こんにちは、東京地方、梅雨入り。雨は少なくともこのどんよりした空がその印。
ニュースでは鎌倉の紫陽花が見ごろと。明日の朝過ぎれば降らないようですので、明月院以外にどうぞ。明月院なら傘を持って朝のうちに。とにかく混むので。「混む」なんて、ようやく楽し気な季節がきましたね、ワクチン打った人はリベンジでどうぞ。
わたしはアジサイ群落は近場にいくつかあるので、出来のいいものが近くにないハナショウブ見物。はるばる千葉(茨城)の水郷へ。
それがまあ遠くて。電車も本数ないんだよ、単線だし。途中でいつの間にか次の電車に追い越されたり。免許のある人はいいねえ。京浜東北以西の方にはお勧めしません。食べるとこ(見つから)ないし。途中の千葉エキナカで弁当買って正解だった。
で、憂さ晴らし的一筆。
マンガの代わりに佐々木閑・大栗博司「真理の探究」というのを借りてみましたら気に入らない。
大栗氏という理論物理学者は、何も知らないということを知らない人物で、「ゼノンの矛盾は微積分ができて解消された」とかいうレベルだし(それは自分たちで「そう呼ぼう」と決めただけ。意味ない。本当の矛盾の理由はただの言葉の使い方)。それはかってにやっていればいいんだけど、佐々木氏というのは結局ただの無神論者なのに、にもかかわらず、臨済宗の大学の仏教学の教授で給料をもらっているって何? わたしは宗教を批判しはしますが、仏教者を自認する男が弱い人間を助けずしてどうする。不愉快だなあ。と、ネットで顔をみたら、なんだ中島義道じゃんか。いや、似た者同士。
さて、本題。
ここんとこ日本近代思想史を流しているところ、政治学・教育学・哲学、そんなものによいものはなし。ただ、近代史では松尾尊兊氏のがとてもよいです。わたしも人のけちをつけるだけではありません。
さて、そこで社会学系。ここには代表で浜口晴彦「日本の知識人と社会運動」をあげると、浜口先生、大正(以降)知識人を均一な社会の中の意識人と捉えてしまう。いや、社会学ってこういうもので、わたしも二十代の時はそうしたのでケチをつけるつもりはありませんが。
しかし、本来、イデオロギーと資本主義をセットでとらえるには、昭和前期以前は意味を失ってしまうのです。
なぜ?
その土台が資本主義社会一般ではないから。当然にイデオロギーの使用者、対象者、享受者その他が、層として違うのです。
何を言ってるのでしょうか?
下層人民が「自分の力」を認識しない限り、イデオロギーはその階層について意味をなさない、ということです。
あるいは、人民が自分の力を層として認識したときに、イデオロギーは分化上の変容をなす契機となる、それまではならない、ということです。
それが「序論」として載っていなければならない。
そもそもの話からはいります。
ある社会、とりわけ資本主義が蔓延する以前の社会には、支配階層に無視される人間層がいます。つまり、人間以下的存在です。
彼らはまずは人間にならなければならないのですが、それは自己のみの力でなれるわけではありません。彼らがその社会の「人間」になるためには、初めにその社会で支配階層に対抗できる力を持ち、そしてその自分の力を認識しなければならないからです。
図式化しますと
1 まず彼ら自身の一部がでイベント的行動を起こし
2 それに触発された一部以外の人々が、当該階層を「その社会の平均と同様です」との装いをこらし
3 その後、時間とともに、つまりその後生ずるあらゆる社会上の事実認知の中で、「平均として溶け込む」事実を提供し続ける必要があるのです。
その間、彼らの周囲で、その第1の過程を助けるのが「前衛」であり、
その第2の過程を、社会に取り込むために助けるのが周縁的支配者、現在の名では官僚であり、
その第3の過程を経たときに、それらは、もちろん自分でも他人でも動かしようもない、悪口にすれば閉塞的体制内要素となるわけです。
そこで現実に戻りましょう。
明治時代の知識人は、あるいは知識人相当者は、武士階級であった。これは松田道雄氏が正しく指摘しています。つまり、支配者の地位を乗っ取った中下層主階層と同一の者、同一の行為共同性を持つものです。このとき知識階層の意思は、支配階級と変わるものではなかった。
ではその内実は?
