マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

おしらせ、コメントへの対応

2019年07月29日 | 読者へ

 今までは、不適切なコメントは、公開することなく、ボツにしてきましたが、今後は、原則として、コメントはよほどひどいのは除いて、原則的には「必ず一度は公開する」ことにしました。
 その上で、不適当なものは、何日かの公開の後に、説明せずに、非公開にします。
 よろしくお願いします。
  牧野紀之

上野女性学の限界

2019年07月24日 | ア行

   上野女性学の限界

 東大の入学式で上野千鶴子さんの行った挨拶が話題になりました。新聞でも取り上げられ、東大新聞では学生から賛否のアンケートを取ったとか。

 昔は、東大の入学式とか卒業式では総長の話が話題になったと記憶しています。戦後の講和条約をどうするかが問題になっていた頃、南原総長が全面講和を主張した時には、時の総理大臣から「曲学阿世の徒」という言葉が返ってきたと思います。

 時代は変わりました。今では総長の話は話題にならず、来賓の話が注目されるようです。

 さて、6月30日のTV番組「情熱大陸」では30分近く、好意的に報道していました。問題の発言の中心は、次の3つの言葉のようです。

①がんばったから報われるとあなた方が思われること自体が、あなた方の努力の成果ではなく、環境のお陰だったことを忘れないようにしてください。

②恵まれた環境と恵まれた能力とを恵まれない人たちを貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください。

③そして強がらず自分の弱さを認め、支え合って生きてください。(文字通りの発言のはずですが、番号を振ったのは牧野)

 私の鈍い頭にはイマイチ趣旨がはっきりしませんが、上野さんの言いたいことは、多分、「全ては自分の努力次第だ」という考えは間違いで、努力すらできない環境で育った人もいる、という事ではないかと思います。

 もちろんこれには賛成ですが、それなら、②と③は余計だと思います。これくらいの事は高校の入学式で言うのが適当でしょう。それよりも「学問の府」である大学の教授であった上野さんのするべきだった事は、「個人の人生の成功不成功における主体的条件と客観的条件を、整理して提供する」ことだったと思います。

 それは、私見では、次の通りです。

 A・客観的・環境的条件
親からの条件──素質(才能)、育てられ方(物的条件、精神的条件)
 親戚や兄弟姉妹からの条件
 幼稚園での条件、小学校での条件、中学校での条件、高校での条件、塾での条件。
 しかし、一番の前提は世界と自国(日本)の状況(政治、経済、社会)でしょう。
 注・牧野の場合。1939年の12月末に生まれた私について例解しますと、「生まれてから最初の6年間を除いて戦争のない時代に生きたこと」が第1の好い条件でした。第2のそれは、「ワープロとパソコンの登場する時代まで生き延びたこと」です。そうでなかったら、腱鞘炎で相当苦しめられ、私の業績は半減していたでしょう。

 B・主体的条件=努力
 これももちろん大切です。

 私見では、上野さんは、問題をこのように整理して学生に提示し、「問題に気付いたら、すぐに結論を求めようとしないで、まず、関連した事柄をできるだけ沢山集めて、次に、箇条書きでいいですからそれを整理して、それから考えてみてください。高校までの勉強と違って大学は研究する態度や方法を身に付けるところですが、そういう研究する態度を考えるための絶好の問題が今、出てきましたから、ここから学生生活を始めるのはとても有意義だと思います。」と結べば好かったでしょう。

 はっきり申し上げますと、こういう風に言わないで、自分の考えを「1つの考えですが」と断りもしないで、まるで絶対的真理であるかのように主張したのは不適切だったと思います。

 上野さんは沢山の本を出しているようですが、アマゾンで見た限りでは、「自分の授業」を説明したものは1冊もないのではなかろうか(もし、それを知っている人がいましたら、教えてください)。これは教員のあり方としても非常に拙いと思います。もっとも、自分の授業方法の分かるような本を出している教員はほとんどいませんから、上野さんだけを責めるのは不公平ですが、こういう事実自体はもっと意識されて好いでしょう。

 次に、7月3日付けの朝日新聞に載った記事を取り上げます。

 この記事の前文にはこう書いてあります。
 「政党に男女の候補者を『均等』にするよう求める法律が実現したが、女性が極端な少数派という状況は変わっていない。全国で唯一、女性市議が誕生したことがないとされていた鹿児島県垂水市で4月にあった市議選に挑み、次点だった高橋理枝子さん(53)と〔彼女を〕支援した「鹿児島県内の女性議員を100人にする会」代表で南さつま市議の平神純子さん(62)が、日本の女性学・ジェンダー研究のパイオニア、上野千鶴子・東大名誉教授(70)を訪ねた。参院選を控え、上野さんが2人に語った「壁」の本質とその壊し方とは。」

