マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

『枝野ビジョン』を読む

2021年06月08日 | abc ...
『枝野ビジョン』を読む
    枝野代表への手紙

 立憲民主党代表の枝野氏の近著(文春新書)を読んでみました。今の日本の政治を良くするには立民を応援する以外にないと思うからです。

 全体的感想としては、真面目な人で信頼できるな、というのが第1印象ですが、まだ若くて経験と勉強が足りないな、というのが第二点です。
 これの好く出ているのが253頁の1行空きの次の結論です。
 曰く「政権を取るためにも、その政権が期待に応えるためにも、何よりも,理念と哲学、「目指すべき社会像」を明確にすること、そして、それらが自民党とどう違うのかを明確にすることが重要だと考えている。」

 この考えに基づいて、本書は、終始一貫「枝野ビジョン」を展開しています。
 その時、枝野氏の忘れていることは、
 第1に、「私と一緒に、私たちといっしょに、新しい時代の扉を開こう」(254頁)と言いながら、立憲民主党の住所も、電話番号も、メルアドも、存在しているらしい機関誌の申し込み方法も書き忘れている、ということです。

 もう少し大きな忘れ物を指摘しますと、54頁以下で「経験不足の民主党政権」を論ずるそぶりを見せながら、具体的内容がないことです。憚りながら、私はとっくの昔に、ブログ「マキペディア」の中で「民主党政権はなぜ短命でおわったか」を論じてあります。
  最後に、政党は政治を動かすための組織です。「そんな事分かっているよ」と言うでしょうが、それならなぜ立憲民主党の「組織としての現状」をどう考えているか、どこをどう改善するつもりなのかを、何も言わないのでしょうか。
 レーニンは「自分に組織を与えてくれ。そうしたら、世の中をひっくり返してみせる」と言い、その組織はニセモノを絶対にいれない「狭量の精神」でなければならない」と言いました。実際には、スターリンは危険だと気づきながら、狭量の精神を実行できず、人類の歴史に比類のない不幸の種をまきました。
 一九五六年ころに混乱を乗り越えて日本共産党が再出発を始めた時、指導権を握った宮本顕治さんが最初に何をしたか、ご存知ですか。全党員に手紙を送って次の三つのことを訴えたのです。

 第1に、細胞会議に出てほしい。第2に、機関紙「赤旗」を毎日読んでほしいこと。そして、第3に、党費をきちんと払ってほしいことです。

 これは、返事をくれない人には催促をする程徹底したものでした。そして、ここから今の共産党の前進が始まったのです。

 お節介ですが,今の立憲民主党が何をするべきか、私案案を書きます。
 第1は、衆議院の全ての選挙区に最低でも「週に1回以上開くコドモ食堂」を開き、党員はみな協力すること。世田谷区長の保坂展人さん
の経歴と今日の支持率を調べて見てください。そうすればこの提案の根拠がわかるでしょう。
 第2にするべきことは、機関紙を「立民週報」として、最初は、党内から男女一人ずつ、党外からも優秀な人を男女一人ずつ、合計四人の体制で始めることです。
 今秋の総選挙には間に合いませんが、次の参院選以後は大効果を発揮するでしょう。
 ご健闘を祈ります。
 





 







「巨大な歴史的感覚」その3

2021年05月18日 | abc ...
第四節 伊藤嘉昭(よしあき)氏

 この方についてはウイキペディアに詳しく書かれています。要するに、昆虫学者として多くの業績をあげた方のようです。しかし、同時に、人類の起源についても深い関心を持っていて、自分でアフリカなどに行って類人猿の社会や行動を観察するようなことはなかったようですが、その方面の報告をよく追いかけて、唯物弁証法を知らない著者達の解釈を批判していました。そのために、そういう報告を自分では読めない我々唯物弁証法の立場に立って考えたいという学生は伊藤氏の夲や解説を熱心に読んだものです。
 氏のその方面での見解の集大成が、一九六六年に紀伊國屋書店から出版された『人間の起源』です。そして、それをベースにして、マルクス主義の立場で勉強したいという人のために書いたものが『原典解説・サルが人間になるにあたっての労働の役割』(青木書店、一九六七年)です。
 この二冊の夲が出てから五五年が経過しており、伊藤氏は亡くなっていますが、私はその後の研究の発展を知りませんので、この夲で考えます。第二の伊藤嘉昭が出てほしいです。

 さて、この本の中で伊藤氏は人間を「道具を作る動物」とする定義と合わない事実の報告を紹介してこう書いています。

「最近〔一九六七年から振り返って最近〕、イギリスの女流学者グッドールは、森林と草原の境界線ふきんに進出した野生のチンパンジーで大変興味あることを発見しました。チンパンジーはアリの幼虫やシロアリを食べるのが好きですが、そのさい、手近な草の茎をとって、それをアリ塚にさしこみ、そのさきにくっついた幼虫をなめるのです(グッドールはこれを「アリ釣り」とよびました)。手近なところにちょうどよい草がない時は、アリ塚から離れた所で草の茎を取り、じゃまになる葉を取り去って使いよいようにしました。この観察は、別の所でチンパンジーをしらべていた日本の研究者によっても確認されました」。(原典解説、五八頁)

