カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

妙なものを見たという感慨と50歳   草原の椅子

2014-09-08 | 映画

草原の椅子/成島出監督

 だいたい妙な話ではある。娘のバイト先の店長の子供を預かる羽目になり、その苦悩は分からないではない。しかし本来的にはその引き受け方に、やはりなんとなくの無理を感じる。その店長夫婦の異常さは病的領域といっていいし、しかしそれは放置されたのだろう。その廻りの孤立した社会というものを問題にすることも出来るが、あくまでそれは不明である。そこに自分の恋愛問題と、当然家族のあり方と、そうして仕事の関係で生まれた、幼馴染でない親友問題なども絡む。結果的に外国に行って精神的に解決されたような感じになるわけだけれど、よく考えるとそれなりに疑問がたくさん残る。もっともそういうことをすべてうやむやにする手段だったと理解することは出来るが、たぶん、それは違うのだろう。人はいろんな問題を抱えて生きているが、少し遠くから自分をふり返って落ち着いて考えてみようということかもしれないし、いろんな問題を抱えた人達が協力して生きて行こうという話かもしれない。やはり妙ではあるが…。
 まあ、そんなようなお話だが、惜しい感じは無いではない。自分なりの思慮の浅さに、問題に巻き込まれることによって自覚的になる、というのはいい話だ。自己中心的で見栄っ張りで、しかし会社でもそれなりのポストで働かざるを得ない苦悩はもとからあったが、しかしそれでも他の犠牲の上に自分が成り立っていることなんて微塵も考えたことすらなかった。50にして、初めてそのようなことに考えが及ぶようになった人間ドラマということは出来る。だからそれは視点として良いのである。少し困るのは、そのことに気付くまでの過程と、しかしそれでもその異常な出来事に翻弄されている人々のさらに問題の多さなのかもしれない。特に最初に問題の種を家庭に持ち込んでくる娘だが、ある意味で父親より遥かに大人として描かれているけれど、結局は問題を自分で解決できない子供に過ぎない。友人になろうと提案する社長も、結局行動としては訳が分からない。自分の所為ではないと逃げる口実が欲しかっただけなのではないか。魅力的なパートナーとなりそうな女性についても、本当に自分のことを見抜けているのかかなり疑問だ。高価な商品を買ってくれる客としての男性に惹かれるきっかけはいいとしても、その後に生涯を共にするには、少し都合が良すぎるのではないかとも思える。写真集の中の人々に魅せられて訪れるかの地のでのエピソードも、ほとんどオカルトというか、禅問答の世界だ。まあ、僕も行ってみたいとは思うけれども…。さらに脚本の台詞回しが完全にクサイ。演じている役者さんが気の毒なほどである。ギャラもらってるから仕方がないとはいえ、本当はもっとまともな科白を覚えたかったのではなかろうか。
 というような変な経験をする映画ということで、観ている者は大いに混乱することになる。解決策はぜひ、自分の力で見出すべきなのであろう。
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