マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

投稿「イタリアの教養教育」を読んで

2019年12月15日 | ア行

はじめまして。
哲学の広場の趣旨からははずれた投稿になってしまうのですが、マキペディアに投稿されていた「イタリアの教養教育」(2009年7月18日)を拝読しました。

 Scuola Normale superioreに関する日本語で書かれているひじょうに少ない記事のひとつとして興味深く読ませていただきました。

今年夏すぎ、私の一人息子が物理学をNormaleで学ぶことを希望し、9月に受験を受けます。イタリアの大学で受験があるということもかなりめずらしいのですが。

今は2月に行われる物理オリンピック向けの1週間にわたる集中講義(ノルマーレ主催)の選抜試験に向けて口頭試験をひかえています。

イタリアの教養教育。
 日本人である息子の体験として、それを目の当たりにして、じつは小学校のレベルから、日本の学校教育で忘れ去られた学問の根本に関わる教養を日々の学校生活の中で、問われつつ、学んでいる息子をひじょうにうらやましく思っています(ラテン語必修の理数系Liceoの5年生です)。 こうした積み上げられていくイタリアの教育の実態、マキペディアの記事に少しでもとりあげられていることを感謝します。

 注・「哲学の広場」に投稿されたものですが、ここに掲載しました。

静岡県立図書館のあり方

2019年12月14日 | サ行
   静岡県立図書館のあり方

 まず、新聞記事をひきます。

1、図書館の移転優先。東静岡駅前、「文化力の拠点」構想

 JR東静岡駅前の県有地で進められている「文化力の拠点」構想について、県は民間が提案するホテルや駐車場の整備計画を据え置き、老朽化が進む県立中央図書館などの機能移転を優先させることを決めた。12月2日の県議会12月定例会で川勝平太知事が明らかにした。
 「文化力の拠点」構想は、東静岡駅南口の2,4haの土地に、多目的施設を整備して文化や産業などの情報発信をめざす。県によると、今年3月、施設に導入する機能をまとめた整備方針を策定。事業計画案を公募し、4者から参加申し込みがあったという。

 ただ、民間施設棟と併設する図書館棟の来館者想定などをめぐり、調整がつかず、県が主体となって1期整備を進めることにした。計画では、1万6000平方㍍規模の図書室や多目的スペースのほか、レストランなどが入った施設を建設する。22年度に着工し、24年度内に完成。その後、2期整備に取りかかる方針だ。

 構想は2014年からの有識者会議や専門家会議を経て、2016年8月に基本計画案がまとまった。当初は現在の図書館を研究専門施設として残し、一部機能を拠点施設内に移す計画だった。だが、図書館の閲覧室でひび割れが発覚するなど、老朽化が深刻だったため全面移転を決めた。
 3日の定例会見で川勝知事は「(ひび割れで)図書館が使えなくなったのは緊急事態だった。なるべく早く皆さんが楽しめるようにしたい」と話した。(朝日、静岡版、2019年12月4日、増山祐史)

2、県、事業費最大270億円試算。文化力の拠点、図書館棟整備かさむ

 県がJR東静岡駅付近に計画する「文化力の拠点」の事業費を最大270億円と試算していることが6日の県議会で明らかになった。当初、民間企業が整備予定だった商業ビルや立体駐車場の建設が見送られ、まず、県が図書館棟を公費のみで建設することになり、費用が膨らんだ。

 坪内秀樹県議(自民)の代表質問に県側が答えた。県は2016年8月、東静岡駅南口の県有地(約2,ha)に整備する基本計画案を策定。今年3月、「県立図書館」「県産農産物を使った飲食店や物販」「AI(人工知能)やICT(情報通信技術)の集積」を柱とする施設整備方針を示した。

 民間企業に事業計画案を募るにあたり、県は図書館の集客見込みを年間約100万人とした。だが、県立中央図書館の来館者は一部休館した17年が約14万人、16年以前も年約22万人程度。事業計画案を出した民間企業4社からは「図書館のにぎわいが見えない」「リス
クがある」などの意見が出て調整が難航した。このため、県は図書館棟の延べ床面積を1万6000平方㍍から2万7000平方㍍に増床。三つの機能を1棟に担わせる計画に変更し、まずは県単独で整備することにした。

 川勝知事は「県立図書館の来館者は岡山が100万人、山梨が90万人。本県でも100万人は十分可能」と答弁。年度内に施設整備計画を作り、来年度予算に設計費を計上、24年の完成を目指す方針を示した。

 これに対し、坪内県議は、「大きな集客力があるか疑問。現実的な計画に変更すべきで、十分な議論や説明も必要だ」と指摘した。(朝日、静岡版、2019年12月7日、阿久沢悦子)

3、牧野の感想と意見

 ① 行政のトップと言うか、何らかのレベルの政治権力を握っている「偉い方々」というのは、どうしてこうも「大きな建物」を作りたがるのでしょうか。理解できません。

 現在の静岡県立図書館をどうするかの問題は、私見では、昨年の初夏くらいに、建物の天井のひび割れがひどくなった、と言うことから出てきたのだと思います。根本的には、これまでの図書館が古く成って、何とかしなければと言われていたのでしょうが、直接、大騒ぎになったのはあれからだったと思います。直ちに数ヶ月間の使用禁止の後に、貸し出しだけは再開されました。私も、貸し出しの請求をしました。