 さあ大変です。チンパンジーでも「道具を作る」ことが分かったのです。伊藤氏はこれを次のように解決しようとしました。

「人間は石器を作る前にも、木の枝を加工したり、そのほか種々の道具を作ったかもしれません。オーストラロピテクスを発見したダートは、石器時代よりまえに、殺した動物の骨や角をいくらか加工して使う、歯角(しかく)文化の時代があったと想像しています。しかし、こういう石以外の道具は、かりにあったとしても、残りにくいので、確実なものが発見されていません。いずれにしても、人間への「決定的な一歩」は、素晴らしい威力を持った石の道具がつくられたに踏み出されたと言うべきでしょう」。(同上書五九頁)

 『原典解説』を出すのは「読者がエンゲルスの論文を読んで、弁証法的唯物論の正しい適用を学べるようにするためだ」(四頁)と書いているのですから、自分自身はその十分な適用能力があると、確信しているのでしょう。
 では、「人類への決定的な一歩」を「素晴らしい威力」の中に見る伊藤説は本当に正しいでしょうか。私牧野紀之は反対です。なぜかと言いますと、そもそもこういう根本的な判断の基準を「素晴らしい威力」といった「量」ないし「程度」の中に求める事自体が、根本的に間違っていると思うからです。こういう考え方は弁証法ではないと思います。
 あえて言うならば、「決定的な一歩」で作られたものは、その「威力」に関しては、「偶然拾ってきたのだが格好が合理的な石」より劣るものでも好いと思います。その「作られた道具」は、しかし、「作られた」という点に「これから無限に改良できる」という可能性があるからです。ですから、大切な点は、耐久性のある素材で作られているということです。

第五節 母語とは何か(→次稿)


「巨大な歴史的感覚」その1

2021年04月05日 | abc ...
近況報告


 病気は色々あって書き切れないくらいです。最悪の問題は右眼の緑内障です。左眼の緑内障は何年もかかって失明となりました。右眼も同じと思っていたら、急に進みました。
 二月十五日に「ギックリ背骨(牧野の命名)を発症しました。重いものを持ったからだろうというのが、医者の見立てです。これはそのうち、完治するでしょう。
 さて、遅れに遅れている『許萬元のヘーゲル研究』ですが、遅れたために、また考えるところがあり、ついに第一論文「ヘーゲルにおける概念的把握の論理」については評註の一部を特に「付録」として独立させることにしました。
 まだ途中ですが、それをここに引いて、お詫びに替えることにします。

──


          「巨大な歴史的感覚」

第一節 第一の問題提起
 
 許萬元の処女論文である力作「ヘーゲルにおける概念的把握の論理」(一九六五年、都立大学の雑誌『哲学誌』に発表))は「エンゲルスは言う。『ヘーゲルのDenkweise(考え方)をほかのすべての哲学者のそれから判然と区別するものは、その根底にある巨大な歴史的感覚(der enorme historische Sinn)である』」という言葉で始まっています。
 読むたびに筆者の決意を感じさせる言葉です。しかし、今回この論文の評注を書くというテーマを持って繰り返し考えているといくつかの疑問が出てきました。
 まずは「歴史的」という単語です。特に「的」が気になりました。これは、英訳が sense of the historical としているとおり、もちろん「歴史に対する感覚」という意味でしょうから、「リズム感覚」とか「金銭感覚」とかいう場合と同じなわけで、それならここも「的」を取って「歴史感覚」と言った方がよかったのではないかという考えがすぐにも出てきます。
 すると「巨大な歴史感覚」となりますが、こういう所に「巨大な」はおかしいので、「強烈な歴史感覚」くらいにしておいた方がベターではないかと思われます。
 そういう些末な問題こだわるのはこれくらいにしますと、「では、歴史に敏感だったとしますと、何に対しては鈍感だったのか」という疑問が出てきます。歴史の対概念は何か、と考えてみますと、私には「地理」しか思い浮かびません。高校の社会科では日本史と世界史に対して「地理」が対比されているのではないでしょうか。すると、「ヘーゲルは地理は重視せず、世界全体を見ようとはしなかった」ということになりますが、これはどうでしょうか。博覧強記という点ではエンゲルスに勝るとも劣らなかったヘーゲルを、「地理に疎かった」とは言えないと思いますから、これは「歴史感覚はそれほどすごかった」という、比較の問題と考えておきましょう。
 さて、三つの小さな問題を片づけた我々は第四の最大のテーマと取り組む所に来ました。それは「ここでエンゲルスの問題にしている歴史とは歴史一般だろうか、それとももう少し限定された歴史だろうか」という問題です。

第二節 文脈を読む

 この問題に答えるにはエンゲルスの原文の文脈を読まなければなりません。しかるに、この論稿は政党の機関紙に最初の二回分が発表されただけで、完結していません。その二つの文章を第一稿、第二稿として箇条書き的にまとめます。

