マキペディア(発行人・牧野紀之)

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始原、端緒、der Anfang

2011年01月15日 | サ行
  参考

 01-1、或る物が最初に登場する姿はそれの直接性である。あるいはそれの概念である。(精神現象学16頁)

 01-2、その始原と原理において、即ちその概念において(大論理学第1巻 258-9頁)

 感想・人が自分について反省する時、あるいは他者に対して反省を勧める時、好く「初心に帰れ」という言葉を使います。その理由はここにあるのです。人々は無意識の内に、「最初の姿の中に、純粋で未熟な形でではありますが、本当の在り方が示されている」ということを知っているのです。ヘーゲルの哲学は人々が無意識的に知り実行している真理を意識的に取り出し、体系化したものにすぎません。

 02、哲学上の原則とか原理とかは、たとえそれが真なるものであっても、それが原則や原理に過ぎない〔展開されていない〕間は偽である。(精神現象学23頁)

 感想・個々の知識は1つの断定にすぎません。又、根拠を付けた主張でも同じです。学問は体系化されなければなりません。

 03、始原からの固有の肯定的な展開とは、同時に始原に対して否定的に振舞うことでもある。なぜなら、始原はその物の一面的な形で直接的〔無媒介〕なものにすぎず、目的にすぎないからである。(精神現象学23-4頁)

 感想・目的(始原)から完成態への過程は、始原(単純な姿)に多くの新しい規定を加えて行きますから総合的なものですが、それは同時に始原の中に潜在していた規定を外に出して行くことでもありますから分析的でもあるのです。

 04、初めと終わりとは、北極と南極のように、関連している。又、もし終わりを取り除くならば、初めが終わりに、しかもその系列の持つ唯一の終わりになるのであり、逆の場合もまた同じである。(マルエン全集20巻47頁)

 05、感性的直観にとっての直接的なものは多様なものであり、個別的なものである。認識は概念的に把握する思考であるから、その始原も又、ただ思考の地盤の上にしかない。従ってそれは単純なものであり、普遍的なものである。(出典記載忘れ)

 感想・詳しくは拙稿「昭和元禄と哲学」に書きました。

 06、「終結」という現象に至っては、むしろこれが劇の出立点であり、本質であると言ってもよいほどの劇中の劇であり、劇はすべて「大詰め」であり、「大詰め」はすべて劇であるというも過言ではない。戯曲とは何ぞや。戯曲とは大詰めの前に、大詰めを理解するために必要な最小限度(短いほどよい)の蛇足をくっつけたものの事である。大詰めは劇の終わりではなく、出立点なのである。(関口、不定冠詞49頁)

 感想・ヘーゲルの考えと同じですね。関口さん自身はそうとは知らなかったようですが。

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