リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

資本主義先行経済の現象態(その1)

2023-11-18 16:12:57 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。全国的には天気が悪いそうで、福岡さえ雪。東京もここんとこは寒く、昨日はとうとう暖房を入れてしまいました。陽が入らないと、マンションでも寒い。
 これで終わりなら、今年は東京地方、秋が3日しかなく。と分かるのは、秋用の薄手のユニクロカーディガン、着たのが3日だから。突然夏から冬へ。もうジャンパー(薄手)だよ(いちおう、買い物には連日出る)。

 ところで七五三でふと思ったところ、千歳飴ってどこで売ってるんだろう? 昔は熊野神社で売ってたけれど、スーパーで見ないし、好きなんだけどな。
 そしたらスーパーその他では不二家のミルキー千歳飴を売ってるんだって。見ないのは手提げ袋を探すからで、個包装で売ってるもよう。しかし、個包装もねえ、、ミルキー味はいいとして。ネットで見たら、「お参りして貰う」なんてサイトもあるよ。なんだね、そりゃ。飴2本、1万円かね。
 まあ、高齢者は歯に悪いから子ども用ミルキーしか売らないのでしょう。歯が抜ける(「あの高い場所のブドウは酸っぱい」というやつ)。
  
 軽いニュース。
 ローソンやファミマでバーとして酒が飲める、という記事があったと思ったら、セブンイレブンはセルフ紅茶する、って。
 まずはコンビニのバーっていいなあ、と思うのですが。わざわざ地域のBARに行ってバーテンダーと話題探すのってめんどくさい、けど、家で一人で飲むんじゃ暗すぎ、なんてときは、スタバでコーヒー飲むように酒が飲める、、うん、とてもいい。最近は喫茶店でタバコも吸いづらいから、考え事するのにコーヒー飲むより長くいられるからいいんだよね。
 ところで、セルフ紅茶って売れるかしら? スーパーでも少ないのに。
 ローソンのセルフ珈琲は、喫茶店に行く暇(や金)がないとき、机に持ち運ぶのにちょうどいい。のと、紅茶もおなじかねえ、、紅茶って、それだけ飲んでもつまんなくない? ま、よけりゃいいんですが。
 
 さて、本日はなぜか感想が出るニュースがない。頭のメモリーに余裕がないのかな。
 なので本題に移ります。
 
 とっかかりは、エスワティニ王国国民による悪口。
 「なにそれ」? そう、わたしもアフリカの国々には自信があったのだけれど、初聞き。え~~、と思ったらスワジランドのことだって。ウィキペディアによると「2018年、国王ムスワティ3世が自身の誕生日と独立50周年を祝う式典で「国名をエスワティニにする」と宣言した。」そうな。当然悪政。インテリ国民はぶうぶういうというわけ。内戦のミャンマーみたいなもんでしょう。、

 というわけで、この悪政はどうにかならないか。
 答え。どこの国でも国家領域が統一化されるまでは悪政はなくならない。
 なぜか? 支配者の統治力とは、資本主義以前では武力であり、国家が統一化されるまでは武力が活性化し続けるから。平民のデモ力なんかでは対抗できない。
 
 じゃあ統一されていれば平民のデモ力でなんとかなるのか?
 といえば、それは各支配層別の支配がしっかりしていれば平民は奴隷化し、中間支配層の団結が崩れれば、平民の力が相対的に上がる。奴隷は平民になる。これがその原因を問わぬ現象態です。つまり、平民の反抗を抑えるには、直接の武力がいる。第1に、この直接の武力行使層。第2に直接の武力行使層では手に負えないときに応援する上位の武力行使層。こうした層別のまとまりが必要なのです。当然でしょう? 
 さらに、この武力層が常に殺人をしている専門組織の場合、圧制は支配者の思うがままになります。多少の反抗なら目をつぶってやろう、という態度は殺人行為を知らない人間の話です。

 ただ、これはただの現象で、規定因ではありません、が、現象からは規定因までさかのぼれるので、重要な指標なのです。
 
 さて、本題は、この資本主義的生産に先行する諸形態の規定因です。
 って、まずこの題はなんだ、と。
 これはもともとマルクスのただのメモにつけられて、その結果世界中で知られている名詞群です。そのメモには、資本主義以前の生産様式にはこんなもんがあった、と、アジア的とか古代的だとか封建的だとかっていうものだ、と書いてあったわけで。 
 マルクスのメモなど関係ないじゃないか、というわけですが、そこはそれマルキストの事大主義というもので、なにしろ自分が偉いと思うものにかかわるすべてに悪口は許さない。とくに自分には許さない、という、まあ、職業学者対応の事情です。
 それもメモだけで終わっていれば私のような部外者は「バ~~カ」と言っていれば済むのですが、マルクスも金に困ったのか公刊書物にさらにカッコつけて書いてしまった。それらは資本主義以前に継起して起こる先行様式だと。
 そんなことを書かれちゃあ許せない。
 どこにそんな根拠があるんだよお、あるというならいってみろ。
 残念なことに何も言わずに死んでしまいました。
 おかげで虎の威を借るキツネたちがああでもないこうでもない、って外面を舐めていく。何を言ってんだか。いくら外面を塗り替えても根拠のないものは根拠がない。
 とはいえ、それでは自分が正しいと言って老いる者や、それを聞く者は真実を悟ることがない。
 というわけで、わたしはマルクスのように見たこともない昔の神話は書けませんが、社会科学で可能な、資本主義の一歩手前。資本主義的生産に先行すべき「単独の」形態の規定性についてお話しておきます。

 今日は(その1)で、導入。
 マルキストは共同所有が私有に変わる、とか意味不明なことを主張します。
 所有の形態で資本主義への道が変わる? そんなバカな。ばかでも何百万人がそれを信じてきたわけですが。そのどこに資本主義への契機があるというのか。どこにもありません。
 そもそも所有は占有が破られる社会での支配権力による強制処置です。そんな行為の結果である事態に一般共同性が特定されるはずがない。人間はまず当初に占有する。この占有を破るものは権力であり、この権力に対抗するために使われるのが支配権力です。順番が違います。
 支配社会の歴史は、まず支配が発生してから始まる。それ以前の歴史の規定性が支配を生んだりなくしたりするのではありません。支配はいったん発生すれば、その消滅は、その社会の消滅か全人民の権力確保以前になくなることはありません。
 
 つまり歴史は、当然にも、より武力が強い集合性が決める。肉体の闘いにおいて武装が強ければ、彼らが勝つ。人民が曲がりなりにも支配階級と対抗できるようになったのは、徴兵制度ができてからです。つまり平民が武装してからです。過去、徴兵制度が支配を人民の手に取り戻す第1歩だったのです。
 それは、既に、その規定性を失ってはいるように見えますが、理由はシンプルです。資本主義的支配では、そのシステム上、武装は最低限で済む。
 ここでは、もちろん、武装兵団が徴兵せずにはおられなくなった歴史が必要でしょうが、それは現象態として、次回(その2)は、その底にある規定性に移ります。
 

 で、さっき見たら池田大作氏が亡くなったそうです。なんかいい人そうですが。聖教新聞のCMはだいたい好きだな。
 で、これが共産党にかぎらず、日蓮宗の人にとっても大っ嫌いなんだよね。他人事ながら面白いことで。おんなじ日蓮、どっちだっていいじゃん、と思うんだけどね。
 
 
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