 第一稿
 ① ドイツは経済学以外の学問では世界の一流だが、経済学だけはお粗末である。
 ② それはドイツの産業が未発達だからであった。
 ③ しかし、ドイツでもようたく成長してきたプロレタリアートと共に遂にドイツ経済学が現れた。それが本書、マルクスの『経済学批判』である。
 ④ それは従来のブルジョア階級の学問とは違って唯物論的な歴史観、すなわち「唯物史観」に立脚している。
 第二稿
 ⑤ したがって、この経済学を理解するには、その個々の部分を切り離して扱ってはならない。その全体を体系として理解しなけばならない。
 ⑥ しかるに、ヘーゲルの死後、学問をその内的関連に基づいて展開しようとした人はいない。公認のヘーゲル学派も話にならない。
 ⑦ したがって、この「本当の歴史観」を学ぶにはヘーゲルに帰らければならない。
 ⑧ たしかにヘーゲルの歴史観は観念論的な世界観と結びついて。そのままで使うことはできないが、それ以外に使えるものはない。
 ⑨ しかるに、「ヘーゲル哲学の根底にある歴史観たるや、これまでのどの哲学も遠く及ばないほど強烈なものだったのである」。
(以後は省略)


 さて、上の文脈の⑨はわざと許萬元の訳とは変えました。文脈を読めばこうなると考えたからです。しかし、文脈を忘れたか誤解した許萬元は「唯物史観のためにヘーゲルを学ぶのではなく、歴史という言葉からすぐに「概念的把握」へと持ってゆきます。たしかにこの考察はプラトン譲りの想起説を掘り起こすという本論文の第二の大功績を結果するのですが、これは思考を「働く普遍者」とする所から出てきたことです。そして、思考のこの定義はヘーゲルの同語反復でしかない言葉に由来しているのです。
 寺沢恒信は許萬元の論文について「弁証法に強く、唯物論に弱い」と評していましたが(牧野が直接きいた話)、正確には「唯物史観に弱い」と言うべきでしょう。後年の「戦わない弁証法」は始めから芽生えていたのです。

第三節 思考とは何か(→その2



みなさん、ありがとうございます

2020年09月13日 | abc ...

1、「アマゾンに出ている」とご紹介いただいた唯研の雑誌は、今、注文しました。ほかの人に取られたら大変ですし、もしその雑誌に求めている物が入っていなかったとしても、損害は千円以下ですから、いいです。
 滋賀県立以外に、愛知県立図書館にも、あるらしいです。

2、「区別の弁証法」については、仲間に頼みます。

3,「都市の主体的概念」は既に入手しました。
本当にありがとうございます。

実を言うと、「ヘーゲルにおける体系構成の原理」はいままで読んでいませんでした。昨夜、頭の調子が良さそうなので、読みました。許萬元の好い所と悪いところが好く出た、ハッキリ出た論文だと思います。

 今朝から、それの評注を書き始めました。彼の説明は、皆さん、「牧野さんの説明を聞かないと、あれでは分からない」と言いますので、「ヘーゲルをヘーゲルの言葉で説明する」許萬元式に対して、具体的実例で説明します。

 あの論文は三つの節から成り立っていますが、節に題名が付いて
いません。私は、次のようにしました。
一、ヘーゲル弁証法の三つの法則の内的関連性
二、「成長は深化」の論理
三、本質と概念の違い
まあ、もう少し待って下さい。
よろしく。牧野紀之

大学は自分で勉強する所か

2020年07月29日 | abc ...




 | カ行
 学校が小学校から中学校、さらに高校から大学へと進むにつれて、よく、「中学校は(小学校と違って)自分で勉強する所だ」とか、「高校は(中学校と違って)自分で勉強する所だ」とか、「大学は(高校と違って)自分で勉強する所だ」といった言い方がなされると思います。

 「中学校は~」という言い方は余りないかも知れませんが、「高校は~」という言い方と「大学は~」という言い方はたいていの人が聞いているのではないでしょうか。

 今回はこれらの言い方を「大学は自分で勉強する所だ」という言葉で代表させて考えてみたいと思います。最近読んだ立花隆氏の『脳を鍛える』(東大講義)(新潮社刊)の中でも氏はそのような事を言っていました。

 私も半分無意識的にではありますが、生徒であった時にも教師になってからも、事実上そのような考え方をしていました。しかし、大学で教師をしていたある時、これは決定的に間違っているのではないかと思うようになりました。

 たしかに勉強における主体的契機、つまりいわゆる「やる気」とか努力というものを強調するだけならこの言葉も正しいと思います。しかし、実際にはこの言葉はそれ以上に、教師の指導の決定的重要性を見逃させる役割を果たしていると思います。これが問題なのです。

 もし本当に「大学は自分で勉強する所だ」とするならば、教師は何のためにいるのでしょうか。それなら教師は必要がないのではないでしょうか。こう考えただけでもこの考えの間違いは自明だと思います。ではどこが間違っているのでしょうか。

 人間を勉強への取り組みに関して分類すると次の3種類に分けられると思います。

 A・自分でどんどん勉強する人(変人)
 B・宿題(先生の適切な指導)があれば勉強する人(凡人)
 C・宿題(先生の適切な指導)があっても勉強しない人(ろくでなし)

