リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

NHK2、3

2017-12-09 15:41:31 | 断片
 こんにちは。暮の冬ですね。草津とか何度も雪。昨日は用事があってちょっと前の勤め先の営業窓口へ。こちらは4年ぶり、さいわい空いてたので古い人たちと1、2分ご挨拶ができました。ただの挨拶だけなのになんかリッチな気分。一期一会ってなんのことかいね。一度会った人にはまた会えばいいんだと思うんですが。
 とはいえ、じっさい訪ねても窓口にいなかったり異動だったりで、知らない人にいらっしゃいませといわれるのは気落ちします。
 ま、暮です。
 (おみやげにリヨンのイギリスパンを買いました。さすがに美味しい。なぜか100円の当たり券を持っていたので。おかずパンはいまいちで行かなかったのですが)
 
 ニュース。
 政府が私立高校実質無償化、だなんていっております。ほんとかよ、と思って読めば、くれるのは年に39万円だって。そんなこったろうと思ったよ。私立高校なんて普通年に80万はかかるし。うち私立だったから。年76万の高校は「うちは安い」とか胸張ってたよ。実際そうだし。なんだ年39万て、と思って探してみました。そしたら、よほど地方で、かつ「授業料」のみに限って39万を切る高校がある、というわけです。どうやったらそんな「平均」が出るのか。
 ふつう、怒るところだけど今日は乗らないので怒らない。病気かね。
 もっともこの検索で分かったところ、どの都道府県でも、まずどっかの公立高校に受かるということが分かりました。公立は民主党のおかげで無料のようだから、私が怒るほどのこともないか。いいねえ、昔とはだんち。昔は合格が難しかった。ただ子供には分からないでしょうが、交通費というのが実は高い。通学定期でもさらにバス代とかかかると平気で月2万とかいってしまう。コンビニバイトもそうはないでしょうし。でもこれは言ってもしょうがないね。
 
 の2。
 NHK受信料合憲とのこと。反対派はどうして憲法に持ってくかねえ。ただの法律問題じゃん。合憲に決まってるでしょ。ド迷惑もいいとこ。NHKがふんぞりかえるだけだ。早く放送法改正させろよ。アベでいいからさあ。
 だいたいNHKなど何も考えていない。今日のNHKニュース。
 「大都市で小学生と中学生の子どもがいる40代夫婦の世帯では、生活扶助は18万5000円余りで、収入が低い世帯の支出より2万5000円余り、率にして14%多く、65歳の単身世帯などでも生活扶助が上回っていました。」「厚生労働省はこうした世帯では基準額の引き下げを検討する」、少し考えてしゃべれよ、「政府広報」者。生活扶助には冷蔵庫代も洗濯機代もクーラー代も入ってないんだぞ。壊れたらどうすんだよ。冷蔵庫ナシで生きていけるか? 洗濯機ナシで、以下同様。修理費代に月に少しずつ取っとかなきゃ生きてけないんだよ。なんだってそう。特別支出扶助なんてないんだ。あほんだら。
 でも、まだ怒っていない。
 NHKが言ってたと家人がいうには、モヤシはスーパーの安さの客引きの顔だから値上げできない、だと。ったく、公共放送が非課税者から2万6千円もとってそんなヨタを言いふらしていいのか。
 誰がモヤシが安いからってスーパーに行くんだ。普通、ホウレンソウやキャベツが安いから、コンビニじゃなく、ちょっと歩くスーパーにいくんだよ。違う人、手を挙げて。
 それで、行ってみたらホウレンソウは高いわキャベツは高いわ、どうしよう、ふと見ればモヤシがある。「しょうがない、モヤシ安いからモヤシにしよう。おれは貧乏だからしょうがないな」って買うんだよ。
 もちろん。モヤシ・ラーメンを食べたくて買うときはあるとして、それは安いかどうかじゃなくて「よし、高くないから今日の昼のメニューにしよう」ってもんだよね。普通の感覚に絶対の自信を持つ隈、この自信はこんなときにも使える。モヤシは高くなきゃいいんだ。
 じゃあモヤシが30円じゃなくて100円だったら?
 ホウレンソウを買いにきた非課税者は、「ホウレンソウ298円だあ? キャベツ半分で150円? 何だよ、何も買える野菜ねえじゃねえか、アベは貧乏人は壊血病で死ねというのか」という話になるだけで、スーパーの問題じゃない。何もスーパーの役には立っていない。今はモヤシ代に満足してアベの無策をカバーしているだけだ。NHKはモヤシに責任をおっかぶせて庶民の食糧施策の不満を解消させたいわけだ。政治用語で「ガス抜き」っちゅうんだよね。
 
 さて、長々とこんなことをいうのに十何行も使っってしまった。
 このNHK談義の話が、自称アカデミズムでも実に多く起こる。
 「今ニコニコ笑ってるから今日も明日もみんな幸せだ」
 「安い商品の代表はモヤシだ」「スーパーは安いことが顧客獲得の要(かなめ)」したがって「スーパーの看板はモヤシだ」
 バカいってんじゃねえよ、ゴドリエ。
 というわけで、ものごとはある表象の意味を設定してしまうと、「その表象の意味はこうだ」ということが自立してしまう。なんでもいいけど、今浮かんだ、たとえば小学校の運動会ね。運動会の意義はこうだ、と学習指導要領に書いてあるわな。とりあえずそりゃそれでいいわ、アベが勝手に決めりゃあいい。じゃあ子供にとっての意味はほんとにそうか?? いや違う。運動会の意味は、それを好きな子供、嫌いな子供、好きも嫌いもない子供にとって、さまざまなものだ。表象として社会がしゃべっている意義と、行為論上の意味とは違うのだ。
 というバカバカしい論議を、大枚数百円をかけた別自治体図書館への交通費の末に見てしまいました。「贈与の謎」、モーリス・ゴドリエ。わたしも本気で植民地論を検討してますでしょう? 南太平洋は植民地とは限らない? おんなじ。
 「ここんとこ豊作続きで誰も死んでない。首長のおれんとこに溜まった作物はもう腐っちまうよ。この辺でどんと景気よく燃やしてみんなを驚かせたろか。腐ったら貢物が減らされちまうからな」。なにが「聖なるもの」だ。
 まあフランス人がバカなのは毎度のことですが、山崎カヲルがそれに追随してるのには呆れました。山崎といえば40年前はちょっとは知られた人間実感派。ほんと、アカデミズムというのは人間を腐らせていくもんなんだろうねえ、、、
 なお、これは題にしません。深入りして説明しなきゃいけないのは人生の無駄。ゴドリエとか、ほんとバカバカしくて話題にもできない。
 
 まあそれはそれとして今日は大人しいなあ。
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