Side Steps' Today

裏版Side Steps' Today

トラウマ夢日記 番外編

2020年10月31日 | 機材マニアック
1990年代に非常に活発に活動していたバンドが年末に活動を復活するとの報あり。そもそもこれを知ったキッカケは「トラウマ夢日記」をまさに地でいく顛末。夢にてそのバンドの演奏シーンを見たことから、いまだに全く使い慣れないFBにて直感的に20年ぶりにリーダーEさんに連絡をとったところ「今年の復活を計画していたところ!」と聞かされて互いにビックリ、という具合。ちなみにEさんは当方が大学入学当時以来、Side Stepsの伊東さんとともにマニアックなサークル内のキーボードの双璧であって今だにとても畏れ多い存在。在学時にバンドを組むことはなかったが卒業後に声を掛けていただいてバンドに参加したのが最初だが、その初回練習時に数時間遅刻してしまった悪夢が蘇る…(降雪の伊豆半島で超大渋滞に見舞われ、熱海→小田原に14時間所要した)。復活に際しての「復習」のため、過去の秘蔵ライブ映像が某動画サイトに大量にアップされており、20~25年前の懐かしい映像、そして個人としては若気の至り満載な恥ずかしい演奏の数々に冷や汗ダクダクになりながら鑑賞するも、サウンド等の変遷が感じられる。「20年の経過は進化のみしかない」と高慢にも思っていたが、当時のサウンドは中々にイケてたと自画自賛。ベース本体(89年製Sadowskyジャズベース-S/N:307)こそ今と不変ながら、当時はライブにはフルセットを持ち運んでおり、アンプはSWR のSM400(改造Ver)と同じくSWRのキャビネットだったが、今聴くとライブでもサウンドの輪郭が明確でパンチが効いている。パンチはSM400のチューブ(真空管)具合がよろしいようで、特にロシア製スヴェトラーナ(Svetlana)のプリ管が少々やんちゃな明るいサウンドだった(イメージは宇宙船ソユーズだが)。その後は若さを失うにつれ、ディスクリート(トランジスタ)の控えめなサウンドに、そしてフルセットを運ぶ体力と気力も減ってきたことから次第に据置のアンプを使うようになってしまったのだが、今聞くとチューブの音はとてもよろしく、10年以上眠っているSM400をもう一度引っ張り出してこようかと思っている今日この頃。

散財日記

2020年10月24日 | CD批評
Allan Holdsworth「I.O.U」
エディ(エドワード)・ヴァン・ヘイレン(EVH)逝去の報道が世の中頻りだが、多くの記事で語られているのは①タッピング奏法の先駆者、という点。決してEVHが開発したわけではないが、売れた当時は「ライトハンド奏法」と言われており、我ら中高生のギタリストの間では速弾きかライトハンドが出来る!というのが仲間内での重要な評価ポイントだった。しかし、速弾きもライトハンドも言葉として廃れてしまい、後者はタッピングと称されることに時代の流れを強く感ずるが、確かにEVHは当時一世を風靡していた。楽器屋にあるのはワン・ハム(*1)のクレイマー社製バナナヘッドのEVHモデル(いわゆるフランケンのコピーモデル)であり、在学していた学園祭の後夜祭ステージでは同級の高校生バンドが「JUMP」を演奏していた(個人的には、その学園祭でキーボードを弾いていたのが笹路正徳の弟の笹路君であり、高校生では到底買えないシンセJUPITER-8?をワタシに見せながら、兄から借りてきた+JUMPのテーマ部分のシンセ・ブラスを作ってもらった、と打ち明けていた印象が非常に強い→が、シンセ・ブラスはモノホンのサウンドとはかなり違っていた…)。さらに語られるのは②人柄の良さ、なのだが、この手の記事は死者に鞭打つ内容は本来少ないものの、我が意を得たりなのは正にこれに触れた記事なのであった。ワタシにとってEVHといえば、アラン・ホールズワースの「I.O.U」の「U」。アラン・ホールズワース(AH)を世に出したのはEVHであり、そもそもスティーブ・ヴァイとEVHが知り合ったのもAHのライブ会場。「I.O.U」とは借用証書の意味であり、I Owe You(私は貴方に借りている)に由来する。アルバムとしての「I.O.U」は経済的に失敗した(=費用をかけて制作したが全く売れなかった)とAHは言っているが、相当に苦しい状況に落ち込んだその窮地を救ったのがEVH。「こんなギタリストが陽の目を見ないのはおオカシイ」とワーナーに売り込んで以来、AHはコンスタントにソロ作品を出せるようになった。まさに当初のUは単に金貸しだったが、リリース後のUを意味したのは恩義を受けたEVHであった(が、AH贔屓として客観的に聞いても「I.O.U」が「JUMP」のように爆発的に一般ピーポーに売れるとは到底思えない)。そんなAHも2017年に物故しているが71年しか生きなかった。その9歳年下であるEVHも65年しか生きなかった。なぜか音楽家は短命と思う今日この頃。瞑目。