 次にこのABCの割合はどうかと考えてみますと、ほとんどの人はBだと思います。つまり、一部の変人とろくでなし(もっとも気の毒な事情のある場合もある)を除くと、大部分の人間は「先生の指導がある限りで勉強する」という種類の人間なのです。

 人間の心の中には誰の心の中にも「勉強したい」「成長したい」という気持ちがあるのです。しかし、人間はそれだけでは勉強しないのです。勉強したいという気持ちに先生の指導という「外からの強制」があって初めて勉強するのです。

 人間は神様でもなければ獣(けだもの)でもないのです。その中間なのです。だからこそ、「先生に引っ張ってもらおう」「宿題を出してもらおう」と思って学校に来ているのです。だから、勉強では先生の指導力が決定的なのです。

 ここまで言うと聞こえてくるのが、「我々の頃は自分で勉強したものだ」という教授たちの声です。立花氏の本からもそのような声が聞こえてきます。

 「今の若い者は~」といった言葉は老人の口癖ですから聞き流しておけば好いのかもしれませんが、私がこの「大学は自分で勉強する所だ」という考えを決定的に否定する気持ちになったのは、この教授たちの考えの間違いに気づいたからです。

 ドイツ流に言うと私の主専攻は哲学で副専攻はドイツ語ですが、私はこの2つの学問で見てみますと、その「自分で勉強した方々」の「学問」がとてもお粗末だと思うのです。そして、その最大の原因が、先生から正しい指導が受けられなくて「自分で勉強した」結果だと思うのです。

 哲学については説明が大変ですからドイツ語学について言いますと、40年以上前に出版された橋本文夫氏の『詳解ドイツ大文法』(三修社)はお世辞にも「詳しい」と言える代物ではありませんが、それにも拘らずそれ以上の文法書が出ないのはどうした事でしょうか。

 初等文法が終わると読本の読解に進みますが、その読本には巻末に注解が付いています。これは英語の読本の場合と同じです。しかるに、その注解はあまりにもお粗末ではないでしょうか。間違いも散見されますし、必要な説明の落ちている事も多いです。それ以上にひどいのは、「ここは説明しなければならない」と気づきながら説明が出来ないために素通りしている所のあることです。

 そして、決定的に困ることは、注解全体を通して「言葉を科学するとはどういうことか」を教える姿勢が感じられないことです。例えば、ドイツ語の話法の助動詞の説明では、形と一般的な用法とその箇所の意味の3つを書かなければならないのに、その内のどれかを恣意的に書いているのが普通です。

 私の調べたのは学界で「大家」として名を馳せている方々のものですが、それがこの通りなのです。これが「自分で勉強された方」の学問です。

 ではどうしてこのようなお粗末なことになっているのでしょうか。私は、それは、「自分で勉強した」ために、先人の成果を十分に受け継がなかったからであり、そのために学問が蓄積されていかず、発展していないからだと思います。

 高校も大学も「自分で勉強する所」ではありません。先生の指導を受けて勉強する所です。それによって過去の成果を速やかに吸収して、学問を更に発展させる所です。

(初出「教育の広場」2000年12月06日。再掲「第2マキペディア」に2011年09月27日)

     関連項目

教師と生徒の役割

コロナウイルスと戦う方法(第3版)

2020年04月22日 | abc ...
      コロナウイルスと戦う方法(第3版)

 その後の世間の動き並びに私の気付きを加えて表題のテーマを整理します。皆さんのご意見を歓迎します。

A・君子危うきに近寄らず──「逃げるが勝ち」といいますか、消極的な態度
 Aの1──手洗い
 Aの2──マスク
 Aの3──外出をしない。3密を避ける

B・攻撃は最大の防御である──主体の生命力(抵抗力、免疫力)を高める積極的 
 態度

 Bの1──免疫力を高める食事を取る。ananとかいう雑誌でも特集してますし、こういうレシピをまとめたシェフ達もいるようです。

 Bの2──『歩くだけでウイルス感染に勝てる』という本も山と渓谷社から出たようです。特に冬に低山に登るのは体にも心にも好いものです。私も昔、東京にいた頃、三人の子供達と妻と五人で多摩の千メートル級の山に登ったものです。

 Bの3──温冷浴。これには普通の温冷浴(40度前後の温浴と18度前後の冷浴を交互に1分間ずつ)とサウナ温冷浴とがあります。

 Bの4──座禅、断食
 今回気付いた事の一つはこの断食です。私は断食道場に行ったことはありませんが、自分で三日間の断食をしたことはあります。胃潰瘍のためですが、後で西式の先生に聞いた所では「胃潰瘍に断食は適当でない」とのことでした。実際、効果はありませんでした。しかし、免疫力は高めるだろうと推測します。
 しかし、ここに挙げた断食と座禅は、時間が掛かりすぎます。

 Bの5──最後に乾布摩擦です。これの好い所は、何と言っても、コストパフォーマンスが最高に好いことです。用意する物はタオル1夲です。所要時間は1分間で、1日に何度でもできます。それに、ワクチンのように、それでかえって病気になるという危険がゼロです。ワクチンで病気になったら、治りません。乾布摩擦は「百益あって、害は一つもありません」。