確かに武士階級は支配階層ではあったであろう。そして確かにインテリゲンチャになったであろうが、かれらは決して生産関係全体を把握しているわけではなかった。後進日本と、典型的な、つまり先陣を切った、資本主義国家との差異です。
この時期、国家の肉体力の総体は農民的生産共同体にあった。であればこの生産共同体を動かしうる階層、地主階層が、イデオロギーを嚮導するものなのです。ために武士のイデオロギーは武力国家創出以外は根拠もなしに辺りをさまよい、口先ばかりに、あるいは軍事的嗜好にとどまっていたのです。
さてしかし、支配階級と同じ志向を持つ知識人層ですが、唯一異なる点を持つ。かれらには権力がないということです。
彼らは彼ら自身の権力を探さなければならない。資本家であり、不満中小地主の不満分子です。
もちろんそれだけのことですが、体制的権力については、対抗権力と名指される(エリート)集団内部のイデオロギーのみが、対抗しうる。
それは対抗するに過ぎないが、その内在する自由によって、知識人と彼らに付随する不満分子の内部においては体制的権力が観念的に消滅せられ、それが噴出される。
かくて、明治知識人も資本主義の増大とともに「前衛」となったのです。
しかし、ここではまだ下層人民は力を得ていない。
一方、武士的知識人は時間の経過の中で、自らが下層ともなりうる市井人へと変化していく。
すなわち、武力階層の分化が生じたのです。
武力を持たない者が自分の力を(つまり大衆的肉体力の集約を)認識するためには、(その前提以外に)支配者でもなく「弱くもない」階層が必要です。民衆にとっての口先男、ジャーナリストの出現です。
と、ここまでは生産共同体内男性下層階級の問題です。しかしまだまだ「人間外の」階層がある。そしてそれらがそれ以降の歴史の中で次第に、同様の過程を経て、「人間」になってゆく。
社会学上の「階級」なり「階層」なりの認識は、「産業的発達がそれを作った」という認識であってはならない。階級は社会学上は作り作られるものです。それが具体的人間の社会学です。
そして、具体的個人に係る権力要素を語るためには、その権力要素の変節の姿、その全体的姿を語ってからでなければならないのです。
と、これだけ書くのにどれだけ誤入力があったことか。悲しい視力、、、
ニュースでは鎌倉の紫陽花が見ごろと。明日の朝過ぎれば降らないようですので、明月院以外にどうぞ。明月院なら傘を持って朝のうちに。とにかく混むので。「混む」なんて、ようやく楽し気な季節がきましたね、ワクチン打った人はリベンジでどうぞ。
わたしはアジサイ群落は近場にいくつかあるので、出来のいいものが近くにないハナショウブ見物。はるばる千葉(茨城)の水郷へ。
それがまあ遠くて。電車も本数ないんだよ、単線だし。途中でいつの間にか次の電車に追い越されたり。免許のある人はいいねえ。京浜東北以西の方にはお勧めしません。食べるとこ(見つから)ないし。途中の千葉エキナカで弁当買って正解だった。
で、憂さ晴らし的一筆。
マンガの代わりに佐々木閑・大栗博司「真理の探究」というのを借りてみましたら気に入らない。
大栗氏という理論物理学者は、何も知らないということを知らない人物で、「ゼノンの矛盾は微積分ができて解消された」とかいうレベルだし(それは自分たちで「そう呼ぼう」と決めただけ。意味ない。本当の矛盾の理由はただの言葉の使い方)。それはかってにやっていればいいんだけど、佐々木氏というのは結局ただの無神論者なのに、にもかかわらず、臨済宗の大学の仏教学の教授で給料をもらっているって何? わたしは宗教を批判しはしますが、仏教者を自認する男が弱い人間を助けずしてどうする。不愉快だなあ。と、ネットで顔をみたら、なんだ中島義道じゃんか。いや、似た者同士。
さて、本題。
ここんとこ日本近代思想史を流しているところ、政治学・教育学・哲学、そんなものによいものはなし。ただ、近代史では松尾尊兊氏のがとてもよいです。わたしも人のけちをつけるだけではありません。
さて、そこで社会学系。ここには代表で浜口晴彦「日本の知識人と社会運動」をあげると、浜口先生、大正(以降)知識人を均一な社会の中の意識人と捉えてしまう。いや、社会学ってこういうもので、わたしも二十代の時はそうしたのでケチをつけるつもりはありませんが。
しかし、本来、イデオロギーと資本主義をセットでとらえるには、昭和前期以前は意味を失ってしまうのです。
なぜ?