(*1)ハムバッカータイプのピックアップがリアに1基だけついているもの。ギター・サウンドとしてミッドレンジが豊富なLAサウンドが当時大流行していた。ちなみにAHもワン・ハム。

散財日記

2020年10月17日 | CD批評
渡辺香津美「THE SPICE OF LIFE in Concert」
ライブ盤、それは罪な存在…。企画ありきのライブ盤では、ライブ収録を前提に話が進行。音だけでなく映像までいろいろ費用をかけてライブに臨んだものの演奏はイマイチ。しかし費用をかけたというサンクコストへのコダワリのためにどうしても商用化しないといけない。結果、演者にとっては不本意な作品が出来上がる。海外から人を呼んできてやろうものなら、こうなるリスクは格段にエンハンスさせられるが、選んだそんな一枚がコレ。名盤「THE SPICE OF LIFE」をライブでという企画だが、とにかくスタジオ盤対比で落差著しい。通常はライブ盤の方が熱気やスピード感があり、その後にスタジオ盤を聴くとガッカリというパターンは多いがその逆はまず珍しい。演奏はトリオ形式で渡辺香津美(Gt)、ジェフ・バーリン(B)、ビル・ブラフォード(Dr)という素晴らしいメンツだが、ビルが本当に冴えない…。他の演奏を聞くにビルは曲構成を覚えるのが困難なようで、明らかに構成上パターンを間違っていることが結構多い。間違ったならそのまま間違ったパターンでゴー・アヘッド!という場面でも、1~2小節間違って叩いたところで気がついて本来のパターンに戻るという正直者。イソップ童話「ヘルメースと木こり(金の斧)」の正直者の木こりのように…「私が落としたのは鉄の斧です」(ビル)。ちなみにワタクシもかつてはライブで間違った際は顔に出る性格で、アンケートにも「間違っても聴いている人はわからないので顔に出さない方がいいと思います」とお客様から指摘される側だったのだが、いつのまにか「私が落としたのは金の斧ですが、それがなにか?」という厚顔な性格になってしまいました…。名曲「Hiper K」の4:35付近は特にヤバイ。ビルは自ら3連系フィルをフリながら自ら拍を見失っているが、フッた本人が拍を見失うことって普通はアマでもあまりないような気も(ドラマーならなおさら)。もはやテロの領域だが、おそらくジェットラグで体調が悪かったのだろう、と思いたい。渡辺香津美は毎度のようにライブでの出音がショボい印象変わらず。お金のない中学生時代、立ち読みのギタマガに載っていた冷蔵庫のような豪華巨大ラック2台(40U位?)のエフェクトの機材写真を見た時に「こんな機材使っているのに音がショボいんだ…」と童心にも思った記憶が蘇る。そんな中での白眉はマイ・アイドルたるバーリン!しかし、トリオというあまりにコード感の無さからシンセを弾かざるを得ない場面もあって「俺のバーリンがなんでシンセを…」という義憤も。しかしそれ以上に動くバーリンに感動ひとしおで、これだけでDVD購入した価値ありと自らを無理に納得さす。

