マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

手術は成功(?)

2021年08月26日 | 読者へ
手術は成功(?)
 
 8月13日に、予定通り右眼の手術を受けました。手術が始まってすぐに寝てしまいましたので、手術自体には何の感想もありません。
 後日の検査では順調に眼圧が下がっているので、「手術は成功」といわれました。しかし劇的な変化を期待していた私としては、「成功と言われてもなあ」という感じです。確かに遠くは前より「少し」よく見えるようになりましたので、メガネを付けない時間が多くなりましたが、近くのものや小さいものは見えなくなりました。新聞が読めないのが困ります。そう言ったら、医者は「百均で老眼鏡を買って使うといい」と教えてくれました。なるほど最も強い老眼鏡をかけて、対象から10センチくらいまで近づけると何とか読めることが分かりました。
 新聞はイチイチ拡大コピーを取って読むわけにはいきませんが、勉強の本などは拡大コピーを取って読んでいます。
 そういうわけで、現在は手術後の視力に合わせた生活を模索しているところです。
 これで今回の報告とさせていただきます。
 

 

マルクス主義は空想的社会主義か

2021年08月19日 | 読者へ
拙著『マルクスの空想的社会主義』にて、アマゾンの該当欄に以下のようなレビューが寄せられていました。日付は2020年8月24日となっていますが、私が気付いたのはつい先日のことでした。
 牧野本に親しんできたと書かれています。しかし、問題がないかといいますと、やはりイマイチだと思います。
 わたくしが答える前に、皆さんの議論を求めるのが適切だと判断した次第です。


2020年8月24日に日本でレビュー済み

著者は、この本の目的を「マルクスとエンゲルスの社会主義思想は空想的社会主義思想の一種でしかなかった」ということを証明することと言います。さらに、科学的社会主義の「科学」とは、マルクス・エンゲルスがヘーゲルから受け継いだ「科学」、つまり、「事柄の生成の必然性の証明」であると主張します。つまり、「マルクスとエンゲルスの社会主義思想は空想的社会主義思想の一種でしかなかった」とは、マルクス・エンゲルスは、社会主義社会さらには共産主義社会の到来の必然を証明できなかったという意味でしょう。

ここで著者は「空想から科学へ」の本文から、彼らの社会主義思想が「科学」になったという根拠として「唯物史観の発見と剰余価値の発見の二つ」を挙げ、その両方をマルクスの功績としている文章を見つけます。

そこで「唯物史観」を再検討するために「経済学批判の序言」を、「剰余価値の発見」を再検討するために「資本論」を検討します。原文の翻訳と細かい注釈作業を通して検証が進むのですが、著者の主張を大ざっぱに言えば、「唯物史観」における「生産力が生産諸関係を規定する」という命題や、土台と上部構造の関係は、いずれも一義的な決定ではないということでしょう。だから、「剰余価値の発見」を端緒として資本主義の運動を解明できても、それが社会主義という特定の社会形態の「到来の必然性」に直結しないということのようです。(社会主義が到来しないことの必然の証明ではありません)。

 著者の本に親しんできた者として残念なのは、これほど大胆な命題の証明が、一冊中に収められた翻訳や小論や、注釈の中に分散していることです。また、ぜいたくを言えば、「マルクスとエンゲルスの一番大きな見落としは、フランスの社会主義思想が性善説に立ち、ドイツ観念論が性悪説に立つものであることの矛盾に気がつかず、無意識のうちに単純に両者を結合したことです」などのくだりも詳しい展開を読みたいと感じました。

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近況報告

2021年08月03日 | 読者へ
近況報告
ずいぶんご無沙汰してしまいました。「巨大な歴史的感覚」の問題を片づけてから、その他の問題を一つずつ処理しました。その間に体調も戻ってきましたので、最後の問題である「右眼の緑内障の手術受ける決意」をしました。
 既に事前の検査も済みました。医者のスケジュールによって、手術日は13日と決まりました。事前にするべき準備をしながらその日を待っています。 この手術で失明を 回避できるだけでなく、かなりの程度元に戻れると期待しています。そうなれば「ノソノソ宣言」を「ゆっくり宣言」に替えて、着実に仕事をこなしてゆこうと思います。
 手術は医者に任せて、その指示に従うつもりです。
 まもなく良い報告ができますように祈っています。
8月3日深夜、
日本とスペインのサッカー戦を聞きながら。
 牧野紀之