 さて、本文は全部引くと長くなりますので、上野さんの発言としてゴチックで書かれている部分だけを引きます。(番号は牧野)

 ①「女の被選挙権の行使が少なすぎる。選択肢がないと投票する先がない。女よ、もっと選挙に出よう。最大の敵は夫と親族という家庭内抵抗勢力。1人で決めて、家族には事後通告する」

 ②「男を立てる」のなら、当選を譲らないといけない。「おっさんたち、あんたたちに任せられないから、私が代わりに決める」というのが女の政治参加

 ③「女性議員がいない弊害を感じたことはない」というコメントにあぜんとした。そんな人たちが勝手に決めたら「何の問題もない」になるに決まっている。妊娠、出産、育児支援、当事者抜きで決めないでほしい。
 性別だけでなく、年齢クオータ(一定数の割り当て)もつくった方がいいんじゃないかって思う。若い人にも出てきてもらわないと。

 ④「今の野党共闘の難しさもそうだけど、マルチイシュー(複数の課題)を抱えて、統一戦線を組むのは難しい。シングルイシュー(一つの課題)だから、広い裾野が持てる。「女性」はその大きなキーワードになる」

 ⑤「20代や30代のシングル(独身者)やシングルマザーの女性を引っ張り出したらいい。そうした人たちの利益の代弁者がいない。立候補の抵抗勢力がないから出やすい。仕事を辞めなくても議員を続けられるようにする、託児所をつくる、供託金をなくす─ー。
 パートタイムで誰でも地域貢献できる仕事にしていく議会改革や選挙改革に、取り組む時期が来ている」

 ⑥「10年前には考えられなかった候補者均等法。女性候補を擁立しないと恥ずかしいっていう建前はつくった。各政党、やる気があるのか、大きなチェックポイント。やんなきゃ、ネガティブキヤンぺ-ンをやりたいくらい」 (朝日、7月3日、福井悠介、野崎智也)

 さて、これについての感想を書きます。

 ①の中で「女よ、もっと選挙に出よう」と言っていますが、こういう「提案」ないし「激励」を聞くと、マルクスとエンゲルスが1848年に「万国の労働者、団結せよ」と叫んだのを連想します。周知のように、この呼びかけからまもなく200年が経ちますが、これは未だに実現していません。「万国の労働者の団結」は当時30歳前後だった「世間知らずのマル・エン」が思うほど簡単ではなかったのです。今後も出来ないかと思われる位です。若い青年の夢想なら笑って済ますことも出来ますが、70歳の老人の言葉がこのレベルでは困ります。

 上野さんは、自分の授業、特にゼミの生徒にどういう教育をしたのでしょうか。何十年もの間には沢山の生徒がいたはずです。その学生の中から何人の立候補者が出たのでしょうか。ひょっとするとゼロではないでしょうか。それを反省しないで、「女よ、もっと選挙に出よう」と言っているような能天気では困ります。

 ⑤では「仕事を辞めなくても議員を続けられるようにする、託児所をつくる」といっていますが、これは政治家(議員)に成ってからの事です。その前にはまず、「供託金をなくす」という提案が重要です。これは正しいと思いますが、先日の選挙では誰も問題提起しなかったと思います。同時に考えなければならない事は、仕事を辞めて立候補したが、落選した場合のことです。今回の選挙で、共産党は「立候補者の内、55%が女性だ」と自慢していたと思いますが、それは、共産党では供託金を含めてすべての費用を組織で出してくれるからです。それに、候補者はほとんど「党組織の役」についている人ですから、今後の事を心配する必要がないのです。つまり、共産党は「政治的シンクタンク」という性格を持っているのです。他の党も、新たに政治に乗り出そうとする人々も、これを学ばなければなりません。

 ですから、社会学者であり、Wemens action networkの理事長である上野さんのするべき事は、その団体に政治的シンクタンク的性格を持たせるか、新たにそういうシンクタンクを作るかのどちらかであったと思います。上野さんのように東大教授で相当の給与をもらい、その上退職金ももらい、印税も相当あり、講演も1年に100本くらいこなす人気者なら、億単位の財産がおありでしょうから、その一部を「恵まれない人々を助けるために使って」欲しいと思います。そのように、自分が出した上で、皆に寄付を呼びかければ、松下政経塾ほどの物は無理でも、地方選はもちろん、国政選挙にでも出せる程の物には成ると思います。

