客観的な誤謬(実際に誤謬である考えないし行動)と或る人が「誤謬と思っているもの」とを区別して考えることから認識論は始まる、と思います。
例えば、「上司の間違いに対してどう対処するか」といった問題提起を例にしますと、これは正確には、「或る人が自分の上司の或る考えなり行動なりについて『間違っている』と思った時、どうするか」と言うべきだと思うのです。
参考
01、誤謬とは、絶対的には存在しないものについての臆見が、自己を知り、自己主張しているものであり、その限りで積極的なものである。(大論理学第2巻56頁)
02、真理と誤謬とは、両極的対立の中を動いている全ての思考規定と同様、極めて限られた領域に対してしか妥当しない。(マルエン全集20巻84頁)
関連項目
ヘーゲルの真理概念
例えば、「上司の間違いに対してどう対処するか」といった問題提起を例にしますと、これは正確には、「或る人が自分の上司の或る考えなり行動なりについて『間違っている』と思った時、どうするか」と言うべきだと思うのです。
参考
01、誤謬とは、絶対的には存在しないものについての臆見が、自己を知り、自己主張しているものであり、その限りで積極的なものである。(大論理学第2巻56頁)
02、真理と誤謬とは、両極的対立の中を動いている全ての思考規定と同様、極めて限られた領域に対してしか妥当しない。(マルエン全集20巻84頁)
関連項目
ヘーゲルの真理概念