散財日記

2020年10月10日 | CD批評
高中正義「Takanaka Sings」
地元で知り合ったギター少年から中学時代にその名を聞いて以来、なんとなく「軽フュー」(=軽薄なフュージョンの意。我々の大学サークルではこのように揶揄されていた)の代表的存在としてのイメージが強く、さらには雑誌で見たサーフボード型のギター等、完全に色物系というイメージも加わって、ギター少年でもない当方にとっては音楽を聴く以前の段階として完全に食わず嫌いで来ていたが、コレを聞いて刮目。ただ、アルバム中の白眉なのは「アルジャロウないじゃろ」…。このタイトルを見ただけでも色物系のトレンドを強く感ずるが、聴くだに「これ、どうやってレコーディングしているのだろう?」という疑問が即座に擡頭。ギターに歌という弾き語り形式のシンブルな構成だが、歌はボコーダーがかけられていて音程はキーボードでコントロールされている筈。歌詞から類推するに即興的に演奏していると思われるが、少なくとも手が3本(2本はギター、1本はキーボードでボコーダー)必要となる中、ガイドとなるリズムトラックもないが、1)歌もしくはギターを先に録ってから(タイミングや雰囲気からおそらく歌が先に録られているものと推測)他方を後でオーバーダブしているか、2)ギターと歌を同時に録音し、あとから歌のトラックにボコーダーをかまして別トラックへ、さらにボコーダーをコントロールするキーボードのMIDIを合わせて録って後からコントロールを編集する、という具合なのだろうか…。ボコーダーはギターでもコントロール可能だが、タイミングが相違している。まあ今の編集テクノロジーがあれば問題なくできるが、絶妙なのは歌とギターのタイミング。アルバムタイトルは「~Sings」だが、ギターサウンドもよろしく、この「アルジャロウないじゃろ」もコンプのかかり具合が素晴らしく(冒頭のギター少年がMXRのダイナコンプを使用していた印象が強すぎて、このプツプツした圧縮具合がなんとなくダイナコンプに聞こえる)、さらにアンプのサチュエーション感もグーで、このような何気ない部分に実力やセンスが光っている!と思い、過去の誤ちを反省しながらそれまでの高中アルバムをほぼ全て収集して聞いたが、この曲のインパクトが強すぎたためか目下これを超えるものは出現せず。

散財日記

2020年10月03日 | CD批評
八神純子「The Night Flight」
以前に歌謡曲な時代に聴いた記憶があるも、数年前に新聞を眺めていると八神製作所創業者一族で八神純子の父上の訃報が…。これをきっかけにCDを探ってみると最近再び活発に活動しているようで作品を乱聴するも、ライブ盤での圧倒的な歌唱力が際立つ一方で、残念なのはバックの演奏と古風なアレンジ。特にベースはあの後藤次利(ベース界では「チョッパーズブギ」が有名)が弾いているのだが、その音楽プロデューサーの手腕は知られる一方でベースの手腕ともなるとかなり怪しい。ライブ盤でもフィーチャリングとしての立場だが、通称「いかりや奏法」(=誰が名付けたのか、故・いかりや長介の特徴的なベースプレイ。親指をピックのように使ってムチムチと弾く。チョッパーでのサム・アップダウンのようなアタックは皆無)で音程とリズムが非常に不明瞭。しかもラインを黙々と刻むのでなく、フィーチャリングを意識したのかハイフレットを使ったフレーズを多様してボーカルやそれ以外に絡もうとするのだが、リズム不明瞭(というか明らかにタイム感悪し)かつ音程外し気味+探り気味、さらに(これは特徴でもあるのだが)ベースでのチョーキング(ビブラートを含む)もあり、浮遊感たっぷり。楽器はおそらくトレードマークたるスペクターNSのごく初期のJJモデルだが、あのゴリっとしたサウンドは皆無で弦高高めのセッティングでさらにフラットワウンドを張っているかのよう。PAやミキシングのエンジニアもバランスに苦労すると思うが、土台たるベースが不安定なのがなんとも不味。またアレンジだが、歌謡曲当時のアレンジを踏襲しているがそれがなんともレトロ。特にサンクコスト的に過剰気味なホーンセクション・アレンジは、今の音楽業界を支えていると言われる中高年には懐古主義的に心地よくて非常にナウいのかもしれないが、頭打ちのキメとか相当にシブい。原曲が良いだけに違ったアレンジの方がより映えるのに…とこれも残念。また、歌謡曲当時の曲の方が作曲自体でもコード的なテンションのバラエティも豊富でエッジが効いていたが、最近の作曲はあまりエッジがなくマイルドなのもなんとなく物足りず。ただこれを補って余りあるのが歌唱力であって、今の現役ミュージシャンにこれほどの歌唱力の人はあるか?とも。