徳教育長も和解成立後に記者会見し、完太君や遺族に哀悼の意を示した上で、スクールカウンセラーの増員も含め「対策を継続・充実させたい」と語った。

3、牧野の感想(その1)

 この報道に接した私の最初の感想は「やはり、はめられたな」というものでした。まず、大津市のいじめ自殺問題での和解がどうであったか、次のブログ記事を読んで見て下さい。


4、大津市のいじめ自殺問題での和解(本ブログ2015年03月24日の再掲)


5、牧野の感想(その2)

 2つの和解を比較すれば、あまりに違う事に気づくでしょう。はっきりしているのは和解金の額ですが、全体として、大津市の和解には行政側の誠意が感じられますが、浜松市の和解ではそれが感じられません。大津市では市長が前面に出て「本当の解決」を眼â真下が、浜松市では市長は教育委員会に丸投げしています。

 浜松市の場合も原告の両親は相当強硬だったようですが、最後でうまくごまかされました。行政とはいかにずるいものかと、ほぞをかんでいることでしょう。推定ですが、昨年末の和解交渉で、裁判所が「余り長引かせるのも適当ではないので、次回、裁判所の方で和解案を具体的に出すので、不満はあるでしょうが、この辺で和解したらどうでしょうか」と誘ったのだろうと思います。それに対して、両者がOKを出したので、1月の口頭弁論で、特に原告には不満があったでしょうが、一応、OKを出したのだからと、受け入れたのでしょう。

 その後もいじめ自殺は次々と出ています。とても悲しいです。大津市の和解条件もその後のイジメ自殺解消に役だっていないようです。




うなぎいも

2016年02月06日 | ア行

浜松産のサツマイモ「うなぎいも」が出世街道を快走中だ。もとは造園会社の農業参入で生まれた地域ブランド。外観の不ぞろいさから菓子材料などに使われてきたが、ファンの声を背に、野菜としての出荷も増え始めた。ブランド誕生から5年目を迎えて生産量は7倍弱に拡大。人気は海を越えるまで成長している。

 「土にうなぎの栄養分を加えて育てたサツマイモ」「ねっとり濃厚な昧は一度食べたら忘れられない」

 JR浜松駅から車で5分ほどの浜松市南区卸本町。雑貨や服飾の店が並ぶ一角にあるアンテナショップ「うなぎいも王国」入り口には、丸々太った自慢のサツマイモが、説明文を添えて山盛りに置かれていた。

 「知名度が上がり、『イモのままでほしい』という消費者の声が増えてきた。期待に応えられるよう、出荷を増やしています」。

 生産者でつくる組合で理事長を務める伊藤拓馬さん(37)は、菓子用の加工向け出荷から始まったうなぎいもの歴史を説明する。

 イモそのものはサツマイモの一品種「べにはるか」。人気の秘密は浜松らしさにこだわったブランド戦略で、捨てられるはずだったウナギの頭や骨を肥料にして栽培するのが特徴だ。

 誕生のきっかけは、伊藤さんが取締役を務める造園会社「コスモグリーン庭好」(浜松市南区安松町)が農業参入で得た苦い経験だった。刈った枝を肥料にする技術を生かして、2009年に南区の耕作放棄地で野菜栽培を始めた。ところが、病気になったり、虫がわいたり、結果はさんざん。トラクターや資材を買うために1千万円以上を投じており、形が不ぞろいでも、唯一、インターネット通販で売れたサツマイモにかけることを決めた。

 「ただのイモならばプロの農家と勝負にならない」と、ペースト状にしたイモでつくるプリンなど加工品に力を入れた。ウナギの頭や骨を肥料に使い始めたのも、消費者に選ばれるための工夫だ。2011年にキャラクターをつくって「うなぎいも」の名前で売り出した。生産者による加工販売を後押しする県の応援で商談会に出すと、菓子材料としての人気が急速に広がった。

 今では約20社が30種以上の「うなぎいも」認定商品をつくる。県西部農林事務所の山崎明さんは「独自のストーリーやキャラなど、売るためのこだわりが成功につながった。全国でも参考になる事例だ」という。

 組合は生産量を増やそうと2013年にできた。建設会社などの「異業種参入組」にも育てやすいようマニュアルを整え、収穫したイモは組合が買い取る。2015年には栽培面積が17haまで拡大。生産量は300トンほどになり、ブランドができた2011年と比べ、面積は6倍弱、生産量は7倍弱まで増えた。

