今日、とある私立高校の先生が塾へお見えになり、その高校での取り組みなどについてお伺いしました。「一生懸命やっていらっしゃるし、中堅どころの生徒をしっかりと伸ばしてくださっている」そんな印象を持ちました。しかし、その印象を残念ながら説明会ではあまり感じられなかったと、素直にお伝えしました。もちろん、その高校の良さをもっと多くの人に知ってもらいたいという思いからです。
その高校の先生も「表現の仕方に工夫は必要だと感じる」「自分の学校のコンセプトや他校との違いを伝えていく必要性はある」と、お話くださいました。その話を聞いて、本当に良い教育をしていても、表現をきちんとしていかないと、伝えたいことがきちんと伝わらないんだ、ということを改めて感じました。
塾の中でも勉強を教えていて「分からない」という生徒さんがいます。その時に、その生徒さんが「復習をやっていないから」「家庭学習ができていないから」といってしまえばその通りなのかもしれません。でも「復習の重要性を伝えたか」「家庭学習の意味を伝えたか」となると、やはり本当は伝える側の努力も、まだ本当は必要だったのかもしれません。
以前も書いたことがありましが「教育とは言葉を操る仕事」だと思います。さらに最近はもうちょっと進んで「言葉を使ってしっかりと表現をし、伝えていく仕事」だとも思うようになりました。表現の仕方、伝え方を工夫することで、ひょっとしたら生徒さんの世界をも変えることができる、そんな仕事なのかもしれないと思うようになりました。
「勉強をやらない」「復習をしない」「家庭学習をしない」と嘆くのは簡単なのですが、でも、それらの重要性や必要性をきちんと伝えたのかどうか、そういわれると確かにまだまだ未熟な部分はあるのかなと思います。
生徒さんの人格は、十数年かけて出来上がってきたものですから、そう簡単に変えることができるとは思いません。それでも表現の仕方などを工夫して、伝え方を工夫して、少しずつでも「学習することの重要さ」を伝えていけたらと思います。時間のかかることかもしれませんが、じっくりと浸透していくように伝えていけたらと思います。
先の高校の先生も説明会やパンフレットでの表現の仕方を工夫したいとおっしゃっていました。表現の仕方や伝え方で、もしかしたらいろいろな『世界』をも変えることができるかも知れません。