 この間に、私は川勝知事に私案を送りました。その案の根本は次のようなものです。即ち、この際、県立図書館と市町の図書館との役割分担について関係者で話し合って共通認識を持つこと。そして、県立図書館の任務を4つ位に分けて、それぞれの任務に相応しい建物を、県下の4ケ所に分散して、建てること。

 知事からの返事はなく、担当者からの返事がありました。内容のないものでした。そもそも知事には「静岡市一極集中を是正しよう」という問題意識すらないようです。

 ② 私はこのに上の私案をここに発表すると共に、その案を有効にするためのインフラを提案します。即ち、現在のように、県民が県立図書館や自分の住む市や町とは違った所にある図書館から本を借り出すシステム(「おうだんくん」と言います)を、自分の住む所の図書館から借り出すのと同じシステムにすること。つまり自分の地域の図書館に行って書面に必要事項を書いて提出し、到着するのを待つシステムを止揚することです。

 ③ もう一つ、現在の図書館への希望を書きます。全集物の場合、自分の欲しいのはその内の第何巻に入っているかが分かるように、例えば「フォイエルバッハ全集、第内巻」だけでなく、その巻に入っている論文の題名だけでも分かるようにすることです。そうでないと、全体で十巻あるとすると、その全部を取り寄せて見なければ分からない、ということになるからです。これは現在、そういう不親切な状態になっています。この点については、かつて図書館で投書をしたのですが、返事がありません。

 私案①に賛成の人は、SNSか何かで、これを拡散してくれませんか。

読者からの要望と報告に思う

2019年12月04日 | タ行
   読者からの要望と報告に思う

  私(牧野)への要望と報告をいただきました。

 Aさんから、2019/11/11 (ブログへのコメント欄)
 ──お疲れ様です。大論理学の翻訳は結局なされないことに決められたのでしょうか?
 ろくな訳がなく、後世のためにも、是非とも牧野さんの訳を出していただけたらと思う次第です。
 ご検討、よろしくお願いいたします。
 
 Aさんの要望を読んで「どう応えようかな」と考え続けていた所に、Bさんからの手紙が来ました。

 Bさんから、2019年11月24日(手紙)
 ──先日、pdf鶏鳴双書の「ヘーゲルの始原論」「自然哲学」「合本・鶏鳴」を受領いたしました。早速送っていただきましてありがとうございます。
 本日、ようやく「始原論」と「自然哲学」を印刷してファイルに綴じて、収録内容を確認することができました。
 現在は、「小論理学」の現実性論を牧野様の未知谷版と松村一人の岩波文庫版と許萬元の「ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理」とズールカンプ版を見比べながら、少しずつ読んでいます。
 「フォイエルバッハ論」も楽しみにしております。引き続きよろしくお願いいたします。

 お二人ともに私(牧野)の仕事を評価し、期待して下さっているものではあります。この点についてはもちろん、ありがたい事と感謝しています。しかし、大きく違う点が二つあると思います。
 第1点としては、「自分が牧野本とどう取り組んでいるか」を書いているかいないかです。
 第2点は、「牧野に期待しているものが、牧野が今取り組んでいる仕事か、それとも今後取り組んでほしい仕事か」の違いです。たしかに私は「いずれ『大論理学』の翻訳を考えたい」と言いましたので、「それを実行してほしい」というものです。

 正直に言いますと、Aさんが危惧されますように、『大論理学』の翻訳意欲は私の中で小さくなっています。その理由は、まもなく80歳という年齢もありますが、『関口ドイツ文法』と、特に昨年の『小論理学』で「これ以上親切な本はないのではないか」と思われるほどの仕事をして、『大論理学』で同じかそれ以上の仕事は出来ないと思うようになったからです。
 それ以上に根本的な事は、Bさんのように、原典と拙訳と松村訳(と出来ればウオーレスの英訳)を比べながら読んで、一文ずつ、「この牧野の理解で正しいか」と考えれて行くとしたら、これ以上の「哲学修業」はないと思うからです。

 思うに、本当は、エンゲルスがこのような「評注」を書いてくれると好かった、あるいは書くべきだった、と思います。そうすれば、その後の社会主義運動は根本的に変わっていたとすら思います。つまり、私は、エンゲルスがするべきだったのにしなかった仕事を、100年以上も後になって、したのだと思っています。

 ついでに言いますと、『関口ドイツ文法』も関口さんが自分でするべき仕事だったと思います。ヘーゲルを歴史哲学でしか理解せず、その「論理学」を(多分)読まなかった、あるいは理解できなかった間違いがここに出たと思います。体系的思考の決定的重要性を理解していたら、戦前、自分の周りに集まっていた(牧野より遙かに優秀な)弟子たちを組織して、本当の「関口ドイツ文法」を出し、それを改版ごとに充実させるというやり方をしたでしょう。