 最後に言いたいことは、上野さんの考えを聞いていますと、あたかも「女であることは無条件に全面的に善である」かのように聞こえる事です。女性代議士が部下の男性に対して暴言を吐いたり、暴力を振るったりして問題になったのは、ついこの間の事ではなかったでしょうか。

 残念ながら、以上のような率直な感想を述べざるを得ませんでした。東大の教授などというと、皆さん途端に無批判的になりがちですが、どんな偉い人の言動でも疑って考えるのが学問です。

 かつて朝日新聞は、小柴さんの「ニュートリノの発見」でのノーベル賞受賞決定の発表の翌朝、「小柴語録」とかいって、彼の言葉を載せましたが、私はそれに対しても批判的でした。

 cf. 小柴語録(2008年8月2日)

PS(7月27日に記す)
 本文章の題名を替えました。
 本文章は、上野さんの功績を認めるが、氏の考えにも大きな欠点(欠けている点。悪点ではない)があるのではないかと、問題提起したものです。氏の「挨拶」に対する批判は、「入学式で言うべきことではない」といった超越的な批判はあるようですが、私見のような内在的な批判はないようですので。

尋ね人

2019年07月21日 | タ行

 浅井良則さん、
 このブログを見たら手紙をください。

 あなたからのお手紙にはもちろんお返事を差し上げましたが、住所を記録しておくのを忘れました。封筒も取り置きしていません。
 急に、ご相談したい事が出来ました。

 済みませんが、お手紙をいただきたいと思います。
 よろしくお願いします。

7月22日   牧野紀之

政治家の育成とシンクタンク

2019年07月20日 | サ行

 政治家の育成とシンクタンク

 参院選が始まって、七月五日、朝日新聞では「オピニオン」欄で、三人の有識者の聞き書きを載せました。題して、「選良」はもはや死語か」。
 その中で特に関心の持てたのが、現職の衆議院議員の一人である村上誠一郎の「まともな政治家どう育成」でした。

 全文を引きます。
 ──若い国会議員の中に発言も行動も「公人」としての自覚がない人が増えています。私からみれば、起こるべくして起こったことです。議員の質が落ちた最大の要因は、衆院の小選挙区比例代表並立制にあります。

 政党・内閣支持率が高ければ、候補者の能力が伴わなくても当選できるようになった。 「○○チルドレン」と呼ばれる議員の多くは、自らの政治信条や理念はどうでもいい、党の方針に従っていれば、政治家が続けられると考えています。自分の頭で物事を考えなくなっているのです。

 政党が候補者を選ぶ仕組みが変わったのも一因です。各派閥は全国にアンテナを張り巡らせて時間と手間をかけて選んでいました。いまは原則公募で、書類選考が中心になっています。学歴や勤務先、ルックスなどで短期間で決めようとするから「ハズレ」が多くなる。欧米の政党も公募で選びますが、党職員や議員スタッフとして数年間雇い、政治家としての資質や能力を試してから判断しています。

 議員を教育するシステムがなくなったのも痛手です。かつて派閥が勉強会を主催していました。私も若い頃はそこに参加して専門家から財政や金融、外交について学ぶ機会を得ました。最近は見識のある派閥の長が減り、勉強会の機会が少なくなりました。

 若手議員の規律が緩んできた背景には、政権・政党幹部の暴言をあまり糾弾しないメディアの報道姿勢もあるのではないでしょうか。「上があんなことを言って許されているのだから大丈夫」と思っているから、考えられないような発言や行動が出てくるのです。

 ただ、新聞やテレビが政治家の失態ばかりを報じるのは考えものです。財政再建、金融緩和の出口戦略、外交の立て直し……。日本はいま課題が山積しているのに、政治が本来やらなくてはいけないことが国民に伝わりません。

 政治家は尊敬されなくなり、国、地方ともなり手が急速に減っています。まともな政治家を育てるにはどうしたらよいかを国全体で議論する時期に来ているのではないでしょうか。参考にしたいのは、プロ野球選手の育成です。 広島カープは若い頃から選手の特性をみてじっくり鍛えることで、自前の良い選手を育てています。政治家だって、最初から何でも完壁にできる人はいませんよ。

 国のために働くという志を持っている官僚のOBは、政治家の有力な供給源だと思います。かつては事務次官や局長級で退職した官僚が地元で国会議員になることが多かった。それは、地元の有力者たちが物心両面で支えたからこそです。地方はそんな気風を取り戻してほしい。 (聞き手・日浦統)(引用終わり)
 