 野菜で出荷した方がもうけは多いため、大きさや形といった基準を満たしたイモは買い取り価格を2倍にする。今では生産の4割弱が野菜として出荷される。

 昨秋からは県の勧めで台湾への輸出も始めた。現地の百貨店で売り出すと、新たなチャンスが見つかった。「もっと小さいものが欲しい」との反応だ。

 これまで100g未満は「商品にならない」と畑に捨てていたが、台湾では50g以上なら売れるとわかった。来季は初年度のl・6倍の10トンを輸出する計画だ。

 地域の子ども向けのイモ堀り体験など、ブランドづくりのあの手この事は、まだまだ続く。「観光や教育ともつながりを持ち、本物のウナギと並ぶ浜松の名物に育てたい」と伊藤さんは夢を膨らませている。
(朝日、2016年02月03日。山本友弘)

感想

 トピア浜松農協は農協に口座を持っている人の誕生日に菓子折をプレゼントしています。先日受け取ったものは「愛知県豊田市」の会社の小倉ようかんでした。私は、「なぜうなぎいもを使ったお菓子にしないのか」と抗議しておきました。

ビデオ「懐かしの奥山線」

2015年11月09日 | ア行

 浜松市民でもこういうビデオがあることを知っている人は少ないのではないでしょうか。私も昨年(2006年)の秋だったか、細江図書館に行った時、偶然見つけたのです。今、統合された図書館のホームページで調べてみますと、これは細江図書館にしかないようです。

 大正3年に開業した奥山線は昭和39年(東京五輪の年)11月1日に廃止されたのですが、ナレーションから察するに、その廃止の直前に遠鉄が記録を残しておこうと考えたのでしょう。16ミリの撮れる社員に頼んで撮ったもののようです。

 そのため夏の光景が映し出されています。又、昭和39年当時既に廃止されていた部分は写真のみとなっています。

このビデオ自身、遠州鉄道株式会社編となっています。もちろん非売品です。

 全体で約17分。バックに流れる音楽はもちろんあの「ふるさと」です。演奏あり、ハミングありと、工夫されています。

 画面は浜松駅から始まっています。続いてホテル「コンコルド」と隣の大きな体育館が映し出されています。

 元城駅を過ぎて今でも残っています広沢のトンネルをくぐると広沢駅です。そのテロップには「市立高校の利用駅。夏には女学生の制服でホームが真っ白に見えた」とあります。古き良き時代という言葉を思い出しますねえ。

 様々なエピソードを散りばめながら、終点に着きます。奥山線は使命を終えたのです。

   付記

 これは別名を「軽便」と言いました。しかるに、このほかにも軽便があったようです。昨年の秋、NHK静岡局が「車窓の記憶を訪ねて」と題する25分番組を放映しました。

 これは「駿遠線(すんえんせん)」の名残りを訪ねて歩いた一種の探訪番組です。もちろん昔のフィルムも少しは出てきます。

 駿遠線は大正2年に開業したと言いますから奥山線より1年早かったわけです。終わったのも奥山線より遅く昭和45年(大阪万博の年)7月となっていました。全長64,6キロで、軽便としては全国1の長さを誇っていたそうです。

 今の藤枝駅から少し離れた所にある大手駅が始点で、そこから大井川をわたり相良駅を通って、終点は今の袋井駅だったようです。

 当時これで学校に通ったというかつての女学生の皆さんや、ここで働いていた方々のインタビューもありました。

 バックには静岡合唱団の歌う「藤相唱歌」(これは「汽笛一声新橋を~」のあの鉄道唱歌の替え歌です)や「汽車ポッポ」の歌声が流れていました。

 これはビデオではありませんし、図書館にあるわけではありません。

 逆に考えると、奥山線の場合は遠鉄が記録を残しておいてくれて、とてもありがたかったと思います(多分、駿遠線のフィルムはないでしょうから。県立中央図書館には中村修編著「駿遠線物語、巨大軽便の横顔」という本が1冊あるようです)。

お断り

この記事はブログ「浜松市政資料集」(2007年5月26日)に掲載されたものです。

今、ブログ「浜松市政資料集」をなくそうとしています。その中の「取っておきたい記事」だけをこちらに移しています。


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