脱線がひどくなりました。元に戻って、私の今後の仕事を考えます。まあ、出来れば『大論理学』の第3部の概念論くらいは訳したいとは思っています。ヘーゲル原書講読会の本科が始まれば、『大論理学』か『哲学史講義』をすることになるでしょう。
 が、当面の予定は、まずオンデマンド出版をマスターして、つまり未知谷さんで断られた『フォイエルバッハ論』を鶏鳴出版で出すことです。
 続いて『許萬元のヘーゲル研究』を片付ける予定でs。
 3番目には『精神現象学』の第3版を準備しますが、これは『簡約版・関口ドイツ文法』と平行して進めようかと思っています。
 後者は800ページ前後にまとめなければなりません。オンデマンドを仲介してくれるところがそれ以上の大部な本は印刷製本が出来ないと言っているからです。しかし、簡約版ならその程度で十分でしょう。
 それが終わったら、今度はその牧野流に和訳した『精神現象学』の序言と序論(だけでも)をドイツ語に訳し戻して、哲学研究者なら誰でも分かるようにしたいと思っています。日本ではあまり認められないので、世界に打って出ようという魂胆です(笑う)。
 いつまで命が続くかな。まあ、夢みたいなものですが、意気だけは軒昂です。

 最後に、読者への希望を書きます。それは、「牧野支持者の応援が、他の有名人の場合とずいぶん違うのではないか」ということです。
 思うに、「自分の信奉している理論や思想への批判を聞いた場合の反応には、大きく分けて3つあると思います。第1は、創価学会信者や共産党信者のように猛烈に、感情的に反論するものです。第2の態度は、三浦つとむ支持者や吉本隆明支持者のように、第1の態度ほどではないにしても、無気になって反論する態度です。これらの態度と比べると、牧野支持者の振る舞いは、よく言えば理性的、控えめに言えば「おとなしすぎる」と思います。

 最近、出口治明さんという有名な方(立命館アジア太平洋大学の学長で、朝日新聞の書評委員の一人でもある人)が『宗教と哲学の全史』(ダイヤモンド社)とかいう大著(400頁以上で2400円だったかな)を出して、大評判になっているようです。私も買うか否かを判断するために本屋で立ち読みしました。もちろんヘーゲルの項だけです。
 その項の最後に自分で読みたい人への参考として、ヘーゲルの著作の訳本が3冊挙げられています。熊野純彦訳『精神現象学』(ちくま学芸文庫)と長谷川宏訳『歴史哲学講義』(岩波文庫)とあとひとつですが、これは書名を忘れました。

 私は長谷川宏の訳したヘーゲル本を薦めている人を知るとがっかりします。かつて本ブログの2010年1月23日号にも「評価は評者をも表す(長谷川宏の訳業をほめる人たち)」という文を発表しました。
 今回は少し角度を変えて、牧野支持者がこの出口の長谷川肯定になぜ反論なり質問なりをしないのか、という点を取り上げます。
 私が出口を知ってからまだ日は浅いのですが、これまではいつも教えられてきました。その出口が、いや出口さえもが、長谷川を肯定するとは。がっかりしました。
 かの『宗教と哲学の全史』のヘーゲルの項を読むと、出口の関心は論理学よりは社会観に向いているようですが、このこと自体が偏向していると思います。それなのに、牧野支持者からの批判はレビューに出ていないようです。

 もう一つの不満は、最近の道徳教育の問題です。これが教科に格上げされて、成績が付けられるようになったそうです。そのために多くの教師が困っているそうです。
 私は多くの経験を踏まえて、『哲学の授業』という本にまとめた授業を作り出しました。その根本は次の2点です。つまり、授業の目的を「各自が自分の考えを自分自身にはっきりさせ、更に発展させること」としました。そして、その方法として、現実の問題についての基礎的知識を与えた上で、3~4人のグループで話し合い(自分の考えを出し合い)、最後に30分の時間を使ってレポートを書くことです。教師はレポートの一つずつに短い感想を書くと同時に「教科通信」を作成して、次の時間に配るのです。
 NHKが提灯持ちをした「白熱教室」のような「口から出任せを言い合っておしまい」というのとは違います。

 私のお願いは、この本を読んでいない方は読んでほしいし、その内容に賛成して下さるならば、自分の周りの図書館にこれがあるかを確認して、無かったら、「揃えるべきではないか」と「理由を付けて」図書館に提案してほしいということです。
 
 因みに、私は、兵庫県の姫路市の文学館で関口存男(つぎお)を正当に顯彰していない事を知った5年(?)ほど前に、猛烈な抗議をしました。「今、大改造を予定しており、その時には改める」との返事で、実際に資料を集めていたようです。そして、これは実行されました。

 私もあと20年は生きて働けるように健康に気をつけて、できるだけ皆さんの期待に添いたいと思っています。皆さんも「或る人を支持するとはどういうことか」をもう1度考え直して下さいませんか。