 さて、世間の動きを見ていますと、Aの1と2から出発して、一部の人はBの2にまで来たようです。が、「専門家の先生方」と「行政」の皆さんは相も変わらずAの段階をウロウロしているようです。その熱意には頭が下がりますが、知識には問題があるのではないでしょうか。

 最後に、乾布摩擦には「科学的証明がない」という珍説に反論しておきます。「科学的証明」って何でしょうか。私の考えでは、「科学も真理も生活の中にある」のだと思います。参考までに私の論文の題名をいくつか紹介しておきます。「ヘーゲル哲学と生活の知恵」「昭和元禄と哲学」「恋人の会話』」「ダンス哲学」などなどです。
 偉い学者先生は生活以外の所に真理を求めるから、いつまでたっても哲学が分からないのだと思います。

付記
 余計なお節介ですが、「乾布摩擦で子供の病気の八割は予防できる」という事をお伝えしたいと思います。これは我が家での三人の子供での成功と失敗の経験にも基づいています。子供の病気は親にとって本当に辛い事ですが、朝子供が起きて、パジャマからシャツに着替えをさせる時、一時裸になります。その時に胸を十回、背中も十回、ゴシゴシとやればよいのです。1分もかかりません。これで子供の病気の八割はなくせると思います。






詳細索引・und

2019年08月16日 | abc ...
       詳細索引・und

125──~の次の定形倒置
213──~の次の主語の省略
214──文の後にコンマを打ち、und das(しかも)と重要な説明を付け足す言い方。
375──列挙での ~(まくしたてる~)、cf. 1490
389──Wagen und Wagen(車と言っても様々)

522──複数の冠置形容詞の列挙で最後の前だけにund
523──名詞を結ぶundと形容詞を結ぶund
530──2つの形容詞をundで繋ぐ場合
554──3桁の数字の中に入るund
896──undで2つの命令文をつなぐ

1148──対等接続詞und(総論)
1214──否定詞の重複とund
1258──反問のund
1282──感嘆文に先置されるUnd
1309──und wennの後置と認容文
1313──「等々」を表現するund、cf.1490
1390──und nichtを使った強調構文
1490──①対等な語句の並列とund、②分解的列挙とund


築地市場(いちば)を探して

2018年12月16日 | abc ...
    築地市場(いちば)を探して

                     P.N. AZUMA

 11月下旬、私は築地に向かった。築地を訪れたことのなかった私は、この日本有数の観光地へ行くのを楽しみにしていた。ただ、今回の一番の目的は「市場」の読みについての調査である。

 ご存知のように、先生は精力的に「ことば」に関する問題を提起されており、最近では、「国語辞典はこれでいいのか(改訂版)」(マキペディア2018年9月26日)としてまとまった論文を発表された。その中の「E・発音(漢字の読み方、アクセント)」の項において、「市場」の読み方が論じられている。「市場」を「いちば」と読むか「しじょう」と読むか、ということだ。今回は、この問題提起を裏付ける事実を集めてきたのでまとめていきたい。

 東京メトロ築地駅の改札を抜け築地本願寺を左手にしてその通りを進み、しばらく行くと、大きな交差点を挟んだところに、築地場外市場が見えてくる。残念ながら、私が築地を訪れた少し前の10月6日に「築地市場」は閉場してしまったが、それでも「場外」は観光客も多く活気に溢れていた。

 目的地に着いた私はまず、「場外市場」の「市場」は実際にどう呼ばれているのかの聞き込みを行った。先生は論文の中でその読み方について「現物を売買する所は『いちば』、現物ではない観念的なものを扱う所を『しじょう』と呼ぶのが適切な呼び方ではないか」と書かれている。つまり、完全に「現物」を扱っている「場外」は「場外いちば」と呼ぶべきである、と。しかし、幾人かの店員さんや買い物客の方々に対して「『場外市場』を何と読みますか?」と聞いたが、皆さん「なぜそんなことを聞くの?」というような戸惑いの表情を浮かべながら『じょうがいしじょう』と答えられた。結果は、予想に反して、いや、半ば予想どおり(?)、「場外市場」は今では「じょうがいしじょう」と広く呼ばれていることを知った。

 その事実を確認した私はつづいて、いつ頃から、なぜ、「場外しじょう」の読みが一般化したのかを聞きに、築地場外市場商店街振興組合の方にお伺いした。そこの組合長のお話によれば、「40〜50年ほど前ぐらいから段々と『しじょう』読みされるようになった、なぜそう呼ばれるようになったのかはハッキリと分からない。」とのことだった。その後入ったお寿司屋さんの大将にも同じことを聞いたが大体同じ答えが返ってきた。つまり、少なくとも40年ほど前、1980年代頃までは「いちば」と呼ばれていたということになる。では、なぜ「いちば」から「しじょう」へと読み方が変わったのか。ここからは推測だが、私はテレビなど、各種メディアの普及がその一因になっているのではないかと考えた。内閣府が公表している「消費動向調査」によれば、カラーテレビの普及率は1970年初頭から急激に上昇し、1984年頃から現在に至るまでほぼ100パーセントで推移している。このことが、先生の指摘である「株や債券の売買の一般化」につながり、一気に読み方の変化を生んだのではないか。今日では毎日のようにテレビの報道番組などで「株価の値動き」が報じられ、今では学生までもが投資を行っている時代である。昔は一部の専門家だけに使われていた「しじょう」という読みも日常用語として完全に定着したといえる。こうしたことを考えると、「場外しじょう」と呼ばれるのも仕方がない、という気がしてくる。