 私が関心を持てたのは、第1に、現在の政治家の腐敗の原因が生き生きと描写されていたことです。よく分かりました。 
 第2に、「官僚OBを政治家の有力な供給源」としたことです。これは自民党的観点ですが、一般化するならば、政治家の育成にはシンクタンクが必要だということです。なぜなら、役所は政権のシンクタンクだからです。日本ではほとんど自民党が政権を握ってきましたから、役所は自民党のシンクタンクになっており、役人を踏み台にして自民党の政治家になる人が沢山いるのです。
 逆にまともな政治家を産み出したいなら、在野のシンクタンクを作らなければならない、となります。これは私の年来の主張と同じです。
 なぜシンクタンクが必要かと言いますと、給料をもらって日頃から政治ないし行政を調査し、監視している人が必要だからです。第2に、落選した場合にも、戻ってくる場所が確保されていなければ、安心して立候補出来ないからです。

 私は、かつて2011年の12月21日の本ブログで、「真のシンクタンクを!」と題する記事を載せました。そこでは雑誌『文藝春秋』2005年10月号に載った堺屋太一と野口悠紀雄の対談を全文引いたあとで、要旨をまとめた上で、私見を「感想」として書きました。以下に再録します。

     対談の主要点の箇条書きと感想

 1、戦後日本の経済体制は、生産者優先、競争否定の理念の下、終身雇用、間接金融、直接税中心の中央集権的財政などを柱とした国家体制で、これは1940年ころに成立したものである。いわば消費者の犠牲のもとに供給側の成長を促し、外に自らの行政指導力を誇示していった。官僚主導と業界協調が人事的にも意思的にも一体となって経済成長に邁進していく。

 2、世界的に、1980年頃から、社会システムにおける官僚の影響力を減らし、自由化、市場化、グローバル化を進めようという流れが強くなった。ところが、その頃の日本はバブル景気を謳歌していて、世界の流れには無関心だった。

 3、かくして大臣の地位は限りなく軽くなる。今では大臣の方が官僚に遠慮している。官僚たちも所轄の大臣を無視して、直接官房長官や首相官邸に意見を具申するようになっている。金融庁でも、金融担当大臣よりも、金融庁長官の方が経験も人脈もある。だから、大臣が長官に遠慮している。

 4、小泉さんは、経世会の支持団体である農協組織や医師会、建設業界や郵便局ネットワークなどを潰そうとしています。その結果、職業の縁でつながった戦後の「職縁社会」を解体し、再び官僚主導に依存することになります。「職縁社会」を潰すのなら、それに代わる民の代弁機関、地域コミュニティや「好みの縁」でつながった政治力を育てなければならない。

 5、なぜ官僚が力を持っていたのでしょうか。理由はいくつかありますが、官僚の力の基本的な源泉は、情報を独占していることです。
 この場合の情報には2種類あって、ひとつは制度に関する情報。たとえば年金制度や税制は非常に複雑で、仕組みを正確に知らなければ政策論ができません。これを知るだけで大変なエネルギーが必要です。
 もう1つは、今現在進行中の事態についての情報。徴税であれば、事業所得の実態がどうなっているのか、といった類の情報です。官僚は、この2つの情報を独占することで、その力を推持し続けてきました。
 官僚は情報の収集のみならず、その発信も独占しています。そして業界との癒着が官僚の力を下支えしています。

 6、世間の多くの人は、官僚の意思決定は数多くのエリートが議論を重ねた上で1つの合意に至っていると思っているようですが、全く違うのです。かなり大きな政治的課題であっても、それこそ局長や担当課長、同補佐など、ごく少数の人間の意思がかなり重要なんです。

 7、確かに官僚が取り締まるべき分野をきちんと取り締まり、徴税、徴収を行なうことはもちろん重要です。しかし、官僚が国の重要政策を決めたり、民間業界に恣意的に干渉していくようなことはやはり問題です。これを止めさせる方法は、宮僚が国家指導の主体としていかに信用できないかを、日本人1人1人がきちんと理解するしかありません

 8、官僚に握られている情報についても、業界や官庁とは別の所に民間のシンクタンクを置き、そこで独自に知的蓄積を図る必要があります。

 感想

 お二人の結論は、8にあるように、国民のためのシンクタンクを作る必要があるという事だと思います。賛成です。しかし、お二人共、自分が旗を振ってこれを作ろうとしていません。これが中途半端なインテリの姿です。