その土台が資本主義社会一般ではないから。当然にイデオロギーの使用者、対象者、享受者その他が、層として違うのです。
何を言ってるのでしょうか?
下層人民が「自分の力」を認識しない限り、イデオロギーはその階層について意味をなさない、ということです。
あるいは、人民が自分の力を層として認識したときに、イデオロギーは分化上の変容をなす契機となる、それまではならない、ということです。
それが「序論」として載っていなければならない。
そもそもの話からはいります。
ある社会、とりわけ資本主義が蔓延する以前の社会には、支配階層に無視される人間層がいます。つまり、人間以下的存在です。
彼らはまずは人間にならなければならないのですが、それは自己のみの力でなれるわけではありません。彼らがその社会の「人間」になるためには、初めにその社会で支配階層に対抗できる力を持ち、そしてその自分の力を認識しなければならないからです。
図式化しますと
1 まず彼ら自身の一部がでイベント的行動を起こし
2 それに触発された一部以外の人々が、当該階層を「その社会の平均と同様です」との装いをこらし
3 その後、時間とともに、つまりその後生ずるあらゆる社会上の事実認知の中で、「平均として溶け込む」事実を提供し続ける必要があるのです。
その間、彼らの周囲で、その第1の過程を助けるのが「前衛」であり、
その第2の過程を、社会に取り込むために助けるのが周縁的支配者、現在の名では官僚であり、
その第3の過程を経たときに、それらは、もちろん自分でも他人でも動かしようもない、悪口にすれば閉塞的体制内要素となるわけです。
そこで現実に戻りましょう。
明治時代の知識人は、あるいは知識人相当者は、武士階級であった。これは松田道雄氏が正しく指摘しています。つまり、支配者の地位を乗っ取った中下層主階層と同一の者、同一の行為共同性を持つものです。このとき知識階層の意思は、支配階級と変わるものではなかった。
ではその内実は?
確かに武士階級は支配階層ではあったであろう。そして確かにインテリゲンチャになったであろうが、かれらは決して生産関係全体を把握しているわけではなかった。後進日本と、典型的な、つまり先陣を切った、資本主義国家との差異です。
この時期、国家の肉体力の総体は農民的生産共同体にあった。であればこの生産共同体を動かしうる階層、地主階層が、イデオロギーを嚮導するものなのです。ために武士のイデオロギーは武力国家創出以外は根拠もなしに辺りをさまよい、口先ばかりに、あるいは軍事的嗜好にとどまっていたのです。
さてしかし、支配階級と同じ志向を持つ知識人層ですが、唯一異なる点を持つ。かれらには権力がないということです。
彼らは彼ら自身の権力を探さなければならない。資本家であり、不満中小地主の不満分子です。
もちろんそれだけのことですが、体制的権力については、対抗権力と名指される(エリート)集団内部のイデオロギーのみが、対抗しうる。
それは対抗するに過ぎないが、その内在する自由によって、知識人と彼らに付随する不満分子の内部においては体制的権力が観念的に消滅せられ、それが噴出される。
かくて、明治知識人も資本主義の増大とともに「前衛」となったのです。
しかし、ここではまだ下層人民は力を得ていない。
一方、武士的知識人は時間の経過の中で、自らが下層ともなりうる市井人へと変化していく。
すなわち、武力階層の分化が生じたのです。
武力を持たない者が自分の力を(つまり大衆的肉体力の集約を)認識するためには、(その前提以外に)支配者でもなく「弱くもない」階層が必要です。民衆にとっての口先男、ジャーナリストの出現です。
と、ここまでは生産共同体内男性下層階級の問題です。しかしまだまだ「人間外の」階層がある。そしてそれらがそれ以降の歴史の中で次第に、同様の過程を経て、「人間」になってゆく。
社会学上の「階級」なり「階層」なりの認識は、「産業的発達がそれを作った」という認識であってはならない。階級は社会学上は作り作られるものです。それが具体的人間の社会学です。
そして、具体的個人に係る権力要素を語るためには、その権力要素の変節の姿、その全体的姿を語ってからでなければならないのです。
と、これだけ書くのにどれだけ誤入力があったことか。悲しい視力、、、