 しかし、「仕方がない」といって見過ごしていいのだろうか。確かに、言語は時代とともに移り変わっていくものであるし、「言葉とはそういうものだ」という見方もある。先生も、こういった事を踏まえて、「こういう言葉の問題では『何が正しく、何が間違い』と決めつける態度は、原則として、避けるべき」と言われている。だが見方を変えれば、この「市場」の例一つとっても、読みの多様さ即ち表現の多様性がなくなるとともにその言語の豊かさが失われていってしまっている事もまた事実ではないだろうか。それゆえに、ここでも改めて、問題意識をもつことの大切さに気付かされる。一方で、先の組合長は「『市場』は本来『いちば』と読むべき」ということを半自覚的に感じられていたのに対して、他方では、東京都の市場を担当する都の職員のお話からはそういう問題があることを自覚しているとは全く思えなかった。この対照から分かるように、「言葉の移り変わり」はそれを自覚しているかいないかで大きな差があるように思う。自覚していれば、それが意識的にであれ無意識的にであれ、「言語の豊かさ」も保たれるのではないか。そして、だからこそ、言語に深く携わる者は、こういう問題の自覚を促すような活動に注力すべきなのであろう。先生は以下のようにも仰っていた。「私の『国語辞典はこれでいいのか』で取り上げた例は、辞書編集者がこれらの事実に気付いておらず、説明をしていないことの重大性に警鐘を鳴らしたのです」、と。

 最後に、まだ「市場」を「いちば」と読む団体ないし地名がないかの調査を行った。
 残念ながら、私が調べた範囲では、その名を残す団体を見つけることができなかった。が、ただ一つ、「いちば」読みの名残をとどめる地名を発見した。場外市場からすぐの交差点にある道路案内標識には、「市場橋」と書いてある下にローマ字で「Ichibabashi」と表記されている(添付画像参照)。ここは今でも「市場(いちば)橋」と呼ばれているそうである。ささやかな達成感に包まれながら、「その昔はこの道路の下を川が流れていたのだろうか」と想像し、築地市場(いちば)の歴史に思いを寄せ、帰路に着いた。




[付録]
 私は「鶏鳴・ヘーゲル原書講読会」の予科生です。まだドイツ語能力、哲学的思考能力ともに未熟であり、日々それらの鍛錬を積みながら、先生の下でご教示頂いています。実は、今回の「築地に行って論文の問題提起を裏付ける事実を集めてくる」というのも予科における課題の一つであったのです。そして、こうしてその体験を文章にすることもまた、その一つです。このように、予科では1〜2週間に一度先生からメールで課題をもらい、それに答えていくという形で進んでいくのですが、その課題というのも、多くが今回のように、現実的な問題で構成されています。それに対処していきながら、問題意識の立て方、勉強や研究の仕方など、哲学を志す者の基礎となる事柄を一から教わっていきます。毎回丁寧に指摘していただけて、日々の勉強の大きな励みになっています。もっとも、個人の能力や状況に応じて修行内容は変わると思いますが、入門を検討されている方の参考になれば幸いです。

関連項目

国語辞典はこれでいいのか(改訂版)
市場(いちば)

カント主義の限界

2018年11月24日 | abc ...
     カント主義の限界
                   P.N. AZUMA

カント主義。この語を『哲学小辞典』(古在由重・粟田賢三編 岩波書店)で引くと次のように書かれている。「カントおよびその信奉者たちの哲学的立場。その主要な特色は独断的形而上学の否定、思考の自発性の強調、直観形式(時間・空間)およびカテゴリーの先天性と主観性の主張、不可知な物自体の容認などにある」、と。しかし、私がここで指す「カント主義」はこの意味では決してない。いわゆるそういった意味でのカント主義や新カント派の限界を指摘しようなどという大それたことをする資格は今の私にはない。そうではなく、ここでの「カント主義」とは、ヘーゲルがいうところの「カント主義」である。

 ヘーゲルはカントの認識論を分析し、カントのそれは「認識する前に認識能力を吟味しようとするもの」であるとしたのであった。そして、そのような認識論は「水に入る前に泳ぎ方を習おうとする」カント主義だとして批判した。以上のことは、先生の小論文「教条主義と独断論」(『マキペディア』2011年11月20日)に詳しい。『ヘーゲル哲学事典』を既に読んでいた私はこのことを知ってはいた。しかし、それを十分に認識するところまでは至っていなかったのであった。そのことを痛切に思い知った体験を振り返るとともに、自己反省とさせて頂きたい。