 この座談会から6年経ち、政権交代も成し遂げられましたが、政治主導の挫折を経て官僚主導政治は前より強固になったのではないでしょうか。民主党ではだめだと言っても、自民党に返しても好い事も期待できない。どうして好いか分からない、というのが多くの国民の気持ちでしょう。

2019年の現在の考え

 今でも私見は変わっていません。それどころか、「民間の真のシンクタンク」の必要性はますます高まっていると思います。誰かが旗を振ってくれることを願っています。
 「それなら、お前が旗を振れ」と言うかもしれません。私がなぜ旗を振らないかと言いますと、金がないからです。松下幸之助さん程の金はなくても、「言い出しっぺは或る程度のものは持っていなければならない」と思います。私には、何もないのです。少しでいいから持っている人が言い出せば、クラウドファンディングみたいに集まるのではないでしょうか。

活動報告、2019,07,18

2019年07月18日 | カ行
     活動報告   2019年7月18日

 ようやく、遂に、光ファイバーが来ました。

 ADSLが来たのはたしか2005年だったと思います。あの時の喜びも大きかったです。しばらくの練習してから2006年に、正式にブログを始めました。よく書いたものだと、我ながら感心します。何しろ、メインのブログである『マキペディア』のほかに次々とに、「教育の広場」、「浜松市政」をテーマにしたもの、「静岡県政」をテーマにしたものまで、自分では名前を忘れてしまったものまで出したのですから。

 2011年の統一地方選挙の頃がピークだったと思います。その後は研究成果をまとめて出版することが中心になりました。『関口ドイツ文法』を仕上げたのは、2013年のことです。

 次が、昨秋の『小論理学』です。これで「ヘーゲルの論理学の現実的意味を解明して、自分の哲学を作る」という私の哲学研究の目標は、一応、達成しました。

 思うに、1831年にヘーゲルが死んでから、まもなく200年経ちますが、この間、ヘーゲル哲学を真正面から受け止めて、更に発展させた哲学が一つでも出たでしょうか。実存主義だとか現象学などは論外として、人は、あるいは、マルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論がそれだ、と言うかもしれません。しかし、私見によれば、この両人もヘーゲル哲学を研究することが少な過ぎました。「発展させた」とは到底言えないでしょう。そして、残念ながら、このことは自称社会主義運動の堕落・変質と結びついてしまったのだと思います。

 このことを論じたのが今回の『フォイエルバッハ論』です。エンゲルスを中心にしましたが、マルクスも同じです。今回の本はいつもの通り、と言うか、いつも以上に、「付録」を沢山を付けました。以下の通りです。

一、フォイエルバッハの生涯
二、フォイエルバッハ全集の目次
三、エンゲルスの生涯
四、『フォイエルバッハ・テーゼ』の一研究
五、ヘーゲル『精神哲学』の最終章
六、弁証法の弁証法的理解(二〇一四年版)
七、価値判断は主観的か
八、議論の認識論
九、実体と機能
一〇、冠詞論の要諦
一一、時代背景(年表)

 そのほかに「後書きに代えて」として「エンゲルスにおける理論と実践の統一」という論文を書きました。結論は「中途半端な理論と中途半端な実践とが見事に一致している」というものです。

 話がそれてしまったようですが、今回の報告は、以上の仕事を、ADSLというインターネット環境の下でせざるをえなかったので、苦労が倍になったということです。しかし、そのようなハンデも遂に無く成ってくれました、ということです。
 
 本当に本当にホッとしました。しかし、今度は私の体力と視力の衰えを認めざるを得ない状況に陥っています。でも、光ファイバーが来たのですから、まだがんばります。牛歩の歩みを続けます。

 次の仕事は『精神現象学』の翻訳の決定版を出すことです。先日出ました熊野の訳は、主として仏訳を参照したそうですが、奇特な人ですね。少し前に出たブルジョアの訳を見たのでしょう。このブルジョアという人は『小論理学』も訳しているのですが、ご丁寧に Zusatz〔付録、補遺〕を省いて、本文と注釈だけを訳しているのです。奇特な熊野の先生に相応しい変人です。しかし、私もそのブルジョア訳を入手しました。どういう訳なのか、読むのが楽しみです。

 今後はブログの更新にも又、力を入れたいと思います。『教育の広場』から残すものを『マキペディア』に移して、整理する仕事も再開します。終活かな?

 では今後もよろしく。

7月18日
牧野 紀之