尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大震災、非命の死者と向き合う-池澤夏樹を読む⑤

2017年02月11日 21時05分48秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹についてずっと書いてきたが、最後に東日本大震災に関する本を取り上げる。21世紀に入って、池澤夏樹は「9・11」を契機にして、国際問題、時事問題に関してもたくさんの発言を行うようになる。イラク戦争直前には、イラクを訪問して本も出した。その後、河出から一人で編集した世界文学全集を出す。世界の現代文学を俯瞰する中で、一巻に石牟礼道子を充てている。独自の文学観が見事に現れている。大震災以後に、日本文学全集も編んで、古事記の新訳を自ら務めた。震災をきっかけにして、日本人の精神史を新たにとらえなおしたいという気持ちからだろう。単なる小説家を超えて、文明を語る世界的大知識人の風格をも感じさせる存在になりつつある。

 ところで、「3・11」の時に、彼は四国にいたという。吉野川を源流から下っていく旅をしていた。揺れは感じなかったという。仙台に(一時は親代わりだった)叔父夫婦がいたので、緊急に仙台に行くルートを求め、一緒に北海道の自宅に戻っている。その後、三陸の被災地を何度も訪ね、その経過を「春を恨んだりはしない」(中公文庫)に残している。2011年9月11日に刊行された当時には買わなかった。そういう本が出たことは知っていたけど、まだ読む気になれなかったのかもしれない。(文庫本では、原著刊行後の「東北再訪」を収録している。)

 題名はポーランドのノーベル文学賞詩人(女性)のシンボルスカの詩から取られている。震災直後にこの詩を池澤夏樹が紹介した時に、あまりにも心に響く言葉がすでに異国で書かれていたことに驚いた。シンボルスカが夫を亡くした後の詩だというんだけど。

 「またやって来たからといって
  春を恨んだりはしない

  例年のように自分の義務を
  果たしているからといって 
  春を責めたりはしない
  
  わかっている 私がいくら悲しくても
  そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと」

 この詩はとても深いところで心を揺さぶる。どんなことがあっても、自然は自然の営みをやめない。それが「自然」なのだ。だから、「大津波が襲った」という表現もしないと池澤氏はいう。津波は襲ったりはしない。襲う意思などはなかったのである。ただ、やって来たのだ。この「自然の非人間性」こそが災害の持つ意味である。(もちろん、「人災」である原発事故は違う。ただ原発に関しては、事故のだいぶ前に書かれた「楽しい週末」(1993)という本で、すでに批判している。物理学専攻者として、原発の持つ危険性はそこで書いているので、この本ではほとんど書かれていない。津波によるかつてない大被害をつぶさに見て回ることに専念している。)

 その心の中にあるものは、「非命の死者にどう向き合うか」ということだと思う。「非命」とは思いがけぬ災難で死ぬことを言う。「3・11」では、かつての戦争のあとで、一度に一番たくさんの死者が生まれた。その日の朝には、今日で自分の生命が終わるなどと全く考えなかっただろう死者たちが。もちろん、事故や犯罪などは毎日起こっている。突然理不尽に生命を失う人はいつでもいる。それはそうなんだけど、あまりにも大きな災害、事故、犯罪などで多くの人の生命が失われると、その死者の数の多さに人々は絶句し、衝撃を受ける。その衝撃に向き合った旅の報告である。

 その後、小説でそのことを表現したのが「双頭の船」である。2013年に刊行され、現在は新潮文庫に収録されている。これは一種の「ジュニア小説」の趣もある本である。池澤氏にはいくつかのジュニア向きの小説があって、「南の島のティオ」「キップをなくして」などの楽しさは抜群だった。この「双頭の船」は最初は何だろうと思うけど、途中で震災ボランティアの話だと判ってくる。でも、リアリズムというより、一種のファンタジー一種の寓話のように進行する。そこでは死者も生者とともに生きている。東北地方では、震災以後に幽霊を見たといった「現代の民話」が多数生まれたというが、この本もその一種かもしれない。池澤夏樹による鎮魂の書だと言えるだろう。

 小説としては「星に降る雪/修道院」(2008、角川書店。文庫では「星に降る雪」)も今回読んだ。「星に降る雪」はスーパーカミオカンデを舞台にした透明感あふれる物語。「修道院」はエーゲ海のクレタ島を舞台にした恋愛奇譚。ノンフィクションとして重要な「パレオマニア」(集英社文庫)も読んだ。聞き慣れない書名だけど、これは造語で「誇大妄想」ならぬ「古代妄想狂」というほどの言葉だという。大英博物館で見た古代の遺品に誘われて、実際に現地を訪ね歩こうという壮大な企画である。イラク戦争直前のイラクはその時に訪れた。(他に観光客はいなかったという。)ギリシャ、エジプトなどから始まり、カナダ太平洋岸の先住民やオーストラリアの先住民文化も訪ねている。13か国も出てくる。池澤夏樹という人の行動力の半端なさを示す凄い本である。ちょっと読むのも大変だけど。
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