 私はこの夏、長期休暇を利用してドイツへ行くことができた。ボン大学で行われたサマーコース(名称:Internationaler Sommerkurs für deutsche Sprache und Landeskunde 2018 Universität Bonn)に参加するためである。それまでに紆余曲折もあったが、昨年の末頃に先生のブログ『マキペディア』に出会い、「哲学に一生を捧げよう」と決心して以来少しずつドイツ語に触れはじめ、早い段階で夏季語学留学への参加の決意を固めていた。そして、それが開催されるまでのおよそ半年の間で、『関口・初等ドイツ語講座』などを利用して一通りの文法事項と基本語彙を頭に叩き込み、多少の自信を胸にドイツへと向かったのであった。

 しかし、そのような浅はかな自信が打ち砕かれるまで時間はかからなかった。今回のサマーコースは語学力の段階に応じて、たしか7クラスに編成され、私はちょうど真ん中のクラスであったのだが、彼らとのオリエンテーションの際、簡単な会話ならまだしも、会話のテンポが上がったり少し複雑な質問をされると、聴き取れなかったり上手く言いたいことを伝えられない、ということが往々にして起きたのだ。これにはかなり応えてしまった。当初は曲がりなりにも自信を持っていただけに自己嫌悪に陥った。しかし、落ち込んでいても仕方がない、気持ちを切り替えて週5日、9時〜12時半の授業で最大限に学ぶことを考えた。

 クラスは十数人で構成され、海外の学校らしく生徒が四角に座って先生を囲む形で行われた。内容としては、文法と読解・作文の二つを軸に進められ、最初に先生が文法事項の説明を行い、それに関連した文章を読んだり書いたりするのである。そして毎日、前日のフィードバックの形をとった小テストがあった。時には、先生が与えてくれる題に対して、生徒が各々の出身国の事情を絡めて議論をしたりする機会もあった。例えば、文化やスポーツなどについてである。非常に密度が濃い時間に感じた。最初の方は、上手くいかず英語に逃げたりと、もどかしい思いをしたが、段々と、少しずつではあるが意思疎通ができるようになってきたのだ。思うに、ここに語学学習における重要な点があった。それは、理論(文法)と実践(読解・作文)を並行して行うということである。私はこのことを軽んじていた。この講習より以前に先生から、「君のドイツ語の勉強は理論に偏りすぎている」と忠告を受けていたにもかかわらず。

 どうして、そうなったのかを反省してみると、まず第一に、自分の語学学習経験によるものであると思われる。幸運なことに幼い頃より英語に接する環境に育ち、中学校のある一時期に英文法を集中的に勉強してからはずっと英語に対して得意意識を持ってきた。それゆえに文法さえ習得してしまえば言語を操れると考えていたのだ。これが拙かった。そして第二に、日本における、特に第二外国語の初等教育を挙げたい。周囲の数人に聞いてみても、「第二外国語は基本的に文法に終始していて、途中で簡単な会話練習を挟む程度」という答えが返ってきた。私が受けているのも同様であり、その先生は一冊の文法書(教科書)を終わらすことを第一に考えている。読本も作文もないのである。そして、無意識に私はこれでよいと思っていたのだと思う。しかし、結果は上述の通りである。

 このサマーコース中、ドイツ語をすでに10年ほどやっているというフランス人の女子学生に出会った。彼女はソルボンヌで哲学を学んでいるとのことで、絶好の機会と思い、哲学の話を試みた。快く対応してくれたものの、自分からは表面的形式的なことしか述べられず、自分の問題意識や内容まで踏み込んだ話をすることは出来なかった。これは特に歯がゆい思いをした記憶である。

 かくして私は「実践(読み書き)をする前に理論(文法)を習う」カント主義の限界を痛感した。水泳を習う際、まずプールに入り泳ぎながら泳ぎ方を習得していくのは当然のことであるのにどうしてこのことに気づかなかったのだろうか。そして思うに、このことは水泳や語学に限らずあらゆることで当てはまると思う。先生が「理論とは実践の反省形態である」と述べられているのは、こういうことだったのではないかと思った。以来、私は文法の勉強と並行しつつ読本や音読に力を入れるように心がけている。来年の夏、再び語学講習に参加して、その成果を発揮したいと思う。

 最後に、私が何の為にドイツ語を学ぶのか、どうして鶏鳴ヘーゲル原書講読会への参加を希望したかについて簡単に発表しておきたい。

 私の根本的な問題意識は世の中の現状への懐疑から生じている。この思いは高校時代から強くなり、「世の中をより良くする為には、より公正にするにはどうすればよいのだろうか」という問題意識に結実した。そして、マルクスから入り諸種の著作を読み漁った結果、先生の本ブログを通して、ヘーゲル哲学にたどり着いた。これしかない。そう思った。人類史上屈指の頭脳であったマルクスがその重要性を説いているのにもかかわらずヘーゲルの論理学の研究がされていない、あるいは無視されているなと感じていたところに、その最高峰の山塊に対して先生が孤軍奮闘されている「登山記録」を読んで感銘を受けたのだ。先生はヘーゲル生誕200周年の際にこう述べられている。「なにをいっているのかわからない『論文』や、そこがききたいと思うところを引用でとおりすぎる『研究』が大きな顔のできる時代は去った。わからないところはわからないといおう。そのかわり、自分の論文もわかるようにかこう。ヘーゲルの論理的表現を私はこう解釈するという意見をドシドシ出しあおう。賛成、反対はともかく、人にわからせられないのは、いう人自身にわかっていないのである。」(「現代に生きるヘーゲル」)

