マキペディア(発行人・牧野紀之)

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高齢者と恋愛

2011年01月08日 | カ行
           小林照幸さん(ノンフィクション作家)

 恋は周囲をバラ色に変える。恋愛中は誰でも生きる意欲と希望がわいてくる。しかも脳で恋愛をする人間は、発情期の決まっている多くの動物と異なり、どこにでも「運命の出会い」のチャンスがある。それまでどんなにつらい人生であっても、次の瞬間にはかけがえのない人と出会い、まばゆく輝き出すかもしれないのだ。

 とはいえ「70、80歳になれば若いころのように燃え上がるような恋愛はしないし、できなくなる」と多くの人は思っているだろう。高齢の域に達していない人は特にそんなふうに想像しがちである。いわゆる「枯れる」という状態になる、と。

 私自身、高齢者の恋愛の実態を知るまではそう信じていた。

 今から12年ほど前のことだ。社会福祉を学ぶために信州大学に社会人編入した私は、介護保険の実施を前にした老人ホームに学生ボランティアとして1週間通った。新制度への対応に大わらわだろうと予想していたが、職員が抱えている最大の課題は、入所者同士のトラブル、中でも恋愛ざたにどう収拾をつけるか、だった。

 好きになった男性に告白できずにいた女性が、他の女性に彼をとられた例があった。彼女の落ち込みは尋常ではなく、うつ状態に陥り、職員も安易な慰めの言葉をかけられなかった。一方で、彼のハートを射止めた女性は、この上ない幸福感を得るに至る。表情は生
き生きとし、日常のすべての行動に積極性を見せるようになった。

 しかも、これは単なる話し相手、茶飲み友だちというレベルではなく、若い人同様の性的な接触を伴う関係を前提にしている。

 想定していた老後と異なる姿に衝撃を受けた私は取材を進め、高齢者の恋愛と性をテーマに3冊の本を書いた。またその過程で読者からのお便りやメールもいただき、高齢者の恋愛の実態をかなりの深部まで知ることができた。そして高齢者の恋象は、若い世代同様、いや、死を意識せざるを得ない分だけ若い人以上に、純粋で情熱的な部分があると確信するに至った。有史以来初めての超高齢社会を迎えつつあるニッポン。そのただ中で起こりつつある「性と恋愛観」の革命的変化は、どんな高齢者政策より根源的な福祉策になる可能性を秘めている。

 第一に、究極の健康増進策となる。高齢者の恋愛はまず、生きてこそ、である。若葉の芽吹くのを見、花が咲き、葉が色づくのを見るたびに、「来年の今頃は、もう……。この世で見る最後かもしれない」と思う。恋愛も命がけだ。恋人ができると、例外なく元気になるだけでなく、メタボ検診など不要なくらい、進んで節制し健康に気をつかうようになる。

 と同時に、生活の文化度が上がり、社会性が身につく。おしゃれや身だしなみに目覚め、明るくなる。部屋を整理整頓し、世間の話題に関心を向けるようにもなる。昔の肩書は役に立たない。尊大で意固地な態度では会話が弾まないから、コミュニケーションにも配慮が必要となる。連絡のために携帯電話やパソコンを使う人が増え、新しい機器を使いこなそうとする意欲も出てくる。

 ある高齢男性は、恋愛してから新聞の読者投稿欄にせっせと投書するようになった。好きな女性に自分をアピールし、元気であることを知らせるために。つまり、憲法25条に言う、すべての日本国民が権利を有するはずの「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ために恋愛は大いに寄与するのだ。

 さらに、沈滞気味の日本経済にも活を入れる効果が期待できる。

 昨今の不況の原因の一つは、増え続ける高齢者が消費活動を控え、お金が回っていかないことにある。交際を始めると、新しい服や化粧品、装身具を買う。外出の機会も増える。食事や観劇、展覧会、旅行。限られな時を2人で過ごすためにお金を使おうとする高齢者が多い。親密な交際は、一人暮らしの高齢者が「孤独死」を防ぐセーフティーネットにもなる。

 確かに、恋愛が目の前の現実問題となった場合には、ずっしりと自己責任の重みがかかってくるだろう。自力で行動できる心身の状態を保たないといけないし、ある程度の収入が確保されていなければ関係の継続は難しい。何より、相手が先に逝った時の衝撃と苦痛は、若い時とは比べものにならず大きい。ぼんやりとテレビでも見ながら暮らしていれば、感じずにすんだ苦痛だ。そこには、肉親や周囲との関係、生きることの価値、倫理や愛の意味をどうとらえるかという、哲学的な課題さえのしかかってくる。

 しかし、これ以上に効果的なアンチエージング、癒やし、クオリティー・オブ・ライフ維持の方策はないのもまた現実だ。残念ながら人間は風船バレーや塗り絵だけでは充実感を得られない存在だ。触れ合う事のぬくもり、全人格をかけた承認が必要なのだ。

 高齢者の恋愛の実態を知るにつれ、私は、老いることへの恐れがなくなった。寂しい灰色の世界、と思っていた道には、最後の一歩まで希望の灯がともっている。

     (朝日、2011年01月04日。聞き手・鈴木繁)

   感想

 大賛成です。高齢者の恋愛を支援するために行政はどうしたら好いかを提案していないのは残念ですが。

 更に一歩を進めたらどうでしょうか。渡辺淳一さんの小説「エ・アロール」は銀座の有料老人ホームが舞台でした。その第1話は、風呂でデリヘル嬢と遊んでいる最中に心臓発作か何かで死んだ人の話でした。

 この小説は経済的にも能力的にも自分で異性と遊べる人たちの話でしたが、その点で力の無い高齢者を応援するのも行政の仕事にしていったらどうでしょうか。

 例えば、デイサービスに通っている人に、男性なら年に1回、ソープ嬢遊びやデリヘル嬢遊びが出来るようにお膳立てをし、女性にはホストと遊べるように取り計らうのです。

 障害者でも、家族に理解と財力のある場合は、その種の喜びを経験させるようにしている場合もある、というルポもあります。本人や家族の力では出来ない高齢者を応援するのは行政の仕事だと思います。

    関連項目

高齢者白書2010