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要法寺を参拝しました。

2010-12-02 | HN:参拝者  さんの記事

高知市筆山町にある要法寺を参拝しました。


この日蓮宗要法寺は、山内家の菩提寺・・・


境内には一豊の弟山内康豊及び康豊の娘の墓があるそうですが、今回は目にすることが出来ませんでした。


入り口にはミカドアゲハの食樹(幼虫の餌になる木)、大きなオガタマノキがあり、生息地として国の特別天然記念物に指定されていることでも有名です。


 


みずき  玉の輿 


このお寺は 高知市の筆山の麓にある山内家の菩提寺の日蓮宗要法寺です。


この要法寺 ミカドアゲハという蝶の生息地としても知られているんです。
高知市内の3ヶ所(潮江天満宮境内・要法寺境内・潮江中学校校庭)の本種生息地が高知市のミカドアゲハおよびその生息地として国の特別天然記念物に指定されているため、高知市内では原則本種の採集はできない。なお、昆虫の天然記念物で特別指定を受けているのは、ここと滋賀県山東町の長岡のゲンジボタルおよびその発生地の2ヶ所だけで、チョウ目としては唯一となる


 


山内家と要法寺-高知市広報「あかるいまち」2005年7月号より-


山内一豊は、天正十三年(一五八五年)近江長浜城主となり、天正十八年(一五九〇年)遠州掛川城主となる。一豊が長浜城主となったときに菩提寺となった日蓮宗要法寺は、これに従い掛川へ移転。慶長六年(一六〇一年)一豊土佐入国の際には浦戸に移り、そして高知城下町の建設に伴い武家の住む郭中に隣接した場所へ再び移転、寺領は、百三十石であった。寺の西側の堀に沿って町屋敷が設けられ、要法寺町(現在の堺町)ができている。藩政時代には、真如寺が藩主の菩提所となるが、一豊の弟・康豊は要法寺をあつく信仰していた。


貞享四年(一六八七年)の火災で寺が焼失したので、筆山のふもとの潮江村に代替地が与えられた。作事奉行に加藤六兵衛を任命して、元禄元年(一六八八年)に立柱式が挙行された。寺の黒門は、承応元年(一六五二年)に藩臣の石川氏が慈仙院(一豊の妹)の七回忌供養のために修復造営したものが、火災の折にも焼失せずに残り、再建時に移され現存している。・・・



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山内家の菩提寺・・・要法寺


高知県高知市筆山町8?5
088-831-6247?

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