 しかし残念ながら、先日ヘーゲル没後187年が経ち、先生の呼びかけからおよそ半世紀を迎えようとしている今なお、こういう哲学の発展にとって重要なことが十分に行われているとは言えないのではないかと思う。この活動を受け継ぎ、発展させることは我々後輩の責務ではないか。ゆえに、それを果たすために私はさしあたって次の大目標を掲げたい。日本が世界に誇るべき学問的成果、関口存男氏の冠詞論と牧野先生によるヘーゲル論理学の唯物論的改作の両者を独訳して、ヘーゲル生誕の地であるドイツで再び「ヘーゲル哲学の現実的意味をよみとって自己のものとし、さらに発展させ」うる活動を興すべく尽力し、哲学の発展に貢献することである。日本の学会では完全に黙殺される結末が想像に難くないので、敢えて厳しい道を選択するべきだと思っている。それには、ドイツ人なみの言語運用能力が要求されることはいうまでもないことであるし、哲学的論理的思考能力も求められよう。そして、この2つを得る為に私はドイツ語を学んでおり、鶏鳴ヘーゲル原書講読会の門を敲いた。もし、似たような志をもち、同じような問題意識を共有してくれる方がいるならば、先生のもとで一緒に勉強していくことを検討して頂きたい。私は、上のように大層なことを宣言したが、決して才能に恵まれているわけでもなくそれらを一人では絶対に成し得ないことも自覚している。だからこそ、真の仲間が、学友が欲しいと心の底から思っている。心より、あなたの参加を期待する。

  トリビア

 ① サマーコースの情報入手について
  春先に、青山にある「ドイツ学術交流会(通称:DAAD)」のスタッフの方に相談をしたところ、こういうものがあるよ、といって留学生向けの小冊子を何冊かくれて、その内の1つが夏季冬季短期留学についてのもので、それによりサマーコースというのがある、というのを知りました。 そして、様々な大学がそれぞれレベルや規模、予算などを設定して、サマーコースの告知を記していました。僕は、いくつかある内で、初学者にも参加資格があるものに目星をつけて、その中で惹かれる土地ないし大学を選ぼうと思い、ボン大学を選択しました。(もちろん、マルクスが学生時代をそこで過ごしたことを知っていて、興味を持っていた為でもあります。) こうして、参加希望地を決め、あとは個人的に申し込みを行いました。ボン大学の担当の方にメールでその旨を伝えると、丁寧に対応してくれました。以上が申し込みまでの流れです。そこから何通かメールでやり取りをして、参加が決定しました。

 ② 日程──2018年のボン大学サマーコースは、8/7〜8/31で行われました。

 ③ 宿舎は基本的にみんな寮です。ボンには、学生寮がいくつか点在していて。僕が過ごした寮は市バスで20分ほどの場所にあり、共同部屋で、ルームメイトが3人(中国人、インド人、ドイツ人がそれぞれ1人ずつ)いました。週に1,2回、ルームメイトと安くて美味しいビールを飲みながら食事を共にしました。
 食事ですが、基本的には自分で買うか作るかです。大学からの用意は一切ありませんでした。 しかし、Mensaは使えました。学生はデポジットを払って「メンザカード」というものをもらうことができ、それにお金をチャージして、それでもって会計を行います。平日のランチはクラスメイトと一緒にメンザで食事をするのが恒例でした。3ユーロ(約390円)ほどでお腹を満たせたので、学生に優しいです。ちなみに、外のレストランは高いので頻繁には行けません。

 ④ 学費は、授業料と観光代で630ユーロ(約8万円)、寮費で300ユーロ(約3万9000円)の計930ユーロ(約11万9000円)でした。それ以外の食費や交通費は別途必要になります。

 ⑤ 土日は基本的に何もありません。みんな各々プールに行ったりサッカーをしたりライン川沿いで散歩したり図書館で勉強したりと、様々です。日曜日に街を歩いても全然人がいないのには、驚きました。 旅行はありました。観光目的のもので、みんなで揃って行った所としてはケルン、エッセン、アーヘン の3箇所です。その他にも課外授業のような位置付けで、いくつかの行政機関や研究所、博物館に行くことが出来ました。複数個の中から興味のあるものを選択して参加できる形で、僕が選んだのは「連邦政治教育センター(bundeszentrale für politische bildung;bpb)」、「Bonn Center of Neuroscience;BCN)」、「Deutsche Museum Bonn(ドイツ博物館のボン支部のようなもの」の3つです。
 旅行も課外授業も平日のドイツ語の授業が終わったあとの午後に行われました。行事は週に2回ほどです。他にも市長訪問などがありました。 この行事があると、その後に寮に帰って復習と宿題をしなければならなかったので少し大変だったことも今ではいい思い出です。もっとも向こうの夏は夜9時ごろまで日が落ちないので1日が長く感じました。
 
関連項目

ヘーゲル原書講読会、開講